https://www.amazon.co.jp/貨幣論の革新者たち-古川-顕/dp/4779514223/
19世紀初頭のマクラウドが"近代信用資本理論"の開祖で、イネスは"貨幣起源物々交換説"を否定して「信用こそが貨幣に代わる歴史発展の起源である」と最初に強調したと紹介します。
続いて、フィッシャーが説く「負債デフレーション」について、過剰債務→債務清算→預金収縮→デフレ→企業利潤減少→失業というプロセスで説明します。その際、「利子率の複雑な撹乱」の発生、つまり、名目利子率が低下する一方で実質金利が上昇するとの現象に言及し、金利面から恐慌発生メカニズムを鋭く解説してくれます。正にフィッシャー方程式から導く恐慌論です。
最後に、ホートレーは「銀行からの貸出し=信用創造で生産者は所得を支払う手段を獲得する」と考察し、フロー経済とストック、つまり、信用の関係を説明しようと努めます。
18世紀来、こうして変革されてきた貨幣論も、1936年の「ケインズ一般理論」により古い見解に立ち戻ってしまいます。ケインズは"信用貨幣論"を十分に理解していたものの、貨幣が交換から生まれたとする「アダムスミスの誤謬」は肯定していたのようですね。そして、「ケインズ一般理論」が、貨幣市場の考察に際して"流動性選好説"と同じ文脈で"外生的貨幣供給説"を唱えたことから、主流派経済学の視界から"信用貨幣論"が消え去ってしまったと述べます。聡明なケインズのこと、当然に"信用貨幣論"の理解を欠いていたはずもなく、議論単純化のためとしか思えませんが、いずれここで正統的ケインズ学説が古い見解に戻ってしまったようです。主流派交代です。
「現代貨幣理論」が"信用貨幣論"を復権させた今だからこそ、貨幣論の変革者たちの思索を振り返る意味があると思いました。
銀行学派
銀行学派(ぎんこうがくは banking school)とは19世紀前半の英国における経済学派の一派。銀行主義者とも。1844年成立の「ピール銀行条例」を巡り、銀行券発行量を発券銀行の金保有高と一致させるべきという通貨学派の主張に対して論陣を張った。学派の主要人物としてはトーマス・トゥック (en:Thomas Tooke)、ジョン・スチュアート・ミルらがいた。
彼らは、銀行券が金準備を超えて過剰に発行された場合、インフレーション懸念が発生すると預金者は銀行券の償還(金地金への交換)をすすんで行おうとするため、通貨発行高の問題は自然と解決されると主張した。
ピール条例の成立により勝利の軍配は通貨学派に上がったが、同条例は恐慌発生などによりその後3度にわたって停止されるなどしたため、相対的に銀行学派の権威が強化されることとなった。
真正手形学説
真正手形原理によると、銀行家が商人に融資する場合、生産過程での実物財に対する請求権を表す30日、60日、または90日の短期商業手形の保証(担保)に対して(と引き換えに)のみ貸し付ける限り、商品生産に資金を調達するのに必要な以上の融資は発生しない。この原理は、価格に影響を与えることなく、実質生産量にそれ自身の購入手段を決定させることを目的としている。真正手形原理の下では、中央銀行の政策的役割は1つだけである。それは、銀行が担保として提供する顧客の実手形real customer billsに対して必要な準備金を商業(市中)銀行に貸し出すことである。「真正手形原理"real bills doctrine"」という用語は、ロイド・ミンツが1945年に出版した 『銀行理論の歴史A History of Banking Theory』において造語された。
さらに、銀行融資は、新しい銀行券またはマネーストックの主要な構成要素である小切手預金(要求払い預金)口座への入金という形で商人に貸与されるが、この原理は、創造される通貨の量が物価に影響を与えることなく、ただ購買者が最終生産物として市場から完成品を購入できるようにするため必要十分なだけの分量であることを保証する。(なぜなら)次に、商人は販売受領高から実手形の銀行融資real bills bank loansを返済し、銀行は、次に商品生産に資金が必要になるまで、返済された通貨を流通から回収する(からである)。
関連項目
これは哲学者バークリーが本書「The Querist(1735 邦題「問いただす人」)で主張したこと。マクラウド本人もバークリーの貢献を認めている。
貨幣のない世界でパン100個と上着1着が等価だと理解されているとして、上着1枚余剰だが相手に交換出来るパンが10個しかなければどうするか。パン90個分を「つけ」にすれば良い。
つまり服屋がパン屋に信用(債務)を与えればよい。
この信用の尺度、符牒の一つとして貨幣が使われるようになった。
物々交換(等価交換)→貨幣経済→信用経済という見方は、貨幣による等価交換が浸透した後の時代から見た錯覚に過ぎず、初めに信用取引があり、その特殊形態として等価交換(即時清算)が生まれた。
言われてみれば実に当然のことだが、貨幣経済の只中でこれを発見するには、バークリーの如き空前絶後の頭脳明晰を必要とした。
マクラウドは銀行実務の中でこれにある程度気づいたのだろうが、あくまでもバークリーの論を読みそれを敷衍したもの。
「ある人は、自分なりのやり方で、自分の消費しうるもの以上を取得したときに、その余剰物と交換に、自分にないものを満たそうとした。これは信用を生まざるを得ない。こういう移転を容易にし、この信用を記録し流通させるために、彼等はやがて、特定の割符、表示、切符あるいは計算具を、協定によって作り出そうとしたのである。(第1部 質問49)」
「どのような媒介物(金属であろうと紙であろうと)が用いられようとも、すべての流通はひとしく信用の流通ではないだろうか。そうして金の方が信用よりも強い通用力をもつなどといえるであろうか。(第3部 質問10)
「国民の富全体が実は国立銀行の資産にほかならないことを理解するのに、何らかの困難があろうか。しかも、国立銀行の信用にかんしてすべての人々を安心させるのに、この点を正確に理解させることほど必要なことがあるであろうか。(第3部質問84)」
「それゆえ、国立銀行は金鉱にもまして有益なものではないだろうか。(第2部質問22)
「だがもし、(国立銀行の設立により)ペンを一走り走らせるだけで100ポンドもの資金を調達できるようになれば、そのことは民間人にとって大きなめぐみではなかろうか。(第2部質問27)」
「国立銀行は国家のもつ真の化金石(Philosopher's Stone 賢者の石)ではなかろうか。」第3部質問132
また、ミルが「経済学原理」1848でフィッシャーに60年先駆けて貨幣の流通速度概念に着目していると指摘しているが、その100年以上前にバークリーは
「迅速に流通するより少ない貨幣は、事実上、緩慢に流通するより多い貨幣に相当するのではなかろうか。換言すれば、流通が貨幣の量と逆に動く場合に、国民が損をすることがありうるだろうか。(第1部 質問22)
と既に指摘している。ミルはバークリーの書評まで書いている(本書解説参照)ので、バークリーの影響は明らか。
ついでに言うとミルは始めて銀行の信用創造を唱えたかも知れないが、信用はあくまでも貨幣の代替物と捉え、信用が貨幣に先立つことは理解していなかったようだ。
バークリーこそ史上最も鋭利で、頭脳明晰な思想家であろう。
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