TPPと同根、輸出促進税制としての消費増税
湖東氏はさらに、そもそもの出自からして消費税(付加価値税)は輸出振興策として"創作"されたものだとして、その"歴史秘話"を大要次のように披瀝してくれている。
時代は戦後間もない昭和25年、対日税制勧告で有名なシャウプ博士は、それまでの事業税に代えて付加価値税を導入した。後に廃止になったが、これは世界で最初のものだったそうで、その特徴は、「事業税はもうけにかけるので赤字ならゼロになるが、付加価値税は粗利にかけるので(人件費や支払利息などがかさんで――引用者)商売が赤字でも付加価値税はゼロにならない。これがシャウプの付加価値税です。事業税の代わりですから直接税で、納税義務者は事業者です。事業者が納めるだけで、価格への転嫁もなければ、輸出の還付金制度もない」というものだった。
つまり、価格に転嫁された税を最終消費者が負担し、事業者がいわば代理で納税する今の消費税と違い、価格転嫁もなければ、従ってゼロ税率であるが故に発生する輸出還付金もない、事業者が税の負担者でありかつ納税者でもある直接税だった。ところが、
「これがフランスで変わった。フランスにルノーという車がありますが、輸出が弱いので、フランス政府は企業に補助金を出しました。しかし、1948年に輸出補助金がガット違反ということになり、ガットに違反しないで補助金をルノーに出せないか、フランスの大蔵大臣は考えた。そして、シャウプの付加価値税を入れる際に、分類を間接税にしました。付加価値税をお客に転嫁していいですよと。…間接税は価格へ転嫁することが予定されているからです」。その上で「輸出は外国の客から税金を取れないという理由でゼロ税率をかける」ことにした。
かくしてフランス政府は、〈直接税の間接税化→価格転嫁→輸出ゼロ税率+仕入税額控除〉の仕組みをつくることによってルノーの輸出を「合法的に」支援することに成功した。「直接税を企業に還付すればガット違反ですが、間接税なら違反にならず、還付ができることになった」のである。そして、これに我が意を得たのが日本の財界だ。
「この輸出補助金を出すやり方が大企業にうけて、ヨーロッパの国はすべて、付加価値税を導入しました。日本の財界も入れようと考えました。ところが国民の激しい反対で、大平内閣の一般消費税が崩れ、中曽根内閣の売上税もだめになりました。竹下内閣は、『導入さえすれば税率はいずれ上げられる、まずは3%でもいい』と消費税を導入しました。そして、輸出ゼロ税率、輸出還付金制度が始まったのです。輸出還付金は明らかな輸出補助金です。ガット協定違反です。他の国がやっているからと言って、こんな制度を許していいのでしょうか」。
一方では関税撤廃で輸出増を目論むTPP推進、他方では輸出還付金の倍増、3倍増を目論む消費増税推進。TPPと消費増税――、一見無関係に見える2つの世界だが、そこでは経団連主流・輸出大企業のあくなき利益追求が系統的、一体的に追求されていることを、私たちは見透かさなければならない。
https://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2012/201207.htm消費増税はTPPと同根の輸出大企業本位の悪政だ
目次
◆輸出大企業に巨額の消費税還付金!
◆消費税が上がるほど"棚からぼた餅"
◆消費増税は輸出補助金の打ち出の小槌
◆TPPと同根、輸出促進税制としての消費増税
◆似て非なる「非課税」で医療や福祉は大変
輸出大企業に巨額の消費税還付金!
トヨタやソニーなど輸出大企業そのものが悪者だと言うつもりはさらさらないが、なんとも腑に落ちないのがこれら輸出型大企業と消費(増)税の関係だ。
これらの企業には毎年、国全体の消費税収の約3割、3兆4000億円もの大金が「還付金」(輸出戻し税)として転がり込んでおり、しかもこれは消費税率が上がれば上がるほどより多く得られる仕組みになっている。
表1 消費税還付金上位10社(2010年分、単位:億円)
各社の2010年4月~2011年3月期有価証券報告書に基づき推定計算。 「月刊 日本の進路」2012年4月号より。 表2 トヨタ自動車の還付金過去5年間の推移(単位:億円)
資料:表1に同じ。 |
論より証拠、表1をごらんいただきたい。この表は元静岡大学教授で税理士でもある湖東京至氏が各社の有価証券報告書から作成したもので、消費税還付金上位10社をリストアップしたものだ。トヨタ自動車2246億円、ソニー1116億円、日産自動車987億円などとつづき、新日鉄までの上位10社だけで8698億円にのぼっている(2011年3月期分)。
トップのトヨタ自動車の07年3月期から11年3月期までの5年間では1兆3009億円もの巨額にのぼっている(表2)。
長引く不況の中で、世の中小零細業者の中には価格転嫁もできないのに消費税を納めなければならない、あるいは納品先大企業から「消費税分はまけろ」などと言われ苦しんでいる最中、これはどういうことなのか。
消費税が上がるほど"棚からぼた餅"
日本の消費税は「仕入税額控除方式」と言われ、利益ではなく粗利にかかる税金で、付加価値税の一種と言われている。すなわちその税額は、
(年間売上高-年間仕入高)×5%=納める消費税額
で計算される。実際には売上に係る(預かった)消費税から仕入に係る(支払った)消費税分を控除して税額を出す。つまり、
年間売上高×5%-年間仕入高×5%=納める消費税額
である。ところがこの売上のうち輸出に係る分は「ゼロ税率」が適用され、消費税がゼロ円なのである。するとどうなるか。
ある輸出型製造大企業の売上が10兆円、うち輸出が7割の7兆円、仕入が、製造業の平均とされる売上の7割(国税庁指針)として7兆円というばあい、この企業の納税額は次のように計算される。
国内売上の税額=3兆円×5%=1500億円
輸出売上の税額=7兆円×0%=0円
仕入に係る税額=7兆円×5%=3500億円
納める税金=(1500億円+0円)-3500億円
=▲2000億円(A)
納税額がマイナスになり、2千億円という大金がこの企業に還付されるのである。
注意したいのは、右の計算式からすぐわかるように、この還付金は、消費税率が上がれば上がるほど、また輸出割合が高ければ高いほど多くなる、ということだ。
今、上記と同じ売上・仕入構成で消費税が10%にアップしたとすると、国内売上と仕入に係る税額はそれぞれ倍になり、納める税金Bは、
(3000億円+0円)-7000億円=▲4000億円
となり、還付金はAの2千億円から4千億円に倍増する。濡れ手に粟、棚からぼた餅とはこういうことを言う。
さらにこの企業は、消費税10%へのアップで仮に、あるいは一時的に国内消費者の買い控えが起きてもなんら怖くはない。さらなる輸出ドライブをかけて輸出で稼げば済む話なのだ。輸出割合を高めて、例えば10兆円の8割、8兆円になったとすると、
国内売上の税額=2兆円×10%=2000億円
輸出売上の税額と仕入税額はBと同じくゼロ円と7000億円なので、納める税額は、
(2000億円+0円)-7000億円=▲5000億円
なんと還付金はAの2千億円から5千億円へ、2・5倍にも激増する。Bに比べても25%増しの「ぼろ儲け」である。
消費増税は輸出補助金の打ち出の小槌
ゼロ税率と仕入税額控除方式――この仕組みのおかげで表1や表2のような莫大な還付金が発生し、その総額は全消費税収の3割にもなんなんとしているのである。
こうして、「ゼロ税率制度と仕入税額控除方式に支えられて、輸出企業はまんまと還付金の名で輸出補助金を受け取れることになった」(前出湖東氏「月刊 日本の進路」2012年4月号。傍点は引用者、以下同)。
なぜ財界と野田政権は消費増税に一所懸命なのか、その秘密がここにある。輸出で稼ぐ経団連主流の大企業にとって、消費増税は打ち出の小槌なのである。湖東氏はこのような状況を整理しながら、以下のように解説する。
「トヨタは国内売上が4割、輸出が6割です。国内売上で納税額が出ますが、輸出はゼロ税率で納税額はゼロ。なのに、そこから仕入は国内用も輸出用も控除されるので、納税額はマイナスになり、これが還付されます。国内販売で客から取った5%は輸出還付金と相殺され、トヨタは1円も納めないばかりか巨額の還付金を受け取るわけです」。
こうして年間3兆円を超える還付金が大企業に入る。
おかしなことにこの還付金は、最終販売業者である自動車や電機等の大手企業が「仕入は国内用も輸出用も控除」されるので、それら超大手の企業にのみ還付され、消費税分等の値切り要求にも耐え、日本のものづくり産業を支えている下請け中小零細業者には一銭も戻っていない。
このような不公平の上に、「税率が倍になれば還付金も倍近くになります。だから、財界は早くドイツ並みの税率にしようと消費税増税に執念を燃やしているのです」「ヨーロッパ諸国の大型間接税(付加価値税)は税率が高く、日本の5%に相当する標準税率はドイツが19%です。一番高いのはデンマークとスウェーデンの25%です。財界は、『消費税率をヨーロッパ並にしないと、わが国の輸出産業が負ける』と主張して、この25%を目標にしています。還付金は5%で3兆円です。10%なら6兆円、20%なら12兆円、25%なら15兆円になります。われわれ国民が苦しむ消費税増税に、なぜ財界と政府が一所懸命なのか。その秘密のねらいがここにあるのです」。
消費税とは、じつは輸出大企業への事実上の輸出補助金制度にほかならず、その増税は「還付金」という名の輸出補助金をさらに手厚くする"背徳の税制"にほかならないということなのである。TPPで輸出を増やせればその効果はなお増大し、一石二鳥、三鳥だ。
TPPと同根、輸出促進税制としての消費増税
湖東氏はさらに、そもそもの出自からして消費税(付加価値税)は輸出振興策として"創作"されたものだとして、その"歴史秘話"を大要次のように披瀝してくれている。
時代は戦後間もない昭和25年、対日税制勧告で有名なシャウプ博士は、それまでの事業税に代えて付加価値税を導入した。後に廃止になったが、これは世界で最初のものだったそうで、その特徴は、「事業税はもうけにかけるので赤字ならゼロになるが、付加価値税は粗利にかけるので(人件費や支払利息などがかさんで――引用者)商売が赤字でも付加価値税はゼロにならない。これがシャウプの付加価値税です。事業税の代わりですから直接税で、納税義務者は事業者です。事業者が納めるだけで、価格への転嫁もなければ、輸出の還付金制度もない」というものだった。
つまり、価格に転嫁された税を最終消費者が負担し、事業者がいわば代理で納税する今の消費税と違い、価格転嫁もなければ、従ってゼロ税率であるが故に発生する輸出還付金もない、事業者が税の負担者でありかつ納税者でもある直接税だった。ところが、
「これがフランスで変わった。フランスにルノーという車がありますが、輸出が弱いので、フランス政府は企業に補助金を出しました。しかし、1948年に輸出補助金がガット違反ということになり、ガットに違反しないで補助金をルノーに出せないか、フランスの大蔵大臣は考えた。そして、シャウプの付加価値税を入れる際に、分類を間接税にしました。付加価値税をお客に転嫁していいですよと。…間接税は価格へ転嫁することが予定されているからです」。その上で「輸出は外国の客から税金を取れないという理由でゼロ税率をかける」ことにした。
かくしてフランス政府は、〈直接税の間接税化→価格転嫁→輸出ゼロ税率+仕入税額控除〉の仕組みをつくることによってルノーの輸出を「合法的に」支援することに成功した。「直接税を企業に還付すればガット違反ですが、間接税なら違反にならず、還付ができることになった」のである。そして、これに我が意を得たのが日本の財界だ。
「この輸出補助金を出すやり方が大企業にうけて、ヨーロッパの国はすべて、付加価値税を導入しました。日本の財界も入れようと考えました。ところが国民の激しい反対で、大平内閣の一般消費税が崩れ、中曽根内閣の売上税もだめになりました。竹下内閣は、『導入さえすれば税率はいずれ上げられる、まずは3%でもいい』と消費税を導入しました。そして、輸出ゼロ税率、輸出還付金制度が始まったのです。輸出還付金は明らかな輸出補助金です。ガット協定違反です。他の国がやっているからと言って、こんな制度を許していいのでしょうか」。
一方では関税撤廃で輸出増を目論むTPP推進、他方では輸出還付金の倍増、3倍増を目論む消費増税推進。TPPと消費増税――、一見無関係に見える2つの世界だが、そこでは経団連主流・輸出大企業のあくなき利益追求が系統的、一体的に追求されていることを、私たちは見透かさなければならない。
似て非なる「非課税」で医療や福祉は大変
このような不公平、不条理としか言いようのない輸出還付金天国の陰で、その財やサービスが「非課税」であるが故に仕入税額控除ができず、その分、まるまる自己負担=「損税」になっている業界がある。医療機関や介護、養護老人ホーム、身体障害者療養施設など、いのちと健康、福祉にかかわる分野だ。これらは、「社会政策等の特別な政策的配慮に基づくもの」と規定され、売上には消費税を課さない=非課税とされている。そのこと自体はいいのだが、問題は、この「非課税」が今まで述べてきた輸出売上に係る「ゼロ税率」とは似て非なるものであることだ。
輸出売上のほうは"ゼロ%ではあるが課税はしている"という考え方なのでそれに対応して仕入税額控除もできるのだが、上記医療機関などの場合はそもそも非課税なので仕入に係る消費税は医療機関自身が最終消費者となり、税額控除できないのである。病医院は仕入れるものや諸々の経費の消費税が上がっても患者に転嫁できず、仕入控除ができないので還付金ももちろんない。
輸出のゼロ税率では税率が上がるほど還付金が増えるが、医療機関は自己負担が増えるだけ。同じ消費税ゼロ円でも、真逆の、天地の開きほどの不公平があるのである。
このような不公平、不合理の行き着く先は何か。
今でさえ人口の少ない地方の医療機関は統廃合が進められ地域の医療に不安をもたらしているが、消費税が上がり転嫁も控除もできないとなると農村部はもとより、中小の都市部でも安泰とは言えない。体力の弱い医療機関は経営難に追い込まれ、地域医療体制は脆弱化の度合いを強めること必定であろう。
このような事態を危惧して日本医師会は、「社会保険診療報酬等に対する消費税の非課税制度を、仕入税額控除が可能な課税制度に改め、かつ患者負担を増やさない制度に改善」するよう提言している。医療機関の負担をやわらげつつ、「世界的に類をみない窓口負担が3割にもなっていることから、患者に新たな負担が生じないような制度にすることは当然」だからである(「『社会保障・税一体改革素案』に対する日本医師会の見解」2012年2月1日)。
そして、政府の「社会保障・税一体改革素案」が「医療機関等の仕入れに係る消費税については、診療報酬など医療保険制度において手当てすることとする」としていることに対しては、それでは医療費の値上げに通じ患者負担を増やすと釘を刺し、「仕入税額控除を可能とするためにやむなく課税にするのであって、医療の公共性を否定するためではない」として、あくまで公的医療保険制度とは別枠で「仕入税額控除が可能な税制に改め」るべきであることを強調している。
理念も公平性もない政府の「一体改革」案に比べ誠に当を得た、立派な提言ではないだろうか。
日本医師会はまた、TPP参加によって外国医療資本の参入や混合診療(保険外診療の併用)の全面解禁などが実施されれば、国民皆保険制度の形骸化や医療費高騰をもたらし、ビジネスには不利な大都市以外の地域や低所得者むけの地域医療が崩壊する危険性が高いとしてこれに反対しているが、その慧眼は消費増税問題にも生かされている。
食料・農業は消費増税の最大の被害部門!
――TPP反対と軌を一にした阻止の運動を
輸出大企業にはやさしく、いのちや健康を守る医療・福祉には冷たい消費増税は、同じくいのちや健康のもとである食料・農業、それを担う農家経営にも決して小さくない負の影響を及ぼすことが予想される。
消費税は、年間売上が1000万円を超える事業者に納税義務のある税だが、(1)仕入に係る消費税は確実に上がる一方、販売価格への転嫁は容易ではないこと、(2)その原因でもあるが、勤労者世帯全体の給与所得の低迷や格差拡大に伴う新たな貧困層の増大により、買い控えや安い輸入農産物へのシフトが起きて国内農産物への需要そのものが減少しかねないこと、などにより課税農家はもちろん、非課税農家にも大きな影響が懸念されるのである(かかる増税に伴う貧困層などの輸入農産物へのシフト圧力が、お門違いにもTPP推進の口実に使われる危険性があることにも注意が必要だ)。
じっさい、消費増税の影響は、その需要が家計消費支出に負う割合の高い産業分野が大きく、輸出に負う分野は小さい。前者の代表が食料、農業なのである。総務省から公表されている「産業連関表」によると、生産活動の70%以上を家計消費に依存している分野は「食料・飲料・たばこ」が90%弱でトップ、「農林漁業」が80%弱で第2位、以下「個人サービス」「金融・保険・不動産」部門となっており、これらが消費増税の影響を大きく受ける部門である。一方、「機械機器及び金属製品」部門と「工業用原料(重工業)」部門は輸出への依存度が高く、影響は小さい。
その結果、労働運動総合研究所の試算によると、増税に伴う国内生産の減少は「食料・飲料・たばこ」がトップで4・4%、次いで「農林漁業」が3・9%で2位、以下、概して中小・個人など地場企業が多い個人サービス、商業、運輸、生活関連部門が3%台などで続く。それに対して、大企業の多い「機械機器および金属製品」は0・88%、「工業用原料(重工業)」1・0%と影響が小さい(総務省統計局「平成17年産業連関表」に基づいて労働総研が計算。同総研「消費税10%でGDP2・5%低下、雇用100万人以上減少――大企業に有利、低所得者と中小企業を直撃」より)。
かくして輸出産業は売上減が軽微なだけでなく、増税によってそれを補って余りある還付金が激増し笑いが止まらない。まさに消費増税は、いのちと健康を犠牲にし地域経済を冷やし、輸出大企業のみ栄える背徳の税制にほかならないのである。TPP推進と表裏一体の大企業優先、理不尽、不当な消費増税に、TPP阻止の運動と一体になってノーの声を上げたい。
(農文協論説委員会)
*本稿で触れられなかった財源問題については農文協ブックレット『TPPと日本の論点』および『復興の大義』所収の関係論文を参照いただきたい。
![]() | この記事の掲載号 『現代農業 2012年7月号』特集:ラクラク度急上昇 草刈り・草取り |
![]() | 『TPPと日本の論点』農文協編 |
![]() | 『復興の大義』農文協編 "単なる復旧にとどまらない創造的復興"は今や流行り言葉のひとつになった観があるが、がれきの処理や仮設住宅の防寒対策すら迅速に支援できない政府やその陰の支配人が何をかいわんやである。被災した人びとは多くを望んでいるのではない。元の仕事、元の暮らしに戻れることがまず第一だ。そのようなささやかな願い、復旧に、「単なる」という形容詞を付けることによって被災者の揶揄し、もってTPP推進とセットの創造的復興論を対置する。そのような、災害をビジネスチャンスと捉える不道徳を許してはならない。 [本を詳しく見る] |
目次
◆「人・農地プラン」特集を企画
◆島根・おくがの村で 「むらが続くための組織じゃろう」
◆山口・うもれ木の郷で 「法人は儲けを増やしたってしょうがないんです」
◆宮城・KAMIXで 「農業経営じゃダメ農村集落経営を考えないと」
◆農水省経営局で 農業は「産業」でなくてはならないか?
◆青年就農給付金支給は、むらに権限がある
◆大学で プラン入口は農地ではなく、暮らしから
『現代農業』の兄弟誌『季刊地域』10号の編集を終えた。今回は「『人・農地プラン』を農家減らしのプランにしない」という特集を組んだのだが、編集過程で感じたことなどを書いてみたい。
「人・農地プラン」特集を企画
「人・農地プラン」のことを初めて耳にしたのは昨年の秋くらいだったろうか。最初は何だかよくわからなかったのだが、どうも気に入らないとは思った。TPP参加検討論議の中で出てきた「強い農業」志向が背景にあるようだったし、「平地で20~30ha、中山間地で10~20ha経営が大宗を占める農業構造」にすれば農村の疲弊・高齢化問題が解決する、と思っているみたいなのも気に入らなかった。
年が明け、プランの中身や要件についての情報が詳しく入ってくるにつれ、「これは、むらから農家を減らす方向なのでは?」との思いが強くなった。大ざっぱには、以下のような内容の政策だという。
(1)地域農業マスタープラン(人・農地プラン)をたてる
基本は集落単位で、5年後10年後の地域の農業を誰がどう担っていくかのプランを話し合って決める。ようするに「担い手(中心となる経営体)」と「そうでない人」を地域でハッキリさせて、プランに書き込む。農地の集積目標もたてる。まずこのプランをたてないと、次の(2)(3)の助成金はもらえない。
(2)農地集積協力金
(1)でたてたプランに沿って、農業をリタイアしたり、土地利用型農業以外に経営転換したりして、農地を「白紙委任」(「誰に貸す」などの条件をつけないで貸し出す)するとおカネがもらえる。別名「離農奨励金」と呼ぶ人も多い。
(3)青年就農給付金
45歳未満の若い新規就農者が、年間150万円を最長7年間もらえる。その内訳は経営準備型(最長2年)と経営開始型(最長5年)だが、開始型のほうは(1)のプランで「中心となる経営体」と認定された人でないとダメ。
現場では(3)の青年就農給付金が話題を集めていたし、集落みんなで将来のヴィジョンを話し合うのはとてもいいことだ。「気に入らない」と言っていても世の中はどんどん動き始めるはずなので、『季刊地域』編集部は6月30日発売の次号で「人・農地プラン」の特集をやることにした。春先からさっそく取材開始だ。
とはいうものの、まだプランは呼びかけの段階だ。実際にプランを活用してむらづくりに成功している先進事例があるわけではない。しかたないので、これまで「人と農地の問題」と格闘し、その集落なりの担い手像をつくってきた人たちに、このプランをどう見るかを含めて話を聞いてまわった。
島根・おくがの村で 「むらが続くための組織じゃろう」
島根県津和野町の農事組合法人おくがの村代表・糸賀盛人さん(64歳)の話は強烈だった。おくがの村は創立25周年を迎える歴史ある集落営農組織で、糸賀さんは、集落営農界ではカリスマ的存在感を持つ人物だ。その晩はお酒が入っていて、ますます舌好調。
いったい何のために集落営農つくるんじゃ? おい、答えてみい。
そうじゃ、正解。むらが続くため、地域を守るための組織じゃろう。逆にいえば、たかが地域を守るための集落営農に、「経営体として」とか「株式会社に」とか「六次産業化で自立せい」とか求めるのが本末転倒なんよ。そこんところの理念・哲学がしっかりしとらんと、「カネがつくから」とエサにつられて集落営農つくって、結局、路頭に迷うことになる。
農事組合法人おくがの村は、「人・農地プラン」で農水省が言っとるのとは、向いとる方角が違う、いうことよ。だいたい「農地集積しろ」ばかりいうて、農地集積してメリットは何があるか?じゃ。おい、言うてみい。20~30町歩に集積したら、何がええんじゃ?
集積したら、肥料代が安うなるか? 農薬代が安うなるか? 草刈り面積が減るか? どれもたいしたことないじゃろ。実質減るのは機械代だけなんよ。それぞれがトラクタやコンバイン持っとるのを、20町歩に1台に減らす。これは確かに大きいわな。
じゃがな、機械を減らすのはいいが、それにともなって人が減ったらいかん。農地流動化は、すればするほど人が減る、家が減るんよ。おっ、書いとけや。わし今、大事なこと言ったわ。「流動化、すればするほど家が減る」!
山口・うもれ木の郷で 「法人は儲けを増やしたってしょうがないんです」
「集落営農はむらが続くため、地域を守るためのもの。儲けを目的にすると間違う」。この考えは、隣の山口県阿武町・農事組合法人うもれ木の郷でもまったく同様に聞くことができた。うもれ木の郷は全部で約85haを集積している四集落一農場だ。
設立以来、うもれ木の郷が地権者へ払っている地代(小作料)は、年間10アール3万6500円。おそらく日本一高い。先代から受け継いできた大事な農地を預かっているのだから、今のところこれを値下げしようなどという考えはないそうだ。
「地代を下げて、法人が儲けを増やしたってしょうがないんです。地域の農家がここに住み続けられるための組織なんだから、その人たちになるべく多くおカネがまわるような仕組みでいいんです」。事務局長の田中敏雄さん(62歳)は、97年の設立当時、初代組合長だった人物だ。「儲けを増やしたい組織だったら、企業参入と同じ。ここは農地もまとまってるし、もし企業が入ってきたら、5人もおれば経営できます。しかし集落はなくなりますよね」
うもれ木の郷のことは先月の本誌7月号348ページからの記事でも紹介したが、法人の野菜部門はプール計算ではなく、農家一人一人のやる気を引き出す独立採算方式。努力してホウレンソウをたくさん収穫すれば、その分その農家の手取りが増えるシステムなのだが、おかげで法人のほうには野菜部門からの収益はほとんどなし。いいのか?と思ってしまうのだが、「いいんです。野菜をつくって地域の農家が農業で食っていける地域になる。そのことが重要なんです。何のための集落営農組織なのかということを、常に考えてないと間違ってしまいます」と田中事務局長の考えは一貫していた。
宮城・KAMIXで 「農業経営じゃダメ農村集落経営を考えないと」
続いて、宮城県加美町の農事組合法人KAMIXの近田利樹さん(54歳)も、「農村集落経営」ということを言った。「農業経営」だけを見るのではダメで、農村集落全体の暮らしも含めて考えていかなくては、という意味だ。
仮に国が目標としているように30ヘクタール規模の農家を育成したとして、うちの集落は3軒の農家でまかなえることになります。いままで70軒あった農家のうち67軒は必要なくなる。その67軒が勤めだけで生計を立てなければならないとしたら、いまのサラリーを1.5倍くらいにしないとやっていけないことになる。……(中略)……それじゃあ農家も農村も考えてなくて、日本農業のことだけを考えている仕組みだと思うんですよ。
あちこちの現地取材ではっきり見えてきたのは、むらは「人を減らしての効率的な農業」をやりたいとは思っていないということだ。集落営農でなく、個別経営の担い手型大規模農家にも話を聞いたが、「自分たち大きい農家だけが生き残るような形では、むらは維持できない」という意見は共通していた。人と農地の問題を真に解決したいと思ったら、むらに住む人一人一人が、やり甲斐を持って農に関わっていくためのプランを、みんなで考える必要がある。
農水省経営局で 農業は「産業」でなくてはならないか?
農水省にもインタビューに行ってみた。人・農地プランの担当は農水省の中の経営局。壁のポスターに「人・農地プラン 農林水産省は本気です」と書いてあるのにはビックリした。
彼らもたしかに本気で日本農業のことを考えて、よかれと思ってやっている立派な人たちなんだとは思う。ただ今回、考え方の根本的な違いを認識することはできた。「むらの暮らしを守りたい」ことを一番に考える農家の感覚に対して、人・農地プラン政策を推進する人たちの感覚はあくまで「経営体作り」。農業を一つの産業として成立させる――そこからしか未来は拓けない、と固く信じているようだった。だからプラン作りはどうしても、「中心となる経営体」と「それに協力する人」という「農家の色分け」が必要になってしまう。
「産業として自立する農業」というと、何か聞こえはいいような気もするが、先のおくがの村の糸賀さんはこうも言っていた。
おい、「株式会社の寿命は30年」って言われとるのは知っとるか? JALだってホリエモンだって長続きせんかったろう。儲けのための組織は常に倒産の危険もあるし、長続きせん。だけど、むらは倒産したらいかんのよ。
むらはたかだか30年企業では困るのだ。代々受け継いできたむらを、次の世代にも、そのまた次の世代にも受け継いでいってもらいたい。それさえできれば、人と農地の問題は解決で、別にそんなにバカ儲けするむらにならなくたっていいのだ。トヨタみたいなむらを全国津々浦々に作ることが目的ではないとしたら、何が何でも産業として経営体として成功する方向を目指さなくとも、地域のみんなが楽しく平和に静かに暮らしていける道を考えるプランでいいのではないか?
青年就農給付金支給は、むらに権限がある
ところで青年就農給付金がすごい人気だ。だがプランを立てないことにはこの給付金ももらえないので、よく話し合いもせず、とりあえず市町村全体で一括してプランを立てて、新規就農者を「中心となる経営体」の名簿に並べてしまおうという動きもあちこちで見られる。
これについては農水省の担当官も「そういうことをすると、あとで苦労しますよ」と少々嫌みを言っていた。しかし希望者多数で予算額オーバーの場合、いったいどうなってしまうのだろうか? 聞いてみると、「当然国としての予算枠があるので上限はあります。それでも枠を超える場合は、担い手がいないところに就農する人、経営の目標が高い人、おカネがかつかつで支援がなければ離農するおそれがある人などは優先してくださいね、ということは県に伝えています」とのこと。
ということは、なんらかの条件で選ぶということがあり得るわけだ。
「はい。子ども手当のようなものとは違いまして、条件が満たされればみんながみんなもらえるというものではありません。……地域で育てるというところが非常に大事だと思っていまして、地域の協力も得られないところにポツンと入っていって、なじめず、土地も借りられずにやめていくという例があるわけですね。技術的な問題もわからないまま、誰にも聞けないとかですね。そういうことがあってはよくないので、地域でちゃんとこの人を育てようという合意のもとにやっていっていただきたい。プランにのせるのが、たんにこの給付金をもらうための手続きだと思われると非常に心外です。地域としてその人を育てていく、そういう人に給付金を出すという考え方なんですね」
この辺り、農水省側の希望により『季刊地域』の記事からは削除した部分なのだが、こちらとしては妙に納得できてしまった。青年就農給付金は新規就農者手当みたいなものではなくて、むらの側で「この人はむらに必要だから、ちゃんとみんなで育てよう」と決めるもの。それがプランへの位置づけであり、その「むらからの推薦」がもらえない人は、150万円はもらえない。青年就農給付金の実質の決定権は、むらにあるということのようなのだ。
記事では大分県豊後大野市の二つのむらが新規就農者を受け入れている様子を取材した。一カ所は研修終了後に若者が定着し、郷土芸能の後継者にもなってむらに溶け込んでいる地域だが、すぐ近くのもう一カ所では若者が来てもなかなか定着しない。違いはどうも、研修中から「むらに住むこと、むらの行事に参加すること」を条件にしているかどうか、などにありそうだ。
農業はむらと結びついて初めてある。農業を「産業」として、むらの暮らしから切り離したのでは、きっと続かない――青年の問題からも、そう感じる記事となった(『季刊地域』10号「青年就農給付金で『むらの後継者』は育てられるか」参照)。
大学で プラン入口は農地ではなく、暮らしから
東京大学の安藤光義先生にもお話をうかがった。安藤先生は2007年、担い手のみに助成を絞った品目横断的経営安定対策の時に「選別政策を換骨奪胎して、むらの論理で補助金を活用する」ことを提唱した人だ(本誌連載「『集落営農』とは何か」2007年1~5月号参照)。お会いしてみると、学者の先生なので話がどうしても抽象的になってしまうのだが、その分、少し大きな気持ちで巨視的にむらのこと・農業のことを、とらえられたような気がした。
おカネを稼ぐために農業をするというのが米国や豪州といった新大陸型農業の考え方ですが、むしろそれは特殊なあり方で、もともとはおカネを稼ごうが稼ぐまいが、むらには生活があり、そのなかで農業は重要な位置を占めていたわけです。経済優先で社会が成り立っていったわけではなく、社会を成り立たせることが最大の目標でした。むらには生活の論理がずっと貫かれていたのです。
そうはいっても現代社会では農業の効率性が求められるし、経済の論理・経営の論理は当然貫かれるわけですが、経済と生活のどちらかだけで生きていけるわけではなく、集落はずっと両者を生活に根ざして調整してきたのです。では、そのどちらに重きを置くかといえば生活の論理のほうだと思います。
安藤先生は、「落ちているおカネは拾ったほうがいい」ので、人・農地プランがたとえ気に入らなくても補助金は上手に利用するのがよい。そしてせっかくなので、自分たちの集落の羅針盤、現代の「村是」のようなものをつくっていく機会としたらよい、と考えておられるようだ。
それには農地が入口では話し合いがうまくいかないんですね。基本的には地域の生活をどうするかが最初であって、その重要な構成要素の一つとして農地をどう扱うかという順番になるのではないでしょうか。そこがすごく重要な気がしています。
農家減らしにならない「人・農地プラン」をたてる力をむらはきっと持っている――『季刊地域』10号の編集を終えて今、そんなふうに感じる。
(農文協論説委員会)
![]() | この記事の掲載号 『現代農業 2012年8月号』特集:遅出しで当てる |
![]() | 『季刊地域10号 2012年夏号』農文協編 特集:「人・農地プラン」を農家減らしのプランにしない/「人・農地プラン」について思うこと/早わかり「人・農地プラン」/新人記者A子 農水省へ行く/中国四国地方で一番乗りの「人・農地プラン」を拝見/「人・農地プラン」を地域農業に役立たせるには/おくがの村の糸賀盛人、酒を呑んで大いに語る/その1―東日本型の集落営農/その2―大規模稲作農家/その3―西日本型の集落営農/そしてまた、むらはしたたかに政策とつきあうだろう/青年就農給付金で「むらの後継者」は育てられるか/「担い手2人30ヘクタールび経営体が8割」をめざす ほか。 [本を詳しく見る] |
![]() | 『地域農業の担い手群像』田代洋一 著 TPP対応型の政府・財界の構造政策を排し、むら的、農家的共同としての構造変革=集落営農と個別規模拡大経営&両者の連携の諸相を見る。併せて世代交代、新規就農・地域農業支援システムのあり方を提案。 [本を詳しく見る] |
![]() | 『地域農業の再生と農地制度』原田純孝 編著 2009年6月、農地貸借を自由化する農地法の大改正が行われ、さらに所有権取得の自由化にまで議論をすすめている。しかし、法人企業等の参入が地域や農業再生の打ち出の小槌であるはずはない。いま必要なのは、地域に根差し、地域の将来に対して責任をもつ地域農業の担い手をどう確保するかである。農地制度は、そこに向かう地域の努力を阻害するものであってはならない。本書は農地制度と利用の変遷と現状を押さえた上で、各地で地域農業の維持と再生に向けて実際に行われている多様な取組を紹介しつつ農地利用、保全・管理のありようを展望 [本を詳しく見る] |
![]() | 『進化する集落営農』楠本雅弘 著 「集落営農」とは、農業経営や地域社会がかかえる問題を解決し、人びとがはりあいをもって働き、活き活きと住み続けることができるよう地域住民が話しあい、知恵を出しあう協同活動である。必要に応じて自発的に組織されるので、本来多種多様な組織形態と活動実態をもっている。国の構造政策に対応するのが本旨ではないのである。多様な集落営農は試行錯誤と経験を積み重ねて柔軟に進化し、「地域の再生・活性化」と「効率的農業生産」とを両立する「地域営農システム」としての大きな可能性を備えるに至った農地・労働力・資本・情報の新しい結合体である。農村経済更生運動以来の歴史、政策の流れも整理しながら、全国各地の、農協も含めた具体的な実践事例を紹介、その意味と未来を論じる。 [本を詳しく見る] |
目次
◆国を売り飛ばす"決められる政治"にストップを
◆発効後、早くも露わになった「米韓FTA」の危険性
◆韓米FTAは社会をゆがめた「IMF事態」の制度化
◆投機資本も規制できない
◆公共より外国資本を優先、農協、協同組合も窮地に
◆次世代に、こんな世の中を渡してはならない
国を売り飛ばす"決められる政治"にストップを
広がる反対の声には耳をふさぎ、福島原発事故を「人災」と断定した国会事故調査委員会の発表も待たずに、早々と大飯原発の再稼働を決定した野田内閣は、「輸出型大企業への膨大な消費税還付金(輸出戻し税)」(7月号「主張」参照)などの不公平税制や社会保障のあり方も不問にしたまま、衆議院で消費増税法案を通過させた。結論ありき、世論無視の野田流「決められる政治」、こんな調子で「次はTPPだ」と突き進む恐れが強まっている。
農文協ブックレット『よくわかるTPP48のまちがい』の著者であり、DVD『知ってますか? TPPの大まちがい』に登場いただいた鈴木宣弘氏(東京大学教授)が、TPPをめぐる状況について、以下のように述べている。
「消費税、原発の問題がクローズアップされ、環太平洋連携協定(TPP)問題は動いていないかのように表面的に見えたのは間違いである。実務レベルでは、水面下で、米国の要求する『入場料』ないし『頭金』支払いの交渉は着々と進んでいる。(略)実は、最も警戒すべきは、8月や9月でなくとも、いつ何時にも日本の正式参加が決まってしまう危険があるということである。日本はすでに2011年11月に参加の意思表示をしているのだから、日本が再度『決意表明』しなくても、米国が『頭金』を払ったと認めたら、日本の決意は示されたということで、明日にでも、米国が『日本の正式参加を認める』とアナウンスして、すべてが決してしまうかもしれないのである」
「反原発のデモも10万人を超える大きなうねりになってきた。TPPについても、国の将来に禍根を残さないように、早急に大きなうねりをつくり、一部の官僚、政治家、マスコミ、企業、研究者が国民を騙して、国を売り飛ばすような行為をストップさせなくてはならない」(「日本農業新聞」7月12日付)
TPP参加は「国を売り飛ばすような行為」だと鈴木氏。しかしそれが決して大げさな表現でないことを、お隣韓国の「米韓FTA」が教えてくれる。日本の政府がTPPに前のめりになるきっかけにもなり、財界がうらやましがる「米韓FTA」だが、その屈辱的な中身がTPPの危険性、その本質を浮かび上がらせてくれる。
発効後、早くも露わになった「米韓FTA」の危険性
農文協では、ブックレット『恐怖の契約 米韓FTA TPPで日本もこうなる』を発行した。韓国の弁護士・宋基昊(ソン・キホ)氏の著作の日本語版である。「米韓FTAと韓国を、他山の石としてみてほしい」と題する「日本語版への序文」では、FTA発効後の状況にふれている。
「韓米FTAは2012年3月15日に発効した。しかし、5月の米国への輸出量はむしろ減った。反面、米国産オレンジが都市の商店で韓国産果物を追い出している。また5月には、ローンスターという米国企業が損害を被ったとして、韓国政府を国際仲裁に回付するという意向書を韓国政府に送ってきた。このことは、いかに投資者国家訴訟制度(ISD)が危険かということを知らせてくれた。このような客観的な状況の下で、韓国では韓米FTA反対運動が継続的に進められている」
ISDとは、韓国に投資したアメリカの投資家や企業が、韓国の政策によって損害を被った場合、あるいは被る恐れがある場合、世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに回付(提訴)できるというものだ。韓国内の裁判で争うことはできず、アメリカの強い影響下にある機関の裁定に従うしかない。仲裁に応じない場合は貿易報復、あるいは現金で弁償する条項が米韓FTAに盛り込まれている。
米韓FTAもTPPも単なる「自由貿易協定」ではない。もちろん関税撤廃は柱の一つで、TPPでは全ての農産物の関税撤廃が原則であり、米韓FTAでもコメ以外の農産物の関税は多少の猶予期間はあるものの全て撤廃される。さらに、ごま油、冷凍唐辛子、貯蔵処理イチゴ、唐辛子・ニンニク・玉ねぎの混合調味料、干し人参などの加工食品も最終的には全て廃止されるため、「農業と食品産業との連携による付加価値創造の道を塞ぎ」、「農業のように内需を基盤にし、内需で成長する産業を困らせるのが米韓FTAなのだ」。そして、食品の安全に関わるアメリカの要求の不当性を次のように批判している。
「韓国農業は数千年間、社会構成員の健康と生態系の保存という目的を成功裡に遂げてきた。このようなことは、アメリカの農業、例えば工場型畜産では見い出すことができない。工場型畜産は、アメリカの畜産業の競争力の源であると同時に最も脆弱な点でもある」
「アメリカでの狂牛病の発生は、子牛に牛の血と粉乳でつくった栄養剤を与え、動物の肉骨粉飼料を与える工場型畜産の所産であり」、「アメリカが米韓FTAであれほど執拗に、狂牛病検疫、家禽類インフルエンザ検疫、遺伝子組み換え農産物検疫などの制度的枠組みを骨抜きにしようとしているのも、このようなアメリカ農業の脆弱さという特性を反映している」。
食の安全の問題を、風土と暮らしに根ざした農業と、輸出目的の工業的生産の違いからとらえているのは、なかなか本質的だ。そのうえで、貿易問題を超えた米韓FTAの「恐怖」に迫る。それが本書の主題である。
韓米FTAは社会をゆがめた「IMF事態」の制度化
本書は4部構成で、第1部「『敗退する国家』の自画像」は「IMF事態」の記述から始まる。
1997年、韓国が通貨危機に陥ったとき、IMF(国際通貨基金)は支援の条件として、大量解雇などの過酷な措置を要求した。これを韓国では「IMF事態」と呼び、その時の状況を宋氏はこう書いている。
「1997年危機が発生したとき、私は職場の銀行を離れ、司法試験の勉強をしている真っ最中でした。そして多くの銀行員が、生涯の仕事場と思っていた職場から解雇されるのを見ました。家庭が崩壊させられた、という噂も聞きました。数多くのホームレスも見ました。それから"リストラ""名誉退職"などの言葉が社会に定着し、また"非正規雇用"が日常用語になりました」
IМFの管理下のもと、暴落した韓国企業の株を外国人株主が買い占め、財閥の解体・再編による少数大企業の創出(寡占化)が進められ、輸出競争力の強化にむけてウォン安、賃金抑制、非正規雇用の拡大、法人税減税が進められ、国のかたちがすっかり変わることになった。
貿易依存度(国内総生産・GDPに対する輸出入額の比率)は高まり98%にまでなった(日本は27%、2011年)。株式の外国資本保有率も上昇し、サムスン電子54%、現代自動車、ポスコも50%弱。銀行株も国民銀行86%、ハナ銀行72%。韓国証券取引所上場10大企業の売り上げが韓国全上場企業の52%を占め、そのほとんどが大手輸出企業で、その株主の半分前後が外国人である。国際競争力強化のために賃金は抑制され、インフレも相まって実質賃金は低下、調査方法にもよるが潜在失業率は20%を超えるとされ(「東亜日報」2011、10月27日付)、ニートとよばれる若者は日本を上回る100万人(韓国労働研究院2012)、自殺率はОECD加盟国で一番高い。
国内産業と労働者、農家を苦しめながら輸出大企業が利益を上げ、そして株主への配当を最大化する。そんな株主資本主義が跋扈し、金融資本に翻弄される国に韓国は変質させられたのである。
「IMF事態は強い精神的ショックを与えました。それから10年、今日の韓国では個人の資産、ありていにいえば"なんでもカネ"があらゆる社会的価値を圧倒する文化が形成されました」と宋氏。そして「それを法的に制度化したのが米韓FTA」なのである。
投機資本も規制できない
そもそも、なぜIMF事態に見舞われたのか。その引き金になった韓国の通貨危機は、外貨ドルの不足と密接なかかわりをもって発生したものだが、ここには「投機的なドルの動きがある」として、宋氏はこう指摘している。
「彼らはドルをウォンに替え、既存の韓国企業の株式を買い集め、経営権を握った後、会社を高い値段で売りさばき、得た利益はドルに替え、さっさと韓国から離れる。株価が上がりそうと判断すれば株を買い集める。あるいは買い集めて株価を上げる。利益を得るため、韓国企業の債券(社債)を買う。(略)
彼らは韓国経済が悪くなる兆しさえみえれば、誰よりも先にドルを引っこ抜いて立ち去ろうとする。もしも彼らがドルを回収するか償還を催促すれば経済状況はより悪化し、外貨不足の事態が発生する。この外貨不足のため、韓国はIMFからドルを借りることになった。そして韓国の通貨ウォンは価値が大幅に下落した。そのため、IMF事態または通貨危機と呼ばれるのだ」
こうした投機資金に対し、国家は最小限の安全装置として、その移動を適切に規制できなければならない。そのための国内法が韓国にもあるのだが、米韓FTAは一層、その発動を困難にする。「投機資本の送金も、原則として自由にできることを許可しなければならないし、このような送金保障待遇を提供しなければ、米韓FTA違反となり、国際仲裁部に回付される」のである。
米韓FTAでは投資と投機の区別はなく「投機性資本も投資に含まれる」。投機を含む外国からの投資、アメリカを拠点とする国際金融資本が、韓国という国家の制約を受けずに自由に振る舞え、韓国国内の制度や条例、規制によって外国投資者が不利益をこうむることがないようにするのが、米韓FTAの本質なのである。
公共より外国資本を優先、農協、協同組合も窮地に
本書の指摘を、いくつか列記しよう。
▼多くの自治体が条例によって給食費の一部を支援し、学校給食での国産農産物の使用は個々の学校の裁量に任されている。しかし、学校給食条例で地元産農産物を優先的に使用することを定めるのは米韓FTA違反となる。米国人投資者が農産物流通業や給食市場に参入した場合、自治体が韓国産農産物優先の方針に従って対応すると国際仲裁に提訴されることになる。
▼国民健康保険制度の枠外で営業する営利病院を保障し、アメリカの保険会社の利益を保護する。また、アメリカの製薬会社の特許権を過度に保護し、公共医療サービスの薬価負担を高くする。より低価格でより効果のある薬を国民健康保険の対象にするという国家の任務、権限に対し、アメリカの製薬会社は異議を申し立てることができる。
▼国家が投資者の参入許可を決定するのではなく、投資者が事実上参入権をもつ。外資系大型ディスカウントストアが地方の中小都市に進出しようとする際、その許可段階で地方の中小業者に配慮した措置をとることは不可能。
▼韓国の郵便局は新しい保険サービスを提供できない。また、郵便局が、(外資系)民間保険会社のサービスよりも優れたサービスを提供することもできない。
▼保険(共済)事業を行なう農業協同組合、水産業協同組合、信用協同組合のような分野別協同組合に、民間保険会社より競争上有利になるような利点を与えてはならない。しかも、何が有利で何が同等かの議論に韓国の郵便局や協同組合は入れず、事実上アメリカに判断権がある。
ここには、農村の保険(共済)市場に参入したいという外資系保険会社の強い思惑が働いている。韓国では昨年、経済事業(購買、販売事業など)と信用事業を分離する「改正農協法」が成立し、農協は経済事業の合理化と信用事業における国際競争力の強化に生き残りを賭けざるをえない状況に追い込まれている。それは農協の農家離れ、地域離れに拍車をかけることになろう。
ほかにもさまざまな問題があるが、なかでも重大なのは、本書の第4部のテーマである「間接収用」だ。
韓国には「都市の無秩序な拡散防止」を目的とする韓国式グリーンベルト制度があり、その背景には韓国憲法の"土地の公的財産概念"がある。しかし米韓FTAでは、所有者が国家の規制に対抗できる武器を手にすることになる。早い話、アメリカの資本がグリーンベルト内の土地を買い占めても国は収用できず、公共的見地から収用しようとすると国際仲裁に付され、法外な賠償金を支払わなければならなくなる恐れがある。その結果、どうなるか。
「韓国は世界でも指折りの人口密度の高い地域である。このような地域で土地財産権を保護することは、国民を土地所有者とそうでない人との争いに巻き込むことになる。米韓FTAの欲望はアメリカの地ではなく、韓国の地で爆発する。韓国人は、今でも、これ以上のない土地戦争を日常生活で繰り広げている。
間接収用の制度化は、土地財産権というパンドラの箱を開けてしまう行為である。土地に対する国家の規制を撤退させる命令である。少数の大規模土地所有者を"共同体の利益"に押さえつけられていた不満から解放させてやる"宣言書"なのだ。韓国はすでに少数の不動産所有者と多数の無所有者に分裂させられている。米韓FTAはその境界線を、国際法という高い壁でさらに強固にするだろう」
次世代に、こんな世の中を渡してはならない
国民全体の公共的見地から行なう国家による規制に正当性を与える最終的権威は、憲法にある。しかし、米韓FTAでは 国内法は排除される。公務員は、海外の投資家に対し、自分の業務が正当か否かを韓国の憲法や法令で判断できない。国際仲裁の場に委ねられ、そこでは韓国憲法と法令集は"持ち込み禁止品目"なのである。
かくして、宋氏は、こんな皮肉を述べている。
「公務員の皆さんは投資者の請願を処理するとき、格段の注意を払ってほしい。彼らの欲望を可能な限り最大限満たしてあげていただきたい。『外国人投資者を差別しなければいいのだろう』と、漠然と思わないように。(略)
そして、その基準が何かを国家に聞かないでほしい。なぜならば、皆さんの国もその基準がわからないし、自分で定められないからである。外国人投資者に韓国国内法を絶対突きつけないでいただきたい」
憲法が禁じられる米韓FTA、その恐怖はTPPにも共通する。4月号の主張「TPP=投資立国化路線の危険な選択」で述べたように、TPPは、かたや国内市場開放による農産物価格の下落により、かたや投資立国化路線=他国への市場、資本進出による国内産業の空洞化と雇用減によって、農家、農村、地域を苦しめ、国のかたちを変質させる。「米韓FTAと韓国を、他山の石としてみてほしい」という宋氏の願いをしっかり受け止めたいと思う。
*
宋氏の「あとがき」をもってしめくくりたい。
「…もしも、私が決められることならば、米韓FTAを子どもたちの手に渡したくありません。それは地域の人びとと手を取り合い、愚直に働き、私たちを育んでくれた母親たちに対する背信行為です。母親たちは、あの人たちのように他人の命と土地を奪い、まるで自分のもののように言い張り、囲いをして守る、そんな人生を歩みませんでした。自分の"財産"と"自由"がこの世で何よりも尊いもの、と思っていませんでした。(略)
すでに余るほど多くの物をもっている者が、貧しい人びとの拠り所や生活の根拠まで明け渡せという、そんな世界で私たちの子どもが幸せに暮らせるとは思いません。たぶん、私たちの母親もそう思っているでしょう。なぜならばあの方々は、体がどこにあろうが、いつも私たちを本当に愛しているからです」
(農文協論説委員会)
●農文協ではこの『恐怖の契約 米韓FTA』と同時に、『壊国の契約 NAFTA下メキシコの苦悩と抵抗』を発行した。アメリカ産輸入コーンの席巻、遺伝子組み換えコーンによる在来種の危機、アメリカへの出稼ぎやビザなし移民の急増など、「北米自由貿易協定」下のメキシコで何が起こっているのかをリアルに描いている。「メキシコの食と農業の状況は、TPP―グローバル化の渦の中に国土と国民をまるごと投げ込もうとしている私たち日本の国の近未来の姿を先取りしたもののように思えてなりません」(里見実・「訳者あとがき」より)
![]() | この記事の掲載号 『現代農業 2012年9月号』特集:塩VS糖 |
![]() | 『恐怖の契約 米韓FTA』宗基昊 著 「屈辱の協定」と沸き起こる大反対運動。米韓FTAの危険な実態を、貿易、非関税障壁、投資、健康保険、土地問題、学校給食、農業、公共分野など様々な角度からわかりやすく解説。TPP参加への警鐘を鳴らす。 [本を詳しく見る] |
![]() | 『壊国の契約』エリザベス・フィッティング 著 米国産輸入コーンの席巻、遺伝子組み換えコーンとの交雑種の出現、アメリカへの出稼ぎ、移民の急増など、北米自由貿易協定がメキシコにもたらした災危。自由貿易推進論者のまやかしを突く。 [本を詳しく見る] |
目次
◆TPP農政として立案された「人・農地プラン」
◆JAは支店を核に「次世代へつなぐ協同」を実践
◆「次世代へつなぐ協同」は「強い経済」の対抗概念
◆農協はムラの組織原理を根底にもつ二階建て組織である
◆グローバル化時代の〈世界標準〉からの脱却
◆「家とムラ」の存続のための「地域営農ビジョン」を
TPP農政として立案された「人・農地プラン」
「人・農地プラン」は、政府の「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画」(平成23年10月25日決定)を地域で実際に進めるための施策である。その基本方針・行動計画の「はじめに」で、その目的とするところを次のように述べている。
「我が国の食と農林漁業は、所得の減少、担い手不足の深刻化や高齢化といった厳しい状況に直面している。農山漁村も活力が低下しており、食と農林漁業の競争力・体質強化は待ったなしの課題である。同時に、我が国の貿易・投資環境が他国に劣後してしまうと、将来の雇用機会が喪失してしまうおそれがある。こうした認識に立って、食と農林漁業の再生会議は、『包括的経済連携に関する基本方針』(平成22年11月9日閣議決定)にあるとおり、『高いレベルの経済連携の推進と我が国の食料自給率の向上や国内農業・農村の振興とを両立させ、持続可能な力強い農業を育てるための対策を講じる』ことを目的として、これまで精力的に議論を積み重ねてきた」
ここで確認しておきたいことの一つは、「包括的経済連携に関する基本方針」が政府・財界・マスコミが至上命題とする「新成長戦略」、つまり「強い経済」の実現を目的としていることである。その意味で「人・農地プラン」はTPPや消費増税、原発再稼働と同根のものであり、そのどれもが「強い経済」を渇望する輸出大企業にとって欠かすことができないものなのである。
そしてもう一つ押さえておきたいことは、「人・農地プラン」の施策を通じて、集落や地域ごとに、話し合いによって担い手(中心となる経営体)を定め、そこに過半の農地が集積するように集落全体で協力することで、その担い手が実質的な規模拡大を図り、平地で20~30ha、中山間地で10~20haの規模の経営体が大宗を占める構造をめざしていることである。
戦後農業を支えてきた昭和一桁世代から次世代への大世代交代期を最後のチャンスとばかりに、半世紀にわたる失敗続きの「構造改革」についての反省もなく実施に移される究極の構造改革=「人・農地プラン」。だがこれによって、持続可能な「力強い農業」が実現できるのか。そもそも、競争力の強化などが問題ではなく、持続可能な「農家経営と地域社会」の再生こそが課題ではないのか。
事柄は単純に農業だけの問題ではなく、農家と農協など地域社会の存亡をかけた課題である。事柄が深刻であればあるほど、農家・農村の現場で「家」と「ムラ」の存続の原理に学び、日本と世界の農業・農村数百年、数千年の歴史に学ぶほかあるまい。
ここに、その「問い」と真摯に向き合う好著がある。農政が最大の課題としてきた構造改革路線が何故実現されなかったのか、また、それを阻んだ日本の農業・集落の個性とは何かを近現代史の中に求めた「名著に学ぶ地域の個性」のシリーズ5『〈歴史と社会〉日本農業の発展論理』(野田公夫著)である。それを参考にしながら上記の問いを考えてみたい。
JAは支店を核に「次世代へつなぐ協同」を実践
組合員と地域の課題に向き合う事業・運動を
JAグループは、昨年5月「東日本大震災の教訓をふまえた農業復権に向けたJAグループの提言」を発表した。それは第25回JA全国大会に掲げた「農業の復権」と「地域の再生」に向けた「新たな協同」の創造をより具体化させるもので、これを受けて、今年10月に開催される第26回JA全国大会の議案書・組織協議案では「次世代へつなぐ協同」を掲げている。全正組合員の42%、185万人を占める昭和10年代生まれまでの第1世代のリタイアが迫っているなかで、昭和20年代以降の第2・第3世代が中心になって地域住民をも結集し、地域とJAの新しい姿を作り上げていくという趣旨である。
この大会議案書では、JAグループの10年後のあるべき姿を実現するための3つの戦略を掲げている。第1の戦略「地域農業戦略」の柱は、集落で徹底的に話し合って組合員農家の営農の向上と地域農業・農地の継承を図る「地域営農ビジョン」の策定と実践。第2の戦略「地域暮らし戦略」は、「JA支店を拠点としたJA地域暮らし戦略の実践」が柱で、JAが総合事業を通じた地域のライフラインの一翼を担うかたちで、豊かで暮らしやすい地域社会の実現をめざす。そして第3の戦略「経営基盤戦略」では、JA経営改革のめざす方向として、(一)リストラ型経営から事業基盤強化・組合員の利用度伸張型経営への展開、(二)食と農・暮らしを基軸とした第2世代・準組合員・地域住民へのアプローチによる「協同」の拡大、(三)総合力を発揮する経営態勢の確立と役職員の意識・行動改革による協同の実践の3つを掲げた。
第26回協議案の最大の特徴は、この間の広域合併と支所統廃合というリストラ型経営に終止符をうち、JA支店を核に組合員と地域の課題に向き合う事業・運動の展開に軸足を移すことにある。農家経営や地域資源、集落の歴史など、集落や旧村ごとに異なる農家の生産・生活基盤に立脚した「地域営農ビジョン」づくりとその実践は、JA支店を核として進めなければならない。そうすることによってはじめて農家・集落主体のビジョン策定運動への展開とJAの新しい事業基盤確立とが可能になるからである。
「次世代へつなぐ協同」は「強い経済」の対抗概念
「自由と民主主義」の理念に基づき協同組合精神の実践組織をめざして1947年にスタートした新生農協は、戦時統制下で、農業会が完成させた事業における「総合主義」(各種の事業を兼営する)、同種の事業を行う組合への二重加入を禁止する「属地主義」「網羅主義」を引き継いだ。日本の農協は、移転不可能な農家と農地・自然、ムラに依拠する、世界でも稀な組織として誕生したのである。
JAグループがテーマに定めた「次世代へつなぐ協同」は、もともと農家の「家」としての家族周期(ライフサイクル)、それに伴う経営の伸縮を調整するムラの補完機能を基礎にしている。そうした有史以来連綿と続いてきた世代継承サイクルの断絶が問題になってきたのは、本質的には、戦後高度経済成長期以降の西欧的な近代化・都市化、経済のグローバル化等によって、農家の生産と暮らしの日常文化が変質させられたことによるものである。したがって、「次世代へつなぐ協同」のためにはポスト近代の新しい農家経営と地域経済の創出がなければならない。
現代は、世界市場を掌中に収めようとする「世界企業」と農林漁家・農村地域との敵対的矛盾が地域のすみずみまで入り込み、一方で、それが世界化する時代である。そういう意味で、「次世代へつなぐ協同」の実践は「強い経済」の対抗概念としてとらえる必要があるし、それ相応の覚悟が求められることなのである。
『〈歴史と社会〉日本農業の発展論理』の「はじめに」で野田氏は次のように述べている。
「現代世界すなわちグローバル化世界においては、『可動性』こそが『新しいヒエラルヒー』であり『もっとも強力で、もっとも熱望される要素』であるというバウマンの卓抜な指摘がある。『可動性』(移動する自由)とは自らの利益を最大化できる地球上の場を自在に選びとる力のことである。世界市場を掌中に収めた『世界企業』と世界を舞台に活躍できる『世界的個人』(世界エリート)こそが、かかる『空間の戦争の勝利』者である。グローバル化は、これらの少数者に破格の富を集中させる一方、『移動する自由』を大幅に制約された圧倒的多数の人々を放置し、エンドレスな貧困化に陥れていく。そして、『移動する自由』をもたない最たるものが『大地のうえに営まれる小規模農業』であることは言うを待たない。
さらに東日本大震災・福島原発事故は、この『理不尽な対比』を極限的に否応なく明るみに出した」
JAは、言うまでもなく、この「移動する自由」をもたない「小規模農業」を生業にもつ農家の組織である。戦後の日本農業を背負ってきた戦前の第1世代の生涯現役を支えながら、彼らが拓いてきた直売農業、小力農業技術、そして地域資源活用の知恵(農家が創る日常文化の現代的再生)に学び、団塊を中心とする第2世代・青壮年の第3世代に引き継いでいく役割がJAの最重要な課題になったということである。JAがこれを担う意味は大変大きい。
農協はムラの組織原理を根底にもつ二階建て組織である
大正期「農家小組合」運動に学ぶ
本誌2012年8月号の主張「『人・農地プラン』を農家減らしのプランにしない」では、『季刊地域』10号の取材の中で、人・担い手と農地の問題に格闘してこられた方々の考え方を聞く機会を得、その代表的な事例を掲載した。島根県・農事組合法人おくがの村代表・糸賀盛人さん、山口県・農事組合法人うもれ木の郷事務局長・田中敏雄さん、宮城県・農事組合法人KAMIX代表・近田俊樹さんである。3人ともに、農村集落全体の暮らしが立ち行くように、そこに住み続けられるように、むらと地域を守るための組織を考え実践してきた。JAが掲げる「個々の農家の及ばない部分を補い、地域内外の多様な諸団体と連携する新たな協同の実践」でもある。
ここで『〈歴史と社会〉日本農業の発展論理』の第3章「社会の規定性」を参照したい。そこには大正期農家小組合の歴史的性格とそれの新生農協への編入の経過が詳述されている。その概要は以下のようだ。
近現代日本において農業・農村現場が最も自己主張しえた大正時代、つまり、国家が前面化する「1940年体制」(戦時総力戦体制)以前は、国・社会・文明のあり方を問う多様な農村社会運動が巻き起こり、それらを農村振興へと結実させる努力が重ねられた時代であった。代表的には小作争議と農家小組合の運動で、農会が特に熱心にすすめていた農家小組合は、ほぼ流通過程の共同に特化した産業組合とは異なり「生産過程の共同」(生産創造)にとりくんだという点で注目すべき組織であった。市場対応を課題とした機能集団としての性格を帯びているという点では明治期の小組合と異なり、また自治的性格を確保しているという点では昭和期の小組合=実行組合とも異なっている。従来の「農事の改良」の機能に加えて「農業経営の改善」と「農家経済の向上」などに重点が置かれ、共同の力で農家経営の内延的拡大(現代の六次産業化)をめざしたものなのである。
その農家小組合の事業内容を見ると、共同作業などの労力調整、共同精米・精麦、品種改良、共同購入、耕地・水利改善、共同販売、農林産加工、養畜・養蚕、山林・竹林、福利増進など12事業にわたる協同活動が組織され、何らかの事業に取り組む農家小組合は滋賀県では1930年のはじめにはほぼ農業集落数に達するほどであった。
この農家小組合は、府県農会のリーダーシップに基づいて組織されたものではあるが、基本的にはムラの結合力に立脚しムラを単位とした農業組織化の動きであった。国の法律による強制力をもたず、戦時統制に入る前の「自主性」をもち得た時代のムラづくり運動ということができる。
この運動は鹿児島県農会が1896年(明治29年)に奨励策をとったのをさきがけとし、大正期までに44府県で進められ、農家小組合数は、近世藩政村の6万3000を超える約8万組合に及んだ。
その後、昭和恐慌期には農山漁村経済更生運動の実動部隊として動員されることになり、さらに1932年の産業組合法の改正によって、農家小組合は法人化されて農事実行組合となり、まるごと産業組合に編入されることになった。しかしそこでは農家小組合の自治的性格が強く生き続け、その結果「ムラと結合した協同組合」という、西欧とは違った「日本的協同組合」が形づくられることになった。
この農家小組合を源とする自主的なムラづくり運動こそ、「地域営農ビジョン」が受け継ぎ、手本とすべきものではないだろうか。
グローバル化時代の〈世界標準〉からの脱却
先に挙げた「JAグループの提言」の「提言の概要」では「(1)わが国がめざす持続的発展が可能な農業のあり方」を次のように描いている。
「わが国は、国土面積が狭く中山間地域が多いことから、米国など大陸型農業のように数百・数千ha規模の大規模経営は不可能である。わが国が目指すべき持続的発展が可能な農業とは、規模拡大や価格競争力のみを追求することではなく、各地域の集落や農地の実態に応じて、資源を最大限に活用する形態の農業を持続的に発展させていくことである。そして安心・安全な国産農産物に対する消費者・国民の信頼関係のうえに、農業・農村の価値観を共有することである」
これに対し、「(2)集落ごとの『担い手経営体』を中心とした水田農業の将来像のあり方」の項では「人・農地プラン」と同じ担い手像が描かれ、(1)項と両論併記のようになっている。しかしこれには、疑問を呈せざるをえない。上掲書の第1章「現代農業革命と世界農業類型」のなかで野田氏は概要、次のように述べている。
農業構造改革とは、多数の零細経営を淘汰し一部の大規模経営に置き換えること、創出された少数の経営体に政策的支援を集中しこれらの企業的経営体に産業としての農業をゆだねることである。二十世紀最後の四半世紀においてヨーロッパ(西欧旧開地)は食糧輸入地域から米豪(西欧新開地)に次ぐ巨大輸出地域へと復活した。その大転換をもたらしたものが、18世紀輪栽式農法による近代農業革命の成果のうえに、機械化・化学化(脱自然・工業化)を徹底させた農業構造改革(現代農業革命)であり、それが〈世界標準〉となって農業をめぐる世界政治を一新することになった。
その西欧型構造改革(現代農業革命)への適応力から世界農業をみると次の4つに区分できる。第I類型は「構造改革不要地域=西欧新開地型農業」、第II類型は「構造改革達成地域=西欧旧開地型農業」、第III類型は「構造改革不能地域=アジア地域型農業」、第IV類型は「構造改革未然地域=アフリカ地域型農業」である。
先住民を追い出し広大な耕地で新大陸型農業を展開してきたアメリカやオーストラリア(第I類型)、小農を早くから淘汰し、畜産、畑作を軸に規模拡大・企業的農業を進めた西欧(第II類型)に対し、日本そしてアジアは「構造改革不能地域」であり、それを認識しようとしない"思考停止"にこそ、1960年以降半世紀にわたる構造改革の試みが失敗してきた根本原因がある、ということだ。
構造改革「不能」とは、グローバル化時代に流布されている安直かつ傲慢な〈世界標準〉を正当に拒否するための宣言であり、先にみた「JAグループの提言」の(1)もその表明である。当然、提言(2)の「担い手経営体」もTPP推進派の「強い農業」論とは根本的に違ったものになるべきであろう。
「家とムラ」の存続のための「地域営農ビジョン」を
人と農地の問題は農政課題である前に、農家・家と農村・ムラの問題である。日本の「家」と「ムラ」がどのように成立しどんな特徴をもっているのか、そこから人と農地の問題を考えないと当事者不在のものになってしまう。
日本の伝統的な「家」や「ムラ」=共同体は、戦後西欧近代の理念的価値を基準に、「民主化」「近代化」の障害物として解体・克服の対象とみなされてきた。そしていま、「人・農地プラン」によって改めて問われていることは、日本の社会の基層にある「家」と「ムラ」=共同体を、グローバル化によってさらに徹底して解体する方向に未来を展望するのか、逆に、「家」と「ムラ」の復権、現代的に地域を再生する方向に新しい社会・経済を展望するのかの選択である。農家と農村に立脚するJAの「あらたな協同」「次世代へつなぐ協同」は後者でなければならない。
日本の伝統的な「家」と「ムラ」、家族経営(家族と家産)と村落共同体(コミュニティと地域資源)に深く刻まれたDNA・原理を復権させ、新しく現代的によみがえらせることこそが、JAグループの「地域営農ビジョン」策定運動でなければならない。
(農文協論説委員会)
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目次
◆電気を自分で生み出す楽しみ
◆電気は「遠くからやってくるもの」か
◆固定価格買取制度は誰のために
◆地エネにぴったり、小水力発電
◆地域のおカネが回っていくしくみを
◆農家が「エネルギーの主」となることから
7月1日に固定価格買取制度がスタートし、再生可能エネルギーによる発電が俄然脚光を浴びている。メガソーラーや洋上風力発電など、大規模な再エネ発電事業に大手企業が目の色を変えて参入している。固定価格買取制度では、太陽光発電なら42円(1kWh当たり)、風力なら23.1円といった高単価で電力会社が電気を買い取ることが義務づけられており、しかもその価格は一度契約すれば10年とか20年といった決まった期間保証される。企業にとっては確実に投資を回収し、収益を上げることが見込める「おいしい事業」だ。血眼になるのは無理もない。
そうした大企業の派手な動きの一方で、この制度を機に各地の農家や地域の団体がコツコツと再エネ発電をはじめている。「農地・水・環境向上対策事業」を担ってきた集落の任意組織や土地改良区が農業用水路を使って小水力発電をはじめたり、田んぼの法面にパネルを並べて太陽光発電をしたり……。
本誌の兄弟誌である『季刊地域』11号はこうした地域(地元)のエネルギー=「地エネ」の動きに注目し、特集を組んだ。そこには、大企業の再エネ発電とはちがって、電気を売ることはもちろんだが、「自分たちが使う電気(エネルギー)は自分たちでなんとかしたい」という農家ならではの発想がある。
電気を自分で生み出す楽しみ
岐阜県中津川市付知町に住む口田哲郎さん(78歳)は自分の家で小水力発電をはじめて、かれこれ10年以上になる。会社を退職した2001年に親戚の倉庫に眠っていた小さな水車をもらってきて増速機やバッテリー、インバーターを接続、屋敷内を流れる水路に据えつけ、20Wの電灯をともすのに成功したのがそのはじまりだ。
もう少し本格的な水力発電をやってみたいと思っていたところ、本誌2002年3月号、4月号に石田正さんの「小型小水力発電入門」という記事が掲載された(注)。さっそく連絡をとり、協力を快諾した石田さんと二人三脚で「口田水力発電所」の建設がはじまった。愛知県在住の石田さんは電気の保守管理が本業で、そのかたわら小水力発電を各地に普及するために発電施設の製作実験を精力的にすすめてきた人だ。一方、下水道工事を仕事にしていた口田さんは土木工事はお手のもので、農業用水路から発電用に取水するタンクや発電機を据えつける建屋の敷地をユンボで整地したり、岩を砕いたり、タンクと建屋をつなぐ水圧管(塩ビ管)を据えつけたりといったことはすべて自分でこなした。2002年12月には早くも水力発電機1号機が稼働。落差は15m、塩ビ管の総延長は70mにもなった。現在は、石田さんが改良を重ねた発電機が2機稼働していて、出力は合わせて600Wくらい。建屋には太陽光発電用のパワーコンディショナーを備えつけて、2機が発電した電力を直流から家庭用の交流の電力に変換し、品質を調整している。
口田さんはさらに2005年に5kWの太陽光パネルも自宅の屋根に設置。こちらは家庭用で消費して余った電気を中部電力に売っている。ついでに、水力発電の電気も余った分を買い取ってもらおうと思ったのだが、いまのところそれは認められていない。だから「口田水力発電所」で起こす電気はすべて自家消費用として使われている。
わざわざパワコンまで設置して水力発電の電気の品質を調整しているのに、その電気を電力会社に買ってもらえないというのは傍目には不本意な状態だとも思うが、口田さんはさほど意に介していない。口田さんの家では観光ブルーベリー園を経営しており、3台あるストッカーや観光客のためのトイレなどを含めて、電気の使用量が多い。家族も高校生、中学生の孫3人を含む7人の大家族だ。こうした電気のかなりの部分を水力・太陽光発電でまかなって節約しているうえに、太陽光発電の余った電力を月2万円程度売っている。消費分を差し引いても月6000円程度のプラスになる。
そして、なにより「発電所」は口田さんに毎日の張り合いをもたらしている。毎朝農業用水からの取水口にごみがたまっていないか見回り、発電機が調子よく動いているか、その音に耳を澄ます。保守管理を怠らないだけでなく、「取水タンクの防塵装置をどう改良しようか」といった工夫を重ねるのが、楽しいのだという。
電気をつくるのは、同じ「つくる」といっても農家が米や野菜、漬物や味噌などをつくるのとはわけがちがうかもしれない。しかし、ちょっとした気象の変化や川の増水、川を流れてくるものの変化に気を配り、自然にいつも問いかけているという意味では、水力発電も日々の農家の営みに通じるものがあるのではないだろうか。「地エネ」とは地域、地元のエネルギーであるとともに、農家の日常感覚の延長にある「地に足のついた発電」といえるかもしれない。
電気は「遠くからやってくるもの」か
いま、ほとんどの人にとって電気は、どこか遠いところで生み出され、勝手に流れてくるものになっている。電気との関係は月々届く「電気使用料のお知らせ」に印字された数字だけ。「電気を自分でどうにかできるなんてとんでもない」とすっかり思いこまされている。しかし、かつては、とくに農村では、そうではなかったのだ。
口田さんのむらでも戦前、戦中のころ集落に小さな水力発電所があり、当番の家が見回りに行くきまりになっていた。幼い口田さんも父親に連れられて、水車にごみがつまっていないか、提灯を下げて見に行った。口田さんが自力でミニ発電所をつくろうと思ったのも、その記憶が残っていて、家で使う電気は自分でまかなう――せっかく山の中に住んでいるのだからそんな暮らしをもう一度復活できないかと思ったからだという。
明治から大正にかけての電力の黎明期には農山村に小水力発電所がさかんにつくられたし、戦後も高度経済成長期の前半までは、大都市や工業地帯の大電力需要は別として、農村の小電力需要は地元で供給しようという動きがあった。1952年には議員立法によって「農山漁村電気導入促進法」が成立、通産省は売電方式による小水力発電の規制を緩和し、農林省は農林漁業金融公庫から元利均等償還25年の優遇措置で、農村に対し建設費の80%を貸しだすことになった。以降、1967年までに建設された小水力発電所は、全国約200カ所にのぼった。その半数が中国地方であり、建築ラッシュの中心となったのは各地の農協であった。しかしその後は、石油による大規模火力発電が電力事業の中心となり、小水力発電は下火になっていく(『季刊地域』7号「60年前から農協発電を支える水力発電メーカー・イームル工業」)。
とはいえ、現在でも中国地方では農協などが経営する70kWから600kWの小水力発電所が54機も動いている。
固定価格買取制度を機に、こうした地域に密着した発電の歴史にもっと学ぶべきではないか。
固定価格買取制度は誰のために
というのも、固定価格買取制度のメリットを大企業だけが享受しているようでは、たとえ電源の比率が火力・原子力から再エネに多少シフトしたとしても、電気を一部の企業が握るしくみそのものは変わらないからだ。
固定価格買取制度で対象となる電源は太陽光、風力、地熱、中小水力、バイオマスの5種類。買取価格(1kWh当たりの単価)と期間は国によって毎年見直されるが、契約時点の価格が適用され続ける。また、少なくともこの3年間は現状程度の高い価格が維持される見通しだ。どうせはじめるならいまのうち。ソフトバンクや丸紅など、これまでエネルギーと直接縁がなかった大企業がこぞって再エネ発電に乗り出したのは、そのためである。
再エネ発電に急速にシフトするために大企業の参入を促すことは必要なことではある。しかし、そもそも東京電力福島第一原子力発電所の事故の被害があれだけ拡大した根本原因のひとつは、大規模集中型のエネルギーシステムであり、電気を専門家まかせにしてきたことではなかったか。大企業だけに電源開発を頼っていたのでは、「電気はどこか遠くにあって、知らないうちに届けられるもの」という関係そのものは変わらない。
固定価格買取制度を大規模集中型エネルギーから地域分散型エネルギーへの転換のきっかけにしていくためには、地域の資源を集落や地域に密着した組織が生かして発電する「地エネ」がもっともっと伸びていかなければならない。
地エネにぴったり、小水力発電
そうした「地エネ」のなかで、どの地域にも可能性があって、もっと注目されていいのが小水力発電である。小水力発電は太陽光発電に比べてハードルが高い印象がある。たしかに太陽光発電ではすでに太陽光パネル、パワコンなど、メーカー製の汎用品が普及しており、それらの設備をセットで購入すれば、技術的にも手続き的にも系統連系(発電設備を電力会社の配電線に接続して運用すること)して余剰電力を売電するところまで、わりあいスムーズにすすめることができる。小水力発電の電力を売るのはそれほど簡単ではない。系統連系に際して、配電線につないだときのリスクを極力なくすという理由で、電力会社が発電者に対してさまざまな設備を求めるからだ。しかも太陽光発電や風力発電の設備に合わせて技術要件がつくられているため、小水力発電の専門家から見ると不合理な点も多いという。
では太陽光発電や風力発電にくらべて小水力発電が割に合わないかといえば、そんなことはけっしてない。晴天の日中以外は効率がぐんと落ちる太陽光発電や、風が吹かなければ電気が起きない風力発電の設備利用率は12%前後といわれる。これに対して小水力発電なら年間の水量の変化を加味しても65%程度の設備利用率を見込むことができる。年間の発電量に換算すると小水力発電は太陽光発電の約5倍。固定価格買取制度の単価を当てはめて70kW規模の発電所で試算すれば、太陽光発電の売電収入が年間約300万円に対して、小水力発電では約1400万円と、約4.6倍になる。小水力発電はたしかに最初はおカネがかかり、手続きも少々面倒だが、建てるところまでもっていけば断然有利なのだ。
豊富な水量と落差をもつ河川が流れ、各地に農業用水路がはりめぐらされた日本には、小水力発電所をつくる可能性がまだまだある。日本とドイツを比較すると、3万kW以上の大水力発電所は日本がドイツの4倍あるのに、1000kW以下の小水力発電所はドイツの約5000カ所に対して日本は約500カ所と10分の1しかない。可能性がありながら開発が進んでいないのが、日本の小水力発電なのだ。
地域のおカネが回っていくしくみを
集落単位で小水力発電をはじめるなら、最初から大きくやるよりも、まずは外灯や電気牧柵などの小規模な利用で試験してみて、農産物直売所や加工施設への電力供給(20kW程度)へ、さらに売電(50~70kW以上)へというような段階を踏んでいくといい。九州大学の島谷幸宏氏はこうした3段階のステップアップを提唱している。
そうなると問題は初期投資をどうするかだ。小水力発電の設備投資は1kW当たり150万円が目安といわれている。かりに50~70kWの小水力発電所をつくるとなると数千万円~1億円程度のおカネが必要だ。首長による公益性の担保、固定資産税の減免などの行政の支援を受けるとともに、市民ファンドの創設や信用金庫、第二地銀などの地域の金融機関との連携によって、できるだけ地元から資金を調達したい。金融機関の側から見ても、再エネ発電事業は単価が保証され、初期投資の回収の見込みがはっきりしているのだから、しっかりした事業計画さえあれば担保なしでも融資は可能であるはずだ。そうすれば、発電事業で得られた売電収入は地域にとどまり、さらに再投資されることで、地域経済の発展に寄与することができる。地域に密着した金融機関の代表であるJAにはぜひ、ひと肌脱いでほしいところだ。
『季刊地域』11号では京都大学の諸富徹氏が、みずからかかわっている長野県飯田市の例を紹介している。飯田市では市民出資による太陽光市民共同発電の仕組みを軌道に乗せ、中心市街地再生と熱供給、バイオマスエネルギーの地産地消、小水力発電の可能性についても調査研究をすすめているという。
固定価格買取制度では、電力会社にとって割高な価格を維持するためのおカネは、電気消費量に応じて月々の電気使用料金に加算する形で利用者から徴収される(「再生可能エネルギー発電促進賦課金」)。国民から広く浅くおカネを集める一方で、そこで得られる利益を広く地域に行きわたらせる仕組みは制度として担保されていない。資本力のない地域の個人や小さな組織が事業に参加でき、エネルギーとともに地域のおカネが地域内で回っていく仕組みを、自治体や、JAを含む地元金融機関に働きかけながら、自分たちでつくっていかなければならない。そういう動きはいま各地で起こっている。
農家が「エネルギーの主」となることから
ここまで小水力発電を例に見てきたが、農家が中心となる「地エネ」は小水力発電にかぎるものではないし、発電にかぎるわけでもない。電気を自分たちの手で生み出すことをきっかけに、動力や熱供給を含むエネルギー全体の地域自給を見直したい。
もともと日本の農家は水車を利用して粉をひき、用水路の水を田んぼに揚げ、山の木から薪や木炭を生み出し(木質バイオマス利用)、堆肥の熱で温床をこしらえていた(バイオ熱利用)。いまこそ、そういう「地エネ」の伝統を、現代の技術水準を取り入れて生かすときではないか。
ドイツでは畜産農家が家畜糞尿と飼料の残りでバイオガス発電を行ない、肥料や熱としても利用したり、林地残材をチップ化してボイラーで燃焼させたり、牧草地に市民風車を設置したりといったことが、いまさかんに行なわれている。2000年に固定価格買取制度が施行され、再エネ発電が伸びるとともに、電気や熱エネルギーの主権を再び地域が取り戻しつつあるというのだ(『季刊地域』7号のドイツ在住の池田憲昭氏のレポートによる)。その中心となっているのが、もともとドイツで「土地の主」と呼ばれ、最近では「エネルギーの主」とも呼ばれるようになった農家である。
日本の農家にも「エネルギーの主」となる資格は十分にある。まずは自分の家、むらのエネルギー資源を見直してみたい。
そこでは今のようすだけでなくかつての姿――古い発電所はなかったか、といったことも、大いに役立つ情報になる。ひょっとして、まだ使える導水路や水圧管だって残っているかもしれないのだ。
むらを流れる河川や用水路の、どの箇所に年中水が流れていて、どこに落差がとれるか、農家であればすぐにわかるはずだ。さらにむらの年寄りから、かつて水車がどこに設置されていたかを聞きとってみると、よい情報が得られるだろう。まずは、水や林地残材、オガクズ、モミガラ、家畜糞といった地域の資源を見直すことから、「エネルギーの主」への第一歩がはじまる。
それは相変わらず電気を「遠いもの」にしておき、自分たちの都合で原発再稼働を言いなりにできるといまだに信じている、巨大な電力会社から自由になる第一歩でもある。
(農文協論説委員会)
(注)このときの石田正さんの記事「小型小水力発電入門」は、『農家が教える自給エネルギー とことん活用読本』(農文協)に収録されている。
![]() | この記事の掲載号 『現代農業 2012年11月号』特集:無敵のマイハウス |
![]() | 『季刊地域11号 2012年秋号』農文協 編 特集:地エネ時代 農村力発電いよいよ 季刊地域ホームページ [本を詳しく見る] |
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![]() | 『農家が教える自給エネルギーとことん活用読本』農文協 編 3.11の大震災・原発事故以来,「節電」がアピールされて巨大かつ集中的管理の脆さが露見し,自然エネルギーに対する社会の態度は変わりつつある。しかし,大方の議論は国家的なエネルギー政策という観点から,「電力」を中心に再び新たな巨大インフラが話題に上る。しかし,そこからだけでは未来は拓けない。本書は,身の回りに眠っているエネルギーを暮らしに活かす,小さなエネルギー自給のさまざまな面を楽しく描き出す。人任せのエネルギー議論から一歩先に進むための,エネルギー自給実践の書。 [本を詳しく見る] |


















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