2021年11月7日日曜日

2020/02 評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」:FACTA ONLINE

評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」:FACTA ONLINE

評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

昭和恐慌の取り付け騒ぎ(原典:毎日新聞社「昭和史第5巻"昭和の幕開く"」より)

昨年10月の消費増税は、国内外ともに景気後退に入っているにもかかわらず、予定通り行われた。その悪影響は数字で出ている。例えば、昨年11月の実質賃金は前年同月比▲0.4%、名目賃金も▲0.2%。サービス産業の月間売上高も前年同月比▲2.5%。また、昨年11月の工作機械受注額は、前年同月比▲37.9%と14カ月連続のマイナス。同11月の鉱工業生産指数は2013年4月の水準に落ち込んだ。同じく11月の倒産件数は3カ月連続の増加、特に飲食店の倒産は年間最多ペースだという。

20年度当初予算案は、歳出規模が102.6兆円である。マスコミ各社は、これを放漫財政などと批判するが、間違っている。この歳出規模は前年度比1.2%程度の増額に過ぎない上に、消費増税によって家計に2~3兆円程度の恒久的な負担を課したのだから、令和元年度補正予算4・3兆円を含めても、積極財政にはほど遠い。

そもそも、昨年話題となったMMT(現代貨幣理論)が示すように、日本の財政破綻があり得ない以上、財政赤字の評価は、その規模ではなく、インフレ率で判断すべきものだ。すなわち、デフレ・ディスインフレである以上、日本の財政支出の規模は、少なすぎると評価しなければならない。

MMTと聞いただけで、「インフレが高進して制御できなくなる」などと紋切り型の反応をする論者が後を絶たない。かかる批判の愚劣さについては、すでに書いたので繰り返さない(本誌19年8月号『消費増税も量的緩和も愚の骨頂』)。

ここで問いたいのは「20年もデフレから脱却できない国が、国内外で景気が悪化している時に、消費増税をすべきであるなどという経済理論が、いったい、どこにあるのか」ということだ。経済学通ぶって、MMTを「トンデモ理論」扱いしたければ、それでも結構。しかし、MMTに批判的なクルーグマン、サマーズ、ブランシャールといった主流派経済学者ですら、デフレ下での消費増税を批判し、財政赤字の拡大を提言しているのである。つまり、デフレ下の増税などというものは、わざわざMMTを持ち出すまでもなく、教科書的な経済学においてもあり得ないのだ。それを正当化する理論があるとしたら、それこそ「トンデモ理論」の類いであろう。

しかも、デフレ下での消費増税が消費の減退とデフレをさらに悪化させることを、我が国は1997年と14年の2回にわたって、実証している。景気が悪化すれば税収も減少するから、結局、財政健全化は達成できないことも、学習済みだ。この上、さらに増税すれば何が起こるかは明らかなはずだ。しかも、繰り返すが、昨年は国内外ともに景気は後退していた。

それにもかかわらず、日本の政界・官界・財界そしてマスメディアの大半は、財政赤字の削減や消費増税を疑うことなく、むしろ正論と思い込んで支持した。特に、消費増税によって大きな打撃を被るはずの経済界は、消費増税を強力に支持した。自殺行為としか言いようがない。このような政策判断が平然と行われたという異様さに、私は恐怖すら覚える。

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行

野心にとり憑かれた井上準之助蔵相

Photo:Jiji Press

国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。

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