[アソシエーション]
/\
/歴史\
/\ /\
/__\/リズム
/\ ⑥ /\
/__\生活の様式__\
/\生活/\ /\文化/分業513
/__\/__\/__\/__\
/\ /\
/__\ /__\
/集合性/\ /\ /\
/__\/__\ 総合 /__\/__\
/\ ④ /\ /\ ⑤ /\
/__\個人的な/__\ /__\個人的な/__\
/\ /\自由/\ /\ /\ 価値の等価物 /\
/__\/__\/__\/__\/賠償\/__\/__\/__\
[資本] 『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________________________
\貨幣/\ /\ /\ /相互性 スピノザ\ /\ /
\/__\/ ③\/__\/ \/関係\/① \/__\/
\ 目的系列に\ / \ 価値と貨幣\ /
\/おける貨幣_\/ \/______\/
\ /\ / 分析 \ /\ /
\/__\/ \/労働\/45
\ / \ /
\/______________\/
\ 信用貨幣論/\ /\二種/
\/__\/ ②\/象徴\/
\ /貨幣の \ /
プルードン/_実体価値_\/
\ /\ /
\並列関係/142
\ /
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/歴史579
/\ /\
/__\/リズム548
/\ ⑥ /\
/__\生活の様式__\
生活482\ /\文化/分業513
/__\/__\/__\/__\
/\ /\
/__\ /__\
集合性382 /\ /\
/__\/__\ 総合 /__\/__\
/\ ④ /\ /\ ⑤ /\
/__\個人的な/__\ /__\個人的な/__\
/\ /\自由/\ /\ 388 価値の等価物 /\
/__\/__\/__\/__\/賠償\/__\/__\/__\
[資本] 『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________________________
貨幣298 /\ /\ 相互性94 スピノザ /\ /
\/__\/ ③\/__\/ \/関係\/① \/__\神21
\ 目的系列に\ / 発見法92 価値と貨幣\ /
\/おける貨幣_\/ \/______\/
\ /\ / 分析 \ /\ 交換44
\/__\/ \/労働45
\ / \キス46
\/______________\/
\ 信用貨幣論/\ /\二つ110
\182\/ ②\/象徴\/
\ /貨幣の \131
プルードン/_実体価値_\/
164\ /\ /
\並列関係142
\ /
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_\個人的な
個人的な自由\ /価値の貨幣等貨物
/__\/__\/__\/__\
[資本] 『貨幣の哲学』ジンメル[国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/ingham.html
46
現実に行われる二つの行為あるいは状態の変化を「交換」の概念に総括することによって、誘惑的に推測されるのは、交換によって当事者の一方と他方とに生じるものがあり、あたかも何かがこれとならんで、あるいはこれをこえて生じるという考えであり、〜〜これはまた実に交換される「キス」の概念の抽象的な実体化が方向を誤らせ、キスを二つひと組の唇とそれらの運動と感覚以外のどこかにある何かであると思わせるのと同じである。
170:
にたいしていまや再び主張されたのは、この取引においては保証された紙幣も、買手と売手とのあいだにおいてさえ、
たんなる約束にすぎない小切手とは異なり、支払い約束としてではなく確定的な支払いとして機能するからには、こ
の区別は買手と売手とのあいだの取引にはいかなる意義ももたないということである。この問題提起のすべては、社
会学的な事態に深くせまってはいない。社会学的な事態にとって疑いのないことであるが、金属貨幣もまた支払い約
束であり、そのかぎりそれが小切手と異なるのは、それの現金化を保証する圏の大きさによってのみである。社会的
な圏への貨幣所有者と売手との共通の関係||この圏のなかで履行されるべき給付にたいする貨幣所有者の要求、こ
の要求がみたされて支払われるであろうという売手の信頼||こそは、貨幣取引が物々交換とは反対に実現した社会
学的な状況である。
金属貨幣は信用貨幣の絶対的な対立物として理解されるのがつねであるが、実際には金属貨幣にも独特な仕方で絡
み合って二つの信用前提が潜んでいる。第一に日常の取引の内部においては、鋳貨の品位の吟味はごく例外的にしか
行われない。貨幣を発行する政府への公衆の信頼がなければ、あるいは時によっては鋳貨の名日目価値にたいしてその
実質価値を確定できる人びとへの彼らの信頼がなければ、現金取引さえ行うことができない。マルタの鋳貨の刻銘、
銅ではなく信頼 non aes sed fides>は、信頼という欠くことのできない補足をまったく見事に示し、信頼がなけれ
ばいかに完全な鋳貨もたいていのばあい、その機能を果たすことができない。まさに硬貨の受理についての理由の多
種多様性と度々の対立とが示しているのは、その客観的な証明力が本質的なものではないということである。アフリ
力のいくつかの地方ではマリア:テレージア銀貨は、それが本物として受け取られるためには白くてきれいでなけれ
ばならないのに、他の地方ではまったく脂じみ汚れていなければならない。しかし第二にそこになければならないの
は、いま受け取られた貨幣は同じ価値のためにふたたび支出されるという信頼である。ここでもまた不可欠で決定的
であることは、《銅ではなく信頼〉||経済圏への信頼であり、経済圏は提供された価値量を、そのために受け取っ
た中間価値である鋳貨と引き替えに、いかなる損傷もなくふたたびわれわれに補償するということである。このよう
に二つの側面から信頼をあたえることなしには、だれも鋳貨を使用することができないであろう。この二重の信頼に」
してはじめて不潔でおそらくは識別しがたい鋳貨に一定の価値量をあたえる。人間の相互の信頼がなければ一般に社
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_個人的な
個人的な自由\ 価値の貨幣等貨物
→/__\/__\/__\/__\
[資本]『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
②___①⑤
\ \
③④\__\⑥
②__①
⑤
③
④__⑥
目次
序言 (7)
分析篇 (13)
第一章 貨幣と価値 (15)
一 相互に独立のカテゴリーとしての現実と価値、これによってわれわれの表象内容は諸世界像となる(15)。
客観的な価値の心理的な事実(19)。主観的なものの全体にとっての基準化あるいは保証としての実践におけ
る客観的なもの(22)。直接に享楽する主体と対象とのあいだの距離化による主観的な価値の客観化としての
経済的な価値(23)。類比~~美的価値(33)。距離化(努力、断念、犠牲による)とその同時的な克服として
の経済(35)。
二 対象をそのたんに主観的な価値意義から免除するための誘因としての交換(40)~~
事物は交換においてそ
の価値をたがいに表現する(41)。対象の価値はそれにたいして他の価値が提供されることによって客観化さ
れる(42)。生形式としての、経済的な価値の条件としての、第一次的な経済的な事実としての交換(44)。有
用性説と希少性説の還元(57)。客観的に規制された価格の前段階としての社会的に固定された価格(62)。
三 相対主義的な世界像への経済的な価値の編入(71)。認識論的な観点における相対主義的な世界像の例によ
る素描(72)~~証明の無限への構成とその相互の正当化への反転(75)。主観的な諸要素の関係としての真理
の客観性と価値の客観性(80)。欲求された客体を経済的とする交換関係と諸事物の代替可能性の独立した表
現としての貨幣 (95)。価値不変性と発展と客観性とにおける貨幣のこの本質の解明(98)。諸事物の意義をた
がいにその相関性において見いださせる普遍的な存在形式の実体化としての貨幣(107)。
第二章 貨幣の実体価値 (110)
一 価値の測定という貨幣の機能に必要と思われる貨幣の固有価値(110)。個々の商品と個々の貨幣額とのあい
だの直接の等価性を二つの比例、一方においては個々の商品と瞬間的に活動している商品総量との比率、他
方においては個々の貨幣額と瞬間的に活動している貨幣総額との比率、この二つの比率のあいだの同等性に
変更することによる論破(113)。これらの分数の分母の無意識性(114)。すべての実体価値から独立した貨幣機
能の論理的な可能性(118)。価値ある貨幣の本来の必要性(123)。この段階をこえての貨幣の純粋な象徴性格へ
の等価表象の発展(128)。
二 貨幣実体の非貨幣的な使用の断念(136)。記号貨幣に反対する第一の理由~~貨幣の固有価値を不必要とす
る貨幣と商品との関係は正確には承認されず、この不十分さの補完としての貨幣の固有価値(141)。第二の反
対理由~~貨幣記号の無制限な増加可能性、貨幣量の絶対的な高さにたいする相対主義的な無関心とその誤
謬(146)。一般的な態度のばあいとしての、その実体的な意義から相対主義的な意義への貨幣の完成できない
発展(149)、純粋な諸概念の相互の制限としての現実(153)。
三 実体から機能への貨幣の歴史的な発展(厨)、その社会学的な制約(157)。社会的な相互作用と特定構成体へ
のその結晶(165)、貨幣流通の社会学的な前提としての社会的な統一体への買手と売手との共通な関係(168)
貨幣の実体的性格にとっての意義における経済圏の大小と素密(172)。貨幣の個々の職務における機能的性格
への移行の展開(177)~~流通簡素化(182)、価値尺度の不変性(184)、価値の流動化と圧縮(爆)。貨幣の実体的
意義の低下と価値的意義の上昇(195)。
第三章 目的系列における貨幣 (202)
一 主体と客体とのあいだの意識的な相互作用としての目的行動(202)。目的論的な系列の長さ(206)。強化され
た手段としての道具(208)、道具のもっとも純粋な例としての貨幣(209)。利用可能性の無制限性による貨幣の
価値上昇(212)。富の余得(219)。大きな所有と小さな所有の部分として同じ貨幣量の相違(221)、消費上の価格
制限(222)。貨幣はその純粋な手段的性格によって、社会的な圏とは結合してはいない諸個人の領域となる
(225)。
二 手段の目的への心理的な成長(233)、もっとも極端な例としての貨幣(238)。時代の文化的な傾向への貨幣の
目的的性格の依存(239)。貨幣の目的論的な地位の心理的な諸結果(242)~~-守銭欲と吝嗇(246)、浪費(258)、禁
欲的な貧困(263)、現代的な冷笑主義(267)、倦怠(268)。
三 貨幣の質としてのその量(272)。危険率の主観的な相違(273)。量的に変化した諸原因の質的に不等な諸結
果という一般的な現象(276)。経済的な識閾(278)。経済的な刺激にかんする相違感覚(280)。貨幣の領域におけ
る外的な刺激と感情結果とのあいだの諸関係(285)。所有者の個人的な統一の意義(287)。事物の形式と量との、
量と質との客観的ならびに文化的な関係(288)と、この関係にとっての貨幣の意義(296)。
綜合篇 (299)
第四章 個人的な自由 (301)
一 義務と共存し、義務が人格と労働生産物とのいずれに及ぶかによって等級づけられる自由(301)、極端な自
由が一致できる形式としての貨幣義務(303)。所有変更による価値の最大化の問題への調整(311)。個々に規定
された個人への拘束の下降のもとでの、人が依存する個人数の文化的な同時の上昇(315)。人格のあいだの非
個人的な関係とそれによる個人的な自由との担い手としての貨幣(317)。
二 行為としての所有(325)。所有と存在とのあいだの相互の依存(328)。貨幣所有によるこの依存の解消(329)。
心的な系列の相互の混交としての不目由(336) ~~他の系列のもっとも一般的なものとの混交のばあいの最小
の不自由(336)。経済的な利益による拘束への適用(338)。事物への自我の表現としての、所有としての自由
(346)。自我にたいする貨幣所有の無条件的な柔軟性と条件づきの柔軟性(353)。
三 人格と所有との分化(359)~~貨幣による空間的な距離化と技術的な客観化(361)。全人格の個々の業績から
の分離と業績等価物にとってのその結果(363)。 集団にたいする個人の自立化(372)と貨幣による新しい結合
形式・目的団体(374)。貨幣経済と個人主義の原理とのあいだの一般的な関係(378)。
第五章 個人的な価値の貨幣等価物 (388)
一 殺人賠償金(388)。人間の功利的な評価からの客観的および絶対的な評価への移行(391)。罰金と文化段階
(398)。人間の分化の進歩とその分化の増大する不適当性の原因としての貨幣の無差別性の進歩(402)。売買婚
(406)と妻の価値(408)。両性のあいだの分業と持参金(412)。貨幣と売春とのあいだの典型的な関係(413)、
殺人賠償の発展に類似する売春の発展(418)。貨幣結婚(419)。買収(424)。高貴の理想と貨幣(438)。
二 特殊な内容の権利の貨幣要求への変化(437)。強制可能性(441)。事物価値から貨幣価値への転換(442)~~自
由の否定的な意味と人格の根絶(444)。個人的な業績と貨幣等価物とのあいだの価値差異(449)。
三 労働貨幣とその基礎づけ(455)。精神の無料給付(457)。量的相違としての労働の高さの相違(460)。労働単位
としての筋肉労働(465)。心的な業績の価値へ還元できる肉体的な業績の価値(469)。労働貨幣にたいする反対
理由としての労働の有用性相違(474)、これによって促された貨幣の意義への洞察(477)。
第六章 生活の様式 (479)
貨幣経済によって媒介された感情機能にたいする知的な機能の優越(479)、生活様式の無性格性と客観性
(482)。知性と貨幣との二重の役割(484)、内容よりみた超個人的な性格(484)、機能よりみた個人主義的な性格
と利己的な性格(488)、法と論理との合理主義への関係(494)、現代の計算的な本質(496)。
二 文化の概念(499)。事物の文化の上昇と個人の文化の停滞(502)。精神の対象化(507)。主観的な文化と客観的
な文化との分離の原因としての分業(509)。前者の折りにふれての優越(521)。これらの対立運動の担い手への
貨幣の関係(526)。
三 生の様式相違の表現としての自我と事物とのあいだの距離の変化(530)。距離の拡大と縮小への現代の傾向
(534)。この二重過程における貨幣の役割(537)。信用(540)。技術の支配(543)~~生内容のリズムとシンメトリ
ーとそれらの反対(548)、両傾向の継起と併存(551)、それらの類似と担い手としての貨幣の発展(556)~~生活
の速度(564)、その変化と金融状態の変化(564)。貨幣取引の集中(570)。価値の可動化(572)。世界理解のカテゴ
リーとしての持続と運動(576)、存在の相対性性格におけるそれらの総合、その歴史的な象徴としての貨幣(578)。
あとがき (581)
人名索引
『貨幣の哲学』という作品xii-xiii
「貨幣の哲学」見出し一覧(章:ジンメル、 節および小見出し:執筆者)
分析篇
第一章 貨幣と価値 ①
①1 価値と距離
価値論をめぐる、ジンメルの論議の錯綜
二つの秩序一一存在と価値
主観と客観との分裂、距離
距離と経済的価値
交換概念の登場
①2 価値論一交換と犠牲
価値と交換
交換と犠牲
経済的価値の相対性と交換
最終的にはジンメルは価値交換説の立場をとる
価値有用説と価値希少説に対する批判
①3 貨幣と相対主義
相対主義の論理的基礎づけ
相対主義の認識原理としての発見法
貨幣と相対主義
第二章 貨幣の実体価値 ②
②1 貨幣は実体価値をもたなくてよいこと
比例による価値の測定
商品の価格の「適正」さ
消費貨幣から象徴貨幣への歴史
実在と象徴
②2 貨幣における実体価値と機能価値の内的関係
有用性の使用断念
実体的価値を払拭できないこと
増加した貨幣の不均等な分配と投機
貨幣の純粋概念とその意義
②3 社会圈に対する信頼と政府の貨幣発行権
貨幣における信用と経済圏
国庫中心主義と重商主義
交換とは一つの社会化である
社会圏の拡大と貨幣の価値圧縮
取引の簡素化、価値尺度の不変性、価値の流動化
貨幣のうちに投入された観念
第三章 目的系列における貨幣 ③
③1 貨幣と生の媒介
目的系列
貨幣の手段的性格
貨幣の「余得」
③2 貨幣の自己目的化
手段の目的化
現代人の性格類型~~吝嗇、浪費、冷笑主義
③3 貨幣における量と質
第三節の意味
経済的識閾論
質的な「形式」
質的な規定の量的な規定への還元
第三章の意味
綜合篇
第四章 個人的な自由 ④
④1 事物と人格の分化
義務と自由
交換する動物
客観的な依存と人格の分割
事物と人格の分化
④2 貨幣所有と自由
所有と存在の分離
内的分業
人格の拡張としての所有
浪費と吝嗇
④3 集団の拡大と個性の発達
賃労働と自由
目的団体
集団の拡大と個性の発達
個人化
第五章 人格的価値の貨幣等価物 ⑤
⑤1 貨幣価値からの人格的価値の後退
殺人賠償金から刑罰へ
貨幣価値の低下と殺人賠償の変化
売買婚~~贈与、持参金、貨幣結婚
売春
買収
高貴と平準化
⑤2 消極的自由の増大と階級憎悪
貨幣納付と専制
プロレタリアートへの零落と階級憎悪
⑤3 社会主義と労働貨幣の限界
社会主義と労働価値
高級な労働の低級な労働への還元
労働価値の生活手段の消費への還元
労働価値の精神的苦痛への還元
計画的分業による労働価値計算の不可能性
労働貨幣による人格、文化発展の抑制
第六章 生活の様式 ⑥
⑥1 知的機能の優位と生活の合理化
知性と貨幣との優位~~合理化と客観化
個人主義と利己主義
貨幣と知性と法~~合理主義と計算可能性
⑥2 現代文化における主観的な文化と客観的な文化の齟齬
現代文化~~客観的な文化と主観的な文化
社会の拡大と分業~~分業の商品化と商品の疎遠化
生産物の独立化
客観的な文化の遅延~~精神と魂
客観的な文化と個人~~客観的な精神と主観的な精神
⑥3 社会生活における人間と事物との距離の拡大と縮小
事物との距離の拡大と縮小
技術の支配
生内容のリズムとシンメトリー
全体と要素
貨幣の生活への影響
価値の可動性~~持続と運動
存在の相対性~~その象徴としての貨幣
/\
/__\
/\哲学208
/__\/__\
/\<絶対的精神>\
/__☆純粋203__\
/\芸術/\ /\宗教 \
/__203_\ /__207_\
/\ /(世界史)201
/__\ 『精神哲学』 (国内)国家194(国際法)
/\心理学\ 127~208 /\人倫/\
/_☆思惟163 /家族\/市民\
/\<主観的精神>\ /\ <客観的精神>\
/__\☆概念の中__\ /__\☆実践的173\
/人間学/\129\現象学\ /\法181 /\道徳189
/☆感情131\/☆表象132\ /__\/__\ /__\/__\
/\ /\
(絶対理念)\ /__\
☆絶対的95 (生命) 理念 (認識) /\動物/\
/______\ 『エンチクロペディ』 /_123__\
/\☆理念論84/\ 1~208 /\<有機体学> /\
推論64\ 概念論 /_☆認識94 /__\ 121 /__\
☆生命85 主観的\ /客観 \ /地質学/\ /\植物/\
[概念]54_判断58 /______\ /_121__\ /_122__\
/\ /\ /\ /\
/ \ 小論理学 / \ /__\ 『自然哲学』 /化学120
限度☆現実性48 『論理学』 /現実性 \ /絶対力学\ 96~126 /\個別的個体
/______\ 12~95 /___☆推論\ /__\/__\ /形態\/_特殊化
☆存在論的<有論> /☆主観の位置等/☆主観的<本質論>\ /\ <力学> /\ <物理学☆非有機体の>
/ \ 16 / \ 変更多数/ \ 54 / \ /__☆数学99/__\ 元素の過程 116/(音)(熱)
/ 質16\ / 量 \ /存在本質\ / 現象 \ 空間と時間\ /有限力学\ 一般的個体\ /特殊個体
/_☆有16_\/_☆本質33\ /___☆概念\/__☆判断_\/__99__\/_110__\ /天体\/元素\ /重力\/凝集力
Philosophie Des Geldes 1900
目次
分析篇(価値と貨幣;貨幣の実体価値☆;目的系列における貨幣)
綜合篇(個人的な自由;個人的な価値の貨幣等価物;生活の様式)
アソシエーション
/\
/__\
⑥生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
④個人的な自由 ⑤個人的な価値の貨幣
/__\/__\☆☆☆\/__\等貨物
資本 ジンメル『貨幣の哲学』 ネーション
________________
\ /\ /\☆ /\ /↙︎
③目的系列に/ 価値と貨幣①
おける貨幣 分析 \ ★/
\/______\/
\☆☆/\ /
貨幣の実体価値②
\ /
\/
国家
②__①
⑤
③
④__⑥
アソシエーション
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_\
/個人的な自由 /個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
資本 ジンメル『貨幣の哲学』 ネーション
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に/ 価値と貨幣/ ↙︎
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
国家
②__①
⑤
③
④__⑥
34 6
第五章 個人的な価値の貨幣等価物
一
価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
カール・グスタフ・アドルフ・クニース
https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・グスタフ・アドルフ・クニース
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/marcel-mauss-1872-1950-httpnam-students.html
- Philosophie des Geldes (1900) – Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv
《…経済的な交換は〜〜それが実体と労働と実体に投入された労働力のいずれにかかわるにせよ〜〜つねにまた他の有用な財の犠牲を意味する。》
45
第一章 価値と貨幣 1:1:2
のはやはり、各人が他者に彼自身が以前にもっていたよりも多くをあたえるということである。もちろん相互作用は
より広い概念であり、交換はより狭い概念である。とはいえ人間的な諸関係においては相互作用は、まったく圧倒的
に交換とみなしてよい形式において現れる。われわれの自然な運命は毎日を生活内容の獲得と喪失、流入と流出の連
続から合成し、これが交換において精神化されるのは、いまや一方が意識によって他方と置き代えられることによっ
てである。同じ精神的・綜合的な過程が、一般に事物の並存から共存と互助を創造し、同じ自我が、感覚的な所与を
内面的に貫流しながら、それらに自己の統一の形式を作りつけ、 〜〜この過程と自我とが交換によって、われわれの
生存のあの自然にあたえられたリズムをとらえ、その諸要素を組織して有意味的な結合とする。しかもまさに経済的
な価値の交換こそは犠牲の色彩をごく僅かしかまぬがれない。愛を愛と交換するばあい、われわれはそこに示された
内的なエネルギーをそれ以外にどうしたらよいかを知らないであろう。われわれは愛を捧げることによって、〜〜外
的な活動結果を度外視すれば〜〜いかなる効用も犠牲にはしない。われわれが対話において精神的な内容を伝えても
だからといってこの内容が減りはしない。われわれが周囲の人びとにわれわれの人格の像を提示しながら、また他者
の像をわれわれに受け入れるとしても、この交換はけっしてわれわれ自身の所有を減少させない。これらのすべての
交換にあって価値増大は利得と損失との決算によって生じるのではなく、それぞれの当事者の寄与はこの対立のまっ
たくの彼方にあるか、あるいは寄与をなすのをゆるされることが、それだけですでに利得であり、こうしてわれわれ
はお返しを、われわれ自身の授与にもかかわらず、不当な贈与と感じるのである。これにたいして経済的な交換は
〜〜それが実体と労働と実体に投入された労働力のいずれにかかわるにせよ〜〜つねにまた他の有用な財の犠牲を意
味する。いかに最終結果においては幸福論的な増大が犠牲を凌駕するにしてもである。
すべての経済が相互作用であり、しかも犠牲的な交換の特殊な意味においてそうであるということは、経済的な価
値一般の交換価値との同一視にたいして提起される異議に対処しなければならない。まったく孤立した経済者〜〜し
たがって彼は売買しない〜もまた、よくいわれたところであるが、彼の支出と収益とを正しく均衡させるべきであ 第
るばあい、それでも彼の生産と生産手段とを見積もらねばならず、それゆえすべての交換から独立した価値概念を形
成しなければならない。とはいえこの事実はまさに、それが反駁すべきことを証明している。それというのも一定の
46
生産物が労働やその他の財の一定の支出を認めるかどうかのすべての孝量は、経済をいとなむ主体にとっては、交換
のさいに行われる評価、つまり提供するものの受け取るものにたいする評価とまったく同じであるからである。すな
わち交換の概念にたいしてはしばしばあの思考の不明瞭性が働き、その結果として人が関連や関係については、あた
かもそれが関係が生じる諸要素の外部にあるかのように語る。それでも関係が意味するのは、諸要素のそれぞれの内
部における状態あるいは変化にすぎず、諸要素のあいだに、二つの他の客体のあいだにある客体の空間的な個別化の
意味において存在するものではけっしてない。現実に行われる二つの行為あるいは状態の変化を「交換」の概念に総
括することによって、誘惑的に推測されるのは、交換によって当事者の一方と他方とに生じるものがあり、あたかも
何かがこれとならんで、あるいはこれをこえて生じるという考えであり、〜〜これはまた実に交換される「キス」の
概念の抽象的な実体化が方向を誤らせ、キスを二つひと組の唇とそれらの運動と感覚以外のどこかにある何かである
と思わせるのと同じである。その直接の内容から見れば交換とはたんに、ある主体が以前に所有しなかったあるもの
を現在は所有し、その代わりに以前は所有したあるものを所有しないという事実の因果的に結合された二重性にすぎ
ない。しかしそのばあいあの孤立した経済者は、一定の成果の獲得のために一定の犠牲を提供しなければならないか
ら、交換者とまったく同じようにふるまうが、ただ相手は第二の要求する主体ではなく、事物の自然的な秩序と法則
性とであり、これが他の人間のばあいと同じように、われわれの側の犠牲なしにはわれわれの欲求をみたさないのを
つねとする。彼は彼の価値計算にしたがって彼の行為を規定するが、この彼の価値計算は一般に交換のさいの価値計
算とまったく同じである。経済を営む主体そのものにとっては、彼が所有する実体あるいは労働力を大地に投下する
か、それとも他の人間に提供するかは、たんにこの提供の結果が彼には同じでありさえすれば、たしかにまったくど
うでもよい。個人の心における犠牲と獲得とのこの主観的な過程は、個人間の交換にたいしてけっしてたんに第二次
的あるいは模写的なものではなく、むしろ逆に個人の内部における提供と成果とのあいだの交換こそが、あらゆる双
方の交換の根本的な前提であり、そしていわば本質的な実体でもある。後者は前者のたんなる亜種、すなわち提供が
他の個人の要求によって促される交換であるにすぎず、他方では提供も主体にとっての同じ効果によって、事物とそ
の技術的、自然的な性質によって誘導されることがありうる。経済過程の現実的に生じることへの、つまりそれぞれ
第一章 価値と貨幣
ないからである。
さらに貨幣のこの意味は経験的には価値不変性として現れ、これは明らかに貨幣の代替性と無性質性にかかり、こ
こに貨幣のもっとも顕著でもっとも合目的的な性質が認められるのがつねである。経済的な活動系列の長さは、経済
の連続性と有機的な関連と内的な多産性を可能とし、貨幣価値の安定性に依存しているが、それはこの安定性のみが
はるかな将来を展望する予測や多岐にわたる企画や長期の信用を可能とするからである。ところで個々の客体の価格
変動に注目するかぎり、客体の価値が変動して貨幣の価値が安定しているのか、それともそれはあるいは逆ではない
かは決定できない。貨幣価値の不変性が初めて客観的な事実として生じるのは、商品もしくは商品領域の価格騰貴が
他の商品もしくは商品領域の価格低下に対応するときである。すべての商品価格の一般的な騰貴は貨幣価値の下落を
意味するであろう。それゆえこれが生じるやいなや、貨幣価値の不変性は打ち破られる。そもそもこのことが可能で
あるのは、貨幣が具体的な諸事物の価値関係の表現としてのその純粋な機能をこえて一定の性質を含み、この性質が
貨幣を特殊化して売買の対象とし、一定の景気や量的変動や自己運動に貨幣を従わせ、それゆえ貨幣を、それが関係
の表現としてもつその絶対的な地位から相対的な地位へと押し込め、こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であ
るのではなく、関係をもつということのみよる。貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度
に応じて貨幣は価値不変性をもち、それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変
動ではなく、たんに諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定というそれに本質的な性
質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的な関係、諸事物を経済的に価値ある
ものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入
り込まないという課題に負う。それゆえ経済的な価値の変動がより広範により活発に行われれば行われるほど、貨幣
の機能もまたますます切実なものとなる。商品の価値がきわめて断固として持続的に固定しているところでは、商品
が〈現物で〉交換されるのも理解される。貨幣は諸商品の相互の価値関係の変化の状態に対応するが、それは貨幣が
この価値関係のあらゆる変動にたいし絶対に適切で柔軟な表現を提供するからである。事物の経済的な価値が他のあ
103
インガムに繋がる認識。インガムの方が金本位制を相対化出来る時代だからかわかりやすくなっている。
[148/0172]
このようにして、この2つの相互作用の支点はさらに遠ざかり、2つの間の直接的な接続線から離れて、それぞれがお金に関心のある当事者として、お金を受け入れ、その最高の代表者の側で貨幣によってこれを記録する経済界との関係に移行するのである。これは、すべての貨幣は社会に対する指示にすぎず、いわば、振出人の名前が記入されていない為替手形のようなもの、あるいは、受取人の代わりに貨幣が使われているようなものである、という理論の真実の核心にかかっています。金属貨幣の中にも信用を見出そうとする学説に対して、信用はそれにもかかわらず責任を確立するが、金属貨幣はすべての責任を解決すると反論されてきた場合、個人にとっての解決策は全体にとっての結合であるかもしれないということが見落とされてきた。あらゆる私的責任が貨幣によって解決されるということは、まさに全体が権利者に対してこの義務を負うことを意味します。
The pivotal point in the interaction of the two parties recedes from the direct line of contact between them, and moves to the relationship which each of them…has with the economic community that accepts money…[which]…is only a claim upon society.
(Simmel 1978:177)
This is the core of the truth that money is only a claim upon society. Money appears so to speak, as a bill of exchange from which the name of the drawee is lacking…. It has been argued against this theory that metallic money involves credit, that credit creates a liability, whereas metallic money payment liquidates any liability; but this argument overlooks the fact that liquidation of the individual's liability may still involve an obligation for the community. The liquidation of every private obligation by money means that the community now assumes this obligation to the creditor.
(Simmel 1978:177. See especially, 174–179)
二者の相互作用における極めて重要な点は、二者間の直接的な接触線から後退し、二者それぞれが......貨幣を受け入れる経済的共同体との関係に移る......[それは]......社会に対する請求権にすぎない。
(Simmel 1978:177)
これが、「お金は社会に対する請求権でしかない」という真実の核心です。貨幣はいわば、振出人の名前が欠落した為替手形のようなものである.... この理論に対して、金属貨幣には信用が含まれており、信用が負債を生み出すのに対し、金属貨幣の支払いはあらゆる負債を清算するという反論がなされてきた。しかしこの反論は、個人の負債の清算には、依然として共同体に対する義務が伴う可能性があるという事実を見落としているのである。あらゆる私的な義務が貨幣によって清算されるということは、共同体が債権者に対するこの義務を引き受けることを意味する。
(Simmel 1978:177。特に174-179を参照)
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
168
司祭や寺院が意味をもたないのと同じである。貨幣の二重の性質、なるほどきわめて具体的でそのようなものとして
評価される実体でありながら、それでもその意味をたんに運動と機能への完全な解消にのみもつという性質は、〜〜
貨幣がたんに人間のあいだの交換という純粋な機能の実体化、いわばその化身に成り立つことに基づく。
貨幣素材の発展は貨幣の社会学的な性格をますます完全な表現にもたらす。塩や家畜や煙草や穀物のような原始的
な交換手段は、それらの使用よりすれば純粋な個人的関心によって規定され、それらは唯我論的である。それらは結
局は個人によって消費され、この瞬間には他者はそれにいかなる関心も示さない。これにたいして貴金属は装飾とし
てのその意義によって諸個人のあいだの関係を示している。すなわち人びとは他者のために身を飾る。装飾は社会的
な欲求であり、そして貴金属はまさにその輝きによって目を自己にひきつけるのにまさにとりわけ適している。それ
ゆえ一定の装飾種類はまた一定の社会的な地位に保留される。こうして中世の フランスにおいては金の装飾品を身に
つけることは、一定の地位以下の人びとには禁じられていた。装飾はそのすべての意義を、それがそれを身につけて
いる人以外の他者のなかにひき起こす心理的な過程のうちにもつということによって、貴金属はあのより根源的な、
いわば求心的な交換手段とはあくまでも区別される。もっとも純粋な社会的な出来事としての交換、すなわちもっと
も完全な相互作用としての交換は、それにふさわしい担い手を装飾品という実体において見いだす。なぜなら装飾品
はその所有者にとってのすべての意義をたんに間接的にのみ、すなわち他の人間との関係においてのみ提示するから
である。
特殊な形象への交換行為のこの具体化が技術的に完成されるのは、それぞれの客体が他の客体と直接に交換される
代わりに、まずその特殊な形象と交換されるというふうにしてであるとすれば、いまや問題は、より詳細に吟味すれ
ば客体の背後に立つ人間たちのこれに対応する態度はいかなるものかである。〜〜それというのも商人にたいする共
通の態度は、たとえ貨幣取引の原因と結果であるとしても、これにたいしてはそれでもたんに比喩としてしか役立た
ないからである。ところで明らかであると思われることではあるが、客体と貨幣とのあいだのあの関係の基礎と社会
学的な担い手とは、貨幣を発行あるいは保証する中央権力にたいする経済を営む個人の関係である。刻印が貨幣を金
属量〜〜より自然な貨幣種類についてはふれない〜〜としてのたんなる性格をこえて高めたとき、はじめて貨幣は絶→☆☆a
[143/0167] …
Proudhon, der alle festen Staatsgebilde beseitigen und die freie unmittelbare Wechselwirkung der Individuen als die einzig richtige Form des sozialen Lebens anerkennen will, bekämpft den Gebrauch des Geldes überhaupt; denn in ihm sieht er ein genaues Analogon jener Herrschaftsgebilde, die aus den Individuen ihre lebendige Wechselwirkung heraussaugen und in sich kristallisieren. Es müsse daher die Tauschbarkeit der Werte ohne Dazwischenkunft des Geldes begründet werden, ebenso wie die Regierung der Gesellschaft durch alle Bürger ohne Dazwischenkunft des Königs; und wie man jedem Bürger das Stimmrecht gegeben habe, so müsse jede Ware an und für sich und ohne Vermittlung des Geldes zum Wertrepräsentanten werden.
すべての固定状態の構造を取り除き、個人の自由で直接的な相互作用を唯一の正しい社会生活の形態として認識したいプルードンは、一般的にお金の使用に反対しています。その中で彼は、個人から彼らの生きている相互作用を吸い出し、それ自体で結晶化するそれらの支配的な構造の正確な類似物を見ています。したがって、王の介入なしにすべての市民が社会の政府と同じように、お金の介入なしでの価値の交換可能性は正当化されなければなりません; そして、すべての市民に投票権が与えられているのと同じように、すべての商品自体が、お金の仲介なしに、価値の代表者になる必要があります。
__
Dies andere und weitere wird er, indem der Tauschwert, den die eine Partei giebt, seine Bedeutung für die zweite nicht unmittelbar, sondern als bloſse Anweisung auf andere, definitive Werte enthält — eine Anweisung, deren Realisierung von der Gesamtheit des Wirtschaftskreises oder von der Regierung als der Vertretung desselben abhängt. Indem der Naturaltausch durch den Geldkauf ersetzt wird, tritt zwischen die beiden Parteien eine dritte Instanz: die soziale Gesamtheit, die für das Geld einen entsprechenden Realwert zur Ver10* [148/0172] fügung stellt.
それは、一方の当事者が与える交換価値が、他方の当事者にとってその意味を直接的にではなく、他の明確な価値への単なる指示として含んでいるという点で、この他のさらに他のものとなります。この指示は、その実現が経済界の全体またはその代表としての政府に依存しています。現物での交換を貨幣の購入に置き換えることで、二者の間に第三の事例が入ります。
[148/0172] fügung stellt. Der Drehpunkt der Wechselwirkung jener beiden rückt damit weiter fort, er entfernt sich aus der unmittelbaren Verbindungslinie zwischen ihnen und verlegt sich in das Verhältnis, das jeder von ihnen als Geldinteressent zu dem Wirtschaftskreise hat, der das Geld acceptiert und dies durch die Prägung seitens seiner höchsten Vertretung dokumentiert. Hierauf beruht der Kern von Wahrheit in der Theorie, daſs alles Geld nur eine Anweisung auf die Gesellschaft ist; es erscheint gleichsam als ein Wechsel, in dem der Name des Bezogenen nicht ausgefüllt ist, oder auch: in dem die Prägung die Stelle des Acceptes vertritt. Wenn man gegen die Lehre, die auch im Metallgelde einen Kredit finden will, eingewendet hat, daſs der Kredit doch eine Verbindlichkeit begründe, die Metallgeldzahlung aber jede Verbindlichkeit löse, so ist übersehen, daſs, was für den Einzelnen Lösung ist, für die Gesamtheit Bindung sein kann. Die Solvierung jeder privaten Verbindlichkeit durch Geld bedeutet eben, daſs jetzt die Gesamtheit diese Verpflichtung gegen den Berechtigten übernimmt.
[148/0172]
このようにして、この2つの相互作用の支点はさらに遠ざかり、2つの間の直接的な接続線から離れて、それぞれがお金に関心のある当事者として、お金を受け入れ、その最高の代表者の側で貨幣によってこれを記録する経済界との関係に移行するのである。これは、すべての貨幣は社会に対する指示にすぎず、いわば、振出人の名前が記入されていない為替手形のようなもの、あるいは、受取人の代わりに貨幣が使われているようなものである、という理論の真実の核心にかかっています。金属貨幣の中にも信用を見出そうとする学説に対して、信用はそれにもかかわらず責任を確立するが、金属貨幣はすべての責任を解決すると反論されてきた場合、個人にとっての解決策は全体にとっての結合であるかもしれないということが見落とされてきた。あらゆる私的責任が貨幣によって解決されるということは、まさに全体が権利者に対してこの義務を負うことを意味します。
マーティン『21世紀の貨幣論』#5より
《マネーを表象する最も代表的な技術は、硬貨だった 。高額の硬貨には銀が選ばれ、
少額の硬貨には、銅などの金より価値の低い金属や合金が使われた。しかし、今日の
硬貨とちがって、中世の硬貨には額面は刻印されていない。表にも裏にも、数字は
記されず、貨幣を発行する主権者である君主の顔や腕など、発行権者を示す図柄
だけが刻まれていた。その後、硬貨を鋳造する政治的権限を持つ君主が硬貨の
価値を布告した。
この制度は君主に大きな利点があった。硬貨の額面価値を引き下げるだけで、鋳造
貨幣のすべての保有者に対して一回限りの事実上の富裕税を課すことができる。君主が
告げるだけで、それまでは 1シリングとして通用していた硬貨が、 6ペンスに
なってしまうのだ。額面価値が「切り下げ」られたということは、標準が「切り上げ 」
られたということでもある[The coin had been “cried down”; or equivalently, one could say
that the standard had been “cried up.” ]。》
齊藤 誠@makotosaito0724
《金銀含有量が不確実だったため、内在価値を決めることができず、公的な発行者が対銀相場
で額面を定め、発行者が保有者に対してその額面で回収に応じていたらしい。すると、
エレクトラム貨は鋳造貨幣ではなく、信用貨幣ということになる。ただ、その後の銀貨は
鋳造貨幣の性格を持った。》
https://twitter.com/makotosaito0724/status/1179737611595730945?s=20
レイMMT入門6-4にも同様の指摘あり
《実は 、近世まで 、硬貨には額面金額が刻まれていなかった 。国王が自らの 「出納所 」
での価値として宣言した金額が 、その硬貨の価値となった (昔の硬貨を見てみよう 。
それには神話上の人物や国王の肖像が刻まれているが 、額面金額は示されていなかった ) 。
国王は 、租税負担を実質的に倍にするために 、流通しているすべての硬貨の価値をこれ
までの半分にすると宣言することができた 。これは主権者たる国王の特権であったため 、
硬貨の保有者はその名目的な価値に関して不確実性に直面する可能性があった 。》
ジンメル:メモ
罰則
388
第五章 個人的な価値の貨幣等価物
一
価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。この領域においてもっとも目立つ現
象として先ずわれわれにたち現れるのは、殺人の貨幣支払いによる贖罪である。 〜〜これは原始文化においてはきわ
めて頻繁な事実であり、したがって少なくともその単純で直接的な形式にとっては個々の事例は必要ではない。しか
しその頻度に比して注意されることの少ないのは、人間の価値と貨整価値との関連がしばしば法的な表象を支配する
さいの強度である。アングロ・サクソン系の最古のイギリスにおいては、王の殺害にたいしてさえ殺人賠償金が確定
されていた。法律はそれを二七〇〇シリングと定めていた。ところでそのような額は当時の状況にとってはまったく
空想的であり、けっして調達されはしなかった。その額の真の意味は、それをいくらかなりとも補償するためには、
その法律の解釈が述べるように、そのばあいなお残る差額〜〜たんなる負債としての〜〜がたんに死によってのみ清
算できるほどに大きくはないにしても、殺害者と彼の全親族とが奴隷に売られなければならないということである。
それゆえ罰金という迂路をへて初めて人びとは人格に頼り、罰金は、犯罪の大きさが表現される理想的な基準と思わ
れる。同じ文化圏の内部における七王国の時代、通常の自由人にたいする典型的な殺人賠償金は二〇〇シリングの額
となり、他の身分にたいするそれはこの基準の端数あるいは倍数にしたがって計算された。してみればこれはたんに
別な仕方で、いかに貨幣が人間の価値についての純粋に量的な観念を可能にしたかを表しているにすぎない。まさに
この観念からさらにマグナ・カルタの時代には、騎士、男爵および伯爵はそれぞれたがいにシリング、マルクおよび
ポンドと同じ関係〜〜というのもこれが彼らの封土差の比率であるから〜〜にあるという主張が生じた。この観念は
___
スピノザ
94
相対主義的な見解はしばしば事物の価値と信頼性と重要性の削減と感じられたが、そのさい見逃されるのは、なに
か絶対的なものの素朴な固執のみが実はまさに問題となり、相対的なものにこの地位を割り当てることができるとい
うことである。むしろ現実には逆であり、硬直したすべての独立存在を相互作用へ解消することを無限に続行するこ
とによって、われわれは初めて一般にあらゆる世界要素のあの機能的な統一に接近し、そこではそれぞれの要素の重
要性がすべての他の要素の上をくまなく照らす。それゆえ相対主義はその極端な対照、すべてを包括する〈実体すな
わち神〉をもつスピノザ主義にさえ、人びとの思う以上に近くにある。この絶対的なものは存在一般の普遍概念以外
のいかなる内容ももたず、したがってその統一のなかには、およそ存在するすべてのものが含まれる。すべての存在
がその実在性からすればすでにあの神的な実体のうちに統一されており、同様にまたそれがその抽象的な概念からし
ても存在者一般として統一を形成するとすれば、もちろん個々の事物はもはや存在をそれだけではけっしてもつこと
ができない。すべての個別的な不変性と実体性、第二次的なすべての絶対性はいまや完全にあの統一に解消し、そこ
で人はまさに次のように言うことができる。すなわちスピノザのそれのような一元論においては世界像の総体的な内容は相対性となっていると。包括的な実体、ひとり残存する絶対者はいまや、現実が内容的には変えられることもなく、無視されることができる。〜〜搾取者が搾取されると、マルクスは形式的には同じ過程を叙述している。〜〜そして実際に後に残るのは、関係と過程への事物の相対主義的な解消状態である。相対主義が事物の本質として構成す
る事物の被制約性は、たんに皮相な見解にとってかそれとも相対主義を十分に根本的には考え抜かれないばあいにの
無限性の思想を排除するように思われるかもしれない。むしろその逆が正しい。それというのも具体的な無限は
われわれには次の二つの仕方でのみ考えることができるからである。第一には上昇あるいは下降する系列としてであ
り、そこではそれぞれの項が他の項に依存し、そして第三の項を自己に依存させる。これは空間的な配列、因果的な
エネルギー伝播、時間的な継起、論理的な演鐸にかんして行われるであろう。この系列形式が拡張的なものに移した
ものをわれわれに提供するのが第二に、自己回帰する簡潔な形式における相互作用である。ある要素が他の要素に及
ぼす影響が、後者にとっては前者に初めて作用を反射する原因となり、こうして投げ返された作用がそれなりに再び
反作用の原因となり、運動を新たに開始させるとすれば、これによって活動の現実の無限性の図式があたえられる。
___
プルードン
164
のたえざる悪化に成り立ち、もっとも手近な技術であった。たんにまったく非有機的な共存にあってのみ可能である
のは、一方の側にはすべての利益を、他方の側にはすべての損害をあたえるといった政策である。正貨にたいする喜
びは東洋人に生まれつきと思われるが、これは彼らの君主の国庫中心主義に還遠元され、君主たちは貨幣改悪の結果を
配慮することなく鋳貨特権を税源として利用した。これへの必然的な対応が金そのものや銀そのものの蓄積への臣民
の情熱であろう。台頭しつつあった中央集権的·専制的な国家が意味したのは、政治的な諸要員のあいだのはるかに
緊密で活発な関係であった。すなわちその有機的な統一の観念が形成したのは、「朕は国家なり」から「国民の第一
の下僕としての国王」にいたる君主の理想に共通なものである。ところで、ここでもまた政府の関心はできるだけ多
くの貨幣実体の獲得にあったとはいえ、それでも貨幣の獲得の究極目的が貨幣の実体的な所有にではなく、産業の繁
栄などのための貨幣の生産性のなかに求められたということは、国家組織体の首長と成員とのあいだの活発な相互作
用と、国家存在そのものの活気とに対応する。やがて自由主義的な傾向が国家の生活を、諸要素のますます自由な流
れと、ますます妨げられない柔軟さと、ますます動的な均衡へと導いたとき、アダム・スミスの理論にとっての実質
的な基礎があたえられた。すなわち金と銀とはたんなる道具にすぎす、炊事道具となんら異ならず、炊事道具の増加
によっては食物が増えないように、金銀の輸入はそれだけでは国土の福祉は高めはしないという。ついに古い実体的
な秩序が解体して、無政府主義的な理想が可能となれば、貨幣理論のこの方向もまた当然ながらこの無政府主義的な
理想のなかにその極端に達する。プルードンはすべての固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を社会的
な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。それというのも彼が貨幣のなかに見たの
は、あの支配構造との正確な類似であり、支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の
なかに結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じように、価値の交換可能性
も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべての市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品
はそのままに貨幣の媒介なしに価値代表にならなければならない。〜〜アダム・スミスの見解によって、ここで主張
された貨幣理論への方向がとられ、この方向は唯物論的な方向との対立において先験的な方向と呼ぶことができる。
それというのも唯物論が精神も物質であると明言すれば、〜〜先験哲学は物質さえも精神であると説くからである。
___
信用貨幣
第二章 貨幣の実体価値
182
序説的に強調したいのは、すでに述べた君主によって企てられた鋳貨改悪こそは、大衆の巨大な不利によって、貨
幣の金属価値にたいする機能価値をきわめて鋭く明らかにしたということである。改悪された鋳貨を臣民に受けとら
せ、これの代わりにより良質の金属を引き渡させたものは、それでもまさに改悪鋳貨が貨幣の流通目的をはたしたと
いうことであった。鋳造権君主がせしめたものは、貨幣の機能価値にたいする法外に高められた等価物であり、この
機能価値のために臣下は新旧鋳貨の交換を、すなわち貨幣の金属価値の犠牲を承諾しなければならなかった。とはい
えこれはまったく一般的な現象にすぎず、その特殊な先鋭化と思われるのは、その形式によって一般に他の貨幣より
も取引により役立つ貨幣は、同じ価値内容にもかかわらず他の貨幣よりも優越しているのみではなく、むしろそれは
それによって次の事例におけるようにその固有の実体意義をはるかにしのぐことができるということである。一六二
一年に北ドイツの鋳貨改悪によってライヒスターラー貨(ドイツにおいて一五六六年から一七五〇年頃に通用した銀貨)の
価値が四八から五四シリングに騰貴したとき、ホルシュタイン、ポンメルン、リューベック、ハンブルクや、その他
の政庁は共同の鋳貨法令を発して、ライヒスターラー貨は一定の時点からはたんに四〇シリングとしてのみ通用すべ
きであるとした。このことは一般に正当で有益と評価されて受け入れられはしたが、それでもライヒスラー貨は
さらに分割と計算とが比較的に容易であったため、なお長く四八シリングとして通用した。同じことははるかに高い
複雑な段階においても生じる。取引所は現在のところ公債証書が高額と低額とで発行されて、〜〜〈割合からすれ
ば〉価値はまったく同じであるにもかかわらず〜〜低額証券のほうがより多く求められ、比較的小さい取引に利用さ
れるから、高額証券よりも低額証券のほうにいくらか高く値段をつけるのをつねとするばあいのことである。さらに
一七四九年にアメリカの植民地における鋳貨目的にかんする委員会の声明したところでは、生産よりも消費の多い経
済の未開発な国においては、貨幣はより豊かな隣国よりも劣悪でないばあいは不可避的にそこへ流出するから、つね
にそこよりも劣悪でなければならないという。それゆえこの事例はさきに述べて事実、すなわち一定の貨幣形式の計
算と決算とへの適合は、客観的に妥当する価値をはるかにこえて意図的に高められた価値をこの形式にあたえるとい
うことの上昇と先鋭化である。貨幣の機能的な合目的性はここではその実体価値をこえて大きくなりすぎ、その意義
を転回させることになる。まったく価値の少ない小銭が貴金属にたいし時には信じられない価値を主張したばあいは、
すべて機能価値による金属価値の圧倒の証明としてこれに属する。このことが生じるのはたとえば金採掘地方におい
てであり、そこでは獲得された富が活発な取引を生みだすが、それでもそこには日々のより小さな需要のための交換
手段がない。このようにして十七世紀の終わりにブラジルの採金業者たちのあいだに小銭の欠乏が生じたとき、ポル
トガル国王はこれを利用して、金の法外なプレミアムをとって銀貨を提供した。その後カリフォルニアとオーストラ
リアにおいても採掘業者がたんに小銭を得るために、その代わりに二倍から一六倍の金属価値を金で支払うというこ
とが生じた。この種のもっともひどい現象を提供するのは、最近まで支配していた〜〜最近は改革中であるといわれ
ている〜〜トルコの鋳貨状態である。ここにはニッケル貨も銅貨も存在せず、小銭としてはたんに惨めな銀の合金、
アルティリック貨、ベシュリック貨、メタリック貨のみが存在し、これらのすべては取引にはまっなたく不十分な量し
か存在しない。その結果はこうである。すなわち政府は一八八〇年にみずからこれらの鋳貨の名目価値をほぼ半分に
滅少させたが、これらの鋳貨はその価値をほとんど変えないで維持し、金にたいして言うに値するほどの逆プレミアムをまった
くつけず、そればかりか全世界に流通している貨幣記号のうち最悪とされているメタリック貨が、時には
金にたいして額面以上に上がることがある。まさにこのことこそきわめて特徴的である。すなわちもっともつまらな
い鋳貨がまさに取引にとってはもっとも重要な鋳貨であり、もっぱらこの重要性によって評価される。〜〜それゆえ
にこそまた小さな鋳貨はいたるところで鋳貨改悪の最初の対象である。メタリック貨の価格は逆説を含んでいる。す
なわち貨幣は無価値であればあるほどますます価値多きものとなることができる。
なぜなら貨幣の実体的な無価
値性こそは、貨幣を一定の機能的な職務に適合させ、この職務が貨幣の価値をいまやほどんど無限に高めることがで
きるからである。
貨幣の機能意義の上昇した意識と上昇した事実性とは、銀本位制にたいする異議をもまた可能とした。すなわち貨
幣に要求されるものは、第一にも無条件にも便利さと取り扱いやすさとであるという異論である。食糧品の使用が多
くの不便さをともなうにしても、それがたんに栄養があり美味でありさえすれば、その食糧品はたしかに維持される
ことができる。不便な衣服もまた美しいか暖かいから維持される。しかし不使な貨幣は食べられない食糧品やは着ら
れない衣服と同じである。それというのも貨幣の最高の目的は、財貨交換の便利さであるからである。ここで比較さ
れた財貨との相違はまさに、貨幣が他の財貨に比べて主要性質とならぶ副次性質をほどんどもたず、またもたなくて
もよいということに基づく。貨幣はすべての具体的な財貨のうえの絶対的な抽象体であるから、貨幣はその純粋な規
定の外にあるいかなる性質によっても不当に煩わされもしなければ、他の方向へ誘導されもしない。
184
貨幣の機能の上昇あるいは低下はその実体価値とは無関係にその価値を増大あるいは減少させることができるとい
うことは、〜〜とりわけ貨幣の実体価値と緊密に結合していると思われる貨幣の評価根拠、すなわち貨幣の価値不変
性についてさえ妥当する。ローマ皇帝はすでに述べたように、金貨と銀貨との鋳造の独占権をもっていたが、銅貨す
なわち信用貨幣は元老院によって、そしてオリエントでは都市によって鋳造された。このことは最初から、皇帝が実
体価値のない小銭によって国土をあふれさせないことへの一定の保証をなした。結果はやはりたんに、皇帝たちが彼
らにゆだねられた銀貨の改悪に頼ることになり、そこからはまたローマ鋳時貨制の底知れない崩壊が始まった。いまや
ここから価値関係の注目すべき逆転が生じた。すなわち銀貨は改悪によって信用貨幣にまで下落したが、銅貨のほう
はその価値をかなり変わらずに維持したことにより、価値鋳貨の性格をかなり高い程度まで回復した。それゆえ価値
不変性という性質はここでは、それの相対的な高さあるいは降下によって、貨幣価値の担い手としての金属実体のこ
れまでの性格を完全に逆転させることができる。実体価値にたいする安定性価値の優越というこの意味においていま
や主張されるのは、紙幣本位制の金本位制への移行はけっして地金支払いの再採用をともなうにはおよばないという
ことである。たとえばオーストラリアのようにその紙幣が銀にたいしていかなる逆プレミアムをつけない国において
は、たんなる金計算への移行によってはすでに金本位制の決定的な利益、すなわち貨幣価値の安定化は獲得される。
こうして問題となっている実体の機能は、実体そのものがまったくなくても達成できる。さらに最近では貨幣価値の
不変性への関心が、紙幣への金属の準備をまったく廃止すべしという要求となった。すなわち金属の準備の存続する
かぎり、さまざまな国にとって共通の制度が創設され、これがそれぞれの国の内的な取引を他の国の政治的および経
済的な運命のすべての変動に従わせる。準備のない紙幣はその輸出不可能性によって、まったく国内にとどまって国
内のすべての企業に役立つという利益を提供するのみではなく、さらになによりも完全な価値不変性を提供する。こ
の理論がいかに攻撃できるにせよ、それでもそのたんなる可能性が示しているのは、貨幣概念の実体概念からのあの
心理的な分離と機能的な職務の観念によるその成長する完成である。ついでに述べれば貨幣のこの種のすべての機能
は明らかに、機能への貨幣の一般的な解消が行われるさいの諸条件に従い、それゆえこの種の機能は所与のそれぞれ
の瞬間には不完全にしか妥当せず、この概念は無限の彼方にある発展目標を示している。貨幣が測定すべき価値はま
た貨幣がその相互関係を表現すべきであるが、この価値がたんに心理学的なものであるということによって、すでに
貨幣には容積や重量の尺度のもつ不変性は拒否される。
しかし貸金の返済にさいして、借りているあいだに貨幣の価値が変われば人はどうすべきであるか、この問題に直
面して実生活は、右の価値不変性を事実とみなす。この変化が貨幣価値一般の下落によって生じ、したがって同じ貨
幣額が返済のさいに価値が少なくなっていれば、このことは法律によっては考慮されない。すなわち同一の貨幣額は
そのまま同一の価値とみなされる。鋳貨そのものが合金によってであれ、鋳貨品位の変更によっであれ、改悪された
ばあい、法律はただちに、新しい鋳貨品位にしたがって相当する額が返済されるべきとか、同一の分量の品位が返済
されるべきとか、まったく機械的に債務の名目価値が返済されるべきとかを規定する。したがって大体において重き
をなすのは、貨幣はその価値を変わらないままに維持するという観念である。ところでこの安定性は、貸付にさいし
てそれを疑う人のいない現物対象においてさえ擬制にすぎない。春に借りた一ツェントナー(重さの単位、ドイツでは
五〇キログラム)の馬鈴薯は、後にそれを《現物で〉返すばあい、はるかに多くの価値があったり、はるかに少しし
か価値がなかったりするかもしれない。とはいえここで対象の直接の意義を考慮することができれば、馬鈴薯の交換
価値は変動するかもしれないが、その満足価値と栄養価値とはまったく同じものであり続ける。ところが貨幣はこの
種の価値をまったくもたず、たんに交換価値をもつのみであるから、貨幣の安定性の前提はそれだけいっそう目立つ
ようになる。発展は合目的的に、この実際に必要な擬制がますます真実であることを証明しようと努めるであろう。
すでに貴金属について人びとの強調するところでは、装飾への貴金属の関係は貨幣の価値安定性に役立つ。それとい
うのも装飾欲望はきわめて弾力的であるから、貴金属準備の増加のさいはただちにより多くの量の金属を吸収し、そ
れによってその価値の過度の低下を阻止するが、貨幣への需要が増大するばあいは装飾品準備は貯水池として役立ち、
ここから必要な量が取り出され、価格上昇が制限されるからである。しかしこの傾向の継続においては、貨幣実体を
まったく排除するという目標があるように思われる。それというのも貴金属のようなきわめて適切な貨幣実体でさえ、
動揺を完全には免れることができず、動揺は需要と生産と加工などの貴金属の独特の条件から生じ、交換手段と相対
的な商品価値の表現としてのその職務とはある程度までは無関係であるからである。貨幣の完全な安定性が初めて達
成できるのは、貨幣がもはやけっして独立してはおらず、具体的な諸財貨のあいだの価値関係のたんに純粋な表現に
すぎないときである。…
190:
ことは、同じ機能的な職務へのそれらの召命を意味するにすぎない。したがってこの職務が一方の発展において強く
現れれば、他方もまた運動の同じ活発さへと促される。それゆえこのことは両者のあいだの他の関係、すなわち信用
は正貨を無用とするという関係とけっして矛盾はしない。われわれの聞くところによれば、イギリスではすでに一八
三八年には生産の途方もない上昇にもかかわらず、正貨は五〇年以前よりも僅かであり、さらにフランスにおいては
革命以前よりも僅かであったという。同じ根本動機から生じた二つの現象のあいだには、一方ではたがいに促進しあ
いながら他方ではたがいに駆逐しあい交替しあうという二重の関係が存在する。〜〜このことはまったく理解でき、
けっして稀ではない。ここで思い起こされるのは、愛の根本感情が感覚的にも精神的にも表現され、しかもこれらの
二つの表現様式が相互に強めあいながらも、しかしまたその一方が他方を排除しようと努めあい、そしてしばしば、
まさにこれらの二つの可能性のあいだの相互演技が、根本感情をもっとも深くもっとも生きいきと実現させるという
ことである。さらに思い出されるのは、認識衝動のさまざまな活動は、それらがたがいに促進しあうばあいも、たが
いに排除しあうばあいも、根本的な関心の統一性を一様に示すということである。最後に、集団における政治的なエ
ネルギーは個人の気質と環境とにそれぞれしたがってさまざまな政党に凝縮されるが、しかしこれらの政党はそのエ
ネルギーの力の規模を諸政党のあいだの闘争の激情のなかに示すとともに、全体の関心が時には諸政党を共同の行動
へ統一化させることにも示す。こうして信用の意義は、一方では正貨流通とともに相互の促進の関係のなかにあり、
他方では正貨流通にとって代わり、たんに両者が果たさなければならない職務の統一性を示すにすぎない。
ところで取引の増大によって要求されると思われる貨幣実体の増加に代わって、貨幣の流通速度の増加がますます
現れる。先に述べたところであるが、すでに一八九〇年にフランス銀行は、実際に払い込まれた貨幣の一三五倍(四
億フランにたいする五四〇億フラン)も当座勘定へ移し、ドイツ帝国銀行はさらに一九○倍も移した。一般には稀に
しか明らかにはされないが、貨幣は信じられないほど僅かな実体でその職務をはたす。戦争やあるいは他の破局の突
発のさい貨幣が、あたかも地中に沈没したかのように消滅するという奇妙な現象は、たんに流通の停滞を意味するに
すぎず、この停滞は、つかの間も貨幣から離れたくはないという個人の不安によって誘発されたり強められたりする。
正常な時代には流通の迅速さが、貨幣の実体を現実に存在するよりもはるかに膨大と思わせる。 〜〜これはちょうど
参考:
中野剛志
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/2016.html
Britain Against Napoleon: The Organization of Victory, 1793-1815 Roger Knight
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/07/important-subplot-of-economic-struggle.html
第五章 個人的な価値の貨幣等価物
一
価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。この領域においてもっとも目立つ現 象として先ずわれわれにたち現れるのは、殺人の貨幣支払いによる贖罪である。~~これは原始文化においてはきわ めて頻繁な事実であり、したがって少なくともその単純で直接的な形式にとっては個々の事例は必要ではない。しか しその頻度に比して注意されることの少ないのは、人間の価値と貨幣価値との関連がしばしば法的な表象を支配する さいの強度である。アングロ・サクソン系の最古のイギリスにおいては、王の殺害にたいしてさえ殺人賠償金が確定 されていた。法律はそれを二七〇〇シリングと定めていた。ところでそのような額は当時の状況にとってはまったく 空想的であり、けっして調達されはしなかった。その額の真の意味は、それをいくらかなりとも補償するためには、 その法律の解釈が述べるように、そのばあいなお残る差額~~たんなる負債としての~~がたんに死によってのみ清 算できるほどに大きくはないにしても、殺害者と彼の全親族とが奴隷に売られなければならないということである。 それゆえ罰金という迂路をへて初めて人びとは人格に頼り、罰金は、犯罪の大きさが表現される理想的な基準と思わ れる。同じ文化圏の内部における七王国の時代、通常の自由人にたいする典型的な殺人賠償金は二〇〇シリングの額 となり、他の身分にたいするそれはこの基準の端数あるいは倍数にしたがって計算された。してみればこれはたんに 別な仕方で、いかに貨幣が人間の価値についての純粋に量的な観念を可能にしたかを表しているにすぎない。まさに この観念からさらにマグナ・カルタの時代には、騎士、男爵および伯爵はそれぞれたがいにシリング、マルクおよび ポンドと同じ関係~~というのもこれが彼らの封土差の比率であるから~~にあるという主張が生じた。この観念は基礎づけが事際にはまったく不正確であるため、それだけいっそう特徴的である。それというのもこの観念は、人間 の価値を貨幣で表現しようとする傾向が、客観的な不適当性という代価によってまで実現されるほどに強力なものと して示すからである。しかしこの傾向によれば、たんに貨幣が人間の尺度となるのみではなく、人間もまた貨幣の尺 度となる。人間の殺害にたいして支払われなければならない額がここかしこでわれれにとっては金銭の単位として現れる。グリムによれば sollen (shall)の古語 skillan の完了形の意味するところは、「私は殺すかあるいは傷つけた。それだから私には賠償責任がある」と同じであるという。ところでヘゾリドゥス(solidus)〉は実際には単位 的な罰金額であり、人民法ではこれにしたがって賠償が算定された。それゆえ人びとは、skillan のあの意義の帰結 から、「シリング」という言葉が「罰金単位」の意義をもつものと仮定した。それゆえここでは人間という言葉は貨 幣体系の区分基礎、つまりは貨幣価値の規定基礎と思われる。まさにこの動機が鳴り始めたのは、マホメットによっ てイスラム教に採用された殺人賠償金の標準額がベドウィン族において、一〇〇頭の略舵を捕虜の典型的な身代金としてと同時に、花嫁代金としても出現させたときのことである。貨幣の同じ意義が現れるのは、罰金がたんに殺害の みでなく、違反一般にとっても問題となるばあいである。メロヴィング朝時代にゾリドゥスは、もはやそれまでのよ うに四〇デナールではなく、たんに一二デナールに計算されたにすぎない。しかもその理由として推察されるのは、 当時ゾリドゥスにしたがって定められていた罰金が引き下げられ、したがって罰金に合わせてゾリドゥスが定められ ていたところではすべて、もはや四〇デナールではなくたんに一二デナールが支払われるべきであるとされたという ことである。ここから罰金ゾリドゥスは一二デナールとなり、これが結局は一般に支配的なものとなった。しかもパ ラオ島人(フィリピンの東方のパラオ諸島の原住民)について報告されているところによれば、そこではあらゆる支払い がそのまま罰金と呼ばれているという。それゆえここではもはや鋳貨の規定が、違反の相対的な重さが測られる目盛りを指示せず、むしろ逆に違反の査定が貨幣価値の確定のための基準をつくりあげる。
この表象態度~~殺人賠償にかんするかぎりでの~~の基礎には、原理的な重大性の感情がある。貨幣の全本質は 量にもとづき、貨幣はそれだけでいかほどかという量の規定なしにはまったく空虚な概念である。だからあらゆる貨 幣体系が単位をもち、個々それぞれの貨幣価値が単位の倍数あるいは部分として生じるということは、きわめて大き な意義をもち、まったく免れることはできない。この根本的な規定なくしては、いかなる貨幣制度もまったく生じる ことができず、したがってこの規定はやがて技術的に洗練されて「貨幣基準」となり、貨幣取引の行われる量的な関 係のいわば絶対的な基礎となる。ところで純粋に概念的にみれば、もちろんこの単位の大きさはまったくどうでもよい。 それというのも、それがとも乗法もしくは除法によってあらゆる必要な大きさが、それによってつく られるからである。単位の大きさの確定についてはやはりまた現実には、とりわけ後の時代には、一部は歴史的・政治的で一部は鋳造技術的な理由のみが決定的である。にもかかわらずその貨幣量は、貨幣について語られるやいなや ただちに他のすべての基準として眼前に浮かび、したがって貨幣一般のいわば代表であり~~このような貨幣量は、 少なくとも根本的にはまた人間の何らかの中心的な価値感情とも関係をもつにちがいないであろうし、意識の前景に 立つ何らかの客体もしくは業績の等価物として創造されるにちがいない。なおまた、しばしば注目された事実がここ から明らかになる。すなわち高い貨幣単位の国々では低い単位の国々よりも生活基準は高価であり~~それゆえ〈他 の条件が等しければ〉ドルの国ではマルクの国よりも高価であり、マルクの国ではフランの国よりも高価である。多 種多様な生活要求は、単位の絶対的な大きさがどうであるかにかかわらず、まさにこの単位あるいはその一定の倍数 に値すると思われる。ある社会圏の内部における貨幣単位は、それが任意な分割や掛け合わせによっていかに不適切 に思われようと、それにもかかわらず生活価値一般の経済的に説明できる類型にたいして、原因としても結果として もきわめて深い関係をもつ。一七九一年の最初のフランス憲法が価値基準として一日の賃銀を採用したのも、なおこ の関係の結果であった。完全な権利をあたえられたあらゆる市民は、選挙人となるためには少なくとも〈三日の骨折り〉の直接税を支払わねばならず、一五〇日から二〇〇日までの収入を必要とした。こうして次の価値論的な意見が 姿をあらわす。すなわち日々の必要が、それゆえ人間にとってもっとも不可欠な価値をもつものが絶対的な価値基準 であり、この基準にたいして貴金属やすべての貨幣一般が、商品として価格において上昇あるいは下降する。さらに 同じ方向にあって、本質的で人間的な関心にとり囲まれた中心的な客体を貨幣単位として設定しようとするのが、 「労働貨幣」の提案であり、その基本単位は一時間もしくは一日の労働価値と同じである。これにたいして完全な人 間にたいする等価物、つまりは殺人賠償金が特色ある貨幣量一般としてあらわれるとすれば、人はこれをまったくの 量的な相違と呼んでもよいであろう。
391
このように発展は人間のたんなる功利主義的な価格評価から客観的なそれへと高まり、この発展において思考作用 のきわめて一般的な様式が力をあらわす。すべての主観が客体から同一の印象を受けるとすれば、このことは客体が まさにこの一定の質を、あの印象の内容をそれ自体において所有するという以外には、説明できるようには思われな い。まったくさまざまな印象がそれぞれ相違したままで、それらを受容する主観から発するかもしれないが、しかし
393 それらの相等性は、人がもっともありそうにもない偶然を排除しようとすれば、そのように性質をあたえられた客体 が精神に反映されるということ~~これはより深い補足を必要とする象徴的な表現にすぎないということを容認して も~~にのみ基づいている。価値設定の内部においてもこの経過が繰り返される。同じ客体がさまざまなばあいにさ まざまな人間によってさまざまに評価されれば、その客体のすべての評価は主観的な過程と思われ、したがってその 過程は、それぞれ個人的な状態と性向とによってさまざまな結果となるにちがいない。しかしこの同じ客体がさまざ まな人間によってつねに正確に同じように評価されれば、それはまさにそれだけの価値であるという結論が、不可避 的であるように思われる。それゆえ打ち殺された者たちの一族がかりにまったくさまざまな殺人賠償金を要求すると すれば、彼らがそれによって個人的な損失を償うということは明らかである。しかし一定身分の殺人賠償金の高さが きっぱりと確定され、そして賠償金がきわめてさまざまな人間において、しかもきわめてさまざまなばあいにつねに 同じように果たされるやいなや、それにもとづいて発達するにちがいないのは、人間はまさにそれだけでしかじかに 値するという観念である。個人的な相違にたいするこの無関心は人間一般の価値を、他の主体が彼において所有した り失ったりするものにおいてはもはや成立させず、それをいわば貨幣によって表現することのできる客観的なものと して、それ自体へと還流させる。こうして社会的な平和への関心と終わりのない不和の回避のために行われた殺人賠 償金の固定化は、人間の生命のもともと主観的・功利主義的な評価を、人間がまさにこの一定の価値をもつとする客 観的な観念へと移し入れた心理学的な原因と思われる。
この文化史的にすぐれて重要な思考、すなわち人間の全体が貨幣によって償われるという思考は、実際にはたんに 二つもしくは三つの現象においてのみ実現されるにすぎない。すなわちまさに殺人賠償金と奴隷身分においてと、さ らにおそらくはまたこれから論じる売買婚においてである。見解の途方もない差異によって今日われわれは奴隷身分 や殺人賠償金の可能性からきわめて隔たってはいるが、それでも純粋に経済学的な概念によれば、この差異はたんな る漸次的な量的差異と呼ぶことができよう。それというのも奴隷においてそれでも貨幣によって支払われるのは、今 日もわれわれが個別的にたんに貨幣によってのみ支払う労働給付の総体にすぎないからである。支出された貨幣の等 価物は、当時と同じように今日も人間の労働である。394たんに当時はその労働が一括して得られたが今日ではそのつどそのつど得られ、そのうえ支払われるのが労働する者ではなく他者であるー奴隷身分への自発的な自己売却のばあ いを度外視すれば~~というだけである。そして殺人賠償金を顧みれば、名誉穀損とか婚約破棄といった軽徴な毀損 については、それが身体的なものであろうと内的なものであろうと罰金が定められているということは、今日とても われわれの感情と矛盾しない。なお新たにまさにかなり重いものにいたるまでの不法行為が、若干の刑事立法におい てはたんに貨幣によってのみ瞳われる。ニューヨーク州において、オランダにおいて、現代の日本においてそうであ る。人は死さえもまた生理学的には、低い程度かあるいは身体の一定部分に限られた程度では「生物」有機体におい ても生じる過程の増加と拡大と呼んだが、これと同じように人はたんなる経済的な立場に固執して人間の殺害を、彼 のエネルギーと確証との部分的な麻陣化と低下とのたんなる漸次的な増加とみなすことができる。
394
ーー
431 第五章 個人的な価値の貨幣等価物
とにある。われわれの生内容をわれわれの存在と呼ぶとき、われわれがそれらに認める一定の価値種類と価値基準は、われわれがそれらをわれわれの所有物と呼ぶときとは異なっている。それというのも人びとはこの内容 のうち、謎にみちた自我の中心点の近くにあるものをわれわれの存在として、より隔たっているものをわれわれの所 有物として解釈し、こうしてこの~~それぞれの鋭い限界づけを明らかに排除してであるが~~系列へのあの両者の 等級づけは、それでもたんに存在と所有とをみちびく価値感情の相違によってのみ つくることができるからである。 われわれがあの購入において手放したものを存在に、そして獲得したものを所有に数え入れるとすれば、このことは たんに、われわれが生の全周辺にふれるいっそう強烈で持続的な価値感情を、直接的で切迫した一時的な価値感情と 交換したことの間接的な表現にすぎない。
ところで個人的な価値の売却がこの意味での一定の存在の減少、つまりは「自立」の正反対であるとすれば、あの 行動様式がもっとも決定的に測られる人格の理想を、人は高貴と名づけることができる。~~しかもこのことは、こ の価値が貨幣の本質一般にとってもっとも徹底的な基準を意味するから決定的であり、したがってこの基準に照らせ ば売春と貨幣結婚と買収とは、すでに貨幣取引のもっとも正当な形式とともに始まる系列のなかの過度の尖鋭化であ る。この事態の叙述にとってまず第一に問題となるのは、高貴という概念そのものの規定である。
われわれの客観的な評価規範の論理的、倫理的および美的規範 への普通の配分は、われわれの現実の判断からすれ ばまったく不完全である。たとえばきわめて明白な例をあげれば、われわれは個性の鋭い発達を、すなわちある心が 自己完結的な独特の形式と力とをもつというたんなる事実を評価し、個人がいわば彼の固有の理念だけを呈示するの に用いる無比性と代替不可能性を価値あるものと感じ、しかもしばしばこれらを、そのような現象の内容の倫理的お よび美的な劣等性との対立において感じる。しかし重要なのは、その体系のたんなる完全化ではなく、むしろ体系的 な完結そのものが五官あるいはカントの十二の悟性カテゴリーのばあいとまったく同様にここでは誤りであるという ことである。われわれの種族の発展は、世界を感性的および知的に受け入れる新しい可能性をたえず形成し、さらに 同様に世界を評価する新しいカテゴリーをたえず形成する。そしてわれわれがこのように不断に新たな活動的な理想 を形成するのと同じように、より深められた意識も、それまですでに活動していながら意識されなかったより広範な…
アソシエーション
/\
/__\
⑥生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
④個人的な自由 ⑤個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
資本 ジンメル『貨幣の哲学』 ネーション
________________
\ /\ /\ /\ /↙︎
③目的系列に/ ①価値と貨幣
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
②貨幣の実体価値
\ /
\/
国家
②__①
⑤
③
④__⑥
アソシエーション
/\
/__\
⑥生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
④個人的な自由 ⑤個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
資本 ジンメル『貨幣の哲学』 国家
________________
\ /\ /\ /\ /
③目的系列に/ ②貨幣の実体価値
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
①価値と貨幣
\ /
\/
ネーション
②__①
⑤
③
④__⑥
/\
/__\
⑥生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
④個人的な自由 ⑤個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
ジンメル『貨幣の哲学』
________________
\ /\ /\ /\ /
③目的系列に/ ②貨幣の実体価値
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
①価値と貨幣
\ /
\/
②__①
⑤
③
④__⑥
②__①⑤
③④__⑥
38 あ[sage] 2021/06/24(木) 01:53:39.97 ID:
/\
/__\
六生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
四個人的な自由 五個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
ジンメル『貨幣の哲学』
________________
\ /\ /\ /\ /
三目的系列に/ 二貨幣の実体価値
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
一価値と貨幣
\ /
\/
/\
/__\
3目的系列における貨幣
/__\/__\
☆\ /☆☆
/__\ 分析 /__\
1価値と貨幣\ /2貨幣の実体価値
/__\/__\/__\/__\
ジンメル『貨幣の哲学』
________________
\ /\ /\☆☆☆\ /
4個人的な自由 5個人的な価値の
\ / 総合 貨幣等価物
\/______\/
\ /\ /
6生活の様式
\ /
\/
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_\
個人的な自由\ /\個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
[資本] ジンメル『貨幣の哲学』[国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_\
/個人的な自由 /個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
[資本]ジンメル『貨幣の哲学』[国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に/ 価値と貨幣/ ↙︎
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
②___①⑤
\ \
③④\__\⑥
②__①
⑤
③
④__⑥
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_\
個人的な自由\ /\個人的な価値の
/__\/__\/__\/貨幣等貨物
[資本] ジンメル『貨幣の哲学』[国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_個人的な
個人的な自由\ 価値の貨幣等貨物
→/__\/__\/__\/__\
[資本] ジンメル『貨幣の哲学』[国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
②___①⑤
\ \
③④\__\⑥
②__①
⑤
③
④__⑥
個人
貨幣価値
国家
債権の譲渡性について
ジンメル(1858-1918)『貨幣の哲学』(1900)第二章3
《本来の貸付人のみではなくこの証券の持参人も取り立てへの権利をもつという債務承認の条項は、すでに中世に現れているが、しかしこれは証券の価値を譲渡するためではなく、債権者の代理人による取り立てを容易にするためであった。証券のこのたんなる形式的な流動化は、リヨンの取引所において流通したフランスの〈白地手形〉においてより事実的な流動化となった。 これはその様式からはなお個別的な債権者を指示するが、しかし彼の名前は記入されてはいない。しかし名前が空欄に書き込まれるや、 債権者はいまや個別に決定される。 純粋な無記名証券による本来の商取引は、 十六世紀にアントワープではじまった。われわれの知るように、はじめ無記名証書が特別の譲渡なしに支払いに使用されたころ、満期日にしばしば兌換がそれに拒否されたため、皇帝の命令が無記名証券の原理的な有効性を確立しなければならなかった。 ここにわれわれはきわめて明確な段階的連続をもつ。》
ゾンバルト(1863-1941)も指摘
他所者の無記名証券による隠匿―― ヴェルナー・ゾンバルトのユダヤ人観の一断面(1,2) 恒木 健太郎 より孫引き
https://core.ac.uk/download/pdf/71798208.pdf
https://core.ac.uk/download/pdf/71798215.pdf
《無記名証券は、ある地域のユダヤ人共同体からの迫害のうねりが過ぎ去るまで、〔ユダヤ人の〕財産を見えないようにすることを可能にした。無記名証券によってユダヤ人は、自らの貨幣を随意にどこかに預けて危険にさらされた瞬間に藁人形(Strohmann)をつうじてそれを消し去ることが、あるいはそれまで彼らが占有していた痕跡をまったく残さずに自己の債権を移譲する(übertragen)ことが、できるようになった。 》
Sombart, Werner. Die Juden und das Wirtschaftsleben, Leipzig, 1911, S. 92. 金森誠也/安藤勉訳『ユダヤ人と経済生活』荒地出版社、1994年、129-130 頁。#6
https://core.ac.uk/download/pdf/71798208.pdf
恒木1
わけ無記名証券(Inhaberpapier)である。彼はその法形式の起源をユダヤ人に求める。その理由を彼は 6 つ挙げる。
1 聖書とタルムードのなかに無記名証券の法形式を知っていたことを示唆する記述があ る。
2 その法的発展に持続性がある。ユダヤ人がこの取引を絶えず実践しており、かつその実 践に対応したタルムード解釈が絶えず行われていた。
3 マムレ(Mamre)という白地証書、いい換えれば近代的無記名証券の先駆けともいえる 有価証券を発展させた。
4 16世紀のヨーロッパ各地における白地証券の出現はマムレをその起源とするのではな いか。つまり、ユダヤ人の関与によるものではないか。
5 ひたすらユダヤ人だけが無記名証券の法形式に関心を寄せた。
6 無記名証券の法形式が「ユダヤ法の精神」から導きだされる。ローマ法・ドイツ法にとっ
てはそのきわめて内的な本質に基づけば未知の(fremd)ものである9。 ここで注意すべきは、この 6 つの理由は箇条書きではないということである。というのも、 ゾンバルトにとって1~4は「外面的に気づくユダヤ人と無記名証券との関連」を証明するも
のにすぎない。そしてそのすべてよりもはるかに重要な、ユダヤ人が無記名証券の父であると
、、
いう「必然的内的理由」を5と6で説明しているのである。したがって、1~4と5・6と分 かつ箇所の前後の記述のなかで、何が「外面的」で何が「内的」であるのかを知る必要がある。そこでこの周辺を検討すると、ゾンバルトが「アレクサンドリア出のユダヤ商人」の事例にと りわけ注目していることがわかってくる。その事例はシュトラッケという人物の保険論に即し て、以下のように紹介されている。
近代にふたたび無記名条項の適用された有価証券の最初のものに「、積荷が要求するところの(quas vocant caricamenti)」海上保険証書がある。いまやはっきりと伝えられているところでは、「いかなる他の人格であれ(o qual si voglia altera persona / et quaevis alia alia persona
/ sive quamlibet aliam personam)」という諸々の定式的成句をまず最初に用いたのがアレクサ 、、、、、
ンドリア出のユダヤ商人であった、ということである10。
9
ibid., S. 81-91. 同上、122-135 頁。
10
ibid., S. 85. 同上、128-129 頁。なお、ゾンバルトが用いたシュトラッケの保険論の版は、参照頁番号と
の照合から以下のものだと考えられる。Stracchae, Benvenuto. Tractatus duo de assecurationibus, proxenetis, atque proxeneticis, Amstelodami, 1668, Glossa. VII, S. 29. ただし、この元版となるものは 16 世紀半ばに出てい る。この点についての詳細な報告は別稿に譲りたい。
― 4―
Benvenuti Stracchae De assecurationibus tractatus: in quo praeter materiam ...
著者: Benvenuto Straccha
https://library.villanova.edu/Find/Record/1034331/Similar
Benuenuti Stracchae... De mercatura,... tractatus...
Benuenuti Stracchae... De mercatura,... tractatus... By Benvenuto Stracca. About this book. Terms of Service · Plain text.
D. Benuenuti Stracchae ic clariss. patritii Anconitani, ... In ...
D. Benuenuti <b>Stracchae</b> ic clariss. patritii Anconitani, ... In ...の画像
D. Benuenuti Stracchae i.c. clariss. patritii Anconitani, ... In egregii i.c. Aymonis Crauettae responsa annotationes. Front Cover · Benvenuto Stracca.
Stracca, Benvenuto | The Online Books Page
- http://onlinebooks.library.upenn.edu>lookupname>ke...
Stracca, Benvenuto: De mercatura decisiones et tractatus varii et da rebus ad eam pertinentibus : in quibus omnium authorum, precipua Benvenuti stracchae .
Obras de Stracca, Benvenuto, 1509-1578 - Pag. 1
- https://www.cervantesvirtual.com>obras>autor>strac...
Obras de Stracca, Benvenuto, 1509-1578 ( 1 ) Se listan todas las obras de este autor en la Biblioteca Virtual Miguel de ... Título: Benevenuti Stracchae .
シュトラッハと誤植
返信削除出版社内容情報
外在的かつ日常的な貨幣という現象を手がかりとして近代社会の構造と文化の核心に迫った記念碑的著作
ゲオルク・ジンメル[ジンメル]
1858年?1918年。ドイツの哲学者、社会学者。
居安 正[イヤス タダシ]
1928年生まれ。神戸大学文学部卒(社会学専攻)。神戸大学名誉教授。主要著書『政党派閥の社会学』『ある保守政治家』、主要訳書『ジンメル著作集2 貨幣の哲学(上)』(共訳)『ジンメル著作集3 貨幣の哲学(下)』、ジンメル『宗教の社会学』
内容説明
貨幣は近代精神の完全な表現である。貨幣論の哲学的基礎づけに終始することなく、貨幣を手がかりとして近代社会の構造と文化の核心に迫った畢生の大作。
目次
分析篇(価値と貨幣;貨幣の実体価値;目的系列における貨幣)
綜合篇(個人的な自由;個人的な価値の貨幣等価物;生活の様式)
著者等紹介
居安正[イヤスタダシ]
1928年生。神戸大学文学部卒。神戸大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1369夜『貨幣の哲学』ゲオルク・ジンメル|松岡正剛の千夜千冊
返信削除https://1000ya.isis.ne.jp/1369.html
社会学はむろん社会を相手にする学問だが、19世紀末から20世紀初頭の確立期にすでに相手にする仕方によって、二つの立場が分かれていた。わかりやすくいうと、ひとつは「方法論的個人主義」で、個人を起点に社会を考える。もうひとつは「方法論的集団主義」と呼ばれているもので、家族やグループや組織の特色から社会を考える。のちにフリードリッヒ・ハイエク(1337夜)が好んだ分け方だ。
個人主義の見方は、個人の行動の意図や判断や動機を重視する。マックス・ウェーバーの「理解社会学」などが代表になる。ウェーバーは社会的な行為そのものを解釈していくことが社会を理解する方法だと考えた。そのためこの見方からは、極端な場合は社会なんてものはなく、行為の実体の個人だけがいるという見方にまで進む。これは「社会唯名論」(ソーシャル・ノミナリズム)ともいう。
集団主義の見方は、社会を有機的にとらえ、個人がどんな行為をしてもそこにはさまざまな集団を形成する社会という実在があると見る。それゆえこちらは「社会実在論」(ソーシャル・リアリズム)とも言われる。エミール・デュルケムなどの社会学が代表する。デュルケムは個人の外側に社会的な外存力や拘束性があることを重視し、それゆえ個人のふるまいに功利主義や自殺問題がおこるとみなした。
しかし、このような個人か集団かという分け方はあまりにも粗い。そこで、このあいだを見る社会学が必要になる。
これでなんとなく見当がついたかもしれないが、ジンメルの『貨幣の哲学』は経済学が考えるような貨幣論や通貨論ではない。「生」の社会のなかでの貨幣に集約された人間社会が分化に巻き込まれていく意味の根源を問うための著作だったのである。
ジンメルが貨幣の本質について指摘していることは、決して厳密なものではない。むしろたいそう暗示的である。
たとえば、こんなふうに書く。「貨幣はたんなる手段であるかぎりにおいて、純粋な潜勢力を示している」。あるいは「貨幣は、無性格という消極的な概念で示されるという、きわめて積極的な性質をもつ」。それから「貨幣はその完全な形式においては絶対的な手段である」。そして、これはけっこう有名な言葉になっているのだが、「人間は貨幣に対してだけは貨幣的な態度をとるのが困難になっている」。
なんたるいいかげんな説明か。こんな言い方では、貨幣の本質が説明されているとは言い難い。そう感じるのがふつうであろう。しかし、もう少し詳しく読むと、どうもこのような言い方にこそ、貨幣の本質を過不足なくあらわそうとしている考え方が保持されているようにも感じられてくる。ジンメルの魅力だ。
ジンメルが貨幣の「潜勢力」と言っているのはポテンシャリティのことで、貨幣の本来的な可能性や資力をあらわしている。
社会のなかではどんなモノもなんらかの物象化を受けていて、そこでは金属であれ、交通機関であれ、家族であれ、なんらかの制限を受けている。河川や森林ですら、環境として制限された存在なのである。もし制限されていないものがあるとすれば、それは意識や欲望や、憎悪や羨望だ。
そのように見てみると、どうも貨幣ばかりはそういう制限を受けていないと考えざるをえない。貨幣はただのザッハリッヒカイトな存在で、それにもかかわらずいっさいの可能性に転化するという潜在力それ自体になっている。そう考えざるをえないのだ。
いったいなぜ貨幣はそんなふうにいられるのか。ジンメルは貨幣が「無性格だからだろう」と考えた。
貨幣は、他のあらゆる財とは異なって、それ自体の価値がなく、交換や支払いによってその価値をあらわすようになっているからなのだ。貨幣の力は無性格なのだ。マネーパワーは貨幣そのものが示しているのではなく、それを扱うときの人間社会側の扱い方に依存しているパワーなのである。
こうして貨幣は消極的(ネガティブ)な出自をもっているがゆえに、しだいに積極的(ポジティプ)な性格を発揮していった。
ジンメルは、貨幣が「絶対的な手段」であって、「人間は貨幣に対してだけは貨幣的な態度をとれない」と考えた。
われわれは貨幣によって「私」の欲望を満たすことができると思っているが、それは貨幣によって何かを入手したと思えたからである。その何かは土地であれ、マンションの一室であれ、エルメスのスカーフであれ、音楽会の切符であれ、北京ダックの食事であれ、もともとは誰かのモノやコトだった。そのモノに価格が付いたから、それを貨幣によって食べたり買ったりすることで、入手できるようになったわけである。
しかし、その誰かが料理してくれた北京ダックの原料は、やはり誰かから貨幣によって入手していたのだし、音楽会の切符の印刷代は誰かと誰かのあいだで貨幣によって代替された行為によっていたものだった。つまり、このような「私」の欲望を成立させた貨幣というものは、私だけに作用しているのではなく、社会のあらゆる場面を通りすぎている、まさに「天下のまわりもの」としての、無性格きわまりないものなのである。
そうだとすれば、われわれは貨幣そのものの価値とは、一度も正確に対面していないというべきなのだ。いや、社会というものは、実は貨幣の本質などちゃんと知っちゃいないのだ。しかし、そのように貨幣を使うようにしたことこそ、貨幣社会の本質だったのである。
ジンメル自身はこう書いている。「貨幣は人間と人間とのあいだの関係、相互依存関係の表現であり、その手段である。すなわち、ある人間の欲望の満足をつねに相互にほかの人間に依存させる相対性の表現であり、その手段なのである」。
このように貨幣を捉えたのは、ジンメルが最初だった。のちに、たとえばニクラス・ルーマン(1349夜)が、こうした見方をまとめて「貨幣はコミュニケーション・メデイアである」とみなしたけれど、そういう考え方はジンメルにこそ出所したものだった。
人間は限界(Grenze)をもっているのではない。人間が限界そのものなのである。それゆえ、社会はこの限界を超えるために構築され、作用するように設(しつら)えられてきた。
貨幣は、そのような人為に満ちた社会のなかで、最も人為性を消した存在として大いに流通してきたのだろうと思われる。むろん貨幣や通貨は、もとはといえば物々交換やポトラッチ交易や贈与を背景に発達してきたものだった。しかしだからといって、貨幣にはなんら「等価交換という力」は備わってはいない。貨幣はむしろ、社会における「割りに合わない力」をあらわしているにすぎない。
したがって、ジンメルはここを強調しているのだが、そもそも交換には「価値の相等性」(Wertgleichheit)などなかったのである。
それなのに一般社会では、貨幣があたかも交換の魔法をもった武器のように扱われてきたのは、「お金」や「マネー」を万能にしすぎたせいだった。人間と社会のほうが、貨幣にならない価値観の大半を貨幣に換算しすぎたせいだったのである。
その後、カール・ポランニー(151夜)は「経済は社会に埋めこまれている」はずなのに、土地や労働に価格をつけたのはまちがいだったと慨嘆したけれど、ジンメルは早くにそのことを察知していたのだった。「生と死」に裏打ちされた人間は、そこから派生する価値のいくぶんかについては、ゼッタイに価格を近づけてはならなかったのである。生も死も、奴隷時代のようにまるごと買えるようにしてはならなかったのだ。
今日、ほとんどすべてのモノとコトに価格が付いている。リラックスもリクリエーションも、スポーツの観戦も病気の感染も、歌曲のサワリをダウンロードすることも天気予報をケータイで詳しく見ることも、そして空気も「おいしい水」も。どんなモノやコトにも価格が付いた。
貨幣ではなく、価格こそが「割りに合わない力」を割りに合わせてしまったのである。そうだとすれば、むしろ貨幣は、欲望が見つづけてきた幻影が生み出した最も無性格な宿命の魔王だったというべきだったのである。
ジンメルにとって、貨幣は「過去と未来の分水嶺」だった。それは社会がいつしか組み上げてしまった「無意識的合目的性」であり、だからこそ人間が決して逃れられない「当為」だったのである。
返信削除ゲオルク・ジンメル
貨幣の哲学
白水社 1999
ISBN:4560024200
Geog Simmel
Philosophie Des Geldes 1900
[訳]居安正
-
装幀:代田奨
貨幣についての最初で、かつ最も巨大な著作。
それがジンメルの『貨幣の哲学』だ。
構成は、Ⅰ分析篇が、1価値と貨幣・2貨幣の実体価値・
3目的系列における貨幣で、
Ⅱ総合篇に、4個人的な自由・5個人的な価値の貨幣等価物・
そして、6生活の様式というふうに結ばれていく。
なぜジンメルは貨幣を社会学したのだろうか。
なぜ、その後のすべての貨幣論は
ジンメルの「生の哲学」に始まることになったのか。
返信削除www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784560092354
貨幣の哲学 / ジンメル,ゲオルク【著 ... - 紀伊國屋書店
貨幣論の哲学的基礎づけに終始することなく、貨幣を手がかりとして近代社会の構造と文化の核心に迫った畢生の大作。 目次. 分析篇(価値と貨幣;貨幣の実体価値;目的系列における貨幣) 綜合篇(個人的な ...
www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784790711704
『貨幣の哲学』という作品 / 岩崎 信彦/廳 茂【編】 - 紀伊國屋 ...
Sekaishiso seminar
『貨幣の哲学』という作品―ジンメル の価値. 価格 ¥2,530 ... 目次. 1 『貨幣の哲学』の位置(G.ジンメルにおける『 貨幣の哲学』;ジンメル『貨幣の哲学』の成立過程) 2 『貨幣の哲学』を読む( ...
ヤフオク!
ジンメル『貨幣の哲学』 目次をすべて見る(1,160件)
いずれかを含む:ジンメル『貨幣の哲学』 目次
ゲオルク・ジンメル 貨幣の哲学(新訳版) 帯付 書物復権 単行本の画像
ゲオルク・ジンメル 貨幣の哲学(新訳版) 帯付 書物復権 単行本
現在 7,327円
即決 -
入札0件/残り10時間
6人が注目
§目次レイアウトの見本帳§の画像
§目次レイアウトの見本帳§
現在 450円
即決 -
入札0件/残り2日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 834円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 829円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 847円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 829円
即決 -
入札0件/残り11時間
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 836円
即決 -
入札0件/残り11時間
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 847円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 836円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 847円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 837円
即決 -
入札0件/残り11時間
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 847円
即決 -
入札0件/残り11時間
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 881円
即決 -
入札0件/残り11時間
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 829円
即決 -
入札0件/残り11時間
1人が注目
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 970円
即決 -
入札0件/残り1日
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社の画像
目次レイアウトの見本帳 グラフィック社
現在 834円
即決 -
入札0件/残り1日
目次書き込み有ります。 ケアマネジャー合格テキスト '20 晶文社編集部の画像
目次書き込み有ります。 ケアマネジャー合格テキスト '20 晶文社編集部
現在 -
即決 1,084円
入札0件/残り12時間
1人が注目
【目次画像有】ダイヤモンドZAi 2020年12月号 別冊付録付の画像
【目次画像有】ダイヤモンドZAi 2020年12月号 別冊付録付
現在 100円
即決 -
入札0件/残り1日
2人が注目
目次のデザイン レイアウトスタイルシリーズVol.1/芸術・芸能・エンタメ・アート(その他)の画像
目次のデザイン レイアウトスタイルシリーズVol.1/芸術・芸能・エンタメ・アート(その他)
現在 -
即決 200円
入札0件/残り1日
パナソニック 目次ビデオ パンフレット ビデオデッキ'93/1の画像
パナソニック 目次ビデオ パンフレット ビデオデッキ'93/1
現在 1,000円
即決 -
入札0件/残り6日
1人が注目
もっと見る
(1,160件)
2日間限定 ゴールドクーポン配布中 ヤフオク!でお得に落札
2日間限定 ゴールドクーポン配布中 ヤフオク!でお得に落札
www.hakusuisha.co.jp/smp/book/b222646.html
貨幣の哲学(新訳版) - 白水社
内容説明. ジンメルの多面的思索が縦横に展開された畢生の大作. 外在的かつ日常的な貨幣という現象を ...
www.amazon.co.jp/貨幣の哲学-ジンメル/.../456002420...
貨幣の哲学 | ジンメル, Simmel, Georg, 正, 居安 |本 | 通販 ...
内容(「BOOK」データベースより). 貨幣論の哲学的基礎づけに終始することなく、貨幣を手がかりとして近代社会の構造と文化の核心に迫る。
sekaishisosha.jp/smp/book/b354217.html
『貨幣の哲学』という作品 - 世界思想社
天性の重層的・複眼的視点による自在な語り口により、極めて難解、そして真に深い思想的含蓄をもつとされる『貨幣の哲学』の解説という難業に、思想史的及び受容史的コンテクスト論を組み入れ取り組んだ、現代ジンメル研究者による貴重 ...
1000ya.isis.ne.jp/1369.html
1369夜『貨幣の哲学』ゲオルク・ジンメル|松岡正剛の千夜千冊
2010/6/28 -なぜジンメルは貨幣を社会学したのだろうか。 なぜ、その後のすべての貨幣論はジンメルの「生の哲学」に始まることになったのか。
他の人はこちらも検索
貨幣の哲学 要約
世論 ジンメル
貨幣の哲学 わかりやすく
社会学の根本問題
PDF
www.econ.hokudai.ac.jp/.../ ...
橋本努講義レジュメ 1 ジンメル『貨幣の哲学』[1890=1999 ...
価値がそのような客観的な形式により多く移行すればするほど、あたか. も神の家と同じように、そこにはあらゆる心のためのより多くの場所がある。生活内容の. この増大する客観化が、〈私がそこに行けるように退いてくれ〉といった自己利益 ...
Spinoza called money the omnium rerum compendium. It is at least the constant by-product of all different kinds of production.
返信削除Spinoza on Reason, Passions, and the Supreme Good
Andrea Sangiacomo — 2019 · Philosophy
As Spinoza writes in the Ethics: 'money has provided a convenient instrument for acquiring all these aids' ('verum omnium rerum compendium ...
エチカ4
付録
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4f28
第二八項 しかしこれを調達するには、人間が相互に助け合わない限り、個々人の力だけではほとんど十分でないであろう。ところですべての物が簡単に貨幣で代表されるようになった。この結果として通常貨幣の表象像が大衆の精神を最も多く占めるようになっている。人々は、金銭がその原因と見られないような喜びの種類をほとんど表象することができないからである。
CAPUT XXVIII: Ad hæc autem comparandum vix uniuscujusque vires sufficerent nisi homines operas mutuas traderent. Verum omnium rerum compendium pecunia attulit, unde factum ut ejus imago mentem vulgi maxime occupare soleat quia vix ullam lætitiæ speciem imaginari possunt nisi concomitante nummorum idea tanquam causa.
Recapitulatio
38
Recapitulatio app. cap. De recta vivendi ratione
omnium rerum compendium
https://www.thelatinlibrary.com/index.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.ethica1.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.ethica2.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.ethica3.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.ethica4.html
https://www.thelatinlibrary.com/spinoza.ethica5.html
スピノザ
貨幣
万物の摘要
330
388
返信削除388
第五章 個人的な価値の貨幣等価物
1
価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。この領域においてもっとも目立つ現
象として先ずわれわれにたち現れるのは、殺人の貨幣支払いによる贈罪である。 |これは原始文化においてはきわ
めて頻繁な事実であり、したがって少なくともその単純で直接的な形式にとっては個々の事例は必要ではない。しか
しその頻度に比して注意されることの少ないのは、人間の価値と貨整価値との関連がしばしば法的な表象を支配する
さいの強度である。アングロ.サクソン系の最古のイギリスにおいては、王の殺害にたいしてさえ殺人賠償金が確定
されていた。法律はそれを二七O○シリングと定めていた。ところでそのような額は当時の状況にとってはまったく
空想的であり、けっして調達されはしなかった。その額の真の意味は、それをいくらかなりとも補償するためには、
その法律の解釈が述べるように、そのばあいなお残る差額||たんなる負債としての||がたんに死によってのみ清
算できるほどに大きくはないにしても、殺害者と彼の全親族とが奴隷に売られなければならないということである。
それゆえ罰金という迂路をへて初めて人びとは人格に頼り、罰金は、犯罪の大きさが表現される理想的な基準と思わ
れる。同じ文化圏の内部における七王国の時代、通常の自由人にたいする典型的な殺人賠償金は二〇○シリングの額
.. . . . ... ...
となり、他の身分にたいするそれはこの基準の端数あるいは倍数にしたがって計算された。してみればこれはたんに
別な仕方で、いかに貨幣が人間の価値についての純粋に量的な観念を可能にしたかを表しているにすぎない。まさに
この観念からさらにマグナ·カルタの時代には、騎士、男爵および伯爵はそれぞれたがいにシリング、マルクおよび
ポンドと同じ関係|というのもこれが彼らの封土差の比率であるから||にあるという主張が生じた。この観念は
94
返信削除相対主義的な見解はしばしば事物の価値と信頼性と重要性の削減と感じられたが、そのさい見逃されるのは、なに
か絶対的な。
のの素朴な固執のみが実はまさに問題となり、相対的なものにこの地位を割り当てることができるとい
うことである。むしろ現実には逆であり、硬直したすべての独立存在を相互作用へ解消することを無限に続行するこ
とによって、われわれは初めて一般にあらゆる世界要素のあの機能的な統一に接近し、そこではそれぞれの要素の重
要性がすべての他の要素の上をくまなく照らす。それゆえ相対主義はその極端な対照、すべてを包括する〈実体すな
わち神〉をもつスピノザ主義にさえ、人びとの思う以上に近くにある。この絶対的.
のいかなる内容ももたず、したがってその統一のなかには、およそ存在するすべてのものが含まれる。すべての存在
がその実在性からすればすでにあの神的な実体のうちに統一されており、同様にまたそれがその抽象的な概念からし
ても存在者一般として統一を形成するとすれば、もちろん個々の事物はもはや存在をそれだけではけっしてもつこと
のは存在一般の普遍概念以外一
ができない。すべての個別的な不変性と実体性、第二次的なすべての絶対性はいまや完全にあの統一に解消し、そこ
で人はまさに次のように言うことができる。すなわち スピノザのそれのような一元論においては世界像の総体的な内一
容は相対性となっていると。包括的な実体、ひとり残存する絶対者はいまや、現実が内容的には変えられることもな
無視されることができる。
して実際に後に残るのは、関係と過程への事物の相対主義的な解消状態である。相対主義が事物の本質として構成す
-搾取者が搾取されると、マルクスは形式的には同じ過程を叙述している。
る事物の被制約性は、たんに皮相な見解にとってかそれとも相対主義を十分に根本的には考え抜かれないばあいにの
無限性の思想を排除するように思われるかもしれない。むしろその逆が正しい。それというのも具体的な無限は
われわれには次の二つの仕方でのみ考えることができるからである。第一には上昇あるいは下降する系列としてであ
り、そこではそれぞれの項が他の項に依存し、そして第三の項を自己に依存させる。これは空間的な配列、因果的な
エネルギー伝播、時間的な継起、論理的な演鐸にかんして行われるであろう。この系列形式が拡張的なものに移した
ものをわれわれに提供するのが第二に、自己回帰する簡潔な形式における相互作用である。ある要素が他の要素に及
ぼす影響が、後者にとっては前者に初めて作用を反射する原因となり、こうして投げ返された作用がそれなりに再び
反作用の原因となり、運動を新たに開始させるとすれば、これによって活動の現実の無限性の図式があたえられる。
164
返信削除のたえざる悪化に成り立ち、もっとも手近な技術であった。たんにまったく非有機的な共存にあってのみ可能である
のは、一方の側にはすべての利益を、他方の側にはすべての損害をあたえるといった政策である。正貨にたいする喜
びは東洋人に生まれつきと思われるが、これは彼らの君主の国庫中心主義に還遠元され、君主たちは貨幣改悪の結果を
配慮することなく鋳貨特権を税源として利用した。これへの必然的な対応が金そのものや銀そのものの蓄積への臣民
の情熱であろう。台頭しつつあった中央集権的·専制的な国家が意味したのは、政治的な諸要員のあいだのはるかに
緊密で活発な関係であった。すなわちその有機的な統一の観念が形成したのは、「朕は国家なり」から「国民の第一
の下僕としての国王」にいたる君主の理想に共通なものである。ところで、ここでもまた政府の関心はできるだけ多
くの貨幣実体の獲得にあったとはいえ、それでも貨幣の獲得の究極目的が貨幣の実体的な所有にではなく、産業の繁
栄などのための貨幣の生産性のなかに求められたということは、国家組織体の首長と成員とのあいだの活発な相互作
用と、国家存在そのものの活気とに対応する。やがて自由主義的な傾向が国家の生活を、諸要素のますます自由な流
れと、ますます妨げら」
い柔軟さと、ますます動的な均衡へと導いたとき、アダム·スミスの理論にとっての実質
的な基礎があたえられた。すなわち金と銀とはたんなる道具にすぎす、炊事道具となんら異ならず、炊事道具の増加
によっては食物が増えないように、金銀の輸入はそれだけでは国土の福祉は高めはしないという。ついに古い実体的
な秩序が解体して、無政府主義的な理想が可能となれば、貨幣理論のこの方向もまた当然ながらこの無政府主義的な
理想のなかにその極端に達する。プルードンはすべの固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を社会的
な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。それというのも彼が貨幣のなかに見たの
は、あの支配構造との正確な頼類似であり、支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の
なかに結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じように、価値の交換可能性
も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべての市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品
はそのままに貨幣の媒介なしに価値代表にならなければならない。
アダム·スミスの見解によって、ここで主張
された貨幣理論への方向がとられ、この方向は唯物論的な方向との対立において先験的な方向と呼ぶことができる。
-先験哲学は物質さえも精神であると説くからである。
それというのも唯物論が精神も物質であると明言すれば、
182
返信削除も時には唯一の基礎であり続けた。聖殿は超分立主義的で中央集権的な意義をもち、そして貨幣が共通な神性の象徴
を担いながら表現したのは、まさにこの中央集権的な意義であった。神殿のなかに結晶化した宗教的·社会的な統一
は、神殿が発行する貨幣においていわば再び流動的となり、個々の破片の金属意義をはるかにこえて貨幣に基礎と機
能とをあたえる。この社会学的な状況に担われ、そしてその状況を担いながら、貨幣実体の犠牲にもとづいて貨幣機」
能の上昇する意義が実現される。いくらかの実例と考察とはこの過程を明らかにするであろうが、貨幣の内容を形成
する多くの職務のうち、以下の職務について実例をあげて考察する。すなわち流通の簡素化、価値尺度の不変性、価
値の流動化とその流通の促進、できるだけ簡約な形式への価値の圧縮についてである。
序説的に強調したいのは、すでに述べた君主によって企てられた鋳貨改悪こそは、大衆の巨大な不利によって、貨
幣の金属価値にたいする機能価値をきわめて鋭く明らかにしたということである。改悪された鋳貨を臣民に受けとら
せ、これの代わりにより良質の金属を引き渡させたものは、それでもまさに改悪鋳貨が貨幣の流通目的をはたしたと
いうことであった。鋳造権君主がせしめたものは、貨幣の機能価値にたいする法外に高められた等価物であり、この
機能価値のために臣下は新旧鋳貨の交換を、すなわち貨幣の金属価値の犠牲を承諾しなければならなかった。とはい
えこれはまったく一般的な現象にすぎず、その特殊な先鋭化と思われるのは、その形式によって一般に他の貨幣より
も取引により役立つ貨幣は、同じ価値内容にもかかわらず他の貨幣よりも優越しているのみではなく、むしろそれは
それによって次の事例におけるようにその固有の実体意義をはるかにしのぐことができるということである。一六二
一年に北ドイツの鋳貨改悪によってライヒスターラー貨(ドイッにおいて一五六六年から一七五〇年頃に通用した銀貨)の
価値が四八から五四シリングに騰貴したとき、ホルシュタイン、ポンメルン、リューベック、ハンブルクや、その他
の政庁は共同の鋳貨法令を発して、ライヒスターラー貨は一定の時点からはたんに四○シリングとしてのみ通用すべ
きであるとした。このことは一般に正当で有益と評価されて受け入れられはしたが、それでもライヒス4
さらに分割と計算とが比較的に容易であったため、なお長く四八シリングとして通用した。同じことははるかに高い
ラー貨は
複雑な段階においても生じる。取引所は現在のところ公債証書が高額と低額とで発行されて、||〈割合からすれ
ば〉価値はまったく同じであるにもかかわらず||低額証券のほうがより多く求められ、比較的小さい取引に利用さ
183
返信削除第二章 貨幣の実体価値
れるから、高額証券よりも低額証券のほうにいくらか高く値段をつけるのをつねとするばあいのことである。さらに
一七四九年にアメリカの植民地における鋳貨目的にかんする委員会の声明したところでは、生産よりも消費の多い経
済の未開発な国においては、貨幣はより豊かな隣国よりも劣悪でないばあいは不可避的にそこへ流出するから、つね
にそこよりも劣悪でなければならないという。それゆえこの事例はさきに述べて事実、すなわち一定の貨幣形式の計
算と決算とへの適合は、客観的に妥当する価値をはるかにこえて意図的に高められた価値をこの形式にあたえるとい
うことの上昇と先鋭化である。貨幣の機能的な合目的性はここではその実体価値をこえて大きくなりすぎ、その意義
を転回させることになる。まったく価値の少ない小銭が貴金属にたいし時には信じられない価値を主張したばあいは、
すべて機能価値による金属価値の圧倒の証明としてこれに属する。このことが生じるのはたとえば金採掘地方におい
てであり、そこでは獲得された富が活発な取引を生みだすが、それでもそこには日々のより小さな需要のための交換
手段がない。このようにして十七世紀の終わりにブラジルの採金業者たちのあいだに小銭の欠乏が生じたとき、ポル
トガル国王はこれを利用して、金の法外なプレミアムをとって銀貨を提供した。その後カリフォルニアとオーストラ
リアにおいても採掘業者がたんに小銭を得るために、その代わりに二倍から一六倍の金属価値を金で支払うというこ
とが生じた。この種のもっともひどい現象を提供するのは、最近まで支配していた||最近は改革中であるといわれ
ている||トルコの鋳貨状態である。ここにはニッケル貨も銅貨も存在せず、小銭としてはたんに惨めな銀の合金、
アルティリック貨、ベシュリッ
貨
、貨のみが存在し、これらのすべては取引にはまっ
不十分な量し
か存在しない。その結果はこうである。すなわち政府は一八八〇年にみずからこれらの鋳貨の名目価値をほぼ半分に一
滅少させたが、これらの鋳貨はその価値をほとんど変えないで維持し、金にたいして言うに値するほどの逆プレミア
くつけず、そればかりか全世界に流通している貨幣記号のうち最悪とされているメ
ムをまっ
、貨が、時には
金にたいして額面以上に上がることがある。まさにこのことこそきわめて特徴的である。すなわちもっともつまらな
い鋳貨がまさに取引にとってはもっとも重要な鋳貨であり、もっぱらこの重要性によって評価される。||それゆえ
にこそまた小さな鋳貨はいたるところで鋳貨改悪の最初の対象である。メタリック貨の価格は逆説を含んでいる。す 3
なわち貨幣は無価値であればあるほどますます価値多きものとなることができる。
なぜなら貨幣の実体的な無価
い
返信削除184
値性こそは、貨幣を一定の機能的な職務に適合させ、この職務が貨幣の価値をいまやほどんど無限に高めることがで
きるからである。
貨幣の機能意義の上昇した意識と上昇した事実性とは、銀本位制にたいする異議をもまた可能とした。すなわち貨
幣に要求されるものは、第一にも無条件にも便利さと取り扱いやすさとであるという異論である。食糧品の使用が多
くの不便さをともなうにしても、それがたんに栄養があり美味でありさえすれば、その食糧品はたしかに維持される
ことができる。不便な衣服もまた美しいか暖かいから維持される。しかし不使な貨幣は食べられない食糧品やは着ら
れない衣服と同じである。それというのも貨幣の最高の目的は、財貨交換の便利さであるからである。ここで比較さ
れた財貨との相違はまさに、貨幣が他の財貨に比べて主要性質とならぶ副次性質をほどんどもたず、またもたなくて
もよいということに基づく。貨幣はすべての具体的な財貨のうえの絶対的な抽象体であるから、貨幣はその純粋な規
定の外にあるいかなる性質によっても不当に煩わされもしなければ、他の方向へ誘導されもしない。
貨幣の機能の上昇あるいは低下はその実体価値とは無関係にその価値を増大あるいは減少させることができるとい
うことは、
ーとりわけ貨幣の実体価値と緊密に結合していると思われる貨幣の評価根拠、すなわち貨幣の価値不変一
性についてさえ妥当する。ローマ皇帝はすでに述べたように、金貨と銀貨との鋳造の独占権をもっていたが、銅貨す
なわち信用貨幣は元老院によって、そしてオリエントでは都市によって鋳造された。このことは最初から、皇帝が実
体価値のない小銭によって国土をあふれさせないことへの一定の保証をなした。結果はやはりたんに、皇帝たちが彼
らにゆだねられた銀貨の改悪に頼ることになり、そこからはまたローマ鋳時貨制の底知れない崩壊が始まった。いまや
ここから価値関係の注目すべき逆転が生じた。すなわち銀貨は改悪によって信用貨幣にまで下落したが、銅貨のほう
はその価値をかなり変わらずに維持したことにより、価値鋳貨の性格をかなり高い程度まで回復した。それゆえ価値一
不変性という性質はここでは、それの相対的な高さあるいは降下によって、貨幣価値の担い手としての金属実体のこ
れまでの性格を完全に逆転させることができる。実体価値にたいする安定性価値の優越というこの意味においていま
や主張されるのは、紙幣本位制の金本位制への移行はけっして地金支払いの再採用をともなうにはおよばないという
ことである。たとえばオーストラリアのようにその紙幣が銀にたいしていかなる逆プレミアムをつけな
国において
185
返信削除第二章 貨幣の実体価値
は、たんなる金計算への移行によってはすでに金本位制の決定的な利益、すなわち貨幣価値の安定化は獲得される。
こうして問題となっている実体の機能は、実体そのものがまったくなくても達成できる。さらに最近では貨幣価値の
不変性への関心が、紙幣への金属の準備をまったく廃止すべしという要求となった。すなわち金属の準備の存続する
かぎり、さまざまな国にとって共通の制度が創設され、これがそれぞれの国の内的な取引を他の国の政治的および経
済的な運命のすべての変動に従わせる。準備のない紙幣はその輸出不可能性によって、まったく国内にとどまって国
内のすべての企業に役立つという利益を提供するのみではなく、さらになによりも完全な価値不変性を提供する。こ
の理論がいかに攻撃できるにせよ、それでもそのたんなる可能性が示しているのは、貨幣概念の実体概念からのあの
心理的な分離と機能的な職務の観念によるその成長する完成である。ついでに述べれば貨幣のこの種のすべての機能」
は明らかに、機能への貨幣の一般的な解消が行われるさいの諸条件に従い、それゆえこの種の機能は所与のそれぞれ」
の瞬間には不完全にしか妥当せず、この概念は無限の彼方にある発展目標を示している。貨幣が測定すべき価値はま
た貨幣がその相互関係を表現すべきであるが、この価値がたんに心理学的なものであるということによって、すでに
貨幣には容積や重量の尺度のも つ不変性は拒否される。
しかし貸金の返済にさいして、借りているあいだに貨幣の価値が変われば人はどうすべきであるか、この問題に直一
面して実生活は、右の価値不変性を事実とみなす。この変化が貨幣価値一般の下落によって生じ、したがって同じ貨
幣額が返済のさいに価値が少なくなっていれば、このことは法律によっては考慮されない。すなわち同一の貨幣額は
そのまま同一の価値とみなされる。鋳貨そのものが合金によってであれ、鋳貨品位の変更によっであれ、改悪された一
ばあい、法律はただちに、新しい鋳貨品位にしたがって相当する額が返済されるべきとか、同一の分量の品位が返済
されるべきとか、まったく機械的に債務の名目価値が返済されるべきとかを規定する。したがって大体において重き
timl
をなすのは、貨幣はその価値を変わらないままに維持するという観念である。ところでこの安定性は、貸付にさいし
てそれを疑う人のいない現物対象においてさえ擬制にすぎない。春に借りた一ツェントナー(重さの単位、ドイッでは
五〇キログラム)の馬鈴薯は、後にそれを《現物で〉返すばあい、はるかに多くの価値があったり、はるかに少しし
か価値がなかったりするかもしれない。とはいえここで対象の直接の意義を考慮することができれば、馬鈴薯の交換
186
返信削除価値は変動するかもしれないが、その満足価値と栄養価値とはまったく同じものであり続ける。ところが貨幣はこの
種の価値をまったくもたず、たんに交換価値をもつのみであるから、貨幣の安定性の前提はそれだけいっそう目立つ
ようになる。発展は合目的的に、この実際に必要な擬制がますます真実であることを証明しようと努めるであろ
すでに貴金属について人びとの強調するところでは、装飾への貴金属の関係は貨幣の価値安定性に役立つ。それとい
うのも装飾欲望はきわめて弾力的であるから、貴金属準備の増加のさいはただちにより多くの量の金属を吸収し、そ
れによってその価値の過度の低下を阻止するが、貨幣への需要が増大するばあいは装飾品準備は貯水池として役立ち、
ここから必要な量が取り出され、価格上昇が制限されるからである。しかしこの傾向の継続においては、貨幣実体を
まったく排除するという目標があるように思われる。それというのも貴金属のようなきわめて適切な貨幣実体でさえ、
動揺を完全には免れることができず、動揺は需要と生産と加工などの貴金属の独特の条件から生じ、交換手段と相対
的な商品価値の表現としてのその職務とはある程度までは無関係であるからである。貨幣の完全な安定性が初めて達一
成できるのは、貨幣がもはやけっして独立してはおらず、具体的な諸財貨のあいだの価値関係のたんに純粋な表現に
すぎないときである。これによって貨幣は、財貨の動揺によっては変化しない静止状態に入るで
らう。これはちょ
うどメートル尺が、これが測る現実の大きさの相違によっては変化しないのと同じである。そのときこの職務の遂行
によって貨幣のものとなる価値もまた、最大限の安定性に到達するであろう。なぜなら需要と供給との関係はこのよ
うにして、その量がわれわれの意志に不完全にしか従わない実体への依存のばあいよりも、はるかに正確に規制され
るからである。もちろんそれによって否定されないのは、一定の歴史的および心理的な状態のもとでは、金属との結
合が金属との分離よりも貨幣にはより大きな安定性を保証することができるであろうということである。
-これは
そこであげた類比と結びつければ
は、すべての現世の残淳の完全な排除のもとに二つの心のあいだにのみ成り立つ愛であるとしても、||ただこの愛
が到達できないかぎりは||愛感情の最大限がまさに示されるのは、純粋に心的な関係が感覚的な近接と魅力とによ
すでに主張したところである。こうして
もっとも深くもっとも崇高な愛と
る加味と媒介を受け取るばあいである。こうして天国がその浄福の奇跡の約束はたすのは、浄福の意識がこれとは反
対の感情の対照をまったく必要とはしないことにおいてであろうが、||しかしわれわれが人間であるかぎりは、そ
中野剛志
返信削除富国と強兵#9
#9
紛争と統合
マッキンダーの「地理学からみた歴史の回転軸」の講演とほぼ同じ頃、ゲオルグ・ジンメルが、紛争によって集団が形成されるという社会学の理論を提唱していた。「紛争は、敵を前にして、既存の組織の固有性をあいまいにするような要素一切を根こそぎ排除することで、その組織の集権化を促すだけではない。紛争は、紛争がなければ無関係であった人や集団をまとめあげるのである★49。」
しかも、紛争を契機に形成された集団は、紛争が終わった後でも、その集団の統合の効果が持続するとジンメルは言う。「この類型の明確なケースすべてにおいて、紛争や紛争準備に起源をもつ統合は、闘争の期間を超えて維持されるという特徴がある。その統合は、最初の軍事目的とはもはや関係のない追加的な利益や連帯の力を有するようになるのである★50。」
★49 Georg Simmel, 'Conflict,' in Georg Simmel, Conflict and The Web of Group-Affiliations, The Free Press, 1955, p.99.
★50 Simmel (1955: p.99)
中野はハミルトンとリストを並べているが地政学、ナショナリズムを強調している
ジンメルは中野がベルから学んだ英仏資金調達の差異を示唆している
返信削除2 15
4 36
返信削除2 5
4 6
2 15
返信削除34 6
以下でジンメルの『貨幣の哲学』第2章第3節が引用されている。
返信削除内容としては金属主義的商品貨幣論は信用貨幣論に包摂されるということだろう。
MONEY IS A SOCIAL RELATION
Geoffrey Ingham 1996
The pivotal point in the interaction of the two parties recedes from the direct line
of contact between them, and moves to the relationship which each of them…has
with the economic community that accepts money…[which]…is only a claim upon society.
(Simmel 1978:177)
This is the core of the truth that money is only a claim upon society. Money
appears so to speak, as a bill of exchange from which the name of the drawee
is lacking…. It has been argued against this theory that metallic money
involves credit, that credit creates a liability, whereas metallic money payment
liquidates any liability; but this argument overlooks the fact that liquidation of
the individual's liability may still involve an obligation for the community.
The liquidation of every private obligation by money means that the community
now assumes this obligation to the creditor.
(Simmel 1978:177. See especially, 174–179)
邦訳では、
これによってこの両者の相互作用の旋回点はさらに移動し、それは彼らのあいだの直接の
結合線から遠ざか り、 彼らのそれぞれが貨幣利害関係者として経済圏にたいしてもつ関係
のうちへ移され、この経済圏は貨幣を引き受 け、そしてこれをその最高の代表からの刻印
によって証明する。これに基づいているのが、すべての貨幣は社会にたいする指図証券にすぎないと
いう理論における真理の核心である。貨幣はいわば、支払い人の氏名が記入されていな い為替手形、
あるいはまた刻印が引受けの代わりをする為替手形として現れる。金属貨幣のなかにも信用を
見いだそうとする理論にたいして異議が提起され、信用はそれでも義務を設定するのに金属
貨幣支払いはいかなる義務をも解 消するとされるとき、ここで見過ごされているのは、
個人にとっては解消であるものも総体にとっては拘束でありう るということである。貨幣
による一切の私的な義務の弁済がまさに意味するのは、いまや総体がこの義務を権利者に
たいして引き受けるということである。
新訳169頁
以下でジンメルの『貨幣の哲学』第2章第3節が引用されている。
返信削除内容としては金属主義的商品貨幣論は信用貨幣論に包摂されるということだろう。
MONEY IS A SOCIAL RELATION Geoffrey Ingham 1996
The pivotal point in the interaction of the two parties recedes from the direct line
of contact between them, and moves to the relationship which each of them…has
with the economic community that accepts money…[which]…is only a claim upon society.
(Simmel 1978:177)
This is the core of the truth that money is only a claim upon society. Money
appears so to speak, as a bill of exchange from which the name of the drawee
is lacking…. It has been argued against this theory that metallic money
involves credit, that credit creates a liability, whereas metallic money payment
liquidates any liability; but this argument overlooks the fact that liquidation of
the individual's liability may still involve an obligation for the community.
The liquidation of every private obligation by money means that the community
now assumes this obligation to the creditor.
(Simmel 1978:177. See especially, 174–179)
邦訳では、
《これによってこの両者の相互作用の旋回点はさらに移動し、それは彼らのあいだの直接の
結合線から遠ざか り、 彼らのそれぞれが貨幣利害関係者として経済圏にたいしてもつ関係
のうちへ移され、この経済圏は貨幣を引き受 け、そしてこれをその最高の代表からの刻印
によって証明する。これに基づいているのが、すべての貨幣は社会にたいする指図証券にすぎないと
いう理論における真理の核心である。貨幣はいわば、支払い人の氏名が記入されていな い為替手形、
あるいはまた刻印が引受けの代わりをする為替手形として現れる。金属貨幣のなかにも信用を
見いだそうとする理論にたいして異議が提起され、信用はそれでも義務を設定するのに金属
貨幣支払いはいかなる義務をも解 消するとされるとき、ここで見過ごされているのは、
個人にとっては解消であるものも総体にとっては拘束でありう るということである。貨幣
による一切の私的な義務の弁済がまさに意味するのは、いまや総体がこの義務を権利者に
たいして引き受けるということである。》新訳169頁
返信削除邦訳では、
《これによってこの両者の相互作用の旋回点はさらに移動し、それは彼らのあいだの直接の
結合線から遠ざか り、 彼らのそれぞれが貨幣利害関係者として経済圏にたいしてもつ関係
のうちへ移され、この経済圏は貨幣を引き受 け、そしてこれをその最高の代表からの刻印
によって証明する。これに基づいているのが、すべての貨幣は社会にたいする指図証券にすぎないと
いう理論における真理の核心である。貨幣はいわば、支払い人の氏名が記入されていな い為替手形、
あるいはまた刻印が引受けの代わりをする為替手形として現れる。金属貨幣のなかにも信用を
見いだそうとする理論にたいして異議が提起され、信用はそれでも義務を設定するのに金属
貨幣支払いはいかなる義務をも解 消するとされるとき、ここで見過ごされているのは、
個人にとっては解消であるものも総体にとっては拘束でありう るということである。貨幣
による一切の私的な義務の弁済がまさに意味するのは、いまや総体がこの義務を権利者に
たいして引き受けるということである。》新訳169頁
ジンメルがそれに続く箇所で鋳貨の価値切り下げ切り上げに関して事例を紹介したのは重要で、
フェリックス・マーティンやランドール・レイの同様の指摘に先行している。
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章冒頭、新訳388頁
上の指摘は重要で、払いの語源を宗教的祓いに求める福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。古川顕の優れた紹介がある。
参考:
古川顕 原始貨幣論
https://konan-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=
3216&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=40&block_id=38
通貨の切り下げ切り上げに関してはMMTの根拠になるが、罰則としての貨幣に関してはMMTは強調しないし、
税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
https://www.amazon.co.jp/Capitalism-Competition-Conflict-Anwar-Shaikh-ebook/dp/B01AIIYM9I/
ジンメル貨幣哲学はヘーゲル流に読むと主体的に読める
返信削除柄谷交換図で読めば整理される
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章第1節冒頭、邦訳388頁
上の指摘は重要で、「払い」の語源を宗教的「祓い」に求めるような福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。古川顕の優れた紹介がある。
参考:
原始貨幣と貨幣の起源 古川 顕
甲南経済学論集,59(1・2),47-118 (2018-09-30)
古川はジンメルも論じていることに気がついた。
ジンメルの貨幣論 古川 顕
甲南経済学論集 ,57(3・4),31-64 (2017-03-30) [webで公開している]
古川はMMTに繋がる信用貨幣論を歴史的にわかりやすく紹介している。
ただしジンメルが第二章で紹介した通貨の切り下げ切り上げはMMTの根拠になるにしても、
第五章の罰則としての貨幣はMMTは強調しないし、
税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
古川は貨幣は関係である、関係を持つという、命題、反命題103頁を紹介し、
インガムに繋がる論点を出している
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章第1節冒頭、邦訳388頁
上の指摘は重要で、「払い」の語源を宗教的「祓い」に求めるような福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。ニーチェを踏まえた古川顕の優れた紹介がある。
参考:
原始貨幣と貨幣の起源 古川 顕
甲南経済学論集,59(1・2),47-118 (2018-09-30)
古川はジンメルも論じていることに気がついた。
ジンメルの貨幣論 古川 顕
甲南経済学論集 ,57(3・4),31-64 (2017-03-30) [webで公開している]
古川はMMTに繋がる信用貨幣論を歴史的にわかりやすく紹介している。
ただしジンメルが第二章で紹介した通貨の切り下げ切り上げはMMTの根拠になるにしても、
第五章の罰則としての貨幣はMMTは強調しないし、
税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
古川は、貨幣は関係である、関係を持つという、命題、反命題(邦訳103頁)を紹介し、
インガムに繋がる論点を出している。
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章第1節冒頭、邦訳388頁
ニーチェを想起させる上の指摘は重要で、「払い」の語源を宗教的「祓い」に求めるような福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。古川顕の優れた紹介がある。
参考:
原始貨幣と貨幣の起源 古川 顕
甲南経済学論集,59(1・2),47-118 (2018-09-30)
古川はジンメルも論じていることに気がついた。
ジンメルの貨幣論 古川 顕
甲南経済学論集 ,57(3・4),31-64 (2017-03-30) [webで公開している]
古川はMMTに繋がる信用貨幣論を歴史的にわかりやすく紹介している。古川はニーチェの負債論も参照している。
ただしジンメルが第二章で紹介した通貨の切り下げ切り上げはMMTの根拠になるにしても、
第五章の罰則としての貨幣はMMTは強調しないし、
税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
古川は、貨幣は関係である、関係を持つという、命題、反命題(邦訳103頁)を紹介し、
インガムに繋がる論点を出している。
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章第1節冒頭、邦訳388頁
ニーチェを想起させる上の指摘は重要で、「払い」の語源を宗教的「祓い」に求めるような福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。古川顕の優れた紹介がある。
参考:
原始貨幣と貨幣の起源 古川 顕
甲南経済学論集,59(1・2),47-118 (2018-09-30)
古川はジンメルも論じている。
ジンメルの貨幣論 古川 顕
甲南経済学論集 ,57(3・4),31-64 (2017-03-30) [webで公開している]
古川は、信用貨幣論を歴史的にわかりやすく紹介している。ニーチェの負債論も参照している。
貨幣は関係である、関係を持つという、命題、反命題(邦訳103頁)を紹介し、インガムやMMTに繋がる論点を出している。
ところで、ジンメルが第二章で紹介した通貨の切り下げ切り上げはMMTの根拠になるにしても、
第五章の罰則としての貨幣はMMTは強調しないし、税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
古川
返信削除Schumpeter, Joseph A. [1954], History of Economic Analysis, New York, Oxford University Press (東畑精一・福岡正夫訳『経済分析の歴史』(下) 2006年)
Simmel, Georg [1889] Zur Psychologie des Geldes, Jahrbuch Gesetgebung, Verwaltung und Volkswirtschaft im Deutschen Reich, XIII (「貨幣の心理学のために」大鐘 武編訳『ジンメル初期社会学論集』恒星社厚生閣, 1986, 所収)
Simmel, Georg [1890] r sociale Differenzierung, Sociologische Untersuchungen, Duncker & Humblot (居安 正訳『社会分化論』青木書店, 1998年)
Simmel, Georg [1898] Zur Soziologie der Religion: Neue Deutsche Rundschau 9 (居安正訳『宗教社会学』青木書店, 1998)
Simmel, Georg [1908] Soziologie, Untersuchungen die Formen der Vergesellschaftung, Duncker & Humblot, Berlin (居安 正訳『社会学:社会化の諸形式についての研究』 白水社, 1994)
Simmel, Georg [1917] Grundfragen der Soziologie (Individuum und Gesellschaft)(居安 正訳『社会学の根本問題 (個人と社会)』世界思想社, 2004年)
Simmel, Georg [1922] Philosophie des Geldes, Verlag Dunkker & Humbolt, Berlin (居安 正訳ジンメル著作集3『貨幣の哲学』白水社, 1999)
Simmel, Georg [1923] Fragmente und . Aus dem und !"#$#% der letzten Jahle, Hg. Mit dem Vorwort von Gertrud Kantorowiez, &##'(土肥美夫・掘田輝明訳ジンメル著作集11『断層 遺稿日記抄 』白水社, 1976)
Simmel, Georg [1957] ()*und +(ジンメル著作集12『橋と扉』, 酒田健一他訳,白水社, 1976)
Simmel, Georg [1978] The Philosophy of Money, translated by Tom Bottomore and David Frisby, London, Routledge & Kegan Paul. Simmel, Georg [1989] Philosophie des Geldes, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Main.
kindle
返信削除福田徳三 貨幣の新定義としての表券貨幣論
*本編は『貨幣の新定義としての「カルタル・テオリー」』(一九○六年)を、現代人にとってわかりやすく書き改め、注等を加えたものです。
福田徳三・山口正太郎 笠信太郎・高田早苗
資本主義と貨幣 ――クナップ、ジンメル、マルクス
付・不換紙幣はいかにして発行されたか ――フランス、イギリス、アメリカ
山口正太郎 ジンメルの貨幣価値論
五 以上は、ジンメルの哲学的な著作『貨幣哲学』の第二章「貨幣の実体価値」の要旨です(彼が、その序文において「本研究には国民経済的な内容は一行もない」と言ったように、これは経済学というより哲学的な著作です)。 ジンメルは、貨幣の実体価値を否定し、機能的価値を強調して、本作の最終部分においては貨幣と人生の関係についての哲学的考察を述べるのですが、もともと哲学的な書物ですから極端に理想主義的な傾きが見られます。しかしながら彼の貨幣に関する考察は、専ら貨幣の働きを中心に行なわれているのですから、貨幣発達史から得た実例を挙げて反論したとしても意味がありません。
*本編は「ジンメルの貨幣官能價値論」(『経済学説史研究』一九二四年)を現代人にとってわかりやすく書き改め、注を加えたものです。
ジンメル論
返信削除タイトル
左右田喜一郎全集 巻第2
巻タイトル
貨幣価値論研究
著者名等
左右田博士記念会/編 ≪再検索≫
出版
岩波書店 1930.10
大きさ等
24cm 640,5,3p
NDC分類
貨幣と価値
1909
/\
返信削除/__\
6生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
4個人的な自由 5個人的な価値の貨幣
/__\/__\/☆_\/__\等貨物
___ジンメ ル『貨幣の哲学』__
\ /\ /\☆☆/\ /
3目的系列に/ 2貨幣の実体価値
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\☆ /\ /
1価値と貨幣
\ /
\/
[アソシエーション]
返信削除/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_個人的な
個人的な自由\ 価値の貨幣等貨物
→/__\/__\/__\/__\
[資本]『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
②___①⑤
\ \
③④\__\⑥
②__①
⑤
③
④__⑥
個人
貨幣価値
国家
[アソシエーション]
返信削除/\
/__\
/\ /\
/__\/__\
/\ ⑥ /\
/__\生活の様式__\
/\ /\ /\ /\
/__\/__\/__\/__\
/\ /\
/__\ /__\
/\ /\ /\ /\
/__\/__\ 総合 /__\/__\
/\ ④ /\ /\ ⑤ /\
/__個人的な自由__\ /__個人的な価値の_\
/\ /\ /\ /\ /\ /等価物/\ /\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
[資本] 『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________________________
\ /\ /\ /\ /\ /\ /\ /\ /
\/__\/ ③\/__\/ \/__\/① \/__\/
\ 目的系列に\ / \ 価値と貨幣\ /
\/おける貨幣_\/ \/______\/
\ /\ / 分析 \ /\ /
\/__\/ \/__\/
\ / \ /
\/______________\/
\ /\ /\ /\ /
\/__\/ ②\/__\/
\ 貨幣の実体価値 /
\/______\/
\ /\ /
\/__\/
\ /
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_個人的な
個人的な自由\ 価値の貨幣等貨物
→/__\/__\/__\/__\
[資本]『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
[アソシエーション]
返信削除/\
/歴史\
/\ /\
/__\/リズム
/\ ⑥ /\
/__\生活の様式__\
/\生活/\ /\文化/分業513
/__\/__\/__\/__\
/\ /\
/__\ /__\
/集合性/\ /\ /\
/__\/__\ 総合 /__\/__\
/\ ④ /\ /\ ⑤ /\
/__個人的な自由__\ /__個人的な価値の_\
/\ /\ /\ /\ /\ /等価物/\ /\
/__\/__\/__\/__\/賠償\/__\/__\/__\
[資本] 『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________________________
\貨幣/\ /\ /\ /相互性 スピノザ\ /\ /
\/__\/ ③\/__\/ \/__\/① \/__\/
\ 目的系列に\ / \ 価値と貨幣\ /
\/おける貨幣_\/ \/______\/
\ /\ / 分析 \ /\ /
\/__\/ \/労働\/45
\ / \ /
\/______________\/
\ 信用貨幣論/\ /\二種/
\/__\/ ②\/象徴\/
\ 貨幣の実体価値 /
プルードン/______\/
\ /\ /
\並列関係/142
\ /
\/
[国家]
[アソシエーション]
/\
/⑥_\
/生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/④_\ 総合 /⑤_個人的な
個人的な自由\ 価値の貨幣等貨物
→/__\/__\/__\/__\
[資本]『貨幣の哲学』ジンメル [国民]
________________
\ ③/\ /\ /\① /
目的系列に\/ \価値と貨幣 ↙︎
おける貨幣/ 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
貨幣の実体価値
\ ②/
\/
[国家]
信用貨幣論についての補足:
返信削除マーティン『21世紀の貨幣論』#5より
《マネーを表象する最も代表的な技術は、硬貨だった 。高額の硬貨には銀が選ばれ、
少額の硬貨には、銅などの金より価値の低い金属や合金が使われた。しかし、今日の
硬貨とちがって、中世の硬貨には額面は刻印されていない。表にも裏にも、数字は
記されず、貨幣を発行する主権者である君主の顔や腕など、発行権者を示す図柄
だけが刻まれていた。その後、硬貨を鋳造する政治的権限を持つ君主が硬貨の
価値を布告した。
この制度は君主に大きな利点があった。硬貨の額面価値を引き下げるだけで、鋳造
貨幣のすべての保有者に対して一回限りの事実上の富裕税を課すことができる。君主が
告げるだけで、それまでは 1シリングとして通用していた硬貨が、 6ペンスに
なってしまうのだ。額面価値が「切り下げ」られたということは、標準が「切り上げ 」
られたということでもある[The coin had been “cried down”; or equivalently, one could say
that the standard had been “cried up.” ]。》
齊藤 誠@makotosaito0724
《金銀含有量が不確実だったため、内在価値を決めることができず、公的な発行者が対銀相場
で額面を定め、発行者が保有者に対してその額面で回収に応じていたらしい。すると、
エレクトラム貨は鋳造貨幣ではなく、信用貨幣ということになる。ただ、その後の銀貨は
鋳造貨幣の性格を持った。》
https://twitter.com/makotosaito0724/status/1179737611595730945?s=20
レイMMT入門6-4にも同様の指摘あり
《実は 、近世まで 、硬貨には額面金額が刻まれていなかった 。国王が自らの 「出納所 」
での価値として宣言した金額が 、その硬貨の価値となった (昔の硬貨を見てみよう 。
それには神話上の人物や国王の肖像が刻まれているが 、額面金額は示されていなかった ) 。
国王は 、租税負担を実質的に倍にするために 、流通しているすべての硬貨の価値をこれ
までの半分にすると宣言することができた 。これは主権者たる国王の特権であったため 、
硬貨の保有者はその名目的な価値に関して不確実性に直面する可能性があった 。》
同様の事例がジンメル『貨幣の哲学』1900で紹介され「序説的に強調」されている。新版邦訳182頁以降。
ジンメルのプルードンへの言及は貴重
返信削除
返信削除ジンメル
164
プルードンはすべの固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を社会的 な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。それというのも彼が貨幣のなかに見たの は、あの支配構造との正確な類似であり、支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の なかに結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じように、価値の交換可能性 も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべての市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品 はそのままに貨幣の媒介なしに価値代表にならなければならない。
164誤植
返信削除すべの→すべての
ジンメル
164
プルードンはすべての固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を社会的 な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。それというのも彼が貨幣のなかに見たの は、あの支配構造との正確な類似であり、支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の なかに結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じように、価値の交換可能性 も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべての市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品 はそのままに貨幣の媒介なしに価値代表にならなければならない。
《プルードンはすべての固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を
返信削除社会的 な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。
それというのも彼が貨幣のなかに見たの は、あの支配構造との正確な類似であり、
支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の なかに
結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じ
ように、価値の交換可能性 も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべて
の市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品 はそのままに貨幣の媒介
なしに価値代表にならなければならない。》
ジンメル『貨幣の哲学』邦訳164頁
103
返信削除こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であ
るのではなく、関係をもつということのみによる。貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度
に応じて貨幣は価値不変性をもち、それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変
動ではなく、たんに諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定というそれに本質的な性
質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的な関係、諸事物を経済的に価値ある
ものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入
り込まないという課題に負う。それゆえ経済的な価値の変動がより広範により活発に行われれば行われるほど、貨幣
の機能もまたますます切実なものとなる。商品の価値がきわめて断固として持続的に固定しているところでは、商品
が〈現物で〉交換されるのも理解される。貨幣は諸商品の相互の価値関係の変化の状態に対応するが、それは貨幣が
この価値関係のあらゆる変動にたいし絶対に適切で柔軟な表現を提供するからである。事物の経済的な価値が他のあ
103
インガムに繋がる認識。インガムの方が金本位制を相対化出来る時代だからかわかりやすくなっている。
返信削除102
ののあいだの関係を表現し、しかもこの関係は、この個性的なものの無限の変転にもかかわらずつねに同じままであ
り続けるということにかかっている。
特別に規定されたいかなる経済的な価値をも代理する貨幣のこの能力は、~~貨幣の本質は経済的な価値のいずれ
にも結びつかず、任意のいかなる経済的な価値も入ることのできる関係のみと結びついているからであり、~~経済
的な現象系列の連続性を支える。この系列はいわば侵入と浸出とのなかに、すなわち財の生産と消費のなかに活動す
る。しかしこれはたんにあの系列の素材にすぎず、その形式の連続性もしくは非連続性への問題を未解決のままにす
る。すべての消費はさしあたりは経済的な線の安定性のなかに裂け目をつくり、生産へのその関係があまりにも規制
されることが少なく、あまりにもひどく偶然に委ねられるので、経済的な線の経過を中断なく保持できない。経済的
な線は具体的な客体をつらぬく観念的な線、たとえば振動するエーテル粒子との関係における光線の方向と比較でき
ると考えてよいであろう。ひとつの流れが交互にきびしく分離された外的な事物のあいだをとうとうと流れ、事物の
価値意義を相互に交流させるが、この流れのなかにいまや貨幣が、あの脅迫的な中断の除去のために入りこむ。私が
消費しようとする対象の代わりに貨幣を提供することによって、私がこの貨幣をはめ込んだのは、私の消費によって
生じるか、あるいはむしろ生じるはずの価値運動の裂け目である。所有変更の原始的な形式である掠奪と贈与はその
観念からして連続性のこの補完を許さず、これの行われるたびごとに、経済的な流れのあの観念的な線における論理
的な関連ともいえるものが停止する。等価物の交換にして初めて原理的にはこの関連を樹立することができ、事実的
には貨幣が初めてそれを樹立することができるが、それは貨幣が物々交換においては除去できないすべての不等性を
平準化することができ、消費される客体の離脱によって生じる経済的な線の不整合を代理的に満たすからである。し
かし貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な地位によってのみ獲得
することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々
の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違った客体のあいだの橋でもあることができないだろうからであ
る。すなわち経済の連続性が実現される形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込む
ことができるのは、貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。
返信削除《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。それゆえ経済的
な価値の変動がより広範により活発に行われれば行われるほど、貨幣の機能もまたますます切実な
ものとなる。商品の価値がきわめて断固として持続的に固定しているところでは、商品
が〈現物で〉交換されるのも理解される。貨幣は諸商品の相互の価値関係の変化の状態に対応するが、
それは貨幣がこの価値関係のあらゆる変動にたいし絶対に適切で柔軟な表現を提供するからである。》
103
インガムに繋がる認識。インガムの方が金本位制を相対化出来る時代だからかわかりやすくなっている。
《
返信削除特別に規定されたいかなる経済的な価値をも代理する貨幣のこの能力は、~~貨幣の本質は経済的な価値のいずれ
にも結びつかず、任意のいかなる経済的な価値も入ることのできる関係のみと結びついているからであり、~~経済
的な現象系列の連続性を支える。この系列はいわば侵入と浸出とのなかに、すなわち財の生産と消費のなかに活動す
る。しかしこれはたんにあの系列の素材にすぎず、その形式の連続性もしくは非連続性への問題を未解決のままにす
る。すべての消費はさしあたりは経済的な線の安定性のなかに裂け目をつくり、生産へのその関係があまりにも規制
されることが少なく、あまりにもひどく偶然に委ねられるので、経済的な線の経過を中断なく保持できない。経済的
な線は具体的な客体をつらぬく観念的な線、たとえば振動するエーテル粒子との関係における光線の方向と比較でき
ると考えてよいであろう。ひとつの流れが交互にきびしく分離された外的な事物のあいだをとうとうと流れ、事物の
価値意義を相互に交流させるが、この流れのなかにいまや貨幣が、あの脅迫的な中断の除去のために入りこむ。私が
消費しようとする対象の代わりに貨幣を提供することによって、私がこの貨幣をはめ込んだのは、私の消費によって
生じるか、あるいはむしろ生じるはずの価値運動の裂け目である。所有変更の原始的な形式である掠奪と贈与はその
観念からして連続性のこの補完を許さず、これの行われるたびごとに、経済的な流れのあの観念的な線における論理
的な関連ともいえるものが停止する。等価物の交換にして初めて原理的にはこの関連を樹立することができ、事実的
には貨幣が初めてそれを樹立することができるが、それは貨幣が物々交換においては除去できないすべての不等性を
平準化することができ、消費される客体の離脱によって生じる経済的な線の不整合を代理的に満たすからである。し
かし貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な地位によってのみ獲得
することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々
の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違った客体のあいだの橋でもあることができないだろうからであ
る。すなわち経済の連続性が実現される形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込む
ことができるのは、貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102
返信削除《特別に規定されたいかなる経済的な価値をも代理する貨幣のこの能力は、~~貨幣の本質は経済的な価値のいずれ
にも結びつかず、任意のいかなる経済的な価値も入ることのできる関係のみと結びついているからであり、~~経済
的な現象系列の連続性を支える。この系列はいわば侵入と浸出とのなかに、すなわち財の生産と消費のなかに活動す
る。しかしこれはたんにあの系列の素材にすぎず、その形式の連続性もしくは非連続性への問題を未解決のままにす
る。すべての消費はさしあたりは経済的な線の安定性のなかに裂け目をつくり、生産へのその関係があまりにも規制
されることが少なく、あまりにもひどく偶然に委ねられるので、経済的な線の経過を中断なく保持できない。経済的
な線は具体的な客体をつらぬく観念的な線、たとえば振動するエーテル粒子との関係における光線の方向と比較でき
ると考えてよいであろう。ひとつの流れが交互にきびしく分離された外的な事物のあいだをとうとうと流れ、事物の
価値意義を相互に交流させるが、この流れのなかにいまや貨幣が、あの脅迫的な中断の除去のために入りこむ。私が
消費しようとする対象の代わりに貨幣を提供することによって、私がこの貨幣をはめ込んだのは、私の消費によって
生じるか、あるいはむしろ生じるはずの価値運動の裂け目である。所有変更の原始的な形式である掠奪と贈与はその
観念からして連続性のこの補完を許さず、これの行われるたびごとに、経済的な流れのあの観念的な線における論理
的な関連ともいえるものが停止する。等価物の交換にして初めて原理的にはこの関連を樹立することができ、事実的
には貨幣が初めてそれを樹立することができるが、それは貨幣が物々交換においては除去できないすべての不等性を
平準化することができ、消費される客体の離脱によって生じる経済的な線の不整合を代理的に満たすからである。し
かし貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な地位によってのみ獲得
することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々
の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違った客体のあいだの橋でもあることができないだろうからであ
る。すなわち経済の連続性が実現される形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込む
ことができるのは、貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102
《等価物の交換にして初めて原理的にはこの関連を樹立することができ、事実的
返信削除には貨幣が初めてそれを樹立することができるが、それは貨幣が物々交換においては除去できないすべての不等性を
平準化することができ、消費される客体の離脱によって生じる経済的な線の不整合を代理的に満たすからである。し
かし貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な地位によってのみ獲得
することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々
の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違った客体のあいだの橋でもあることができないだろうからであ
る。すなわち経済の連続性が実現される形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込む
ことができるのは、貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102
《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。》
103
インガムに繋がる認識。インガムの方が金本位制を相対化出来る時代だからかわかりやすくなっている。
《…貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な
返信削除地位によってのみ獲得することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれ
ば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違っ
た客体のあいだの橋でもあることができないだろうからである。すなわち経済の連続性が実現さ
れる形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込むことができるのは、
貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102
《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。》
103
インガムに繋がる認識。インガムの方が金本位制を相対化出来る時代だからかわかりやすくなっている。
返信削除892 あ (ワッチョイ d524-Egtn)[sage] 2021/07/13(火) 22:13:55.14 ID:2oEliVxS0
社会学者のジェフリー ・インガムは、
貨幣とは 「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係 」である
と述べている 。
"Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account."
'The Nature of Money' by Geoffrey Ingham
p.12
kindle版あり
中野剛志『富国と強兵』参照
返信削除《…貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な
地位によってのみ獲得することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれ
ば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違っ
た客体のあいだの橋でもあることができないだろうからである。すなわち経済の連続性が実現さ
れる形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込むことができるのは、
貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102
《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。》
103
社会学者のジェフリー ・インガムに繋がる認識。インガムは、
貨幣とは 「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係 」である
と述べている 。
"Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account."
'The Nature of Money' by Geoffrey Ingham
p.12
kindle版あり
中野剛志『富国と強兵』参照
返信削除《…貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な
地位によってのみ獲得することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれ
ば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違っ
た客体のあいだの橋でもあることができないだろうからである。すなわち経済の連続性が実現さ
れる形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込むことができるのは、
貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102頁
《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。》103頁
社会学者のジェフリー ・インガムに繋がる認識。インガムは、
貨幣とは 「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係 」である
と述べている 。
"Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account."
'The Nature of Money' by Geoffrey Ingham
p.12
kindle版あり
中野剛志『富国と強兵』参照
40 名無しさん@社会人[] 2021/07/14(水) 01:19:11.55 ID:
返信削除《…貨幣は明らかに経済系列の内部のこの現実的な地位を、たんに経済系列の外部の観念的な
地位によってのみ獲得することができる。それというのも貨幣そのものが「個々の」客体であれ
ば、貨幣はそれでもなるほどすべての個々の客体と均衡を保つことができず、また任意の食い違っ
た客体のあいだの橋でもあることができないだろうからである。すなわち経済の連続性が実現さ
れる形態の諸関係のなかへ貨幣が絶対に十分に補完的さらには代替的に入り込むことができるのは、
貨幣が具体的な価値としては、明確な実体にまで具現された経済価値そのものの関係にほかなら
ないからである。》102頁
《こうして簡単にいえば、貨幣はもはや関係であるのではなく、関係をもつということのみによる。
貨幣がその純粋な本質に忠実に右の性質から遠ざかれば、その程度に応じて貨幣は価値不変性をもち、
それゆえこの不変性が結びついているのは、価格変動が事物への貨幣の関係の変動ではなく、たんに
諸事物相互の変動する関係を意味するということである。そしてこの関係がさらに含んでいるの
は、ある物の騰貴には他の物の下落が対応するということである。それゆえ貨幣が価値安定という
それに本質的な性質を現実に所有するかぎり、貨幣はこれをその課題に、すなわち諸事物の経済的
な関係、諸事物を経済的に価値あるものとする関係を自己のうちに~~そのたんなる量によって~~
純粋な抽象性において表現し、自らはこの関係に入り込まないという課題に負う。》103頁
社会学者のジェフリー ・インガムに繋がる認識。
インガムは、貨幣とは 「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係 」であると述べている 。
"Money is a social relation of credit and debt denominated in a money of account."
'The Nature of Money' by Geoffrey Ingham p.12 kindle版あり
中野剛志『富国と強兵』参照
35 名無しさん@社会人[] 2021/06/22(火) 23:36:08.41 ID:
返信削除以下でジンメルの『貨幣の哲学』第2章第3節が引用されている。
内容としては金属主義的商品貨幣論は信用貨幣論に包摂されるということだろう。
MONEY IS A SOCIAL RELATION Geoffrey Ingham 1996
The pivotal point in the interaction of the two parties recedes from the direct line
of contact between them, and moves to the relationship which each of them…has
with the economic community that accepts money…[which]…is only a claim upon society.
(Simmel 1978:177)
This is the core of the truth that money is only a claim upon society. Money
appears so to speak, as a bill of exchange from which the name of the drawee
is lacking…. It has been argued against this theory that metallic money
involves credit, that credit creates a liability, whereas metallic money payment
liquidates any liability; but this argument overlooks the fact that liquidation of
the individual's liability may still involve an obligation for the community.
The liquidation of every private obligation by money means that the community
now assumes this obligation to the creditor.
(Simmel 1978:177. See especially, 174–179)
36 名無しさん@社会人[] 2021/06/22(火) 23:38:45.68 ID:
返信削除邦訳では、
《これによってこの両者の相互作用の旋回点はさらに移動し、それは彼らのあいだの直接の
結合線から遠ざか り、 彼らのそれぞれが貨幣利害関係者として経済圏にたいしてもつ関係
のうちへ移され、この経済圏は貨幣を引き受 け、そしてこれをその最高の代表からの刻印
によって証明する。これに基づいているのが、すべての貨幣は社会にたいする指図証券にすぎないと
いう理論における真理の核心である。貨幣はいわば、支払い人の氏名が記入されていな い為替手形、
あるいはまた刻印が引受けの代わりをする為替手形として現れる。金属貨幣のなかにも信用を
見いだそうとする理論にたいして異議が提起され、信用はそれでも義務を設定するのに金属
貨幣支払いはいかなる義務をも解 消するとされるとき、ここで見過ごされているのは、
個人にとっては解消であるものも総体にとっては拘束でありう るということである。貨幣
による一切の私的な義務の弁済がまさに意味するのは、いまや総体がこの義務を権利者に
たいして引き受けるということである。》新訳169頁
ジンメルがそれに続く箇所で鋳貨の価値切り下げ切り上げに関して事例を紹介したのは重要で、
フェリックス・マーティンやランドール・レイの同様の指摘に先行している。
37 名無しさん@社会人[] 2021/06/23(水) 00:35:37.03 ID:
返信削除《価値評価の体系における貨幣の意義は罰金の発展において測ることができる。》
ジンメル『貨幣の哲学』第五章第1節冒頭、邦訳388頁
ニーチェを想起させる上の指摘は重要で、「払い」の語源を宗教的「祓い」に求めるような福田徳三らの研究に繋がる。
福田は本居宣長を参照している。古川顕の優れた紹介がある。
参考:
原始貨幣と貨幣の起源 古川 顕
甲南経済学論集,59(1・2),47-118 (2018-09-30)
古川はジンメルも論じている。
ジンメルの貨幣論 古川 顕
甲南経済学論集 ,57(3・4),31-64 (2017-03-30) [webで公開している]
古川は、信用貨幣論を歴史的にわかりやすく紹介している。ニーチェの負債論も参照している。
貨幣は関係である、関係を持つという、命題、反命題(邦訳103頁)を紹介し、インガムやMMTに繋がる論点を出している。
ところで、ジンメルが第二章で紹介した通貨の切り下げ切り上げはMMTの根拠になるにしても、
第五章の罰則としての貨幣はMMTは強調しないし、税駆動論と混同する向きもある。これには批判がある。
Capitalism: Competition, Conflict, Crises , Kindle版 2016
Anwar Shaikh (著)
38 あ[sage] 2021/06/24(木) 01:53:39.97 ID:
返信削除/\
/__\
6生活の様式
/__\/__\
/\ /\
/__\ 総合 /__\
4個人的な自由 5個人的な価値の貨幣
/__\/__\/__\/__\等貨物
ジンメル『貨幣の哲学』
________________
\ /\ /\ /\ /
3目的系列に/ 2貨幣の実体価値
おける貨幣 分析 \ /
\/______\/
\ /\ /
1価値と貨幣
\ /
\/
39 あ[sage] 2021/07/14(水) 00:15:18.85 ID:
返信削除《プルードンはすべての固定的な国家構成を廃止して、個人の自由な相互作用を
社会的な生活の唯一の正しい形式として認めようとし、貨幣一般の使用と戦った。
それというのも彼が貨幣のなかに見たの は、あの支配構造との正確な類似であり、
支配構造は個人から彼の生きいきした相互作用を吸いとり、それを自己の なかに
結晶させる。それゆえ社会の統治がすべての市民によって国王の干渉なしにと同じ
ように、価値の交換可能性 も貨幣の干渉なしに基礎づけられなけらばならず、すべて
の市民が選挙権をあたえられているように、すべての商品 はそのままに貨幣の媒介
なしに価値代表にならなければならない。》
ジンメル『貨幣の哲学』邦訳164頁
ジンメル
返信削除190
ことは、同じ機能的な職務へのそれらの召命を意味するにすぎない。したがってこの職務が一方の発展において強く
現れれば、他方もまた運動の同じ活発さへと促される。それゆえこのことは両者のあいだの他の関係、すなわち信用 3
は正貨を無用とするという関係とけっして矛盾はしない。われわれの聞くところによれば、イギリスではすでに一八
三八年には生産の途方もない上昇にもかかわらず、正貨は五○年以前よりも僅かであり、さらにフランスにおいては
革命以前よりも僅かであったという。同じ根本動機から生じた二つの現象のあいだには、一方ではたがいに促進しあ
いながら他方ではたがいに駆逐しあい交替しあうという二重の関係が存在する。||このことはまったく理解でき、
けっして稀ではない。ここで思い起こされるのは、愛の根本感情が感覚的にも精神的にも表現され、しかもこれらの
二つの表現様式が相互に強めあいながらも、しかしまたその一方が他方を排除しようと努めあい、そしてしばしば、
まさにこれらの二つの可能性のあいだの相互演技が、根本感情をもっとも深くもっとも生きいきと実現させるという
ことである。さらに思い出されるのは、認識衝動のさまざまな活動は、それらがたがいに促進しあうばあいも、たが
いに排除しあうばあいも、根本的な関心の統一性を一様に示すということである。最後に、集団における政治的なエ
ネルギーは個人の気質と環境とにそれぞれしたがってさまざまな政党に凝縮されるが、しかしこれらの政党はそのエ
ネルギーの力の規模を諸政党のあいだの闘争の激情のなかに示すとともに、全体の関心が時には諸政党を共同の行動
へ統一化させることにも示す。こうして信用の意義は、一方では正貨流通とともに相互の促進の関係のなかにあり、
他方では正貨流通にとって代わり、たんに両者が果たさなければならない職務の統一性を示すにすぎない
ところで取引の増大によって要求されると思われる貨幣実体の増加に代わって、貨幣の流通速度の増加がますます
現れる。先に述べたところであるが、すでに一八九〇年にフランス銀行は、実際に払い込まれた貨幣の一三五倍(四
億フランにたいする五四○億フラン)も当座勘定へ移し、ドイツ帝国銀行はさらに一九○倍も移した。一般には稀に
しか明らかにはされないが、貨幣は信じられないほど僅かな実体でその職務をはたす。戦争やあるいは他の破局の突
発のさい貨幣が、あたかも地中に沈没したかのように消滅するという奇妙な現象は、たんに流通の停滞を意味するに
すぎず、この停滞は、つかの間も貨幣から離れたくはないという個人の不安によって誘発されたり強められたりする。
正常な時代には流通の迅速さが、貨幣の実体を現実に存在するよりもはるかに膨大と思わせる。 ーこれはちょうど
インガムがイネス論で引用
返信削除178
[M]oney is only a claim upon society. Money appears, so to speak, as a bill of exchange from which the drawee is lacking ... It has been argued against this theory that metallic money involves credit, that credit creates a liability, whereas metallic money payment liquidates any liability; but this argument overlooks the fact that liquidation of the individual's liability may still involve an obligation for the community. The liquidation of every private obligation by money means that the community now assumes this obligation to the creditor... [M]etallic money is also a promise to pay ... (Simmel 1978 [1907]: pp. 177-8. See especially pp. 1749).
返信削除
返信削除169:
これに基づいているのが、すべての貨幣は社会にたいする指図証券にすぎないという理論における真理の核心である。貨幣はいわば、支払い人の氏名が記入されていな い為替手形、あるいはまた刻印が引受けの代わりをする為替手形として現れる。金属貨幣のなかにも信用を見いだそうとする理論にたいして異議が提起され、信用はそれでも義務を設定するのに金属貨幣支払いはいかなる義務をも解 消するとされるとき、ここで見過ごされているのは、個人にとっては解消であるものも総体にとっては拘束でありう るということである。貨幣による一切の私的な義務の弁済がまさに意味するのは、いまや総体がこの義務を権利者に たいして引き受けるということである。現物給付からの義務はそれでもたんに二つの仕方でのみ片付けられる。すな わち直接の反対給付によるか、それとも反対給付への指図証券によるかである。貨幣所有者は指図証券を手中にもち これを先に給付した者へ手渡すことによって、彼をさしあたりは名も分からない生産者のもとに指し向け、生産者は 同じ経済圏への所属にもとづいてまさにこの貨幣にたいして、あの要求された給付を引き受ける。保証された紙幣と 保証されない紙幣とのあいだの区別は、貨幣の信用性格との関係において設定されたものであるが、ここではまった く取るにたりない。人びとが考えたのは、たんに不換紙幣のみが真に貨幣〈紙幣 papiermonnaie〉であり、これに たいして党換紙幣は貨幣にたいする指図証券〈紙の通貨 monne de papier〉にすぎないということであるが、これ…
170
にたいしていまや再び主張されたのは、この取引においては保証された紙幣も、買手と売手とのあいだにおいてさえ、
たんなる約束にすぎない小切手とは異なり、支払い約束としてではなく確定的な支払いとして機能するからには、こ
の区別は買手と売手とのあいだの取引にはいかなる意義ももたないということである。この問題提起のすべては、社
会学的な事態に深くせまってはいない。社会学的な事態にとって疑いのないことであるが、金属貨幣もまた支払い約
束であり、そのかぎりそれが小切手と異なるのは、それの現金化を保証する圏の大きさによってのみである。社会的
な圏への貨幣所有者と売手との共通の関係||この圏のなかで履行されるべき給付にたいする貨幣所有者の要求、こ
の要求がみたされて支払われるであろうという売手の信頼||こそは、貨幣取引が物々交換とは反対に実現した社会
学的な状況である。
金属貨幣は信用貨幣の絶対的な対立物として理解されるのがつねであるが、実際には金属貨幣にも独特な仕方で絡
み合って二つの信用前提が潜んでいる。第一に日常の取引の内部においては、鋳貨の品位の吟味はごく例外的にしか
行われない。貨幣を発行する政府への公衆の信頼がなければ、あるいは時によっては鋳貨の名日目価値にたいしてその
実質価値を確定できる人びとへの彼らの信頼がなければ、現金取引さえ行うことができない。マルタの鋳貨の刻銘、
銅ではなく信頼 non aes sed fides>は、信頼という欠くことのできない補足をまったく見事に示し、信頼がなけれ
ばいかに完全な鋳貨もたいていのばあい、その機能を果たすことができない。まさに硬貨の受理についての理由の多
種多様性と度々の対立とが示しているのは、その客観的な証明力が本質的なものではないということである。アフリ
力のいくつかの地方ではマリア:テレージア銀貨は、それが本物として受け取られるためには白くてきれいでなけれ
ばならないのに、他の地方ではまったく脂じみ汚れていなければならない。しかし第二にそこになければならないの
は、いま受け取られた貨幣は同じ価値のためにふたたび支出されるという信頼である。ここでもまた不可欠で決定的
であることは、《銅ではなく信頼〉||経済圏への信頼であり、経済圏は提供された価値量を、そのために受け取っ
た中間価値である鋳貨と引き替えに、いかなる損傷もなくふたたびわれわれに補償するということである。このよう
に二つの側面から信頼をあたえることなしには、だれも鋳貨を使用することができないであろう。この二重の信頼に」
してはじめて不潔でおそらくは識別しがたい鋳貨に一定の価値量をあたえる。人間の相互の信頼がなければ一般に社
返信削除パサージュ論4岩波文庫
430
の直接税を、選挙権を得るには三〇歳で三〇〇フランの直接税を納めていなければなら
なかった。(支払いを怠る納税者には兵営の男(兵士?)が一人割り当てられ、彼らは自
分たちの納税義務を清算するまでこの男の面倒を見なければならなかった。)
[a19, 3]
ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲ
ル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。
バランス ジンテーゼ
収支は総合ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れ
てはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者·社会学者)は付け加えている。ほか
の箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記に
も形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン·キュヴィリエ「マルク
スとプルードン」(「マルクス主義に照らして』I、パり、一九三七年、一八〇l-八一ページ)
[a19, 4]
「聖家族」でのマルクスは、プルードンの次のような根本思想がすでにイギリスの経済
学者サドラーにょって一八三〇年に述べられていることに気づいている。プルードンは
言う。「「労働者たちの連合と調和や、彼らの努力が集中し、同時に働いた結果として生
孫引きだが、サドラーにベンヤミンは集合力の優先権があるという
ジンメル貨幣の哲学にもベンヤミンは批判的
#4
248-253
唯物論なら集合力を認めるべきだ
信用貨幣論を唯物論で排除し、肝心なところで現実を見ない
返信削除ベンヤミン
5-1,2
435
436-7
474
475
545
肉体労働関連
返信削除パサージュ論4岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないという疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。
[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。
[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00STLN8S8/
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00STLN8S8/
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
742:
Bei den Choleraepidemien bezichtigten die Leute die Spirituosenhändler der Schuld an der Infektion. [U 14 a, 2]
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
返信削除パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版より印象としてつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00STLN8S8/
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
742:
Bei den Choleraepidemien bezichtigten die Leute die Spirituosenhändler der Schuld an der Infektion. [U 14 a, 2]
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
クナップ1905が序文で言及
返信削除著者序文
技術に於ては遙かに予を凌駕した、 併し予の観る所では、共著作の構造が透徹的であることは充分
稱讚することが出来ない。他の學生フィリップ・カルクマン Philipp Kalkmann は、 英國、和蘭及
瑞西に關する研究によつて予の知識の範圍を著しく大した。若し彼が共内に他の職に従事しなか
つたならば、子は飲んで彼と提携したであらうに。
一八九五年の秋は、伯林で試みた連講義に於て、初めて予の直観をより明瞭に顕はさんと全て
た。即ち一國の貨幣を認識するには、一般的受領強制でなく、公金庫に於ける受領を標準とするこ
且本位を選ぶには、金属の性質に準備せず、商業政策上重要なる隣國の爲替相場にするよう
合目的な影響を目標とすることである。
其後間もなくゲオルグ・ジンメル Georg Simmel は『貨幣の哲學』 “Philosophie des Geldes," Leipzig
1900, を公刊した。併し此才氣渡測たる著述は本來貨幣それ自身を取扱ふものではなく、貨幣經濟
の社會學的方面を取扱ふものであるから、予の仕事は共作に對す六角逐と見ることが出来ない。
オット・ハイン Otto Heyn は一八九四年に『外國取引に對し金準備を有する紙幣本位』“Papierwäh-
rung mit Goldreserve für den Auslandsverkehr 1894,と題する著作を公にしたるが、手はジンメル
に對するより以上にハインと親密な間柄を感じてある。彼は政治記者的に力をした、而して彼は
實際に受けたより以上の注目を惹くべき資格はないであらう。
Stattliche Thorie des Geldes
https://archive.org/details/staatlichetheor00knapgoog/page/n8
英語
https://socialsciences.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/knapp/StateTheoryMoney.pdf
英語版序文にはケインズへの謝辞あり
ケインズ『貨幣改革論』1923『貨幣論』1930:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html
____
https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%9B%BD%E5%AE%
9A%E5%AD%A6%E8%AA%AC&viewRestricted=0&viewRestricted=2&viewRestricted=3
クナップ 貨幣国定学説 1922 岩波書店
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971256
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971256/15
返信削除かく‐ちく【角逐】 〘名〙 (「角」は勝負を争うの意) 互いに争うこと。 せり合うこと。 競争。
https://kotobank.jp>word>角逐-460510
角逐とは - コトバンク
返信削除債権の譲渡
ジンメル
貨幣の哲学
第二章
3
188頁
《本来の貸付人のみではなくこの証券の持参人も取り立てへの権利をもつという債務承認の条項は、すでに中世に現れているが、しかしこれは証券の価値を譲渡するためではなく、債権者の代理人による取り立てを容易にするためであった。証券のこのたんなる形式的な流動化は、リヨンの取引所において流通したフランスの〈白地手形〉においてより事実的な流
動化となった。 これはその様式からはなお個別的な債権者を指示するが、しかし彼の名前は記入されてはいない。しかし名前が空欄に書き込まれるや、 債権者はいまや個別に決定される。 純粋な無記名証券による本来の商取引は、 十六世紀にアントワープではじまった。われわれの知るように、はじめ無記名証書が特別の譲渡なしに支払いに使用されたころ、満期日にしばしば兌換がそれに拒否されたため、皇帝の命令が無記名証券の原理的な有効性を確立しなければならなかった。 ここにわれわれはきわめて明確な段階的連続をもつ。》
返信削除債権の譲渡
ジンメル
貨幣の哲学
第二章
3
188頁
《本来の貸付人のみではなくこの証券の持参人も取り立てへの権利をもつという債務承認の条項は、すでに中世に現れているが、しかしこれは証券の価値を譲渡するためではなく、債権者の代理人による取り立てを容易にするためであった。証券のこのたんなる形式的な流動化は、リヨンの取引所において流通したフランスの〈白地手形〉においてより事実的な流動化となった。 これはその様式からはなお個別的な債権者を指示するが、しかし彼の名前は記入されてはいない。しかし名前が空欄に書き込まれるや、 債権者はいまや個別に決定される。 純粋な無記名証券による本来の商取引は、 十六世紀にアントワープではじまった。われわれの知るように、はじめ無記名証書が特別の譲渡なしに支払いに使用されたころ、満期日にしばしば兌換がそれに拒否されたため、皇帝の命令が無記名証券の原理的な有効性を確立しなければならなかった。 ここにわれわれはきわめて明確な段階的連続をもつ。》
返信削除を鋳貨と対立させ、たんに鋳貨のみを貨幣にしたがって計算されるあの「指図証券」であると説明し、他方で貨幣そ
のものはすべての財産価値にとっての観念的な尺度にすぎないとする。 それゆえここではマルケン貨幣の原理が一般
的な理論となり、貨幣は純粋な形式と関係概念へときわめて観念化され、ために貨幣はもはや具体的な現実とはけっ
して一致せず、むしろ貨幣と具体的な現実との関係は、抽象的な法則と経験的な事例との関係に等しいにすぎない。
右にあげた出来事において価値測定の機能は実体的な担い手からは分離された。すなわち計算鋳貨は金属鋳貨にたい
しいわば意図的な対立において現れ、その地位を金属鋳貨の彼方に確立する。 ここで問題となる関係においては観念
的な貨幣も良い貨幣と同じ職務を果たす。 それというもの良い貨幣さえここでまさに良いのはたんにその機能、 すな
わち良い貨幣の助けによって行われる価値測定の安定性によってのみであるからである。
ところでこのことはさらに、等価物が貨幣の本質的な職務のひとつとしての価値の流動化を際立たせるかぎりは、
等価物による貨幣価値の代表へと通じる。 交換手段、価値尺度、価値貯蔵手段などとしての貨幣の意義が、その最初
の微々たる状態からそのいわゆる実体価値にまさる優勢へとより成長すればするほど、ますます貨幣はまさに金属形
式とは別の形式においてもまた地上に流通することができる。そして同じ発展、貨幣の制限された硬直性と実体的な
固定性からのこの代理物への発展は、さらにこれらの代理物そのものの内部にも現れる。たとえば個人から個人へあ
てられる記名債務証書から無記名証券への発展がそうである。 以下ではこの発展の段階が追及される。 本来の貸付人
のみではなくこの証券の持参人も取り立てへの権利をもつという債務承認の条項は、すでに中世に現れているが、し
かしこれは証券の価値を譲渡するためではなく、債権者の代理人による取り立てを容易にするためであった。証券の
このたんなる形式的な流動化は、リヨンの取引所において流通したフランスの〈白地手形〉においてより事実的な流
動化となった。 これはその様式からはなお個別的な債権者を指示するが、しかし彼の名前は記入されてはいない。し
かし名前が空欄に書き込まれるや、 債権者はいまや個別に決定される。 純粋な無記名証券による本来の商取引は、 十
六世紀にアントワープではじまった。われわれの知るように、はじめ無記名証書が特別の譲渡なしに支払いに使用さ
れたころ、満期日にしばしば兌換がそれに拒否されたため、皇帝の命令が無記名証券の原理的な有効性を確立しなけ
ればならなかった。 ここにわれわれはきわめて明確な段階的連続をもつ。 問題の価値は個別的に規定された債務証書
債権の譲渡性は
返信削除ゾンバルトも指摘
1863-1941
1902年には代表作である『近代資本主義』を完成
PDF
https://core.ac.uk>download>pdf
ヴェルナー・ゾンバルトのユダヤ人観の一断面(2) - CORE
この形式を支えるものは、債権の安全性が保証されていること、すなわち債務の履行が確実. なことである。そうでなければ、譲渡しようとしても譲渡される側に拒否される ...
PDF
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp>bitstream>keizaigakuronshu_28_1
Title ヴェルナー・ゾンバルトと信用創造理論の系譜
ゾンバル. トの認識では,「盛期資本主義時代」における債権・債務関係は,もはや個々の人格性を媒介にし. て成立するものではあり得ず,その関係は「脱人格化 ...
PDF
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp>bitstream>keizaigakuronshu_29_15
Title ヴェルナー・ゾンバルトの株式会社論-民主的資本調 達 ...
たそうした物的資本の収益請求権は,貨幣や貨幣証券と同様,容易に他者へと譲渡されうる。 ... 債権者と債務者,出資者と企業ないしその経営者との間の関係が未だ人格的な ...
ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart、1863年1月19日 - 1941年5月18日)は、ドイツの経済学者・社会学者。ドイツ歴史学派最後の経済学者。ドイツ的社会主義を提唱 ...
返信削除他所者の無記名証券による隠匿―― ヴェルナー・ゾンバルトのユダヤ人観の一断面(2) 恒木 健太郎
https://core.ac.uk/download/pdf/71798215.pdf
3.出頭回避と匿名――裏書可能手形から白地手形へ いまいちど序章末尾40 で紹介した引用文に返ることにしたい。その後半部には以下のような記述がある。
無記名証券は、ある地域のユダヤ人共同体からの迫害のうねりが過ぎ去るまで、〔ユダヤ人の〕財産を見えないようにすることを可能にした。無記名証券によってユダヤ人は、自らの貨幣を随意にどこかに預けて危険にさらされた瞬間に藁人形(Strohmann)をつうじてそれを消し去ることが、あるいはそれまで彼らが占有していた痕跡をまったく残さずに自己の債権を移譲する(übertragen)ことが、できるようになった。
まず、前章で出た問題点41 を別の角度から考えてみよう。無記名証券における偽名の使用は財産を没収する根拠を自ら与えるようなものである。できれば避けたい。ならば、そうした荷受などの場所に出なければ安全である。しかし、どうすればそのようなことが可能になるのだろうか。 荷受せずに財産を確保する方法――それは、自分が所持している債務証書を譲渡することや、債権回収、それと等価の代金を確保してしまうことである。そうすれば、荷受などの場所にわざわざ危険覚悟で行く必要がなくなる。では、どのようにしてこれが可能になるのか。それは、手形の形式のなかにある、というのがゾンバルトの主張である。 (1) 民族共同体と交易生活 そのことを考察する前に、ユダヤ人が債権の移譲にこだわった理由は単に財産の隠匿だけではなかったことを指摘しておきたい。なぜユダヤ人は債権の移譲にかなう手形の形式にこだわったのか。それは名前の隠匿のためだけではない。一つには、ユダヤ人のおかれた経済状況40 拙論「他所者の無記名証券による隠匿――ヴェルナー・ゾンバルトのユダヤ人観の一断面(1)」、本誌277 号、5~6頁。なお、以下〔 〕は引用者による注記である。
42 Sombart, Werner. Die Juden und das Wirtschaftsleben, Leipzig, 1911, S. 92. 金森誠也/安藤勉訳『ユダヤ人と経済生活』荒地出版社、1994年、137頁。
ユダヤ人と経済生活 (講談社学術文庫) Kindle版
返信削除ヴェルナー・ゾンバルト (著), 金森誠也 (翻訳) 形式: Kindle版
返信削除ファクター制度
国内外の貿易や問屋制家内工業における販売代理制度の総称。
綿花ファクター、砂糖ファクター、毛織物ファクター、奴隷ファクターなど購買者(顧客)に中長期に渡る延べ納品を約束した一種の信用制度。
Sealed Bill について、調べているうちに、以前に考えていて、途中で放り出していたファクター制度についての上村能弘さんの論文を読み直した。
「譲渡可能な債務」というのがどのような進化の過程で生まれてきたのか、を歴史の事実に即して考えて行くには、ファクター制度の考察が重要なのだろう。
マル経原論的には、 商業資本から銀行資本へ、 というような理論で総括されるのだけれども、 いままではその具体的なプロセスについては、あまり考えてこなかった。
「16-17 世紀のイングランドにおいて債権の譲渡を阻んでいたものは,徴利を禁ずる神の教えというよりも, コモン・ローの原則であった」
と書いている。 その理由は無体財産だから、としか書いていない。 無体財産だとなぜ譲渡できないのか。 ただし、 商人裁判所とコモン・ロー裁判所とで違うようだ。イギリス特有の事情があったのだろう。
ファクター制度とロンドン宛“内国”為替手形 上村能弘
https://www.eco.nihon-u.ac.jp/about/magazine/shushi/pdf/89_02/89_02_04.pdf
しかし、為替は元来は外国為替だったので、コモン・ローには従う必要はな
かったと。その結果 (?)、 やがてイングランドでも為替手形が裏書き譲渡
されるようになる。
これに対し、債務証書の裏書き譲渡が法的に認められるのは18世紀になってからだが、商人たちは債務証書を為替手形を意図的に混同させて、裏書き譲渡していたとのこと。
「最終的には 1704 年の 「約束手形法 (Promissory Notes Act)」によっ
て、債務証書の譲渡性についても議会法のかたちで公式に認められるように
なった」
ベストアンサー
このベストアンサーは投票で選ばれました
zuo********
2013/8/1 16:41
国内外の貿易や問屋制家内工業における販売代理制度の総称ですね。綿花ファクター、砂糖ファクター、毛織物ファクター、奴隷ファクターなど購買者(顧客)に中長期に渡る延べ納品を約束した一種の信用制度です。
PDF
1. https://www.eco.nihon-u.ac.jp>about>magazine>shushi>pdf
た委託荷販売制度(ファクター制度)の主な仕組. みや歴史的な特徴を,その起源に触れながら明ら. かにしようとするものである.18 世紀の西イン.