米の切手も、金の切手も、通用する味は同じこと也。
海保青陵1755~1817(1806年)「新墾談」『全集』p.299。
https://ies.keio.ac.jp/upload/Shizume_Paper.pdf
儒学者・海保青陵(1755~1817年)
17 蔵並(1976)299-300頁。蔵並(1990)117-121頁も参照。
海保青陵の経済思想
青栁淳子
https://jshet.net/docs/conference/78th/aoyagi.pdf
歴史からみた現代貨幣理論の適用可能性:日本の事例を中心に(未定稿)*
2020年1月 早稲田大学 鎮目 雅人
https://ies.keio.ac.jp/upload/Shizume_Paper.pdf
儒学者の海保青陵(1755~1817年)
米の切手も、金の切手も、通用する味は同じこと也。……利息の出ぬ金をつかふておるよふなものなれば、けしからず上の御経済になること也。……御国にて、金がすくなふてギチギチしておりながら、米札を作らぬといふこと、大油断なること也。……わけもなきに米札・サシ米などを願へば、山師のよふにていかがしけれども、此度は新田開発の御用仰せ付けられたれば、誠に屈強の手がかり天より下されたる福也。……上より御払を米札にて御出しなされば、金銀は出ずに、金銀とどこふらぬ理也。……されば御家中も、くりまわしに甚勝手宜しき也。町方・村方も、米札が金銀なれば、金銀多ふて融通よろし。
18 海保青陵「新墾談」『全集』p.299。
1.海保青陵 (かいほ・せいりょう)
丹後宮津藩青山家(4万8000石)家老、角田市左衛門(500石)の長子、宝暦5年(1755)江戸で出生。名は皐鶴、字は万和、号は青陵、通称儀平。父の市左衛門は藩主青山幸道の従兄弟で藩の勝手掛。内紛により隠居、宝暦6年(1756)2歳儀平が家督相続。宝暦8年藩主が美濃郡上藩に移封、一家は暇を願い浪人となる(市左衛門は生涯青山家から20人扶持と金100両を毎年支給された)。幼少にして父に、10歳からは宇佐美灊水(荻生徂徠晩年の高弟)に儒学を学ぶ。16、7歳の頃、蘭方医桂川家に住込みで学ぶ。明和8年(1771)父が尾張藩に出仕、安永5年(1776)弟に家督を譲り尾張藩に出仕させ、祖父の父の海保姓を名乗り、郡上藩(4万8000石)儒者として奉公(家禄150石)。安永8年(1779)日本橋檜物町に学塾を開き禄を返上。寛政元年(1789)上洛、江戸と京都を中心に各地を遊学、財政難に悩む大藩の高級武士や商人に経世策を説く一方、各地の産業や経済を見聞し自身の思想を深める。金沢に2年ほど逗留、文化3年(1806)京都に開塾。文化14年(1817)63歳で京都に没す。
著書『稽古談』文化10年(1813)刊、全5巻。代表作。青陵の知識・経験・見聞・思索をカナ混じり文で叙述。富国策・儒者批判など。
『新墾談』文化3年(1806)加賀藩から新田開発の命を受けた越中戸出村豪商からの相談
への返書。費用捻出方法、大坂商人の実践例、藩との交渉の注意点などを挙げている。
『経済話』加賀藩滞在中(文化3年)藩士や豪農商と交した富国、興利などにいての見解
2021年度第3回 海保青陵の経済思想 5月4日
海保青陵の合理的思考-『稽古談』の検討-
1.海保青陵 (かいほ・せいりょう)
丹後宮津藩青山家(4万8000石)家老、角田市左衛門(500石)の長子、宝暦5年(1755)江戸で出生。名は皐鶴、字は万和、号は青陵、通称儀平。父の市左衛門は藩主青山幸道の従兄弟で藩の勝手掛。内紛により隠居、宝暦6年(1756)2歳儀平が家督相続。宝暦8年藩主が美濃郡上藩に移封、一家は暇を願い浪人となる(市左衛門は生涯青山家から20人扶持と金100両を毎年支給された)。幼少にして父に、10歳からは宇佐美灊水(荻生徂徠晩年の高弟)に儒学を学ぶ。16、7歳の頃、蘭方医桂川家に住込みで学ぶ。明和8年(1771)父が尾張藩に出仕、安永5年(1776)弟に家督を譲り尾張藩に出仕させ、祖父の父の海保姓を名乗り、郡上藩(4万8000石)儒者として奉公(家禄150石)。安永8年(1779)日本橋檜物町に学塾を開き禄を返上。寛政元年(1789)上洛、江戸と京都を中心に各地を遊学、財政難に悩む大藩の高級武士や商人に経世策を説く一方、各地の産業や経済を見聞し自身の思想を深める。金沢に2年ほど逗留、文化3年(1806)京都に開塾。文化14年(1817)63歳で京都に没す。
著書『稽古談』文化10年(1813)刊、全5巻。代表作。青陵の知識・経験・見聞・思索をカナ混じり文で叙述。富国策・儒者批判など。
『新墾談』文化3年(1806)加賀藩から新田開発の命を受けた越中戸出村豪商からの相談
への返書。費用捻出方法、大坂商人の実践例、藩との交渉の注意点などを挙げている。
『経済話』加賀藩滞在中(文化3年)藩士や豪農商と交した富国、興利などにいての見解
2.青陵の時代「今の世」
a.武士の困窮化と都市商人の台頭
安永~文化年間(1770年代~1810年代)、25歳~63歳。
活動の主要フィールドは江戸、加賀、京都。
諸藩の慢性的財政難、商品経済の発展、都市における商人の台頭。
天明期の飢饉をはじめ、大火、疫病、水害、百姓一揆の頻発。
都市への貧窮人の流入など社会不安が膨れ上がる。
民衆は幕府や諸藩にたいし仁政を要求。
幕政・藩政の統治機能は不調をきたしており、経世家へのニーズは高まる。
b.実学への傾斜
青陵は朱子学、徂徠の考証学、桂川の蘭学などを学びつつ「現実問題への解」を求める
武士階層および諸藩の「困難」と商品経済・商業的経済機構の関係との認識
従来の「抑商策」の否定
シロモノ理論による社会関係論
具体的な興利→富国策による藩財政の再建・武家の没落回避を主張
「入るを量りて出るを制す」ではもうダメだ
商品経済が否定できないのだから、それを積極的に利用しよう
3.『稽古談』を読む
[巻之一]
1 今(江戸中後期)の社会と孔孟の社会
―学者(儒者)批判
2 泰平の政論と乱世の政論
3 シロモノ論
「君臣」関係は市道なり
4 算用の重要性
5 大名経営の欠陥―元方(収入策)軽視
6 富国(藩)の計策
―国力としての民
7 富国の基礎
―民の力を引き出す
8 江戸的武風の批判
9 格式・商人・貧富
[巻之二]
10 興利と牧民
11 人の情意・常識と算用
―仙台領サシ米の例
12-1 実用的学識
―升小(片山蟠桃)の例
12-2 産物廻しと講
―民を動かす
[巻之三]
13 流行と勤勉
14 天の宝を得る法
15 役柄(専門性)と地位(格式)
[巻之四]
16 相対的視点と根源的視点
[巻之五]
17 一国一味方―上下ともに良き法
18 産物廻しの国富論
19 朋党の弊害
20 世に治乱貧富ナシ
政ヲスル人ノ心ニアル也
天保改革の吏員たちが、青陵の著述を参照した
天下の万物は理[天]から発生。働きかければ宝は生ずる
儒者は空論のみ。富国の具体策を提起できない。つまり有効な解決策を持たない。
智を活かす、智慧を活かす 合理主義と実学志向
統治は命令・強制ではなく、誘導。人間を誘導する情の知を要する
幕政批判は意図的に封印した
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