MMTの言うとおり、税制が貨幣価値を担保してるんですか?
MMTの言うとおり、税制が貨幣価値を担保してるんですか?
日本独自のMMTと
もともとのMMTは違っていて、
もともと、アメリカやオーストラリアあたりで展開されていた
MMTでは、税制は政府債務(ベースマネー)の名目価値を決めるだけで、
実質価値(購買力)を決めるわけではないです。
また、ベースマネーと銀行預金通貨の価値の名目価値を
結びつけて維持するためには、中央銀行と
財務省による日常業務レベルでの介入が必要であり、
これによって銀行預金を中心とする
民間債務の名目価値が中央銀行の発行する負債と一致させられている
ことになります。あくまで名目価値だけです。
アメリカで議論されているMMT(カンサス・グループ)は
「貨幣」という言葉を
様々な負債の額を記している「数字」のことだといます。
この「数字」は租税やその他政府が国民(国内居住者)に
課している支払い手段を定義する数として決まってしまう。
中世では、コインには額面数字が記されておらず、
国王の「布告」によって額面が決まっていました。
ですから、国王がある日突然、
「昨日までは1スーだったこのコインは、
今日から0.5スーの価値とする。納税する人は
そのことを忘れないように」ということも
あったわけです。これでコインの価値が変わってしまった。
現在でも、紙幣であれ、コインであれ、数字が
刻まれており、この刻まれた数字を単位として
政府が税や社会保険料、罰金を徴収している。
額面がコインに刻まれていますから、布告によって
こちらを変更するわけにはいかない、という点は
中世とだいぶ違いますが、この数字を決めるのが
政府だ、という点は同じです。
そしてこの数字を決定できるのが、政府だけであり、
さらに、この数字を民間の様々な負債や価格が
共有し、一種のヒエラルキー構造が成立していることを
重視しています。
現代で言えばベースマネーは中央連結政府に対する債権であるわけですけれど、
これは、いつどのような事情で発行されたかにかかわらず、
納税や社会保険料納付、罰金の支払いについては
いつでも額面で発行者である政府によって引き取られます。
つまり、満期はゼロであり、政府は常に額面で引き取ることを
保証しているという意味でデフォルトリスクゼロです。
こうした理由でベースマネーはリスクフリーかつ
金利ゼロの金融商品として流通するわけです。しかも
政府の租税徴収力が十分強力であれば
この政府に対する債権は必ず多くの人によって需要される。
これが国内の負債のすべてが政府債務の額面価値を
基準に発行される根拠になっている、というわけです。
しかし、これが保証しているのは発行者である
政府による引き取りだけであって、
第三者に対して譲渡する際の他の財・サービスとの
交換比率まで保証しているわけではない。そして第三者に対する
全く無関係な財・サービスとの交換比率を保証している債権/債務は
この世に存在しないが、現状ではアメリカやオーストラリア、
日本その他、いわゆる先進国では
中央銀行傘下の民間金融機関の預金債務に対しては
額面で中央銀行券と預金とを交換するように
定めています。
また、民間銀行の負債である預金を通貨として流通させるためには
中央銀行と財務省が日夜連携して
市場に介入しなければならず、それが結果として
政府債務のデフォルトを防ぐことになっているのですが、
こうしたことは日本のMMTではあまり重視されていないようです。
日本で独自展開されているMMTでは、
インフレ率が高くなると増税することで
貨幣の実質価値まで安定させることができるらしいですが、
これはアメリカやオーストラリアで展開されてきた
MMTの議論とは、やや趣を異にしています。
アメリカのMMTでも、確かに
税制は需要超過の場合には購買力を市場から
取り除くことで、物価上昇率を引き下げる効果を
期待できるのですが、他方で
市場が寡占状態にあれば
法人税増税が物価に転嫁されることを通じて
かえって物価を上昇させる要因になる可能性もある、
と指摘もしています。経済を安定化させるシステムとしての
累進税制は重要ですが、それだけで
貨幣の実質価値を安定させることができる、と言っているわけでは
ありません。
アメリカやオーストラリアで展開されてきたMMTの議論では、
この名目価値と実質価値(貨幣の購買力)の
関係を安定させることは至難の業とされています。
裁量的に支出や税制を変動させることで購買力を
コントロールするというような
甘い話ではない。
中世では、硬貨の素材である金や銀の価値によって
実質価値を安定させようとしましたが、
こうすることで、金や銀が投機の対象としての性格を強め、
かえって貨幣価値を安定させることが難しくなります。
アメリカのMMTでは、金本位制では
金本位制に代わる貨幣の実質価値を相対的に安定させるための方策として
JGP(就業保障プログラム)を提案しています。
貨幣と労働力商品の交換比率を固定することを通じて
物価を安定させようという考え方です。
この考え方の背後には、長期にわたる
インフレーションやデフレーションを発生させるのは
利潤と賃金の対抗関係(分配)だ、というポスト・ケインジアンに特有の
考え方があり、数量説的な考え方を拒絶しているところに
特徴があります。
もっとも、JGPというのも、これはこれでまた、様々な障害があり、
簡単には実現しそうもありません。
ただし、物価というものは毎日、継続的に行われている
取引の中で、買い手と売り手の、しばしば長期にわたる取引関係によって
支えらているものですから、債務の「ヒエラルキー」さえ
安定していれば、そうは極端に変動するようなものでも
ありません。大きな外生的ショック(オイルショックや
戦争、飢饉、疫病、市場の分配関係を
短期間で大幅に変化させるような技術革新など)さえなければ、
賃金利潤の対抗関係を安定させ、
投機行為をある程度の範囲内に抑制することで、
それなりに安定することが可能であるわけです。
いずれにせよ、
JGPのようなメカニズムを欠いた
現状の資本制経済では、貨幣の実質価値は
非常に不安定な状態に置かれている(それでも
ヨーロッパ中世に比べればはるかにまし)と
言うのが、MMTの考え方だということになります。
少なくとも、「経済の成長率に合わせて
中央銀行がベースマネーを供給する」ことによって
物価を安定させることなどできはしない(むしろ
経済を混乱させる)というのが
MMTの主張になります。
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