2020年12月30日水曜日

アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975

ハンセン
ハミルトン


Alvin Hansen, 1944 Stephanie Keltonさんのツイート  https://twitter.com/stephaniekelton/status/1426662661253746695?s=21

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A properly planned program of governmental spending will lead to an expansion of our economy on the one hand, he said, while there will be "less discussion of the public debt twenty years from now because we will have lived with a large public debt for twen- ty years and have found that we can live with one quite comfort- ably." 

 Dr. Hansen, consultant to the Federal Reserve Board, met a wider acceptance on the panel in emphasizing the need for a devel- opmental fiscal program which, as he described it in broad terms, would involve long-range planning by the Federal Government to as- sist the localities in education, đi- versifying industry, health and other functions that would tend to increase living standards. "If we carry out a thorough- going social security program and combine it with a developmental program," he said, "the conven- tional business cycle will change. It won't be the same animal at all." He held that better education, housing and health among the low income groups would raise their productive capacity, which in turn would increase their revenues, thus creating "a higher living standard improving

適切に計画された政府支出プログラムは、一方では経済の拡大をもたらし、他方では「20年後には公的債務についての議論は少なくなるだろう。なぜなら、我々は20年間大きな公的債務を抱えて生きてきて、1つの公的債務でも十分快適に生きられることがわかったからだ」と述べた。

連邦準備制度理事会(FRB)のコンサルタントであるハンセン博士は、発展的財政プログラムの必要性を強調し、より多くの人々に受け入れられた。「徹底した社会保障制度を実施し、それを発展的なプログラムと組み合わせれば、従来のビジネスサイクルは変わるだろう。今までとは全く違うものになるだろう」と述べた。彼は、低所得者層の教育、住宅、健康状態が改善されれば、彼らの生産能力が向上し、その結果、収入も増え、「より高い生活水準の向上」が実現すると主張した。

アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975


ハンセンが『財政政策と景気循環』原著1941でハミルトンに肯定的に言及している。邦訳では8頁に及ぶ。

165頁
9:5
 合衆国における公債論争

173頁
 公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債は移転であって負担を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪であるという一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場から云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来されたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかった。ハミルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお妥当性をもっている。公信用という手段の背後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必要なのである。

(ケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

ハンセン



One of the most startling innovations of all time was the daring scheme of William Paterson back in 1694 to establish the Bank of England. Imagine what a professionally trained academic economist would have said about a scheme to create money out of thin air." ~Alvin H. Hansen

cf.
The American economy.
by Hansen, Alvin Harvey,
1957
p.153
https://archive.org/details/americaneconomy0000hans/page/152/mode/2up





『アメリカの経済』、小原敬士・伊東政吉訳、東洋経済新報社、1959年(1957)
195~7頁より


 空前の驚異的な新機軸のひとつは、イングランド銀行を設立するための一六九四年に遡るウィ
リアム・パタースン William Paterson の大胆な計画案であった。専門的な訓練をうけたアカデミ
ックな経済学者(1)が、稀薄な空気から貨幣を創造する計画案についてなんといったかを想像してみよ

わたくしが間違っていなければ、一八六七年にはじめて野球のカーブが投げられたときに、物理
学者はそれは運動の法則に反するものであって、まったくありえないと説明した。もちろん後には
合理的説明が経験に追いついた。経済学においてもしばしばそういうことがあった。労働組合制
度はイギリスばかりでなく、アメリカにおいても一九世紀の前半にあちらこちらに現われ、一八七
〇年になるとイギリスにおいてしっかりと恒久的に確立された。しかしながら専門の経済学者にと
っては、労働組合制度は経済理論に関するかぎり、いぜんとしてかなりの難問題であった。そして
シドニー=ベアトリス·ウェッブ Sidney and Beatrice Webb 夫妻が一八九七年に『産業民主制』
(Industrial Democracy)を書いたときに、ずっと前から確立されていたこの制度について、社会民主
制におけるその役割を示すような重要な経済分析がはじめておこなわれたのである。ビスマルクが
一八八四〜一八八七年にドイツに社会保障を導入したときには、その提案は決して経済研究の所産
ではなかった。しかし約二〇年後になると、ウィリアム・ビヴァリッジ William Beveridge 卿が
社会保障原理に一般的に承認される合理的説明を与えた。そういったぐあいである。

(1)ウィリアム・パタースンと同時代人であるウイリアム・ペティ William Petty 卿とグレゴリー・キング
Gregory King の有名な独創的な業績について注意を払わねばならない。これらのひとたちは「政治算術」という新科学を発展させつつあった。


アルヴィン・ハンセン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3

アルヴィン・ハンセン

アルヴィン・ハーヴィ・ハンセン(Alvin Harvey Hansen、

1887年

8月23日

-

1975年

6月6日

)は、

アメリカ

経済学者

。1937年から

ハーバード大学

教授として活躍。専門は

マクロ経済学

。ケインズ革命をアメリカにもたらすことに尽力し、アメリカン・

ケインジアン

とも呼ばれたが、一方では、幅広い経済問題をも取り上げた。日本ではアーヴィン・ハンセンとも呼ばれる。

アルヴィン・ハンセン

ネオケインジアン経済学

生誕
1887年8月23日
サウスダコタ州ヴィボルグ
死没
1975年6月6日(87歳)
ヴァージニア州アレクサンドリア
国籍
 アメリカ
研究機関
ハーバード大学
研究分野
マクロ経済学, 政治経済学
母校
ウィスコンシン・メディソン大学
ヤンクトン・カレッジ
影響を
受けた人物
ジョン・メイナード・ケインズ
影響を
与えた人物
ジョン・ヒックス
ポール・サミュエルソン
ジェームス・トービン
ロバート・ソロー
実績
IS-LMモデル
(ヒックス=ハンセン総合)
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経歴
  • 1887年 デンマークからの移民である両親のもと、サウスダコタ州ヴィブルグ(Viborg)に生まれる。
  • 1910年 Yankton Collegeダコタ校でBSを終了。数年間、教師をした後、ウィスコンシン大学の大学院に進む。
  • 1916年 ブラウン大学で教え始める。
  • 1918年 ウィスコンシン大学マディソンでPh.D.を得る。
  • 1919年 ミネソタ大学で景気循環を教える。
  • ワシントンでEdwin E. Witteの「1935年社会保障法」ドラフト作成に協力。
  • ブラウン大学で教える。
  • 1923年 ミネソタ大学で教える。
  • 1933年 - 1934年 ルーズヴェルト大統領が主催する国際経済関係の国家政策調査委員会の長官を務める。
  • 1937年 政治経済学教授としてハーバード大学へ移る。
  • 1937年 アメリカ統計学会の副会長になる。
  • 1937年 - 1938年 社会保障に関する大統領諮問会議の委員となる。
  • 1940年 - 1945年 連邦準備銀行制度の理事会の特別経済顧問を務める。 
  • 1941年 - 1943年 米加経済委員会の議長となる。
  • 1957年 ハーバード大学を退官(その後、ボンベイ大学やアメリカの多くの大学で客員教授として教える)。
  • 1967年 アメリカ経済学会の会長を務める。
  • 1975年 バージニア州アレクサンドリアで死去(87歳)

経済学者としての貢献

  • ケインズ革命をアメリカにもたらすことに尽力した。1930年代後半~1940年代初めを通じ、J.E.ウィリアムスと共に指導したハーバード大学の財政政策セミナーを中心に、ポール・サミュエルソンジョン・ケネス・ガルブレイスジェームズ・トービンロバート・ソローオスカー・ランゲニコラス・カルドア都留重人といった学生に、ケインズ主義に肯定的な態度を伝授した。
  • IS-LMモデル(Hicks-Hansen総合)
  • ハンセンの在庫循環モデル

主要著作

  • 『景気循環論』、小川福太郎訳、日本評論社、1933年 
  • 『経済政策と完全雇用』、小原敬士訳、好学社、1949年
  • 『財政政策と景気循環』、都留重人訳、日本評論社、1950年
  • "Business Cycles and National Income",1951(P471-476、在庫循環モデル)
  • 『ケインズ経済学入門』、大石泰彦訳、東京創元新社、1953年
  • 『貨幣理論と財政政策』、小原敬士・伊東政吉訳、有斐閣、1953年
  • 『アメリカの経済』、小原敬士・伊東政吉訳、東洋経済新報社、1959年
  • 『1960年代の経済問題』、小原敬士訳、ダイヤモンド社、1961年
  • 『ドルと国際通貨制度』、鈴木浩次訳、東洋経済新報社、1966年
  • 『戦後のアメリカ経済』、名和献三・大川勉訳、雄渾社、1967年
  • 『ケインズ経済学入門』入門シリーズ、大石泰彦訳、東京創元新社、1973年
  • 『ケインズ経済学入門』現代社会科学叢書(新装版)、大石泰彦訳、東京創元社、1986年

外部リンク

  • Biography
  • Biography
  • IS-LM Model

キング(Gregory King) (読み)きんぐ (英語表記)Gregory King

イギリスの政治算術派の統計学者。イングランドのリッチフィールドに生まれ、ロンドンに出て製図、測量などの技術を学び、1677年に紋章官となり、のち徴税監督官ともなった。紋章学についての著作もあるが、彼を有名にしたのは『イングランドの状態についての自然的政治的観察と結論』Natural and Political Observations and Conclusions upon the State and Condition of England(1696)で、ここで彼は、イングランドとウェールズの人口、所得、地価、生産量などの推定を行ったが、この書物は今日の国民所得論の先駆をなすものといわれ、また当時の経済状態を知る貴重な資料ともなっている。ほかに『イングランドの海上貿易』Of the Naval Trade of England(1697)などの著書もある。なお、穀物の収穫高と穀物価格との変動の関係を定式化した「キングの法則」によっても知られている。

[浜林正夫]






FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES

By ALVIN H. HANSEN, 1941


原著1941年。これはMMTの先駆である。

ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。

特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166173)

訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。


FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES

By ALVIN H. HANSEN

Copyright, 1941, by

W. W. NORTON & COMPANY, Inc.

NEW YORK, U. S. A.

Published in Japan by arrangement with

Shigeto Tsuru.


財政政策と景氣循環

アルヴィン·エッチ·ハンセン

都留重人譯

日本評論新社

1950


https://www.amazon.co.jp/dp/B000JB9AVK


https://www.amazon.co.jp/財政政策と景気循環-1950-アルヴイン・エッチ・ハンセン/dp/B000JB9AVK



 合衆国における公債論争

 第九章 公債の増加と役割


第二篇 財政政策の新しい役割

 米国経済における公債の役割にかんして、われわれは現在大きな変革期に直面している。過去三十年間のあいだにわれわれは、ほとんど公債がないに等しい十九世紀的伝統の立場から、比較的高額のしかもふえる一方の公債をもつ立場へ転向してきた。それには次の三つの理由があるのである。

 ()地方政府による資本支出の落しい増加、それは道路、学校、下水理設備等のような恒久的施設のためのものである。(27)

 ()1914年の世界大戦

 ()大不況

右に加えて第四の理由として今や第二次大戦に関連しての国防支出が数えられねばならぬ。すなわち、戦争と、不況と、それから大規模な消費者用資本 (それは国全体の共同的手段によってのみ供給されうるようなものである)への需要がますますふえてきたこと〜〜これ等の現象が原因となり、過去四分の一世紀のあいだアメリカの公債はふえつづけて今や巨額のものとなったしまた現在も増勢をゆるめていないのである。

 前後150年間にわたる連邦政府公債の歴史は五つの主なエピソードを中心として綴られてきた、()連邦拡張、初期、()1812年の戦争、()南北戦争、()第一次世界大戦、()大不況、の五つである。

 右のうち、中の三つは戦争に関連しての連邦債増加の時期である。そういう時期にみられる公債論争は、えてして基本的問題に触れないのが普通であって、議論の中心は主として戦費調達という実際的な問題~~すなわち、どの程度まで租税によって戦費を賄うことができ、また賄うことが妥当であるかという問題~~に限られがちである。

 しかし、右のうち最初と最後の時期には、公債の役割に開する討議はもっと一般的な形でおこなわれ、より基本的な点へ突きこんでいった。そこでは《緊急の必要によって国家に是非なく課せられたところの支出は、如何に工面して支払われ得るか》という問題はそれほど重要親されなかった。少くとも問題はそれだけではなく、《或る所望の目的を達するために、公信用は政府の積極的な道具として利用さるべきであるか》という点も問題の一部を成していたのである。

 最初の時期はアレキサンダー・ハミルトンの偉大なる指導下に蔽われていた観があった。 ハミルトンは新しい連邦政府の地位と権力を強化するために公信用を積極的に利用することを主張した。その常時でいえば膨大と思われる公債の増加も彼は恐れなかったのである。常時と現在との連邦政府の相対的な財政規模を考慮すれば、連邦債の総額はワシントン治下最後の時の方が現在より大きかったといえよう。

 ハミルトンは新しい政府のために、特定の目的を達成せんと望んでいたが、そのためには連邦政府が巨額の公債を背負いこむことが必要であった。しかし、公債の増加を遠慮する彼ではなかった。むしろ彼は、相当額の公債は或る条件のもとにおいては経済にとって確かに一つの強味でもある、と論じ、政府目的のためばかりでなく、或る種の一般的継済目標を達成するためにも、度を越さない範囲で公信用を大幅?に利用することを主張した。

 新連邦政府の公債を最小限度にとどめようと努力しそれすらも出来るだけ早く償却してしまうことを目標としていた反対者たちはただ晒然としたことであろう〜〜ハミルトンは、外国債を受けつぐこと(それは外国での信用を維持するために必要であると一般に認められていたを提案したばかりでなく、「大陸」時代や「連合」時代の内国債や革命連動時代の各州の負債までも受けつぎ整理することを提案したのである。これ等はあわせて七九一二万五〇〇〇ドルに達した。未だ独り立ちのおぼつかない新政府にとって七九〇〇万ドルを越す負債をひきうけるということは、彼の反対者たちによって危険きわまる提案とみなされた。しかしハミルトンは、それこそが新しい連邦政府の基礎をかためる一ばん確かな方法であるとして、この方策を擁護したのである。

 彼の公債論はそれだけではない。彼の「公信用に関する報告第一」(一七九年月九日付)には、公債によって経済が益するところあり、と彼が考えた三つの点が挙げられている。第一の論点は、公債あるがために商人はその遊休資本を政府債券に投資することができ、そのために取入源が一つふえて、商売にあたってもより少ない利潤で仕事ができるようになる、しかも債券は商人が商取引のために必要とあれば即座 に信用源として利用できる、というのである。第二の論点は、公債あるがために農業や製造業が刺激をうけるというのであって、それは、これ等の産業自体に刺激が与えられるだけでなく、《外国貿易に活躍することによってこれ等の産業に好況と拡張の舞台とをもたらす商人》が前述のような便宜をうけるからでもある。第三の論点は、利子率が、流動査産供給の増加のために、低下するだろうということである。ハミルトンは、債券が或る種の目的のためには殆ど貨幣と同等である、と述べている。従って、多額の公債は利子率を下げるであろう、《なんとなれば、利率は常に貨幣の量とその流通の速さとにたいして比例開係にあるからである》という。ダンバー Dunbar はハミルトンの論法を言葉をかえて次のように述べている。


 《 産業の復興は龍全な商業信用の助けをかりてはじめて成就することができ、このような信用の強達のためには公信用の確立と規則的な運用とが必要である、とハミルトンは考えていた。彼は、政府にたいする請求権のかたちで蓄積されている個人の資産が、市場の公認をうけた流通証券に換えられることによって動きだすならば、それは社会に便益をもたらすゆえんである、ということを知っていた。》(28)

 

 ハミルトンが公債によって期待した純経済的な便益とは、このようなものであった。更に新政府の立場からいえば州や連合時代の負債を受けつぐことが中央政府を強化する一つの方法である、ということも彼は知っていた。

 整理公債を不断に割賦償却することによって、資金は《解放され、経常費支出のためなり、新しい借款の基礎となり、臨機応変に将来の役に立てることができる》と彼は論じている。このように運用すれば公債は一種の回転資金のようなものだと考えられる。負債の割賦償却の原則は《公債を不滅なものにする秘訣である……継続的に約束された収入の継続的な解放は、ほとんど無尽蔵ともいい得るよう資金源を産みだすことになる》と彼は云う。更に彼によれば、公信用は《国民の全能力をして速やかに業に就かせよるよう促進する方法》でもある。それは《公共安寧の主柱の一つであるばかりでなく、有用な企業や国内の発展のための重要なエンジンの一つに数えられる》と。(29)

 ハミルトンの反対者等は、彼がピットや英国の財政理論の模倣的な追随者でしかない、といって批難した。ジェファソンは一七九二年にワシントンに書き送っていうには、《ハミルトン大佐と小生との意見の相異点は、小生が負債を明日にも払おうというのにたいし、大佐は永久にこれを弁済することを欲せず、これをもって常に立法部を支配し腐敗堕落させるところの手段にしようとする点に存しております》(30)と。ハミルトンはまた、彼の反対者が彼に塗りつけたところの意見、すなわちあらゆる条件の下において《公債は公金なり》という意見をも否定している。彼は現実的、具体的であった。彼の論点は、当時政治的および経済的立場から新政府が直面しておった諸問題を考慮に入れるとき、《現在の負債を適当に借換整理することは負債を転じて国家的福因たらしめる所以である》というのであった。

 議会における討論にはこの考え方にたいする反針が見うけられる。ジョージアからの一選出議員は、借換整理に伴う破綻のあわれむべき一例は英国にこれを見ることが出来る、と論じ、続けて次のように云っている。


《かの国における借換えや借金の蔓延ぶりは非常なもので、一七八六年にはその国債総額は二億三千万ポンドにまで達していた。どんな楽天家といえどもこのような負担から解放され得る時が来ようとは考え得ないだろう。将来なおも、かの国が財政的困難に狭われることがあつたら結果はどうであろう。他国において既に見られたと同様の帰結を免れることは出来ないにちがいない。国家的破産を招来するか、独立国家としての存在を抹殺されるか、のいずれかである。従って余はわが国における借換えの施策がわが共和国の福利にとって著しく危険であることを強調したい。そのために一時的には信用を高め、また新しい種類の通貨を殺することとなって流通手段をふやしもしようが、しかし同時にこれから先われわれの子孫には、彼等が堪えることもできなければまたそれから解放されることもかなわぬ一つの負担を負わせねばならぬこととなるのである。》


《子孫の負担》というような議論によってまどわされるようなハミルトンではなかった。彼は、経済学者が常に指摘してきたこと、すなわち、問題は現世代対後世の問題ではなく、同じ世代に属する二つのグループ、納税者のグループから債券所有者のグループへの移転の問題である、ということをはっきりと見抜いていた。ハミルトンは、一定の年賦金の額だけ、支持う者から債権者 (彼は受取るとそれを再び流通過程へ還すのであるが)へ、資金の移転がなされるにすぎない、と論じたのである。(32)

 公債によった国家は経済的に或る積極的な便益を受けると論じたハミルトンにたいして、次のようなありふれた理屈倒れの議論がなされた〜〜もしそうだとすれば公債は多い程よいということになるのではないか、と。ハミルトンの答はすべてのこうした議論にたいして背察を得たもの、すなわちわれわれは決して経済生活における平衡(バランス)を失ってはならない、というのであった。或る事情の下においては鋼鉄の価格を一割下げることが望ましいことがあろう、しかしだからといって例えば九割も下げることが賢明な経済政策であるということにはならない。或る通貨の対外価値を二割方下げることが望ましいことがあろう、しかしだからといって八割の切下げが望ましいということにはならない。その他すべての経済政策についても同様である。ハミルトンの表現をかりれば、


 《公債の徒らな蓄積にたいしては尤もな根拠から反対であるからといって、公債に何等の有用性をも認めようとしないお歴々がある、彼等は公債には悪いことばかりしかないと考え、こうした「悪」を緩和するような「善」を洞察することができない、また彼等は公債は、少くとも資本の増加と見なさるべきである、という立場にも加担できないでいる。それは、公債の増加は資本の増加を意味するということを認めれば、彼等が悪となすところのものが殖えれば彼等が社会の福因となすところのものが殖える、と云わねばならぬからである。

 しかし、公の審議機関はすべての事柄に関してありのままに評価するということ、善がどれだけあるにしろどの程度まで悪によって相殺されているか、また悪が善によって償われているか、を察知することに関心をもっている。善悪いずれにしても両者がお互いに混じっていないことは稀である。

 その一部分が資本の役割を果すからといって公債を徒らに蓄積することが望ましいということにはならぬ。自然体のばあいと同様に政治体のばあいでも過度ということはあり得る。かかる人為的な資本が不必要であるという事態がないわけではない。》(33)


 彼自身の立場を弁護しながら、ハミルトンは云う、


 《[私は、]合衆国の現在の負債を借換え整理することは負債を博じて国家的な福因とするものである、という点をはっきりと主張してきた。誰でも雨限を開いて合衆中を該行し、産業のすべての分野にみなぎる活須を観察しさえすれば、右の立場が十分の根撲を持つていることを確信するにちがいない。

 しかしこのことは、一般的な命題として (それが正しいか否かは別として)公債が公の調をもたらすものである、と主張することとは全然別個のことがらである。特殊の一時的の事情は、他の時には害になるところのものを、或る時には有利なものとするかもしれないのである。》(34)


 ハミルトンの立場はギャラティン Gallatin によって強く反対された。ギャラティンは一貫して公債の増加を阻み、絶えず既存の負担を減らすことにつとめたのである。それは彼が財務長官となるずっと前からのことであった。一七九五年から一八〇年までのあいだ、彼はペンシルヴァニア州からの上院議員として、政府の財政政策とたたかった常時多くのものは戦争切迫を身近に感じ、政府はその負債を増加すべきか、それとも又その防備をないがしろにすべきか、という問題に直接の関心を持っていた。連邦主義者たちは充実した陸海軍を作るために公債増加の策をえらぶことを躊躇しなかった。ギャラティンは公債のかさばることを一種の脅威であると見なし、国家の安全と保障は、国防のためにはより少く減債のためにはより多く費消してこそ、一ばんよく確保されるものであると信じていた。彼にとって公債の償却は受協をゆるさぬドグマになってしまったのである。ジェファソンとマジソンは原則として彼を支持したが、大規模な政府支出を正常化するような事情があってそのために国債の増加が必要なばあいは、十分現実主義的に考えて本来の原則を和らげるのにやぶさかではなかつた。例えば、公債にかんするジェファソンの考えも彼が、トリボリとの戦いやルイジアナ領土の曝入のために必要とされた大がかりな支出に乗りだすことの妨げとはならなかった。ところがギャラティンは、終始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反野したのである。一一八〇七年には戦のおそれのために支出は更に急増したが、次の二年にはいくらかの減少が見ちれた。しかし一八一二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼は財務長官の職を辞した。負債は一八一一年の四千五百万ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。

 公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債は移転であって負擔[負担]を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪であるという一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場から云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来されたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかった。ハミルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもっている。公信用という手段の背後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必要なのである。


(27)~(34)

27 Temporary National Economic Committee Hearings, Part 9, Savings and Investment,

28 ダンバー C. F. Dunbar, "Some Precedents Followed by Alexander Hamilton," Quarterly Journal of Economics, 1888, pp. 32-59.

29 ハミルトン Hamilton, First Report on the Public Credit; Second Report on the Public Credit.(Alexander Hamilton, Papers on Public Credit, Commerce and Finance, Mckee's edition, pp. 46, 156-7, 170–2 )

30 ジェファソン Jefferson, Works, Volume III, p. 464,

31 ベントン Thomas Benton, Abridgement of the Debates of Congress, February 9, 1790.

32 Papers on Public Credit, Commerce and Finance by Alexander Hamilton (Mckee edition, pp. 216-17)

33 Report on Manufactures, December 5, 1791 (Mckee edition 既出)。ハミルトンはまた過度に巨額の公債が富の集中に及ぼす影響に注意し、かかる負債は《懶惰放芯の徒の浪費をほしいままにさせるに役立つばかりであって》、しかも利子支出のために必要な出費を重苦しいものにする、と云っている。この最後の点は、ハミルトンの棲んでいた時代、すなわち消費税が主な財源であった時代においては、特にそうだったであろう。

34 Letter to Philadelphia Gazette, September 11, 1792.












 


22 件のコメント:

  1. アメリカの経済
    153頁

    A 序
    次のようなことをいった。「自由放任能済とは、ひとびとが長い間馴れ親んできた人間がつくった
    制度や慣習のもとで機能をいとなんでいる社会である、と定するのがもっともよい。」
     わたくしはたったいま保守的なひとというのは一○年時代遅れのひとである、と定義した。それ
    は、もちろん、そのことが非常に物わかりのいい保守主義者であるという敬意を払ってのことであ
    る。一〇年という歳月は、あるひとがはげしい変化にみずからを適応させる期間としてはあまり長
    いものではない。わたくしのような保守的なものにとっては、アメリカ人の経験でわかるように、

    時代のずれはもっと長く|おそらくは約二〇年かそこらであろう。そして苦労してつくり上げ、13
    しっかりと心に刻みつけた論理をもっている専門の経済学者にとっては、時代のずれがもっと長
    いことも珍しくはない。実際、変化を受けいれるには新しい世代をまたねばならないかもしれな
    い。
     科学としての経済学の歴史は、経済学の実践家が社会の変化に適応するのに手間どることが珍し
    くないことを示している。経済科学は、制度や慣習があらわれてから三〇年経ってからの、それら
    のものの合理化である、といくぶん、おもしろおかしく定義することもできよう。社会的な新機軸
    は実務家によっておこなわれた場合が少なくない。事実、多くの重要な制度上の変化は、その当初
    には経済学者から危険で実行不可能なものとして、容赦なく非難された。
     空前の驚異的な新機軸のひとつは、イングランド銀行を設立するための一六九四年に遡るウィ

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  2. 196頁

    第九章 ケインズ的な考え方と現代の諸問題
    リアム,パタースン William Paterson の大胆な計画案であった。専門的な訓練をうけたアカデミ
    ックな経済学者が、稀薄な空気から貨幣を創造する計画案についてなんといったかを想像してみよ
    わたくしが間違っていなければ、一八六七年にはじめて野球のカーブが投げられたときに、物理一
    学者はそれは運動の法則に反するものであって、まったくありえないと説明した。もちろん後には
    合理的説明が経験に追いついた。経済学においてもしばしばそういうことがあった。労働組合制
    度はイギリスばかりでなく、アメリカにおいても一九世紀の前半にあちらこちらに現われ、一八七
    〇年になるとイギリスにおいてしっかりと恒久的に確立された。しかしながら専門の経済学者にと
    っては、労働組合制度は経済理論に関するかぎり、いぜんとしてかなりの難問題であった。そして
    シドニー=ベアトリス·ウェップ Sidney and Beatrice Webb 夫妻が一八九七年に『産業民主制』
    (Industrial Democracy)を書いたときに、ずっと前から確立されていたこの制度について、社会民主一
    制におけるその役割を示すような重要な経済分析がはじめておこなわれたのである。ビスマルクが
    一八八四ー一八八七年にドイッに社会保障を導入したときには、その提案は決して経済研究の所産
    ではなかった。しかし約二〇年後になると、ゥィリアム,ビヴァリッシ William Beveridge 卿が
    社会保障原理に一1般的に承認される合理的説明を与えた。そういったぐあいである。
    3 ニトイ バタースンと同時代人であるウイリアム , ベティ William Petty 歌とグレゴリー. キン
    Gregory King の有名な独創的な葉撰について注意を払わねばならない。これらのひ とたちは「政治」
    其術」という新科学を発展させつぁった。

    B 貨幣政策と『貨幣論』

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  3. アメリカの経済
    195頁

    A 序
    次のようなことをいった。「自由放任能済とは、ひとびとが長い間馴れ親んできた人間がつくった
    制度や慣習のもとで機能をいとなんでいる社会である、と定するのがもっともよい。」
     わたくしはたったいま保守的なひとというのは一○年時代遅れのひとである、と定義した。それ
    は、もちろん、そのことが非常に物わかりのいい保守主義者であるという敬意を払ってのことであ
    る。一〇年という歳月は、あるひとがはげしい変化にみずからを適応させる期間としてはあまり長
    いものではない。わたくしのような保守的なものにとっては、アメリカ人の経験でわかるように、

    時代のずれはもっと長く|おそらくは約二〇年かそこらであろう。そして苦労してつくり上げ、13
    しっかりと心に刻みつけた論理をもっている専門の経済学者にとっては、時代のずれがもっと長
    いことも珍しくはない。実際、変化を受けいれるには新しい世代をまたねばならないかもしれな
    い。
     科学としての経済学の歴史は、経済学の実践家が社会の変化に適応するのに手間どることが珍し
    くないことを示している。経済科学は、制度や慣習があらわれてから三〇年経ってからの、それら
    のものの合理化である、といくぶん、おもしろおかしく定義することもできよう。社会的な新機軸
    は実務家によっておこなわれた場合が少なくない。事実、多くの重要な制度上の変化は、その当初
    には経済学者から危険で実行不可能なものとして、容赦なく非難された。
     空前の驚異的な新機軸のひとつは、イングランド銀行を設立するための一六九四年に遡るウィ

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  4.  空前の驚異的な新機軸のひとつは、イングランド銀行を設立するための一六九四年に遡るウィ
    リアム,パタースン William Paterson の大胆な計画案であった。専門的な訓練をうけたアカデミ
    ックな経済学者が、稀薄な空気から貨幣を創造する計画案についてなんといったかを想像してみよ

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  5. (1)ウィリアム・パターソンと同時代人であるウイリアム , ベティ William Petty 歌とグレゴリー. キン
    Gregory King の有名な独創的な葉撰について注意を払わねばならない。これらのひ とたちは「政治」
    其術」という新科学を発展させつつあった。

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  6. (1)ウィリアム・パターソンと同時代人であるウイリアム , ベティ William Petty 歌とグレゴリー・キン
    Gregory King の有名な独創的な葉撰について注意を払わねばならない。これらのひ とたちは「政治算術」という新科学を発展させつつあった。

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  7. アメリカの経済

    は20世紀でハミルトンは出てこない

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  8. 165頁
    9:5
    合衆国における公債論争

    173頁

    った。ところがギャラティンは、始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反野したのである。一
    八〇七年には戦争のおそれのために支出は更に急増したが、文の二年にはいくらかの減少が見られた。しかし一八一
    二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼には財務長官の職を辞した。負債は
    一八一一年の四千五百ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとつて興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であつて負債を意味しないという彼の認誠にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であつた。彼の反対者等は
    戦争というせつばつまつた必要がなければどんなことがあつても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云つても公信用の利用からは何等の便釜も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもつて政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは評済の質髄をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に開心を持つことが必
    要なのである。

    第九章公債の増加と役割

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  9. 165頁
    9:5
    合衆国における公債論争

    173頁

    った。ところがギャラティンは、始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反対したのである。一
    八〇七年には戦争のおそれのために支出は更に急増したが、文の二年にはいくらかの減少が見られた。しかし一八一
    二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼には財務長官の職を辞した。負債は
    一八一一年の四千五百ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負債を意味しないという彼の認誠にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便釜も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもつて政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは評済の質髄をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に開心を持つことが必
    要なのである。

    第九章公債の増加と役割

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  10. 165頁
    9:5
    合衆国における公債論争

    173頁

    った。ところがギャラティンは、始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反対したのである。一
    八〇七年には戦争のおそれのために支出は更に急増したが、次の二年にはいくらかの減少が見られた。しかし一八一
    二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼には財務長官の職を辞した。負債は
    一八一一年の四千五百ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負債を意味しないという彼の認誠にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便釜も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもつて政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは評済の質髄をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に開心を持つことが必
    要なのである。

    第九章公債の増加と役割

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  11. https://kanji.jitenon.jp/kanjil/5927.html

    漢字「擔」

    「擔」の書体

    部首
    手 扌 (て・てへん)
    画数
    16画
    音読み タン1 2
    訓読み かつ(ぐ)
    にな(う)
    意味 1になう。かつぐ。物を肩にかつぐ。
    1になう。引き受ける。
    2荷物。かつぐ荷物。
    2重さの単位。一担は百斤。
    2容積の単位。一担は一石。

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  12. 165頁
    9:5
    合衆国における公債論争

    173頁

    った。ところがギャラティンは、始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反対したのである。一
    八〇七年には戦争のおそれのために支出は更に急増したが、次の二年にはいくらかの減少が見られた。しかし一八一
    二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼には財務長官の職を辞した。負債は
    一八一一年の四千五百ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負債を意味しないという彼の認誠にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便釜も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもつて政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に開心を持つことが必
    要なのである。

    第九章 公債の増加と役割

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  13. ※「担」は「擔」の略字です。 ※「擔」は「担」の旧字(以前に使われ ていた字)です。
    okjiten.jp › kanji1060
    「担/擔」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

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  14. アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975

    ハンセンが『財政政策と景気循環』原著1941でハミルトンに肯定的に言及している。邦訳では8頁に及ぶ。

    165頁
    9:5
     合衆国における公債論争

    173頁
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負担を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必
    要なのである。

    (ケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

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  15. アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975

    ハンセンが『財政政策と景気循環』原著1941でハミルトンに肯定的に言及している。邦訳では8頁に及ぶ。

    165頁
    9:5
     合衆国における公債論争

    173頁
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負擔(負担、ふたん)を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必
    要なのである。

    (ケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

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  16. FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
    By ALVIN H. HANSEN, 1941

    原著1941年。これはMMTの先駆である。
    ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。
    特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166〜173頁)。
    訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。

    165頁
    9:5
     合衆国における公債論争

    173頁
     公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負擔(負担、ふたん)を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必
    要なのである。

    (ケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

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  17. FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
    By ALVIN H. HANSEN, 1941

    原著1941年。これはMMT=現代貨幣理論の先駆である。
    ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。
    特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166〜173頁)。
    訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。

    9:5
     合衆国における公債論争

    《 公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ
    一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債
    は移転であって負擔(負担、ふたん)を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪である
    という一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は
    戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場か
    ら云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来さ
    れたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミ
    ルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現
    在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背
    後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必
    要なのである。》173頁

    (MMTerケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

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  18. FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
    By ALVIN H. HANSEN, 1941

    原著1941年。これはMMT=現代貨幣理論の先駆である。
    ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。
    特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166〜173頁)。
    訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。

    #9:5合衆国における公債論争

    《 公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債は移転であって負擔(負担、ふたん)を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪であるという一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場から云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来されたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかつた。ハミルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもつている。公信用という手段の背後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必要なのである。》173頁

    (MMTerケルトン2020もハミルトンに言及しているがミュージカルではなくネットドラマを見ていたらしい。)

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  19. FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
    By ALVIN H. HANSEN, 1941

    原著1941年。これはMMTの先駆である。
    ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。
    特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166〜173頁)。
    訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。

    FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
    By ALVIN H. HANSEN
    Copyright, 1941, by
    W. W. NORTON & COMPANY, Inc.
    NEW YORK, U. S. A.
    Published in Japan by arrangement with
    Shigeto Tsuru.

    財政政策と景氣循環
    アルヴィン·エッチ·ハンセン
    都留重人譯
    日本評論新社
    1950年

    https://www.amazon.co.jp/dp/B000JB9AVK

    https://www.amazon.co.jp/財政政策と景気循環-1950年-アルヴイン・エッチ・ハンセン/dp/B000JB9AVK

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  20. 949 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2021/01/26(火) 21:43:54.11 ID:5am9WYpS
    MMTに批判的な均衡財政論者たちは
    馬鹿と馬鹿のふりをしているタイプに分かれる
    池上彰、馬鹿のふり
    斎藤幸平、馬鹿
    麻生、馬鹿のふり
    安倍晋三、馬鹿
    菅首相、馬鹿

    最近池上彰は理解しているのでは?と考えている
    (高橋是清特集をやって気付いたようだ)

    これはもはや経済学ではなく人狼ゲームである

    返信削除

  21. “An increase in the number of paupers does not broaden the market"
    Michał Kalecki
    1965
    発展要因


    "貧乏人が増えても市場は広がらない"
    ミハウ・カレツキ
    1965

    https://twitter.com/_luminous_woman/status/1379740841619595269?s=21

    „An increase in the number of paupers does not broaden the market.“ — Michał Kalecki Source: Theory of Economic Dynamics (1965), Chapter 15, Development Factors, p. 161

    Source: https://quotepark.com/quotes/1879202-michal-kalecki-an-increase-in-the-number-of-paupers-does-not-broa/
     https://quotepark.com/quotes/1879202-michal-kalecki-an-increase-in-the-number-of-paupers-does-not-broa/

    https://quotepark.com/authors/michal-kalecki/

    http://digamo.free.fr/kalecki54.pdf




    ○1958年の新評論版邦訳『経済変動の理論』(原著1954年,Theory of Economic Dynamics )
    宮崎義一、伊東光晴訳
    (x資本主義経済の動態理論 (ポスト・ケインジアン叢書 (6)) 単行本 – 1984/12ではない)

    アマゾンレビューより:
    ケインズより先に有効需要の原理を見つけた男
    投稿者 θ トップ1000レビュアー 投稿日 2008/3/31

    有効需要の原理といえば誰もがケインズを思い浮かべるだろう。
    だが、ケインズよりはやく有効需要の原理を見つけたのが、このカレツキなのだ。

    ケインズの主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』と比べてみて、本書は簡潔で明晰である。
    ケインズのが難解でまた内容が整理されていない(当のケインズが理解していなかったとさえ言われるくらいだ)のに対し、本書は数式を使って意味と論法を明確にし、内容もまとまっている。
    そういう意味では、ケインズよりも先に本書を読んだほうがいいかもしれない。
    また、ケインズ本が難解で読めない、あるいは時間がないという人には、本書を読んでいただきたい。

    本書は、前半が利潤、所得、投資といった内容で、ケインズと重複するところが多い。
    後半は、経済変動の循環の話であり、これもまた興味深い。

    最後に目次を記しておく

    第1部 独占度と所得の分配
    費用と価格@☆
    国民所得の分配@

    第2部 利潤の決定と国民所得の決定
    利潤の決定要因@
    利潤と投資
    国民所得の決定と消費の決定

    第3部 利子率
    短期利子率
    長期利子率

    第4部 投資の決定
    企業者資本と投資@
    投資の決定要因@
    統計的説明

    第5部 景気循環
    景気循環(のメカニズム)@
    統計的説明
    景気循環と衝撃

    第6部 長期経済発展
    経済発展の過程
    発展要因

    @が日本経済評論社版に新訳で再録。
    ☆「費用と価格」で45°線分析が使われているがカレツキの使用は1937年からで、英語圏では最初期。


    カレツキ
    198
    198
    第15章 発展要因
    (161)
    があるならば,企業者はある程度の確信をもって自分たちの生産物の市場の
    拡大を予想することができるのであるから, 人口の増加は投資を助長すると
    いうものであった.(a) しかしながら, これについていえば, 重要なことは人
    ロの増加ではなくて購買力の増加だということである。貧乏人の数が増加し
    ても,市場は拡大されないのである. たとえば,人口の増加は必ずしも家屋
    に対する需要のーそうの増大を意味しない. 何となれば, 購買力が増大しな
    いのであるから, 結果はおそらく現存の住居に一そう多くの人間を押し込む
    ことになるかもしれないからである。

    結語
     いままで述べてきたように, われわれの分析は長期的発展が資本主義経済
    に固有のものではないことを示している. したがって, 長期的上昇運動を支
    えるためには特別の「発展要因」が必要である. そういう要因のなかで, も
    っとも重要な発展の起動因として, われわれはもっとも広い意味での新機軸
    を選びだした。また長期的な影響として, これとは別に考えられる金利生活
    者の貯蓄は発展の刺戦になるよりもむしろ障得になることがわかった。
     資本主義の発展段階の後期における新機軸の強度の減少は, 資本と産出量
    の増大を阻止する結果になる. そればかりか, もし国民所得の分配に与える
    独占度の増加の影響が他の要因によって相殺されないならば, 賃金から利潤
    への相対的な [所得] 移動が起こり, このことは, 産出量の長期的増大を綴
    慢化する別の原因になるであろう.
     もしも,産出量の拡張率が労働生産性の増加率と人口増加率の両者を合わ
    せたもの以下に低下するならば, 失業は長期的に増大するであろう. これま
    での議論にしたがえば, 労働生産性と人口の増加率が, 産出量の増加率をい
    ままでよりも一そう大にして, 失業の増大を自動的に緩和するというような
    力を生みだしてくるというようなことは, ありそうにもないことである。

    第6部 長期経済発展
    199
    第15章の訳者注
    (a) たとえば、 Alvin H, Hansen Fiscal Policy and Business Cycles
    (都留重人訳『財政政策と景気循環』 1950年)は技術の革新,ファン
    ティアなどとともに人口増加も長期発展の要因にあげている。
    1941.



    アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975
    ハンセン
    https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/12/alvin-harvey-hansen1887-1975.html @
    ハミルトン
    https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/06/alexander-hamilton-1755-1804.html
    アルヴィン・ハンセン - Alvin Harvey Hansen,1887- 1975

    ハンセンが『財政政策と景気循環』原著1941でハミルトンに肯定的に言及している。邦訳では8頁に及ぶ。

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  22. カレツキ 経済変動の理論
    198

    第15章 発展要因
    (161)
    があるならば,企業者はある程度の確信をもって自分たちの生産物の市場の
    拡大を予想することができるのであるから, 人口の増加は投資を助長すると
    いうものであった.(a) しかしながら, これについていえば, 重要なことは人
    ロの増加ではなくて購買力の増加だということである。貧乏人の数が増加し
    ても,市場は拡大されないのである. たとえば,人口の増加は必ずしも家屋
    に対する需要のーそうの増大を意味しない. 何となれば, 購買力が増大しな
    いのであるから, 結果はおそらく現存の住居に一そう多くの人間を押し込む
    ことになるかもしれないからである。

    結語
     いままで述べてきたように, われわれの分析は長期的発展が資本主義経済
    に固有のものではないことを示している. したがって, 長期的上昇運動を支
    えるためには特別の「発展要因」が必要である. そういう要因のなかで, も
    っとも重要な発展の起動因として, われわれはもっとも広い意味での新機軸
    を選びだした。また長期的な影響として, これとは別に考えられる金利生活
    者の貯蓄は発展の刺戦になるよりもむしろ障得になることがわかった。
     資本主義の発展段階の後期における新機軸の強度の減少は, 資本と産出量
    の増大を阻止する結果になる. そればかりか, もし国民所得の分配に与える
    独占度の増加の影響が他の要因によって相殺されないならば, 賃金から利潤
    への相対的な [所得] 移動が起こり, このことは, 産出量の長期的増大を綴
    慢化する別の原因になるであろう.
     もしも,産出量の拡張率が労働生産性の増加率と人口増加率の両者を合わ
    せたもの以下に低下するならば, 失業は長期的に増大するであろう. これま
    での議論にしたがえば, 労働生産性と人口の増加率が, 産出量の増加率をい
    ままでよりも一そう大にして, 失業の増大を自動的に緩和するというような
    力を生みだしてくるというようなことは, ありそうにもないことである。

    第6部 長期経済発展
    199
    第15章の訳者注
    (a) たとえば、 Alvin H, Hansen Fiscal Policy and Business Cycles
    (都留重人訳『財政政策と景気循環』 1950年)は技術の革新,フロン
    ティアなどとともに人口増加も長期発展の要因にあげている。
    1941.

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