参考:
信用貨幣論
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/11/kelton-money-as-score-20201117.html
ヘンリー・ダニング・マクラウド (Henry Dunning Macleod), 1821-1902
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/07/hd-henry-dunning-macleod-1821-1902.html
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/07/hartley-withers-18671950.html
ジョン・ロー(J.スチュアートによる言及)、トーマス・トゥーク(@)、J・S・ミル、ヘンリー・マクラウド、ミッチェル・イネス、I・フィッシャー、ラルフ・ホートレー
ホートレー
http://nam-students.blogspot.com/2016/04/blog-post_4.html
The Querist
by George Berkeley (1685-1753)
https://wsexport.toolforge.org/tool/book.php?lang=en&format=epub&page=The_Querist
459 Whether a national bank be not the true philosopher's stone in a State?
「国立銀行は国家のもつ真の化金石(Philosopher's Stone 賢者の石)ではなかろうか。」(第3部質問132)
(459をマクラウドが引用1987-594。古川2020-87)
Henry Dunning Macleod
The Theory of Credit 1889? 1897
1
https://jp1lib.org/book/5300637/e8c850
2ahttps://jp1lib.org/book/5300691/cc439e
2b
https://jp1lib.org/book/5300928/0e8775?id=5300928&secret=0e8775
アダム・スミスが有名だが、ジョン・ロー、マクラウドはスコットランド系。
法学 ┃H・グリアソン P・グリアソン
社会学 ┃ジンメル インガム
リスト D⬇︎ ウェーバー
ドイツ ┃ ⬆︎ [☆=MMT]
┏歴史学派┃クナップ(➡︎ケインズ、ラーナー)
トゥークorトゥック
第五篇 利子と企業者利得への利潤の分裂。利子生み資本(つづき)
第二八章 流通手段と資本。トゥークとフラートンの見解
トゥーク、ウィルソン、その他の人々によってなされる流通手段と資本との区別は、──そこでは、貨幣としての・貨幣資本一般としての・流通手段と、利子生み資本(英語でいう moneyed capital )としての流通手段との区別が、ごっちゃに混同されるが、──つぎの二つのことに帰着する。〔484〕
九〇 われわれはここに、三三一頁ではドイツ語で抜萃引用したトゥークの文章を原文であげておこう。──
……前者は資本の流通であり、後者は貨幣の流通である。」〕(トゥーク『通貨原理の研究』、三六頁。)
。〔485〕だから区別は、事実上、収入の貨幣形態と資本の貨幣形態との区別であって、流通手段と資本との区別ではない。
いうのは、生産された商品には、資本が含まれているばかりでなく、すでに剰余価値も含まれているからである。その商品は、資本自体であるばかりでなく、すでに生成した資本であり、収入源泉を合体している資本である。。だから、小売業者がじぶんの手に還流する貨幣とひきかえに手放すもの、すなわち彼の商品は、彼にとっては、資本プラス利潤、資本プラス収入である。
だが、さらに、流通貨幣は小売業者に還流することによって、彼の資本の貨幣形態を再現させる。
だから、収入の流通としての流通と、資本の流通としての流通との区別を、流通手段と資本との区別に転化させることは、まったく間違いである。このいい方は、トゥークにあっては、彼が単純に銀行業者──自己銀行券を発行する銀行業者──の立場にたつことから生ずる。たえず公衆の手にあって(つねに違った銀行券から成りたつとはいえ)流通手段として機能する彼の銀行券の額は、彼にとっては紙と印刷いがいに何も要費しない。それは彼自身あてに振出された流通する債務証券(手形)であるが、これが彼の手に貨幣をもたらし、かくして彼の資本を増殖する手段として役だつのである。だがそれは、彼の資本──これが自己資本であるか借受資本であるかをとわず──とは異なる。だから、彼にとっては流通手段と資本との独自な区別が生ずるが、この区別は、概念規定としての概念規定、少なくとも他ならぬトゥークによってなされた概念規定とは何の関係もない。
第四九章 生産過程の分析のために
商品の価値は窮極的には労賃+利潤+地代に分解されうるという根本的に誤ったドグマは、消費者は窮極的には総生産物の総価値を支払わねばならぬというようにも表現され、あるいはまた、生産者と消費者とのあいだの貨幣流通に等しくなければならぬ(トゥーク〔『通貨原理の研究』、第二版、ロンドン、一八四四年、三六頁〕)というようにも表現されるが、これらの命題はすべて、そのよって立つ根本命題と同じように誤りである。
第二七章 資本制的生産における信用の役割
3:27
信用制度に内在する二面的性格、──一面では、資本制的生産の発条、すなわち、他人の労働の搾取による致富をもっとも純粋かつ巨大な賭博=および詐欺制度に発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格、だが他面では、あらたな一生産様式への過渡形態をなすという性格、──この二面性こそは、ローよりイザク・ペレールにいたる信用の主要告知者にたいし、詐欺師で予言者だという彼らの愉快な混合性格を与えるものである。
マルクスは株式会社制度(=信用制度と同義)の功罪両面を見ています。
3:27末尾
《…他人の労働の搾取による致富をもっとも純粋かつ巨大な賭博=および詐欺制度に発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格、だが他面では、あらたな一生産様式への過渡形態をなすという性格》
ヘンリー・ダニング・マクラウド (Henry Dunning Macleod), 1821-1902.
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/07/hd-henry-dunning-macleod-1821-1902.html
https://cruel.org/econthought/profiles/macleod.html
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イギリスの
マクラウドはその弁護士としてのすごい能力を使って、古典リカード派の論理展開をギタギタに批判して熾烈な攻撃を浴びせた――おかげで新しい友だちもできたけれど、アルフレッド・マーシャルの逆鱗にも触れた――おかげでかれは一生、学問の主流からは排除された。また、当時の金融スキャンダルに関わっていたこともあって、何度も大学で教授職を得ようとしたけれど失敗している。
マクラウドの銀行に関する著作は、もっといい目を見た――「悪貨は良貨を駆逐する」というのを「グレシャムの法則」と命名したのはマクラウドだ。お金と富に関する「信用理論」は Theory of Credit (1889) なんかで展開されている。たぶんこれがかれの一番独創的な成果だろう。でもそのかなりの部分は バークリー, ロー, ボワギルベール、ステュアートなどの「反金属派 (anti-metallist)」理論に先取りされてはいるけれど。特に学派は形成していないけれど、コレージュ・ド・フランスのミシェル・シュヴァリエという忠実な支持者を得ている。
ヘンリー・ダニング・マクラウドの主要著作
- The Theory and Practice of Banking, two volumes, 1855- 6.
- The Elements of Political Economy, 1858.
- On the Definition and Nature of the Science of Political Economy, 1862.
- A Dictionary of Political Economy, 1863.
- Thoughts on a Forthcoming Election of a Professor of Political Economy in the University of Cambridge, 1863.
- The Principles of Economical Philosophy, two volumes, 1872-5.
- Economics for Beginners, 1878.
- Elements of Economics, two volumes, 1881-6.
- Lectures on Credit and Banking, 1882.
- On the Modern Science of Economics, 1887.
- The Theory of Credit, two volumes, 1889.
- Bimetallism, 1894.
- The History of Economics, 1896.
H.D. マクラウドに関するリソース
- "Henry Dunning Macleod e a Economia Pol´tica no Brasil" by Amaury Patrick Gremaud (ポルトガル語)
古川マクラウド論
https://www.kwansei.ac.jp/i_industrial/attached/0000036149.pdf リンク切れ
H.D. マクラウドの信用理論 古川顕
マクラウドによれば、このように信用が貨幣であり富であるという見解は、古代ギリシャのデモステネス(Demosthenes)にまで遡ることができるとして、「2種類の財産、貨幣と一般的な信用があるが、われわれの最大の財産は信用である」(Ibid., p.173)、「もしあなたがこのこと、すなわち信用は富の獲得に対する最大の資本であるということを知らなければ、あなたはまったく無知であろう」(Ibid., p.174)というデモステネスの言葉を引用する。また、彼は次のようにも述べている。「ギリシャやローマの法律家は一致して、行動の権利すなわち信用ないし負債は富であり、動産であり、商品であり、販売しうる生産物であると主張した。18 世紀の目の見えない(mole-eyed)経済学者達は、すべての富は土地や労働の生産物であるという、決して現在でも無くなってはいない考え方を主張したけれども、ただひとり洞察力ある形而上学者バークレー僧正(Bishop Berkeley)がその著『質問書』(Queries)において、信用と貨幣とはまったく同性質のものであり、貨幣は信用の最も高次の形態にすぎないと繰り返し主張したのである」(Macleod(1897)p.224,傍点は引用者)。 以上のように、マクラウドは富は土地および労働、あるいは過去の労働の成果としての資本の所産であるというアダム・スミス以来の伝統的な考え方をまったく誤謬であるとして拒否するのである。彼に従えば、スミスも「目の見えない経済学者」の範疇に入れられてしまう。
マクラウドは、信用は富であり資本であることを強調するが、彼は「資本とは、利潤を生みだすために用いられるあらゆる経済的分量(economic quantity)である」Macleod(1902)p.71)と定義する。ここで、「経済的分量とは、どんなものでもその価値が貨幣で測られるものを意味する」(Ibid., p.2)のであり、具体的には、①物的財(material things)、②労働や信用の形式における個人的属性(personal qualities)、③抽象的権利(abstract rights)、の3つに分類される。彼によれば、土地保有者が自分自身でその土地に住んでいる場合、土地は「物的財」とはならないが、人に貸して地代を受け取っている場合などは物的財となる。自分の楽しみのためにする労働は資本として用いられないが、貨幣を得るために行う労働はすべて資本の範疇に属する。また、人がその個人的技能、能力、エネルギー、知識などを利潤を得る目的のために使用すれば、それは資本となるが、そうでない場合は資本とはならない。
Macleod, H.D. (1897), The Theory of Credit, second edition (first edition 1889), London: Longmans, Green, and Co.
https://www.amazon.co.jp/dp/4779514223
18〜19世紀の"信用貨幣論"が網羅された「ありそうでなかった」解説書です。トーマストゥーク、JSミル、ヘンリーマクラウド、ミッチェルイネス、Iフィッシャー、ラルフホートレーといった有名無名の経済学者の"信用貨幣論"が展開されます。そして、あの悪名高き「ミシシッピバブル」を生み出したジョンローも経済学者として登場します。"信用貨幣論"は、金融機関がその貸借対照表の借方に貸出しを記帳する一方、その貸方に預金を記帳することで所得=信用=マネーが生まれるとします。所謂"ペン先マネー"です。本書ではこの"信用貨幣論"を様々な角度から眺めることができます。
19世紀初頭のマクラウドが"近代信用資本理論"の開祖で、イネスは"貨幣起源物々交換説"を否定して「信用こそが貨幣に代わる歴史発展の起源である」と最初に強調したと紹介します。
続いて、フィッシャーが説く「負債デフレーション」について、過剰債務→債務清算→預金収縮→デフレ→企業利潤減少→失業というプロセスで説明します。その際、「利子率の複雑な撹乱」の発生、つまり、名目利子率が低下する一方で実質金利が上昇するとの現象に言及し、金利面から恐慌発生メカニズムを鋭く解説してくれます。正にフィッシャー方程式から導く恐慌論です。
最後に、ホートレーは「銀行からの貸出し=信用創造で生産者は所得を支払う手段を獲得する」と考察し、フロー経済とストック、つまり、信用の関係を説明しようと努めます。
「現代貨幣理論」が"信用貨幣論"を復権させた今だからこそ、貨幣論の変革者たちの思索を振り返る意味があると思いました。
The Theory of Credit - Henry Dunning Macleod - Google Livres
https://books.google.cg › books
Henry Dunning Macleod. Longmans, Green, and ... Demosthenes shows that Personal Credit is Wealth. 14 ... There is no Necessary Relation between the Quantity of Money in any country and the Quantity of Com modities and their Price. 93.
含まれない: 1897 | 含めて検索: 1897
https://jp1lib.org/book/5300637/e8c850
Henry Dunning Macleod
https://jp1lib.org/book/5300691/cc439e
14,15☆
https://jp1lib.org/book/5300928/0e8775?id=5300928&secret=0e8775
(6)
6,14,145,171,224,(6)
(6)
εί δέ τούτο αγνοείς ότι Πστις 'Αφορμή τάν πασν έστι
μεγίστη πρός χρηματισμόν , πάν αν άγνοήσειας
If you were ignorant of this, that Credit is the greatest
Capital of all towards the acquisition of wealth, you would be
utterly ignorant
DEMOSTHENES
Credit has done more, a thousand times, to enrich nations than
all the mines of all the world
Credit is to Money what money is to Goods
DANIEL WEBSTER
Man conquers Space by Commerce and Time by Credit
RIVAROL
15
§ 7, 8]
15
PERSONAL CREDIT IS WEALTH
If a merchant enjoys good " Credit " as it is termed, he may
go into the market and buy goods, not with Money, but by giving
his Promise to pay money at a future time-that is, he creates a
Right of action against himself. The goods become his property
exactly as if he had paid for them in Money. It is a Sale or
an Exchange. The Right of action is the price he pays for the
goods : it is termed a Credit–in French a Créance-because it is
not a Right to any specific sum of money, but only a Right of
action to demand a sum of money from the merchant at a future
time
Hence a merchant's Credit is Purchasing Power, exactly as
Money, The merchant's Purchasing Power is his Money and
his Credit. They are both therefore equally Wealth, by Mill's
definition. When a merchant purchases goods with his Credit,
instead of with money, his Credit is valued in money : because
the seller of the goods accepts his Credit as equal in value to
Money : his Credit is valued in money exactly as his Labor may
be. Hence by Aristotle's definition of Wealth, which is now
universally accepted, the merchant's Personal Credit is Wealth
So Demosthenes says'-
. δυον άγαθοΐν όντοιν πλούτου τε και πρός άπαντας πιστεύεσθαι,
μείζόν έστι το τής πίστεως ύπάρχον ήμέν"
" There being two kinds of Wealth–Money and General Credit-the greater is Credit, and we have it"
So also again–
. εί δέ τοΰτο άγνο είς δτι Πίστις 'Αφορμή τν πασν έστι
μεγίστη πρός χρηματισμόν πάν αν αγνοή σειας
" If you were ignorant of this-that Credit is the greatest Capital of all towards the acquisition of Weallh, you would be utterly ignorant"
Thus Demosthenes shows that Personal Credit is dyabd-
Wealth, Property, Goods, and Chattels-and døopuý, or Capital.
Thus, though Personal Credit, like Labor, can neither be
seen nor handled nor touched : yet it can be bought and sold, or
'Against Leptines, 484, 20
2 For Phormion, 958
(6)
εί δέ τούτο αγνοείς ότι Πστις 'Αφορμή τάν πασν έστι
μεγίστη πρός χρηματισμόν , πάν αν άγνοήσειας
もしあなたがこのことを知らなかったとしたら、信用は富を獲得するための最大の
富を得るための最大の資本であることを知らないとしたら、あなたは
全くの無知である。
DEMOSTHENES
信用は、世界中のあらゆる鉱山よりも千倍も多く、国を豊かにしてきた。
世界中のすべての鉱山よりも千倍も国を豊かにしている。
信用は貨幣にとって、商品にとっての貨幣のようなものである。
ダニエル・ウェブスター(DANIEL WEBSTER)
人間は商業によって空間を征服し、信用によって時間を征服する。
RIVAROL
15
§ 7, 8]
15
個人の信用は富である
商人が「信用」と呼ばれる良好な信用を享受していれば、市場に出て、貨幣ではなく
市場に出て、お金ではなく、将来お金を払う約束をして商品を買うことができる。
将来お金を払うという約束をして、市場に出て商品を買うことができる。
彼は自分自身に対して行動の権利を作り出す。商品は彼の所有物となり
貨幣で支払った場合と全く同じように彼の所有物となる。これは販売または
交換である。訴権は、彼が商品のために支払った価格である。
これはクレジット(フランス語ではクレアンス)と呼ばれる。
これは、特定の金額に対する権利ではなく、ある金額を要求する行動権に過ぎないからである。
の権利ではなく、将来の時点で商人に金銭を要求する行為の
時
したがって、商人の信用は購買力であり、正確には
商人の購買力は彼の貨幣と彼の信用である。
彼の信用です。したがって、ミルの定義によれば、両者は等しく富である。
の定義によれば、両者は等しく富である。商人が貨幣ではなく信用で商品を購入すると
貨幣ではなく信用で商品を購入した場合、彼の信用は貨幣で評価される。
物品の販売者は、彼の信用を貨幣と同等の価値として受け入れるからである。
彼の信用は、彼の労働力がそうであるように、まさに貨幣で評価される。
である。したがって、現在普遍的に受け入れられているアリストテレスの富の定義によれば
普遍的に受け入れられているアリストテレスの富の定義では、商人の個人信用は富である。
だから、デモステネスは言う。
. δυον άγαθοΐν όντοιν πλούτου τε και πρός άπαντας πιστεύεσθαι,
μείζόν έστι το τής πίστεως ύπάρχον ήμέν"
" 富には、金銭と一般信用の2種類があるが、信用の方が大きく、我々はそれを持っている」。
また、次のようにも考えられる。
εί δέ τοΰτο άγνο είς δτι Πίστις 'Αφορμή τν πασν έστι μεγίστηπ
μεγίστη πρός χρηματισμόν πάν αν αγνοή σειας
" もしあなたがこのことを知らないとしたら、それは信用がワールを獲得するための最大の資本であるということであり、あなたは全くの無知である。
このように、デモステネスは、個人の信用が第二の資本であることを示している。
富、財産、商品、動産であり、døopuý(資本)である。
このように、個人信用は、労働力のように、見ることも扱うことも触れることもできないが
しかし、個人信用は、労働と同様に、見ることも、扱うことも、触れることもできないが、しかし、売買することもできるし、あるいは、資本とすることもできる。
'Against Leptines, 484, 20
2 フォルミオンに対して, 958
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マルクス資本論
岩波文庫7
《重金主義(モネタルジュステム)は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金を嫌う The Scotch hate gold.」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在(ダーザイン)である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。》
『資本論』第三巻第五篇第三五章「貴金属と為替相場」
ジョン・ロー、マクラウド はスコットランド系。
貨幣信用学説史 (実業之日本社): 1943|書誌詳細|国立国会 ...
銀行学派
銀行学派(ぎんこうがくは banking school)とは19世紀前半の英国における経済学派の一派。銀行主義者とも。1844年成立の「ピール銀行条例」を巡り、銀行券発行量を発券銀行の金保有高と一致させるべきという通貨学派の主張に対して論陣を張った。学派の主要人物としてはトーマス・トゥック(en:Thomas Tooke)、ジョン・スチュアート・ミルらがいた。
彼らは、銀行券が金準備を超えて過剰に発行された場合、インフレーション懸念が発生すると預金者は銀行券の償還(金地金への交換)をすすんで行おうとするため、通貨発行高の問題は自然と解決されると主張した。
ピール条例の成立により勝利の軍配は通貨学派に上がったが、同条例は恐慌発生などによりその後3度にわたって停止されるなどしたため、相対的に銀行学派の権威が強化されることとなった。
真正手形学説
真正手形原理によると、銀行家が商人に融資する場合、生産過程での実物財に対する請求権を表す30日、60日、または90日の短期商業手形の保証(担保)に対して(と引き換えに)のみ貸し付ける限り、商品生産に資金を調達するのに必要な以上の融資は発生しない。この原理は、価格に影響を与えることなく、実質生産量にそれ自身の購入手段を決定させることを目的としている。真正手形原理の下では、中央銀行の政策的役割は1つだけである。それは、銀行が担保として提供する顧客の実手形real customer billsに対して必要な準備金を商業(市中)銀行に貸し出すことである。「真正手形原理"real bills doctrine"」という用語は、ロイド・ミンツが1945年に出版した 『銀行理論の歴史A History of Banking Theory』において造語された。
さらに、銀行融資は、新しい銀行券またはマネーストックの主要な構成要素である小切手預金(要求払い預金)口座への入金という形で商人に貸与されるが、この原理は、創造される通貨の量が物価に影響を与えることなく、ただ購買者が最終生産物として市場から完成品を購入できるようにするため必要十分なだけの分量であることを保証する。(なぜなら)次に、商人は販売受領高から実手形の銀行融資real bills bank loansを返済し、銀行は、次に商品生産に資金が必要になるまで、返済された通貨を流通から回収する(からである)。
関連項目
宇野弘蔵
経済原論 文庫
銀行説
銀行主義
銀行学派
223
第3章 利子
…銀行券は、政府紙幣と異なって、その発行者がこれによって商品を購入し、あるいはその他の支払いをするというものではなく、再生産過程を基礎とする貸付の要求に基づいて発行せられるもの
であって、貸付を受けた資本にとって不要となれば直ちに銀行に復帰する。かくしてま
た再生産過程の必要とする流通手段乃至支払手段としての貨幣量を利子率によって調節
しつつ補充することになるのである(3)。
(3) 最近のように党換を停止し、銀行券が紙幣化する傾向をとることになると、貸付が如何に
して行われるかということに問題は集中してくるが、そうでなくても実際上は外国貿易との関
係もあって、銀行券発行の限度は、原理的に規定しえられないような複雑なるものが加わって
くる。十九世紀前半のイギリスでもイングランド銀行の銀行券発行について、いわゆる銀行の
機能を主とする銀行説と兌換準備を主とする通貨説との間に有名な論争が行われたのであるが、
そして結局、通俗的な、そして実際的な通貨説によって、一八四四年に銀行条例が制定され、
一定の限度を越えると兌換のための金属準備にその発行を限定されることになったのであるが、
恐慌時にはこの条例も停止されざるをえなかったのである。もちろん、この点は、理論的に想
定される純粋の資本主義社会として、外国貿易との関係がないという場合にも、実際に適用せ
られるような規準が原理的に規定されるというものではない。事実、次に述べるように、資本
主義的再生産過程自身が、循環過程における恐慌によって中断されるのであって、産業資本の
間に展開される信用関係に対応した手段をとるよりほかに方策はないのである。
宇野弘蔵
返信削除経済原論 文庫
223
第3章 利子
というものではなく、再生産過程を基礎とする貸付の要求に基づいて発行せられるもの
であって、貸付を受けた資本にとって不要となれば直ちに銀行に復帰する。かくしてま
た再生産過程の必要とする流通手段乃至支払手段としての貨幣量を利子率によって調節
(3)
しつつ補充することになるのである。
(3) 最近のように党換を停止し、銀行券が紙幣化する傾向をとることになると、貸付が如何に
して行われるかということに問題は集中してくるが、そうでなくても実際上は外国貿易との関
係もあって、銀行券発行の限度は、原理的に規定しえられないような複雑なるものが加わって
くる。十九世紀前半のイギリスでもイングランド銀行の銀行券発行について、いわゆる銀行の
機能を主とする銀行説と党換準備を主とする通貨説との間に有名な論争が行われたのであるが、
そして結局、通俗的な、そして実際的な通貨説によって、一八四四年に銀行条例が制定され、
一定の限度を越えると党換のための金属準備にその発行を限定されることになったのであるが、
恐慌時にはこの条例も停止されざるをえなかったのである。もちろん、この点は、理論的に想
定される純粋の資本主義社会として、外国貿易との関係がないという場合にも、実際に適用せ
られるような規準が原理的に規定されるというものではない。事実、次に述べるように、資本
主義的再生産過程自身が、循環過程における恐慌によって中断されるのであって、産業資本の
間に展開される信用関係に対応した手段をとるよりほかに方策はないのである。
ところがこの銀行券発行の基礎をなす再生産過程の拡張は、すでに述べてきたように
銀行主義
返信削除銀行学派
返信削除宇野弘蔵
経済原論 文庫
銀行説
銀行主義
銀行学派
223
第3章 利子
というものではなく、再生産過程を基礎とする貸付の要求に基づいて発行せられるもの
であって、貸付を受けた資本にとって不要となれば直ちに銀行に復帰する。かくしてま
た再生産過程の必要とする流通手段乃至支払手段としての貨幣量を利子率によって調節
しつつ補充することになるのである。
(3) 最近のように党換を停止し、銀行券が紙幣化する傾向をとることになると、貸付が如何に
して行われるかということに問題は集中してくるが、そうでなくても実際上は外国貿易との関
係もあって、銀行券発行の限度は、原理的に規定しえられないような複雑なるものが加わって
くる。十九世紀前半のイギリスでもイングランド銀行の銀行券発行について、いわゆる銀行の
機能を主とする銀行説と党換準備を主とする通貨説との間に有名な論争が行われたのであるが、
そして結局、通俗的な、そして実際的な通貨説によって、一八四四年に銀行条例が制定され、
一定の限度を越えると党換のための金属準備にその発行を限定されることになったのであるが、
恐慌時にはこの条例も停止されざるをえなかったのである。もちろん、この点は、理論的に想
定される純粋の資本主義社会として、外国貿易との関係がないという場合にも、実際に適用せ
られるような規準が原理的に規定されるというものではない。事実、次に述べるように、資本
主義的再生産過程自身が、循環過程における恐慌によって中断されるのであって、産業資本の
間に展開される信用関係に対応した手段をとるよりほかに方策はないのである。
ところがこの銀行券発行の基礎をなす再生産過程の拡張は、すでに述べてきたように