2023年2月13日月曜日

スクープ!国債償還ルールができたのは、何と117年前だった![三橋TV第664回]三橋貴明・高家望愛

参考:

大隈重信(1838-1922) - Wikipedia

大隈重信 - (Sigenobu Oauma 1838~1922)

英雄たちの選択「“円”はこうして生まれた!大隈重信 通貨改革の七転八倒」[字][再]
2022/5/4 (水) 8:00 ~ 9:00 (60分) 
NHK BSプレミアム
番組概要 
明治初め、新政府の大きな課題が通貨改革だった。江戸の通貨から新たな「円」にいかに移行するか。担当する大隈重信には偽金、新政府紙幣の暴落など次々と難題が降りかかる。
番組詳細 
 明治初め、新政府の財政責任者となった大隈重信。最大の課題は新たな通貨制度の確立だった。生まれたばかりの新政府が発行した紙幣「太政官札」は信用がなく値崩れ。さらに戊辰戦争のために各地で偽金が作られ国際問題に発展。貿易決済は金銀どちらをベースにすればいいのか、海外での動きもにらんで決めてゆくが、幕末の両替レートの不備と輸入超過で肝心の金銀が不足。国内の通貨は紙幣のみに。「円」誕生の悪戦苦闘をたどる。
【司会】磯田道史,中山果奈,【出演】明治大学教授…飯田泰之,江上剛,信州大学特任教授…山口真由,【語り】松重豊

福沢諭吉との関係には触れられなかった。

 。。。

小浜逸郎:福沢諭吉は完璧な表券主義者だった

西洋事情初編 福沢諭吉著作集 eBook : 福沢諭吉, 平山 洋: Japanese Books
https://freeassociations2020.blogspot.com/2021/10/amazoncojp-ebook-japanese-books.html

アレキサンダー・アラン・シャンド (Alexander Allan Shand、1844- 1930)


スクープ!国債償還ルールができたのは、何と○○○年前だった![三橋TV第664回]三橋貴明・高家望愛







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日本経済学新論 ──渋沢栄一から下村治まで (ちくま新書) Kindle版 


金本位制下の一九〇〇年代、日本の物価は国際水準から乖離して、かえって上昇するという現象が起きた。その主な原因は、日清戦争から日露戦争そして第一次世界大戦に至るまでの間、軍事費が膨張し、続いて鉄道、土木事業、電話設備などのインフラの整備が進められるなど、財政規模が大幅に拡張して、経済成長がもたらされたことにあった。しかも、皮肉なことに、金本位制の導入によって外債を発行しやすくなり、財政赤字の補塡が容易になったことが、この財政拡張を助長したのである[中村一九八五─第四章]。  以上、幕末から明治期の財政・金融制度・政策の成立過程を概観してきたが、この歴史は、財政収支と国際収支の均衡を重視する「消極主義」と、国内の産業発展や社会インフラの整備を重視する「積極主義」の対立としても描くことができる。しかも、この積極主義と消極主義の対立は、由利公正対井上馨、大隈重信対松方正義にとどまらず、星亨・原敬の政友会対大蔵官僚、さらには政友会対憲政会・民政党の対立へと続き、まさに「あざなえる縄のように、明治から現代に至るまでの政策史を貫いている」[中村一九八五─六]のである。  そして、この財政を巡る積極主義と消極主義の間の対立は、通貨を巡る対立とほぼ重なり合っていた。

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1898年と1914~16年と二度に渡って総理を務めた、
(当時の引退寸前ではあるが代表的な政治家のひとり)大隈重信は日露戦争(1904~5年)による債務を重く受け止めていた。

《 日露戦争以前の日本の国家の歳出規模は二億円台であった。日本は日露戦争の戦費を賄うため、膨大な国債(外債約七億円、内債約六億円)を発行し、三億二〇〇〇万円弱の増税をした。大隈は戦後の経済状況についてどのような見通しを持ったのであろうか。 
 日本が戦勝を確定するため、ロシア海軍のバルチック艦隊を待ち受けている一九〇五年四月下旬、大隈は憲政本党政務調査会で、戦後を意識した財政政策の大枠についての演説を行った。その中で、戦後の財政は必ず一億円以上の膨張をするので、国民は戦後においても一億円以上の新たな負担をする覚悟がいる、と述べる(『報知新聞』一九〇五年五月二日「大隈伯の演説」(四))。
  日本海海戦に勝利し、日本の勝利が確定した段階の一九〇五年七月下旬になっても、賠償金が入ることを前提にした財政論は述べず、財政難でもこれ以上の外債は募集すべきでないと論じた(『報知新聞』一九〇五年七月一二日「大隈伯の外債評」)。… 日露戦争用の外債やこれまでのもの、戦後の処理にどうしても必要となる外債を合わせると、総額は少くとも一五億円から一六億円に達するだろう。 
 その利子は八〇〇〇万円に及ぶだろうから、このままでは、その支払いのために、日本銀行が保有する一億円余の正貨準備は一年ほどで尽きてしまう。日本が破産しないためには、軍事費は国力に相応したものとし、国民が努力して生産を増加させ、輸出を増やして正貨を稼ぐしかない。  》(『大隈重信』中公新書下)


ただし大隈を擁護するなら、渋沢栄一を描いた大河ドラマにもあったように大隈は西南戦争(1877)時には国営銀行設立及び積極財政で乗り切った。
その時は福沢諭吉とタッグを組んで啓蒙活動をした。債務は怖くないと啓蒙したのだ。
日清戦争後も積極財政だった。★

また、以下の講演1911を読んでも大隈は非戦を望んでいた故なのがわかる。


大隈重信 世界平和の趨勢 1911

また1906年総理に就任した西園寺公望も鉄道を国有化している。西園寺も単純に批判できない。
当時の緊縮派がトレードオフにしたのが真相だろう。
政治家が無能でも官僚がなんとかするのが大日本国憲法以来の立て付けなのだ。
ちなみに軍隊も幹部は官僚である。


大隈重信は柔軟な正価主義者か?


大隈重信(上) 「巨人」が夢見たもの (中公新書) Kindle版

 さらに大隈は、日本の資本が欠乏しているので外資を輸入すべきとの新しい主張を、維新後に「外資」で三〇〇〇マイルの鉄道や三〇余万トンの造船をしたことなどをあげて論じる(『報知新聞』一八九八年一月二〇日)。外債を外資と言い換えて論じたが、大隈の意図は日本企業への外国人の投資も恐れることはないということだった。この頃になっても日本国内には、西欧から外資が入ってくると日本の産業などが西欧人に乗っ取られてしまうのではないかとの恐怖感が根強く残っていたので、それを抑える意味があった。大隈は、外資を輸入すれば、正貨(金)が日本国内に入ってくるので、通貨発行量を増大させて日本の経済活動を活発にできると考えていた。これまでの大隈の外債によるものと同様、外資輸入は正貨と通貨発行量を関連づける大隈の経済論とも合致していた。

 このように大隈は、日本の経済不振に対し、中央銀行による通貨の緊縮政策の効果に疑問を示し、むしろ実業家層が自立的に創意工夫して、労働者と調和しながら生産効率をあげ、海外に販路を拡張すれば経済はよくなると提言した。これは、外債など外資を輸入して正貨を得、通貨発行量を増大させて、通貨の信用を落とさずに経済を回復する、との大隈の経済論と連動している。その大隈が、船舶や機械類等の輸入という多少の正貨流出も覚悟するような提言をするのは、日清戦争の賠償金は毎年入り、そのおかげで一八九七年末で九八二六万円もあったからであろう(なお、戦争直後の一八九五年は約六〇〇〇万円にすぎない)。


大隈の経済論と地租増徴  

 「小さな政府」による、実業家層の創意・工夫を重視する大隈の経済論からすると、財源がないのなら地租を増徴し、地主層が利益の上がらない農業ではなく、商工業に投資するように仕向けるのが自然である。商工業がさらに発展すれば、商工業者からの営業税などで税収がさらに安定する(第11章)。

  一八九八年五月中旬、発言に慎重な大隈が地租増徴に絶対に反対というわけではないことを、自派系の新聞記者に公言する。それは、「国の経費を借金で」賄うというのは、決して取るべき政策ではない、「吾輩は絶対的に地租増徴に反対はせぬが」、その前に政府は経費の支出に「過算」(誤った計算)がないことを明らかにすると同時に国民の「充分な信望を継ぐに足る行政上の能力」を示さねばならないというものであった(『報知新聞』一八九八年五月一四日)。


日本における郵船商船規則の旗 第14代 内閣総理大臣
内閣第2次西園寺内閣
在任期間1911年8月30日 - 1912年12月21日
天皇明治天皇
大正天皇

日本における郵船商船規則の旗 第12代 内閣総理大臣
内閣第1次西園寺内閣
在任期間1906年1月7日 - 1908年7月14日
天皇明治天皇

大隈重信(1838-1922) - Wikipedia

大隈重信 - (Sigenobu Oauma 1838~1922)

https://ja.wikipedia.org/wiki/大隈重信

日本の旗 第17代 内閣総理大臣
内閣第2次大隈内閣
在任期間1914年4月16日 - 1916年10月9日
天皇大正天皇

日本における郵船商船規則の旗 第8代 内閣総理大臣
内閣第1次大隈内閣
在任期間1898年6月30日 - 1898年11月8日
天皇明治天皇

大隈重信下中公新書

第15章 再組閣への気力-日露戦争

戦後への経済・財政論
  日露戦争以前の日本の国家の歳出規模は二億円台であった。日本は日露戦争の戦費を賄うため、膨大な国債(外債約七億円、内債約六億円)を発行し、三億二〇〇〇万円弱の増税をした。大隈は戦後の経済状況についてどのような見通しを持ったのであろうか。 
 日本が戦勝を確定するため、ロシア海軍のバルチック艦隊を待ち受けている一九〇五年四月下旬、大隈は憲政本党政務調査会で、戦後を意識した財政政策の大枠についての演説を行った。その中で、戦後の財政は必ず一億円以上の膨張をするので、国民は戦後においても一億円以上の新たな負担をする覚悟がいる、と述べる(『報知新聞』一九〇五年五月二日「大隈伯の演説」(四))。 
 大隈は、政費節減をし減税して、民間の自立した活動を奨励して日本を発展させるという「小さな政府」論を唱えていたが、日露戦争下の新しい状況となり、厳しい財政の現実を受け入れざるを得なかった。
  日本海海戦に勝利し、日本の勝利が確定した段階の一九〇五年七月下旬になっても、賠償金が入ることを前提にした財政論は述べず、財政難でもこれ以上の外債は募集すべきでないと論じた(『報知新聞』一九〇五年七月一二日「大隈伯の外債評」)。 
 戦後の一〇月五日、商業会議所連合会の会合で、大隈は、初めて数字を挙げて日露戦争後の経営の厳しい見通しを次のように論じた。 
 日本は多額の外債を背負って、その利息の支払いのみでも大変である。もし貿易の黒字が大きければ、ドルやポンドなどの(在外)正貨を貿易で得て、利息の支払いや、期限がくれば外債本体の償還(返却)もできる。しかし、日本の貿易はますます輸入超過になっている。したがって当面払わなければいけない外債の利子は日本が保有する正貨で払うことになる。日露戦争用の外債やこれまでのもの、戦後の処理にどうしても必要となる外債を合わせると、総額は少くとも一五億円から一六億円に達するだろう。 
 その利子は八〇〇〇万円に及ぶだろうから、このままでは、その支払いのために、日本銀行が保有する一億円余の正貨準備は一年ほどで尽きてしまう。日本が破産しないためには、軍事費は国力に相応したものとし、国民が努力して生産を増加させ、輸出を増やして正貨を稼ぐしかない。実業家は戦時中の軍人のように命がけで商工業に奮闘すべきである。



大隈を擁護すると渋沢栄一を描いた大河ドラマにもあるように積極財政で西南戦争を乗り切った。
かつては福沢諭吉とタッグを組んで啓蒙活動をした。

以下を読んでも非戦を望んでいる。

大隈重信 世界平和の趨勢 1911


底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「太陽 臨時増刊 第十七卷第十五號 戰爭歟平和歟」博文館
   1911(明治44)年11月15日発行
初出:「太陽 臨時増刊 第十七卷第十五號 戰爭歟平和歟」博文館
   1911(明治44)年11月15日発行


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