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歴史の中の貨幣 貨幣とは何か 楊枝嗣朗 2013
金本位制と信用貨幣説
以上, 見てきたごとく, メタリズム貨幣論の混迷は, 銀行券や 「国際的な信用貨幣」 たる国際通貨が, 本質的には金や世界貨幣の債務証書であるかぎり, 兌換の停止は 「自己の本質の否定」 であり, もはや信用貨幣ではなく, ただ国家の強制通用によってのみ流通しうるに過ぎない不換国家紙幣であると考えることから生じたものである。 ところで,1950 年代前半といった時代に, 同じメタリズムから出発しながらも, メタリズムの常識と異なる見解が川合一郎氏によって提示されていた。 「兌換の停止は, ・・・銀行券の信用貨幣としての本質に何ら変更を加えるものではないのである。 ・・・兌換の停止によって銀行券は紙幣になるわけではない」 のであって, 兌換停止後も, 貨幣制度の信用関係に 「論理上は少しも断絶はない。」(30)貨幣に属する流通空費を節約するために発展・展開してきた信用貨幣制度を 「支え, 推進している主体はあくまでも, 資本で」 あって, 「信用制度は, 資本の, 資本による, 資本のための制度である」 という視点から論じられる川合氏の発想からすると, 銀行券が貨幣節約のために創出されたものではあっても, 一旦, 紙でも代理できる流通手段となれば, 銀行券は, 国家紙幣と違い, 借入-返済の関係 (兌換)のほかに貸付-回収の関係 (還流) をもつことが重要な意味を持ってくる。 すなわち, 銀行券の数量調節の手段としては, 二つの方法があっても, 「資本にとっては」, 後者の貸付-返済 (還流) のルートが第一義的であり, 前者の借入-返済 (兌換) のルートは第二義的なものとなる。 したがって, 単に通貨数量調節の第二義的な手段にすぎない兌換のルートが停止されたからといって, 信用貨幣たる銀行券にとっては, それは本質的なことでないと言われる。
しかも, 「将来の貨幣 (W-G) を予想して現在の購買 (G-W) を行おうという資本の形態的本質から銀行券の増発の必然性がある」 ことから, 「兌換請求を受けるということ自体が銀行資本にとっては折角の発券利潤を返さねばならぬことになる」 ので, 「ここに総資本のために, どうしても個々の銀行の無政府的な銀行券発行を統一し, その数量を調節しうる前提を作らねばならない」(31)として, 中央発券銀行の設立が説かれる。 となると, マルクスの強調する 「信用主義から重金主義への転換」, すなわち, 兌換請求などは, すでに銀行券が 「紙ででも代理できる流通手段の表章となった」 段階では, ますます, 副次的な通貨数量調節手段として後景に退き, 兌換の停止は, 「資本にとって」 の貨幣制度上の断絶とはいえなくなる。 ましてや, そのことでもって, 銀行券が信用貨幣でなくなり, 国家紙幣になるわけでもない。 銀行券による貨幣節約の体系が一旦, 出来上がってくると, いまや, 「資本にとって」 の本当の貨幣は, 金貨幣ではなく, その代替物のはずであった銀行券だということになる。 「資本からみた貨幣と貨幣流通それ自体とは異なっている」 というのである。(32) 同様のことは為替制度における金現送についても言える。 「為替制度は, 資本の利潤からの控除として,・・・金輸送費節約のために資本がつくりだした制度である」 が, 「為替制度がすでに発達している下における金現送は,・・・
債務なるが故の返済, という以上につぎのごとき意味をもつ。」 「金現送制度は,・・・資本の制度としては為替相場=二国価格換算比率の変動防止手段として, 資本の対外送金手段たる為替制度の補充制度となる。」 金現送は, 「資本にとって」 は, 「債務の返済」というよりは, 「資本にとって, 自己のつくりだした隔地送金手段たる為替の価値が低落しては困るから, それを防止するために行われる」 補足的手段と捉えられてくる。(33) 資本は貨幣商品金を信用貨幣の創出によって節約し, その輸送費を為替制度の利用で節約した。 そして, 両者が結合することで, 対外送金において, 金輸送費のみならず, 金そのものをも節約できるようになった。 「しかしその代わりに, 物価水準の変動=結果的には価格標準の動揺=貨幣の対内価値の変動と, ・・・為替相場の変動=二国貨幣の換算比率の変動=貨幣の対外価値の変動という代償を支払わなければならなくなってくる。」 そこで, 流通空費の節約 (=収益性の追及) と貨幣価格の安定 (=安定性の追求)という要請のために, 「自己のつくりだしたこれらの空費節約のための信用制度の枠内で,すなわちその運用, 信用操作そのものによって, できるだけ貨幣価値の変動を防止する措置を講じようとする。 この意味では, 資本の成立, 信用制度の成立を前提とする以上, 資本の貨幣制度はまず管理通貨制度となる。」(34)
かくて, 「資本にとっての」貨幣制度としては, 金本位制度といわゆる 「管理通貨制度」 との間には大きな断絶はない。 そこでは, 金は, 「資本からみた」場合, もはや貨幣ではなく, 「資本にとっての」 貨幣たる信用貨幣の安定性を維持する補助手段に過ぎないことになる。 金兌換が停止したといっても, それはそうした補助手段を失うだけにすぎない。 かくして, 「資本の, 資本による, 資本のための」 貨幣制度論や為替制度論においては, 従来, 拘泥されてきたメタリズム貨幣論の基本的な論点は消え去っている。
(30) 川合一郎 『資本と信用─金融経済論序説─』, 有斐閣, 1954 年, 116頁。
(31) 同, 135-136 頁。
(32) 同, 174 頁。
(33) 同, 233-234 頁。
(34) 同, 235 頁。
…
とは言え, 川合氏が貸付-還流という銀行原理に立脚し, 信用貨幣創造のメカニズムを, 戦後の早い時期に強調されていたことは注目すべきである。 ともあれ, 金井氏の主張に見るごとく, ベルリンの壁崩壊後, 10 数年を経て, メタリズムの常識を問い直し, 率直な意見表明がなされるようになったことは幸いである。 ただ, A. M. イネスが 「19 世紀や20 世紀の先祖達が高度な経済法則に従い, 世界の富と繁栄を増すとの信念から, 大真面目になって金を地下の金庫に閉じ込めたことを, 将来の世代は嘲笑するであろう。 / 経済学や金融の知識を自ら誇る同時代の奇妙な錯覚が, 遠くない将来に消え去ることを望む」(37)と, 100 年も前に述べていることを思うと, 私も含め, エコノミストは余りにも怠惰であった。
(35) 金井雄一 『ポンドの苦闘─金本位制とは何だったのか─』, 名古屋大学出版会, 2004 年, 96-97 頁。
(36) 金井氏は, 「金本位制の教科書的機能を否定することは, 金の (貨幣─引用者) 機能を否定することではない。 金は, 最も普遍的な購買力・決済能力を持ち, それゆえに最も普遍的に通用する流通手段・支払手段であり, したがって最も有効な価値保蔵手段 (準備手段) である。 ・・・金本位制が廃止されても金のその機能はなくなるわけではない」 (123 頁) と言われる。
(37) A. M. Innes, "What is Money ?", The Banking Law Journal, May 1913, p. 49.
第 3 節 信用貨幣説と貨幣論
川合氏の信用貨幣についての主張と共に注目されるのは, 戦後まもなく, 不換銀行券論争で全くの少数派であった岡橋保氏の見解である。 「商品生産・流通の発展から商業信用が必然的に発生し, ついでその通貨形態にかわって銀行信用の通貨形態=銀行券が創造される。 貨幣=金の流通が, 商品生産・流通の発展とともにその代替物, 代用貨幣を必然的に創造する。 この認識が重要である。 すなわち, 銀行券は金貨を支払うという銀行の約束手形ではあるが, そのことは貨幣債務証書であり, 銀行信用の通貨形態だということにすぎない。 それはかならず金貨で支払わなければならないということではない。」 「そうして, アメリカの金保有量が減少しようと, それによって国際通貨としてのドルが減価するわけでもないばかりか, 金との交換が絶ちきられたからといって無価値な紙くずになるのではけっしてない。 国際通貨としてのドルはやはり信用貨幣なのである。」(38)「かくして銀行券の流通根拠を銀行の金準備などによる債務弁済能力におく見解は, 銀行券の生成を再生産の関係から切り離す」 ことになると言われ, 信用創造の根拠としての準備金 (本源的預金) という発想を否定されている。(39)
国際通貨ドルの金交換が停止されても, ドルはなお信用貨幣だという不換銀行券=信用貨幣説は, 当時, 多くのメタリストの嘲笑を招いたように見受けられた。 では, メタリズムを信奉される岡橋氏にあって, 国際通貨と金はいかなる関連にあるのだろうか。 「商業的価値章標 (手形) としての国際通貨は世界貨幣=金の国際的支払手段としての機能を代理する貨幣代替物である。 ・・・国際通貨ドルは国際的支払手段として機能するかぎり, 金との交換性は問題にしなくてもよい。 それがその機能をやめるとき, ここに, はじめて, 金との交換が問題になってくる。」(40)
氏は, 「金との交換が求められるのは」, 「国際通貨ドルが国際的支払手段としての機能をやめるとき」 だとのことであるが, 「機能をやめる」 というのはいかなることを意味しているのであろう。 その点については, まったく語っておられないし, 具体的に金が現代貨幣としていかなる役割を演じているのかについては, 結局, 明確に述べられることはなかった。
そのため, 「金で支払われようとそうでなかろうと, 信用の通貨形態であることにかわりはない」 とする岡橋氏の主張をとらえ, 酒井一夫氏は, 「このことの結果, 国内流通と同じように, 国際流通においても金は不要となり, 取りようによっては金の廃貨すら望めそうである。 ・・・国際通貨は, 国内通貨と異なって, 世界貨幣金を流通から排除するものでなく, かえって世界貨幣の流通を前提し, その代用物としてのみ機能することが, どこかで実証されなければならない」(41)と, 疑問を示されていた。
かくして, 現代貨幣制度において金を如何に位置づけるかについては, いかなるメタリストも明確に答えることができないでいる。 そのことを率直に認めることができないがために, 不換通貨制度下の現代貨幣金融市場の脆弱性を鋭く非難することで, メタリズム貨幣論の破綻を糊塗しているようにも見受けられる。
こうしたメタリズム貨幣論の閉塞の中で, 金や金兌換など端から問題にもせず, 現代貨幣を信用貨幣ととらえ, 貸付─返済という還流の法則にのみ着目し, 銀行原理に徹した議論が, 自然とメタリストの間でも脚光を浴びるようになっている。 共に銀行界に身を置かれていた板倉譲治 (三井銀行), 横山昭雄 (日本銀行) 氏, 吉田暁氏 (銀行協会) 等の現代貨幣創出メカニズムの説明は, 明解である。 「資金というのは貸借の 『借』 にあたるものであって, 銀行の貸
が起ることによって 『借』 つまり資金が信用機構の中に生まれ出て, 貸が存続する限り存続し, 貸が消滅する時に同時に消滅する。 貸借は常に両建で信用機構の中に存続するのであるから, 貸の増加があれば必ず同額の借つまり資金が増加し(100%の信用創造), 貸借残高は, 累積してゆくものであって, 銀行の 『貸し』 がいくら増えても 『中央銀行の金融政策によって資金不足が作り出されない限り』, 『それ自体の原因』 では資金不足ということは起らない。 これが 『貸借 (機構) の基本原則』 であることをまず強調しておきたい。」 「本来資金というものは銀行の貸出によって生まれてくるものであって, 貸出しがいくら増えても資金不足が生ずるということはなく, 信用機構の中の資金需給は常に均衡しているというのが貸借機構の基本メカニズムである。」(42) これらの見解は, 信用創造の根拠に金準備を考えない岡橋氏の議論とも通底しているばかりでなく, 1980 年代以降, 現代銀行業の通貨創造についてのミンスキー, パルゲス & セカレッチャ, ローチョンらの理解と共通する。 信用貨幣や銀行業等に関する上記のわが国の論者らの見解の先駆性は注目されよう。
『金融不安定性の経済学』 (1986 年) を著したミンスキーは次のように述べている。 「貨幣は, 銀行による融資活動の中で創造され, そして銀行が所有する負債証書の約定が履行されたときに消滅するという点でユニークである。 貨幣は正常な業務経過の中で創造され, そして消滅するのであるから, その発行額は資金需要に応じたものになる。 銀行は, 貨幣の貸し手が直面する制約に縛られていない─銀行は貨幣を貸しつけるにあたって手元に貨幣をもっている必要がない─からこそ重要である。 銀行がこのような伸縮性をもっていることによって, 長期間にわたって資金を必要とする事業計画が, そのような資金を必要なだけ調達可能となるように手配することができる。 銀行による貸付限度額の設定と関与は, 資金所有と同然の機能を果たす。」(43)
「貸借機構の基本原則」 や 「預金がマネーである」 といったこれらの主張は, 現代貨幣が信用であるという認識を支えるものであるが, ここまで来てみれば, 従来, 信用貨幣が金属貨幣と不可分の関係にあり, その代替物といった理解そのものは消え去っている。 銀行券や預金通貨が兌換の有無にかかわらず, 信用貨幣であるということは, 岡橋氏の主張と同じく, それらの流通根拠が兌換にあるといったメタリストの理解は排除され, 還流の法則だけが強調されるようになっている。 「兌換銀行券の流通根拠は兌換にあったのだろうか。 ・・・真の流通根拠は銀行券の発行の態様にあったのではないだろうか。 つまり, 経済取引のなかの信用関係がまずあって, 銀行券にしろ預金通貨にしろ, その信用関係を代位するという形で信用貨幣が発行 (創造) される。 いい方を変えれば再生産過程に根ざした貨幣の発行還流こそが, 真の流通根拠であるとすべきではないだろうか。」(44)
さらに, 議論は通貨発行にとって必要とされた本源的預金を否定するところにまで行かざるをえない。 「いずれにせよ銀行システム全体としての準備金の流出は中央銀行によって補塡されねばならないが, この補塡それ自体が中央銀行の信用創造 (中央銀行預金の創出) によってなされるのである。 この意味において, 私は現代においては信用システムの外部からの本源的預金を想定することはできないとするのである。」(45)
ここには価格の存在, さらには計算貨幣としての円, ドル, ユーロ, ポンド等の存在は, 信用貨幣論の当然の前提であり, そのこと自体についての考察はもともと問題にされることはなく, 創造される通貨の貸付とその返済還流のみが問題にされている。 したがって, 当然, メタリストを悩ませてきた金属貨幣や金属本位の議論なども意識されることもない。 貨幣の歴史への関心も消え去り, 今日の銀行業での銀行券や預金通貨の創造と消滅, 銀行原理が強調されるのみである。 「貨幣論が見失われた」 のではなく, もともとそのようなことへの関心が存在しないのである。 メタリストの一部ではこうした信用貨幣論の登場を歓迎する向きも見られるが, そのことは一層, メタリズムの混迷と閉塞を際立たせているように思われる。 こうした 「貨幣論の忘却」 の広がりと共に, 兌換を停止し, 金の代替物でないとの理由からかつては使用を避けてきた 「信用貨幣」 や 「ドル本位制」 という用語が, 最近ではメタリストの間でごく普通に使われるようになってきている。 もともと金や銀が貨幣金属であった時代でも, 金属貨幣の内在価値が価値尺度機能を果たしていたことはなく, また, 通貨の流通根拠でもなかったことは, 数多の歴史によって示されていた。 1790 年代から 4 半世紀に亘り継続したイギリス正貨支払制限条例期, 兌換が概ね停止されていたにもかかわらず, イングランド銀行券や地方銀行券は無価値にな
ることもなく, 大幅に減価することもなく流通していた。 そして, この時期こそ, ポンド・スターリングがオランダ通貨に取って代わり, 国際通貨への歩みを速め, ロンドンがアムステルダムを凌駕し, 国際金融市場に君臨することになったことが思い起こされよう。
ともあれ, メタリズムの体系では, もはや現代の貨幣や国際通貨ドル, 欧州通貨ユーロをも理解することができない。 したがって, 金属鋳貨出現以来, 数千年の歴史の裏付けをもつと考えられてきたメタリズムの常識そのものを問い直す以外には, メタリズムの漂流は終わらない。 こうしたメタリズム貨幣論の閉塞が, マルクスの貨幣起源論や信用貨幣論展開の方法に由来することをみておこう。
注
(38) 岡橋保 『金投機の経済学』, 時潮社, 1973 年, 7-9 頁。
(39) 岡橋 『現代信用理論批判』, 九州大学出版会, 1985 年, 111, 258 頁。
(40) 岡橋 『世界インフレーション論批判─続, 貨幣数量説の新系譜─』, 日本評論社, 1978 年, 238 頁。
(41) 酒井一夫 「岡橋保教授著 『金投機の経済学』 に寄せて─教授の提起した問題─」, 『国学院経済学』 21 巻 3 号所収, 1973 年 7 月参照。
(42) 板倉譲治 『私の金融論─資金需給と金利水準変動のメカニズムに関する誤解と私見─』, 慶応通信, 1995 年 (初出, 1971 年), -頁 ; 横山昭雄 『現代の金融構造─新しい金融理論を求めて─』, 日本経済新聞社, 1977 年, 27, 28 頁 ; 吉田暁 『決済システムと銀行・中央銀行』, 日本経済評論社, 2002 年, -頁。 なお, 西山元彦 『中央銀行』 (東洋経済新報社, 1984 年) をも参照されたい。
(43) ハイマン・ミンスキー 『金融不安定性の経済学─歴史・理論・政策─』 (吉野 紀・浅田統一郎・内田和夫訳, 多賀出版, 1989 年), 309 頁。 こうした現代貨幣認識は, マネー・サーキット・アプローチの論者にも共有されている。 Alain Pargues and Mario Seccareccia, "The Credit Theory of Money : the Monetary Circuit Approach", in John Smithin edited, What is Money ?, 2000, pp. 101-123; Louis-Philippe Rochon, "The Creation and Circulation of Endogenous Money : A Reply to Pressman", Journal of Economic Issue, Vol, 34, No. 4, Dec. 2000, pp. 973-979 参照。
(44) 吉田, 前掲書, 78 頁。 (45) 同, 86 頁。
第 4 節 マルクスの貨
川合が参照
楊枝は岡橋1973を参照
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岡橋保著「貨幣論」 : 1951|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
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タイトル:, 岡橋保著「貨幣論」. 著者:, 高木 幸二郎. 出版地(国名コード):, JP. 出版年(W3CDTF):, 1951. NDLC:, ZD11. 対象利用者:, 一般.
第 6 章 貨幣の抽象性と債務性─貨幣の生成─ 第 1 節 ケインズ 「古代通貨」 草稿における貨幣起源論 エーゲ文明中心のクレタ・クノソスにおける銀の小片が貨幣鋳造の最初とされるが, モダン・タイプの鋳貨は, BC7 世紀の小アジア西部リディアにおいて鋳造されたものである。 その後, 鋳貨鋳造は BC6 世紀のイオニア, ギリシャへと伝播していく。 以降, 「世界の金融史は鋳造という最も主要で, 相対的に不変の中核をめぐって, 一連の革命的な変化を経てきた。 大部分の人々や時代には, 貨幣とはただ, 鋳貨のみを意味したのであって, 鋳造硬貨発明以来 2000 年間, 西側世界では, 地金と硬貨の関係が民間ならびに政府金融の土台となってきた。 ・・・リディア人が経済史を金色に染めて以来, 硬貨中心の貨幣のない経済史はほとんど意味をもたなくなった。」(1)すなわち, デイヴィスは, 鋳造硬貨のみが貨幣であると考えられてきたと言う。 過去 2 千年を越える貨幣の歴史から, 「本来の貨幣」 は金銀等の商品貨幣であり, 紙幣や信用貨幣はその派生形態, 機能的代替物であると観念されてきた。 しかし, デイヴィスに拠れば, 歴史をいま少し遡れば, 「鋳造硬貨は銀行業発展の必要な予備・前提であるとは決して言えない。」 すなわち, シュメールの楔形文字で書かれた膨大な量の出土品 (clay writing tablets) その他に見られる預金受領書や貸借契約書から, 古代バビロニアでは寺院や宮廷が経営する一種の預金銀行が, 鋳貨出現の千年以上も前に現れ, 貨幣機能を遂行していたし, プトレマイオス王朝期のエジプトにおける国家規模の振替銀行の存在も, 鋳造硬貨の必要性を排除していたことを明らかにしている。(2) F. M. ハイシェルハイムも次のように語る。 「古代オリエントの紀元前 3 千年紀という早い時代にすでにほとんどあらゆる銀行業が存在していた。 ・・・われわれは, バビロニア人, アッシリア人, さらにシリア人, ヒッタイト人, 小アジアの他の民族からイーラム人等の間でのそうした取引の誤りようのない明白な記録, とりわけ, 楔形文字で書かれた記録をもっている。」(3)預金の中心は穀物であったが, その他, 農産物, 家畜, 農業器具, さらには貴金属等も預けられ, 銀行業は, その安全性のため民間個人より宮廷や寺院によって営まれることが多く, 楔形文字で書かれた粘土板の預金受領書は, 徐々に第三者に譲渡されるようになった。(4) と同時に, 重要な事実は, 「貸付取引 (credit) がインダストリー, 銀行業, 鋳造硬貨よりも歴史的に遥かに先行していた」 ことである。 ホーマー 『利子率の歴史』 によれば, 「貸付 (loan) は, 新石器時代の農民が従兄弟に種子を貸付け, 収穫期により多くの返済を期待した時に始まったと言われる。 それはどうであれ, 幾つかの大文明の記録された法の歴史は, 信用の入念な規制と共に始まっている。」(5) 例えば, 鋳貨など存在していなかった紀元前 18 世紀の古代バビロニアのハンムラビ法典は, 貸付取引で請求される最高金利を規制し, 穀物の貸付には 33 1/3%, 銀の貸付には重量で 20%までに制限していた。 すべての貸付は役人の面前での書式による契約が必要で, 債務の担保には, 土地, 動産, 債務者本人や妻, 愛人, 子供, 奴隷などが供され, 債務のための人的隷属は 3 年までに限定されていた。(6)ホーマーによれば, 「鋳造は BC1 千年紀からであるが, BC3 千年紀頃のシュメールの記録によると, 貸付取引が制度的に使われていたことが明らかである。 /有史以前に, 価値の共通の尺度や交換手段が発展する以前にさえ, 信用は恐らく存在したであろう。 ・・・信用は, 経済活動のまさに最初期の局面から存在していたのであり, 物々交換自体の発展以前にさえ実在していたのである。」(7) 古代史の考古学研究に基づき, 貸付取引が商品交換取引に歴史的に先行していたというデイヴィス, ハイシェルハイム, ホーマーらの断定は重要である。 現物での貸付・返済という利付き貸付の展開は, 「品質や尺度に関する標準を必要とするようになる。」 「実際, そのような貸付は, 初歩的な尺度や貨幣的標準の発展に導いたであろう。 ・・・その後の, より一層の発展は, あらゆる返済に共通の尺度, すなわち, 貨幣を生み出すことになった。 穀物, 土地, 動物, あるいは, 貨幣そのものによる, 利子付か利子なしの貸付すべては, 貨幣によって返済されるようになったのである。」(8)すなわち, 尺度としての貨幣は歴史的には商品交換取引に先行して存在し, 貸付取引から生成した。 すなわち, そのようにして生成した (計算) 貨幣によって貸付取引が建値されていたのである。 貨幣の生成は商品取引の存在以前に見られたという事実は, 従来の交換から貨幣が生まれるという常識を覆すのみならず, 貨幣論の構成を一変させる。
このような事実認識は, 1920-1926 年頃に執筆された J. M. ケインズの 「古代通貨(Ancient Currencies)」 草稿の記述とも重なる。 ケインズは, 貨幣, 価格, 利子, 契約, 受領書が存在していたことを示すシュメールの遺跡出土品に関する考古学研究の成果に依りつつ, BC3 千年紀中葉の古代メソポタミヤ, ウル第 3 王朝の王ドゥンギが, それまで数世紀, あるいは千年にも亘って使われてきた重量標準を法定したが, この王の時代にこれら重量基準が計算貨幣 (価値尺度) として使われたことに着目し, 以下のような認識を示した。 貨幣の特性として税, 罰金, 褒美のような伝統的価値を推定するために使われるもの,貸付や契約が取り交わされる際に使われるターム,価格をあらわすタームとして使われるもの,習慣的に使われている actual money の交換手段の 4 つをあげ, 最初の 3 つが計算貨幣 (money of account) で, そして 「社会的かつ経済的目的にとって最も重要な問題は, 計算貨幣」 で, BC3 千年紀の初期古代バビロニアでは, すでに計算貨幣が使用がされていたと言う。(9)
ドゥンギの重量標準は, 1 talent=60 mina, 1 mina=60 gin or shekels, 1 shekel=60 gin-tur or little shekel, 1 little shekel=3 she or grains である。 大麦の 3 粒の重量=1 littel shekel を最小単位として, shekel, mina, talent といった計算貨幣が制定されている。 他の古代文明都市の重量基準も同様に, 小麦や大麦粒の重量を基準に作られていた。 これが計算貨幣に転用されていた。
ところで, ギリシャ, アテネのソロン(立法家, BC638-559 年)は, 計算貨幣を変更し, 旧ミナの 63/60 の新しいミナを導入し, さらに, 1 mina = 70 drachmae に代え, 100 drachmae とする debasemet を行った。(10)ケインズは, 「debasement が行われうるのは, 契約の発展と共に計算貨幣の概念が現れ, 国家により発行された硬貨が法貨の性格を取得し, この計算貨幣で計測された債務の法的に最終決済を果たすものとして, 強制通用力をもつようになって以降のことである。 われわれが理解するところの意味において, 貨幣が人類の制度に参入してくるのは, この段階においてである」(11)と言う。
「ある特定の証印された貨幣や鋳造硬貨は, BC7, 6 世紀の小アジアで初めて作られたので, これまで, 貨幣経済の特質はギリシャよりそれほど遠く遡らないと考えられてきた。 しかし, 実際, 認証された貨幣 (鋳貨─引用者) の生成は, それほど重要な発明ではない。」 重要なのは計算貨幣である。 「バビロニアの慣行での最初の重要な革新は, 本質的に近代的な, すなわち, 代表貨幣の発明である。」 計算貨幣の生成が交換手段という actual money より歴史的に遥かに先行していたことから, 「多くの学者は, 鋳造硬貨が存在していなかったところでは, 物々交換が行われていたと推定するが, それはまったく真実から遠い。 ・・・時間の要素をもつ貸付や契約を表現するタームである計算貨幣の導入こそ, 実際, 初期社会の経済状態を変容させるものであった。 この意味での貨幣は・・・ソロンより 2 千年も前に, 高度に発展した形態で, すでにバビロニアに存在していたのである。」(12)ここでも, 貨幣と鋳造硬貨とは峻別され, (計算) 貨幣の生成を貸付取引と結び付け, 国家との関わりにおいて論じられている。 「個人的資本主義は, ・・・明らかに, バビロニアで発明された。」 「そこではローン, 不動産貸付, 債務, 利子は, 生活の確立した特徴となりつつあった」(13)と述べているが, このような主張は, ケインズ 『貨幣論』 (1930 年) でも繰り返されている。 「債務の正当な履行たるべき, 単位の種類又は品質の如何を決定せるは国家或いは社会であったとも云える。」 「貨幣は, 他の若干の文明の本質的要素と同じく, ・・・遥かに古き制度である。 その起源は氷が溶けていた時代の霧の中に没している。」(14)
そして, 物々交換からではなく, 貸付取引 (信用) から(計算)貨幣の生成を説くケインズの論理は, すぐそれに続いて, (信用) 貨幣の創造論に繫がっていく。 すなわち, 「諸々の銀行が歩調を揃えて前進する限り, 安全に創設し得る銀行貨幣の額には何等の制限もないことは明らかである。」 「言葉を最も便利に用ふれば, 凡ての預金は其れ等を保有する銀行によって創設されることは疑いを容れないところである。」(15)
この議論はまさに板倉譲治氏や横山昭雄氏らの 「貸借機構の基本原則・メカニズム」 や 「預金はマネーである」 という見解と共通する。 さらには, そのメタリズムの側面を問わなければ, 第 2 次大戦後ほどなく展開された岡橋保氏の不換銀行券=信用貨幣説や川合一郎氏の 『資本と信用』 での信用貨幣論に繫がるものであり, われわれにはなじみのある議論である。
注
(1) G. Davies, A History of Money, 1994, pp. 61, 64. (2) op.cit., pp. 47-54, 91. (3) F. M. Heichelheim, An Ancient Economic History, translated by Mrs. Joyce Stevens, Vol. 1, 1958, pp. 134. (4) G. Davies, op.cit., pp. 40-50. (5) Sidney Homer & Richard Sylla, A History of Interest Rates, 1963, Third Edition, 1991, p. 3. (6) 『ハムラビ法典』 (古代オリエント資料集成 1 ), 中田一郎訳, (株) リトン, 1999 年, 27 頁, 同書注解 108 頁。 (7)(8) S. Hommer, op.cit., pp. 17, 19.
(9) J. M. Keynes, "Keynes and Ancient Currencies (1920-1926)," in The Collected Writings, Vol. 28, Social, Political and Literary Writings, ed., Donald Moggridge, 1982, p. 244. 「紀元前 3 千年紀の中葉にドゥンギがウルで制定したムナあるいはミナが最も初期の重量基準であるというのは, 現在の入手しうる知識では疑いのないところである。 しかしながら, 最近の発見によると, 組織的な経済活動の起源は従来考えられていた以上に昔に遡る。 重量の諸基準は, ドゥンギの時代より数世紀, 恐らく 1000 年以上も前から使われていたであろう。 彼の治世下では貨幣, 利子, 契約, 受領書, さらには為替手形ですら十分に発展しており, シュメール人の古代文明は, その点については, 後に続く文明よりも一層発展していた。」 (ibid., p.232)
ケインズは, 計算貨幣の生成を貸付取引と結び付けているが, これに対して,
Grierson は古代には共通の価値の尺度は観念上の標準であっても, 現実の支払にはそれと同等と見なされる他の財で支払われることが多く,支払の語源が, pacify (to make peace with) の意味であることから, 共同体の全体集会で, 損害や傷害を償うために決められる wergeld (贖罪金) に, 貨幣システム確立のための前提条件である価値尺度としての貨幣 (「関連しないものを評価するための共通の尺度」) の起源を求めている。 「価値の一般的尺度としての貨幣の概念を発展させた社会においては, 人的傷害を法的に償う制度は, 直ちに, 相互の比較を可能にし, 社会の全成員に影響を与えるがゆえに, その社会の背後に見出される。」 「鋳貨の特殊な現象の背後には, 貨幣のより一般的な現象があり, 貨幣の起源は市場の中ではなく, 共同体の発展における非常に初期の段階に求められるのである」 (P. Grierson, The Origins of Money, 1977, pp. 16, 17, 21, 28-29, 33)。 ともあれ, 商品交換から貨幣が生まれたという常識は, 考古学の世界ではほとんど受け入れられていないようである。
(10)(11) op.cit., pp.224-225, 226.
(12)(13) op.cit., pp.252-255, 253-258.
(14) ケインズ 『貨幣論』 第 1 分冊, 鬼頭仁三郎訳, 同文舘, 1932 年, 1953 年, 15, 16 頁。 鋳造硬貨が流通していないにもかかわらず, 計算貨幣や価格, 利子が存在していたことは, 貨幣生成の常識を覆すものである。 (15) 同, 33, 38 頁。
ケインズ#28








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