2021年11月7日日曜日

三土忠造 みつちちゅうぞう (1871―1948) 昭和恐慌に学ぶデフレ脱却法

三土忠造 みつちちゅうぞう (1871―1948)  昭和恐慌に学ぶデフレ脱却法



https://kotobank.jp/word/三土忠造-138904


のちケンブリッジ大学に学び、1906年(明治39)帰国


経歴を見ると、ケインズとケンブリッジ大ですれ違っていたかも

三土忠造 (読み)みつちちゅうぞう

日本大百科全書(ニッポニカ)「三土忠造」の解説

三土忠造
みつちちゅうぞう
(1871―1948)

大正・昭和期の政治家。明治4年6月25日香川県に生まれる。香川県立師範学校から高等師範学校(東京)に進み、1897年(明治30)卒業。のちケンブリッジ大学に学び、1906年(明治39)帰国、東京高等師範学校教授となる。1908年辞職し、香川県から衆議院議員当選政友会に所属する。1921年(大正10)高橋是清(これきよ)内閣の書記官長、ついで田中義一(ぎいち)内閣の文部大臣、大蔵大臣となる。浜口雄幸(おさち)、若槻礼次郎(わかつきれいじろう)(第二次)内閣下では、井上準之助(じゅんのすけ)蔵相の金解禁政策に対して反対し、歴史的な論戦を展開。犬養毅(いぬかいつよし)内閣では逓信(ていしん)大臣として入閣、五・一五事件後の斎藤実(まこと)内閣でも鉄道大臣となった。1934年(昭和9)帝人事件偽証罪に問われ起訴されたが、結局無罪。1940年枢密顧問官に親任された。戦後、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の内務大臣兼運輸大臣となり、また貴族院議員に勅選された。昭和23年4月1日死去。

[由井正臣]

『広瀬英太郎編『三土忠造』(1962・三土先生彰徳会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例





シェイブテイル
@shavetail


昭和4年。浜口雄幸首相が国民一人当たり90円の借金のため痛みを伴う改革を訴え緊縮財政を断行したことに対し、野党の三土忠造の批判…

"一般国民は経済上の知識が乏しく、唯古来の道徳上の教訓によって、節約と言えば無条件に誠に結構なもののように考えるのは無理もないところである。続
 
2021/11/07 14:46
 
 




シェイブテイル
@shavetail

昭和4年。浜口雄幸首相が国民一人当たり90円の借金のため痛みを伴う改革を訴え緊縮財政を断行したことに対し、野党の三土忠造の批判…    "一般国民は経済上の知識が乏しく、唯古来の道徳上の教訓によって、節約と言えば無条件に誠に結構なもののように考えるのは無理もないところである。続

即ち自分だけ節約した場合と国民挙げて節約した場合とを混同したのである。世間一般の人は従来通りの生活をしていて自分一人節約した場合には、その節約しただけ懐に余裕が出来ることは言うまでもないが、世間一般が挙って節約した場合には、これとは全然相反する結果を来すのである。続

国民挙って消費を節約すれば、他人の生産した物を買うことが減少すると同時に、自分の生産した物の売れ行きも減少する。 言い換えれば経済政策全体の縮小に終わる。 浜口首相も井上蔵相も我が国の公債総額が60億円近くに上ったことを以って、あたかも国家の存亡に関する一大事の如くに宣伝し、続


現内閣はこれを整理を以って重要使命とするものであると吹聴し、この60億円を一人に割ってみれば90円にして、国民は生まれながらにして90円の借金を負っている、誠に大変なこととつげた。"(後略)    ⇒90年経っても政府のやっていることと国民の反応に進歩がない

大阪千太郎
@osaka_sentaro
·
返信先: 
@shavetail
さん
高橋是清以外にもちゃんと分かってる人が居たんですね。当時の方がマシだったのでしょうかね。


シェイブテイル
@shavetail
"財政通で高橋是清(これきよ)の補佐役となり田中義一,犬養毅(いぬかい-つよし),斎藤実(まこと)の各内閣に入閣した。"とあるので、両者はお互いの考え方に精通していたのではないかと。


kotobank.jp
三土忠造とは - コトバンク



昭和恐慌は「一人当り90円の借金」を返済しようとして発生した - シェイブテイル日記2
https://shavetail2.hateblo.jp/entry/20130904

昭和恐慌は「一人当り90円の借金」を返済しようとして発生した

1000兆円の政府債務が積み上がった現代とよく似た状況が84年前にもありました。
ただ、その時積み上がっていた政府債務、よくいわれる言い方では「国民一人あたりの借金」とは90円でした。

1929年(昭和4年)、浜口雄幸内閣が誕生し国民から熱狂的に迎えられました。
浜口内閣は痛みを伴う改革を訴え、不況下の緊縮財政を断行します。
同年8月には、浜口首相は緊縮財政の必要性を訴えるビラを全国1300万戸に配布しました。

今日のままの不景気は底知れない不景気であります。これに反して緊縮、節約、金解禁(著者注:金本位制に復帰すること)によるところの不景気は底をついた不景気であります。 我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのんで、後日の大なる発展を遂げなければなりません。 
  「全国民に訴う」 1929年8月28日

これに対して、野党・政友会の三土忠造は政府を次のように批判しました。
その中で当時大問題であった政府債務の規模にも言及されています。

一般国民は経済上の知識が乏しく、唯古来の道徳上の教訓によって、節約と言えば無条件に誠に結構なもののように考えるのは無理もないところである。 即ち自分だけ節約した場合と国民挙げて節約した場合とを混同したのである。

世間一般の人は従来通りの生活をしていて自分一人節約した場合には、その節約しただけ懐に余裕が出来ることは言うまでもないが、世間一般が挙って節約した場合には、これとは全然相反する結果を来すのである。…。国民挙って消費を節約すれば、他人の生産した物を買うことが減少すると同時に、自分の生産した物の売れ行きも減少する。 言い換えれば経済政策全体の縮小に終わる。…。

浜口首相も井上蔵相も我が国の公債総額が60億円近くに上ったことを以って、あたかも国家の存亡に関する一大事の如くに宣伝し、現内閣はこれを整理を以って重要使命とするものであると吹聴し、この60億円を一人に割ってみれば90円にして、国民は生まれながらにして90円の借金を負っている、誠に大変なこととつげた。…。

いかがでしょう。政府債務の桁こそ大きく違えども、財政再建派の言うことは時代を超えて判でついたように一緒です。
84年前の浜口首相は、野党からの正しい批判に耳を貸さず、翌昭和5年には日本を昭和恐慌に追い込みました。

ではその政府債務は、明治時代以降、一体どのように推移しているのでしょうか。

政府債務は経済成長とともに桁違いに伸び、それが自然

図1日本の政府債務超長期推移
出所:2002年まで=総務省統計局政府債務現在高、2003年以降IMF
1872年(明治5年)以降の日本政府債務推移(対数表示)
そう遠くない将来、京(けい)の桁がわからないと経済記事が読めなくなるだろう。

政府債務を重大な問題と捉える政治家やマスコミはいつの時代にもいるようですが、浜口首相が問題とした「一人90円の借金」は今では何の問題もありません。
さらに言えば、「一人90円の借金」も、正しくは当時7割が国民の資産でしたので、海外に返済すべきは一人30円でした。
その返済すべき海外債務も昭和63年にはめでたく完済し、現在では一転して、日本国民が世界におカネを貸す世界一の債権者となっています。

政府債務は累増しても国民からの借金(内債)で、インフレ(お金の刷りすぎ)でさえなければ健全であり、これを個人の債務のように返済を企てると経済は破綻します。

そもそも現在の日本国民は、政府・海外に一人あたり800万円の債権があるだけで、返済すべき債務は全くのゼロです。

安倍首相にも使い古された「1000兆円の政府債務で経済破綻」「一人あたり800万円の借金」の大ウソを理解していただき、デフレ下の増税という昭和恐慌の引き金を引いたのと同じ増税緊縮政策に踏み出さないようにお願いしたいところです。

【参考】現在の日本でも消費増税が必要、という向きにはこちらも読んでいただければ目からウロコが落ちるかも知れません
国の債務は返済の必要がないという本質 - シェイブテイル日記



経済非常時の正視 緊縮政策の批判 三土忠造 PASS復刻選書50 単行本(ソフトカバー) – 2020/1/1

三土忠造 (), PASS出版 ()


https://www.amazon.co.jp/dp/4908182701


A5版、182ページ、ソフトカバー。

昭和恐慌時、緊縮財政、デフレ政策を採用した浜口、井上内閣を痛烈に批判し、大規模財政出動を訴えた三土忠造の主著を復刻。時代を超え、歴史の審判を経た今こそ、彼の主張の正しさがよみがえる。 


1920年の第一次世界大戦後の戦後恐慌、1923年の関東大震災後の恐慌、度重なる経済的苦境の中、1929年、世界大恐慌が発生する。立憲民政党の浜口雄幸内閣は、デフレ化した当時の日本で、金解禁と緊縮財政へと舵を切った。デフレ下にデフレ政策を行ったのである。

デフレ圧力に依り高賃金、高コストを是正し、国際的競争力をつけようと考えてのことだったが、この政策は、国民に塗炭の苦しみを与えることとなり、国内景気はどん底へと突き進み、相次ぐ倒産、破産、身売りの横行など近代史に残る惨状を呈した。

現在、コロナ禍の中、また相次ぐ消費税の増税に依り、消費は落ち込み、世界的な経済破綻へと進んでいる。しかし、政権は消費税を維持し、経済活動を止めながら緊縮政策を維持し、頑なに大規模な財政出動を拒んでいる。

昭和恐慌時、この浜口内閣、井上蔵相の政策に真っ向から異を唱えた国士こそ、元大蔵大臣三土忠造である。当時も現在と同じく、マスコミはデフレ政策、緊縮財政の旗振り役であり、孤軍奮闘であった。

三土は、危機に際しては、国債発行止む無しとして、大規模な財政出動を主張した。苦学して国会議員となった三土は、国民の苦しみを肌で感じていたのである。

翻って現在の政治家はどうか。

バタバタと倒産は増え、経済活動の復旧は果てしなく遠い。貧困層にはすでに命の問題へと深化している。その苦しみを、政治家は理解しているか。

今こそ国難に際し、既視感をもってこの書物を読むべきである。

恐慌に際し財政出動を拒み緊縮政策を採用した総理大臣浜口雄幸、蔵相井上準之助は、ともに凶刃に斃れた。そして歴史はふたたび高橋是清を政治の表舞台へと押し上げた。

我々は、歴史の転換点にいる。ゆめゆめ同じ轍を踏むまい。

財政出動で国民の命と生活を守る時だ。

三土の叫びは、90年の時を超えて再び蘇る。「経済非常時の正視」「金解禁と緊縮政策の批判」の主著二篇を所収。


経済非常時の正視 緊縮政策の批判 三土忠造






ーー
昭和恐慌に学ぶデフレ脱却法(No.33): 日本経済復活の会

デフレ下での緊縮財政が成功するわけがなく、それに対する多くの批判があった。例えば三土忠造は『経済非常時の正視』の中で次のように批判している。

「一般国民は、経済上の知識が乏しく、唯古来の道徳上の教訓によって、節約と言えば無条件に誠に結構なもののように考えるのは無理もないことである。即ち自分だけ節約した場合と国民挙って節約した場合とを混同したのである。世間一般の人は従来の通りの生活をしていて自分一人節約した場合には、その節約しただけ懐に余裕ができることは言うまでもないが、世間一般が挙って節約した場合には、これとは全然相反する結果を来すのである。・・・国民挙って節約すれば、他人の生産した物を買うことが減少すると同時に、自分の生産した物の売行も減少する。従って売買の中間に立つ取引運搬等も減少して結局生産消費取引の減退、言い換えれば経済生活全体の縮小に終わって、国民の多数は消費節約による支出の減少よりも、生産品の売行不振・価格の下落・商取引の減退による収入の減少の方が大きくなって、国民全体の懐具合が悪くなるという結果になるのである。有益無益を問わず、ただ消費の節約と言うことは、道徳場から言っても意味を為さず、又今日の経済生活から言っても決して産業の振興、貿易の発展を促す所以ではない。」


http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/no-bda4.html

昭和恐慌に学ぶデフレ脱却法(No.33)

昭和恐慌の前には、やはりバブルがあった。下の物価指数のグラフを見ていただきたい。1914~1918年の間、第一次世界大戦参加国が輸出する余裕を失ったことや、参戦国からの軍備品需要のため、日本の商品への需要が急増し、輸出が大幅に伸び、経常収支は大幅な黒字となった。これに対応し、生産力は飛躍的に増大、わが国経済の画期的発展の好機が到来した。原敬内閣(高橋是清蔵相)の財政拡大、金融緩和政策もあり、日銀券の発行も激増、年率30%を超す経済成長が続いた。ただし、物価の値上がりも激しく、実質成長率は年率2%程度だった。商品投機・土地投機・株式投機が発生した。日本の商品は、欧米に比べ競争力は劣ったが、戦時中は欧米はアジアに出てこなかったので、中国などに進出できた。そこで設備投資計画も十数倍に増加し銀行も積極的に融資に応じた。1990年前後で起きたバブルにそっくりだ。

1920年株式市場が大暴落し、反動恐慌が勃発した。戦後欧米企業が進出してきて、売れなくなった。そこで輸出が減少し、生産設備が過剰となり遊休化した。大量の不良債権も発生。1923年の関東大震災も事態を悪化させ、1927年には金融恐慌も発生した。

出所:長期経済統計 国民所得 東洋経済新報社

331 

「失われた10年」の最後に、昭和恐慌を引き起こした浜口内閣は、小泉内閣と非常によく似ていると言われている。両者とも国民に対し「緊縮財政の痛みに耐えよ」と訴え、デフレ下の緊縮財政を強行した。浜口首相は1929年8月28日に「全国民に訴う」という署名入りの宣伝ビラを全国1300万戸に配布した。同日午後七時すぎには、全国中継放送で首相は国民によびかけた。「・・・今日までの不景気は底知れない不景気であります。前途暗澹たる不景気であります。これに対して、緊縮、節約、金解禁によるところの不景気は底をついた不景気であります。前途に皓々たる光明をのぞんでの一時の不景気であります。・・・我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのんで、後日の大なる発展をとげなければなりません。」

デフレ下での緊縮財政が成功するわけがなく、それに対する多くの批判があった。例えば三土忠造は『経済非常時の正視』の中で次のように批判している。

「一般国民は、経済上の知識が乏しく、唯古来の道徳上の教訓によって、節約と言えば無条件に誠に結構なもののように考えるのは無理もないことである。即ち自分だけ節約した場合と国民挙って節約した場合とを混同したのである。世間一般の人は従来の通りの生活をしていて自分一人節約した場合には、その節約しただけ懐に余裕ができることは言うまでもないが、世間一般が挙って節約した場合には、これとは全然相反する結果を来すのである。・・・国民挙って節約すれば、他人の生産した物を買うことが減少すると同時に、自分の生産した物の売行も減少する。従って売買の中間に立つ取引運搬等も減少して結局生産消費取引の減退、言い換えれば経済生活全体の縮小に終わって、国民の多数は消費節約による支出の減少よりも、生産品の売行不振・価格の下落・商取引の減退による収入の減少の方が大きくなって、国民全体の懐具合が悪くなるという結果になるのである。有益無益を問わず、ただ消費の節約と言うことは、道徳場から言っても意味を為さず、又今日の経済生活から言っても決して産業の振興、貿易の発展を促す所以ではない。」

 デフレの下で、歳出削減と増税を検討している今の政府は、この批判をよく読んで教訓にすべきだ。すでに述べたように1920年代から続く「失われた13年」に終止符を打ったのは、高橋是清蔵相の大規模な景気対策であった。
出所:長期経済統計 財政支出 東洋経済新報社

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高橋蔵相による積極財政は1936年度まで続き、デフレは終わり、世界大恐慌から世界最速で景気回復したと高く評価されている。しかし、1936年、2・26事件で高橋是清は暗殺され、その後は軍部の独走で、行き過ぎた国債発行により過度のインフレ経済へと移っていく。

下図は、国の債務のGNP比である。高橋蔵相による積極財政で巨額の赤字国債の発行により、国の債務は激増した。しかし、GNPも同時に激増したわけで、債務のGNP比を見ると、むしろ増加が止まり減少が始まっていた。それ以前、緊縮財政で借金を減らそうとして昭和恐慌を引き起こした時代には、GNPが減ってしまい、債務のGNP比は増えてしまったことが分かる。参考までにだが、第一次世界大戦では、日本は輸出が急増し、成金が続出、銀行も設備投資に積極的な貸し出しを行い、経済は拡大しバブルが発生しインフレになった。財政拡大によるインフレではなかったために、国の債務のGNP比は逆に減少している。その後、バブル崩壊後の「失われた13年」では、デフレの中、国の債務のGNP比は増加を続けているのも、平成のデフレと共通している。

出所: 明治以降本邦主要経済統計 日本銀行統計局編

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以下に名目GNPを示す。第一次世界大戦をきっかけにバブルが発生し、GNPが急激に増大し、その後1919年~1931年の間不況が続きGNPが伸びなくなっている。「失われた13年」である。14年目には高橋是清の積極財政が始まり見事GNPは急増し始めている。

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それに対して、現代は失われた20年の後に、行われているのは増税論議だけであり、このままでは更に20年失われ、結果として日本は果てしなく貧乏な国へと変わっていくことになるのではないか。

最後に株価指数のグラフを示す。昭和恐慌まで急落し、積極財政が始まってから急騰が始まっている。平成は、株価の下落ばかりの20年だったのだが、積極財政でこれを反転させようではないか。

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