参考:
エチカ4:73
定理七三 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。
ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』より
http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_13.html
2022/07/18 ケルトン レンズ ピッチフォーク(鞭打ち棒)は来ない - ステファニー・ケルトン
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Union Sundown 和訳/歌詞 – ボブ・ディラン (Bob Dylan)
InfidelsUnion Sundown / アメリカの日没
Well, my shoes, they come from Singapore
My flashlight's from Taiwan
おれの靴はシンガポール製
懐中電灯は台湾製
My tablecloth's from Malaysia
My belt buckle's from the Amazon
テーブルクロスはマレーシア製
ベルトのバックルはアマゾン産
You know, this shirt I wear comes from the Philippines
And the car I drive is a Chevrolet
おれが着てるこのシャツはフィリピン製で
乗ってる車はシボレー
*シボレー=アメリカの自動車メーカー、ゼネラルモーターズ (GM) が製造・販売する自動車のブランド
It was put together down in Argentina
By a guy makin' thirty cents a day
アルゼンチンで組み立てられた
1日30セントの労働者によって
Well, it's sundown on the union
And what's made in the U.S.A.
さあアメリカの日没だ
メイドインUSA
Sure was a good idea
'Til greed got in the way
確かにいいアイデアだった
強欲が入り込むまでは
Well, this silk dress is from Hong Kong
And the pearls are from Japan
それでこのシルクのドレスは香港製
そして真珠は日本産
Well, the dog collar's from India
And the flower pot's from Pakistan
犬の首輪はインド製
植木鉢はパキスタン製
All the furniture, it says "Made in Brazil"
Where a woman, she slaved for sure
あらゆる家具に書いてあるのは「メイド・イン・ブラジル」
そこでは女が奴隷のようだろう
Bringin' home thirty cents a day to a family of twelve
You know, that's a lot of money to her
1日30セントを12人の家族のため持ち帰る
彼女には大金だ
Well, it's sundown on the union
And what's made in the U.S.A.
さあアメリカの日没だ
メイドインUSA
Sure was a good idea
'Til greed got in the way
確かにいいアイデアだった
強欲が入り込むまでは
Well, you know, lots of people complainin' that there is no work
I say, "Why you say that for
それで仕事がないってみんな愚痴をいう
おれはいう「なんでそんなことがいえる」
When nothin' you got is U.S.-made?"
They don't make nothin' here no more
「アメリカで作られたものは何もないのに」
ここではもう何も作られていないんだ
You know, capitalism is above the law
It say, "It don't count 'less it sells"
資本主義は法律をも上回る
その原理は「売れないものはゴミ」だ
When it costs too much to build it at home
You just build it cheaper someplace else
うちで作るとコストが高いだと
ならどっか安いとこで作ればいいってよ
Well, it's sundown on the union
And what's made in the U.S.A.
さあアメリカの日没だ
メイドインUSA
Sure was a good idea
'Til greed got in the way
確かにいいアイデアだった
強欲が入り込むまではな
Well the job that you used to have
They gave it to somebody down in El Salvador
きみがやっていた仕事はね
エルサルバドルの誰かに回ったよ
The unions are big business, friend
And they're goin' out like a dinosaur
「アメリカ」は「大企業」だ、友よ
そしてやつらは恐竜のように出かけてゆく
They used to grow food in Kansas
Now they want to grow it on the moon and eat it raw
昔はカンザス州で穀物を育ていたけど
今では月で栽培してそのまま食うらしい
I can see the day coming when even your home garden
Is gonna be against the law
おれには見えるよ
家庭菜園さえもが違法になるような
そんな日がやってくるのがね
Well, it's sundown on the union
And what's made in the U.S.A.
さあアメリカの日没だ
メイドインUSA
Sure was a good idea
'Til greed got in the way
確かにいいアイデアだった
強欲が入り込むまでは
Democracy don't rule the world
You'd better get that in your head
民主主義が世界を支配しているわけじゃない
よく頭に入れておいたほうがいい
This world is ruled by violence
But I guess that's better left unsaid
この世界を支配しているのは暴力
でもおおっぴらにはいわないほうがいいよ
From Broadway to the Milky Way
That's a lot of territory indeed
ブロードウェイからミルキーウェイまで
実に広大なテリトリーだ
And a man's gonna do what he has to do
When he's got a hungry mouth to feed
人間はできることはなんだってやるよ
腹を空かした口に餌を与えるためならな
Well, it's sundown on the union
And what's made in the U.S.A.
さあアメリカの日没だ
メイドインUSA
Sure was a good idea
'Til greed got in the way
確かにいいアイデアだった
強欲が入り込むまでは
参考:ボブ・ディラン全詩302篇
第10章 貿易の地政経済学
『関税問題』
マッキンダーは関税改革運動において主導的な役割を果たしたが、この関税改革運動に洗練された理論を提供したのが、イギリス歴史学派の泰斗ウィリアム・アシュリーである。
アシュリーは、一八六○年に帽子職人の子として生まれ、貧しい少年時代を過ごしたが、一八七八年にオックスフォード大学に入学した。そこで彼はイギリス法制史を学び、歴史的な制度の発展という視座を身に付けるとともに、トインビーの経済史学に強く感化された。ドイツにも短期間留学している。当時のドイツは歴史学派の隆盛期であったが、アシュリーがドイツ歴史学派、とりわけグスタフ・シュモラーの影響を受けたのは、主にオ…
『関税問題』
マッキンダーは関税改革運動において主導的な役割を果たしたが、この関税改革運動に洗練された理論を提供したのが、イギリス歴史学派の泰斗ウィリアム・アシュリーである。
アシュリーは、一八六○年に帽子職人の子として生まれ、貧しい少年時代を過ごしたが、一八七八年にオックスフォード大学に入学した。そこで彼はイギリス法制史を学び、歴史的な制度の発展という視座を身に付けるとともに、トインビーの経済史学に強く感化された。ドイツにも短期間留学している。当時のドイツは歴史学派の隆盛期であったが、アシュリーがドイツ歴史学派、とりわけグスタフ・シュモラーの影響を受けたのは、主にオックスフォード大学における歴史家としての訓練を通じてであった。
その後、アシュリーは、オックスフォード大学の講師の職を得たが、多くの労働者階級出身の学者と同様に、古い因習や偏見の少ない新大陸へと活路を見いだし、一八八八年にトロント大学政治経済学及び法制史教授として赴任した。次いで一八九三年には、ハーヴァード大学に招かれ、初代経済史教授に就任した。
その頃のアメリカは、世界で最も高い関税によって大規模な国内市場を保護し、そのおかげで規模と範囲の経済を存分に発揮した資本集約型産業が開花していた。また、アメリカの経済学界では、ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、イギリスの古典派経済学の伝統から離れて、歴史学や実践教育を重視しようという運動が起きていた。後にソースタイン・ヴェブレンやジョン・R・コモンズらによって展開された「制度経済学」の形成過程にあったのである。こうした中で、ハーヴァード大学に九年間在職したアシュリーは、経済史学と実践教育の発展に大きく貢献するとともに、彼自身もアメリカにおける目覚ましい産業の発展と実践教育の果たす大きな役割に深い感銘を受けたようである。バーナード・センメルは、このアメリカ滞在の経験がアシュリーを保護主義者そして経済ナショナリストへと向かわせたと述べている★1。
一九○一年、アシュリーは帰国し、バーミンガム大学に実践教育を目指して新たに設置された商学部の教授に着任した。そこでアシュリーは関税をテーマにした本の準備に着手したが、ちょうどその折の一九○三年三月、チェンバレンが関税改革運動を開始したのである。これに驚いたアシュリーは、直ぐにチェンバレンに宛てて、現在準備中の本の構想についての手紙を送った。チェンバレンもまた、それが自らの政治運動の理論武装となるものだと直観し、その完成を熱望している旨の返書を送った。アシュリーは本の完成を急いだ。
一九○三年八月、アルフレッド・マーシャルを含む一四人の主要な経済学者が、タイムズ紙に自由貿易を擁護する理論を発表しており、これに対抗して保護主義を擁護できる理論の登場が切望されていた。そうした中に投じられたのが、『関税問題』であったのである★2。
『関税問題』は小冊子でありながら、きわめて刺激的な理論的内容を含んでいた。
その冒頭においてアシュリーは、単に自由貿易に反対するというだけではなく、自由貿易政策を支える社会哲学そのものに根本的な批判を加える旨を宣言する。それは古典的自由主義、すなわち消極的自由と国家不介入を教条とする自由放任主義であり、個人主義、原子論(atomism)、世界市民主義(cosmopolitanism)である。
アシュリーは、労働者保護規制である工場法を例にとりつつ、政府規制や組織によって個人の自由を制限することの必要性を説く。「〝フリーダム〟や〝リバティ〟は、それ自体が、もはや説得力のある言葉にはならなくなっている。人々は漠然としてだが、個人的自由がしばしば害をもたらすものであり、それを制限する必要があると感じているのである★3。」
しかし、個人主義を批判し、個人的自由の制限を主張することは、社会主義を支持することを意味するものではないと、アシュリーは注意を促している。抽象理論的には、個人主義と対立する概念は社会主義であろうが、現実の世界においては、完全な個人主義と完全な社会主義との間には、無数のヴァリエーションが存在する。この両者の間で、どう折り合いをつけるかが大事なのであり、それは、政治家の実践的な手腕にかかっている。それと同様に、完全な自由貿易を批判するからと言って、それが、あらゆる製品を関税によって保護すべきだと主張することにはならない★4。自由貿易という強固なドグマを破壊するにあたり、アシュリーは、自らに向けられるであろう誤解をあらかじめ注意深く排除しているのである。
アシュリーが読者に注意を促しているもう一つの重要な点は、彼の議論が、現時点における貿易の利益を巡るものではなく、より長期的な時間的視野の下での産業発展に関心を向けたものであるということである。アシュリーが立つ理論的な視座はマッキンダーの地理学同様、静態的(static)ではなく、動態的(dynamic)であった。それに対してアダム・スミスの自由貿易論は静態的であったとアシュリーは指摘する★5。
これは、フリードリヒ・リストによるスミス批判と同じ趣旨である。リストは、スミス以来の古典派経済学を「価値の理論」と称し、自らの理論を「生産力の理論」と呼んでいる。「価値の理論」とは、ある一時点における富の配分状態の分析である。これに対してリストの「生産力の理論」とは、富を生み出す過程を解明しようとするものであった★6。アシュリーは、リストの言葉に言及する。「リストが言ったように、一国の生産力(productive power)とその発展可能性の問題は、現在の価値よりもはるかに重要である。一時の損失も、それに見合う以上の将来の利益を得るためであれば、受ける価値があるだろう★7。」
アシュリーの関心は、既存の富の分配ではなく、富を生み出す力の源泉を特定することにある。重要なのは、過去から未来へと向かう時間の流れに従った経済の発展過程をつかむことであり、そのためには、歴史学の視点が不可欠となる。歴史学派が目指すのは、経済の動態理論なのである。
以上を前置きした上で、アシュリーは経済統計を示しつつ、イギリスの貿易と産業が置かれている現状を描き出す。それによれば、イギリスの輸出品目は、近年、綿布・綿糸やリンネルなどの繊維製品や機械や船舶などの鉄鋼金属製品の総輸出に占めるシェアが減少し、代わって石炭、そして大都市において製造される既製服や日用雑貨のシェアが増大している★8。
なぜ、このような輸出構造の変化がもたらされたのか。それは、イギリスが自由貿易政策を実施した結果、デイヴィッド・リカードの比較優位論の教義が示すとおり、イギリスが比較優位をもつ製品に特化していったことでその輸出が増え、逆に、比較劣位にある製品の輸出が減少したからである。「しかし、後述するように、この教義は、現下の状況にあるイギリスにとって何の慰めにもなっていない★9。」
自由貿易は、イギリスにどのような不利益をもたらしたのか。アシュリーが提起した問題点は多岐にわたる。
まず挙げられるのは、自由貿易によって比較優位産業への特化が進むことによる危険性である。それは、特定の産業にのみ依存するような構造の国民経済をもたらすことになる。国家が国内に多様な産業を育んでいる場合、一つの産業が衰退したとしても、他の産業によって雇用を維持することができるだろう。しかし、国家が一つの産業に依存する場合、貿易パターンの変動によってその産業が衰退すると、それに伴って国民経済全体が衰退することになる。自由貿易によって特化が進んだ経済は、脆弱で不安定なものとなるのである★10。現にイギリスは、自由貿易の結果、石炭の輸出に特化しつつある。しかし、もし石炭資源が枯渇したら、どうしようというのであろうか★11。
製造業が国境を容易に越えて、世界各地へと分散するようになっていることも問題であるとアシュリーは指摘する。この現象は、今日で言うグローバリゼーションにほかならない。
グローバリゼーションを後押しする要因についてのアシュリーの分析もまた、きわめて今日的であった。第一の要因は「国民の繁栄に与える最終的な効果を一顧だにせずに、目の前の利益を追求する資本の利潤追求の傾向である★12。」
それには、工場が海外に移転する場合と、投資資金のみが海外へと投下される場合があるが、いずれも、イギリスのライバルとなる新興国の産業の発展と国際競争力の強化を手助けする結果となっている。そして、第二の要因は、製造業における機械化の進展である。これにより、製造業は、労働者の質や技能にそれほど左右されずに、世界各地に展開することが容易になった★13。
自由貿易による特化は、このグローバリゼーションとも相まって、国内における産業の多様性を破壊した。その結果、国民経済は脆弱化し、雇用は不安定化するようになったのである。アシュリーが保護主義を提唱する論拠の一つは、国内産業の多様性の確保による国民経済の強靭化にあった。
さらにアシュリーは、イギリスの金融化(financialisation)についても警鐘を鳴らした。その議論もまた、きわめて今日的な含意をもつものであった。
イギリスでは、自由貿易政策の結果、製造業が衰退して貿易収支が悪化した。その結果、必需品の輸入の支払いは、海外投資の利子配当や海運業からの収益に依存するようになった。イギリスは工業大国から金融大国へと移行したのである。しかし、アシュリーはこれを衰退の兆候と見る。彼は、アダム・スミスの『国富論』を編纂したJ・S・ニコルソンが同書に寄せた序文から、次のような一節を引用している。
資本家の利益は、最大利益を得ることであり、その資本が投下される場所について資本家は無関心である。しかし、労働者そして社会一般にとっては、場所こそが決定的に重要である。もし資本がアメリカの鉄道建設に投下されたら、おそらくイギリスの鉄道建設に投下される場合よりも、はるかに高い利益を永続的にもたらすかもしれないが、アメリカに投資される場合は外国の労働者が雇用されることになり、イギリスに投資される場合は、イギリス人が雇用されるのである。(中略)オランダは、ヨーロッパの債権大国となった時から、その富と力を次第に減らしていった。我々の時代(一八八四年)について言えば、先般の大不況の主たる原因の一つは、イギリスのような旧い国々の資本が、天然資源の獲得や鉄道建設のために新しい国々へと移転したことにあったのは疑いの余地がない★14。
フリードリヒ・リストに従って、富それ自体よりも富を生み出す生産力を重視するアシュリーの関心は、金融資産の多寡ではなく、産業の発展とそれによる雇用の拡大にあった。グローバルに移動し得る金融よりも、ナショナルなものに束縛された産業や労働の方がはるかに重要である。この点において、アシュリーは終始一貫していた。
収穫逓増の法則
自由貿易の問題の第二は、より経済理論的であり、かつ根本的なものだった。 農業における「収穫逓増」の「法則」あるいは「原則」に反して、多くの経済学者は、製造業における「収穫逓増の法則」を提示するのが習いとなっている。(中略)我々に必要なことは、一般的に言って、一製造過程がある多くの産業においては規模が大きくなればなるほど─資本の投資額が大きくなればなるほど─それにみあった産出量はより大きくなり、単位当たりの利益もより大きくなるという事実観察から、その一般化を受け入れることだけである★15。
製造業においては、収穫逓増の法則が働くために、市場の規模が大きくなればなるほど、大規模生産による規模の経済が働き、生産コストは逓減し、生産性が改善する。アメリカ合衆国はイギリスと比べて人口が多く、より大きな国内需要をもっている。それは、製造業の大規模生産にとっては強力な「有効需要(effectual demand)」となっているとアシュリーは指摘した★16。
アメリカの製造業は、大きな国内市場を利用した大規模生産によって、より安価な商品製造を可能にし、強力な国際競争力を獲得する。これに対して、国内市場がより小さいイギリスがアメリカに対して市場を開放すれば、イギリスの製造業に勝ち目はない。
さらにアシュリーは、固定資本が大きい製造業においては、不況時には、「ダンピング」が行われることも指摘する。収穫逓増の法則を利用すれば、通常の生産コストを下回る価格での販売によって、競争相手の企業に回復不能な打撃を与えて市場から駆逐し、長期的には市場独占による利益を得るという戦略が可能となる。また、国内市場においては高価格の販売で利潤を確保し、海外においては低価格の販売によって市場を確保することも可能である。こうした収奪的なダンピング戦略についてあまり聞くことがないのは、アメリカの製造業が好況により国内需要の獲得に忙しく、海外市場への進出の必要性を感じていないからに過ぎないのだとアシュリーは警鐘を鳴らしている。不況になれば、アメリカの製造業は海外市場に攻撃的な輸出攻勢をかけるであろう。したがってイギリスが警戒すべきなのは、アメリカの製造業が繁栄を謳歌していることではなく、むしろ不況に陥ることなのである★17。
こうしたダンピング戦略は、政府が国内市場を関税によって保護し、かつカルテルやトラストといった大規模な産業組織を組成することで可能となる。それこそがアメリカやドイツで行われていることにほかならない。これは異常なことではなく、製造業に一般的な収穫逓増現象を利用したものであり、「現代産業組織に必然的な帰結」なのだとアシュリーは言う★18。
この批判が根源的であると言えるのは、リカードから今日の主流派経済学に至るまでの自由貿易の理論、より一般的には市場均衡の理論が、収穫逓増ではなく、収穫一定あるいは収穫逓減を前提としているからである。市場は自動的に均衡に向かうという理論こそが、政府の市場への不介入を正当化するものであった。しかし、収穫逓増の法則が成り立つのであるならば、安定的な市場均衡は保証されなくなる。このため、主流派経済学の教科書では今でも、収穫逓増を例外的な現象として扱っている。
しかし、アシュリーも指摘するように、農業はともかく、産業資本主義の主役となっている産業や企業の行動を観察するならば、収穫逓増が例外的な現象であるとは到底言えない。とりわけ第二次産業革命以降の資本集約型産業においては、規模と範囲の経済、すなわち収穫逓増が特に大きく働くのである。
もし収穫逓増が製造業の一般法則であるならば、製造業の生産性の向上、より一般的に言えば産業発展をもたらすのは自由市場ではなく、アシュリーが主張するように、そしてアメリカやドイツが実践しているように、保護関税による国内の「有効需要」の確保や大規模産業組織の形成だということになる。 このように、収穫逓増という事実を突きつけることは、自由貿易理論の大命題である市場均衡を完全に破壊するという強力な効果をもつのである。
しかも、アシュリーは多くの経済学者が製造業における収穫逓増の法則を認めていると述べているが★19、その経済学者の中には、自由貿易論者のアルフレッド・マーシャルが含まれていた。
マーシャルはその主著『経済学原理』の中で次のように述べている。
広く言えば、自然が生産において役割を担う部分は収穫逓減の傾向を示す一方で、人間が役割を担う部分は収穫逓増の傾向を示す。収穫逓増の法則は、おそらく次のように言えるかもしれない。労働と資本の増加は一般的に改善された組織につながり、それが労働と資本の効率性を高めるのであると★20。
マーシャルは、収穫逓増の法則が産業経済を支配していることを承知していた。彼は新古典派経済学の始祖の一人として数えられているが、この点に関しては、むしろ新古典派経済学の外へと踏み出そうとしていたと言える。それにもかかわらず、マーシャルは関税改革運動に反対し、自由貿易を擁護する論陣を張った。鋭敏なアシュリーは、その矛盾を突いたのである。これは少なくとも理論的に言えば、マーシャルの陣営に対して致命傷を負わせる攻撃であろう。
なお、マーシャルの後を継いで収穫逓増現象に関心を寄せ、「不完全競争の理論」を探究したのは、ピエロ・スラッファ、ジョーン・ロビンソン、E・H・チェンバレンといったケンブリッジ大学の異端派の経済学者達であった。他方、新古典派(主流派)経済学の方は、マーシャル以降、収穫逓減を原則とする路線へと回帰してしまった★21。主流派経済学において収穫逓増に着目する動きが顕著になったのは、一九八○年代以降になって、ジーン・グロスマンやポール・クルーグマンらが戦略的貿易政策の理論を提唱するようになってからである。戦略的貿易政策の理論は、収穫逓増が働く産業においては、政府が市場に介入することで経済厚生が高まる可能性があることを示してみせたのであった★22。
もっとも、戦略的貿易政策の理論は、主流派経済学の分析枠組みの中に収穫逓増の法則を導入しようという試みに過ぎず、その流行は、主流派経済学の非現実性に根本的な反省を迫るような動きにはならなかった。それどころか、戦略的貿易政策の理論の主唱者の一人であったクルーグマンは、一九九○年代半ばには、「その実践における重要性と有効性についてはきわめて懐疑的★23」と言い出すようになっていた。
しかし、村上泰亮が強調したように、収穫逓増の法則を想定しなければ、産業資本主義の現実の動態を適確に理解することはできない。たとえば、主流派経済学は生産量の拡大に伴って生産性が低下するという収穫逓減(費用逓増)の法則を前提としているため、実質賃金(すなわち生産性)が低下したときのみ産出量の拡大が可能となるという結論を導き出すことになる。しかし現実には、経済成長、すなわち実質賃金の上昇を伴った産出量の拡大という現象が、例外的ではなく通常のものとして観察される。経済成長という現実をより正確に理解するためには、収穫逓増という現実を正面から認めるべきなのである★24。ただし、収穫逓増を認めるということは、主流派経済学の中心命題である市場均衡を放棄するという犠牲を払わなければならない。
労働問題
自由貿易の問題の第三は、雇用に関わるものであった。
収穫逓増現象には、規模と範囲の経済以外にも、「学習効果」が知られている。「学習効果」とは、技術のノウハウ、労働者の熟練度、組織の運営方法の効率性などが学習を通じて向上し、その結果として生産性が向上するという現象である。
経営者資本主義における企業は、学習効果による収穫逓増現象を利用して生産性を向上させるため、永続的に存在する集団として組織化され、より長期的な視野の下に経営を行うようになっていった。とりわけ第二次世界大戦後には、労働者の勤続年数が長期化する傾向がみられる。これは、企業が、仕事への長年の従事を通じた訓練(on the job training)を通じて累積的に得られる学習効果によって、労働者の熟練技能を形成し、確保しようとするからである。いわゆる「日本的経営」に典型的な長期雇用とは、収穫逓増の法則を導入することで、その経済合理性を理論的に説明することができる慣行なのである★25。
さらに小池和男は、日本的経営の特殊性に関する通説に異を唱え、人材育成の観点から長期の雇用を重視する慣行は日本企業に限ったことではなく、高い競争力をもつ欧米の企業にも見られるのであり、長期的な雇用や取引関係の優位性は普遍的であると強調している★26。
人材育成の過程が「学習効果」をもたらし、企業の生産力を向上させる。この理解は、リストの用語に従えば、「生産力の理論」であると言える。「生産力の理論」を労働市場に当てはめると、長期雇用の優位性が明らかになるのである。逆に、主流派経済学が労働移動の流動化を望ましいものとするのは、その市場理論が収穫逓増の法則を想定していないからであり、またそれが静態的な「価値の理論」であって、動態的な「生産力の理論」ではないからなのである。 収穫逓増の法則を重視するアシュリーもまた、雇用の長期化・安定化の現実とその意義に着目するが、彼の場合は、それが自由貿易論の批判へと結びつくのである。
自由貿易論者は労働移動の自由を想定している。しかし、労働の移動性が高いのは、熟練技能を必要としない単純労働者であって、技能労働者の流動性は低い。「若干の観察に基づく私自身の印象では、より高度な技能を要する職人ほど、流動性は極端に乏しい。彼らは、自分が特定の技能を有する慣習的な職業に、哀れな(もし、そう言いたければ、愚かな)一貫性をもって、固着するのである★27。」したがって、いったん職を失った熟練労働者は、そう簡単には別の職に就くことはできず、失業が続くであろう。
このアシュリーの批判は、現在でもなお通用するものである。というのも、今日、自由貿易の経済効果を計算する際に一般に使用されるのは「応用一般均衡モデル」(CGEモデル)と呼ばれるものである。このCGEモデルは、たとえばTPPの経済効果を計算する多くの研究においても用いられており、それらはいずれも、一〇年後にTPP参加国のGDPの穏やかな上昇をもたらすという試算結果を導き出している。
しかしCGEモデルは完全雇用を仮定しているため、貿易自由化の結果、ある産業部門において失われた雇用があったとしても、それは瞬時に別の産業部門における雇用によって置き換わるという想定になっている。しかし実際には、ある産業に固有の技能を有する労働者は、それとは異なる技能を要する産業において仕事を得ることは容易ではない。このため、現実の世界では失業状態が持続するのであり、仮に失業者が新たな仕事を得られたとしても、その賃金はより低いものになる。
ところがCGEモデルは、そのような現実に生じるはずの失業の損失を計算に入れていないのである。このため、CGEモデルによる自由貿易の効果の試算は過大なものとなる傾向にある。たとえば、タフツ大学のある研究者たちが、TPPの経済効果について、雇用に対する悪影響など、より現実的な仮定を置いた上で改めて試算したところ、TPPの発効から一〇年後のアメリカと日本のGDPはそれぞれ〇・五四%と〇・一二%ほど減少するという結果となった。他の参加国は利益を得ることができるが、それもごく小さなものに過ぎなかった。また、TPP参加国全体で七七万一〇〇〇人の雇用が失われ、うちアメリカでは四四万八〇〇〇人の雇用が失われると試算されたのである★28。
自由貿易がもたらす景気変動や産業構造の変化によって、労働者階級は失業や低賃金に苦しむ。これは社会的に大きな損害であるとアシュリーは言う。自由貿易論者は、安価な財の輸入による消費者利益の増大を強調するのだろうが、「低価格による消費者の一時的な利益など、共同体全体の純損失に比べれば割に合わないのである★29。」
こうした労働問題に関するアシュリーの関心の高さは、彼の出自と無関係ではないように思われる。帽子職人の父が景気循環に伴う不況のたびに失業したため、アシュリーの一家はしばしば貧困に苦しんだ。この少年期における厳しい経験が、アシュリーの関心を不況や失業といった問題へと向けたのであろう★30。
自由貿易による産業構造の変化は、雇用の質にも影響を及ぼす。「イギリスは技能を必要とし、独立性を強化する産業においてその能力を低下させる一方、安価で質の劣った単純労働によってアメリカやその植民地に対して『差別的優位(differential advantage)』を有する産業へと転向しつつあるようにみえる★31。」
近年のイギリスの産業構造は、繊維産業や鉄鋼産業といった主要産業が衰退し、代わって大都市において製造される既製服や日用雑貨のシェアが増大している。既製服や日用雑貨の製造といった新産業に従事するのは単純労働者であり、それゆえ労働の移動性は高くなる★32。逆に言えば、主流派経済学の自由貿易理論が想定する流動的な労働者とは、低技能で低賃金の単純労働者だということである。
労働賃金の低下は、主流派経済学の理論によれば、生産性の向上をもたらすものとされる。しかしアシュリーは、ドイツやアメリカの例を引いて、これを批判する。ドイツやアメリカの経済発展は、その労働コストの低さのゆえではない。ドイツの場合は知性と科学、アメリカの場合は知性と天然資源によるものであり、そして両国とも、産業の統合を政策的に進めた政治家の手腕のおかげなのである★33。
しかも、技能労働を要する高付加価値産業の衰退と技能労働を要しない低付加価値産業の発達が、労働者の質を低下させるというだけではない。労働者の質の劣化や大量の失業者の存在が、高付加価値産業の弱体化と、低付加価値産業の拡大を招くという、逆の因果関係もある★34。こうして、イギリスの産業と労働は負のスパイラルへと陥っていくのである。
この議論もまた、今日的な意義をもつものである。
マーガレット・マクミランとダニ・ロドリックは、次のように論じている。
貿易の自由化により競争が激化すると、企業は生産性を高めるか、倒産するかしかなくなるため、産業競争力は高まると考えられている。しかし、産業部門間の資源の再配分を考慮すると、経済全体の生産性が高まるとは必ずしも言えない。一九九○年代のアジアでは、グローバリゼーションにより高い経済成長を実現したが、それは生産性の低い産業部門から高い部門へと労働力が移動するような産業構造の変化が起きたからである。しかし、同時期の南米やアフリカでは、グローバリゼーションは生産性の高い部門から低い部門への労働移動を引き起こした。このため、南米やアフリカの経済成長は逆に鈍化することとなったのである★35。
アシュリーは、当時のイギリスでは、まさに自由貿易によって生産性の低い部門への労働力の移動が起きていると見たのである。
自由貿易の結果、イギリスには、ロンドンなどの大都市には労働者が集積し、それ以外の地域には金利生活者たちの住居が集まり、観光産業で栄えるようになる。かつてオランダが歩んだのと同じ道を、イギリスも歩むことになるだろう★36。アシュリーは、自由貿易政策に固執するイギリスの未来をこのように予見するのであるが、ここで我々は、グローバリゼーションの推進の果てに、相対的な経済力の低下を止められなくなり、ついに観光産業を成長分野として期待するまでになった今日の日本を連想せずにはおれない。
このようにアシュリーは、製造業にみられる収穫逓増の法則を根拠に、保護主義の理論的正統性を主張したわけであるが、他方で彼は、製造業のみを保護すべきと論じたわけではない。先述のように、産業の多様性の保持を理想とするアシュリーは、農業に関しても保護主義を唱えていた。
自由貿易論者は、農業関税の撤廃により安価な農産品が入手可能になることによって得られる消費者利益を強調する。労働者階級が自由貿易を支持するのも、安価な穀物を望んでいたからであった。
しかし、この自由貿易論の論理には二つの問題点があるとアシュリーは指摘する。
第一に、農産品の価格の下落は、同時に賃金の下落をも意味する。貿易自由化は、デフレ圧力になるということだ。
第二に、国内農業が打撃を受ける。この懸念に対して、一八四六年の穀物法の廃止に貢献した政治家リチャード・コブデンは、仮に自由貿易によって農産品の価格が下落したとしても、農法が改善することにより損失を埋め合わせることができるだろうと主張していた。しかし、彼の予言が当たっていたのも一八七四年までのことであり、それ以降は、イギリスの農業は安価な輸入穀物に押されて深刻な不況に陥ったのである。
自由貿易論者は、イギリスが海外市場を永久に確保し続けられると考えているようであるが、イギリスの産業が通商上の圧倒的優位を誇っていたのは一八七○年代前半までのことであり、過去三〇年間は海外市場を奪われつつある。したがって、イギリスがいつまでも自由に食糧を輸入できると楽観するべきではない★37。
マーシャルをはじめとする経済学者たちは、穀物の輸入関税の負担は輸入する国の消費者が負担することになるという理論によって、保護貿易に反対してきた。これに対してアシュリーは、次のような経済理論的に洗練された反論を提出している。それは、完全競争を前提とした自由貿易論に対する「不完全競争の理論」の観点からの本質的な批判であった。
イギリスは、アメリカにとって小麦の重要な輸出先であり、イギリスはいわゆる「買い手独占」の立場にある。このため、イギリスの小麦需要は、アメリカの小麦の価格を決定する重要な要因の一つとなっている。アメリカは、イギリス以外の国に対して小麦を輸出することが容易ではないため、イギリスが小麦に対する関税を引き上げると、アメリカの小麦の生産者は、イギリスにおける需要の減少を回避しようとして、関税の一部を自ら負担する(価格を下げる)ことになるであろう。したがって、アメリカの小麦に対する関税賦課は、イギリスの小麦の価格を関税全額相当分だけ引き上げるという事態にはならないのである★38。
国民的効率
アシュリーは、イギリスの経済的繁栄と政治的安全保障にとって唯一の経済的防衛手段は関税であると結論付けた。ただし、国内産業を効果的に保護するためには、行政府に強力な権能を与える必要がある。たとえば、イギリス政府の貿易商業省は、イギリスの貿易や産業に関する調査を実施し、その動向を把握していなければならない。海外経済の情報収集については領事館にその任にあたらせればよい。他方、国内経済については、各地の大学に商学部を設けて地域経済の実態把握を担わせ、政府の調査活動を支援させるべきだとアシュリーは提案する。彼自身が所属するバーミンガム大学商学部がその典型であることは言うまでもない★39。
大学における経済学研究は、抽象理論のみを扱うのではなく、経済の実態を把握し、現実に密着したものであるべきである。また、行政官や実業家を育成する実践教育を行い、さらには情報収集によって政府の経済政策にも寄与する。こうした大学構想は、ウェッブ夫妻らフェビアン主義者たちが主導した「国民的効率」運動に共鳴するものである。実際、アシュリーは、ウェッブ夫妻らと価値観の多くを共有することができると考えていた★40。
ただし、フェビアン主義者たちとの決定的な違いは、貿易政策にあった。彼らは、アシュリー同様に、古典的自由主義の個人主義や自由放任主義を批判し、イギリス経済の相対的な衰退に危機感を覚え、政府による積極的な市場介入を唱えたが、それでもなお、自由貿易を支持したのである。フェビアン主義者たちは関税以外の手段で対処することを模索していた。
アシュリーは、関税の代替となる政策を唱える議論に対して、次のように反駁している。 第一の代替案は、技術教育政策の徹底である。これについてアシュリーは、その意義を大いに認め、自らも技術教育の発展を主張してもいる。しかし、それだけでは十分ではない。
結局のところ、教育の組織化は、それ自体は重要ではあるものの、我々が対処しなければならない巨大な経済的・政治的な力─産業的自立を目指す大国の圧力、収穫逓増の法則、固定資本の効果、トラスト形成の影響─の問題については、大きすぎて対処しきれないのである。産業の成功にとって第一の必要条件は、確信である。イギリスの製造業は、その市場がどこかに確保されていると感じることができなければ、確信をもつことができない★41。
製造業は、大規模な設備投資を先行的に実施し、収穫逓増の法則を利用することで、時間をかけて生産性を上げ、大きな利益を得る。このため、製造業は、長期的な将来において大きな利益が得られ、投資が回収できるという「確信」がなければ、大規模な設備投資を実施することができない。製造業には、将来の需要が確保されているという一定の保障が必要なのである。
技術教育の強化は、確かに製造業の「供給」能力の向上に資するであろう。しかし、それは将来の「需要」を確保するものではない。これに対して関税による保護は、製造業に対して、確実な「需要」を保障するものであり、それによって大規模な設備投資を誘導するものである。アシュリーにとって保護関税とは、需要サイドの政策という側面をもつものなのである。
この技術教育を巡るアシュリーの議論もまた、今日的である。
一九九○年代以降のグローバリゼーションによって、新興国が世界経済に参画したことにより、アメリカをはじめとする先進諸国の労働者は、新興国の低賃金労働との競争にさらされ、失業や賃金抑制の圧力を受けるようになった。仮に新興国の労働者の生活水準が上がり、その賃金が上昇する可能性が出てきたとしても、より低賃金の労働者を供給する別の新興国が現れるため、賃金の下方圧力は終わることがない。こうしてグローバリゼーションは、労働者に「底辺への競争」を強いるのである。 この問題について、先進諸国のグローバリゼーションの推進者たちは、労働者の再教育や再訓練の機会をより充実させて、その技能を高めれば、新興国との競争に負けることはなく、労働者の生活水準の低下を防ぐことができると強弁してきた。しかし実際には、アラン・トネルソンが論じるように、再教育や再訓練の強化は、良くて長期的な解決策の一つに過ぎず、グローバリゼーションがもたらす「底辺への競争」の強大な圧力の前には、ほとんど無力であったのである★42。
ジェームズ・K・ガルブレイスも、労働者に対する教育や訓練は、貧困や失業といった問題の解決にはならないと主張している。労働者に対する教育や訓練は、確かに労働力の質を向上させるかもしれない。しかし、実際には、貧困や失業は、労働力の質によってはそれほど左右されない。貧困や失業の問題の有無は、労働供給ではなく、むしろ労働需要に依存しているのが現実である。すなわち問題は、企業側がいくらの賃金で、どれだけの量の労働者を雇うか次第なのである。しかも、企業の内部で実際に行われている労働者の教育や訓練は、その企業に特有のものである。それは、企業が必要とするのは、一般的な技能や知識ではなく、特殊な技能や知識だからなのである。しかし、政府が施すことができるのは、前者の教育訓練であって、後者ではない★43。
こうしたことから、失業問題について、政府は供給サイドの政策によってこれを解決することはできない。ケインズが『一般理論』で明らかにしたように、需要サイドの政策によって対処するしかないのである。その需要サイドの政策として、ケインズが公共投資を主張したのに対し、アシュリーは関税による有効需要の創出を唱えたというわけである。
フェビアン主義者による第二の代替案は、大英帝国の植民地を特恵関税によって保護するのではなく、補助金を与えるべきだという議論である。しかし、植民地の農業に補助金を与えても、その農産品供給が大英帝国内を優先するとは限らないとアシュリーは反論している。
第三の代替案は、フェビアン協会が提案する社会主義である。フェビアン協会は、関税は国際競争に対する効果的な手段ではないとして、主要産業の国有化を主張する。これに対してアシュリーは、主要産業を国有化したところで、海外市場の需要が確保されていなかったり、原材料の供給の保障がなかったりすれば、意味がないではないかと反論する。さらにフェビアン協会が、自由貿易によって国民生活が脅かされているという事実を認めていることを指摘し、そうでありながら、なお自由貿易を擁護している矛盾について疑問を投げかけている。とは言え、アシュリーは、フェビアン協会が、問題の根本はイギリスの産業の衰退にあることを認めている点については評価するのである★44。
アシュリーの地政経済学 以上は、もっぱら経済的な側面についての議論である。だが、アシュリーの射程は経済にとどまらず、安全保障問題にも届いていた。 我が国の製鉄設備が放棄されたとしても、工学技術の貿易と造船業は、一時は繁栄するであろう。しかし、それらは、価格のためではなく、製鉄の調達を外国に依存するためである。貿易が続いている間は、幸運は続くであろう。しかし、その場合であっても、我が国は政治的な独立を失っているのである。戦時において船舶を修理したり新造したりすることができない国は、国民を飢えさせないようにすることができない国と同様に、無力である★45。
アシュリーやヒュインズをはじめとする関税改革運動の論者たちが製造業の保護と育成を唱えた大きな理由の一つは、それが軍事力を調達する上で不可欠であるという安全保障上のものであった★46。農業が重要であるのもまた、食糧安全保障という理由からである。関税改革運動は、地政経済学的な意識に基づいていたのである。
しかし、イギリスの産業社会は肥大化し、もはや島国の内に収まることができなくなっている★47。特に、製造業は、収穫逓増の法則により規模を拡大した方が生産性は高まるため、より大きな市場を確保した方が競争力をより強化することができる。したがって、イギリスに必要な戦略は、大英帝国の統合の強化による大規模市場の確保と、その帝国内における自給自足の達成であるという結論になる★48。
自由貿易には国際平和を促進する効果があるという説は今でも根強く信じられているが、一九世紀から二〇世紀初頭にかけてのイギリスの自由貿易論者たちもまた、リチャード・コブデンをはじめとして、自由貿易政策こそが平和的かつ反帝国主義的であると信じて疑わなかった。自由貿易論者は、帝国の統合強化と保護主義というアシュリーらの主張を好戦的なものとみなしたのである。 しかし、アシュリーの主張はまったく逆であった。むしろ自由貿易こそが戦争につながるというのである。なぜなら、他国の市場開放を強制するには、武力が必要となるからである。「ヨークシャーやランカシャーの自由貿易論者の製造業者たちが、中国の門戸を武力で開放させようとしていたことに、コブデンが驚いていたことを思い出すべきである★49。」
アシュリーが大英帝国の統合を強化し、帝国特恵関税によってイギリスの市場を保護すべきだと主張したのは、むしろそうしなければ、イギリスは中国のようなより弱い国に対して武力で自由貿易を強要しかねないからである。いわゆる「自由貿易帝国主義」である。
「帝国主義と軍国主義との関係について何と言われようとも、ヨーロッパ市場がイギリスに対して閉ざされ、その代わりに帝国間市場を獲得できなければ、ランカシャーやヨークシャーの製造業者たちは、中国の門戸を開放させ続けるために戦争に訴えるだろう。そしてもし、それが無理だとなった場合には、彼らは「勢力圏を!」と叫ぶだろうが、それは征服を意味するのである★50。」
前章においてみたように、マッキンダーもまた、『イギリスとイギリスの海』において、自由貿易政策が帝国主義的な拡張へとつながると指摘した。この自由貿易帝国主義の構造は、アシュリーが強調する製造業の収穫逓増の法則によって経済理論的に理解することができる。製造業は、獲得する市場が大きければ大きいほど、費用が逓減して生産性が向上する。規模を拡大して競争力を強化し、競争相手を駆逐することに成功すれば、莫大な独占利潤を手にすることができる。それゆえ製造業は、帝国主義的な市場獲得競争へと駆り立てられる。 収穫逓増の法則は、自由貿易と帝国主義とを結びつけるメカニズムなのである。自由貿易論者が競争による利益の調和を信じているのは、収穫逓減の法則を想定しているからにほかならない。J・A・ホブソンは帝国主義を批判しながら自由貿易に関してはこれを擁護したが、それは、ホブソンもまた収穫逓減の法則にとらわれていたためであった★51。
もっとも、アシュリーは帝国主義的な市場獲得競争を正当化しようとしたわけではない。そうではなくて、この自由貿易帝国主義がもたらす国際紛争を回避するために、特恵関税によって大英帝国内の「有効需要」を確保する。これがアシュリーの狙いであった。保護主義とは、平和のための経済的な手段であったのである。アシュリーは大英帝国を擁護したという意味では確かに帝国主義者であったが、攻撃的ではなく防御的であり、好戦的ではなく和平的であったと言うことができるであろう。 さて、もしイギリスが帝国特恵関税を採用して、大英帝国の統合強化を果たした場合、世界秩序の未来はどのような構図となるであろうか。アシュリーは、イギリス、ロシア、アメリカの三大大国が鼎立すると予想している。
ロシアについては、現状は生活水準が低く、経済的には弱体である。しかし、広大な領土をもち、豊富な天然資源を有していることから、長期的には大国となるだろうとアシュリーは予測している。
アシュリーが最も警戒したのは、かつて彼が九年間在住したアメリカであった。彼は、英米関係について次のように論じている。
アメリカは、その国内市場の規模を活かした経済力の強大さが脅威であるのはもちろんのこと、米西戦争によって、領土征服の野心をもっていることが示された。イギリスでは、アングロ・サクソンの血縁を重視して、アメリカに親近感を抱く者もいるが、アメリカはイタリア系やドイツ系などさまざまなルーツをもった国民から構成されているのであり、英米が特別な関係にあるとは言えない。それにアングロ・サクソンの血縁に依拠した親近感など、苛烈な経済闘争の前には何の意味もない。アメリカという国をよく知るアシュリーは、当時のイギリスの親米派をこのように一蹴したのである。
他方、ドイツについては、アシュリーはあまり警戒心を抱いていない。この点は、アシュリーとマッキンダーを大きく分かつ点である。マッキンダーは、ドイツに対しては終生、警戒心を解かなかったが、アメリカによる世界支配の可能性については、なぜか見逃していた。これに対してアシュリーが最も恐れたのはアメリカであった。彼は、アメリカとロシアが大国として台頭してきた場合、この両国に対峙すべく、イギリスとドイツはむしろ接近し得ると論じている。アシュリーの地政戦略は、マッキンダーよりもリストに近いようである。
いずれにせよ、イギリスのとるべき戦略は、アメリカとロシアという二大勢力に対抗すべく、大英帝国内の統合と連帯を強化することであるとアシュリーは力説している★52。まるで半世紀後の東西冷戦を予見するかのようであるが、アシュリーにとっては、これこそが、関税改革運動が目指すべき最終的な戦略目標であったのである。
このように、関税改革運動を最も強力に理論武装したとされる『関税問題』は、まさに地政経済学と言うべき議論を展開していたのであった。
★1 Semmel (1960: p.207)
★2 Koot(1987: Ch.5); Gregory C. G. Moore, 'One Hundred Years From Today,' History of Economics Review, 38, pp.53-68, 2003; 西沢保「アシュレー、ヒューインズ、『イギリス歴史学派』をめぐって」『経済学雑誌』大阪市立大学経済学会、89(3)、pp.18-46。
★3 William James Ashley, The Tariff Problem, 4th edition, P. S. King & Son, Ltd., 1920, p.14.
★4 Ashley(1920: pp.17-19)
★5 Ashley(1920: pp.26-27)
★6 中野(2008: p.38)
★7 Ashley(1920: pp.25-26)
★8 Ashley(1920: pp.53-68)
★9 Ashley(1920: p.74)
★10 Ashley(1920: pp.74-75)
★11 Ashley(1920: p.104)
★12 Ashley(1920: p.75)
★13 Ashley(1920: pp.75-82)
★14 Ashley(1920: pp.214-215)
★15 Ashley(1920: p.83)
★16 Ashley(1920: pp.83-85)
★17 Ashley(1920: pp.92, 252-253)
★18 Ashley(1920: pp.88-91)
★19 Ashley(1920: p.83)
★20 Alfred Marshall, Principles of Economics, Macmillan and Co., 1920. Library of Economics and Liberty, February 9, 2004, http://www.econlib.org/library/Marshall/marP15.html, IV.XIII.11. ★21 村上泰亮『反古典の政治経済学(下):二十一世紀への序説』中央公論社、1992年。
★22 冨浦英一『戦略的通商政策の経済学』日本経済新聞社、1995年; Robert Gilpin, Global Political Economy: Understanding the International Economic Order, Princeton University Press, 2001, Ch.5. ★23 Paul Krugman, Pop Internationalism, The MIT Press, 1996, p.110. ★24 村上(1992: pp.23-24)
★25 村上(1992: pp.48-74, 383-389)
★26 小池和男『なぜ日本企業は強みを捨てるのか:長期の競争vs.短期の競争』日本経済新聞出版社、2015年。
★27 Ashley (1920: p.117)
★28 Jeronim Capaldo and Alex Izurieta with Jomo Kwame Sundaram, 'Trading Down: Unemployment, Inequality and Other Risks of the Trans-Pacific Partnership Agreement,' GDAE Working Paper, 16(1), January 2016.
★29 Ashley (1920: p.116)
★30 Moore(2003: p.54)
★31 Ashley (1920: p.110)
★32 Ashley (1920: p.116)
★33 Ashley (1920: p.191)
★34 Ashley (1920: p.192)
★35 Margaret McMillan and Dani Rodrik, 'Globalization, Structural Change, and Productivity Growth, with an Update on Africa,' World Development, 63, 2014, pp.11-32.
★36 Ashley (1920: pp.112-113)
★37 Ashley (1920: pp.47-52)
★38 Ashley (1920: pp.168-172)
★39 Ashley (1920: pp.131-138)
★40 Searle (1971: p.154)
★41 Ashley (1920: pp.160-161)
★42 Alan Tonelson, The Race to the Bottom: Why a Worldwide Worker Surplus and Uncontrolled Free Tdare are Sinking American Living Standards, Westview, 2002, pp.24-33, 169.
★43 Galbraith (2008: pp.153-155)
★44 Ashley (1920: pp.161-167)
★45 Ashley (1920: pp.118-119)
★46 Kennedy (1987: pp.228-229)
★47 Ashley (1920: pp.201)
★48 Ashley (1920: pp.119)
★49 Ashley (1920: pp.196)
★50 Ashley (1920: pp.197)
★51 John A. Hobson, Imperialism: A Study, James Pott & Co., 1902, Part I, Ch.5.
★52 Ashley (1920: pp.198-205)
- https://dl.ndl.go.jp>info:ndljp>pid
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