2022年12月8日木曜日

ニコラス・バーボン Barbon, Nicholas, 1696:再考

ニコラス・バーボン Barbon, Nicholas, 1696

貨幣切り上げは17世紀のイギリス、18世紀のフランスで議論(ガリアーニが言及)になったようだ。
ロックとバーボンが論争している。酒の名ではない。
バーボンはマルクスが引用している。
中世に議論があったかは調査中。貨幣改鋳(=ソロンによる標準変更?)に関する議論なら古代ギリシアからあったようだ。

参考:

Demosthenes デモステネス 前384-前322 信用貨幣論の始祖 
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/07/blog-post_14.html

Della Moneta - Ferdinando Galiani, 貨幣論 ガリアーニ 1751
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/12/della-moneta-wikipedia.html 

ジンメル『貨幣の哲学』(1999^1900)
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/06/blog-post_19.html

ドナルド・ダックの伯父(&フェリックス・マーティン)

(ジンメル、クナップ、インガム、レイ、F・マーティンが示したように金属主義は信用主義に内包される。)


ロック=ラウンズ論争再論―イマジナリー・マネーとしてのポンドの観点より

楊枝嗣朗

https://core.ac.uk/download/pdf/59164871.pdf

141:

貨幣の価値が流通していた鋳貨の内在価値に依存していなかったという明白な事実,ならびに,1694年末以降の急激な物価・地金価格・為替相場の変動という経緯から,かの有名なロック=ラウンズ論争をいかに理解すればいいのであろうか。貨幣価値は何によって規定されていたのであろうか。1696年の改鋳までの過程を簡単に見ておこう。



144:

1695年1月には両院に鋳貨と地金輸出に関する委員会が設置され,下院の委員会は,3月14日に,銀貨の鋳造価格を5s.2d.を5s.6d.へ9%切り上げる“Fourteen  Propositions”を発表した。4月12日には,盗削摩損鋳貨保有者を補償する決議もなされ,この時点までに,平価切下げが政府の公式見解とみなされたからである。8月に「14の決議」に沿って,銀貨改鋳案の作成を命じられたウィリアム・ラウンズは,銀貨鋳造価格の6s.5d.へ20%の引き上げを主内容とするかの有名な報告書(A Report containing an Essay for the Amendment of the silver Coins,12September)を書き上げ,9月末,摂政会議(the Council  of Regency)に提出した。以上の経緯が,94年末から事態の急変を招いたのである。ラウンズ報告を受け,摂政会議は,あらためて各界の人々の意見聴取をおこない,ジョン・ロック,チャールズ・ダブナント,クリストファー・レン,ジョン・ウォリス,アイザック・ニュートン,ギルバート・へスコート,ジョサイア・チャイルド,ジョン・ウブロン,チャールズ・チェンバレン,ジョセフ・ハーン,ジョン・アスジル,アブラハム・ヒル等の意見の具申を受けた。ほぼ全員が,切り下げ反対であった。最も注目されるロックの見解は,10月23日と,10月30日に提出され,国王の鋳造価格維持の意向を受け,閣議は,ロックの意見に沿った銀貨改鋳を決定し,ラウンズに計画作成を命じた。そして,この旧平価改鋳への舵の切り替えによって,為替相場は好転している。12月はじめに旧平価での改鋳案が上院,下院で質疑され,17日に法案が提出される。12月27日にはロックの有名な“Further Considerations Concerning  Raising  the Value of Money”が公表され,そして,翌年1月17日に旧平価復帰という形での銀貨改鋳法案(An Act for Remedying  the Ill State of the Coin)が下院を通過し,21日に国王の裁可を得て,成立した。



147:

ロックの基本的立場は,鋳貨の外面的価値(extrinsic value,通用価値)がそれに含まれる地金の量(intrinsick value)によって規定されるというものであるが,しかしながら,当時,両者にはまったく関連は見られず,そのこと自体は,ひとびとの常識であった。


174:

むすびにかえて

 第4図は,ヨーロッパの計算貨幣(imaginary money)の銀重量の変化を示している。イングランドの計算貨幣の銀重量は,エリザベス世の改鋳以来,流通銀鋳貨の摩損盗削にもかかわらず,ほとんど一定に維持されてきたことを知りうる。これまでの察からも,17世紀後半の銀鋳貨の大きな摩損にもかかわらず,何故に,物価,金銀地金価格,為替相場がそれに相応した変動を示さなかったことが理解されよう。含有銀量の減少した鋳貨(real money)は価格や為替の標準機能を果していたのではなかったのである。したがって,銀貨のintrinsic価値を重視するRestorationistのロックやウブロンらが,摩損鋳貨流通のもとで,すべての契約,取引,販売は,完全重量の貨幣のintrinsic価値に基づいて行われていると述べる意味も明白である。

 さらに,1694年末から95年にかけて事態が急変した理由も,明らかである。94年11月の議会の始まり,95年1月に組織された下院委員会がまとめた3月14日のFourteen Resolutionsにより,計算貨幣(imaginary money)ポンドの切り下げが公式見解とされたからである。したがって,1695年の物価,地金価格,為替相場の動向は,ダヴナントのいう戦争による需給逼迫,軍事送金の必要性からだけでは,説明がつかないであろう。また,第3図に見られるように,9月末に摂政会議にラウンズ・レポートが提出されて以降の為替相場の逆転は,計算貨幣のポンド価値を維持することに政府方針が変更されたことから説明されよう。

 かくして,摩損鋳貨が価格や為替の標準機能を果していなかったのであるから,物価,地金価格,為替相場の変動幅が,鋳貨の摩損率と関連をもっていなかったことは当然であった。The Pound Sterlingがimaginaryであり,そして,imaginaryのものがrealな働きをし,realな摩損鋳貨がimaginaryな存在に転じていたのである。





176:

 実務に精通したDevaluationistやRestorationistは,ともに,当時の貨幣価値の有り様を十分に理解していたと推測される。したがって,両者の事実認識にはそれほど大きな乖離はなかったはずである。しかし,厳しい論争は,それぞれの利害を背景に,Devaluationistはポンドの計算貨幣性,すなわち,そのimaginaryな性格に注目し,貨幣価値を外部から与えられるextrinsicなものとみた。他方,Restorationistは,貨幣がimaginary moneyであっても,それが時々において,一定重量の地金量に結び付けられていたことを重視し,貨幣価値をintrinsicとみたのである。とは言え両者は,ともに計算貨幣と実際の交換・支払手段たる金属とは分離した存在であることを理解していたのである。

 かくしてDevaluationistやRestorationistは,計算貨幣の抽象的性格を把握していたと思われる。しかしながら,その後の金本位制度の成立が貨幣金属説を定説としたため,貨幣価値の抽象性,計算貨幣の価値の外部性についての理解は,20世紀の金兌換停止前後の,イネスやクナップまで待たねばならなかった。

 以上の貨幣をめぐる歴史的かつ理論的問題,すなわち計算貨幣と交換・支払手段の分離は,今日の不換中央銀行券を不換国家紙幣とみるか信用貨幣とみるかといった議論や,さらには,国際通貨規定をめぐる議論にも深く関わっているのであって,貨幣価値の抽象性という観点からあらためて論議される必要があろう。


観念的貨幣尺度説批判の再検討* ―1819年のアトウッド書簡によせて 結城剛志

https://sucra.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=18139&item_no=1&attribute_id=24&file_no=1&page_id=64&block_id=114

《本稿の課題は「観念的貨幣尺度説」(Marx 1961,  60 / 訳 59)というマルクス(Marx,  K. 1818-83)の計算貨幣論の把握が,その後の貨幣論の論争史にたいして意外な副作用をもたらしていることを確認し,マルクスが着目している1819年のアトウッド(Attwood,  T.  1783-1856)に立ち戻って「観念的貨幣尺度説」という把握の妥当性を点検することにある(1)。》

《,ステュアートの計算貨幣は金銀から切断されたものではない。もっとも,これらの先行研究では,ステュアート説を「貨幣の観念的度量単位0000000説」(Marx  1961,  60/訳59)と呼び,アトウッド説を「観念的貨幣尺度説」と呼ぶ,マルクスの整理に注意が払われているわけではない。 計算貨幣論では三重の問題が争われている。計算貨幣において尺度としての価値を商品経済との関連性において認めるか否か,またその関連性の内実としての価値を労働実体に見いだすか否か,という価値内在説における問題と,まったく価値の内在性を認めない「純粋に抽象的な計算貨幣」(Ingham  2004,  40)を主張する立場とである(6)。》

《マルクスは,不換下での銀行券流通を擁護したアトウッドの計算貨幣論を「観念的貨幣尺度説」と呼び,その観念性を批判した。しかし,マルクスの「観念的貨幣尺度説」規定は必ずしも適切とはいえないものであるため,Attwood (1816,  1817,  1818)に関説しつつ,専らマルクスが着目していたと思われるAttwood (1819a, 1819b) の検討を通じてその内実を明らかにすることは無意味であるとはいえないだろう。》


bs001-01_『資本論』の「共通なもの」
http://www.marx2019.com/bs001-01.html

 『資本論』第1章第1節 
     (商品価値の実体解明-表現方法・形式について)
 『資本論』第1章第1節



<3> 商品の交換関係の内部-共通なものは-商品の使用価値からの抽象である
    -ちょうど同じだけのものとなる
1-9 この共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性であることはできない。商品の形体的属性 körperlichen Eigenschaften は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、し たがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において 、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である。この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。あるいはかの老バーボンが言って いるように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違 または差別がない(原注8)。」

ロック-ラウンズ・バーボン論争
http://www.marx2016.com/bs-rok_babon-ronsou.html

マルクスは、『経済学批判』(B貨幣の度量単位に関する諸学説)において、ロック-ラウンズ.バーボン論争を分析・紹介し、また『資本論』では、第1章第1節に続き、第3章貨幣または商品流通(注62)、(注85)、(注109)、(注112)においてラウンズ・バーボン論争を検討している。 

 商品価値をめぐる多様な現象形態から資本形態にいたる道すじの出発点に、このロック-ラウンズ.バーボン論争が位置づけられているのである。 イギリス議会では、1844年サー・ロバート・ピールの銀行条例に関する議会討論、1858年に開かれた銀行委員会の二つの特別報告でも「貨幣の価値論」全般について激しい論争が繰り広げられた。


第1章 ロック-ラウンズ論争の背景

 イギリス経験論哲学の創始者ジョン・ロックは、1683年からオランダで亡命生活を送っていたが、1688年名誉革命が起きると、1689年に帰国。経験論哲学と政治哲学を通して、経済学の成立に大きく寄与していた。1690年代の前半に貨幣に関するパンフレット(法定利子率引下げと銀貨幣標準変更の貨幣問題-利子論争、鋳貨論争)を発行して、経済論争の中心人物となった。


1. ロック-ラウンズ論争の背景となった銀貨幣の「削り取り」状況をジョン・ロック『利子・貨幣論』翻訳者の田中正司の解説を要約すると、銀貨幣の削り取り状況について「当時のイングランドはいわゆる銀本位制で、銀貨幣が計算貨幣として使われていたが、1663年以降はギニーと呼ばれる金貨も同時に発行され流通していたのであった。
このギニー金貨は、そのときどきの市場価格でシリング銀貨と交換することが認められていたが、金銀比価が金に有利であったため、銀貨や銀器は鋳つぶして地銀として海外に輸出した方が得になり、その結果きびしい禁令にもかかわらず、銀の海外流出と、そのための銀貨の削り取りが活発に行なわれたのであった。
 この削り取りは、削損されていないギニー金貨の価値を一段と高めることになったが、削損貨幣の量は1695年には 全銀貨の6分の4に及び、各個片の重量も削り取りの結果半分前後に減っていたといわれるほどであった。」

 「1694年から事態は急激に悪化し、95年にはついに大幅なギニー金貨の急騰が生じた。その原因は、実際には削り取りそれ自体にではなく、その結果としての貨幣不足の解消と政府の財政救済のためのイングランド銀行券の大量発行に基づく信用インフレのためにおこった物価騰貴にあったと考えられるが、こうした事態の急迫の中で下院の委員会による銀貨幣10%減価〔銀成分を10%減少〕案や元の標準での貨幣改鋳案が出されるなどして、パンフレットや請願の洪水をみるに至った。」


2. 『経済学批判』 B 貨幣の尺度単位に関する諸学説によると 「商品が価格として、ただ観念的に金に、したがってまた金がただ観念的に貨幣に転化されるという事情は、貨幣の観念的な尺度単位という学説を生んだ。価格規定においては、観念的であるにすぎない金または銀が、すなわちもっぱら計算貨幣としての金及び銀が、機能するので、ポンド、シリング、ペンス、ターレル、フラン等々の名称は、金または銀の重量部分、あるいはとにかくそれに対象化された労働を言い表わしているのではなくて、むしろ観念的な価値原子を表わしている、というように主張された。
したがって例えば、1オンスの銀の価値が騰貴すれば、それはこのような原子をもっと多く含むことということになり、したがってもっと多くのシリングで計算され、鋳造されなければならないというのである。
この主張は、イギリスの最近の商業恐慌の間にまた行なわれるようになり、その上に、議会では1858年に開かれた銀行委員会報告の付録となった2つの特別報告にあらわれているが、そのはじめは17世紀の終わりである。ウィリアム3世の即位当時に〔すなわち名誉革命の時代のこと〕、”イギリスの1オンスの銀鋳造価格は、5シリング2ペンスであった。・だが、銀の市場価格は、その鋳造価格を越えて、6シリング3ペンスにのぼった。”・・・その謎は簡単にとけた。
当時流通していた560万ポンド・スターリングの銀貨のうち、400万は磨滅したり、削られたり、はがされたりしていた。22万オンスの重量をもっているはずの5万7200万ポンドの銀貨は、14万1000オンスの重さしかないことが、ある検査でわかった。

鋳貨は常に同一の尺度標準で鋳造されたが、実際に流通する軽いシリングは、その名目が示すより小さな1オンスの加除部分しか示さなかった。 だから、この小さくなったシリング貨は、市場で銀塊の一定オンスに対して支払われる場合には、より多い分量が必要となった。」 このようにして生じた混乱の結果、全部改鋳するということが決定された時、大蔵大臣のラウンズはこう主張した。「
1オンスの銀の価値は騰貴した。したがって1オンスは将来はこれまでのように5シリング2ペンスにではなくて、6シリング3ペンスに鋳造されるべきである」と。


第4章 バーボンによるロックへの反論  


 『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、ロック氏の「考察」に答えて』
(以下、『再考察』と省略)
 
ジョン・ロックのラウンズ批判論文『再考察』に対して、翌96年、バーボンが『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、ロック氏の「考察」に答えて』を刊行して、論戦に参加した。ここで、バーボンの人物像となる特異な経済・貨幣理論の持論をまえもって、紹介しておこう。1690年にバーボンは著書『交易論』を刊行していたが、この著書は、ロックの「銀貨幣の内在的価値理論」との対比がとてもよく浮き上がってくるのである。


Ⅰ. バーボン『交易論』 A Discourse of Trade 1690年
1. 交易Trade および交易の資材 Stock ないし商品 Wares について
2. 商品の量と質について Of the Quantity and Quality of Wares
3. 商品の価値と価格について Of the Value and Price of Wares
4. 貨幣、信用および利子に」ついて Of Money, Credit and Interest
5. 交易の役目と便益について Of the Use and Benefit of Trade
6. 交易を促進する主要な諸原因について Of the Chief Causes that Promote Trade

7. イングランドにおける交易の衰退・および地代の下落・の主要な原因について
 以上7つのテーマによって、バーボンの持論が展開されている。
 ここでは、ロックに反対する論点を支えてい
るバーボン理論について提示しよう。


1. 交易とは財を造ること、および一種の財を他種の財と引替えに売ること、をいう。
2. すべての商品の量は度量衡によって知られる。度量衡は国々によって確立されたものであり、
 それが交易に害を与えることはない。
 交易業者はかれが取引する土地の価格について用いられている度量衡を承知している。


交易論 (1966年) (初期イギリス経済学古典選集〈2〉) - 


以下、マルクス『資本論』より


1:1:1

(二) 「願望をもつということは欲望を含んでいる。それは精神の食欲である。そして身体にたいする飢餓と同じように自然的のものである。大多数(の物)が価値を有するのは、それが精神の欲望を充足させるからである」(ニコラス・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策。ロック氏の「考察」に答えて』ロンドン、一六九六年、二・三ページ)。

(三) 「物は内的な特性 ​vertue」​(これはバーボンにおいては使用価値の特別な名称である)「をもっている。物の特性はどこに行っても同一である。例えば、磁石は、どこにいっても鉄を引きつける」(前掲書、六ページ)。磁石の鉄を引きつける属性は、人がその性質を利用して磁極性を発見するにいたって初めて有用となった。

(七) 「どんな物でも内的価値というようなものをもつことはできない」(N・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策』六ページ)、またはバットラのいうように、 
 「物の価値なるものはそれがちょうど持ち来すだけのものである。」

 この共通なものは、商品の幾何学的、物理学的、化学的またはその他の自然的属性であることはできない。商品の形体的属性は、本来それ自身を有用にするかぎりにおいて、したがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である。この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の各使用価値と、それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。あるいはかの老バーボンが言っているように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違または差別がない。」 

(八) 「一商品種は、もし価値が同一であれば、他の商品種と同じものである。同一価値の物には相違も差別も存しない。一〇〇ポンドの価値のある鉛または鉄は、一〇〇ポンドの価値ある銀や金と同一の大いさの交換価値をもっている」(N・バーボン、前掲書、五三・五七ページ)。



ロック-ラウンズ・バーボン論争
マルクスは、『経済学批判』(B貨幣の度量単位に関する諸学説)において、ロック-ラウンズ.バーボン論争を分析・紹介し、また『資本論』では、第1章第1節に続き、第3章貨幣または商品流通(注62)、(注85)、(注109)、(注112)においてラウンズ・バーボン論争を検討している。 

 商品価値をめぐる多様な現象形態から資本形態にいたる道すじの出発点に、このロック-ラウンズ.バーボン論争が位置づけられているのである。 イギリス議会では、1844年サー・ロバート・ピールの銀行条例に関する議会討論、1858年に開かれた銀行委員会の二つの特別報告でも「貨幣の価値論」全般について激しい論争が繰り広げられた。

1:3:1

(六二) 『経済学批判』五三ページ以下の「貨幣の尺度単位にかんする諸理論」〔ディーツ版『全集』第一三巻、五九ページ以下。岩波文庫版、九一ページ以下。新潮社版『選集』第七巻、九九ページ以下〕参照。「鋳造価格」を引上げたり、または引下げたりしようという妄想、それは、法的に確定された金または銀の重量部分にたいする法的貨幣名を、国家の力で、より多量のまたはより少量の重量部分に移し、これによって例えば四分の一オンスの金を二〇シリングとするかわりに、将来四〇シリングに鋳造しようということにあるのであるがこのような妄想は、それが国家債権者または私的債権者にたいする拙劣な財政操作でなく、経済学的「奇跡治療」を企てるかぎりにおいては、ペティが、『貨幣漫筆。ハリファックス侯爵へ。一六八二年』において論じつくしている。だから、すでに彼の直接の後継者たるサー・ダッドリ・ノースやジョン・ロックのような人々も、ずっと後の人々はいわずもがなであるが、彼の議論をせいぜい浅薄なものにする程度のことを、述べるほかなかったような次第である。彼はなかんずくこう述べている、「一国の富が、一つの法令によって一〇倍にされうるようなことがあるならば、こんな法令が、わが政府によって、すでにはるか以前に発布されなかったことは、おかしなことである」(同前、三六ページ)。

1:3:2c

(八五) 金と銀とが、鋳貨として、すなわちもっぱら流通手段としての機能において、自分自身の標章となるということから、ニコラス・バーボンは、政府の「貨幣価値を高める」権利を導き出す。すなわち、例えば、グロシェンという一定量の銀に、ターレルというようなより大きな銀量の名称を与え、かくして債権者にターレルのかわりに、グロシェンを返済する権利を導き出すのである。「貨幣は磨滅する。だから、幾度か支払っているうちに軽くなる。取引で人々の関心をもつのは、貨幣の名称であり、相場であって、銀の量ではない。金属を貨幣とするのは国家の権威である」(N・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策』二九・三〇・二五ページ)。

1:3:3c

(一〇九) 超過した貿易差額を金および銀をもって決済することが、世界貿易の目的であると論じている重商主義にたいする反対者は、彼らの側では、世界貨幣の機能を、全く誤解していた。流通手段の量を規制する諸法則のった見解が、貴金属の国際運動のった見解に反映されているにすぎないということを、私は詳細にリカードについて、証明しておいた(『批判』一五〇ページ以下〔ディーツ版『全集』第一三巻、一四三ページ以下。岩波文庫版、二二三ページ以下。新潮社版『選集』第七巻、一七七ページ以下〕)。彼のったドグマはこうだ、「不利な貿易差額が出てくるようになるのは、流通手段の過充によるという以外にはない。鋳貨の輸出は、その低廉なことによって起こる。そしてそれは、不利なる貿易差額の結果でなくして、原因である」というのであるが、したがってこれは、すでにバーボンに見出される。「貿易差額なるものは、もしあるとすれば、貨幣が一国から輸出される原因ではなくして、この輸出が、各国における貴金属地金の価値の相違によって生ずるものである」(N・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策』五九ページ)。マカロックは、『経済学文献、分類目録』ロンドン、一八四五年、において、この先見についてバーボンを褒めている。しかし、バーボンにすでに現われている「通貨説」の不合理な諸前提の幼稚な形態には、ただ言及するだけでも用心深く避けている。かの目録が無批判なだけでなく、不正直ですらあるということは、貨幣理論の歴史にかんする節で、絶頂に達している。というのはマカロックは、ロード・オーヴァストン(先の銀行家ロイド)を​facile​ ​princeps​ ​argentariorum​〔銀行家の中の定評ある王者〕と名づけて、ここで彼の追従者として、しっぽを振っているからである。

(一一二) 「為替相場は、各週騰したり低落したりする。一年のある時期には、一国の為替は低落し、他の時期にはその国にとって、同じく騰する」(N・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策』三九ページ)。

以上岩波文庫
。。。。

ピックアップ

1:3:2:c

…商品の交換価値を独立的に表示するということは、ここではただ瞬過的な事柄である。それはただちに再び他の商品によって置換えられる。したがって、貨幣が単に象徴的に存在するということも、貨幣がたえず一方の手から他の手に離れ去ってゆく一過程においては、充分なのである。貨幣の機能的な存在が、いわばその物質的な存在を吸収する。商品価格の瞬過的に客観化された反射であるから、貨幣はなおただ自分自身の標章として機能し、したがって標章によっても置換えられうる(85)。ただ貨幣の標章は、それ自身、客観的に社会的に通用しうるということが必要となる。そして、紙券象徴はこれを、強制流通力によって得るのである。この国家強制が行なわれるのは一公共体の境界線の示す流通部面、または国内の流通部面内だけのことであって、また貨幣が、流通手段としてまたは鋳貨としてのその機能に、全く解消することができるのも、この限られた流通部面だけのことである。したがって、ここでだけは、紙幣となって、その金属実体から外的に分離された、そして、単に機能的な存在様式を、得ることができるのである。 


(85) 金と銀とが、鋳貨として、すなわちもっぱら流通手段としての機能において、自分自身の標章となるということから、ニコラス・バーボンは、政府の「貨幣価値を高める」権利を導き出す。すなわち、例えば、グロシェンという一定量の銀に、ターレルというようなより大きな銀量の名称を与え、かくして債権者にターレルのかわりに、グロシェンを返済する権利を導き出すのである。「貨幣は磨滅する。だから、幾度か支払っているうちに軽くなる取引で人々の関心をもつのは、貨幣の名称であり、相場であって、銀の量ではない。金属を貨幣とするのは国家の権威である」(N・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策』二九・三〇・二五ページ)。[p.29,30,28の間違いだろう]

岩波文庫版資本論①より


Discourse concerning coining the new money lighter. 
In answer to Mr Lock's considerations about raising the value of money 
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

ニコラス・バーボン
『新貨幣をより軽く改鋳することに関する論究:
ロック氏の貨幣の価値の引上げについての考察に答えて』(1696年)






p.28~29

Besides, there is a greater reason for the Value of the Money; because by the Authority of the Government it is made current and lawful Money, and every body is ob∣lig'd to take it; and therefore no person can be a loser by taking of it, because another person is to take it of him again for the same Value.

The Stamp upon the Money is the Seal of the Government; so that if there was not a Law to make it current, and had only the King's Seal or Stamp upon it, it ought ra∣ther to have a better, or at least the same Va∣lue as a Bank Note, or any Private Person's Bond or Seal; which only shews, that the person whose Note or Seal it is, is oblig'd to pay or exchange it. And it there were no other obligation from the King's Stamp than to show that the King would take it in his Re∣venue, it would give it a sufficient currency, tho' there were no Law to make it current.


その上、お金の価値 には もっと大きな理由があり ます。 政府の権威によって、それは現在の合法的な お金に なり、誰もがそれを受け取る義務があるからです。したがって、別の人が同じ 価値のために再びそれを奪うことになるため、誰もそれを奪うことによって敗者になることはできません。

貨幣の印  は政府の印である。そのため、それを現行のものにする法律がなく、国王の印章または切手しかない場合は  、銀行券またはその他の民間銀行券よりも優れた、または少なくとも同じ価値を持つべきです。人の債券または印鑑; これは、紙幣または印章の所有者がそれを支払うか交換する義務があることを示しているだけです。そして、国王の印紙は、国王がそれを歳入に回すことを示す以外の義務はなく、法律がなくても十分な通貨となる。


。。。


( 25 ) Commerce and Traffick; and refufeth Gold and all other Metals, becauſe he allows them to be Commodities which rife and fall in their Value, and therefore not fit to make Money of. This is grounded upon the fup- pofition, that there is an Intrinfick Value in Sil- ver, and therefore do's not alter its Price. As to the Intrinfick I have already anfwer'd; and as to that, whether Gold and Copper are not as fit to make Money of as Silver, I'll leave it to thoſe that continually take them in Pay- nts, to give a reaſon why they take fuch Money, if they did not think the Value of them to be as good as the Silver Money. Money at all times, and in all places, has been made of Copper and Gold : And if they ſhould not be allow'd as Money, there would not be enough left to carry on Com- merce and Traffick. 'Tis the Publick Authority upon the Metal that makes it Money; and without fuch Au- thority, Silver would no more pafs for Money than Gold. There can't be a plainer demon- ftration of this, than by what appears fince the Parliament has been debating about New Coining of the Money, and fctling the Value of the Guineas: For, before their meeting, the Clipt Money pafs'd currant, as if it were Unclipt. But their Confiderations about calling of it in, prefently put a ftop to the currancy …


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is seldom above Sixpence or Eight pence in Five shillings, being not above a Tenth part more than the Value of the Metal, when an old piece of Coin grown scarce, is seldom less than double the Value; and some of them exceed ten, twenty, and a hundred times the Value of the Metal. A Mill'd Crown of Oliver's is now worth Twenty shillings to be sold; and an Otbo's Head, and some other Roman Coins, are worth a hundred times the Value of the Metal that bears the Impres∣sion. Besides, there is a greater reason for the Value of the Money; because by the Autho∣rity of the Government it is made current and lawful Money, and every body is ob∣lig'd to take it; and therefore no person can be a loser by taking of it, because another person is to take it of him again for the same Value. The Stamp upon the Money is the Seal of the Government; so that if there was not a Law to make it current, and had only the King's Seal or Stamp upon it, it ought ra∣ther to have a better, or at least the same Va∣lue as a Bank Note, or any Private Person's Bond or Seal; which only shews, that the person whose Note or Seal it is, is oblig'd to pay or exchange it. And it there were no other obligation from the King's Stamp than to fhow that the King would take it in his Revenue, it would give it a fufficient currency, tho' there were no Law to make it current. 

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 (29) to fhow that the King would take it in his Re- venue, it would give it a fufficient currency, tho' there were no Law to make it cur- rent. It is the currancy of the Coin that all men regard more than the quantity of th: Siver in it: For the difference of the Fineneſs of the Silver, and the number of the grains in each piece of Silver, few perfons are acquainted with. Not one in a thoufand can tell how many grains of fine Silver there are in a Crown, Halfcrown, Shilling, or Sixpence. Therefore, to what purpofe fhould the Stamp be fet to be a Voucher to the Weight and Fincnefs, as Mr. Locke affirms, which no per- fon inquires after or defires to know. 'Tis the Currant and Lawful Money of England that men contract for, and oblige themfelves in their Bonds to pay and if it were the quantity of Silver in the Money that men re- garded, they certainly would exprefs it in their Bonds and Contracts; and have Taid Currant and Lawful Money contain- ing fo many Ounces and Grains of fine Silver, For, Monry do's wear and grow lighter by ufien telling over fo that if it were true, that 'tis the quantity of Silver in the Money that men give, take, and contralt for in ixchange for all etber Commodities, they ought to make their Bargains to be paid in Money Coin'd fuch and


 ( 30 ) and fuch a year, and fo fet the Price of their Goods according to the Date of the year the Money was Coin'd in: Or elfe they will lofe more by the difference in the quantity of Silver, by the age and wearing of the Money, than the profit by the Goods amounts to. For 'tis very plain, that the old Unclipp'd Broad Money of England is worn Ten per Cent, lighter than the new-Mill'd Mo- ney: So that if the quantity of the Silver in the Money were to be regarded, it would make Ten per Cent. difference in the profit of the Bargain. And yet no man will deny, but that the Broad Unclipp'd Money will buy as many Goods of the fame Value, as the New-mill'd Money will do: And that all Bonds and Contracts are as well paid and fatisfied by fuch old Money, as by the new. It is the Denomination and Currency of the Money that men regard in Bargaining, and not the quantity of Silver: For in all parts of Europe men buy and fell by the Deno- mination of feveral forts of Money, both of Gold and Silver, that were formerly currant, but now out, of Ufe, and not in being: As by feveral forts of Dollars, Guilder-Pieces, Florens, Marks, Nobles, and Groats of England, &c. For when Prin- ces are forced by the rife of Bullion to raife their Coin and make their Money lighter, they

 




 ( 25 ) 商業と密売:金や他のすべての金属は、その価値が上がったり下がったりする商品であり、したがって貨幣を作るには適さないとして、これを拒否している。これは、銀にはイントリンフィックの価値があり、それゆえその価格を変えることはないという信念に基づいている。金や銅が銀と同じように貨幣としてふさわしくないかどうかについては、それらを継続的に受け取っている人たちに、なぜそのような貨幣を受け取るのか、もし彼らが銀貨と同じように価値があると考えなければ、その理由を説明することを委ねよう。いつの時代も、どんな場所でも、お金は銅と金で作られてきました。もし、これらをお金として認めなければ、商業や貿易を行うのに十分な量が残らないでしょう。金属に対する公的な権威がそれを貨幣にするのであり、そのような権威がなければ、銀は金以上に貨幣として機能しないであろう。このことを端的に示すものとして、議会が貨幣の新造とギニアの価値の偽造について議論している様子ほど、わかりやすいものはないだろう。というのも、議会が開かれる前、切り詰めた貨幣は、切り詰めないのと同じように安定的に動いていたのである。しかし、彼らはそれを呼び出すことを検討し、その前に貨幣の流動性に歯止めをかけた・・・



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…は5シリングで6ペンスまたは8ペンスを超えることはめったになく、金属の価値の10分の1を超えることはありません。希少になった古い貨幣は、その価値の2倍を下回ることはめったになく、中には金属の価値の10倍、20倍、100倍を超えるものもあります。オリバーの王冠は現在20シリングで売られていますし、オッポの頭やその他のローマの貨幣は、刻印のある金属の100倍の価値があります。その上、貨幣の価値にはもっと大きな理由がある: 政府の権威により、現行の合法的な貨幣とされ、誰もがこれを手にすることができる。したがって、これを手に入れて損をする者はいない、別の者が同じ価値で再びその者から奪うことができるからである。貨幣に押された印は政府の印である。従って、もし貨幣を現行化する法律がなく、国王の印のみであれば、銀行券や個人の債券や印と同等かそれ以上の価値があるはずである。これは、その債券や印の持ち主が支払いや交換の義務があることを示すに過ぎない。また、国王の印鑑による義務は、国王がそれを歳入に計上することを示す以外になく、現行法によらずとも、十分な通貨を与えることになる。


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 (29)国王がそれを歳入に入れるということは、それを現行化する法律がないにもかかわらず、十分な通貨を与えることになるのである。すべての人が貨幣の量よりも重視するのは、貨幣の流動性である。貨幣の流動性である。銀の微粉の違いや、それぞれの銀貨の粒の数については、ほとんどの人が知らないからだ。王冠、半王冠、シリング、6ペンスに含まれる細かい銀の粒が何個あるかは、千分の一の人も知ることができない。したがって、ロック氏が断言するように、切手は重量と精度を示す証票として何の役に立つのだろうか。人々が契約し、債券で支払いを義務付けているのは、英国の現行かつ合法的な貨幣であり、人々が貨幣に含まれる銀の量を評価するのであれば、債券や契約の中でそれを表現することは間違いないだろう。そして、多くのオンスと細かい銀の粒を含む通貨と合法的なお金を持っています。もしそれが本当なら、人がすべてのエターナル商品と交換するために与え、取り、契約するお金の中の銀の量であり、彼らは彼らの交渉が多くのコインで支払われるようにする必要があり、モンリは、UFJによって摩耗して軽くなっています


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 (また,貨幣が鋳造された年の日付にしたがって,商品の価格を決める。あるいは、貨幣の経年変化や摩耗による銀の量の差によって、商品による利益よりも多くの利益を得ることになる。なぜなら、イギリスの古い切れのない紙幣は、新しい紙幣よりも10パーセント軽く磨耗しているからです。したがって、貨幣に含まれる銀の量を考慮すれば、取引の利益には10パーセントの差が生じることになる。しかし、広義の非切札は、新切札と同じように多くの名声のある商品を買うことができることを否定する人はいないでしょう。また、すべての債券や契約は、新札と同様に旧札でも十分に支払われ、満足できるものである。人々が交渉で重視するのは貨幣の額面や通貨であり、銀の量ではない。ヨーロッパのすべての地域で、人々は金と銀の両方で、以前は通用したが、現在は通用せず、存在しない、いくつかの貨幣の額面によって売買しているからである。ドル、ギルダーピース、フローレン、マーク、ノーブル、そしてイギリスのグロートなど、さまざまな通貨がある。なぜなら、王侯は地金の暴落によって、貨幣を暴落させ、貨幣を軽くすることを余儀なくされたからである。 


A discourse concerning coining the new money lighter in answer to Mr. Lock's Considerations about raising the value of money / by Nicholas Barbon 1698

https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2022/12/esq.html


 https://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=eebo;idno=A30882.0001.001


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https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A30882.0001.001/1:4?rgn=div1;view=fulltext


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Page 21 with the Silver Pence of England, and the rest of the small Silver monies of other Coun∣tries, it will be found almost impossible for the Merchant or any one else to keep an ac∣count of the quantity of Silver in each piece of Coin. This difference in the Standards of the several Mints, and in the unequal division of their money, shews plainly that there is no common agreement about the quantity of Silver in their Coins, and that Mr. Lock is mistaken if this be his meaning of the Intrin∣sick Value of Silver, by the Estimate which com∣mon consent hath placed on it, by the quantity of Silver in their Coins. If the measure of Commerce and Traffick were by the Quantity of Silver in the Coin, the Governments would certainly have a∣greed to have made their money of fine Sil∣ver without any Allay, and to have divided it into pieces of equal weight; or, if it had been necessary, to have put in some Allay, that the money might bear the impression the better, which is the Reason that Mr. Lock gives for doing it; all the Mints by this time would have certainly found out and agreed in that proportion which is most con∣venient for that purpose, or at least the greatest number of them. And therefore I cannot agree to his Reason for putting in an Allay; and the rather, because I have seen Page 22 some Medals made of fine Silver that have bore the impression very well, and look'd more beautiful than the Stamp of any New-coin'd money. And anciently in Eng∣land, from Osbright the Saxon King, to Ed∣ward III. the money was without any Allay. And the Coin of the Great Mogul is now made of all fine Silver, and bears the Stamp very well. Besides, It seems to be the only Reason for making the money of such different Al∣lays, that the quantity of Silver in each piece, and the mystery of the Mint, might not be easily discovered, and the money not be va∣lued after the price of Bullion, and thereby prevent the Merchants, and those that deal in Bullion, from buying and selling the Coin, and melting it down upon a sudden rise of Bullion. And this might reasonably be thought a way to prevent it, because the knowledge of the different Allays▪ and fine∣ness of Gold and Silver, is a mystery that belongs only to a small number of men that deal in it; who are either Moniers that be∣long to Mints, or Goldsmiths that serve an Apprenticeship to acquire skill in it; and yet, perhaps, not all of those acquainted with the Chymical part of the mystery▪ the know∣ledge of refining and essaying of Silver and Gold; but content themselves to judge of the difference of the fineness of the several Page 23 Coins by the Touchstone, and colour of the Metal. And it will yet more plainly appear, That men do not buy and sell by the quantity of Silver in the Coin, if it be consider'd, that the Merchants and Traders buy and sell all their Commodities by weight or measure, and often make their Contracts by the price of what one Yard, or one Pound will a∣mount to; which price is generally for an odd sum of money, as Two-pence-farthing, Three-pence-farthing, Half-penny▪ Three Farthings, &c. And that the loss of a Far∣thing in the Pound or Yard by the Par of the money, if they were to buy or sell by the quantity of Silver, would make a great alte∣ration in the profit of the Bargain in a great sum, and much greater in the making of many Bargains, and a continued Trade; since it appears that there is no money with∣out fractions in the grains of Silver. Besides, It is no advantage to a Merchant to make a computation of the quantity of Silver in the several Foreign Coins: For he always makes up the Accompt of the Profit or Loss, by the mony of the Country where he lives; and there can be no Accompt made up, till the effects of his Commodi∣ties, which he sends out, are return'd. And if his Goods are sold by money not of the same Par to the Coin of his own Country, Page 24 yet if such money buys the same quantity of Goods as the Coin of his own Country would do, it will be the same thing to him as if the money was Par, and that there was an equal quantity of Silver in the money that bought those Goods. For Instance: If an English Merchant sends into Portugal so many Serges, or other Commodities, as cost him here an hundred pounds, and they should be sold for the Reas, which is the Copper mo∣ney of that Country, or other Coin of un∣equal Par; and with that money Portugal Wines are bought, and sent over into England: The Merchant makes up the Accompt when the Wines are sold, and if they produce him an hundred and twenty pounds clear of all charge, he gets twenty pound by the return. And 'tis to no purpose for him to take an Accompt of the difference of the Par be∣twixt the Portugal and English Coin, or whether his Goods were sold for Copper or Silver money. If the Par of monies was to be reckon'd by the Quantity of Silver in each piece, and that men made their Bargains only for the quantity of Silver, to what purpose is there any Copper money coin'd? which, reckoning one Country with another, is a third part of all the money in Europe. It's true, Mr. Lock will not allow any other but Silver money to be the measure of Page 25 Commerce and Traffick; and refuseth Gold and all other Metals, because he allows them to be Commodities which rise and fall in their Value, and therefore not fit to make Money of. This is grounded upon the sup∣position, that there is an Intrinsick Value in Sil∣ver, and therefore do's not alter its Price. As to the Intrinsick I have already answer'd; and as to that, whether Gold and Copper are not as fit to make Money of as Silver, I'll leave it to those that continually take them in Pay∣ments, to give a reason why they take such Money, if they did not think the Value of them to be as good as the Silver Money. Money at all times, and in all places, has been made of Copper and Gold: And if they should not be allow'd as Money, there would not be enough left to carry on Com∣merce and Traffick. 'Tis the Publick Authority upon the Metal that makes it Money; and without such Au∣thority, Silver would no more pass for Money than Gold. There can't be a plainer demon∣stration of this, than by what appears since the Parliament has been debating about New Coining of the Money, and setling the Value of the Guineas: For, before their meeting, the Clipt Money pass'd currant, as if it were Unclipt. But their Considerations about calling of it in, presently put a stop to the Page 26 currancy of it; because, by their Debates, the Value of it was made uncertain, and no man knew where the Loss would fall. And the same may be observ'd from their Debates about setling the price of Guineas; For Guineas, before their meeting, went currant at Thirty shilings; but, upon the House of Commons voting that they should not ex∣ceed Eight and twenty, every man present∣ly refus'd to take 'em for more. And upon another resolution, That they should not ex∣ceed Six and twenty, and not declaring at what price they should be currant, no man since will take them for more than Six and twenty, most refuse to take 'em at so much, and some refuse the taking of 'em at any price: So that Silver would no more pass for Money than Gold, unless the price of each piece were fixt by Publick Authority. The Argument that has been us'd to shew that 'tis impracticable to make up the Rar of the Coins from the quantity of Money in each piece, because of the great difference in the Standard; the unequal division of the Mo∣ney, and the Infinite number of fractions in the quantity of Silver in every piece, is of use to prove that the Par of Monies is from the Valuation that each Government sets up∣on their Coin: Or else there could be no Bargain made upon an equal foot, there being Page 27 such a certain difference in the Quantity of the Silver in the several Coins, which could never be remedied unless publick Authority had fixt the Value to their Money, by which all those Fractions and Inequalities in the se∣veral Coins are even'd. And one piece of Money is as good as another in the Countrey where each piece is Coin'd according to the Valuation that is set upon it, which is describ'd by the Stamp and Size of the piece, tho' they differ greatly in the Quantity of Silver. Now if it be true in it self, That nothing has a Value or Price: That the Value of all things arises from their Use, it will be no strange Consequence that Money should have a Value, from the great use of it, above the price of Bullion, or the Metal that bears the Impression: And that the Government should have power to set and fix a Value or Price up∣on their Money, as well as the Merchant and Trader upon their Goods and Wares: And that 'tis as reasonable to allow the Govern∣ment some Value for their Stamp upon their Money above the price of the Metal, as to pay the Goldsmiths for the Fashion of their Plate, or the Ingraver or Carver for the Impression on his Medal. And why should it seem so strange that a new piece of Coin should have a Value above the price of the Metal, which 

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is seldom above Sixpence or Eight pence in Five shillings, being not above a Tenth part more than the Value of the Metal, when an old piece of Coin grown scarce, is seldom less than double the Value; and some of them exceed ten, twenty, and a hundred times the Value of the Metal. A Mill'd Crown of Oliver's is now worth Twenty shillings to be sold; and an Otbo's Head, and some other Roman Coins, are worth a hundred times the Value of the Metal that bears the Impres∣sion. Besides, there is a greater reason for the Value of the Money; because by the Autho∣rity of the Government it is made current and lawful Money, and every body is ob∣lig'd to take it; and therefore no person can be a loser by taking of it, because another person is to take it of him again for the same Value. The Stamp upon the Money is the Seal of the Government; so that if there was not a Law to make it current, and had only the King's Seal or Stamp upon it, it ought ra∣ther to have a better, or at least the same Va∣lue as a Bank Note, or any Private Person's Bond or Seal; which only shews, that the person whose Note or Seal it is, is oblig'd to pay or exchange it. And it there were no other obligation from the King's Stamp than 

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to show that the King would take it in his Re∣venue, it would give it a sufficient currency, tho' there were no Law to make it cur∣rent. It is the currancy of the Coin that all men regard more than the quantity of the Siver in it: For the difference of the Fineness of the Silver, and the number of the grains in each piece of Silver, few persons are acquainted with. Not one in a thousand can tell how many grains of fine Silver there are in a Crown, Halscrown, Shilling, or Sixpence. Therefore, to what purpose should the Stamp be set to be a Voucher to the Weight and Fineness, as Mr. Locke affirms, which no per∣son inquires after or desires to know. 'Tis the Currant and Lawful Money of England that men contract for, and oblige themselves in their Bonds to pay; and if it were the quantity of Silver in the Money that men re∣garded, they certainly would express it in their Bonds and Contracts; and have faid Currant and Lawful Money contain∣ing so many Ounces and Grains of fine Silver. For, Money do's wear and grow lighter by often telling over; so that if it were true, that 'tis the quantity of Silver in the Money that men give, take, and contract for in exchange for all other Commodities, they ought to make their Bargains to be paid in Money Coin'd such 

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and such a year, and so set the Price of their Goods according to the Date of the year the Money was Coin'd in: Or else they will lose more by the difference in the quantity of Silver, by the age and wearing of the Money, than the profit by the Goods amounts to. For 'tis very plain, that the old Unclipp'd Broad Money of England is worn Ten per Cent. lighter than the new-Mill'd Mo∣ney: So that is the quantity of the Silver in the Money were to be regarded, it would make Ten per Cent. difference in the profit of the Bargain. And yet no man will deny, but that the Broad Unclipp'd Money will buy as many Goods of the same Value, as the New-mill'd Money will do: And that all Bonds and Contracts are as well paid and satisfied by such old Money, as by the new. It is the Denomination and Currency of the Money that men regard in Bargaining, and not the quantity of Silver: For in all parts of Europe men buy and sell by the Deno∣mination of several sorts of Money, both of Gold and Silver, that were formerly currant, but now out of Use, and not in being: As by several sorts of Dollars, Guilder-Pieces, Florens, Marks, Nobles, and Groats of England, &c. For when Prin∣ces are forced by the rise of Bullion to raise their Coin and make their Money lighter, 21 ページ イングランドの 1 ペンス銀貨と、他の国々の残りの小額の銀貨では、商人や他の誰かが各ピースの銀の量を記録しておくことはほとんど不可能であることがわかります。コインの。いくつかの造幣局の規格の違いと、それらの貨幣の不平等な分割は、硬貨に含まれる銀の量について共通の合意がないこと、およびロック氏がこれを彼の意味するものであるとすれば誤解していることを明確に示しています。銀の本質的な価値は、共通の同意に基づいて設定された推定値によって、コインの銀の量によって計算されます。もし商業と取引の尺度がコイン中の銀の量であるなら、政府は確かに、同盟なしで純銀でお金を稼ぐことに同意したでしょう。そしてそれを同じ重さの断片に分けました。または、必要であれば、お金がより良い印象を与えることができるように、いくつかの路地に入れる必要がありました。これが、ロック氏がそうする理由です。この時までにすべての造幣局は、その目的に最も都合のよい比率、または少なくとも最大数の造幣局を確実に見つけ出し、同意していただろう。したがって、私は路地に入れる彼の理由に同意できません。というのは、私は上質の銀で作られたいくつかのメダルを見たことがありますが、それらは非常によく印象を与え、新しい硬貨の切手よりも美しく見えました. そして古代イギリスでは、サクソン王オスブライトからエドワード3世まで。お金には路地がありませんでした。大モーグルのコインは現在、すべて上質のシルバーでできており、スタンプがしっかりと付いています。その上、このように異なる Al∣lays のお金を稼ぐ唯一の理由は、各ピースのシルバーの量と造幣局の謎が簡単に発見されず、お金が評価されない可能性があるためです。これにより、商人や地金を扱う業者がコインを売買したり、地金が突然上昇したときにコインを溶かしたりするのを防ぎます。そして、これはそれを防ぐ方法と合理的に考えられるかもしれません。なぜなら、金と銀のさまざまな路地と精巧さの知識は、それを扱う少数の男性だけに属する謎だからです。Mints に所属する Moniers か、見習いとしてスキルを習得する Goldsmiths のいずれかです。それでも、おそらく、神秘の化学的部分に精通している者すべてではありません。しかし、試金石と金属の色によって、いくつかの硬貨の細かさの違いを判断することに満足しています。そしてさらにはっきりと見えるのは、人々がコインの銀の量で売買するのではなく、商人や商人がすべての商品を重量または測定で売買し、しばしば彼らの契約は、1 ヤードまたは 1 ポンドの価格で決まる。この価格は、通常、2 ペンス ファージング、3 ペンス ファージング、1/2 ペニー 3 ファージングなど、奇数の金額です。そして、彼らが銀の量で売買した場合、ポンドまたはヤードで、通貨の額面で、遠く離れたものを失うこと、取引の利益に大きな変化をもたらし、多くの取引を行い、取引を継続することで、はるかに大きな利益をもたらすでしょう。銀の粒子には端数のないお金はないように見えるからです。その上、いくつかの外国の硬貨の銀の量を計算することは、商人にとって何の利点もありません。なぜなら、彼は常に、彼が住んでいる国のお金によって、利益または損失の補填を補うからです。そして、彼が送り出した彼の商品の効果が返されるまで、補遺は作られません。そして、彼の商品が、彼自身の国の硬貨と同じ額面ではないお金で売られたとしても、そのお金が彼の国の硬貨と同じ量の商品を買うなら、それは同じことになるでしょう。彼はあたかもお金がパーであるかのように、そして、それらの商品を購入したお金には同量の銀があった. 例:英国の商人がポルトガルに大量のセルジュまたはその他の商品を送り、ここで 100 ポンドの費用がかかる場合、それらはその国の銅貨であるレアスまたはその他の通貨で売られるべきです。不等額; そして、そのお金でポルトガルのワインが購入され、イギリスに送られます。商人は、ワインが販売されたときに伴奏を構成し、彼らがすべての料金を差し引いて彼に 120 ポンドを生産した場合、彼は返品によって 20 ポンドを受け取ります。そして、彼がポルトガルとイギリスの硬貨の額面の差額や、彼の商品が銅貨で売られたか銀貨で売られたかについて、同意を得るのは無意味です。金額の額面が各部分の銀の量によって計算される場合、そして、男性は銀の量だけのために取引を行ったということですが、銅のお金はどのような目的で鋳造されているのでしょうか? これは、ある国を別の国と比較すると、ヨーロッパのすべてのお金の 3 分の 1 に相当します。確かに、ミスター・ロックは、銀貨以外が商業と交通の尺度になることを許しません。金と他のすべての金属を拒否します。なぜなら、彼はそれらが価値の上下する商品であることを許可しているため、お金を稼ぐのにふさわしくないからです. これは、銀には固有の価値があり、したがってその価格を変更しないという仮定に基づいています。内因性疾患については、すでに回答済みです。それに関しては、金と銅が銀ほどお金を稼ぐのに適していないかどうかについては、支払いで継続的に受け取る人に任せて、そのようなお金を受け取る理由を説明します。それらの価値がシルバーマネーほど良いとは思わなかった場合。いつでも、どこでも、お金は銅と金でできています。もしお金として認められなければ、商取引や流通を続けるのに十分な量が残っていないでしょう。それをお金にするのは、金属の公的機関です。そして、そのような権威がなければ、シルバーはゴールドと同じようにお金の代わりにはなりません。議会が貨幣の新しい鋳造について議論し、ギニーの価値を設定して以来、現れているものよりも、これを明確に示すことはできません。あたかも Unclipt であるかのように。しかし、それを呼び込むことについての彼らの考えは、現在それの通貨を止めました。なぜなら、彼らの議論によって、その価値が不確かになったからです。そして、損失がどこに落ちるか誰も知りませんでした。そして、ギニーの価格設定に関する彼らの討論からも同じことが観察されるかもしれません。というのは、彼らが会う前に、ギニア人は 30 シリングでスグリに行ったからです。しかし、庶民院が8と20を超えてはならないという投票を行うと、出席者全員がそれ以上のものを受け取ることを拒否した. そして別の決議では、彼らが6と20を超えてはならず、彼らがスグリであるべき価格を宣言しない.ある者は、いかなる価格であれそれらを受け取ることを拒否します: 各ピースの価格が公務員によって定められない限り、シルバーがゴールドと同じようにお金を通過しないようにするためです. それを示すために私たちが求めてきた議論は、基準に大きな違いがあるため、各ピースの金額か​​らコインのRarを構成することは実際的ではありません。Mo∣ney の不等分割と、すべての部分の銀の量の無数の端数は、通貨の額面が、各政府がコインに設定した評価からのものであることを証明するのに役立ちます。対等な取引はあり得ず、いくつかの硬貨の銀の量にそのような特定の違いがあり、公的機関が彼らのお金の価値を固定しない限り、決して是正することはできませんでした。いくつかのコインの端数と不等式は偶数です。そして、1 枚の貨幣は、その貨幣に設定された評価に従って各貨幣が硬貨化される国では、別の貨幣と同等の価値があります。作品のスタンプとサイズによって、シルバーの量が大きく異なります。さて、それ自体が真実であるならば、 何も価値や価格を持たないこと:すべてのものの価値はそれらの使用から生じること、それは奇妙なことではありません。地金、または印象を残す金属の価格: そして、政府は、彼らのお金の価値または価格アップを設定および修正する権限を持つべきであり、商人やトレーダーは、商品や商品に対して:金細工人に彼らのプレートのファッションに対して、または彫刻家または彫刻家に彼のメダルの印象に対して支払うのと同じように、政府が彼らのお金に彼らのスタンプに対して金属の価格以上の価値を認めるのと同じくらい合理的です. そして、新しい硬貨の価値が金属の価格よりも高くなければならないことは、なぜそんなに奇妙に思えるのでしょうか?古いコインが希少になった場合、金属はめったに価値の2倍以下になりません。その中には、金属の価値の 10 倍、20 倍、100 倍を超えるものもあります。オリバーのミルド クラウンは、今や 20 シリングの価値があります。オトボの頭やその他のローマの硬貨は、印影のある金属の価値の 100 倍の価値があります。その上、お金の価値にはもっと大きな理由があります。政府の権威によって、それは現在の合法的なお金になり、誰もがそれを受け取る義務があるからです。したがって、誰もそれを取って敗者になることはできません。他の人が同じ価値のために再びそれを奪うからです。貨幣の印は政府の印である。そのため、それを現行のものにする法律がなく、国王の印章または切手しかない場合は、銀行券またはその他の民間銀行券よりも優れた、または少なくとも同じ価値を持つべきです。人の債券または印鑑; これは、紙幣または印章の所有者がそれを支払うか交換する義務があることを示しているだけです。そして、国王がそれを受理することを示す以外に、国王の印紙からの義務がなければ、十分な通貨を与えることになるだろう。すべての人がその中のシヴァーの量よりも重視するのはコインの通貨である: 銀の精巧さの違いについては, そして、銀の各部分の粒子の数について、知っている人はほとんどいません。王冠、ハルスクロン、シリング、または 6 ペンスに純銀の粒がいくつあるかは、1000 人に 1 人もわかりません。したがって、ロック氏が断言するように、どのような目的でスタンプを重量と細かさのバウチャーとして設定する必要がありますか? これは、男性が契約し、債券で支払う義務を負っているイングランドのスグリと合法的なお金です。もし人々が気にするのが貨幣における銀の量であるなら、彼らは確かにそれを彼らの債券と契約で表現するだろう。そして、カラントと合法的なお金には、非常に多くのオンスとグレインの純銀が含まれていると感じました。というのは、お金は頻繁に話すことによって消耗し、軽くなるからです。もしそれが本当なら、その ' これは、人々が他のすべての商品と引き換えに与え、受け取り、契約する貨幣の銀の量である.貨幣が硬貨化された年の日付に応じた商品の価格: さもなければ、商品の金額による利益よりも、銀の量の差、貨幣の年齢と着用による損失の方が多くなります。に。というのは、イングランドの古い Unclipp'd Broad Money が 10 パー セントで磨耗していることは明らかです。新しいMill'd Mo∣neyよりも軽い:つまり、それが貨幣の銀の量であると見なされるべきであり、それは10パーセントになります. バーゲンの利益の差。それでも、だれも否定はしませんが、幅広い Unclipp'd Money が同じ価値の商品をできるだけ多く購入することを否定しません。新しい製粉されたお金が行うように:そして、すべての債券と契約は、新しいものと同じように、そのような古いお金によって十分に支払われ、満足されます。男性が交渉で考慮するのは、金の単位と通貨であり、銀の量ではありません。ヨーロッパのすべての地域で、男性は金と銀の両方の種類の通貨の単位で売買します。以前はスグリでしたが、現在は使用されておらず、存在していません。いくつかの種類のドル、ギルダーピース、フローレンス、マークス、ノーブル、およびイングランドのグロートなどのように。地金の台頭により、プリンセスがコインを上げてお金を軽くすることを余儀なくされた場合、銀の量ではありません: ヨーロッパのすべての地域で、男性は金と銀の両方のいくつかの種類の通貨の単位で売買しています。いくつかの種類のドル、ギルダーピース、フローレンス、マークス、ノーブルズ、イングランドのグロートスなどのように。地金の台頭により、プリンセスがコインを上げてお金を軽くすることを余儀なくされた場合、銀の量ではありません: ヨーロッパのすべての地域で、男性は金と銀の両方のいくつかの種類の通貨の単位で売買しています。いくつかの種類のドル、ギルダーピース、フローレンス、マークス、ノーブルズ、イングランドのグロートスなどのように。地金の台頭により、プリンセスがコインを上げてお金を軽くすることを余儀なくされた場合、


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タイトル: A discourse concerning coining the new money lighter. 
請求番号: 51-6 
著者: Barbon, Nicholas 
出版者: Richard Chiswell 
出版地: London 
発行日: 1696 
ページ数: 8 p.1.,96p. 
タイプ: Book
NII資源タイプ: Book
出現コレクション:ローダデール伯文庫 Lauderdale


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 〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)|Sakiya ARAKAWA|note

〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

見出し画像

はじめに

 以下では,ニコラス・バーボン(Nicholas Barbon, 1640–1698)著『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究:ロック氏の貨幣の価値の引上げについての考察に答えて』(ロンドン,1696年)(Nicholas Barbon, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London, 1696. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)の翻訳を試みる.

画像1

Barbon1696,京都大学法学研究科所蔵,京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

 マルクスは『資本論』の注の中で,バーボンのこの著作から何度か引用している.またケインズやシュンペーターのような経済学者たちも,バーボンから影響を受けたとされる.バーボンの著作は,経済学史において重要な役割を果たしている.バーボンの邦訳としては,『交易論』(東京大学出版会, 1966年)が出版されている.

 バーボンの著作からの画像の利用にあたっては,令和2年12月9日付で訳者(私)が京都大学法学部に特別利用願を申請し,令和3年2月1日付で山本敬三(京都大学大学院法学研究科長,敬称略)による承認のもと,特別利用許可をいただいた.書類申請の際には京都大学法学部図書室の辰野さんのお世話になった.申請に携わっていただいた皆様にあらためて感謝の意を申し上げる.

底本

Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London. (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)

ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

富,および諸物の価値について

 ロック氏の著作*1にある,貨幣価値の引き上げに反対する議論はすべて,「銀には内在的価値(Intrinsic Value)があり,それは一般的な同意が銀につけた価格または評価であり,それによって銀が他のすべての物の価値の尺度となる」*2という単純な仮定から引き出されている.このことが真実でなないならば,彼のすべての結果は間違いであるに違いない.
 そして彼が述べていることを証明するためには,〈〉(RICHES)一般を論じ,諸物の価値がいかにして生まれるのかを示す必要があるだろう.
 (Riches)とは,大きな価値のあるような,あらゆる物を意味する.
 価値(Value)とは,諸物の価格(Price)と解されるべきである.つまりそれは,どんな物も売却されるほどの値打ち(worth)があるということである.古い諺によれば,〔どんな物も〕売却されうるだけの価値がある(Valet quantum vendi potest).
 あらゆる物の価値は,その使用(Use)から生じる.
 何も使用しない物には,何らの価値もない.英語の慣用句にあるように,それらは何の役にも立たない(They are good for nothing)*3.
 使用することですべての物が価値を持つような二つの一般的使用がある.それは即ち,身体の諸欲求を満たすのに役立つか,精神の諸欲求を満たすのに役に立つかのいずれかである*4.
 身体の諸欲求を満たすための必要性から価値を有している諸物は,あらゆる種類の食べ物や自然物のように,生活を支えるのに役立つようなすべての諸物である.
 精神の諸欲求を満たすために役立つことによって価値を持つ諸物は,欲望を充足するようなすべての物であって(欲望(Desire)は欲求(Want)を含意している.欲望は精神の食欲であり,身体にとっての渇望と同様に自然なものである)*5そのようなものは,生活の安寧や喜悦や華美に貢献することによって,精神を充足するのに役立つ.
 これら二つの一般的諸欲求を満たすことによって,あらゆる種類の物が価値を持つ.だが,それらの中でも最も多くのものは,精神の諸欲求を満たすことによってその価値を持つ.最も価値のある諸物は,あらゆる種類の高級カーテン・金・銀・真珠・ダイヤモンド・そしてあらゆる種類の宝石などのように,生活の華美を飾るために使用される.それらは装飾したり着飾るために使用される.それらは富の徽章であり,それらは人びとの間の選好を明瞭に区別する役割を果たす.
 これら二つの一般的な諸欲求は,人類が生まれつき持っているものであり,人類にとってごく自然なものであるため,人類は自らが享受するものよりもむしろ自らが欲求するものによってよりいっそう区別される.貧しい男は一ポンド,金持ちの男は百ポンド,他の者たちは数千ポンド,ある君主は数千万ポンドを欲する.欲望と欲求は富とともに増大する.そこから,満足した人こそが唯一の富豪の人であるといえる.なぜなら彼は〔これ以上〕何も欲しないからである.
 身体の諸欲求を満たし生活を支える諸物は,実質的かつ自然的価値を持つと見做してもよいであろう.それらはいつでもどこでも価値のあるものである.そしてもしそれ自身のうちに内在的価値を持ち得る諸物があるならば,それらは畜牛とトウモロコシであろう.そしてそうであるがゆえに,賎民は家畜を数え上げる(Pauperis est numerare pecus)という諺によれば,古代の時代には富の計算は畜牛の数によって行われていたのである.
 金と銀には実質的な内在的価値があり,それらはひとえに富や財宝と見做されるべきである,という意見もある.
 これは,オウィディウスがミダースの物語によって反論しようと努めている古代の意見であったように思われる.バッコスはミダースにより饗宴でもてなしを受けたことから,返礼として,其方の望むものを何でも与えよう,と彼に話した.そして金こそ唯一の富であるという意見から,自分の触れるものは何でも金に変えてほしい,とミダースは望んだ.彼の願いは聞き入れられ,彼は歓喜した.だが,空腹になったことで,自らの過ちを確信した.なぜなら,彼がワインと肉に触れるやいなや,それらはすぐさま金に変わったからである.もしミダースがその渇きを癒すには金よりも水の方が価値があるという経験をした後,バッコスが自らの親切なもてなしのために川へ行水するよう彼をやり,彼の金を水へと転換するように彼を仕向けておかなかったとしたら,ミダースは餓死していたであろう.
 精神の諸欲求を満たす諸物は,ただ評判だけを頼りにしている想像上の価値,すなわち人工的価値しか持っておらず,そしてそれらの物の諸価値は,それらの物を使用する人たちの気分や気まぐれにつれて変化する.それは,流行遅れであるがゆえにその価値を失う高級な衣服のようである.
 諸物の価値を創出するのは,諸物の機会と有用性である.そして諸物の機会や使用の観点では,諸物をより大きな価値やより小さな価値のものにするのは,諸物の豊富さや希少性である.豊富さは諸物を安価にし,希少性は諸物を高価にする.
 この法則によってあらゆる物の価値は統制されている.なぜなら,諸物の価値がもっぱらその使用にのみ頼り切っている場合,もしそれらが使い切れる以上にあるならば,残りは何ら使用することも,何らの価値を有することもあり得ないからである.身体と精神の二つに共通の諸欲求は,食料品か装飾品のいずれかに向けられている.食料品向けの品物は腐りやすく,もし期限内に使用されなければ無駄となって何の役にも立たない.そして,装飾品向けの品物は,豊富さがその品物を普通かつ安価にし,その用途を失わせ,そしてそれゆえにその価値を失わせる.
 珍しさと希少性が,装飾品向けに使用される諸物の価値を決める主要な理由なのであって,それ自体におけるいかなる優れた性質もその〔物の価値を決める主な〕理由ではない.このことが,金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方がギニー〔金貨〕上ではより一層の価値がある理由である.ガラスを作る技術に通じておらず,ガラスよりも金を豊富に持っている人々にとっては,〔金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方が〕より一層珍しい.同じ理由から,鉄鉱山がなく銀鉱山が豊富にある諸国では,〔銀製の諸物よりも〕ナイフと鉄製・鋼製の諸物の方が,より一層の価値がある.もし諸物の価値がそれに付属している性質から生じるとすれば,鉄製・鋼製の諸物は,銀製の諸物よりもはるかに有用であるがゆえに,より一層の大きな価値を持つはずである.
 価値(Value)と効力(Vertue)の区別がつかないことほど,この論争を悩ませるものはない.
 価値とは,諸物の価格に過ぎない.価値は決して確かなものではあり得ない.なぜなら,〔もしそうであれば〕それはいつでもどこでも同一の価値でなくてはならなくなるからである.したがって,どんな物も内在的価値を持ち得ない.
 だが,諸物はそれ自身のうちに,あらゆる場所で同一の効力を有する内在的効力(Intrinsic Verture)を持っている.鉄を引きつける天然磁石や,香草や麻薬に付属するいくつかの性質,ある下剤,ある利尿剤などのように.しかし,これらの諸物がたとえ大きな効力を持っていても,それらが豊富な場所か希少な場所かによって価値や価格が小さかったりあるいは全くないということもあるかもしれない.赤い刺草のように止血するのに優れた効力があるものの,しかしここではそれはその豊富さから無価値な雑草である.そして,香辛料や麻薬も,それら自身の生まれ故郷では何の価値もなく,ふつうの低木や雑草のようなものであるが,我々にとっては大きな価値があり,どちらの場所でも同一の優れた内在的効力がある.
 普通の諸物には何の価値もない.人が蒐集のために持っていたであろうもののために支払おうとする人はいないからである.
 同一の用途でもない限り,或る商品の豊富さが別の商品の価値を変えることはない.鉄や鉛の豊富さが,トウモロコシや布のいずれかを,より安価にしたりより高価にすることはないであろう.なぜなら,鉄や鉛はどちらも食料品や衣料品の欲求を満たすことはできないからである.
 金と銀は,鉛や鉄と同様,商品である.その豊富さや希少性に応じて,それらで作られた諸物が,より高価になったり,より安価になったりする.金製・銀製の食器や刺繍などであっても,それらがトウモロコシ・布・鉛・鉄などをより高価にしたりより安価にすることはできない.なぜなら,それらはこれらの商品の諸用途を供給することはできないからである.
 同等の価値を持つ諸物には,差異や区別はない.或る商品は,同一の価値を有する別の商品と同等の財である.百ポンドの値打ちがある鉛や鉄は,百ポンドの値打ちがある銀や金と同等の価値がある.また百ポンドの値打ちがある布は,百ポンドの値打ちがある上質な布と同等の価値がある.百ポンドの値打ちがあるトウモロコシや畜牛を持っている人は,百ポンドを金銭として持っている人と同等の富豪である.というのは,彼のトウモロコシと畜牛はすぐに大金へと換金できる可能性があるからである.商人や貿易商たちは,常に自分たちの金銭を諸々の商品に交換している.なぜなら,彼らは金銭よりも諸々の商品によって,より多くのものを得ることができるからである.そのような商品は,それらが最も不足しているところに輸送するか,あるいはそのような諸商品の姿形を変えることでより有用なものとなり,かくしてより多くの価値のあるものとなるからである.

 ところで,あらゆる物の価値がその用途から生じるならば,豊富さや希少性が諸物を高価や安価にするならば,銀が幾つかの用途のための商品であり,ある場所では他の場所よりも豊富であるとすれば,その場合には銀が確かな価値即ち内在的価値を持ち得ないということが,必然的に出てくるに違いない.銀が不確かな価値を持つものであるならば,それは商業と交通の道具には決してなり得ない.というのも,それ自身の価値が不確かなものが,別の価値の確かな尺度となることは決してあり得ないからである.

 ロック氏はこの結果に同意しており,21ページで金や鉛その他の諸金属は不確かな価値の諸商品であり,したがって他の価値の尺度にはなりえないと認めている.しかし,どうして彼があらゆる議論で一緒になっていた銀を金から分離したのか,或いはどうして彼が銀を他の金属と同様に一つの商品とすべきではないとしたのかが私にはわからない.もし彼がそれを認めていれば議論を大幅に短縮できたはずである.

 ロック氏が「銀の内在的価値は,一般的な同意が銀につけた評価である」と言っている意味が私にはよくわからないのでうまく答えられないかもしれないがご容赦いただきたい.もしロック氏の言う「一般的な同意が銀につけた評価」が,人類が銀に一定の固定価格を設定することに合意したことを意味するのであれば,いつ,どのようにしてそのような合意がなされたのかを彼は説明すべきであるが,私はそのような話を聞いたことがないと告白しなければならない.もしそんな話があったとしても,それは最近のことに違いない.なぜなら,ゴールドスミスの中には,その交易を長く続けていながら,同じスターリングシルバーを1オンスあたり4シリング8ペンス,4ポンド10ペンス,5シリングで買って,その対価として1オンスあたり5シリング8ペンス,5ポンド10ペンス,6シリングを支払った者はいないからである.

 もしロック氏が言う「一般的な同意が銀につけた評価によって」,すべての政府が銀貨を重量と純度の両方で同等にすることに同意したことを意味するのであれば,それもまた間違いであることがわかるだろう.なぜなら,ヨーロッパのすべての政府の銀貨は,一度や二度は引き上げられたり,変更されたりしたからである.そして,貨幣についての議論や,いくつかの硬貨の額面に示されているように,すべての政府は純銀の量を同等にすることに同意しなかったのである.

 「富,および諸物の価値について」というこの論究で私が証明しようとしたことは,以下の五つの若干の格率であるが,これらは今後使用する機会があるため,ここにまとめておくことにした.すなわち,

1.どんな物もそれ自体に価格や価値を有するのではないこと.
2.あらゆる物の価格や価値は,それを使用する機会や用途から生じること.
3.豊富さと希少性は,その機会に関して,物の価値を大きくしたり小さくしたりすること.
4.ある商品の豊富さや希少性が,同じ用途ではない他の商品の価格を変えることはないこと.
5.交易や商業においては,諸々の商品価値が同等ならば,それらの商品に差異はないということ,つまり,ある商人にとって鉛や鉄の20シリング分の価値は,銀や金の20シリング分と同じだけの価値があるということ.

貨幣,およびいくつかの鋳貨の額面について

 ロック氏は22ページで次のように述べている.「貨幣が鋳造されていない銀と異なる唯一の点は,貨幣の量目と純度との公的保証としてそこにふされている刻印によって,貨幣の各個片に含まれる銀の量が確認される点にある.」
 「人類が他の諸物の価値を評価し,そしてそれら〔他の諸物〕に対して支払うのは,彼らが授受したり契約したりする銀の量であり,かくして銀は,その量によって,商業の尺度となる.」*6

 ここで我々のあいだの問題は,次の通りであろう.すなわち,貨幣が唯一その価値を持つのは,鋳貨の各個片に含まれる銀の量によるものであろうか?もしくは,貨幣は,それが鋳造されるところの政府の権威によって,各個片に含まれる銀の価値をも上回る何らかの価値を持つのではないか?
 この問題に対してより適切に回答するためには,貨幣の一般的なものと,そしていくつかの鋳貨の額面について論究する必要があるだろう.

 貨幣とは,公的権威の刻印によって金属の一個片に与えられた価値であり,これは通常,その押印を持つ金属の価値よりも大きい.
 それぞれの貨幣の各個片の価値は,その各個片の刻印・大きさ・色の違いによって知られる.

(つづく)

訳注

*1:ジョン・ロック(John Locke, 1632–1704)の以下の著作を見よ.
John Locke, Some Considerations of the Consequences of the Lowering of Interest, and Raising the Value of Money. In a Letter to a Member of Parliament. London, 1692.(ジョン・ロック『利子の引き下げ及び貨幣の価値の引き上げの諸結果に関する若干の考察』ロンドン,1692年.)
John Locke, Further Considerations Concerning Raising the Value of Money. Wherein Mr. Lowndes's Arguments for it in his late Report concerning An Essay for the Amendment of the Silver Coins, are particularly Examined. London, 1695.(ジョン・ロック『貨幣の価値の引き上げに関する再考察』ロンドン,1695年.)
ジョン・ロック『利子・貨幣論』田中正司・竹本洋訳,東京大学出版会,1978年.
*2:「銀は,世界のあらゆる文明化され交易を営んでいる地域における,商業の道具であり尺度(Measure)である.
 それはその内在的価値によって商業の道具となる.
 貨幣とみなされる銀の内在的価値は,一般的同意が銀に与えるその評価にあり,それによって銀は他のあらゆる事物に対して等価物になり,その結果それは,人々が高価な代償を払って購入したり手離したりしようとする他の諸物品と交換に授受する普遍的交易品または交換手段(Exchange)となる.」(Locke1695: 1–2,田中・竹本訳225頁)
*3:「すべての商品の価値はその使用(Use)から生じる.何の使用もしない物は,英語の言いまわしでいえば,それらは役に立たない(They are good for nothing)から,価値をもたない.」(Barbon1690: 13,久保訳16頁)
*4:「諸物の使用は,人間の諸々の欲求(Wants)と必要性とをみたすことである.人間が生れながらにしてもっている,二つの一般的な諸欲求がある.すなわち身体上の諸欲求と,精神上の諸欲求である.これら二つの必要性をみたすうえで,地球上のすべての物は有用となり,したがって価値をもつのである.」(Barbon1690: 13–14,久保訳16頁)
*5:「精神上の諸欲求をみたすことによりその価値をもつ商品とは,欲望(Desire)を満足させうるようなすべての物である.欲望は欲求を含んでいる.欲望はその魂の食欲であって,空腹が肉体にとって自然的なのと同様に,その魂にとって自然的なのである.」(Barbon1690: 14–15,久保訳16〜17頁)
*6:「二,人々が他の諸物の価値を評価し,それら〔他の諸物〕に対して支払うのは,彼らが授受したり契約したりする銀のによってである.かくして銀は,そのによって,商業の尺度となる.
 (中略)
 四,貨幣が鋳造されていない銀と異なる唯一の点は,貨幣の量目と純度との公的保証としてそこにふされている刻印によって,貨幣の各個片に含まれる銀のが確認される点にある.」(Locke1695: 22–23,田中・竹本訳246頁)

文献

Barbon, Nicholas, 1690, A Discourse of TRADE. London.(ニコラス・バーボン『交易に関する論究』ロンドン,1690年.)
Locke, John, 1692, Some Considerations of the Consequences of the Lowering of Interest, and Raising the Value of Money. In a Letter to a Member of Parliament. London.(ジョン・ロック『利子の引き下げ及び貨幣の価値の引き上げの諸結果に関する若干の考察』ロンドン,1692年.)
Locke, John, 1695, Further Considerations Concerning Raising the Value of Money. Wherein Mr. Lowndes's Arguments for it in his late Report concerning An Essay for the Amendment of the Silver Coins, are particularly Examined. London.(ジョン・ロック『貨幣の価値の引き上げに関する再考察』ロンドン,1695年.)
・バーボン,ニコラス 1966『交易論』/ダドリー・ノース『交易論』久保芳和訳,チャールズ・ダウナント『東インド貿易論』田添京二・渡辺源次郎訳,アダム・スミスの会監修,初期イギリス経済学古典選集2,東京大学出版会.
ロック,ジョン 1978『利子・貨幣論』田中正司・竹本洋訳,アダム・スミスの会監修,初期イギリス経済学古典選集4,東京大学出版会.


〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(19) - まだ先行研究で消耗してるの?
https://sakiya1989.hatenablog.com/entry/2021/09/29/170654

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(19)

目次

  • ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)
    • 貨幣,およびいくつかの鋳貨の額面について(承前)
      • 名目価値と実質価値のズレ
  • 文献

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

貨幣,およびいくつかの鋳貨の額面について(承前)

名目価値と実質価値のズレ

 For the better answering this Question, it will be necessary to discourse in general of Money, and the Par of the several Coins.

 Money is a Value given to a piece of Metal by the Stamp of Publick Authority, which is commonly greater than the Value of the Metal that bears the Impression.

 The Value of each piece of Money is known by the difference of the Stamp, Size and Colour of the piece.

 この問題に対してより適切に回答するためには,貨幣の一般的なものと,そしていくつかの鋳貨の額面について論究する必要があるだろう.

 貨幣とは,公的権威の刻印によって金属の一個片に与えられた価値〔Value〕であり,これは通常,その押印を持つ金属の価値よりも大きい.

 それぞれの貨幣の各個片の価値は,その各個片の刻印・大きさ・色の違いによって知られる.

(Barbon1696: 13)

バーボンが先に挙げていた問題提起に照らし合わせてみよう.バーボンは先にロックの著作から次の一文を引用していた.

貨幣が鋳造されていない銀と異なる唯一の点は,貨幣の量目と純度との公的保証としてそこにふされている刻印によって,貨幣の各個片に含まれる銀のが確認される点にある.(Locke1695: 22-23,田中・竹本訳246頁)

ロックによれば,政府による公的保証の刻印された貨幣は,その刻印からその鋳貨のうちに物理的に含有されている銀の量が確認できるという.しかし,バーボンはこの点に引っかかりを感じている.というのも,盗削(clipping)や改鋳によって銀の含有量が貨幣から減らされてしまうことによって,政府がその額面に保証している銀の含有量よりも実際には少ないことになり,その結果,鋳貨の各個片の額面(政府が保証する名目価値)と価値(その貨幣に実際に含有されている金属の価値)との間には,個々にズレが生じるからである.この意味でバーボンは「貨幣とは,公的権威の刻印によって金属の一個片に与えられた価値であり,これは通常,その押印を持つ金属の価値よりも大きい」(Barbon1696: 13)と述べているのである.

(つづく)

文献


〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(14) - まだ先行研究で消耗してるの?
https://sakiya1989.hatenablog.com/entry/2021/06/03/180723

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(14)

目次

  • ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)
    • 富,および諸物の価値について(承前)
      • ロック貨幣論に対する貨幣史による論駁
  • 文献

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(承前)

ロック貨幣論に対する貨幣史による論駁

 If he means by the Estimate that Common consent hath placed on Silver, That all Governments have agreed to make their Silver Monies equal both for Weight and Fineness, that too will prove a mistake. For the Silver Coins in all Governments in Europe have been at one time or other raised and alter'd; and they never did agree in equal Quantities of fine Silver, as will be shown in the Discourse of Money, and the Par of the several Coins.

 もしロック氏が言う〈一般的な同意が銀につけた評価によって〉,すべての政府が銀貨を重量と純度の両方で均等にすることに同意したことを意味するのであれば,それもまた間違いであることがわかるだろう.なぜなら,欧州のすべての政府の銀貨は,一度や二度は引き上げられたり,変更されたりしたからである.そして,貨幣についての議論や,いくつかの硬貨の額面に示されているように,すべての政府は純銀の量を均等にすることに同意しなかったのである.

(Barbon1696: 9-10)

 ここでバーボンは,ロックの理論を貨幣史によって論駁している.

 欧州における銀貨の改鋳について述べておくと,古くはすでにローマ帝国の皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37-68)の時代に,銀貨デナリウスは3.9グラム(1/84ローマンポンド)から3.41グラム(1/96ローマンポンド)に減じられ,その銀の含有量が100パーセントから92パーセントに低下させられたという.

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文献

マルクス『資本論』覚書(4) - まだ先行研究で消耗してるの?
https://sakiya1989.hatenablog.com/entry/2020/08/22/013032#%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%B3

マルクス『資本論』覚書(4)

目次

  • マルクス『資本論』(承前)
    • 第一部 資本の生産過程(承前)
      • 〈手段〉としての「商品」
      • 経済学者バーボン
  • 文献

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

〈手段〉としての「商品」

(1)ドイツ語初版

 商品は,まず第一に,外的対象であり,その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である.この欲望の性質は,それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².ここではまた,物がどのようにして人間の欲望を満足させるか,直接に生活手段として,すなわち受用の対象としてか,それとも回り道をして,生産手段としてかということも,問題ではない.

(Marx1867: 1,岡崎訳71〜72頁)

(2)ドイツ語第二版

 商品は,まず第一に,外的対象であり,その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である.この欲望の性質は,それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².ここではまた,物がどのようにして人間の欲望を満足させるか,直接に生活手段として,すなわち受用の対象としてか,それとも回り道をして,生産手段としてかということも,問題ではない.

(Marx1872a: 9-10,岡崎訳71〜72頁)

(3)フランス語版

 商品とは,まず第一に,外的対象であり,その諸属性によってなんらかの種類の人間の欲望を満足させる物である.この欲望がその起源を胃袋に持とうが,空想に持とうが,その〔欲望の〕性質は事柄を何ら変えるものではない.ここではまた,これらの欲望がどのようにして満たされるか,すなわち直接的に,対象が生活手段であるのか,迂回路を通って,〔対象が〕生産手段であるのか,ということも,問題ではない.

(Marx1872b: 13)

(4)ドイツ語第三版

 商品は,まず第一に,外的対象であり,その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である.この欲望の性質は,それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².ここではまた,物がどのようにして人間の欲望を満足させるか,直接に生活手段として,すなわち受用の対象としてか,それとも回り道をして,生産手段としてかということも,問題ではない.

(Marx1883: 1-2,岡崎訳71〜72頁)

ここで「商品 Waare 」は〈手段 Mittel 〉として取り扱われている.「人間の何らかの種類の欲望を満足させる」ことがその目的である.この目的すなわち「人間的需要 menschliche Bedürfniss 」を満たす物は,肉体としての人間の外にある.

 商品という〈手段〉は、「直接的に unmittelbar 」は「生活手段 Lebensmittel 」として,間接的には「生産手段 Productionsmittel 」として用いられることが想定されている.ただし,ここでは直接的であるか間接的であるかはどうでもよいものとされている.

経済学者バーボン

マルクスは注2でニコラス・バーボン(Nicholas Barbon, 1640-1698)の著作から引用している.

²)「願望は欲望を含む.願望は精神の食欲であり,肉体にとって空腹が自然的であるように,自然的である.…大多数(の物)は,それらが精神の欲望を満足させるからこそ価値をもっているのである.」(ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究.ロック氏の諸考察に答えて』ロンドン,1696年,p. 2, 3.)

(Marx1867: 1,岡崎訳72頁)

ここでバーボンについて軽く触れておこう*1.バーボンは1640年のロンドンに生まれ,ライデンで医学を学び,ユトレヒトで医師の学位を得た後にロンドンに戻った.

 そんなある日,1666年9月2日にロンドンでパン屋のかまどから出火して,ロンドン市内の家屋の8割以上が消失する一大事件が起きた(ロンドン大火 the Great Fire of London ).燃え広がった原因は、家屋のほとんどが木造であり、街路も狭かったためだという.この反省を生かし,1667年の「再建法」では家屋はすべて煉瓦造または石造とされ,木造建築は禁止され,道路の幅員についても規定された.

 バーボンもまたロンドンの再建復興に尽力した.そのさい,彼は火災保険の必要性を主張し,事業を起した.いまでは彼は世界初の火災保険会社の創設者として知られている.

 バーボンは経済学に関連する著作をいくつか残しているが,その中で貨幣や自由貿易,需要と供給などについてのイノベーティブな見解を示したという.彼の『交易論』(A Discurse of Trade, 1690)は,ケインズの『一般理論』やシュンペーターのような20世紀の経済学者たちに影響を与えたという点で,重要な著作であるという.

 バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, 1696)が公刊されたのは,バーボンの亡くなるおよそ2年前であり,彼が56歳になった年である.これがおそらくバーボンの最後の著作である.

 マルクスによるバーボンの著作からの抜粋は,1863年5月から6月にかけてマルクスが作成した「サブノート Beihefte E・F」に見出される(森下2010).

 上でマルクスが引用した箇所は,バーボンの原文を読むと二つのパラグラフにまたがっていることが確認できる(Barbon1696: 2-3)*2

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文献

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