2021年11月1日月曜日

ケインズ 一般理論 #3 有効需要の原理

 
 
Max Jerneck
⁦‪@MaxJerneck‬⁩
This passage from the General Theory is so good pic.twitter.com/2KPE2yl2Qs
 
2021/11/01 6:51
 
 

ケインズ

一般理論


三  

 総需要関数はこれを無視してさしつかえないとする発想はリカード経済学に根本的なものであり、一世紀以上ものあいだ、われわれが教えられてきた経済学の背後に横たわっているものである。なるほどマルサスは有効需要不足が起こり得べくもないリカードの教義に激しく異を唱えたけれども、所は無駄であった。というのもマルサスは、どのようにして、またなぜ有効需要が不足したり過剰になったりしうるかについては(ありきたりの観察にもとづく事実に訴えるほかは)明確な説明を行うことができず、そのためそれに代わりうる理論体系を構築することができなかったからである。こうしてリカードは、神聖異端審問がスペインを征服したのと全く同様に、イギリスを征服したのである。彼の理論はシティ、政治家、学界に受容されたにとどまらない。論争は止み、他の見地はあとかたもなく消え失せ、そして話題にのぼることさえなくなった。マルサスが格闘した有効需要の大いなるは経済学の文献から姿を消した。古典派理論に最も完成した表現を与えたマーシャル、エッジワース、ピグー教授のあらゆる著作をくまなく捜してみても、有効需要については一言の言及さえないことに気づくだろう。わずかに、カール・マルクス、シルヴィオ・ゲゼル、ダグラス少佐という地下世界で、表面下、ひっそりと生き延びることができただけである。  

 リカードが完膚無きまでの勝利を得たのはなにやら奇妙でもあれば不可解でもある。おそらくそれは、この教義が投入された環境にしっくり来るものを幾重にももっていたからに相違ない。無学な庶民の考えるところとははるかかけ離れた結論に到達していること、思うにそれは、この教義の知的威信を高めるのにあずかって力あった。その教えは実践に移されると禁欲的となり、多くの場合、苦みさえともなったこと、それはこの教義に徳性を添えた。壮大で首尾一貫した論理的上部構造をもつように仕立て上げられていること、それはこの教義に美を与えた。進歩を旨とする体制では数々の社会的不正義も無慈悲と見えるものもそれらはなべて必要悪にほかならず、これらを変革しようとする試みはつまるところ善よりはむしろいっそうの悪をなすと説明して見せたこと、それはこの教義を権力の覚えめでたきものとした。資本家個人の自由な活動を正当化する方便を提供したこと、それはこの教義に、権力の背後にいる支配的社会勢力の支持を引きつけた。  

 教義それ自体は正統派経済学者から問題視されることなくいまに至っているが、科学的予見という点では大失敗で、時が経つにつれて経済学者の威信はひどく損なわれていった。というのは、マルサス以後の職業経済学者たちは理論の帰結が観察された事実に合わなくてもいっこうに動じるふしはなかったけれど、世間の人々がこの齟齬を見逃すわけはなく、そのため彼らは、他の科学者集団彼らにあっては、理論の真偽は観察を行い事実と照合することによって確証されるに払うほどの敬意を経済学者にはしだいに払わなくなってしまったからである。

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