【インタビュー】Webナショジオ・インタビュー 細野晴臣

1912年4月15日、「絶対に沈まない」といわれていた豪華客船タイタニックが沈没した。そのタイタニックに1人の日本人が乗っていた。細野晴臣さんの祖父、細野正文さんである。正文さんは辛くも沈没船から逃れ生還したが、のちに厳しい非難の声が湧き起こることに――。沈没からちょうど100年を迎えたいま、正文さんがたどった運命と、その汚名がそそがれるまでを晴臣さんにうかがった。本誌日本版特集「タイタニック 沈没の真実」とあわせてどうぞ。(インタビュー・文=高橋盛男/写真=永田忠彦)
――祖父、細野正文(まさぶみ)さんがタイタニックの事故から生還されたというのを、最初に知ったのはいつですか。
小学校3年のころだったかな。両親から聞かされました。
タイタニックの映画『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(1958年)を見に連れていかれたんですよ。英国映画のシネマスコープで、まだモノクロでした。ケネス・モアが主演だったのを覚えています。
その帰りに、ボソボソッと父親が。あまり多くは語らなかったのですが「タイタニックにおじいさんが乗っていた」と教えられました。
――驚かれたでしょう。
映画を見たあとですからね。「えっ!」と思いましたよ。歴史的な大事件ですからね。
2012年4月号特集「タイタニック 沈没の真実」
本誌でもタイタニックの特集を掲載しています。フォトギャラリーやジェームズ・キャメロン「タイタニックの船内を巡る」などもあるWebでの記事の紹介はこちら。ぜひあわせてご覧ください。
僕の両親は洋画好きで、よく映画館に連れていってくれました。家にはSP盤レコードがあって、ハリウッド映画やドイツ映画の主題歌でした。
母親が好きだった映画に『歴史は夜作られる』(1937年)という作品があるのですが、これもタイタニックの事故をモチーフにしたものです。良い映画で、見た記憶がありますけども。
最初に、映画を見てからタイタニックと祖父のことを知りましたからね。映画のなかにはラブロマンスも織り込まれているし。
あの事故が事実で、歴史的なできごとだというのは理解していたのですが、何といいますか、タイタニックのことも、祖父のことも、ずっと映画や物語世界の話のような感覚でとらえているところがありました。
――しかし、実際は、あの事故から生還した正文さんはその後、大変な目に遭います。そのお話を次に聞きましょう。
(写真クリックで拡大)
つづく
高橋盛男(たかはし もりお)
1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。

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