富裕層に利子を与えるだけの国債を使っていてもMMTの説明通り貨幣が発行されている
JGPによる完全雇用は物価を安定させる
そして完全雇用が貨幣発行量を決める
この3点が補足的に強調されるべきである
5回答
5回答
mmtについて質問です。
ベストアンサー
MMTはインフレになるまで国債を発行する、なんていってないですよ。MMTは国債とインフレには関係がない、という主張です。従来、中央銀行が政府に直接融資を行うと、インフレが激しくなりすぎるから、中央銀行による直接融資は禁止して、国債を市中銀行に買い取らせることで、インフレを回避する、という言うことがまことしやかに言われていたんだけれど、戦後のアメリカや日本のシステムを前提とすれば、国債にはそんな効果は全くない、という主張です。これはMMTの発足当時からの中心人物の一人であるS. フルワイラーという人が以前は繰り返しツイッターで書いていたんだけれど(それだけアメリカなどでも誤解が多かった)、最近は何べんおんなじことを言っても全然理解されないので、もう嫌になっちゃったみたいですね。。。 MMTの言っていることは、国債も租税も財源になっていない。経済的な実態を言えば、政府の支出は常に(財政赤字黒字に関わりなく)ベースマネーの新規発行によって行われているのであり、国債は、そうして政府が発行したことによって過剰になった準備預金をインターバンク市場から排除するという機能しか持っていないんだ、ということです。政府が支出しすぎて、総需要が国内の供給力を上回ってしまえば、ケインズの言う真正インフレになる。この場合にはインフレは歯止めが利かなくなる。それを回避するためには、一方ではインフラを整備し、同時に環境保全を進め、人的資本を強化する(そのための教育制度の確保)ことと、政府部門や家計部門の支出を安定させることで民間部門の投資全体を安定させることを通じて、景気変動を均して企業部門が抱えている不確実性を減らすこと。そのためには一方で政府の裁量的支出(公共投資など、政府の意思決定によって操作できる支出)を安定させる一方で、自動安定化装置(とりわけJGP)によって、家計の所得を安定させることで家計部門の支出も安定させる。政府部門と家計部門の支出が安定することで企業部門も比較的不確実性が少なくなり、投資が安定する。こうしたことを通じて景気変動を減らし、インフレをなくしてゆくことを目指しています。 だからおっしゃっていることはMMTの全く逆なんですよ。国債に関しては、MMTは現在の制度の廃止を主張しています。上記の通り、もともと国債には政府の財源調達なんて意味はなく、インターバンク市場の金利下支えの機能しかない。それなら最初からそれにふさわしいやり方を採用するべきです。その一つが、現在実際に各国で採用されている(超過)準備に対する付利制度です。しかしながら、もっといいのは最初から中央銀行がインターバンク市場金利を上下することをやめることです。つまり「恒常的ゼロ金利政策」といって、金利政策自体をやめる。MMTでは金利政策の有効性には大きな疑いを持っています。これは効かない、というより、どのような効果があるのかわからない、という意味です。教科書に書かれているような、製造業が金利低下によって設備投資を増やし、金利上昇によって設備投資を減らす、という効果は、実際にほぼ全く期待できないことが実証研究で(もう1970年代ぐらいには)はっきりしていました。また現代の製造業では原価計算に基づく目標マークアップを実現できるように価格設定がなされる。この場合、金利の上昇は企業にとって費用の増加を意味します。独占度などにもよりますが、これはかえって物価を引き上げる効果を持つ。ただし投機的性格の強い建築デベロッパー部門などでは、確かに工事着工件数を増やすなどの効果があり得るとしています。そして現在のように年金など金利所得層が増えた状態では金利引き上げの効果はむしろ年金受給層などの支出を増やす傾向にある。そもそもMMTの枠組みからすれば、政府による金利支払いは民間の純所得を増やすはずであり、これは民間支出の増加につながるはずです。ところがその一方で金利引き上げによって金融資産価格が上昇すれば、それは資産階級の支出を大いに刺激する。さらにこうした動きがコモディティーにまで波及すれば、今度はこれが原油や金属などの素材関連のコスト引き上げにつながり、インフレを刺激する面も持つ。こうしたことを勘案したとき、MMTにとって金利政策というものが景気にどのような効果をもたらすのか不可知となります。何より、こうした金利操作それ自体が金融市場の不確実性を高め、投機活動の機会を提供し活発化させ、金融不安定化をもたらす。だから中央銀行はこうした金融投機活動を抑制し、銀行による不適切な融資活動を監視し、金融市場を安定させることに注力するべきで、金融政策など放棄するべきだ、という立場です。 なお、MMTは現在のような国債制度の廃止を主張する一方で、場合によってはインフレを抑制するための「戦時公債型国債」の発行を提案しています。これは現在の国債とは異なり、民間銀行の預金により売買され、特別な事情がない限り、一定期間、売却や譲渡ができず、担保にも使えないという国債です。これも政府の財源になるわけではなく、単に民間の預金通貨の流動性を引き下げるだけの機能しかありません。 日本では残念なことに、19年の春にアメリカで最若年の国会議員がMMTに言及し、アメリカの場合政府赤字によって財政破綻することはない、ということが強調され、それがきっかけとなって広まったという経緯があったため、MMT=国債破綻しない説、となってしまい、そこからさきは妄想ばかりが膨らんで日本オリジナルのMMTが色々あるのですけれど、本来MMTが主張しているのは上記のようなことです。MMTが「日本ではいくら中央銀行が国債を民間から買い取り、その代わりに利付きの準備預金を提供しても、まったくインフレにはつながっていない。これは主流派経済学の誤りを指摘してきたMMTの主張の正しさを証明するものだ」といった発言が、「日本はMMT政策を採用している」といったわけわからない内容になったり、日本のMMT情報はややめちゃくちゃですね。租税貨幣論についても、租税の役割はインフレを抑制するためだと、これは確かにMMT派のケルトン女史などが強調していることではあるんですが(ところがそれと同時に、ケルトンさんは実際にインフレが発生しそうなとき、増税によってこれを回避しようというのは適切でも効果的でもない、とも言っています)、それより根本的なことを言えば次のようなことです。債務の額面価値はそれが償還されるときにどのようなことを約束しているかによって定義されている。民間の多くの債務は銀行預金通貨により償還され、そして銀行預金通貨はベースマネーにより償還され、そのベースマネーは租税によって償還される。だから租税こそ貨幣(債権債務の額面価値を表示する数字)を定義しているんだ、ということです。租税制度によってさまざまな経済主体が発行する債務の間に一種の階層秩序が構成され、それが安定していることによって経済的にも安定した取引が可能になる。このヒエラルキー構造を安定させることこそ中央銀行の重要な役割なのだが、それを(自由化政策などにより)放棄した結果登場したのが、バブルの発生と崩壊とが頻繁に繰り返される「マネー・マネージャー資本制経済」なのだ、というのがMMTの主張の一部です。貨幣価値を市場での取引によって安定させようとしても、もともと貨幣というのは様々な経済主体が負債を発行することでいくらでも生み出されてしまうものなので、これを野放図に自由化したところで、物価や通貨の安定には結び付かない。どのようにして生産(取引ではなく)と貨幣とを結び付けるか、これがMMTの大きな主張の一つであるJGP(就業保障プログラム)に繋がっていきます。 MMTというのは、こうした幅広い射程を持った「ものの見方」に関する議論であって、単に目先の経済政策をどうする、という話とはまたちょっと違うのだ、ということを理解してほしいと思います。
ID非公開さん
質問者2021/10/25 19:09
ID非公開さん
質問者2021/10/25 19:09
根本的な指摘から丁寧な説明ありがとうございます。 金利政策に期待できない事、国債や租税に対する考え方非常に面白いなと思いました。 理系の僕にとっては少し難しく何度も読み返してようやく少しだけ理解できるようになりました 質問なのですが、政府の支出はベースマネーの新規発行で租税は円への付加価値の役割があると考えた場合、 ベースマネーの新規発行の量や租税の額はインフレ率やプライマリーバランス以外に何を基準に決めていけば良いのでしょうか? また、国債制度を廃止した場合にどのようにベースマネーを増やすかのとこが良く分かりませんでした。 解説していただけると幸いです。
先に国債制度を廃止した場合、どうやってベースマネーが発行されるかですけれど、MMT派がよく言っているのは、政府預金口座に当座借越ファシリティーを設定する、ということです。当座借越というのは、日本で銀行と付き合っているとコミットメントラインのようなものを指すことが多いんですけれど、MMTが言っているのはあくまでもオーバードラフト、つまり口座残高がマイナスになる、ということです。日本商工会議所の簿記検定ではこちらの意味で使われています。日本だと、個人の総合口座で定期預金を担保としてマイナス残高が許容されるタイプの預金がありますけれど、あんな感じですね。ただし担保や借越枠はないみたいですが。 政府は中央銀行に政府預金口座を持っており、そこで資金管理しています。現在は、政府は支出に先立って必ず支出額以上の預金残高を確保していなければならない。だからもし資金が足りない場合には財務省が短期証券を
発行して、政府預金口座に資金を入れてから支出することになる。そしてもし年間の収入総額が支出総額を上回るようだったら、短期証券ではなく国債に切り替えなければならない。しかし政府預金口座がマイナスになってよいのであれば、支出に先立ち支出額以上の残高を確保しておく必要などないし、マイナスを繰り越して構わないとすれば(そして借越枠を設けないので良ければ)、国債も必要ない。まあ借越枠は単年度の予算では必要になるかもしれませんけれど、長期的に見れば、今のアメリカの債務上限法と一緒で、上へ上へと延びてゆくことになるでしょう。政府に収入があったときには、この借越額のマイナス額が収入によって減少することになります。 ベースマネーの新規発行額および租税の額を決める基準ですが、MMTでは、先にベースマネーの発行額が決まるのではなく、政府の支出額が決まと、それに従いベースマネーが発行される、としています。
政府は基本的には民間の必要性によって財政支出額を決める。民間の必要性というのは、一つには、基本的な公共施設、インフラ整備や教育・医療・環境保全、などと言ったものです。ただしこうしたものを整備しようにも、一気にやろうとすれば国内で利用可能な経済的資源のキャパオーバーに繋がってしまいます。キャパオーバーになれば、それ以上はいくらベースマネーを発行して実行しようとしたところで民間の資源需要との競合となり、インフレになるばかりです。これは「真正インフレ」と呼ばれる状況で、MMTにとっては絶対避けるべき状態です。この意味で、MMTでは「インフレが政府支出の上限」とよく言います。ただ、これも誤解しないでほしいんですけれど、MMTは何もインフレになるまで支出をするべきだ、とか、政府は事前にどれだけ支出すればどれほどインフレになるかを把握できる、という意味ではない。そんなことは不可能です。なぜなら、
総需要を構成する支出は政府だけでなく、民間投資が大きな部分を占めているけれど、これは不安定で政府があらかじめ知ることなどで系内からです。それより政府が民間に合わせてちょうどインフレにならない(あるいはインフレ率2%でも一緒ですが)水準に総需要をコントロールしようとしても、そこには情報や決定、実行、支出についてのタイムラグが存在しており常にタイミングを外すことにならざるを得ず、それどころか、こうした政府支出に対する民間の予想を不安定にさせ、それ自体が民間投資をかく乱し経済を不安定化させる原因になってしまう。だからあくまでも、インフラや教育、医療、環境保全など、民間の実物的必要性に応じて長期的・計画的に「目標を定めた」支出 measured and targeted spending をするべきであって、ベースマネーをいくら出すべきか、とかインフレをどうするか、といったものを基準にすべきでは
無い、といっています。ただし現在のアメリカやカナダ、オーストラリアあたりの生産力を前提とすると、政府支出の規模は現状よりかなり大きくなければ民間投資を安定させる効果は薄い、とも言っています。民間投資の景気変動を均して考えて、ある程度民間投資に近い額程度の政府支出は必要になる、としています。 それともう一つがJGP(就業保障プログラム)と呼ばれるものです。MMTの考えでは、貨幣経済と実態経済とは交換によって結びつく面より生産によって結びつく面の影響の方が大きい。しかもマネーの大部分を占める信用貨幣(銀行預金通貨ばかりでなく、ノンバンクの発行する様々な支払い手段、企業の振り出す約束手形なども信用貨幣に含めます)の量を政府がコントロールしてインフレを調整するなど、まったくばかげた発想だとしています。むしろ価格は所定の貨幣賃率と海外からの輸入資源価格や現状の生産設備を前提として所定のマークアップ
目標の下、原価計算を通じて決まる。生産量は予想貨幣所得を前提としてマークアップが実現できる価格で販売できると予想される数量で決まる。企業が必要とする運転資金は企業が負債を発行することで(主として銀行の信用創造を通じて)決まる。銀行は信用創造によって生み出した銀行預金通貨の決済のためベースマネー(準備預金)を必要とするけれど、これは中央銀行によってアコモデートされる。ここで決定的な役割を果たすのは貨幣賃率です。個別企業水準で言えば、様々な生産要素がかかわっているんだけれど、マクロ経済全体で考えると、貨幣賃率が生産コストの最も重要な部分を占めている。だからこの賃率を安定させることが生産コストを安定させる(製品価格の決定)うえでも、生産量を決定する(企業は所与の貨幣所得を前提に売り上げ見込みを立てる)うえでも最も重要な役割を果たす。で、どうしたら貨幣賃率を安定させることができるのか、と
いうことなんですが、ここでMMTは金融市場で中央銀行がやっていることと同じことを政府が労働市場でやるべきだ、という。つまり目標賃率水準を決め、その賃率より賃金が下がったら(つまり市場で労働力が過剰になり、民間で雇用されない人が出てきたり、時短で十分な所得を得られない人が出てきたときには)政府が目標賃率水準・労働条件水準で職を必要とする労務者をいくらでも雇用し、逆に目標賃率より民間の賃率が上昇したら(つまり市場で労働力不足が発生したら)、そうやって労働力が過剰な時期に政府が雇用していた労務者たちが自由に民間へ移れるようにする。そうすることで原価を構成する賃率を安定させると同時に、家計の支出を安定させることで、企業の不確実性を取り除く。そしてそうすることで企業の投資活動も安定させる。 政府は、上記の通り、公共投資など自分の意思決定で金額を決定できる「裁量的支出」についてはある程度大きな規模で
安定させ、景気循環などによって変動する「非裁量的支出」としてJGPを採用することで、景気循環と反対に財政を増減させる。この「非裁量的支出」(JGP)では、政府の支出額は、JGP雇用に参加しようとする労務者の数によって決まってしまい、政府が決めることはできない。いわば民間(家計)の資金(職)需要に政府が「アコモデート」するわけです。こうして民間が必要とする資金を政府が提供する。 で、ここで注意してほしいのは、政府はこうした支出を通じて、単に民間に資金を提供しているのではなく、民間の所得(利潤)を形成し、民間部門の「純資産」を増加させている、ということなんですが、これはまあ、またの機会にでも。
租税の方も同様で、租税は、単に民間の資金を奪う、ということより、民間所得および民間純資産を減らす効果があります。これは国内資源が一定の時、民間の支出を減らし、それだけ政府の財政活動の余地を広げることに貢献します。上記の通り、総需要が過剰になり国内供給力を超えてしまえば真正インフレが発生します。これが政府支出の上限を成すわけですから、税金が大きければ、それだけ政府は財政支出を増やすことができる、とは言えるのですが、実は、では実際にインフレが発生したとき、増税によってインフレを回避できるか、あるいはできるとしてそうすることが得策なのか、というと、MMT派は結構、慎重なんです。というのは、例えば景気が過熱してインフレになったとき、一番苦しむのは誰かというと、景気過熱にもかかわらず最後まで職に就くことができない層、具体的にはきちんとした教育を受ける機会を得られなかったマイノリティのシングルマザー。
増税などによって景気を冷ます政策が一番ダメージを与えあるのは、こうした層だ、というのがMMT派の見立てです。 増税は、確かに景気を冷ます効果があるかもしれませんけれど、他方で企業がマークアップを設定する際目標とするのはあくまでも税引後利潤ですから、法人税が引き上げられればかえって価格がさらに上昇する可能性もある。所得税が引き上げられれば、労組の賃上げ圧力がさらに強くなり、これもインフレにさらに拍車をかけかねない。金利の上昇も同じような効果を持つでしょう。しかし上記のようなマイノリティー層はこうした回避策をとることができず、悪影響しか受けません。そもそも増税によって民間支出を減らそう、という試みを成功させるには、所得に対する消費支出の比率が高い中低所得層への課税を、上位層に比べて相対的に大きくすることが必要になるでしょう。これでは政府が政策を遂行する上で最も協力を必要とする
中所得層の協力をなかなか得られなくなってしまう。これでは逆効果になってしまう可能性もある。MMT派では、どちらかというと増税という手段は、所得・資産格差を解消するため、あるいは社会的に望ましくない消費活動や投資・投機活動を抑制するために用いられるべきで、インフレ回避といったマクロ経済政策上、あまり好ましい手段ではない、と考える傾向があるようです。税率や税額の決定も、こうした社会政策上の観点から決められるべきで、政府の財源の必要性によってきめるべきではない、とされます。これがMMT派の言う「機能的財政」という考え方です。これはもともとはA. ラーナ―という昔の経済学者の用いた言葉で、財政の良しあしは、黒字か赤字か、債務がどれだけあるか、ではなく、その支出が経済全体に対して与える影響で判断されるべきだ、といいました。もっともラーナ―と異なりMMTの場合は、景気に対する効果というよりは、
もっと社会的で具体的な話を強調する傾向があるように思います。実際、レイによるなら、最初にフォーステーターが機能的財政の考え方をMMTに持ち込もうとしたときには結構抵抗もあったそうです。レイ自身、ラーナ―とミンスキー(ミンスキーというのはレイのお師匠さん)を比較したW.P.では、ラーナ―のことをあまりいい書き方をしていません。ラーナ―の機能的財政の考え方は、ファインチューニングによる景気安定化政策の考え方を経て、結局マネタリズムと同じ結論に行き着いてしまった。それじゃダメなんだ、ということです。ラーナ―をMMTに持ち込んだフォーステーター自身も、ラーナ―とレーヴェ(レーヴェというのは、アドルノやホルクハイマーといった哲学者を推すフランクフルト学派系の経済学者として知られています)を比較したW.P.では、なんだかレーヴェの方を評価しているみたいな書き方になっていました。 というわけで、
MMTでは、機能的財政の考え方に従い、財政支出の規模や税率・税額についてはその社会経済的な必要に応じて行うべきであって、政府の財政が黒字かどうか、債務がいくらあるかにはこだわる必要はない、という立場です。ただしそれは、政府がファインチューニングや呼び水政策といったやり方で景気を維持しよう、ということではなく、社会的に必要だけれど営利企業によっては提供されない社会的サービスや施設を提供する、ということであり、景気についてはJGPで働く意思と能力のある人はすべて雇用し(「真の完全雇用」といっていますが、失業者をゼロにする、という意味では必ずしもない。あくまでも、働きたいと思ったすべての人に適切な労働条件で雇用される機会を提供する、という意味です)、政府支出と家計支出とを安定させることで企業の投資の不安定化を減らすことで、景気を安定化させる、ということです。
質問者からのお礼コメント
丁寧に説明していただきありがとうございました。
お礼日時:10/28 8:48
丁寧に説明していただきありがとうございました。
お礼日時:10/28 8:48
0 件のコメント:
コメントを投稿