2021年12月26日日曜日

海保青陵(1755~1817)の経済思想 

2021年度第3回 海保青陵の経済思想 5月4日 | ならしの日本史の会ブログ
海保青陵(1755~1817)の経済思想 


米の切手も、金の切手も、通用する味は同じこと也。



海保青陵1755~1817(1806年)「新墾談」『全集』p.299


https://ies.keio.ac.jp/upload/Shizume_Paper.pdf


儒学者・海保青陵(17551817年)




17 蔵並(1976299-300頁。蔵並(1990117-121頁も参照。


海保青陵の経済思想 

青栁淳子 


https://jshet.net/docs/conference/78th/aoyagi.pdf





歴史からみた現代貨幣理論の適用可能性:日本の事例を中心に(未定稿)*    

20201 早稲田大学 鎮目 雅人    


https://ies.keio.ac.jp/upload/Shizume_Paper.pdf


儒学者の海保青陵(17551817年)


 米の切手も、金の切手も、通用する味は同じこと也。……利息の出ぬ金をつかふておるよふなものなれば、けしからず上の御経済になること也。……御国にて、金がすくなふてギチギチしておりながら、米札を作らぬといふこと、大油断なること也。……わけもなきに米札・サシ米などを願へば、山師のよふにていかがしけれども、此度は新田開発の御用仰せ付けられたれば、誠に屈強の手がかり天より下されたる福也。……上より御払を米札にて御出しなされば、金銀は出ずに、金銀とどこふらぬ理也。……されば御家中も、くりまわしに甚勝手宜しき也。町方・村方も、米札が金銀なれば、金銀多ふて融通よろし。


18 海保青陵「新墾談」『全集』p.299


1.海保青陵 (かいほ・せいりょう)

丹後宮津藩青山家(4万8000石)家老、角田市左衛門(500石)の長子、宝暦5年(1755)江戸で出生。名は皐鶴、字は万和、号は青陵、通称儀平。父の市左衛門は藩主青山幸道の従兄弟で藩の勝手掛。内紛により隠居、宝暦6年(1756)2歳儀平が家督相続。宝暦8年藩主が美濃郡上藩に移封、一家は暇を願い浪人となる(市左衛門は生涯青山家から20人扶持と金100両を毎年支給された)。幼少にして父に、10歳からは宇佐美灊水(荻生徂徠晩年の高弟)に儒学を学ぶ。16、7歳の頃、蘭方医桂川家に住込みで学ぶ。明和8年(1771)父が尾張藩に出仕、安永5年(1776)弟に家督を譲り尾張藩に出仕させ、祖父の父の海保姓を名乗り、郡上藩(4万8000石)儒者として奉公(家禄150石)。安永8年(1779)日本橋檜物町に学塾を開き禄を返上。寛政元年(1789)上洛、江戸と京都を中心に各地を遊学、財政難に悩む大藩の高級武士や商人に経世策を説く一方、各地の産業や経済を見聞し自身の思想を深める。金沢に2年ほど逗留、文化3年(1806)京都に開塾。文化14年(1817)63歳で京都に没す。

 著書『稽古談』文化10年(1813)刊、全5巻。代表作。青陵の知識・経験・見聞・思索をカナ混じり文で叙述。富国策・儒者批判など。

『新墾談』文化3年(1806)加賀藩から新田開発の命を受けた越中戸出村豪商からの相談

への返書。費用捻出方法、大坂商人の実践例、藩との交渉の注意点などを挙げている。

『経済話』加賀藩滞在中(文化3年)藩士や豪農商と交した富国、興利などにいての見解


https://ameblo.jp/narashino-nihonshi/entry-12676686887.html

2021年度第3回 海保青陵の経済思想 5月4日

  海保青陵の合理的思考-『稽古談』の検討-

1.海保青陵 (かいほ・せいりょう)

丹後宮津藩青山家(4万8000石)家老、角田市左衛門(500石)の長子、宝暦5年(1755)江戸で出生。名は皐鶴、字は万和、号は青陵、通称儀平。父の市左衛門は藩主青山幸道の従兄弟で藩の勝手掛。内紛により隠居、宝暦6年(1756)2歳儀平が家督相続。宝暦8年藩主が美濃郡上藩に移封、一家は暇を願い浪人となる(市左衛門は生涯青山家から20人扶持と金100両を毎年支給された)。幼少にして父に、10歳からは宇佐美灊水(荻生徂徠晩年の高弟)に儒学を学ぶ。16、7歳の頃、蘭方医桂川家に住込みで学ぶ。明和8年(1771)父が尾張藩に出仕、安永5年(1776)弟に家督を譲り尾張藩に出仕させ、祖父の父の海保姓を名乗り、郡上藩(4万8000石)儒者として奉公(家禄150石)。安永8年(1779)日本橋檜物町に学塾を開き禄を返上。寛政元年(1789)上洛、江戸と京都を中心に各地を遊学、財政難に悩む大藩の高級武士や商人に経世策を説く一方、各地の産業や経済を見聞し自身の思想を深める。金沢に2年ほど逗留、文化3年(1806)京都に開塾。文化14年(1817)63歳で京都に没す。

 著書『稽古談』文化10年(1813)刊、全5巻。代表作。青陵の知識・経験・見聞・思索をカナ混じり文で叙述。富国策・儒者批判など。

『新墾談』文化3年(1806)加賀藩から新田開発の命を受けた越中戸出村豪商からの相談

への返書。費用捻出方法、大坂商人の実践例、藩との交渉の注意点などを挙げている。

『経済話』加賀藩滞在中(文化3年)藩士や豪農商と交した富国、興利などにいての見解

2.青陵の時代「今の世」

 a.武士の困窮化と都市商人の台頭

安永~文化年間(1770年代~1810年代)、25歳~63歳。

  活動の主要フィールドは江戸、加賀、京都。

諸藩の慢性的財政難、商品経済の発展、都市における商人の台頭。

天明期の飢饉をはじめ、大火、疫病、水害、百姓一揆の頻発。

都市への貧窮人の流入など社会不安が膨れ上がる。

民衆は幕府や諸藩にたいし仁政を要求。

幕政・藩政の統治機能は不調をきたしており、経世家へのニーズは高まる。

 b.実学への傾斜

青陵は朱子学、徂徠の考証学、桂川の蘭学などを学びつつ「現実問題への解」を求める

  武士階層および諸藩の「困難」と商品経済・商業的経済機構の関係との認識

  従来の「抑商策」の否定

  シロモノ理論による社会関係論

具体的な興利→富国策による藩財政の再建・武家の没落回避を主張

   「入るを量りて出るを制す」ではもうダメだ

    商品経済が否定できないのだから、それを積極的に利用しよう

3.『稽古談』を読む

 [巻之一]

 1 今(江戸中後期)の社会と孔孟の社会

   ―学者(儒者)批判

 2 泰平の政論と乱世の政論

 3 シロモノ論

   「君臣」関係は市道なり

 4 算用の重要性

 5 大名経営の欠陥―元方(収入策)軽視

 6 富国(藩)の計策

    ―国力としての民

 7 富国の基礎

    ―民の力を引き出す

 8 江戸的武風の批判

 9 格式・商人・貧富

 [巻之二]

 10 興利と牧民

 11 人の情意・常識と算用

    ―仙台領サシ米の例

 12-1 実用的学識

    ―升小(片山蟠桃)の例

 12-2 産物廻しと講

    ―民を動かす

  [巻之三]

 13 流行と勤勉

 14 天の宝を得る法

 15 役柄(専門性)と地位(格式)

  [巻之四]

 16 相対的視点と根源的視点

  [巻之五]

 17 一国一味方―上下ともに良き法

 18 産物廻しの国富論

 19 朋党の弊害

 20 世に治乱貧富ナシ

政ヲスル人ノ心ニアル也

 天保改革の吏員たちが、青陵の著述を参照した

 天下の万物は理[天]から発生。働きかければ宝は生ずる

 儒者は空論のみ。富国の具体策を提起できない。つまり有効な解決策を持たない。

 智を活かす、智慧を活かす  合理主義と実学志向

 統治は命令・強制ではなく、誘導。人間を誘導する情の知を要する

 幕政批判は意図的に封印した

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