https://www.amazon.co.jp/dp/4815809216/1
https://twitter.com/makotosaito0724/status/1099497341436911616?s=21
ここ数年の古川顕先生の通貨と信用に関する歴史研究はとても印象的。信用通貨の優越性を論じ、
信用創造の誤解を解く。この論文は、貨幣の起源について福田徳三や内田銀蔵の祓除(はらい)と
返済や購入の「払い」の関連で貨幣の宗教的起源に着目。
内田銀蔵 [1924]『日本経済史の研究』同文館。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965914/44?tocOpened=1
齊藤 誠 (@makotosaito0724)
2019/11/04 6:59
安野真幸「日本中世市場論」、市場が公開の「祓い」の場であることを象徴している。市場ては裁判
だけでなく処刑や債務奴隷の儀式も。市場の売買や貸借も祓いとパラレルな公開の行為だった。鋳貨
を介した取引は、祓いの儀式をバイパスする装置と考えたくなる。
https://twitter.com/makotosaito0724/status/1191112778632683520?s=21
日本中世市場論―制度の歴史分析― 単行本 – 2018/10/26
安野 眞幸 (著)
支払い・貸借・契約・裁判・差押えなど、市場が果たした多様な役割を明らかにするとともに、債権取立てを軸に中世日本の展開を描き出したライフワーク。神人・悪僧に発し金融を担う「公界」と公権力とは、慣習法と制定法、文書とその破棄、暴力と秩序等をめぐり、いかに切り結ぶのか。
【書評】
・『経済研究』 [第70巻第4号、2019年10月] から(評者:横山和輝氏)
・『日本歴史』(2019年9月号、第856号、評者:長澤伸樹氏)
"…… 副題とその重厚な内容からも明らかなように、本書が注目するのは、市場内部での売買・契約行為を成り立たせた背景にある「制度」(制度史)の実態である。なかでも説話や狂言・往来物、戦国大名の分国法などを素材として、市場のもつ多様な機能に注目し、かつて網野善彦氏が唱えた「公界」論へのアンチテーゼも含んでいる点に、大きな特徴があろう。…… 市場を一義的に解釈せず、平安末期から戦国時代に至る長期的なスパンのなかで捉え直し、その多面的な役割を明らかにした著者の姿勢は、大いに学ぶべきものがある。本書は、長年にわたり「市」や「港」といった交易空間のあり方を軸に、多くの業績を積み重ねてきた、著者ならではの市場論の集大成と評することができよう。市場史や法制史はもちろん、ひいては近年注目される債務史研究などにも大きな議論を呼ぶ一冊であることは疑いない。……"(『日本歴史』2019年9月号、pp.82-83)
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『今昔物語』はそれより古い『日本霊異記』と比較すると面白いらしいです。『日本霊異記』では批判されなかった僧侶による高利貸しが、約3世紀後の『今昔物語』では批判されるようになった。
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-27
『日本霊異記』には、強欲な広虫女(ひろむしめ)なる金貸し女が死んで、醜い怪物になる物語が残されている。
しかし、こうした物語の背景には、高利貸から金を借りるなという教訓めいた説教もひそんでいる。
負債論 貨幣と暴力の5000年 デヴィッド・グレーバー 著
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/5000.html
参考
『日本中世市場論』安野真幸 2018
「銭を貸す聖たち」赤坂憲雄1988
『日本霊異記』はグレーバーが『負債論』で言及している。
グレーバーは『日本霊異記』内のエピソードの扱い方のなかに債権者と債務者のどちらが悪いかの判断の混乱が既にあると言う。『負債論』邦訳20,21頁
ちなみに岩村充は芥川経由で、今昔物語の瓜売りの話をMMTへの批判として引用している(『国家・企業・通貨』)
(この世に無償のものはないということらしい)
外術を以て瓜を盗み食はるる語 今昔物語集
https://japanese.hix05.com/Narrative/Konjaku/konjaku2/konjaku211.uri.html
ただしこの話の結語は贈与の有効性を説いていると読める。
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/blog-post_68.html
ちなみに岩村が芥川龍之介経由で紹介した今昔物語の瓜売りの話の結語は
贈与の有効性を説いている
岩村はMMTへの批判として引用しているのだが
(この世に無償のものはないということらしい)
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/blog-post_68.html
《下衆共、瓜を惜しまずして、二つ三つにても翁に食はせたらましかば、
皆は取られざらまし。惜しみけるを翁も みて、此くもしたるなめり。》
(下衆どもが瓜を出し惜しみせず、二つ三つでも食わせてやったならば、
全部とられることもなかったであろうに。物惜しみしたお怪我で、こんな目にあったのだ。)
読破する説話集(?)『日本霊異記』④: 名作(文学)の楽しみ方
読破する説話集(?)『日本霊異記』④
3回にわたり、ご紹介してきました『日本霊異記』 (過去の回はこちら→① ② ③)最終回になります今回は、
下巻の中から、いくつかの物語をピックアップしてご紹介します。
■沙門の方広大乗を誦持(ずぢ)して海に沈みて溺れざりし縁 第四
奈良の都に一人の僧がいた。常に方広経というお経を読んでいたのだが、
一方では高利貸を業として、妻子を養ってもいた。
ある時、娘婿が奥州に行くことになり、旅立ちに際し、
義父である、この僧からお金を借りることになった。
この時の借金が、やがて利子がついて
一年で倍もの金額になってしまったのである。
娘婿はなんとか元金だけは返したのだが、利子までは返すことができず、
僧からの催促はやまなかった。
そこで、娘婿はある時、この僧を奥州へと旅に誘い、
船旅の途中で、海へと投げ捨ててしまったのである。
(借金が生んだ、義父殺人事件! サスペンスドラマのようです。)
ところが、僧が海に沈む時、いつものように方広経を読んだがために、
奇跡は起こった。
僧が落ちていく海の水がくぼみ、僧は溺れずに済んだのである。
その後、二日間、海底にうずくまったままで過ごした後、
漁船に助けられ、無事、一命を取り留めたのである。
やがて、僧は、その漁船に乗せられ、奥州の娘婿のもとを訪れることとなった。
恩讐の果てに、再会を果たした二人は…… 果たして…!?
う~む、義父殺しの娘婿は、確かに悪いやつなのですが、
親族に対して、信じられないほどの高い金利で金を貸し、
催促も怠らなかった、この僧の方は…… 問題ないのでしょうか?
巻14第38話 誦方広経僧入海不死返来語 第卅八
今昔、奈良の京に一人の僧有けり。妻子を具せりと云へども、日夜に方広経を読誦す。而るに、此の僧、銭を貯て人に借して、員を倍して返し得るを以て、妻子を養ひ世を渡けり。亦、此の僧、一人の娘有り。夫に嫁て同じ家に住む。
安倍の天皇1)の御代に、彼の娘の夫、陸奥国の掾に任ぜり。而るに、舅僧の銭廿貫を借用して彼の国に下ぬ。一年を経るに、借れる所の銭、一倍しぬ。返上て、僅に本の員を返して、一倍せる所の銭を償(あが)はず。年月を経るに随て、僧、聟に此れを責め乞ふ。聟、返すべき力無くして、心に思はく、「窃に舅を殺してむ」と思ふ間、聟、遠国に行かむと為る事を謀て、舅に語て云く、「彼の国に行て、此の銭を償はむと思ふ。然れば、共に具して行け」と。舅、聟の云ふに随て行く間だ、相共に同船に乗れり。
其の時に、聟、船人に心を合せて、舅の僧を捕へて、四の枝を縛て海の中に落し入れつ。返て、娘に告て云く、「汝が父の大徳は、途中にして船より海に落入て死にき。救ひ取むと為しかども力及ばざりき。我も殆(ほとほど)しき程にて生たる也。然れば、我れともに彼の国に下らずして返れり」と。娘め、此れを聞て、大きに泣き悲て云く、「悲哉、再び祖の貌(かほ)を見ず成ぬる事。我れ、何で彼の海の底に入て、空き骸(かばね)を見む」と、泣き悲ぶ事限無し。
而るに、僧は海の底に入れりと云へども、海の水浮び漂ふ当りに寄らずして、僧、方広経を誦す。二日二夜を経るに、船に乗たる人、此の所を過ぐるに、船人の見るに、海の中に波に随て浮て漂ふ者有り。此れを引上て見れば、縛られたる僧也。貌の色替はらずして、衰へたる気色無し。船人、大に奇(あやしみ)て、「何人ぞ、此(かく)は縛られたるは」と問へば、「我は然々の者也。盗人に値て、縛られて落入れられたる也」と答ふ。亦問て云く、「汝ぢ、何なる勤有てか、海に入ると云へども死なざる」と。僧の云く、「我れ、指(させ)る勤無し。只、日夜に方広大乗経を誦し持(たも)つ。定めて其の力なるべし」と。但し、前の事をば語らずして、本の里に返らむ事を願ふ。船人、此れを聞て、哀むで家に送りつ。
而る間、聟、其の家にして、舅の後世を訪はむが為に、僧供を儲て自ら捧て僧に分つ。而る間、舅、家に至て、面を隠して僧の中に交て、僧供を請く。聟、髴(ほのか)に其の貌を見付て、驚き怖て隠にけり。
舅、此れを怨みずして、遂に顕はさざりけり。「命を生く事、偏に方広大乗経の力也」と知て、弥よ誦する事怠らず。
此れを思ふに、「聟の殺すも邪見なるべし。又、舅の銭を責むるも不善の事也」とぞ、聞く人、云ひ謗しりけるとなむ、語り伝へたるとや。
https://blog.goo.ne.jp/miyabikohboh/e/9138fb470f78b121d5b4b0f50e4423d0
どちらも悪い ・ 今昔物語 ( 14 - 38 )
20/02/29 09:09
どちらも悪い ・ 今昔物語 ( 14 - 38 )
今は昔、
奈良の京に一人の僧がいた。妻子を持っていたが、日夜に方広経(ホウゴウキョウ・法華、華厳、阿弥陀経などを含む大乗経典の総称。)を読誦していた。
ところで、この僧は銭を貯えて人に貸し、倍にして返済させることによって妻子を養い生活していた。
また、この僧に一人の娘がおり、結婚して夫と共に同じ家に住んでいた。
さて、安陪天皇(アベノテンノウ・第四十六代孝謙天皇、または重祚した第四十八代称徳天皇を指すが、本話は称徳天皇の御代らしい。)の御代に、その娘の夫が陸奥国の掾(ジョウ・守、介に次ぐ三等官。)に任ぜられた。その時、舅の僧から銭二十貫(正確な推定は困難だが、1貫はおよそ米1石で、20貫は現在の100万円程度か?)を借用して陸奥国に下って行った。一年経つと借りた金は倍になった。
その後、京に帰ったが、借金は何とか元金だけは返却したが、倍になった利息の部分は返さなかった。年月が過ぎるほどに、僧は婿にこの銭の返済を迫ったが、婿には返す力がなく、心の中で「密かに舅を殺してしまおう」と思っていた。そこで、自分が遠い国に行くことになったと嘘をつき、「その国に行って借金をお返ししようと思います。それで、ご一緒してください」と言った。舅は婿の言葉を信用してついていったが、途中で二人は同じ船に乗った。
その時、婿は船頭と示し合わせて、舅の僧を捕らえて、四肢を縛り海の中へ投げ込んだ。
そして、帰ると娘に告げた。「お前の父の大徳(ダイトク・僧に対する尊敬語)は、途中で船から海に落ちて死んでしまった。助けようとしたが、力が及ばなかった。わしも危なかったが何とか助かったのだ。それで、わしも彼の国に行くのを諦めて帰ってきたのだ」と。
娘は、それを聞いて、たいそう泣き悲しんで、「なんと悲しいことでしょう。再び父の顔を見ることが出来なくなったのですね。わたしは、何としてもその海の底まで入って行って、父の亡骸にお会いしたい」と、泣き悲しむこと限りなかった。
ところが、僧は海に突き落とされ底に沈んでいったが、海の水は僧の体の周りには近寄らないので、僧は方広経を誦していた。
二日二晩過ぎた頃、船に乗った人がその辺りを過ぎる時、見てみると、海の中に波に任せて浮かび漂っている者がいる。その者を引き上げてみると、手足を縛られた僧であった。顔色は変わっておらず、衰弱した様子もない。
船人は大変怪しんで、「あなたは何者ですか。どうして縛られているのですか」と尋ねると、「私はこれこれこういう者です。盗人に出会って、縛られて海に落されたのです」と答えた。
船人はさらに尋ねた。「あなたは、いかなる秘法を用いて、海に沈んでも死ぬことがなかったのですか」と。僧は、「私にはこれといった秘法などありません。ただ、日夜に方広大乗経を読誦し受持しています。きっと、そのお蔭なのでしょう」と答えた。しかし、婿とのことは語ることなく、故郷に帰らせてくれるよう頼んだ。
船人はこれを聞いて、哀れに思い、家に送り届けた。
その頃、婿の方は家において、舅の僧の後世を弔うために、僧への供養の膳を整え、自ら捧げ持って僧たちに分けた。その時、舅は家に帰ってきて、顔を隠して僧たちの中に紛れ込んで、僧供を受けた。
婿は、ふとその顔を見つけて、驚き怖れて身を隠してしまった。舅は、この婿を恨むことなく、最後までその悪事を人に語ろうとはしなかった。
「命が助かったことは、ひとえに方広大乗経のお力である」と知って、ひたすらに誦することを怠らなかった。
これを思うに、婿が殺そうとしたことも邪見(ジャケン・因果の道理を悟り得ない、よこしまな考え方。)であるし、舅が銭の返済を強要するのも不善のことであると言って、この話を聞く人はそしった、
となむ語り伝へたるとや。
★★
広虫女 : 【妖怪図鑑】 新版TYZ
広虫女

■広虫女[ひろむしめ]
▽解説
『日本霊異記』「非理を強ひて以て債を徴り多の倍を取りて現に悪死の報いを得し縁」に登場する人物です。
田中真人(たなかのまひと)広虫女は、讃岐国美貴郡の大領・外従六位小屋県主宮手の妻でした。
八人の子を産み、財産も牛馬、奴婢、稲、銭、田畑など様々に所有し裕福に暮らしていました。しかし彼女は生まれつき慳貪で道心なく、人に施しをするということを知りませんでした。
酒を売るときには水を加えて量を偽り多くの利益を得て、稲などを貸すときは小さな升や秤を用い、返却させる際には逆に大きなものを用いて厳しく取り立てていました。こうして暴利を貪り、時には貸したものの十倍、百倍も徴収していました。
貸与を受けた人々はみな大いに憂い、家を捨てて他国に逃げる者まで出る始末でした。
そんな広虫女も宝亀七年(776)の六月一日からは病に伏せるようになり、翌月二十日には夫と男子らを呼び集めると、自身が見た夢についてこう語りました。
「閻羅(閻魔)王の王宮に召され、私は三種の罪を示された。一つめは寺や僧侶の物を多く用いておきながら返報をしなかったこと。二つめには酒を売るに水を加え、数多の不正な利益を得たこと。三つめには人に与えるときには七目の升や秤を使い、取り立てるときには十二目のものを用いたこと。閻羅王は『この罪によって汝を召した。これは現世で報いを受けることを今お前に示しただけだ』とおっしゃった」
夢の様子を語り伝えると、広虫女はその日のうちに死亡しました。
夫らは遺体を火葬せずにおき、僧侶や修行者を三十二人招いて、九日の間願を立てて広虫女の冥福を祈ることにしました。
その七日め、なんと広虫女が息を吹き返して棺の蓋を開けました。
蘇った広虫女は異臭を放ち、腰から上は牛に変わっており、額には四寸ほどの角が生えていました。手は蹄のようになり、腰より下だけが人の形を残していました。
牛と化した広虫女は飯を嫌い、代わりに草を食っては吐き出しまた噛むようになっていました。
そればかりか服は着ず赤裸のまま、糞をした土の上でも構わず寝てしまいます。
噂を聞いた人々があちこちから集まり、見物客は絶えなくなりました。夫や息子、娘らはこれを恥ずかしがり、また深く憂い悼んであらゆる願を立てました。
かれらは罪を贖うため三木寺に数々の財産を奉納し、東大寺には牛七十頭、馬三十頭、田二十町、稲四千束を寄贈しました。更に他人へ貸し付けていたものもみな帳消しとしました。
それから五日後、国司や郡司がこの件の報告書を官庁に出そうとしていた頃、広虫女は再び死んでしまったといいます。
因果を弁えず非理無義な者であったために、広虫女はこのような悪報を受けたのであろうとされました。
▽註
・『日本霊異記』…正式名『日本現報善悪霊異記』。景戒著。平安時代初期成立。日本最古の仏教説話集。
牛になった女房~田中広虫女の話: 今日は何の日?徒然日記
牛になった女房~田中広虫女の話
宝亀七年(776年)7月20日、讃岐国に住む田中広虫女が病死しました。
・・・・・・・・
と言いましても、この女性・・・歴史上の人物という事ではなく、『日本霊異記(にほんれいいき=日本国現報善悪霊異記)』 という説話集の下巻・第26話に登場する物語の主人公です。
まぁ、小さい頃には、
「食べて、すぐ寝ると牛になるで~」
てな事を母親から言われたもんですが・・・
.
とにもかくにも、
その物語によりますと、田中広虫女(たなかのひろむしめ)は、讃岐((さぬき=香川県)は美貴(みき=三木)郡の郡司(ぐんじ・国司の下で働く地方官)・小屋県主宮手(おやのあがたぬしのみやて)の妻で、二人の間には8人の子供をもうけていました。
広大な田畑を所有していて、多くの使用人や牛馬を使い、何不自由ない裕福な暮らし・・・
ただ一つ・・・彼女には大きな欠点が・・・
それは、信仰心が無く、生まれながらにケチで強欲で、豊かな心を知らない・・・つまり、性格がメッチャ悪かったのです。
大きな農場の他にも、酒屋や金融業も営んでいた彼女は、水でうすめたお酒を高値で販売したり、稲やお酒を貸す時には小さい升で計って貸したくせに返す時は大きな升で返すように強要したり、その利息も他者の10倍100倍にて徴収したり・・・
とにかく、彼女の周囲では、路頭に迷って、一家で夜逃げする人続出だったわけですが・・・
そんな彼女が、宝亀七年(776年)の6月に入って、突然、病に倒れ、意識を失ってしまいます。
必死の看病にも関わらず、彼女は1ヶ月の間、昏睡状態が続きます。
やがて、訪れた宝亀七年(776年)7月20日・・・
この日、突然意識を回復した広虫女は、枕元に夫と子供たちを呼んで、昏睡状態の中で見た夢の話をします。
夢の中で、彼女は、閻魔大王の宮殿に連れていかれ、大王から3つの大罪を指摘されたというのです。
その3つの大罪とは・・・
●寺院の財産を使い込んで返却しない事、
●水増しのお酒を売った事、
そして
●貸す時には小さく、返済の時には大きな升を使って暴利をむさぼった事、
しかし、その事を語ってまもなく、広虫女は息をひきとってしまいました。
夫や子供たちは悲しみに暮れながらも、僧侶や祈祷師を呼んで、冥福を祈るのですが、そうこうしているうちの7日目の夜・・・なんと、彼女は息を吹き返すのです。
この世の物とは思えない異様な悪臭とともに棺桶のフタを開けて登場する広虫女・・・しかし、生き返った彼女の姿は、上半身が牛で額に角が生え、手足にはヒズメがあります。
しかも、草しか食べず、牛独特の反芻(はんすう=食べた物を再び噛みなおすアレです)もするのです。
またたく間に、この話を聞きつけた近隣・・・いや、遠く離れた場所からも、ひと目見ようという見物人が後を絶たなくなって、困り果てる家族・・・
彼女が亡くなる前に語った3つの大罪の話が頭から離れない夫は、抱え込んでいた宝物を、近隣の寺院や、奈良の東大寺に寄進して、すべてを変換・・・・人々の借金も帳消しにして、これまでの罪を償うのです。
このおかげで、牛となってから5日後、広虫女は、やっと、安らかに死ぬ事ができました。
・‥…━━━☆
と、こんな感じのお話です。
もちろん、「これは説話集にあるお話なので…」とことわらなくとも、内容がすべて事実だと思われる方はおられないでしょうが、かと言って、「架空の作り話だから、歴史には関係ない」と言ってしまえないのも、この類いの説話のオモシロイところ・・・
そうです。
例え、「生き返ったのどうの」という内容が作り話だったとしても、その物語の背景が、その時代を浮き彫りにしている可能性が高いのです。
物語の舞台となる宝亀七年(776年)は、奈良時代の終わり頃ですが、『日本霊異記』 が成立したのは、平安時代の初めとされています(弘仁十三年 (822年) の説あり)。
下巻に著者の自叙伝的な内容も含まれているところから、この物語を書いたのは、奈良の薬師寺の僧だった景戒(きょうかい・けいかい)だとされていますが、この景戒さんは、もともとは妻子を持つ俗世間に生きていた人・・・
つまり、根っから坊さんのエリート的な道を歩んで来た僧でない事が幸いし、もっぱら貴族や金持ち相手の平安初期の仏教界において、一段高い上から目線では無い、一般人とも深く交わる庶民のお坊さんだったようなんです。
・・・で、そんなお坊さんが書いた物語の背景・・・
この平安時代初期という時代は、地方豪族が、その裕福さと特権を良い事に、何かと私利私欲にばかり走り、挙句の果てに庶民を喰い物にして不当な利益をあげるという事が多々あった時代なのです。
少し後になりますが、以前書かせていただいた藤原元命(もとなが)が訴えられた事件(11月8日参照>>)なんか、まさにそうですね。
なんせ、その地を治めている人がワルサをするのですから、取り締まりもヘッタクレもなく、やりたい放題だったわけです。
そんな上層部に抑えつけられる庶民に対して、紹介する物語は、
「…故に過ぎて徴(はた)り迫(せ)むること莫か(なか)れ」
(欲の出し過ぎはアカンで~)
という言葉で、最後を締めくくっている事でもわかるように、結局は「悪い事をしてはいけない」という「教え」・・・
庶民に身近な、「あるある」的な題材を使って、仏の道&人の道を、わかりやすく伝える・・・それが、この物語のテーマだったという事ですね。
.
平凡社東洋文庫
日本霊異記 全
下第四
165 下巻 第四
(注一)
方広経を踊した僧が海に沈んで溺れなかった話 第四
奈良の都に一人の僧がいた。名前は分からない。僧はいつも方広経を踊して、俗人の生活をして、銭
を貸すことによって妻子を養っていた。一人の娘は結婚して、僧とは別に夫の家に住んでいた。孝謙天
皇の世に、娘の夫は陸奥国の役人に任じられた。男の僧に二十貫の銭を借りて衣服を整え、任国に向か
った。一年余りすぎて借りた銭が倍になったが、やっと元金を返しただけで、利息は払わなかった。僧
は年月がすぎると、金を返すよう青めたてた。聟はひそかに心の中で僧を憎んで、
「機会があったら舅を殺そう」
と思った。僧は聟の考えに気づかずに、平気で催促した。聟は僧に、
「いっしょに陸奥にまいりましょう」
とさそった。僧はこのことを聞いて船に乗り、陸奥にわたった。途中で聟は船人と示し合わせて、僧
の手足をしばり、海の中に投げ込んだ。聟は陸奥国にわたって、妻に、
「あなたのお父さんは、あなたにあいたいと思って、いっしょに船でわたってきたのですが、突然荒波
にあって、船は海に沈み、お坊さんも溺れて、救いようがなく、ついに沈んで死に、ただわたしだけが、
生き残ることができました」
といった。妻はこの話を聞いて、大変泣き悲しんで、
「不幸にも父をなくしましたし、また財産も失いました。海底の玉は見ることができても、どうして父
の骨を得ることができましょうか。悲しいことです。痛ましいことです」
といった。
僧は海に沈んで、心を尽くして方広経を踊すると、海水がくぼんで開いたので、海底にうずくまって
溺れなかった。二昼夜すぎて後に、他の船人が陸奥国に向かって渡った。見ると、海の上に掘の端が浮
かんで漂っていた。この縄を取って引くと、僧が上がってきた。顔色はいつもと変わっていなかった。
船人は大変不思議に思って、
「あなたはだれですか」
とたずねた。僧は、
「わたしは某という者です。盗賊にあってしばられて、海に落とされました」
と答えた。
「お坊さんはどのような術を持っていらっしゃるので、水に沈んでも死ななかったのですか」
「わたしはいつも方広経典を踊しています。その威力の不思議なことは、どうして疑うことができまし
僧は聟の名前だけは他人に明かさなかった。船人に、
「わたしを陸奥国に連れて行って下さい」
といった。船人は僧の願いにしたがって、陸奥国に送った。
聟は陸奥国で、海に落ちた男のために、精進の食を用意して、三宝に供養した。輿の僧は方々乞食を
して歩いた。たまた生鐸の用意した法事に出会って、自度僧の列にはいり、顔をかくし、供養を受けた。
卸の役人は自身で施し物を持って、大勢の僧に与えた。その中で異の僧が手をのぱして施し物を受けた。
聟の役人はこれを見て、目をまるくし、顔はまっ赤になって驚き、恐れて隠れた。僧は笑みを含んで
怒りを押さえて忍び、ついにのちのちまで聟の悪事をあらわさなかった。
海に沈んでも水がへこんで溺れず、毒魚にものまれないで命をなくさなかったのは、方広経の不思議
なしるしであり、諸仏の加護であることが本当に分かった。
ほめたたえていえば、次のとおりである。悪を明かすことなく、よく耐え忍んだことはよいことであ
る。本当にこの僧は恨みを忍ぶすばらしい行ないをした。長阿含経(ちょうあごん)に「恨みで恨みに報いようとするの
は、草で火を消そうとするようなものであり、慈悲で恨みに報いるのは、水で火を消すようなものであ
る」といっているのは、このことをいうのである。
注1 この話は『三宝絵詞』巻中第十五、『今昔物語集』巻十四第三十八「踊方広経僧入海不死返来
語」に引用されている。
165 下巻 第四
(注一)
方広経を踊した僧が海に沈んで溺れなかった話 第四
奈良の都に一人の僧がいた。名前は分からない。僧はいつも方広経を踊して、俗人の生活をして、銭
を貸すことによって妻子を養っていた。一人の娘は結婚して、僧とは別に夫の家に住んでいた。孝謙天
皇の世に、娘の夫は陸奥国の役人に任じられた。男の僧に二十貫の銭を借りて衣服を整え、任国に向か
った。一年余りすぎて借りた銭が倍になったが、やっと元金を返しただけで、利息は払わなかった。僧
は年月がすぎると、金を返すよう青めたてた。鐸はひそかに心の中で僧を憎んで、
「機会があったら異を殺そう」
と思った。僧は鐸の考えに気づかずに、平気で催促した。鐸は僧に、
「いっしょに陸奥にまいりましょう」
とさそった。僧はこのことを聞いて船に乗り、陸奥にわたった。途中で鐸は船人と示し合わせて、僧
の手足をしばり、海の中に投げ込んだ。墾は陸奥国にわたって、妻に、
「あなたのお父さんは、あなたにあいたいと思って、いっしょに船でわたってきたのですが、突然荒波
にあって、船は海に沈み、お坊さんも溺れて、救いようがなく、ついに沈んで死に、ただわたしだけが、
生き残ることができました」
といった。妻はこの話を聞いて、大変泣き悲しんで、
「不幸にも父をなくしましたし、また財産も失いました。海底の玉は見ることができても、どうして父
206
むりやり貸しつけた物を取りたて、たくさん利息を
とり、その報いで悪死した話 第二十六
田中真人広虫女(たなかのまひとひろむしめ)は讃岐国美貴郡(いまの香川県木田郡)の大領外従六位上小屋県 主宮手(おやのあがたしみやて)の妻である。
八人の子を産み、裕福で多くの財宝を持っていた。牛馬、使用人、稲、銭、田畑などがあった。生まれ
つき、仏道を信仰する気持がなく、欲張で人に物を与えることはなかった。酒に水を加えて量を多くし
て売って、多くの利益を得た。貸すときは小さな桝で与え、返すときは大きな桝でもらった。稲を貸し
つけるときは小さなはかりを用い、大きなはかりで徴収した。利息は強引に取り立てた。大変道理にそ
むいている。あるときは十倍にして取り立て、あるときは百倍にして取り立てた。貸したものを人から
しぼりとっても満足しなかった。そのため大勢の人は全く困って、家を捨てて逃げ、他国を流浪するこ」
とその極に達した。
広虫女は宝亀七年 (七七六) 六月1日に病気になって床につき、日が経ったので、七月二十日になっ
て、その夫と八人の息子を呼び、夢に見た様子を話した。
「閣魔王の御殿に呼ばれて、三種類の罪を示された。第一に三宝の物をたくさん使って返さなかった罪、
第二に酒を売るときに水増しして多くの利益を得た罪、第三に二通りの桝や秤を用い、人に与えるとき
は十目のを七目にし、取り立てる時には十二目にした。『この罪にょっておまえを呼んだ。現世でその
報いを受くべきで、いま、おまえに示したのだ』といわれた」
夢の様子を話して、その日のうちに死んだ。七日すぎるまで火葬にせずに置いて、僧や信者三十二人
を頼んで、九日の間願を立てて供養した。
七日目の夕方また生き返り、棺のふたが自然に開いた。そこで棺をのぞいて見ると、臭いことこの上
なく、腰から上は牛となっており、額から四寸ほどの角が生えていた。両手は牛の足となり、爪は裂け
て牛のひづめに似ていた。腰から下は人の形をしていた。飯を嫌って草を食べ、食べ終わると反褐した。
裸で衣服をつけず、糞と土に臥した。方々の人が急いで集まり、あやしんで見て、絶え間もなかった。
大領やその子供たちは恥ずかしく思い、また大いに悲しんで、体を地に投げ、あらゆる願を立てた。罪
の報いをつぐなうために、三木寺に種々の家財を上げ、東大寺に牛七十頭、馬三十匹、田二十町、稲四
千束を寄進し、人に貸した物はみな許した。国司、郡司がこれを見て朝廷に報告しようとしたころ、五
日をすぎて死んだ。国や郡のこれを知った者はみな、大いに嘆き悲しんだ。
因果の法を気にとめず、道理にはずれ、義を考えなかった。そのために当然のこととして、非道な行
ないをした現世での報いであり、義を知らなかったための悪報である。現世の報いでもこのとおりであ
る。ましてや来世の報いはいうまでもない。経にあるとおりで、「物を借りて返さないなら、牛馬に生
第まれて償わなければいけない」といってある。負債を負っている人は召使いのようなもので、物を持っ
た人は主人のようなものだ。また借りている人は娃のようで、貸している人は鷹のようなものである。
ただし相手が借りていても、それを強引にとり立てると、かえって、牛馬になって、借りた人に使われ
るので、度を越してとり立て、催促してはいけない。
水木しげる:
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