2021年12月7日火曜日

岩村充2021/12/07 はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か

経済学主流派の欺瞞を暴いた新理論の正体

「MMT」のどこが正しく、どこが間違っているのでしょうか(写真:khadoma/PIXTA)  

いま世界で注目を集めている「現代貨幣理論」(Modern Monetary Theory)。「政府が自国通貨建てで支出する能力に制約はなく、財政赤字や国債残高は気にしなくてよい。したがって、税収ではなく、インフレ率に基づいて財政支出を調整すべき」という大胆な主張を展開し、経済学主流派を激しく動揺させている。はたしてMMTは画期的な新理論なのか、暴論なのか。日銀出身の経済学者・岩村充氏の最新作『国家・企業・通貨 グローバリズムの不都合な未来』から、MMTについての議論の一部を紹介しよう。

反緊縮系リベラルの「期待の星」

MMTの核心にして従来の政策論と異なる部分は、財政に関するルールを考えるとき、何が何でも借金は悪だという思い込みから脱し、財政規律をインフレ率基準に切り替えるべきという主張をするところにあると思います。つまり、財政の運営目標を収支均衡に置くのではなく、インフレ率が高くなったら増税し、デフレが問題になったら減税する、それで悪くないだろうという主張です。

確かに悪くない、そういう気もするでしょう。現在の金融政策についての考え方は、インフレ率を基準に政策を運営し、インフレ率が上がってきたら引締め、下がってきたら緩和というものですから、MMTは、そこでの金融政策という部分を財政政策に置き換えただけで、その観点からは確かに悪くないような気がするはずだからです。

彼女たちの主張は、従来の主流派ともいえる経済学者たちが当然としてきた金融政策ルール(「テイラールール」など)の財政政策版だとも言えるわけです。

そして、その応用問題として、インフレ率が問題になるほどに上昇し始めたら財政を抑えればよいのだから、それが問題になっていない今のアメリカなら、財政は福祉の充実とか教育の無償化などにもっと力を注げるはずだ、という政策主張が導かれた。

それが新古典派的な均衡財政論の下で鬱屈していたアメリカ民主党の「反緊縮」系リベラルの人たちに歓迎されたというのが、ここにきてMMTがにわかにブームになった背景なのでしょう。

はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か

経済学主流派の欺瞞を暴いた新理論の正体

さて、このMMTですが、アメリカの経済学界の主流と位置づけられる大先生方からは、拒絶というよりは怒りに近い反応を呼び寄せてしまったようです。

経済学主流派の金融政策に関するコンセンサスは「インフレが生じたら引締め、デフレには緩和で」というもののはずですから、MMTの議論は、そのコンセンサスの領分を通貨の世界から財政にまで拡張するものとして歓迎されてもよさそうなものなのですが、MMTが受けたのは称賛ではなく批判あるいは非難でした。

MMTへの批判や非難の中には、経済政策論における近親憎悪のようなものも混じっているのですが、そうした批判や非難を別にすれば、経済学的に筋が通った批判も少なくありません。なかでも私が重要だと思うのは「金利が動けば財政は物価に影響しない、(赤字覚悟の)財政出動は金利がゼロ下限に達してからのみ意味がある」という命題を軸にしていると思われる批判です。

しかし、そうした批判をしているアメリカの主流派経済学者たちの多くは、バブル崩壊後の日本を「流動性の罠」に陥っていると分析したうえで「金利がゼロ下限に達しているのだから、(財政拡大ではなく)貨幣を増やしてインフレを起こせ」と提言してくれていたのですから、ことほどさように、MMTは、既存の学者たちの矛盾を突いている面があり、それが正統派を自認する学者たちを怒らせるのでしょう。

MMTの難点

MMTに反発する学界主流派の中には、日本でも有名なポール・クルーグマンやケネス・ロゴフあるいはロバート・シラーなど超大物が顔をそろえていますし、実務エコノミストからもサマーズ元財務長官とかジェローム・パウエル現FRB議長なども攻撃側に立つという具合です。

一方で、MMTの主唱者ステファニー・ケルトンは、それまでほぼ無名だった1969年生まれの大学教授です。普通なら臆しそうなものなのですが、私が彼女をすごいなと思うのは、そうした権威筋や実権派の面々にひるまず反論するところです。

このあたりの風景は、はたで見ている分には、彼女があのジャンヌ・ダルクのように映るところもあって、やや不謹慎ながら「よっ、ケルトン!」とでもお声かけしたくなるところもあるのですが、それはやめておきましょう。彼女の主張は、いくら何でも難点が多すぎるからです。

私が思うMMT最大の難点は、財政拡大とインフレとを単純に結びつけている点です。なぜそれが難点になるのかを、私がいつも議論の拠り所としてきたFTPL(物価水準の財政理論:Fiscal Theory of the Price Level)の物価決定式で説明しておきます。

■FTPLの物価決定式

現在の物価水準
=(市中保有国債の現在価値+現在の通貨発行量)÷税収など政府における将来収入の現在価値

例えば、育児支援とか教育無償化のような施策を政府の財政負担で推進したとします。財源は国債の発行だとしましょう。そのとき物価にインフレ的な圧力が生じるでしょうか。


はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か

経済学主流派の欺瞞を暴いた新理論の正体

国債発行で分子が増えればそうなるはずだという気がするかもしれませんが、そうとも限りません。日本でも、育児支援や教育無償化について、これらの施策が長期的には国の豊かさをもたらすから重要なことなのだと主張する人がいます。ところで、本当にこれらの施策が国に豊かさをもたらしてくれるのなら、育児支援や教育無償化はインフレ圧力を生まないはずです。

なぜなら、そうして育てられた世代がやがて生産活動に参加してくれるようになれば、分母の将来税収を増やしてくれるでしょうし、それは現在の物価水準を押し下げる効果、つまりデフレ効果すら生み出すはずだからです。つまり、こうした施策が現在時点でインフレ的な効果を生むかデフレ的効果を生むかは、それらが将来の日本を豊かにしてくれるか、あるいはそうでないかということについて人々が抱く予想次第なのです。

育児支援や教育無償化など福祉の拡充を主張するMMT派の議論に対して、「そんな主張を認めたらインフレになる、それもハイパーインフレになる」という理由で反対する政治家や有識者も少なくないようです。

しかしその一方で同じ人たちが、日本経済に成長力を取り戻すために役に立つのだというような理由で、育児や教育への支援に賛成するのを見たり聞いたりすると、彼らの頭の中はどうなっているのかとのぞき込みたくなるようなところがあります。

育児支援にも教育支援にも「賛成」の理由

誤解がないように書き添えておくと、私は育児支援にも教育支援にも賛成です。ただ、それに賛成する理由は、そうした施策が人々の「心の豊かさ」につながるから賛成なのであって、将来の税収増を期待して賛成するわけではありません。

ですから、そうした施策がインフレ圧力を生むのなら、それが意図せざる分配の不公正を生まぬよう、金利を引き上げて人々の将来への備えである貯蓄がインフレで目減りするのを防ぐのが中央銀行の仕事だと思っています。また、そうして対処できるインフレは、MMT批判者が言うような「ハイパーインフレ」なんかではない、普通のインフレだとも思っています。

ただ、そこまで断ったうえでも、MMTは危険な主張だといえます。それは、インフレが生じてきたら増税すればいいという、何となく穏当そうに見える主張の背後にあります。

経済学主流派の面々がケルトンに最もてこずっている点は、彼女がこうした「安全装置」を付けて、「安全装置が付いているから財政を拡張してもいいでしょう」という議論を展開しているところにあるようですが、私からすればこれが最も危険な主張に思えます。

それはインフレに増税で対処することを自動化すれば、財政を拡張しても問題ないという発想自体が危ういからです。

育児支援や教育無償化などと言うと論点が錯綜するので、この際、少なくとも簡単には将来の富を生まない財政活動を思い浮かべてください。

ケインズ経済学の有名なたとえ話である「道路に穴を掘って埋め戻すという工事でも、失業を解消し総需要を拡大するから、経済にプラスになる」というのでもいいのですが、ややたとえが古臭いので、「毎年百万人の高校生を修学旅行として宇宙ステーションに招待し、そこで青い地球をながめることで環境問題の重要さを感じてもらう」というあたりでどうでしょうか。


はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か

経済学主流派の欺瞞を暴いた新理論の正体

こんなプロジェクトを国が始めたら。まあ、普通はインフレが起こるでしょう。それが費用に見合うほどの将来税収を生まないことはまず間違いないからです。

そこでケルトンの議論に従えば増税することになります。そうして増税すれば物価決定式が示すとおりでインフレは抑え込めそうです。でもインフレが抑え込まれれば、宇宙修学旅行計画は合理的であるとされ、次には月世界旅行や火星旅行に計画は拡大するということになるかもしれません。それでインフレが起こればまた増税、というサイクルになります。

この辺りで私たちはケルトンの議論の問題点に気づくことになるでしょう。「インフレ率が限度を超えたら増税」というMMT派のルールは、インフレが起こるような財政活動自体を制約するものではないので、そんな単純なルールを作って安心していると、経済学的には効率が悪い政策の自己拡大サイクルに財政運営が引きずり込まれかねないのです。

そして、それは「インフレ率が限度を超えるまでは緩和」という単純なルールで株価を不自然なまでに釣り上げる一方で、貧富の格差拡大に目を背け続けてきた主流派経済学者や中央銀行たちの姿に重なります。

単純なルールによる副作用の自己拡大というリスクを見逃しているのはケルトンの幼さですが、自分たちが主張するルールに潜む同じ問題に気がつかない主流派経済学者たちや中央銀行たちの問題は、幼さではなく傲慢さが背景にあるだけに、実はケルトンより厄介かもしれません。

政府に財政の自由を与える怖さ

MMT的ルールの問題は、状況を裏返しにしても見えてきます。この際、わが日本政府が、採算重視で「もうかるプロジェクト」を推進したとします。普通の政府は商売が苦手のようですが、普通の民ではできない商売なら成功するかもしれません。

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東京湾を埋めたてて刑法の賭博罪が適用されない大カジノセンターを作るとか、このごろはやり始めた「情報銀行」を作って個人情報を独占管理し、小売業者や金融機関に利用を強制するなどというのは、国のプロジェクトとして運営すれば大儲けできて国の借金が減る可能性だってあります。

そうすると物価は下がりますから減税ということになります。カジノも情報銀行も大成功となってしまいます。

でも、そんなサイクルを回し始めたら、わが日本はカジノ国家にしてビッグブラザー国家への道を猛進することになりかねません。インフレが起こらなければいいというような単純なルールを、しょせんは貨幣価値を操るだけが分担業務の中央銀行に適用するのではなく、中央銀行などよりはるかに万能の国家全体に適用するときの怖さをケルトンたちには認識してほしいものです。

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