2021年5月11日火曜日

ニコラス・バーボン ヘッドホン(Suzuki Yuto):1st year of doctoral programさんのツイート


NAMs出版プロジェクト: ニコラス・バーボン

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〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)









〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)|Sakiya ARAKAWA|note
https://note.com/hegelschen/n/n64660ea49b55

〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

見出し画像

はじめに

 以下では,ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究:ロック氏の貨幣の価値の引き上げについての考察に答えて』(Nicholas Barbon, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London, 1696. 見出し画像および本文中の画像は,京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年より部分的に切り出し)の翻訳を試みる.

画像1

Barbon1696,京都大学法学研究科所蔵,京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

 マルクスは『資本論』の注の中で,バーボンのこの著作から何度か引用している.またケインズやシュンペーターのような経済学者たちも,バーボンから影響を受けたという.バーボンの著作は,経済学史において重要な役割を果たしている.バーボンの邦訳としては,『交易論』(東京大学出版会, 1966年)が出版されている.
 訳者はこれまでにドイツ語・フランス語・ラテン語などの外国語を学んできた.中学から高校にかけて勉強をやめていた時期があるので,大学受験を期に一念発起して独学を開始した.大学から大学院までの間に英語で十分な指導を受けた記憶はない.下に訳出する翻訳は,訳者がドイツ語やラテン語の学習を経由して得た素人の訳出であることをあらかじめ断っておく.
 翻訳にあたっては,Google翻訳とDeepL翻訳を大いに活用している.原文をGoogle翻訳とDeepL翻訳の両方にかけて比較対照し,訳者が適宜修正を加えた.機械翻訳が完璧であるとはまだ言えないものの,DeepL翻訳は深層学習のおかげで驚くほど見事な訳文に自動変換できるし,Google翻訳は多数の言語に対応している点で優れている.「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように,一人で訳文を推敲するよりも機械翻訳を参考にした方がはるかに効率的である.仕事の休憩の合間にでも翻訳を進めていきたいと思う.

底本

Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London. (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)

ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

富,および諸物の価値について

 ロック氏の著作における貨幣の価値の引き上げにかんする議論は,以下の単純な仮定から導出される——銀貨には内在的価値があり,それは共通の同意が置かれた価格や評価額であり,それが他のすべての諸物の価値の尺度となっている——という仮定である.それが真実でなければ,彼の帰結はすべて誤りであるに違いない.彼が述べていることを証明するためには,〔RICHES〕 一般を論じ,諸物の価値がいかにして生まれるのかを示す必要があるだろう.
 とは,大きな価値のあるようなすべての物を意味する.
 価値とは,諸物の価格と解されるべきである.つまりそれは,どんな物も売却されるほどの値打ち〔worth〕があるということである.古い格言によれば,〔どんな物も〕売却されるだけの価値がある〔Valet quantum vendi potest〕.
 すべての物の価値は,その物の使用〔Use〕から生じる.
 何も使用しない物には,何の価値もない.英語の慣用句にあるように,それらは何の役にも立たない〔They are good for nothing〕.
 使用することですべての物が価値を持つような,二つの一般的な使用がある.その使用とは,身体の諸欲求を満たすのに役立つか,精神の諸欲求を満たすのに役に立つか,いずれかである.
 精神の諸欲求を満たすために役立つことによって価値を持つ諸物は,欲望を充足するようなすべての物であって(欲望〔Desire〕は欲求〔Want〕を含意している.欲望は精神の食欲であり,身体にとっての渇望と同様に自然なものである)そのようなものは,生活の安寧や喜悦や華美に貢献することによって,精神を充足するのに役立つ.
 これら二つの一般的な諸欲求を満たすことによって,あらゆる種類の物が価値を持つ.だが,それらの中でも最も多くのものは,精神の諸欲求を満たすことによってその価値を持つ.最も価値のある諸物は,あらゆる種類の高級カーテン・金・銀・真珠・ダイヤモンド・そしてあらゆる種類の宝石などのように,生活の華美を飾るために使用される.それらは装飾したり着飾るために使用される.それらは富の徽章であり,それらは男性たちの間の選好を明瞭に区別する役割を果たす.
 これら二つの一般的な諸欲求は,人類が生まれつき持っているものであり,人類にとってごく自然なものであるため,人類は自らの享楽するものよりもむしろ自らの欲するものによってよりいっそう区別される.貧しい男は一ポンド,金持ちの男は百ポンド,他の者たちは数千ポンド,ある君主は数千万ポンドを欲する.欲望と欲求は富とともに増大する.そこから,満足した男こそが唯一の富豪の男であるといえる.なぜなら彼は〔これ以上〕何も欲しくないからである.
 身体の諸欲求を満たし生活を支える諸物は,実質的かつ自然的価値を持つと見做してもよいであろう.それらはいつでもどこでも価値のあるものである.そしてもしそれ自身のうちに内在的価値を持ち得る諸物があるならば,それらは畜牛とトウモロコシであろう.そしてそうであるがゆえに,賎民は家畜を数え上げる〔Pauperis est numerare pecus〕という諺によれば,古代の時代には富の計算は畜牛の数によって行われていたのである.
 金と銀には実質的な内在的価値があり,それらはひとえに富や財宝と見做されるべきである,という意見もある.
 これは,オウィディウスがミダースの物語によって反論しようと努めている古代の意見であったように思われる.バッコスはミダースにより饗宴でもてなしを受けたことから,返礼として,其方の望むものを何でも与えよう,と彼に話した.そして金こそ唯一の富であるという意見から,自分の触れるものは何でも金に変えてほしい,とミダースは望んだ.彼の願いは聞き入れられ,彼は歓喜した.だが,空腹になったことで,自らの過ちを確信した.なぜなら,彼がワインと肉に触れるやいなや,それらはすぐさま金に変わったからである.もしミダースがその渇きを癒すには金よりも水の方が価値があるという経験をした後,バッコスが自らの親切なもてなしのために川へ行水するよう彼をやり,彼の金を水へと転換するように彼を仕向けておかなかったとしたら,ミダースは餓死していたであろう.
 精神の諸欲求を満たす諸物は,ただ評判だけを頼りにしている想像上のあるいは人為的な価値しか持っておらず.そしてそれらの物の諸価値は,それらの物を使用する人たちの気分や気まぐれにつれて変化する.そしてそれらは,流行遅れであるがゆえにその価値を失う高級な衣服のようである.
 諸物の価値を創出するのは,諸物の機会と有用性である.そして諸物の機会または使用の観点では,諸物をより大きなまたはより小さな価値のものにするのは,諸物の豊富さまたは希少性である.豊富さは諸物を安価にし,希少性は諸物を高価にする.
 この法則によりすべての物の価値は統制されている.なぜなら,諸物の価値がもっぱらその使用にのみ頼り切っている場合,もしそれらが使い切れる以上にあるならば,残りは何ら使用することも,何らの価値を有することもあり得ないからである.身体と精神の二つに共通の諸欲求は,食料品か装飾品のいずれかに向けられている.食料品向けの品物は腐りやすく,もし期限内に使用されなければ無駄となって何の役にも立たない.そして,装飾品向けの品物は,豊富さがその品物を普通かつ安価にし,その用途を失わせ,そしてそれゆえにその価値を失わせる.
 珍しさと希少性が,装飾品向けに使用される諸物の価値を決める主要な理由なのであって,それ自体におけるいかなる優れた性質もその〔物の価値を決める主な〕理由ではない.このことが,金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方がギニー〔という硬貨〕上ではより一層の価値がある理由である.ガラスを作る技術に通じておらず,ガラスよりも金を豊富に持っている人々にとっては,〔金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方が〕より一層珍しい.同じ理由から,鉄鉱山がなく銀鉱山が豊富にある諸国では〔銀製の諸物よりも〕ナイフおよび鉄製,鋼製の諸物の方がより一層の価値がある.もし諸物の価値がそれに付属している性質から生じるとすれば,鉄製・鋼製の諸物は,銀製の諸物よりもはるかに有用であるがゆえに,より一層の大きな価値を持つはずである.
 価値と効能の区別がつかないことほどこの論争を悩ませるものはない.
 価値とは諸物の価格に過ぎない.それは決して確固たるものではあり得ない.なぜなら,〔もしそうであれば〕それはいつでもどこでも同一の価値でなくてはならないからである.したがって,どんな物も内在的価値を持ち得ない.
 だが,諸物はそれ自身のうちに,すべての場所で同一の効能を有する内在的効能を持っている.鉄を引きつける天然磁石や,香草や麻薬に付属するいくつかの性質,ある下剤,ある利尿剤などのように.しかし,これらの諸物がたとえ大きな効能を持っていても,それらが豊富な場所か希少な場所かによって価値や価格が小さかったりあるいは全くないということもあるかもしれない.赤い刺草のように止血するのに優れた効能があるものの,しかしここではそれはその豊富さから無価値な雑草である.そして,香辛料や麻薬も,それら自身の生まれ故郷では何の価値もなく,ふつうの低木や雑草のようなものであるが,我々にとっては大きな価値があり,どちらの場所でも同一の優れた内在的効能がある.
 普通の諸物には何の価値もない.男性がおそらく蒐集のために持っていたであろうもののために支払おうとする男性はいないからである.
 同一の用途でもない限り,ある商品の豊富さが別の商品の価値を変えることはない.鉄や鉛の豊富さが,トウモロコシや布のいずれかを,より安価にまたはより高価にすることはないであろう. なぜなら,鉄や鉛はどちらも食料品や衣料品の欲求を満たすことはできないからである.
 金と銀は鉛や鉄と同様に諸商品である.その豊富さや希少性に応じて,それで作られた諸物がより高価になったりより安価になったりする.金と銀の食器,刺繍などであっても,それらがトウモロコシ,布,鉛,鉄などをより高価にしたりより安価にすることはできない.なぜなら,それらはこうした諸商品の諸用途を供給することはできないからである.
 同等の価値を持つ諸物には相違や区別はない.ある商品は同一の価値を有する別の商品と同等の財である.百ポンドの値打ちがある鉛や鉄は,百ポンドの値打ちがある銀や金と同等の価値がある.また百ポンドの値打ちがある布は,百ポンドの値打ちがある上質な布と同等の価値がある.百ポンドの値打ちがあるトウモロコシや畜牛を持っている男性は,百ポンドを金銭として持っている男性と同等の富豪である.なぜなら,彼のトウモロコシと畜牛はすぐに大金へと換金できる可能性があるからである.商人と貿易商は常に自分たちの金銭を諸商品に交換している.なぜなら,彼らは金銭よりも諸商品によってより多くのものを得ることができるからである.そのような商品は,それが最も不足しているところに輸送するか,あるいはそのような諸商品の姿形を変えることによってより有用なものとなり,それによってより多くの価値のあるものとなるからである.

 ところで,万物の価値がその使用から生じるならば,豊富さや希少性が諸物を高価または安価にするならば,銀がいくつかの用途のための商品であり,ある場所では他の場所よりも豊富であるとすれば,その場合には銀が確実な価値すなわち内在的価値を持ち得ないということが,必然的に出てくるに違いない.銀が不確実な価値を持つものであるならば,それは商業と交通の道具には決してなり得ない.なぜなら,それ自身の価値が不確実なものが別の価値の確実な尺度となることは決してあり得ないからである.
(つづく)

追記

 バーボンの著作からの画像の利用にあたっては,令和2年12月9日付で訳者(私)が京都大学法学部に特別利用願を申請し,令和3年2月1日付で山本敬三(京都大学大学院法学研究科長,敬称略)による承認のもと,特別利用許可を貰っている.書類申請の際には京都大学法学部図書室の辰野さんのお世話になった.申請に携わっていただいた皆様にあらためて感謝の意を申し上げる.(訳者)



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