2022年12月6日火曜日

Della Moneta - Ferdinando Galiani, 貨幣論 ガリアーニ 1751

Della Moneta - Ferdinando Galiani, 貨幣論 ガリアーニ 1751
https://www.blogger.com/blog/post/edit/2133355681582705445/961216840775572077



貨幣論 (近代社会思想コレクション) 単行本 – 2017/8/10 


特異な啓蒙主義者で重農主義者でもあったガリアーニ(1728~87)の主著『貨幣論』の全訳。イタリア語圏外の研究者にあまり読まれなかった本書は「金属」「貨幣の本質」「貨幣の価値」「貨幣の構造」の四部に分かれ、貨幣の存在意義に関するあらゆる問題を扱っている。経済学の黎明期にあって先駆的な古典経済学書がようやくその全貌を現す。

マルクス資本論で言及

1:1:4
 だから、人々がじぶんの労働諸生産物を価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の・人間的な・労働の単なる物象的外被として意義をもつからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において価値として相互に等置することによって、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。彼らは、それを意識してはいないが、そうするのである。だから、価値なるものの額には、それが何であるかということは書かれていない。価値は、むしろ、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。〔80〕のちにいたって人々は、この象形文字の意味をとこうとし、彼らじしんの社会的産物──けだし、価値としての使用対象の規定は、言語と同じように彼らの社会的産物である──の秘密をさぐろうとする。労働諸生産物は、それらが価値であるかぎりでは、それらの生産に支出された人間的労働のたんに物象的な表現である、という後代の科学的発見は、人類の発達史において時代を劃するものではあるが、しかし決して、労働の社会的性格の対象的仮象をおいはらいはしない。商品生産というこの特殊的生産形態にのみ妥当することが、すなわち、相互に独立する私的諸労働の独自的・社会的性格なるものは、人間的労働としてのそれらの同等性であり、労働諸生産物の価値性格という形態をとるということが、商品生産の諸関係のとりことなった人々にとっては、右の発見の前後をとわず──あたかも、空気が科学的にその諸元素に分解されても物理的な物体形態としての空気形態はなお存続するということと同じく──最終決定的に見える。

二七 第二版への注。だから、ガリアニが「価値は、二人の人物のあいだの一関係である」──La Ricchezza è una ragione tra due persone ──といったとき、彼は、物的外被のもとに隠された関係、と附言すべきであったろう。(ガリアニ『貨幣について』、クストディ編『イタリー経済学古典集』近世の部、第三巻、ミラノ、一八〇三年、二二〇頁。)


。。。
1:2

四二 カール・マルクス『経済学批判』、一三五頁〔ディーツ版、一九五一年、一六七頁〕。「金属は……生れながらに貨幣である。」(ガリアニ『貨幣について』、クストディ編集本、近世の部、第三巻、七二頁。)

四六 「金銀は、それらが貨幣である前から、金属として価値をもつ。」(ガリアニ『貨幣について』、七二頁。)

。。。
1:4:1

一〇a 「物は、前進する際にもたない無限的なものを、循環する際にもつ。」(ガリアニ『貨幣について』、一五六頁。)

。。。
1:4:2

…使用価値にかんしては交換者の双方が得をすることができるとしても、交換価値について彼らの双方が得をすることはできない。この場合にはむしろ、「平等の存するところに利得なし」といえる。

一八 ガリアニ『貨幣について』、クストディ編、近世の部、第四巻、二四四頁。

。。。

1:10
二 「産業が完成されるということは、それによれば一商品が従来よりも少数の労働者をもって──あるいは、(同じことだが)より短い時間で──仕上げられうるような、新たな方法が発見されるということ以外には何も意味しない。」(ガリアニ『貨幣について』、一五九頁。)「生産費の節約とは、生産に用いられる労働量の節約いがいの何ものでもありえない。」(シスモンディ『研究』、第一巻、二二頁。)

。。。

1:23:4

八七 「貧困は、生殖のために好都合なように見える。」(A・スミス〔『諸国民の富』、岩波文庫新版、Ⅰ、二五〇頁〕。)ハイカラで才気に富んだガリアニ師によれば、このことはむしろ神の特に賢明な摂理である、──「最も有用な職分をおこなう人間がたくさん生れるということは、神の摂理である」と。(ガリアニ『貨幣について』、七八頁。)



~~~


Risultati della ricerca di "ragione tra" - Wikisource
https://it.wikisource.org/wiki/Speciale:Ricerca?fulltext=Cerca+in+questo+libro&fulltext=Search&ns0=1&ns102=1&ns110=1&prefix=Della+moneta&search=ragione%E3%80%80tra

邦訳156頁

2:4

Da questa definizione si comprende che la ricchezza è una ragione tra due persone, e, riguardo ad ogni uomo, uno è [p. 125 modifica] disegualmente ricco. Inoltre non la sola quantitá delle cose desiderate, ma la varia qualitá loro con ragione composta è misura delle ricchezze, e chi ha le cose piú utili, è piú ricco di chi possiede le meno utili. Or nella serie delle cose utili le prime sono gli elementi; indi è l’uomo, che di tutte le cose è la piú utile all’altro uomo; poi sono i generi atti al vitto, indi al vestito, appresso all’abitazione, e in ultimo alle comoditá meno grandi ed all’appagamento de’ piaceri secondari dell’uomo. In questa classe sono i metalli, non discosti dalle gemme: sono dunque utili anche essi, ma meno dell’uomo. Dunque, se Ciro, se Roma, se Alessandro aveano piú uomini, o, per meglio dire, migliori che Creso e Perseo e Dario, erano piú ricchi assai; e non fu fortuna il vincere, o cosa strana se il piú forte restò superiore. È errore chiamar piú forte chi ha piú denaro. Non ebbero adunque costante fortuna i romani, ma costante superioritá di potere. «Caso» e «fortuna» sono voci nate dall’ignoranza nostra, e nella natura non sono. Diciamo noi meschini «caso» quell’ordine di leggi, che non sappiamo sviluppare, ed ella è voce relativa al diverso intendimento nostro; onde il savio è sempre dallo sciocco chiamato «fortunato». Né credo io perciò che vi sia voce di questa piú vergognosa per noi e piú ingiuriosa alla provvidenza, che ci governa.



この定義から、富は二人の人間の間の理であり、それぞれの人間に関して、一人は [p.125 edit] 不等に富んでいることが理解できる。また、望ましいものの単なる量ではなく、複合的な理由による質の変化が豊かさの尺度であり、最も有用なものを持つ者は、最も有用でないものを持つ者よりも豊かなのである。さて、有用なもののシリーズでは、まず元素があり、次に人間であり、あらゆるものの中で他の人間にとって最も有用である。次に、食物に適したもの、衣服に適したもの、居住に適したもの、最後に、より少ない快適さと人間の第二の喜びを満足させるものがある。このクラスには、宝石に似ていない金属があります。したがって、彼らもまた有用ですが、人間ほどではありません。したがって、キュロス、ローマ、アレキサンダーがクロイソスやペルセウス、ダリウスよりも多くの兵、いやむしろ優れた兵を持っていれば、彼らはより豊かであり、彼らが勝ったのは運ではないし、強い者が優位を保ったとしても不思議なことではないのです。お金を多く持っている人を強いと言うのは間違いです。したがって、ローマ人は常に運を持っていたのではなく、常に力の優位性を持っていたのである。"偶然 "や "幸運 "は、私たちの無知から生まれた声であり、自然界には存在しない。私たち小市民は、どのように発展させるかわからない法則の秩序を「偶然」と言い、それは私たちの異なる理解に相対する声であり、それゆえ賢者は常に愚者から「幸運」と呼ばれる。ですから、私たちにとってこれほど恥ずべき声、私たちを支配する摂理にとってこれほど侮辱的な声があるとも思えません。
:deepl


第4章 | 156

と同様に、逆に、多くの物が無用か有害だとしても、間違って多くの要望があれば、それを持つ人は富裕だ

ろう。

 〈富は常に人間の間と事物の間で相対的である〉 この定義から、富とは二人の人間の間の比率であり、 あ

らゆる人に対して一人が不平等に富裕であることが理解される。さらに、望まれる物の量だけではなくて、

それらのさまざまな質も構成根拠として富の尺度になるので、最も有用な物をもつ人が最も無用な物をもつ

人よりも富裕である。さて、有用物の系列には第一の構成要素がある。 そこで、すべてのもののうちで他の

人に対して最も有用なものは人間である。 次に、食べ物に、それから衣装に、引き続いて住居に、最後に過

大でない快適と人間の二次的快楽の満足をかなえる諸商品がある。 この等級には、 宝石からかけ離れていな

諸金属があるので、それらも有用だが人間ほどではない。だから、もしキュロス Ciro (ペルシャの王)、

ローマ、 アレクサンドロス大王 Alessanndro (前三五六年~三三三三年)が、多くの人々を、もっと分り易く言え

ば、クレゾ、ペルセウス、ダリウス一世より優れた人々を抱えていたとすれば、もっとずっと豊かだろう。

勝利は財産では得られなかったし、言い換えれば、最も強い者が最も優位に立ったとしてもおかしくない。

お金を沢山もつ人を強い人と呼ぶのは誤りである。だから、ローマ人は恒常的な財産を持たなかったが、 権

力の絶えざる優越性をもった。偶然〉 caso (初版、他c.) と 運命〉 fortuna (同f.) は、我々の無知から生ま

れた言葉で、自然には存在しない。我々が発展させられない法律の命令を惨めな偶然〉(同)と言おう。

運命は、我々と違った意図に対応する言葉である。そのため、賢人は常にばか者から 〈運のいい人〉 fortu-

nato (同)と呼ばれた。 だから、私は、運命という言葉は我々にとりひどく恥ずかしいとも、 我々を統べる

神意にひどく無礼だとも思わない。

 〈金属がまったく無益だという間違った結論〉 だから、金・銀がまったく無益だとまでは言えないにして

も、まして万物の君主で幸福の主人だと公言するには値しない。 オリーブ油やワインが、 無駄でなければ決

してこうは言われなかったように。 金属は奢侈の商品である。すなわち、奢侈は、第一の必要が容易に充足



第三編でガリアニは金属主義の立場から貨幣価値の切り下げを批判的に論じている。


ーーー
Della Moneta - Wikipedia

貨幣論

ウィキペディアから、無料の百科事典。
ナビゲーションにジャンプ検索にジャンプ
コインの
著者フェルディナンド・ガリアーニ
第1版オリジナル1751
サブジャンル経済哲学
元の言語イタリア語

デラ・モネタフェルディナンド・ガリアーニによって書かれたエッセイであり、アダム・スミスによる25年間に先立つ経済学、特に金融理論の最初の特定の条約の1つと考えられています。

[編集 ソースの編集]

デラ・モネタは5つのセクションに分かれており、今日でも金融理論の標準的な側面と考えられているものをカバーしています。これには、お金の起源、その価値(インフレとデフレを含む)、利益金融政策が含まれます。

お金の起源[編集 ソースの編集]

著者は、わずか23歳の時、ギリシャ人とローマ人にまでさかのぼるイタリアの貨幣の歴史から始まりました。集中契約を通じてお金の起源の現代的なビジョンを捨てて、ガリアーニは、貿易の必要性を通じて、お金が自発的に発生する傾向があり、オーストリアの経済学校を1世紀以上予想することを提案しています。これは、略奪があまりにも多様で複雑で処理できないことが判明するまで、政府が王国のすべての資産の一部を税金を通じて取引または没収しようとする一種の精神的な実験を説明し、したがって、コンパクトさ、容易さなど、当時お金に有用であると考えられていた特性を持ついくつかの単純な商品で同等の貿易を求めることに頼るだけです。1]

お金の価値[編集 ソースの編集]

本の他のテーマと絡み合って、お金と一般的に物質的な商品は、人々への有用性に基づいて価値があるという2番目の前提があります。これは、120年後に限界効用の調査によってのみ再発見された前提です。[2] 20世紀半ばまで再び徹底的に検討されなかったであろう現代のアイデアにも触れています。お金と商品の価値は、需要と供給に基づいて価格バランスに達することができます。これはまた、経済エンジンとしての需要と供給の最初の近代的な検討になる可能性があります。

方法論[編集 ソースの編集]

デラ・モネタでは、ガリアーニは彼の本のプレゼンテーションと組織に哲学的方法論を使用しようとしています。彼はまた、他の初期の経済テキストがそうしなかったと批判している。例えば、彼はモンテスキューを引用しています。モンテスキューは、彼の本フランスに有害でした。なぜなら、それは間違い義務付け、敬虔な欲望を含み、科学的厳しさを欠いているからです。[3]

影響[編集 ソース編集]

ガリアーニは、16世紀のスペインの価格革命などの事件によって引き起こされ、過去2世紀にお金がヨーロッパにどのような影響を与えたのか、なぜお金がヨーロッパにどのような影響を与えたのかについての複雑な議論の専門家だったようです。新世界からの金の流入が最初にスペインで劇的なインフレを引き起こし、その後、ヨーロッパ全土で危機はおよそその時まで程度変化し続けました。

彼は、この本の中で、ジョン・ロックルドヴィコ・アントニオ・ムラトリなど、他の人々による政治経済学に関する以前の考察について言及している。

影響影響[編集 ソースの編集]

この本は、アダム・スミスの時代からカール・マルクスからジョセフ・シュンペーターまで、さまざまな経済思想の経済学者によって広く引用されています。

エディション[編集 ソースを編集]

翻訳[編集 ソースの編集]

メモ[編集 ソースの編集]


https://it.wikipedia.org/wiki/Della_Moneta

Della Moneta

Della Moneta
AutoreFerdinando Galiani
1ª ed. originale1751
SottogenereEconomia, Filosofia
Lingua originaleitaliano
Modifica dati su Wikidata · Manuale

Della Moneta è un saggio scritto da Ferdinando Galiani, ed è considerato uno dei primi trattati specifici di economia, in particolare di teoria monetaria, precedendo di venticinque anni La ricchezza delle nazioni di Adam Smith.

Indice

  • 1 Riepilogo
  • 2 L'origine del denaro
  • 3 Il valore del denaro
  • 4 Metodologia
  • 5 Influssi
  • 6 Impatto
  • 7 Edizioni
    • 7.1 Traduzioni
  • 8 Note

Riepilogo

Della Moneta è diviso in cinque sezioni, che coprono quelli che ancora oggi sono considerati gli aspetti standard della teoria monetaria. Questi includono l'origine del denaro, il suo valore (comprese inflazione e deflazione ), gli interessi e la politica monetaria.

L'origine del denaro

L'autore, all'epoca di soli 23 anni, iniziò con la storia della monetazione italiana, risalendo ai Greci e ai Romani. Scartando la visione contemporanea dell'origine del denaro attraverso contratti centralizzati, Galiani propone che il denaro tenda a sorgere spontaneamente, attraverso la necessità del commercio, anticipando di oltre un secolo la scuola economica austriaca. Descrive una sorta di esperimento mentale, in cui un governo tenterebbe di commerciare o confiscare attraverso le tasse una parte di tutti i beni del regno, finché non scopre che il saccheggio è troppo vario e complesso da gestire, e quindi si rivolgerebbe solo a chiedere l'equivalente commerciale in alcune semplici merci che hanno le caratteristiche considerate utili per il denaro all'epoca, come compattezza, facilità di distribuzione e facilità di immagazzinamento.[1]

Il valore del denaro

Intrecciata negli altri temi del libro c'è una seconda premessa, che il denaro, e i beni materiali in generale, hanno valore in base alla loro utilità per le persone: una premessa che è stata riscoperta solo con l'esame dell'utilità marginale 120 anni dopo.[2] Tocca persino un'idea moderna che non sarebbe stata nuovamente esaminata a fondo fino alla metà del XX secolo: che il valore del denaro e delle merci possa raggiungere un equilibrio di prezzo, basato su domanda e offerta. Questo potrebbe anche essere il primo esame moderno della domanda e dell'offerta come motore economico.

Metodologia

In Della Moneta, Galiani tenta di utilizzare la metodologia filosofica nella presentazione e nell'organizzazione del suo libro. Critica anche altri primi testi economici per non averlo fatto. Ad esempio, cita Montesquieu, il cui libro, secondo lui, è stato dannoso per la Francia, perché commette l'errore è-dovere, contiene un pio desiderio e manca di rigore scientifico.[3]

Influssi

Galiani sembra essere stato esperto nei complessi dibattiti su come e perché il denaro ha avuto un tale impatto sull'Europa nei due secoli precedenti, causato da incidenti come la rivoluzione dei prezzi in Spagna nel XVI secolo, dove un afflusso di oro saccheggiava dal Nuovo Mondo provocò una drammatica inflazione prima in Spagna, poi in tutta l'Europa, una crisi che continuò in varia misura fino all'incirca all'epoca del libro di Galiani.

Fa menzione, nel libro, di precedenti riflessioni su temi di economia politica di altri, tra cui John Locke e Ludovico Antonio Muratori.

Impatto

Questo libro è stato ampiamente citato da economisti di diverse scuole di pensiero economico dai tempi di Adam Smith in poi, da Karl Marx a Joseph Schumpeter.

Edizioni

Traduzioni

Note

ーー



Sie wissen das nicht, aber sie tun es. 

柄谷
中心

1:1:4


内省と遡行
「彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。」

河出
彼らは、それを意識してはいないが、そうするのである。



ルカ23:34

34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

⑸〔  〕   新約聖書において、後代の加筆と見られているが年代的に古く重要である個所を示す。


資本論1:4
注27の直前
Sie wissen das nicht, aber sie tun es. 
新日本出版社2019版によればルカによる福音書の言い換え。
「彼はそれを知ってはいないけれども、それを行なう。」133

「彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行なうのである。」国民文庫①138

https://newchristianbiblestudy.org/multi/bible_japanese-bible-kougo_luke_23_34/bible_german-luther-1912_luke_23_34/explanation_jesus-love-of-the-neighbor

Lukas 23:34

34 Jesus aber sprach: Vater, vergib ihnen sie wissen nicht, was sie tun! Und sie teilten seine Kleider und warfen das Los darum. 

https://www.uibk.ac.at/theol/leseraum/bibel/lk23.html

Lk 23,34 Jesus aber betete: Vater, vergib ihnen, denn sie wissen nicht, was sie tun. Dann warfen sie das Los und verteilten seine Kleider unter sich



ルカによる福音書 23:34 新共同訳

34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。 

0 件のコメント:

コメントを投稿