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あれれ?
戒田 郁夫(1958)「サー・ジェームズ・ステュアート : その人と時代背景を中心として」『關西大學經済論集』8(2-3):188
76頁
七六 ンは次の様に論駁する。すなわち、ステュアートの体系が精緻 であり、それに徹底的な批判を加えることの容易でないことを スミスはよく知っていた。 「事実、スミス自身、自己の体系を うちたてるにあたつてステュアートから多くのものを借りてい た。」それにも拘らず、スミスがステュアートを全く無視したの は、偏に彼の聖戦士としての立場からである。なぜなら、「聖戦 士なるものは、彼がいかに高潔の士であっても必らずしも攻 撃のために敵の最強の要塞を選ぶべきであるとか、敵からどの ような価値ある教訓を学んだかを認めるほど鷹揚でなければな らないと要求されることはない。」 しかし、この事は史家につい ては妥当しない。けだし、 「証拠を細心に取捨し、様々な主張 の相対的重要性、さらには相互に関係あるもののリアクション を公明正大に評価することが、史家、 とりわけ学説史家の義務 である」からである。 ところが、これまで大低の経済思想史家 アダム・スミスならびにその追従者たちの影響下にあったの で、長い間スミス以前にも合理的な経済思惟の存在したことを 豪も信じなかったし、また信じようともしなかった。「その 後、彼等がその問題に関する初期の著述家のあるものについて 重要性を認めたときでさえも、彼等は終始師のライバルを少し


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