2021年3月15日月曜日

映画としては傑作、物語としては失敗

 Qで評判の悪かったチョーカーが見事に伏線回収されている。

ただし元々エヴァは見えない不安と戦う作品でチョーカーは物語世界と相性が悪い。

だから必要ないものを回収されても感慨はない。

このように物語の整合性を諦めれば効果的な意匠の数が多い。

誤解ないように言うと映画としては傑作である。ここ25年最も重要な映画だとさえ言える。

ただエヴァを大きな物語だと考えれば失敗作である。

25年といえば財務省緊縮政策が続いたのとほぼ同じ年月である。ミサトの服装も変えざるを得なかったのも宜なるか。

(貧困化は内面化と一致する)


全体は四つのパートに分かれる。

冒頭パリでのマリの戦闘。

農村での生活。

父との戦い。

別世界線における恋愛。


農村描写と最後の後日談が優れている。

山場の戦闘シーンはCGゲームに近い。


ラストはコミック版のフレイバーを加味したもので成長したシンジがマリと駅から出てゆく空撮。

このラストに文句をつけるなら14歳のシンジは救われなかったと言うことだ。

パンフにある声優のもう一度14歳を演じてもいいと言う発言の方が物語のシンジを救っている。


蛇足だが人類補完計画は財務省による均衡財政政策に似ている。

均衡財政は家計と財政を混同することから起こる。

母を内に父と戦えと言うメッセージはエディプスコンプレックスを世界適応すると言うことだ。

それは財務省のミクロ経済とマクロ経済の混同に似ている。

反復という課題は一映画作家には荷が重すぎたと思う。


意図的にヤマトの意匠を借りているがはっきりと言えることはエヴァはガンダムになれなかったということだ。

語り継がれるべき物語世界の破綻が一回性の映画としての成功を呼んだだということは劇場版ガンダムのような教養主義的プロトタイプにはエヴァはなれなかったということだ。


以下の格言を後進の映画作家に贈りたい。

「どのように患者を治療するか?それは患者に新しい情報を与えないことによってだ」ラカン

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