夏目漱石の『趣味の遺伝』一面
漱石の初期作品集『漾虚集』のなかにあるこの『趣味の遺伝』は後の作品群に枝葉となって生きています。新潮文庫では『倫敦塔・幻影の盾』の最後にあります。この作品は明治39年1月10日発行の雑誌「帝国文学」に発表されました。(ということは前月12月頃書かれたものです。この日付を記憶に留めて下さい)★
底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年9月11日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
★
一
陽気のせいで神も気違 になる。「人を屠 りて餓 えたる犬を救え」と雲の裡 より叫ぶ声が、逆 しまに日本海を撼 かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応 えて百里に余る一大屠場 を朔北 の野 に開いた。すると渺々 たる平原の尽くる下より、眼にあまる
狗 の群 が、腥 き風を横に截 り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍 りして「血を啜 れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く
の舌は暗き大地を照らして咽喉 を越す血潮の湧 き返る音が聞えた。今度は黒雲の端 を踏み鳴らして「肉を食 え」と神が号 ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆 え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛 を啣 えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々 たる雲を貫 ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛 むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具 わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙 を鳴らして骨にかかる。ある者は摧 いて髄 を吸い、ある者は砕いて地に塗 る。歯の立たぬ者は横にこいて牙 を磨 ぐ。
怖 い事だと例の通り空想に耽 りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門 を通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?
陽気のせいで神も
狗
…
三
老人と面会をした後 には事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量に違 わず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外淡泊 で毫 も平生と異 なる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多 に聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日 、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議 をする必要を認めておらん。けれども御母 さんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬと跳 ねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うを敢 てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露 する不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻しても埓 はあかん。自 ら才子だと飛び廻って得意がった余も茲 に至って大 に進退に窮した。とどのつまり事情を逐一 打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧 がある。
御母さんの仰 せには「近頃一人の息子を旅順で亡 くして朝、夕淋 しがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡 的口吻 を弄 して旨 を伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母 さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌 をたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参 をしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向 けたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。
余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕 へ飛び込んだきり上 って来ない。誰も浩さんを迎 に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦 まじき様 を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。
御母さんの
余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは
底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年9月11日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
★
「趣味の遺伝」とは奇妙なタイトルです。この「趣味」がこの小説全体を蔽ってます。
書き出しから奇妙です。主人公である「余」は日比谷の図書館の帰りに新橋へやってきます。そこで凱旋した兵士(日露戦争で勝利した)行列に遭遇します。歓迎の民衆が万歳を叫んでいます。しかし「余」は目の前を通る一人の将軍を見て「万歳」の声が出せなくなりました。
「小石で気管が塞がれた様でどうしても万歳が咽喉笛へこびり付いたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。・・・・然し今日は出してやろうと先刻から決心していた」
「余」も他のひとと同じように戦勝を祝いたい気持ちがありました。しかしその将軍の姿が「色の焦げた、胡麻塩鬚の小作りな人」で見ていると「胸の中に名上しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫ばかり涙が落ちた」のです。それは「戦は人を殺すかさむなくば人を老いしむるもの」であると感じたのです。戦場の風に吹かれ、雨に打たれ、日に焼けて、顔は黒ずみ白髪が増えるのは当然の事でしょう。
「余」は万歳の声が、戦場での「吶喊」に聞こえてきます。吶喊とは死ぬか生きるかという際どいおりに自然発生的に湧きあがる声です。戦場で「わあー」という叫び声を映画などで見た記憶があると思います。歓声とは異質の切羽詰まった雄叫びのようなものです。
さらに「余」は知り合いの「浩さん」を思い出します。浩さんは戦死しました。吶喊を上げて戦場を走り、穴に飛び込んだかと思うと出てきません。「余」はその状況を想像します。凱旋で戻ってきた兵士に飛びかかった老いた母親を眼にして浩さんのおっかさんの気持を察します。あの一人の将軍を見て「万歳」をいえずに流した涙のわけはここにもありました。これは漱石唯一の「反戦小説」といっても良いでしょう。
さらに民衆の興奮にも眼を向けています。提灯行列に浮かれた民衆はいつの時代にもあります。しかしすべて目出度いはずはありません。戦場で砲弾に当たって倒れたもの。また銃剣で敵兵を刺したもの。戦争はすべて殺し合いです。勝利して得るものは何でしょうか。日露戦争は日清戦争ほど戦利品がありませんでした。庶民の生活も苦しく、その不満が日比谷の交番焼き打ち事件として広がりました。
漱石はそこまでは書いていませんが「余」が興奮から醒めたのはこうした民衆の行動にも大きな衝撃とやり切れなさを感じています。先程この小説が書かれた日付に注意して下さいといったのはこの事です。民衆が浮かれているなかで冷静に事態を目撃していたひとがいたことを漱石は語りたかったのです。
さらにこの「一人の将軍」を乃木希典と誤解している批評家が多いことです。私の持つ新潮文庫の注釈にはこの「一人の将軍 乃木大将のことと思える」(紅野敏郎)と記しています。
実は大岡昇平の「漱石と国家意識 『趣味の遺伝』をめぐって」を読むまでこれに気づきませんでした。
この「趣味の遺伝」が書かれたのは、前にいったように38年12月のはじめです。ポーツマス条約で戦争が終わったのが9月、国民は賠償金が取れないのが不満で、日比谷の交番を焼打する。11月29日まで戒厳令が敷かれていました。
こういった記述のあと将軍の描写をさして「よく乃木大将に擬せられることがありますが、乃木はこの時まだ帰っていません。彼の新橋着は39年1月14日です」と注意を喚起しています。漱石が執筆した時期は戒厳令が解かれたあとであり、だからこそ雑誌に発表ができたのでしょう。さらに戦地に赴いた将軍は乃木だけでなく幾人かいたのです。多くの犠牲を出した戦争でした。どの将軍も部下を失い「万歳」の声に応えることができなかったはずです。
『趣味の遺伝』はこれだけではありません。浩さんの墓参りをする女性がいます。
浩さんの遺品の手帖を母親から借りてきた「余」はその記述のなかに郵便局で出来わした女性のことがありました。「余」はその女性と浩さんとに関係に興味を持ちます。それは推理小説仕立てにもなっているのです。浩さんとその女性の祖父母の時代に繋がるのです。中途半端で申し訳ありません。あとはこの小説を読んで欲しいと思います。さらにこれから読む方の為にもこれ以上語るのは控えましょう。
返信削除yoji2020年9月9日 0:45
カーベス・リード - Wikipedia
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Carveth_Read
彼の著書『論理学』の第4版の序文では、彼の重要な影響をこう述べています。演繹法と帰納法』(1920年)の第4版の序文では、彼が受けた重要な影響を明らかにしている。彼は次のように述べている。「この作品は全体的には、ミルの学派に属していると考えることができる。生きている作家の著作の中では、ベンの経験的論理学とケインズの形式的論理学が最も助けになった」[9]論理学の第22章で、リードは次のように述べています:「正確に間違っているよりも、曖昧に正しい方が良い」。
カーベスはまた、人間の進化について書いたリード。彼は狩猟仮説の初期の提案者だった - 人間の知性は、他の類人猿よりも多くの狩猟を行った類人猿の血統の出現のおかげで進化したという考え[10]。
カーベス・リード
カーヴェス・リード(Carveth Read、1848-1931)は、19世紀と20世紀のイギリスの哲学者・論理学者。
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yoji2020年9月9日 0:52
リードに関して
漱石が「趣味の遺伝で
言及
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=39197&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1&page_id=13&block_id=83
馬場ミカ
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yoji2020年9月9日 0:59
漱石 趣味の遺伝
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1104_14948.html
3
なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯しょうがいの仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡うちで近頃出版になった英吉利イギリスのリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子ひょうしか、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど
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yoji2020年9月9日 1:00
を見出すプロセスそのものに焦点をあててみたい。「余」は、亡友と寂光院の女の関係を明らかにする方法がなかなか見つからず窮してしまい、気分を変えて「先達中からの取調物を引き続いてやる事」にする。「近頃余の調べて居る事項は遺伝と云ふ大問題である」といい、「メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘツケルの議論だの、其弟子のヘルトウイツヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云ふて居る」と生物学者や社会進化論者の名を列挙するが、実際に手にして読み、「寂光院事件」以来の謎を「遺伝」で解決するというインスピレーションを得るきっかけになっているのは「近頃出版になつた英吉利のリードと云ふ人の著述」である。だがこれは実は遺伝学でも進化論の本でもない。それもあってか先行論で言及されたことはないに等しい。リードについて『漱石全集』第二巻(平成六・一 岩波書店)の注(松村昌家担当)には「Read, Carveth(1848-1931)イギリスの哲学者。経験主義的認識論に立ちつつ、汎心論的世界観をいだく」とある。なぜ遺伝の研究をしている「余」がこのリードの本を読んでいるのか。「余」が遺伝学を科学者のように実践するということを示したいならば、列挙した遺伝論者たちだけで十分である。「元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云ふ問題に関して専門上の智識は無論有して居らぬ」と断言しており、「好奇心が挑発」されているのは「其起原発達の歴史やら最近の新説やすくなくとも「趣味の遺伝」が書かれた段階では、何が遺伝するのらを一通り承知したいという希望」ゆえである。つまり、「
馬場ミカ
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yoji2020年9月9日 1:04
占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後のちに認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生ふもみしょう以前に受けた記憶と情緒じょうしょが、長い時間を隔へだてて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚ほれるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆さかさにする訳にもならん。不思議な現象に逢あわぬ前ならとにかく、逢おうた後のちにも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入しゅつにゅうして互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜ひょうぼうする趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。
余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣きづかいはない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方おおかたこんなものだろうと独ひとりでいい加減にきめて見る。自宅うちの渋柿は八百屋やおやから買った林檎りんごより旨うまいものだ。
底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年9月11日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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yoji2020年9月9日 1:08
『趣味の遺伝』は夏目漱石の1906年の小説である。『帝国文学』の1906年1月号に掲載され、『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』『琴のそら音』『一夜』『薤露行』とともに『漾虚集』に収められ、大倉書店・服部書店から1906年5月に刊行された。日露戦争の出征兵士を題材にした、厭戦的な小説である。
趣味の遺伝
作者
夏目漱石
国
日本
言語
日本語
ジャンル
短編小説
発表形態
雑誌掲載
初出
『帝国文学』 1906年
収録
『漾虚集』1906年
Portal.svg ウィキポータル 文学
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あらすじ 編集
「陽気の所為で神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。」と書き出される。「余」は新橋の停車場で凱旋する兵士を迎える群集に行き会った。将軍の風貌や帰還した下士官を迎えて喜び合う「婆さん」の姿に感慨をおぼえる一方で、「余」は旅順で戦死した「浩さん」のことを思い出す。小説では旅順の戦場での攻撃のありさまと戦死の場面が描かれる。別の日、「浩さん」の遺髪が埋葬されている寂光院にお参りに出かけ、「浩さん」の墓に向かって合掌している美しい女性に出会う。浩さんの母親の家で、彼の日記を読み、生前郵便局で一度出会っただけの女性と惹かれあったことを知る。その一目惚れの原因を先祖に求めて調べると、河上才三という武士と、美しい娘が相愛になって婚約するが、御上の意向によって仲を裂かれた話があって、才三の孫が浩さんであり、寂光院の娘は婚約者の子孫で2人はその祖先によく似ていたことがわかる。その後、娘は息子を失って悲しみに暮れていた浩さんの母親と時々会うようになり、「丸でお嫁さんの様に」仲がよくなった。
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