2021年2月26日金曜日

Joan Robinson called it "impregnable circularity." 難攻不落の円環性、完壁な循環論法


1951年
ジョーン・ロビンソン




https://twitter.com/lprochon/status/1367305069478182915?s=21

https://www.blogger.com/blog/post/edit/2133355681582705445/6520213355655856305


1959×1951年論文集序文?
Collected Economic Papers, 第 2 巻

Joan Robinson
A.M. Kelley, 1951


"My research belongs to the field of what is sometimes called post-Keynesian economics."

Joan Robinson

December 1959?


Collected Economic Papers - 第 2 巻
books.google.co.jp › books


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Joan Robinson · 1951 · ‎スニペット表示
次の書籍のコンテンツと一致:Joan Robinson. INTRODUCTION My first volume of collected papers ( published in 1951 ) was culled from the work of more than twenty years . ... It belongs to the field of what is sometimes called post - Keynesian economics .


~~~~~~
 以下は『経済成長論』1963関連
Joan Robinson, Essays in the Theory of Economic Growth, 1962. 

参考:

レイ・カミングス「時間とは、すべてのことが一度に起こらないようにするものだ」

https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/blog-post_68.html

Joan Robinson, Essays in the Theory of Economic Growth, 1962. 
山田克己訳『経済成長論』邦訳にはない




現実のあらゆる様相を考慮に入れたモデルは、原寸大の地図同様役に立たない。…

Lewis Carroll, Sylvie and Bruno, p. 169.

ロビンソン経済成長論邦訳50頁


~~~~~

以下は『経済学の考え方』1966関連


Robinson, Economic Philosophy, 1962


田中純論稿

https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/943/


★一三──Lewis Carroll, Sylvie and Bruno Concluded (1893), Ch.11.

…
ボードリヤールとは異なる視点からボルヘスのテクストを読んでみるとどうなるか。無用の長物と化した実物大の地図はそこで断片になってしまっていた。「地理学の学統の遺物」はそうした断片以外には残っていないと言われているからには、この帝国からは地図そのものがまったくなくなってしまったのだろうか。そしてそもそも地図学が衰退し、地図が必要とされなくなった理由はどこにあるのか。
その答えと思われるものを与えてくれているのはルイス・キャロルである。『シルヴィとブルーノ完結編』に登場する、その名からドイツ人を思わせる「マイン・ヘル(Mein Herr)」はこう語っている。
 



「そいつは君たちの国からわれわれが学んだもうひとつのことだ」とマイン・ヘルは言った。「地図作りだよ。けれど、われわれは君たちよりももっと先まで進んでいった。実際に役に立つ最も大きな地図ってどのくらいだと思うかい?」
「およそ一マイルにつき六インチ[約一万分の一]といったところでしょうか。」「たった六インチだって!」とマイン・ヘルは叫んだ。「われわれはすぐに一マイルにつき六ヤード[約三百分の一]に達した。そして、一マイルにつき百ヤード[約一八分の一]を試してみた。それから、もっとも偉大なアイディアに辿り着いたんだ! われわれは国土の地図を、一マイルにつき一マイルの縮尺で作ったのだよ!」
「それをよくお使いになりましたか?」と私は尋ねた。
「そいつはまだ拡げられておらん」とマイン・ヘルは言った。「農民たちが反対したんだ。そいつが国土全体を覆い、日光を遮ってしまうだろうとね! それでわれわれは今では国土そのものをそれ自体の地図として使っている。保証するが、結構それで間に合うよ(…後略…)」★一三。







https://longuemare.gozaru.jp/hon/carroll/SBc/carroll_sbc11_all.html

#11月の人

…

「あなたがたのお国から学んだことの一つというのが」ミステルが言った。「地図作りです。しかし我々はさらなる上を目指しました。実用に耐える地図の大きさとは最大でいかほどと考えますかな?」

「一万分の一ほどでしょうか」

「たった一万!」ミステルが叫んだ。「我々はとっくに三百分の一にしております。それから二十分の一に取り組みました。さらにとびきりの素晴らしい計画を立てました! 縮尺一分の一の地図を作ったのですぞ!」

「よく使ってるんですか?」ぼくはたずねた。

「ところが広げられん」ミステルが言った。「農家の人たちが反対しましてな。国中が地図で覆われたら、日光が届かぬと言うのですよ! ですから今では地上そのものを地図に使っとります。代用にはなりますぞ。さて、もう一つお訊きしましょうか。この世で一番小さな世界に住むとしたら、どんなところがお望みですな?」


https://www.azquotes.com/quote/1173694

Utility is a metaphysical concept of impregnable circularity; utility is the quality in commodities that makes individuals want to buy them, and the fact that individuals want to buy commodities shows that they have utility.



第3章 新古典派
77
第三章
新古典派 〜効用〜
 …
 効用は、完壁な循環論法で基礎をかためた一つの形而上学的概念である。効用というのは、個人がそれに惹かれて商品を買う気にさせられてしまう商品にそなわる性質であるが、同時に個人が商品を買いたくなるというその事実によってはじめて、それらの商品に効用があることが証明されるものでもある。

ロビンソン経済学の考え方邦訳77頁


Joan Robinson

Joan Robinson (1962). “Economic philosophy”, p.47, Transaction Publishers


Ole Peters
⁦‪@ole_b_peters‬⁩


It's really a challenge to write this down. But I like challenges.

Joan Robinson called it "impregnable circularity." pic.twitter.com/IvwB0QQkmE

2021/02/26 20:58



https://twitter.com/ole_b_peters/status/1365269909010321413?s=21


これを書くのは本当に挑戦ですdown.しかし、私は挑戦が好きです。


ジョーン・ロビンソンはそれを「難攻不落の真円度」と呼んだ。


以下はOleの文章。
I will have to dispel an argument that is sometimes put forward to defend this version of rationality. Yes, some economists say, any observed human behavior is rational by definition (including shooting yourself in the foot and gluing a dead pigeon to your head). But... that doesn't imply that the theory that humans are rational is meaningless, or that it doesn't constrain behavior or cannot be tested in experiments. This is because for behavior to be rational in the sense of the theory, it must be self-consistent. If I like gluing pigeons to my head today, I can't suddenly prefer gluing squirrels to my head tomorrow. This consistency is indeed testable, and under certain conditions the predictions of ergodicity economics imply inconsistency: the expectation value, the average over the ensemble of non-existent clones of ourselves, is so fundamentally the wrong concept where it is used in the formalism that even all the freedom a utility function can offer is not enough to rescue it. A group in Copenhagen took up the challenge and designed an experiment where expected-utility theory predicts one behavior and ergodicity economics predicts a different behavior. They found classical economics to be wrong and ergodicity economics to be correct. No surprise there, of course: we knew that we can't share wealth across the multiverse.
  But there were still a handful of economists who felt that your daily life is best modelled as experiencing simultaneously all possible consequences of a decision across all branches of the multiverse. They said: "the Copenhagen group tested consistency but at different points in time, and nothing in our theory says that people's utility functions can't change from one time to another." With this new twist, expected utility theory loses the last shred of content. Initially, anything I did consistently. When it was shown that consistency didn't hold, consistency was declared unnecessary. As a consequence, in the language of these economists, any behavior is rational is. There's nothing left. The word, and thereby the theory, is vacuous – ink sprinkled on a page. no matter how obviously crazy – was rational as long as I did it no matter how obviously crazy or inconsistent it


私は時々、合理性のこのバージョンを擁護するために提唱されている議論を払拭しなければならないでしょう。はい、一部の経済学者は、観察された人間の行動は、定義上、合理的であると言います(自分の足を撃ったり、死んだ鳩を頭にくっつけたりすることを含む)。しかし...それは、人間が合理的であるという理論が無意味であることを意味するものではなく、また、それが行動を制約するものでもなく、実験で検証することができないことを意味するものでもありません。なぜなら、理論の意味で合理的であるためには、行動が自己矛盾していなければならないからです。今日はハトを頭にくっつけるのが好きだとしても、明日はリスを頭にくっつけるのが好きになるなんてことはありえない。この一貫性は確かに検証可能であり、ある条件の下では、エルゴディシティ経済学の予測は矛盾を暗示している:期待値、つまり存在しない自分自身のクローンのアンサンブルの平均は、それが形式主義の中で使用されるところでは、根本的に間違った概念であり、効用関数が提供しうるすべての自由さえも、それを救済するのに十分ではない。コペンハーゲンのあるグループは、この課題に挑戦し、期待効用理論がある行動を予測し、エルゴディシティ経済学が別の行動を予測する実験を設計した。彼らは、古典的経済学が誤りであり、エルゴディシティ経済学が正しいことを発見した。もちろん、多元宇宙をまたいで富を共有することができないことはわかっていた。
  しかし、一握りの経済学者は、日常生活は、多元宇宙のすべての枝にまたがる選択の結果を同時に経験することでモデル化するのが最善であると考えていました。彼らは、次のように述べています。"コペンハーゲンのグループは、異なる時点での一貫性をテストしたが、我々の理論では、人々の効用関数がある時点から別の時点へと変化することができないということは何もない。この新しいねじれで、期待効用理論は最後の一片を失った。最初は一貫してやったことは何でも 一貫性が保てないことが判明したとき、一貫性は不要と宣言された。結果として、これらの経済学者の言葉では、どんな行動も合理的であることが 何も残らない。その言葉、それによって理論は空虚である - インクをページにふりかけた。


www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。



The Neo-Classics: Utility
ByJoan Robinson
BookEconomic Philosophy

Edition 1st Edition
First Published 1962
Imprint Routledge

Pages 26
eBook ISBN 9781351312486



https://www.taylorfrancis.com/chapters/neo-classics-utility-joan-robinson/10.4324/9781351312486-3

The Neo-Classics: Utility ByJoan Robinson Book Economic Philosophy Edition 1st Edition First Published 1962 Imprint Routledge Pages 26 eBook ISBN 9781351312486


ロビンソンとマルクス
三谷
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=6756&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1
鵬西大學『網済論集』第17巻第5号ルを批判している。そして「均衡の位置のア・プリオリな諸比較……は現実の状況に適用することはできない」とか「観察される歴史は均衡径路にそうひとつの運動のクームで解釈することはできない」とかいうことを強調しているのである。もちろん,そういう批判には,いわゆる第一次接近としてまたは他の理由から完全雇用均衡成長モデルを重視する新古典派の学者が異議をとなえるであろう。しかし彼女はその著『経済哲学』のなかでこう書いている。
「新古典派の遺産は,たんに経済学の講義にたいしてのみならず一般に世論を形成するうえにも,あるいは少なくとも世論にスローガンを供するうえにも,いまだに大きな影響力をもっている。だが,ある現実の問題になると,それについては具体的なことはなにもいえない。その当代の専門家たちは,ますます精緻な数学的操作を確立するということににげこみ,かれらがいま操作しつつあると想定しているものがなにであるかをたずねられると,いよいよ困ってしまうようになっている。」9)
ここでも彼女は現実の問題にかんれんして新古典派の理論を批判しているが,ことに数学主義的な亜流にたいする批判は辛辣である。さてロビンソンじしんの歴史的モデルであるが,それにかんする彼女の説明をつぎに引用しよう。一一「歴史的モデルにおいては因果関係が明記されなければならない。今日というものは未知の将来ととりかえしのつかない過去とのあいだの時間の切れめである。つぎにおこるところのものは経済内部におけるもろもろの人間の行動の相互作用から生ずるであろう。運動はただ前進あるのみである。」10)
「現実の歴史に適用できるモデルは均衡からはなれることができなければならない。いな,それは正常的には均衡状態にあってはならない。かようなモデルを構成するためには,われわれは,ある経済においておこなわれている技術的条件やその住民の諸行動反応を明記し,それから歴史的時間の特定の日付における特定の状況のなかにその経済をいわば投げだして,つぎになにがおこるであろうかを研究する。初期の位置は,物理的な与件のほかに,もろもろの関係者の期待の状態(過去の経験にもとづくものであれ,伝統的な信念にもとづ22


. 9) Robinson, Economic Philosophy, 1962, p. 130. 宮崎義一訳,206-207ページ。10) Robinson, Essays, p. 26. 邦訳,39ページ。11) Ibid., pp. 25-26. 邦訳,38-39ページ。


ロビンソンとマルクス(三谷)695


くものであれ)をふくんでいる。経済体系はそれらの期待をみたすように作用しようとしているかもしれないし,またはそれらの期待を失望させるように作用しようとしているかもしれない。」11)「経済は短期の視点から均衡状態にあるかもしれないが,しかしす.ぐにそれを均衡状態からたたきだそうとする諸矛盾をそれじしんの内部にふくんでいるかもしれない(たとえば,売手市場で支配している価格がつづきそうだという期待は,その売手市場を終わらせるであろう生産キャパシティヘの投資を誘発しているかもしれない)。あるいは経済は長期の視点からも均衡状態にあるかもしれない。したがって,もし外部的な攪乱がおこらないならば,その位置が再生産され,または将来にわたって円滑な規則的な仕方で拡大されるか縮小されるかするであろう。そのばあいにモデルがたどる径路は均衡径路にちょうど似ているようにみえるが,しかしそれはやはり語られなければならない歴史的,因果的物語なのである—経済がその径路をたどるのは,その住民の諸期待や諸行動反応がそうするようにしているからである。」12)これが歴史的モデルにかんするロビンソンの説明であるが,その説明における彼女の方法論的立場はどのようなものであろうか。その認識論としての正確な名称はともかくとして,彼女の立場は「近代資本主義世界における状況を反映する」ところのモデルをみいだそうとするものである。18)これよりして彼女の歴史的モデルはそういう反映にほかならないということになる。そしてそのモデルがしめす径路は彼女によって歴史的径路とみなされているが,14)それは歴史的時間におけるとりかえしのつかない因果関係をあらわすものであり,そして初期条件としての物理的な与件や期待の状態のほかに技術的条件や諸行動反応によって決定されるのである。15)それゆえに,そのモデルにおいては,これらの決定要因のあいだの諸関係におうじて発展の諸路線(または成長の諸局面)が区別される。そして均衡径路のようにみえるものもそれらのなかのひとつにすぎないのである。16)こういうモデルは現実の歴史に適用できるモデルであるとされるわけである。23


. 9) Robinson, Economic Philosophy, 1962, p. 130. 宮崎義一訳,206-207ページ。10) Robinson, Essays, p. 26. 邦訳,39ページ。11) Ibid., pp. 25-26. 邦訳,38-39ページ。12) Ibid., p. 26. 邦訳,40ページ。13) Cf. ibid., p. 34. 邦訳,52ページ。14) Cf. Robinson, Collected Economic Papers, Vol. III, p. 16. 15)このような考え方から,ロビンソンは,経済体系の諸決定要因として,(1)技術的条件,(2)投資政策,(3)節約性の状態,(4)競争の状況,(5)賃金交渉,(6)金融事情,(7)初期の資本財ストックと過去の経験によって形成される期待の状態をあげている。(Ro-binson, Essays, p. 35. 邦訳,54ページ。)16) Cf. Robinson, Essays, pp. 51 ff. 邦訳,76ページ以下。I




Joan Robinson, Essays in the Theory of Economic Growth, 1962. 山田克己訳『経済成長論』,昭和38年。2) Robinson, The Accumulation of Capital, 1956, pp. 63-64. 杉山清訳,71-72ページ。3)口、ビンソンは,ー論文のなかで,科学の「独創的な仕事」は「発見されるのをまちながらつねに存在していた諸連関をみつけるということ」であるとめぺている。(Robinson, Collected Economic Papers, Vol. III, 1965, p, 95.)この見解は実在をも探求を前提としてのみ規定しうる主観的なものとかんがえるプラグマティズムとは異なっている。4) Robinson, Essays, p. 23. 邦訳,35ページ。






Robinson, Economic Philosophy, 1962


ジョーン・ロビンソン 1966

経済学の考え方 
















1 件のコメント:

  1. 第3章 新古典派
    77
    第三章
    新古典派 〜効用〜
     そうこうするうちに、労働価値論は、その不快な悪臭とともに正統派陣営からきれいに一掃さ
    れ、かわりに効用が入ってきた。

      1

     効用は、完壁な循環論法で基礎をかためた一つの形而上学的概念である。効用というのは、個
    人がそれに惹かれて商品を買う気にさせられてしまう商品にそなわる性質であるが、同時に個人
    が商品を買いたくなるというその事実によってはじめて、それらの商品に効用があることが証明
    されるものでもある。
     効用という概念は、最初相対価格にかんする理論との関連ではやりだした。効用も一つの量で
    あると称することによって、総量とか、平均量とか、限界量とかの表現においてこれを示すこと」
    が可能であるとみなされ、それゆえに水とダイヤモンドにかんするあのむかしからのパズルを説
    明するのに利用することができると考えられた。生命そのものが水に依存しているのだから、水

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