https://www.routledge.com/What-is-Money/Smithin/p/book/9780415407076
What is Money?
John Smithin
Table of Contents
1. What is Money?: Introduction 2.'Babylonian Madness': On the Historical and Sociological Origins of Money
3. Modern Money
4. The Property Theory of Interest and Money 5. The Credit Theory of Money: The Monetary Circuit Approach 6. Money and Effective Demand 7. The Invisible Hand and the Evolution of the Monetary System 8. Aristotle on Money 9. A Marxist Theory of Commodity Money Revisited 10. A Marxist Account of the Relationship between Commodity Money and Symbolic Money in the Context of Contemporary Capitalist Development 11. Menger's Theory of Money: Some Experimental Evidence 12. Dr Freud and Mr Keynes on Money and Capitalism 13. The Disappearance of Keynes's Nascent Theory of Banking between the Treatise and the General Theory
では、一つの発展段階を画するものではない。 物々交換は過去においても現代
の経済的制度においても非常に広範に生じるが, それは物々交換を行う者によ
る特別の理由のために用いられる常にマイナーな, 散発的な,急場しのぎに用
いられた取引である」(Ibid., p. 188)。
デイビスもこう主張する。 「物々交換の説明の大部分は, 貨幣に関する現代
の教科書に典型的に見られる基本的な事例を提供するためになされてきた。 こ
れらの説明は,物々交換の不便を過度に強調するだけでなく, このミスリー
ディングで狭隆な,間違った見解でもって貨幣発生を基礎付け, 他の要因を排
除しがちであった」(Davis [1994] pp.9-10) 「(今日では) 専門家の多くの共通
の認識は,物々交換が貨幣の起源や最も初期の発展における要因ではないとい
うことである」(Ibid., p. 23)。
さらにポストケインジアンとして知られるレイは,やはりアダム·スミス
やサミュエルソンによって定型化された物々交換の歴史的存在を否定して次の
ように言う。「物々交換に基づいた市場 (ささいな戦争の捕虜のケースは別に
して)というのは存在しないし, 貨幣の起源についてのあらゆる証拠は, 国家
との関わり合いを示している。 このことは, 私的な貨幣は決して存在しなかっ
たし,金融システムの発展における政府の役割を過大に主張するのも私の意図
ではない。しかしながら, 私がここで議論しようとするのは, 最初から, ケイ
ンズが議論したように, "真に重要である” 計算単位として機能するものの決
定に際して政府が重要な役割を果たしたということである。 私は貨幣の起源に
ついての歴史的な説明は簡単にとどめることにする。 というのは、 これは興味
がないからではなくて, むしろそれは主な関心である近代貨幣に接しているか
らである。たとえ貨幣の起源についてのサミュエルソン的な筋書きが真実であ
るにしても(そうではない), すべベての近代国家は, サミュエルソンの貨幣と
しての“タバコ,毛皮そして妻”というよりも, 不換紙幣をもたらしている。
しかし歴史についての何らかの知識は, いわゆる近代貨幣ないしは国家貨幣と
呼ばれるもの照明を当てるのである」 (Wray [2000] p.42)。「人類学的な証拠は,
慣習的な話を支持する試みにおいてしばしば用いられる。例えば、種族間の交
換、あるいは原始的な価値物の交換を通じる種族内の妻たちの “購入” は、
物々交換ベースの市場交換の話を支持するために提供される。それに対して,
交換手段”としての子安貝の貝殻、あるいは巨大な石貨(ヤップ諸島のケー
123
第5章 ミッチェル·イネス
スのように)使用は, 古代の貨幣の起源を論証すると推測される。しかしなが
ら,詳細に調査すると. これらの事例は市場と貨幣の起源についてのサミュエ
ルソン仮説を支持しないのは明らかとなる」 (Tbid., p. 43)。 「種族社会における
交換は,本質的に儀式的なものであり、 当然の結果として, 互恵主義(に基づ
く交換)の習慣は, 取引者の利益を最大にするよりはむしろ, 種族の成員をよ
り親しく結びつけるように意図されたものであった。 実際, 取引の参加者は通
常,交換される品物の選択はまったくなく, そうした交換の多くの目的は, 富
を平等にすることであった。 相対的な諸価格は決して市場の競争の影響に晒さ
れず、習慣によって決められた」 (Ibid.)。 「教科書的な筋書きは, 特定の貴金
属がまさに物々交換の取引費用を減少させる選択に依存する。 しかしながら現
実には、消費者は重量や名称, 純度および精巧さなどがさまざまな膨大な数の
鋳貨に直面してきた。 こうした社会の典型的な成員が、 例えば牛の価値よりも
鋳貨の価値をもっと評価することができたであろうと信じることは困難である。
貴金属を用いることによって取引費用を減少させるよりも, おそらく牛を使用
する取引費用をより減少させたであろう」 (Ibid., p. 45)。結局. 物々交換の存否
に関する近年の考え方を一口で言えば, 「サミュエルソン (およびその他多く
の学者)によって広められた憶測に基づく貨幣の歴史は, すべての本格的な歴
史家や人類学者によって却下されている」 (Wray [2003] 邦訳63頁. 傍点は引用者)。
カリムサディ (S. Karimzadi) はこう述べている。「その圧倒的な優勢と評判
にもかかわらず、われわれは他と区別してうまく定義された物々交換経済ない
し原始共産的経済システムにつての何の証拠も持っていない。 そうした社会の
特徴は経済学者ゃ人類学者によって報告されてきたが、これらの特徴は非常に
暖味で一般的であり,決定的であるとはみなされ得ない」 (Karimzadi [2013] p.
219)。「物々交換の時代と定義しうる, そしてはっきりとその境界を示しうる
歴史的な時期は存在しない。 それは単に実在しない憶測的なモデルにほかなら
ない。物々交換についての経済学者の記述に適合する経済システムは, 何ら歴
史的な先行をもたない。……貨幣の起源についての伝統的な理論は、 この
[物々交換という]思考過程に囚われている。 皮肉なことには, 想定の核心は尊
敬されるけれども, 同時にどの経済学者もその理論がまったく不満足であるこ
とを見出している。一般に承認された知恵では, いつ,どのようにして、 そし
てなぜ貨幣が存在するようになったかをわれわれに語ることはできない」
... .
124
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貨幣(Money)
貨幣を定義することは貨幣理論家にとって厄介な問題である。読者は、いつもの二
つのアプローチ、すなわち、その機能によって貨幣を定義するか、ないしは(ケイン
ズが「一般理論」で行なったように、「[われわれは、]『貨幣」と『債権」との間に、
…最も便利な点において境界を画することができる」(ケインズ 1936年[1964年]、
167ページ))簡便かつ任意に経験から得られたなんらかの定義を選ぶかという、二つ
のアプローチについてはよくこご存知のはずである。しかしながらポスト·ケインジア
ンのアプローチにおいては、計算貨幣単位とその計算貨幣単位で表示されている物と
の間を(『貨幣論』におけるケインズの「計算貨幣は、[ドルやポンドといった、計算
だけに用いられる〕記述あるいは称号であり、貨幣はその記述に対応する物である」
(ケインズ 1930年[1976年]、3ページ)にしたがって)厳格に区別している。多く
の理論家はそのような区別をしていない。というのも、かれらはその言葉を、時には
「物」(交換手段)そのものを指す場合に用い、時には「名称」を指す場合に使ってい
るからである。混乱を避けるために、わたくしは、貨幣(「名称」、すなわち、米国国に
おいてはドル)とハイパワードマネー(貨幣に擬せられた特定の物一準備金や通貨)
と銀行貨幣(貨幣に擬せられたもう一つの物一要求払い預金と民間銀行券)を注意深
く区別することとしたい。(ここで「貨幣に擬せられた物」とは、Money-thing の訳
であるが、以下では、記述あるいは称号を表わす「貨幣」ではなくその記述に対応す
る物を表わす貨幣であることが文脈から明白である場合には、単に「貨幣」と訳すこ
ととしたい。)
ポスト·ケインジアンの考えでは、貨幣というのは単に価格や負債や契約がそれに
よってたまたま表示されることとなった、便利な価値標準(ニュメレール)であると
いうだけではない。この考えは、われわれが価値標準として役立つどのような財をも
選んでよく、その価値標準によって相対価値を絶対価格に読み替えることができると
する一般均衡アプローチとは対照的である。事実、貨幣の起源について語られる典型
貨幣 63
的な話は全く価値標準アプローチに基づいており、そこでは、ロビンソン·クルー
ソー(Robinson Crusoe)が、「タバコ、皮革や毛皮、オリーヴ油、ビールなどのアル
コール、奴隷ないし妻、…巨大な岩や境界標識および紙巻タバコ」を「貨幣」として
用いることに決めるとされている(サミュエルソン 1973年、275-6ページ)。たとえ
ば貝殻がクルーソーによって貨幣に選ばれるとき、かれは一つの価値標準を選ぶと同
時にどの「商品貨幣」が貨幣に擬せられた物としての役割を果たすかを指定したこと
になる。結局クルーソーは、金が一繰り返しにこなるが、価値標準としてのみならず貨
幣に擬せられた物として一すぐれた性質をもっていることを発見したことになるので
ある。
サミュエルソン(およびその他多くの学者)にこよって広められた憶測に基づく貨幣
の歴史は、すべての本格的な歴史家や人類学者によって却下されている。関心のある
読者は貨幣の歴史の社会的側面を強調している多くの記述を参照していただきたい
(広範囲な参考文献目録については、レイ 1998年を見よ)。いずれにしても、われわ
れが真の歴史と偽の歴史を吟味する主たる目的は、現代の貨幣の性質を解明するため
である。わたくしの考えでは、一一つの商品貨幣ないし価値標準貨幣に基づく経済体制
は、ケインズが定義しているような「貨幣経済」ではない。それどころか、貨幣が価
値標準以上のものとしての役割を果たしていない経済は、ケインズが言うところの、
物々交換ないし実質賃金経済である。たとえ商品貨幣が存在した歴史的段階が実際に
あったとしても、そのことは、計算単位とその単位で表示された貨幣に擬せられた物
が社会的慣行から生み出されている、現代のわれわれの貨幣システムのはたらきの解
明には役立たないとわたくしは主張したい(インガム 2000年)。
ポスト,ケインジアンは二つのアプローチ、一グッドハート(1998年)がC型(表
券主義者)とM 型(金属主義者)と呼んだもの一すなわち、貨幣が社会的計算単位
であるとされる理論と貨幣が便宜上採用された価値標準としての商品以上のなにもの
でもないとする理論との間の違いを強調している。C型アプローチ(ないし国家幣
説、または納税に起因する貨幣説とも呼ばれているが)は、ちょうどケインズが行な
ったように、国家が「規定をつくる」(たとえば米国におけるドルのようなーなにを
計算貨幣とするかを決定する)と主張する。これは、本来なら奇妙な一致のようにみ
える事態、すなわち、一国家一通貨の慣行を説明するのに大いに役立っている。ノー
ベル賞受賞者、ロバート,マンデル(Robert Mundell)の研究が明らかにしているよ
うに、もし貨幣が単に交換を容易にするために選ばれた価値標準に過ぎないならば、
ある特定の価値標準は、そこでの使用が「最適である通貨圏」(グッドハート 1998
年)内で用いられると期待されるであろう。それが国民国家の領土と一致すると期待
できるなんらの理由もない。しかしながら、実際は一国家一通貨のルールはごくまれ
にしか破られておらず、そのような例外的なケースは、取るに足らないものとみなし
得、グッドハートが説明しているように、特殊ケースとして容易に片付けることがで
きる。したがって欧州連合は、実在するケースとして、おそらくきわどい例外の典型
を示していることになる。
64
このことは、われわれを貨幣の使用の説明、すなわち、なぜ貨幣は用いられるのか
の説明に向かわせる。正統派のお話は、われわれがすでにみたように、物々交換の不
便さにうんざりしたクルーソーとフライデイから始まる。いずれにしても、貨幣は市
場から現れるとされる。もう一つ別の、貨幣に対する社会的アプローチにしたがった
見方は、貨幣が、殺人賠償金という文明化以前の慣習に由来する、あるいはもっと簡
潔に言えば、貨幣が貨幣の存在しなかった市場システムに起源をもつのではなく、む
しろ行刑制度に由来すると主張するものである(グッドハート 1998年、レイ 1998
年)。犯罪行為に対する罰金という、精巧に作り上げられた制度が発達し、時がたつ
につれて当局は、この犯罪被害者に支払われる罰金の制度を、国への納付制度に切り
替えたのである。最近まで、罰金がすべての国の収入の大部分を占めていたが、徐々
に、地代や利子のみならず手数料や租税が、当局宛になされなければならない支払い
の項目として付け加えられることとなったのである。
C型ないし納税に起因する貨幣というアプローチによれば、「国家」(ないしは、国
民に納付義務を課すことのできる他のどのような当局、一それが専制君主制の当局で
あれ、民主政体の当局であれ、あるいはまた神聖政治の当局であれ)は、一般に通用
する社会的な計算単位の形、すなわち、貨幣の形での納付義務を課すことになる。こ
のことはなにも事前に市場や価値標準やなんらかの類の価格が存在していることを必
要とはしていない。ひとたび当局がそのような納付義務を課すことができれば、かれ
らはこの義務を果たすためになにが納付されなければならないかを正確に指定するこ
とができる。かれらは納付されうる物を数量表示することによって、言い換えれば、
それらに貨幣単位による値段をつけることによってこれを行なうのである。
ここまでは計算貨幣(記述)を説明したに過ぎない。ひとたび国家が計算単位を指
名し、それで計算された納付義務を課したならば、「その記述に対応する物」を選ぶ
のは自由である。国家貨幣が完全に実現されるのは、国家が自ら規定した記述に対応
する貨幣に提せられた物、すなわち、ハイパワードマネーを現実に発行したときであ
る。経済学者はしばしば「商品貨幣」(たとえば、額面と本来備わった素材の価値と
が一致している金貨)と法定不換紙幣とを区別している。しかしながら、国家によっ
て発行される貨幣に擬せられた物がどのような素材で作られていようと、国家はそれ
が価値あるものであることを告知しなければならない。
金本位制については実に多くの議論がなされたにもかかわらず、それが現実に実施
されていた期間は、比較的短期にすぎなかった。過去の歴史のほとんどの期間を通し
て、当局によって発行された貨幣に擬せられた物は、金貨幣ではなかったし、その貨
幣に擬せられた物を金(ないしその他の価値あるもの)と交換するとのなんらの約束
もなかった。ヨーロッパの歴史のほとんどの期間を通して、国家によって発行された
貨幣に擬せられた物がハシバミの木で作った合札であったことは注目されるべきであ
る。他の政府発行の貨幣に擬せられた物としては、粘上で作られた板状小片、革や卑
金属製のコインおよび紙幣がある。人々はなぜ、通常なら「無価値の」木片、粘土、
卑金属、革ないし紙を受け取るのだろうか。それは、国家が、国への債務(手数料、
貨幣 65
罰金および租税)の弁済においてその同じ「無価値の」物を受け取ることに同意して
いるからである。
ゲオルグ·フリードリッヒ·ナップ(Georg Fridrich Knapp)(1842-1926年)は、
国への債務の(「外部から中央に向かっての」)支払いにおいて国家によって受け取ら
れる「内向き」貨幣と、国家によってその(「中央から外部に向かっての」)支払いに
用いられる「外向き」貨幣とを区別している(レイ 1998年)。今日の近代的な貨幣
制度においては、ハイパワードマネーがこの両方の機能を果たしている。もちろん、
米国政府は徴税にあたり銀行貨幣を受け取っているようにみえるが、実際には、銀行
小切手による納税は銀行組織からの準備金の流出をもたらす。政府支出は当然、財務
省小切手の形をとっており、それは民間銀行に預金されると準備金の増加となる。留
意すべきは、政府が、国への支払いに用いられた銀行貨幣をハイパワードマネーと等
価で受け入れるかぎり、銀行以外の一般国民からみれば、銀行貨幣とハイパワードマ
ネーとの間に本質的な差はないことになるという点である。しかしこのことは、銀行
小切手で納税されるとき準備金を失い、財務省小切手が交換清算されるとき準備金が
増える銀行にとっては、正しくない。
最後に、ナップは非政府部門相互間でなされる支払いを「中央の近傍での」(支払
い)と定義している。すべての現代の経済においては、これらの支払いは主として銀
行貨幣や非政府部門によって発行される他の種類の貨幣に擬せられた物(「内部」ま
たは「信用」貨幣と呼ばれうるもの)を用いて行なわれる。非銀行が決済において主
に銀行貨幣を用い、銀行は他の銀行や政府との決済にハイパワードマネーを用いると
いった具合に、ここでは貨幣に擬せられた物が一つのピラミッド状の階層をなしてい
るといえる。すべてのこれら貨幣に擬せられた物は、計算単位、すなわち、国家への
債務が計算される単位で表示されており、すべての信用貨幣はまた、一つの社会的関
係一債権者と債務者との間の関係一を表わしていることに留意されたい。
ポスト·ケインジアンは、その信用貨幣に関する研究と内生的貨幣アプローチで最
もよく知られている。本書には内生的貨幣という項目が別途立てられているので、こ
こでは信用貨幣と国家貨幣との関係を説明するとともに内生的貨幣アプローチをこごく
簡単に要約しておくだけで十分であろう。
徐々に発展しているポスト·ケインジアンの貨幣に対する内生的アプローチは、中
央銀行による準備金の提供を通じた外生的貨幣供給のコントロールに基づく正統派の
新古典派アプローチに代わる一つの明確な考え方を提示している。初期のポストケ
インジアンの研究は不確実性を強調し、概して(支出と関連した)「流通している」
貨幣に擬せられた物についてよりも、「不安」を軽減するために保有される貨幣に擬
せられた物の退蔵に最も強い関心を示した。しかしながら、ボスト·ケインジアンは
常に、ケインズがマルクスから借りてきた「貨幣的生産の理論」において貨幣によっ
て演じられる重要な役割を認識していた。主としてフランスで展開された循環理論
(circuit theory)は、金融的支出において貨幣が演じる役割に注目した。それに続く
主な展開は、1970年代に、バズル·ムーア(Basil Moore)のホリゾンタリズム(ニ
66
コラス·カルドア(Nicholas Kaldor)によってある程度予見されていたが)によって
もたらされた。それは、中央銀行が裁量的なやり方で銀行の準備金をコントロールで
きないことを強調するものであった。準備金は、中央銀行によって管理される、一夜
貸しコールの金利(フェデラルファンド金利)の下で、需要あり次第「無制限[ホリ
ゾンタル)」に供給されるに違いないとされた。このことはまた、初めに貸付があっ
てそれが預金を増やし準備金を増やすという形で因果関係が働くことになるため、従
来の教科書にある預金乗数の理屈を逆転させるものでもあった。
このことは直接、すでに循環理論やマルクス経済学の文献で明らかにされていた
「内生的貨幣」アプローチのいっそうの発展をもたらした。銀行は、貸付に対する需
要が増加すると、手元にある準備金の多媒について心配することなく、より多くの貸
付を行ないより多くの銀行預金(貨幣に擬せられた物)を創造するのが通例である。
したがって、このように民間銀行によって行なわれる貸付は、後に準備金を必要なだ
け(ホリゾンタルに]借り入れそれを活用して「テコ効果で収益力を高めようとする
行為」とみなすこともできよう。もっとも、どの程度の借入比率が望ましいのかにつ
いて決まった基準はない。
ケインズと同じくポスト·ケインジアンたちは長い間、資本主義経済における失業
は、それらが貨幣経済であるという事実と関係があることを強調してきた。ケインズ
は、流動性に対する「偏愛」(退蔵願望)が、当該利子率を十分な量の投資を不可能
にするような高さに保つため失業を引き起こすと主張していた。金融政策が、一夜貸
しコールの金利を引き下げるか、準備金の量を拡大することによって、失業を解消す
ることができそうに思われるかもしれないが、現実にはどちらのやり方もうまくいか
ないであろう。流動性選好が強いとき非流動的資産への投資を促すような利子率は存
在しないかもしれないし、たとえ一夜貸しコールの金利が低下しても、このことが長
期金利を低下させることにはならないかもしれない。さらにホリゾンタリストたちが
明らかにしているように、中央銀行は裁量的なやり方で準備金を単純に増やすことが
できないかもしれないのである。というのも、その行為は単に過剰な準備金の保有を
もたらすだけで、民間への貨幣供給を増加させることなく一夜貸しコールの金利をゼ
ロに押し下げる結果に終わるだけだろうからである。事実、流動性選好が強いとき、
貸付資
供給のみならずその需要も急減する。したがって、中央銀行が総需要を増
加させるため単純に「貨幣供給を増加させる」という方策はうまくいかない。これこ
そ、内生的貨幣アプローチを是としている人たちが、当局は単純に「貨幣供給」を拡
大し LM 曲線を移動させることによって景気後退を取り除くことができるとする IS
-LM 分析を拒否する理由である。
L.ランドール·レイ(L. Randall Wray)
以下の項目も見よ
銀行業、金融政策、循環理論、中央銀行、内生的貨幣、流動性選好。
カルドアの経済学 67
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カルドアの経済学(Kaldorian Economics)
ニコラス(ミクロス)カルドア(1908-86年)は、20世紀における最も独創的で議
論の的になることの多かった経済学者の一人である。かつて「エコノミスト(The
Economist)」誌は、かれのことを「ノーベル賞を授けられなかった世界でもっとも
著名な経済学者」と評したことがある。かれは、1930年代と40年代に、企業の理論、
厚生経済学、景気循環理論、資本理論およびケインズ経済学に対し基本的なところで
貢献した。1950年代には、かれは自分の豊かな知性を財政学や成長と分配の理論に振
り向け、またジョーン·ロビンソンやリチャード,カーン(Richard Kahn)とともに、
ケインズの思考形式を長期に拡張したポスト·ケインズ学派の創設者となった。そし
て1960年代には、成長の応用経済学に注目するようになり、静態的および動態的な収
穫通増に基づく成長の原動力としての製造業という考え方に関する、その後出された
膨大な二次的文献の先鞭をつけた。1970年代にはマネタリズムの教義に対し世界的な
規模での激しい非難を浴びせる上で指導的な役割を果たした。なぜならマネタリズム
は、1980年代のマーガレットサッチャー(Margaret Thatcher)政権下の英国を典
型的な例として含む世界の各地での学問的思考や政策立案に悪影響を及ぼすべく、ミ
ルトン·フリードマンの影響下にあった北米から、かれの表現を借りれば、悪疫の原
因となる毒素をまきちらしていたからである。かれはその戦闘には破れたが、今日筋
の通った知的な学説としてのマネタリズムは廃れてしまっているので、戦いには勝っ
たといえる。
上記から明らかなように、カルドアは一経済学者としては多彩な人生を送っている。
カレッキの経済学 73
いだものを支出する。資本家は支出したものを稼ぐ」である。このことは、よく知ら
れたケインズの貯蓄恒等式から容易に導き出すことができる。そこでは、貯蓄(S)
は定義によって、粗投資(I)プラス財政赤字(政府支出マイナス税収、G-T)、プ
ラス貿易黒字(輸出マイナス輸入、X-M)に等しい。ここで社会には、貯蓄も消費
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