2021年7月9日金曜日

カビール・セガール『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』

カビール・セガール『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』
2016

COINED
The Rich Life of Money and How Its History Has Shaped Us
by Kabir Sehgal

 本書『貨幣の「新」世界史』(原題Coined: The Rich Life of Money and How Its History Has Shaped Us、二〇一五年刊)は、私たちの生活に欠かせない存在であるお金を様々な角度から分析しながら、今日に至るまでの長い歴史を紹介していきます。

いい加減な体裁もあるが真っ当な貨幣史。

世界で最初の本格的な紙幣は、10世紀の中国(北宋時代)で作られた「交子」だといわれている。
https://manabow.com/zatsugaku/column10/
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ただ興味深いのはその前段階の為替手形だ。
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飛銭(806~820頃から)
http://zae06141.client.jp/bill_of_exchange_history_china1.html
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書評:
The Economics Principles of Confucius and His School (Volume One) March 12, 2003
by
Chen Huan-Chang 陳煥章 1881~1933

陳Chenが1911年に書いた『孔門理財学』の英語版は1912年にケインズが書評で取り
上げた(全集11巻未邦訳)。それだけならよくある話だがChenの本で紹介された常平倉
は、ウォレス、グレアム(MMTerミッチェルがしばしば引用言及している投資家)、
ケインズ自身らによって国際版常平倉案として再提示されるに至った。ケインズだけで 
なく、ウォレス、グレアムも本書に言及している(ケインズ書評は本書の常平倉には
触れていない)。
同じアイデアは創世記などにもあるが陳は歴史的かつ体系づけられた哲学に裏付けられ
たアイデアを提示したのが画期的だっだ。
『孔子理財学』は近年再評価され何度も中国語版が出ている。2018年を直前に控えた
120年記念版が最も新しい。1898年の康有為が試みた改革を記念したものだが、陳は
康有為の弟子として参加したらしい。
康有為について言えば、その大同思想は近年柄谷行人に高く評価され話題になった。
ちなみに陳は1930年に香港に孔教学院という学校を作り今もそれは存続している。
これは中国共産党が世界各地に作っている孔子学院とは主旨が全く違うので混同す
べきではない。本書の日本語版が待たれる。

追記:
立命館大学小野進の研究がある。ケインズは書評で飛銭(the operation of the flying-
money system)に触れていてさすがである。

J.M.KEYNES
From The Economic Journal, December 1912
CHEN, HUAN-CHANG. The Economic Principles of Confucius and his School. 2 vols.
Columbia Uniersity Studies. (New York,Longmans), 1911.
https://doi.org/10.2307/2222270 英語
https://baike.baidu.com/item/%E9%99%88%E7%84%95%E7%AB%A0/9998390 中文

参考:
《…中国は西からはトルコ系の遊牧民、東からは朝鮮人に攻撃される恐れがあったので、
軍隊を維持するための財源として税金を徴収する必要があり、政府役人はそのための
方法の改善に努めた。そして遠方の地と首都のあいだの長距離を移動させる手間を
最小限に抑えるため、〝飛銭〟という為替手形が作られた。》
『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』#5
カビール・セガール 小坂恵理訳


《彼[プラトン]は表券主義者なのだろうか。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは
そう考えているようで、後の表券主義を〝支持した最初の著名人〟としてプラトンに
言及している。しかしこれも、現代の経済のプリズムを通して過去を歪めた軽率な
見解かもしれない。》同#4



#5
一方、中国は西からはトルコ系の遊牧民、東からは朝鮮人に攻撃される恐れがあったので、軍隊を維持するための財源として税金を徴収する必要があり、政府役人はそのための方法の改善に努めた。そして遠方の地と首都のあいだの長距離を移動させる手間を最小限に抑えるため、〝飛銭〟という為替手形が作られた(26)。この為替手形は硬貨との交換が可能で、地方政府と中央政府の決済や商人同士の取引に利用される。ただし政府は、このような為替手形を野放しにしてはいけないことを直ちに認めた。そして八一一年には民間機関による為替手形の作成を禁じ、国家の権力を維持するため厳密な措置を講じる(27)。一部の手形には偽造者に科せられる罰則が記されており、「罪を犯した者は即座に打ち首となる。第一通報者には……銀が与えられる」とあった(28)。この為替手形の利用は特別な取引に限られ、多目的型の通貨として流通したわけではないが、紙の利便性はもはや疑いようがなかった(29)。


. 26. ニラット・ラートチットヴィクルは、この時代の紙幣を「軍閥紙幣」と呼んでいる。中央から任命された長官や地域の軍閥に大きく依存していたからである。 27. Yang, Money and Credit in China, pp. 51-52.

#4

れるトップダウン方式の再分配制度と違い、硬貨には民主化を促す影響力があった。贈与経済では恩を受けたら返す義務が生じるが、貨幣を媒体にするだけで、煩わしさとは無縁に相互関係を網の目のように張り巡らすことができた(66)。人類学者のジャック・ウェザーフォードは『The History of Money』〈貨幣の歴史〉のなかで、硬貨が民主主義を拡大させた可能性について触れている(67)。当時はソロンの改革によって債務が帳消しにされただけでなく、国政参加権が平民にまで拡大された。名門一族の出身でなくても、富があれば国政に参加できるようになったのである(68)。  
 こうしてアテネでは起業家精神を発揮できる環境が整っていくが、アテネで市場経済が花開いたと考えるのは早計だ。それでは現代の経済のプリズムを通し、過去を歪める結果になってしまう。さらに、自由な改革を促す触媒が硬貨だけだったと考えるのも、視野が狭すぎる。レオポルド・ミゲオットは『The Economy of the Greek Cities』〈ギリシア都市の経済〉のなかで、人口動態の変化、都市化の進展、輸送ルートの改良も経済の成長に重要な役割を果たしたと書いている(69)。それでも、貨幣は間違いなく民主化を促す力だった。
 しかし有名なギリシア人哲学者のなかには、そのような見解と距離を置く者もいた。たとえばプラトンとアリストテレスは、どちらも貨幣や市場の価値について懐疑的だった。その一方、ふたりは貨幣の形態についての考え方が異なっており、それぞれの価値観を土台に表券主義と金属主義という発想が生まれたと一部の学者は確信している。まずプラトンは、貨幣を強欲と堕落の象徴と見なし、金も銀も禁止するべきだと主張した(70)。さらに、交易や小売経済は「人間の心に嘘つきの習慣を植え付け、市民のあいだには邪推の種が蒔かれてしまう」とも考えた(71)。そのうえで、市場は厳しく抑制されるべきだと提唱している。これではどう見ても、プラトンは金属主義者ではない。
 では彼は表券主義者なのだろうか。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターはそう考えているようで、後の表券主義を〝支持した最初の著名人〟としてプラトンに言及している(72)。しかしこれも、現代の経済のプリズムを通して過去を歪めた軽率な見解かもしれない。ただし、プラトンは名目貨幣といわゆる実質貨幣を明確に区別している。ソフトマネーとハードマネーを区別していると言ってもよいだろう。名目貨幣は国家が発行するもので、具体的な形や当初の価格も国家が決定すると述べているのだ。したがって、名目貨幣は国家の権限の範囲内で認められ、ほかの国家の領土では受け入れられない。そうなると、国外に持ち出したり外国人との取引で利用したりできるのが実質貨幣、すなわちハードマネーということになる(73)。おそらくプラトンは、今日のドルが果たしている役割を見たら驚くだろう。ドルは名目貨幣でありながら、一〇〇ドル札は世界中で貯蔵され、たとえばパナマなどほかの主権国家

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