2023年1月28日土曜日

サー・ジェームズ・ステュアート(1713ー1780)

 

 
 
研究猫とも
⁦‪@reiwanekotomo‬⁩
サー・ジェームズ・ステュアート(1713ー1780)
・スミスより9年早く経済学の大系書をまとめあげる
・有効需要の原理を唱え、セイの法則を置き論破
・貨幣数量説を批判
・税が貨幣の流通を促すと主張
・内国債は破綻しないと主張
・経済政策の必要性を唱える
・スミスに研究成果をパクられる pic.twitter.com/BCQ8qfkn7d
 
2023/01/28 10:46
 
 
https://twitter.com/reiwanekotomo/status/1619149978462715905?s=61&t=KoPQcqYenQHR4FE2Q8Ad8Q

あれれ?

戒田 郁夫(1958)「サー・ジェームズ・ステュアート : その人と時代背景を中心として」『關西大學經済論集』8(2-3):188

76頁


七六 ンは次の様に論駁する。すなわち、ステュアートの体系が精緻 であり、それに徹底的な批判を加えることの容易でないことを スミスはよく知っていた。 「事実、スミス自身、自己の体系を うちたてるにあたつてステュアートから多くのものを借りてい た。」それにも拘らず、スミスがステュアートを全く無視したの は、偏に彼の聖戦士としての立場からである。なぜなら、「聖戦 士なるものは、彼がいかに高潔の士であっても必らずしも攻 撃のために敵の最強の要塞を選ぶべきであるとか、敵からどの ような価値ある教訓を学んだかを認めるほど鷹揚でなければな らないと要求されることはない。」 しかし、この事は史家につい ては妥当しない。けだし、 「証拠を細心に取捨し、様々な主張 の相対的重要性、さらには相互に関係あるもののリアクション を公明正大に評価することが、史家、 とりわけ学説史家の義務 である」からである。 ところが、これまで大低の経済思想史家 アダム・スミスならびにその追従者たちの影響下にあったの で、長い間スミス以前にも合理的な経済思惟の存在したことを 豪も信じなかったし、また信じようともしなかった。「その 後、彼等がその問題に関する初期の著述家のあるものについて 重要性を認めたときでさえも、彼等は終始師のライバルを少し

0 件のコメント:

コメントを投稿