2021年12月31日金曜日

A. M.イネス著「貨幣とは何か?」(上) 訳者楊枝嗣朗 (WhatisMoney?byA.Mitchell Innes, in The Banking Law Journal, May 1913, pp.377-408) 【訳者解題】

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Stephanie Kelton
⁦‪@StephanieKelton‬⁩
Published 110 years ago, this essay had a clarifying effect on my own thinking about the nature and origin of money some 25 years ago. "What is Money?" 1/
modernmoneynetwork.org/sites/default/…
 
2023/06/19 3:02
 
 
https://modernmoneynetwork.org/sites/default/files/biblio/what_is_money.pdf


2020/03


A. M. イネス著「貨幣とは何か?」(上) (栗林佳代准教授追悼号)A. Mitchell Innes, "What is Money?" in The Banking Law Journal, May 1913, pp.377-408

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収録刊行物

  • 佐賀大学経済論集 = Saga University economic review

    佐賀大学経済論集 = Saga University economic review 52(4), 137-166, 2020-03

    佐賀大学経済学会






A. M.イネス著「貨幣とは何か?」(上)

[下


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https://saga-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=楊枝%2C+嗣朗&page_id=13&block_id=21

訳者楊枝嗣朗
(WhatisMoney?byA.Mitchell Innes, in The Banking Law Journal, May 1913, pp.377-408)
【訳者解題】
 イネスの貨幣論は,クナップ『貨幣国定学説』(1905年)とともに,ケインズや昨今メディアを賑わせているL.R.レイらの計算貨幣論を基軸とする貨幣起源論のベースになっていることは明白であるため,ケインズ等の銀行通貨,信用貨幣についての理解とも付合すると見なれがちである。しかしながら,銀行通貨を「それ自身本来の貨幣に対する便利な代替物」であり,「国家の負う債務を表わすもの」とみなし,さらには「今日のたいていの銀行券および中央銀行預金さえもが,・・国家貨幣として分類される」(『貨幣論』,『ケインズ全集』第5巻所収,小泉明,長澤惟恭訳,東洋経済新報社,1981年,6頁)と主張するケインズや,それに従うレイらの信用貨幣論は,イネスやクナップのそれとは似て非なるものである(第9回ケインズ学会全国大会,於,明治大学,2019年11月30日での報告「信用貨幣と国家貨幣―MMT批判に寄せて―」参照されたい。レジュメは学会ホームページに掲載されている)。



 イネスやクナップの貨幣論は,わが国では長くメタリズム貨幣論が支配的であったがため,取り上げられることが少なかったこともあって,上記のような誤解が払拭されないまま,内生的信用貨幣説と外生的国家貨幣説とを矛盾の無いものとして統一して理解しようとする試みさえ見られる。クナップは以下のように述べている。「銀行券は国家が発行したものではない。・・・夫は常に国家の支払要具に属するものではない・・・。併し銀行券は国家によらず銀行によって創造せられ,而して取引上に用いられる夫は国家的発行の性質を有っていない。」「其れ自身国家的貨幣ではない。」―137



第Ⅰ 9回ケインズ学会全国大会報告
信用貨幣と国家貨幣―ケインズ「古代通貨草稿」に寄せて

楊枝嗣朗
 
1.ケインズ『古代通貨草稿』と『ハンムラビ法典』―貨幣論の再構成『古代通貨草稿』:金属貨幣なき古代国家における「計算貨幣」の存在。 『ハンムラビ法典』:様々な価格、利子、小作料、慰謝料等々の記述。 楊枝嗣朗 ケインズ:計算貨幣の強調、イネス:「貨幣は信用である」、クナップ:貨幣国定学説と債務の強調、ドールトン、ディヴィス、ハイゾーン=シュタイガ―、Wrayら:貨幣起源論=>商品交換の発展から(商品)貨幣の生成を説くメタリズム批判。 上記の議論は、中世近代初期ヨーロッパでの imaginary  money(非国家的計算貨幣)とreal money(国家的計算貨幣と国家硬貨)の並存という事実に重なり、貨幣論の再構成の手掛かりを与える。また、ロック・ラウンズ論争での金属貨幣の intrinsic  value と extrinsic value の峻別も、貨幣の抽象性と債務性に繋がるように考えた。 貨幣の起源論は資本家的貨幣信用制度の生成に如何に関わるのか?国家貨幣の生成と資本家的貨幣の生成。国家的支払同盟と非国家的支払同盟の抗争。その優先劣後構造。=>貨幣論の再考。 (拙稿「ケインズと古代貨幣論」(『第61回ケインズ研究会報告議事録』2003年)、同「貨幣とは何か?―『歴史の中の貨幣』序説―」2007年、拙著『歴史の中の貨幣』2012年参照) Ⅱ現代貨幣=国家貨幣観の盛行 「不換銀行券論争」と金交換停止以降の国際通貨ドルをめぐるマルクス派の閉塞:信用貨幣とは支払手段としての貨幣金の代替物であり、兌換を停止した中央銀行券はもはや信用貨幣ではなく、不換国家紙幣である。その流通根拠は国家の通用強制(法貨規定)に求められ、国家と中央銀行を一体のものと見做し、管理通貨制度論や国家独占資本主義論が展開された。しかし、1971 年以降の不換の国際通貨ドルの流通根拠を国家の強制通用力では説明できず、閉塞する。 Cf.,クナップ「貨幣は国家法制の創造物にして、其通用性は一国領土内に制限せられている。」 「其充用は国家領土に制限せられている。表券的組織は決して『国際的』に有効なることは出来ない。」「その通用は単に国家の限界に迄達するも、これを超えて及ぶものではない。」 マルクス派「管理通貨制度論」:金本位制の終焉によって中央銀行の発券能力は金のくびきから解放される。そこでは「中央銀行は私的な信用制限としての債務履行から解き放たれ」、それは「いわば、中央銀行の信用制度としての実質の放棄」である。中央銀行の不換通貨は、「内部

貨幣」たる「過去の価格実現の結果としての貨幣ではなく、・・・過剰商品に相対してそれらを価格実現する外部貨幣」である。不換の中央銀行通貨は国家貨幣とされ、債権債務からの解放により可能となった国債発行―財政スペンディングの拡大による有効需要の創出によって、過剰生産された商品の最終的価格実現条件が緩和・打開されるが、その事は「管理通貨体制下の過剰資金=過剰貨幣資本体制を結果する」という。兌換停止、信用貨幣の否定、制約なき中央銀行券=国家貨幣の発行、過剰貨幣資本の累積という一連の認識が、一体となって、管理通貨制度の形成が説かれる。(深町郁彌「公信用と信用制度」1973年、生川栄治『現代の金融資本』1976年参照) P.  Kennedy:「20 世紀後半の発展したブレトンウッズ体制と社会福祉のふたつの体制は、価値関係を無力化し」、「社会的に必要とされる物の範囲や配分をめぐる支配は大部分、専門的・行政的ビューロクラシーの手中に握られ、彼らは企業、半国家、国家レベルで影響を行使する。」「労働過程と、貨幣の支配と配分を取り巻く諸制度は、・・・内発的な市場諸力によるところは少なくなる。かくして、「膨大な象徴的貨幣形態や派生的貨幣形態―鋳貨、紙幣、為替手形、債券、電子勘定・・・」は、「もはや商品的基礎をもたず」、「価値法則の基礎の上に機能しているのではなく、政府紙幣と中央銀行の信頼の上で運動している。」 (“A Marxist Account of the Relationship Between  Commodity  Money  and  Symbolic  Money…”,  2000.) 上記の理解は現代貨幣を国家貨幣と見るケインズやMMTの貨幣観とも共通する。 ケインズ:「かくて国家貨幣即ち本来の貨幣と、銀行貨幣即ち債務の承認とは相並んで存している。  /  これは立ち代わって国家貨幣それ自らの一層大なる進化へと先導する。銀行貨幣は最早や上記の定義におけるが如き私的債務をあらわすものではなく、国家の負う債務を表示する。・・・かくて或る特殊の銀行貨幣は本来の貨幣―我々が代表貨幣と呼び得るところの本来の貨幣の一種に転形される。併し単に債務に過ぎなかったものが本来の貨幣になったときには、それはその性質を変じ、最早や債務として数えられるべきではない。・・・私はそれ自ら強制的法貨たる貨幣のみならず、国家または中央銀行がそれ自らに対する支払の場合に受取、また強制的法貨と交換すべきを約する貨幣をも国家貨幣として包含したいと考える。かくして多くの今日の銀行券及び中央銀行預金さえもここでは国家貨幣として分類される。」(『貨幣論』) Cf.,クナップ「国家は紙幣に対して他の支払要具を提供しない、・・・国家の債務証書ではない。」「この貨幣は吾々を国家に対する債務を免除する。」 MMT の国家貨幣論: 貨幣は政府がそれを法貨とするから価値を持つ。貨幣が流通するのは税の支払で国家が受け取るからだ。政府は通貨の発行者であり、ファイナンスに制約なく支出できる。中央銀行にはクレディト・リスクもデフォルト・リスクもない。中央銀行通貨はfiat money(外部貨幣)であり、  商業銀行はこのfiat moneyたる国家貨幣(ハイパワードマネー)をベースマネーとして信用貨幣(内部貨幣)を創造する。さらには民間財やサービスの価格は国家が自由に設定することが出来る。地方銀行券はロンドン銀行の銀行券に、ロンドンの銀行券はイングランド銀行券に支えられて流通することができる等々。 


Wray:「イングランド銀行は準備銀行になった。このことが本質的に政府に膨大な購買力を与えることになった。なぜなら、イングランド銀行は政府債務を購入することができ、計算貨幣建ての銀行券は準備として機能するので、いつでも望まれるfiat  money として機能するだろう。」「全ての私有財産経済では、貨幣は支払約束によって作られた計算単位。これらの約束のピラミッドは、ピラミッドのより高い約束(に兌換される)によってお互いに支えられている。」「 一般的に言えば、ピラミッドの中の相対的に高い者によって発行される債務のみが、支払手段や交換手段として流通する。時代を長くとってみると、流通する債務証書のタイプは、ピラミッドの上位のものに、だんだん収斂してきた。」「あらゆる他の資本主義国の場合に於けるように、イングランドはpyramidalな金融制度を発展させた。それぞれの経済的agentは、ピラミッドのより上位のagentの債務に転換される債務を発行する。かくて、企業はその債務を地方銀行券に転化される債務を作る。・・・順に、地方銀行はその銀行券をロンドンの諸銀行によって発行される銀行券に転換される銀行券を発行する。これらのロンドンの銀行は地方銀行の準備を持つ。それらには株式、債券、ロンドン銀行券、さらに預金を含む。もし地方銀行に取付が始まると、そのロンドン銀行は地方銀行の準備に対して銀行券を貸し付けるであろう。」(Wray, “The  Origins  pf Money  and・・・・”, 1993.) Wray:「税が貨幣を生成させるという見解」「人々は税を支払う為に政府から供給される貨幣が必要だから、政府は支出する為に歳入を必要としない。かくて、政府による購入は税収によって制約されない。」「シンプル・モデル」:ドルの提供の源泉は政府への財のサービス以外にないとの枠組み」「税の目的は政府がドルで買うことの出来る財やサービスの供給を促すことである。」「政府が民間部門から購入する財サービスの価格は、政府によって外生的に決められる。そしてこれが通貨の価値を決めるのである。」「政府が税支払のドルを一時的に足らない者にドルを貸し付ける。」「余分なドルを持つ者が足らない者に利子を取って、貸し付ける。」「とにかく、公債販売は政府赤字をファイナンスする為に求められているのではない。むしろ公債販売は、政府が公衆に利子を生む資産を提供し、公衆により多くのドル所得を得させる手段なのである。」「政府が利子を支払うことに何らの困難を伴わない。政府は公債残高に利子支払いのためにドルを発行できるのである。」  (L. Randal Wray, Understanding Modern Money, 1998) Wray:「金であろうが紙であろうが貨幣は政府がそれを法貨とするからこそ価値を持つのだ。」「近代経済では政府は、一部は自らに為される支払を促し、また一部は優遇される民間貨幣、とくに銀行債務が政府債務と等価で決済されるようにするため、手形交換メカニズムの運営する役割を演じている。」(L. R. Wray, “Conclusion: The Credit Money and State  money  Approaches,”  2004) Bell:「あらゆる航空券、プリペードカード、映画の入場券、地下鉄の切符等々もカルタル貨幣の一形態である。かくて、この視点から焦点を狭めて、貨幣の階層性を解明する。」「銀行通貨が彼らの約束書(要求払預金)を一覧払で国家の支払約束書に転換するにしても、このことが銀行通貨が受領される理由ではない。それは銀行通貨が国家発行の通貨と共に、国家のpay-officeで受領されるということこそがその理由である。」「要約すると、すべての貨幣が等しく創造されるのではない。政府、銀行、企業、家計は社会的な計算単位で建値された貨幣を創造できるが、こ


れらの貨幣が同程度に受領されるとは考えられない、ただ、国家のみが税金を課することが出来ることを通じて、国民が罰せられないためにも、受領しなければならない約束書を発行できるのである。国家通貨や銀行通貨の一般的受領性は、税の清算や国家への債務支払いでの有用性から派生する。このことがそれらを階層性におけるdecisive貨幣にし、支払手段や交換手段として広範囲流通させるのである。」(“The role of the state  and  the  hierarchy  of  money”,  2001) (?イングランド名誉革命以降、議会が政府債務を支える新たな税を常に承認して、御用金調達方式を過去のものとしたことが忘却されている。?ランダムな史実の構成?  債務証書と銀行通貨の区別が無い。大きな銀行の銀行券がなくても、小さな銀行の銀行通貨も大きな銀行のものと同様に流通する。制限条例期、イングランド銀行券も兌換準備金やあるいは政府の支えがなくても流通した。貨幣の内生性なり信用貨幣生成の根拠を何に求めているのか?*「貨幣経済での貨幣供給は必然的に内生的に決定される」といいながら、「中央銀行準備に基づく現代の制度」という風に、貨幣創造に準備が必要という?)       (?銀行業の起源。金貸しと銀行業の区別なし。意識すらしていない!国家が税金支払い手段を貸し付けるという発想では、すべての銀行は政府経営の銀行の子会社になろう?)(?古代の金属貨幣の生成の論理を近代以降にも適用し、国家の金属貨幣を信用貨幣の小銭にした資本家的貨幣の生成や近代初期の「マネーの大和解」を無視。信用貨幣に拠らずしては、徴税もおぼつかなかったし、信用貨幣の流通によってはじめて、国家の金属通貨の円滑な流通も確保された事実も見ない。?クナップの言う国家を超える「非国家的支払同盟」など考慮せず。クナップが強調する債務(debt and obligation)の重要性は何処へ行ったのか?御用金調達の世界か?政府が提供するドル現金のたらい回し?タコが自分の足を食べているような議論。このような議論が出てくるのは特異な銀行信用論に由来する。)     (?クナップもイネスも法貨規定に反対している。?イングランドの手形交換所を見よ。手形交換所は政府が運営しているのではない。今もなお、民間の組織である。イングランド銀行も交換所に加盟せずして、やっていけない。) (?まったく銀行信用論への無理解!!?*企業や家計は債務証書を発行できても、貨幣を発行できない。債務証書と貨幣を区別する意識すらなし。流通領域は非国家的貨幣の方が国家を超え、はるかに広い。ケインズは為替手形をも銀行通貨と理解しているが、どうだろう?) 「政治的・財政的権力と貨幣創造との絆こそが中心的である」(Goodhart, “One Government, One Money, 1997)という理解は、資本家的貨幣信用制度には当てはまるのか。カルタリスト=「通貨の使用は本質的に発券当局の権力に基づいているという人々」と、メタリスト=「貨幣の発展を物々交換に内在する取引コストの克服に向けた民間・市場主導の対応と見る人々」という二分化は妥当か? 「信用貨幣のmarket-drive な拡張には一定の社会的政治的制約が存在した。交換の純粋に非個人的な領域にとって本質的な貨幣空間は、事実上、国家によって与えられた。・・・国家は、貨幣空間を創造するのであって、その空間は相互作用が特定の社会的絆やあるいは特別な経済利害をしっかり付着させている社会的グループを取り囲み統合しているのである。」(Ingham, ”What is the essence of money,”  2004)としても、信用貨幣創造の根拠は国家権力(徴税なり法貨規定)にあると言えるのか。 

また、計算貨幣に基づき、国家の金属貨幣が発行されても、直ちに税の支払手段となり、また、税支払手段を得ようとして、財サービスの生産が始まるわけでもない。しかも、古代より国家の計算貨幣で建値されても、支払はすべて金属貨幣によって行われていたのではない。「シュメール、ヒッタイト、ファラオ時代のエジプトといった古代近東の大社会のいずれにも、コインはなかった。また、コインが発明されたあとも、コインが使われなかった地域や都市も沢山あった。・・・フェニキア人やエルトリア人のような偉大な商業民族も、ほとんどコインを造らなかった。」(バーネット『コインの考古学』) 植民地においても税支払手段である貨幣を発行したからといって、人々がその獲得のために、財サービスの生産・販売に向かったわけではない(J.H.ブーケ『二重経済論』、1975 年参照)。セイロンのプランテーション経営:米はタイから、労働力はインドから。シンハラ人は蚊帳の外。 黒田明伸:前近代の貨幣流通。「貨幣が多元的存在する」「貨幣の歴史というのは、この非対称性な事象に彩られていたのである。」(『貨幣システムの世界史』、2003年 )、  ファンタッチ:前近代のそれぞれの金属貨幣は、流通領域を異にしており、金属貨幣間の内在的価値関係を成立させるというような機構は存在していなかった。(”Complementary Currencies,” 2005年) 吉川光治:三貨制度(『徳川封建経済の貨幣的機構』、1991年)。 それではレイやベルの特異な貨幣論は何に由来するのであろうか。ひとつは資本家的貨幣信用制度生成の意義の無理解と、いまひとつは、その通俗的銀行信用論により、貨幣起源論ロジックを資本家的貨幣信用制度に適用することになったからである。 Ⅲ「貨幣の世界システム」の成立―資本家的貨幣信用制度の起源中世商人や金融業者らが創出した非国家的計算貨幣(imaginary money): 国家金属貨幣の計算貨幣(real money)との乖離。imaginary money と為替金融契約と預金銀行との結合による預金通貨=信用貨幣による支払決済システムの生成。「国家を超越する」「非国家的支払同盟」の生成(クナップ)、国内外の支払決済も、「プライベートマネーである預金通貨がソヴリンマネーに取って代わり機能する独自のマネーシステム」、「私的な決済システムの成立」「ヨーロパ大陸規模で通用するプライベートマネー」の出現(マーチン『21世紀の貨幣論』、2014年)。現存する最古の小切手(フィレンツェ、1368年)。 (泉谷勝美『複式簿記生成史論』、1980年、第 3章「フィオリーノ・ドーロとイン・フィオリーノ」参照) cf.,クナップ「ハンブルグ振替銀行が国家的貨幣に対する価値単位と関係なく独立に銀行マルクなる価値単位を創造したことは特に教訓的な事情にして、凡ての支払団体は価値単位を創造し得ることを教えた。」「否支払団体は国家を超越することさえ出来る。」「自己発生的貨幣が存在し得るという疑ひなき事実・・。」「貨幣概念は拡大せられている。」 更に、ブルージュ、ベネチア、アントワープ、リヨン、ブザンソン等のimaginary moneyが国際通貨に。そして、17世紀に「ヨーロッパに唯一の、群を抜いた」金融市場の出現」(Spufford, 2006)。「貨幣の世界システムの成立」「覇権通貨」の出現。 

(拙著『近代初期イギリス金融革命―為替手形・多角決済システム・商人資本―』2004年、第2章「近代初期ロンドンをめぐる国際的多角決済システムの構造」、橋本理博「アムステルダム銀行の決済システム」2013 年、名城邦夫「主権国民国家と計算貨幣によるヨーロッパ貨幣史」2015年参照)。 「資本家的貨幣信用制度の成立」。引受信用の確立による為替手形の変容と、預金銀行の預金通貨による国際的決済の遂行により、まず17,8世紀にアムステルダムのバンク・ギルダーが卓越した国際決済通貨に、次いで1763年シャード―バンキング恐慌以降に覇権の交替が進行。イングランドのポンドが国際通貨に。 国家金属貨幣は信用貨幣の小銭に貶められ、非国家貨幣と国家貨幣の優先劣後構造が鮮明に。資本家的信用貨幣制度(マーチャント・バンカーの引受信用と、預金銀行業での一覧払債務の貸付と債務の返済により創造され消滅する信用貨幣による内外の支払決済システム)に参入する以外、もはや国家の貨幣取引活動は不可能。 資本家的貨幣制度の端緒ははるかに遠く、12 世紀ころの預金通貨の出現、為替金融契約にさかのぼる。そして17世紀に至って、その成立を見た。預金通貨での決済を承認する中世の判例。17 世紀後半のイングランド、コモン・ロー法廷での決済手段としての小切手、銀行券の判例。他方、戦争金融や国家運営でのかつての御用金調達方式から、議会に承認された税に裏打ちされた借入や公債の発行による資金調達方式へと転換する立憲君主制国家と急増する税金。国家とイングランド銀行・商人・金融業者・地主階級等money interestsの結託。=>” memorable alliance「記念すべき同盟」”(G. Ingham, Capitalism, 2008)、「マネーの大和解」(マーティン)の成立。「信用貨幣と鋳貨のhybridization」、「ソブリンマネーとプライベートマネーの融合」。「安定した貨幣空間」と「民間金融革新」の融合。いかなる意味か?国家発行の硬貨はイングランド銀行にとっては資産、イングランド銀行の預金や銀行券は一覧払債務。「 インガム:初期預金銀行とイマジナリー・マネーという土台に「国債の形での公的債務(public debt)と為替手形の形態での民間債務(private debt)」が「ひとつの機関(中央銀行)のオペレーションの中に結合される」ことの結果、「最終的支払手段となる社会的妥当な抽象的価値である」「資本家的信用貨幣」が生み出されてくると見る。 国家金属貨幣の円滑な流通は、近代に至り資本家的信用貨幣制度の成立によってそれらが信用貨幣の小銭とされ、信用制度に取り込まれたことによって、はじめて可能となった。かくて、「17世紀以降、金属通貨の通用価値の調整努力は放棄された」のである(M.  ブロック『ヨーロッパ貨幣史概説 』、 1954年)。 (拙稿「貨幣の世界システムの成立―資本主義的貨幣信用制度の起源―」(『立教経済学研究』第73巻3号所収、2020年1月参照。) Ⅳ銀行信用論の構造中央銀行通貨通用の根拠は、国家による法貨規定や税徴収能力にあるのか?また銀行通貨の通用の根拠は、中央銀行通貨への転換にあるのか?銀行通貨は如何に創造されるのか?国家貨

活動にむすびついて需要され、発行されるのである。それは預金通貨が経済活動の「原因」ともいうべき側面が強いのと対照的に、まさしく経済活動の「結果」である」(『現代の金融構造―新しい金融理論を求めて―』、1977年)。 預金銀行業と為替手形:「ソブリン・マネーに取って代わって機能する独自のマネーシステム」(マーチン)。「 工業化以前のヨーロッパの金融システムの主要な動力は、貸付でなく、支払決済であった。・・・工業化以前のヨーロッパのふたつの主要なイノベーションである預金銀行と為替手形は、この必要に対処するために発展したのであった。元々、貸付はペイメント・システムへの付加物adjunctとして発展した」(M. Kohn,  2001)。 板倉譲治:「本来資金というものは銀行の貸出によって生まれてくるものであって、貸出がいくら増えても資金不足が生ずるということはなく、信用機構の中の資金需給は常に均衡しているというのが、『貸借機構の基本原則』なのであるということです」(『私の金融論』1971年、1995年)。 横山昭雄:「金融システム全体を考えるとき、まずなによりも市中銀行の対民間与信行動が、システム作動の始発点であると、考えたいと思う。・・別な言い方をすればこの経済にあっては、銀行の与信行動が、そしてそれのみが預金すなわちマネーサプライを生み、従って与信残高が、マネーサプライ残高に等しくなる。  /  このように銀行は主として企業に対して信用供与を行い、それに見合って自らの負債としての預金を生み出す。誤解をおそれずに言うならば、銀行はまさに“無から有を生み出すことができる”のであり、一般にこれを信用創造と呼んでいる。現代信用体系が作動するメカニズムは、まずはじめに与信ありきである、ということをここでくりかえし強調しておこう」(前掲書)。 ケインズ:「諸々の銀行が歩調を揃えて前進する限り、安全に創設し得る銀行貨幣の額には何らの制限もないことは明らかである。」「言葉を最も便利に用ふるならば、凡ての預金は其れ等を保有する銀行によって創設されることは疑いを容れないところである。」(『貨幣論』) C. Rogers  & T.  K. Rymes:「貨幣は内生的であるということだけでなく、最重要点は、銀行制度は、・・・何ら外生的な貨幣を必要としない点にまで発展するということである。」「準備など存在しないのである。ベースもないのである。」「ハイパワードマネーや fiat money は何等必要とされないのである。」(“The disappearance  of  Keynes’s  nascent  theory  of  banking between  the  Treatise  and the  General Theory,” 2000)。 ミンスキー:貨幣創造のバランスシート・アプローチとは何か?  「ただし貨幣は、銀行による融資活動の中で創造され、そして、銀行が所有する負債証書の約定が履行されたときに消滅するという点でユニークである。貨幣は正常な業務経過の中で創造され、そして消滅するのであるから、その発行額は資金需要に応じたものになる。銀行は、貨幣の貸し手が直面する制約に縛られていない―銀行は貨幣を貸し付けるにあたって手元に貨幣をもっている必要がない―からこそ重要である。」(『金融不安定性の経済学』1989年) Cf., 内藤敦之氏:レイやベルに共感。とは言え、当然の疑問。「信用貨幣論では貨幣供給が内生

的であるのに対して、表券主義では国家による外生的貨幣供給となるため、対立する見解のように見える。」と。?*「貨幣が流通するのは、税の支払において国家が受領するからである」ということになると、信用貨幣は内生的には創造されないことになろう。また、「信用貨幣は名目的な貨幣であり、支払手段として流通するためには、少なくとも社会による、現実的には国家による保証が必要である。」といわれるが、信用貨幣の流通は預金銀行業での債権債務の決済によって支えられているのであって、これがなければ、国家によってでも支えることもできないであろう。むしろ、資本家的貨幣信用制度の生成により、国家の金属貨幣が円滑に流通するルートが与えられたのである。また銀行間決済についても、「銀行が複数存在するばあいは、決済システムとして中央銀行が必要となる」と言われているが、決済は諸銀行が作る手形交換所があれば、やっていける。中央銀行設立の必然性は別の事情にある。イングランド銀行も18世紀半ばに手形交換所に参加しており、国家によって運営されてきたのではない。今日でも同じである。中央銀行の成立により、中央銀行における振替決済が行われるようになっても、手形交換所の役割は消滅したのではない。また、「中央銀行が民営でない理由の一つは、中央銀行の業務だけでは利潤を追求するのが困難であるという点である」という理解は誤解である。中央銀行は常に十分な収益を上げており、今日、日本銀行は株式会社組織であり、50%以下であるが株式は民間で保有されている。 内藤「貨幣・信用・国家―ポスト・ケインズ派の信用貨幣と表券主義―」、2007年参照。 

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