写真・図版
浅田彰さん=柴田悠貴撮影

  • 写真・図版

 歌手にしろ俳優にしろ、国民的な「象徴」が存在していた時代は遠のいた。作り手も受け手も、シンボルを見上げたかつての枠組みから逃げ出し、創作・表現を自由な形でやりとりする流れが加速している。

 

 ■切ってつないで、社会を変える 「逃走論」の浅田彰さんに聞く

 これからの逃走の可能性とは――。『逃走論』(84年)の著者で批評家・京都造形芸術大教授の浅田彰さん(60)に聞いた。

     ◇

 80年代は消費社会・情報社会が訪れ、新しいライフスタイルが次々と提案されるなか、旧来の「家族」「男らしさ/女らしさ」といった価値観が変化しつつありました。

 背後には重厚長大型から軽薄短小型に、定期雇用型から不定期雇用型に、という資本主義の変化がある。ただ相変わらず古い価値観やアイデンティティーに固執する人々も多いのなら、資本主義を半ば肯定しつつ、そんなパラノ(偏執)的な鋳型を捨てて、スキゾ的(分裂)に逃走しよう。多様な人々と横につながり、自分も変身していこう、と提唱したわけです。ただ、冷戦終結以降、グローバル化した資本主義の力は恐るべきもので、逃走の試みの多くは資本主義にのみ込まれた。

 そこにはネット社会の問題もある。横のつながりが容易になったが、SNS上で「いいね!」数を稼ぐことが重要になった。人気や売り上げだけを価値とする資本主義の論理に重なります。他方、一部エリートにしか評価されない突出した作品や、大衆のクレームを招きかねないラディカルな批評は片隅に追いやられる。仲良しのコミュニケーションが重視され、自分と合わない人はすぐに排除するんですね。

 大事なのは、(哲学者の)ドゥルーズと(精神分析家の)ガタリのシャレで言えば「コネティカット(Connecticut)」=「Connect/I/Cut」です。つないで切断し、切断してつなぐ。ネットの村祭りの熱狂から一歩引いたクールなコミュニケーションが重要です。その意味で「逃走論」は今も有効だと思います。

 近代日本を支えたのは「末は博士か大臣か」という希望だったとして、その既定路線に合わない少数派は排除されるし、排除されたら終わりという恐怖もあった。それに対し希望という名の拘束から解き放たれ、ドロップアウトが肯定される社会になるとすれば、良いことだと思います。

 ただその先には、定職を失い、単発の仕事を請け負う働き方を「ギグ・エコノミー」と言い換える新自由主義的な世界が広がっている。ネットの横のつながりも、自由に見えて相互監視の危険性がある。問題はそこからの逃走でしょう。

 逃走は「闘争」です。68年全共闘世代が自己のアイデンティティーに基づく闘争を志向した一方、僕はアイデンティティーからの逃走を唱えました。ただ、ネット社会で様々な帰属先を持つことで複数の「私」があるといっても、複数の「私」の束という多重人格的なあり方では逃走さえできない。ときには接続を切り、ネット村から逃走する必要がある。そのとき「Connect」と「Cut」の間に「I(私)」が発生する。そういう逃走が、ソフトな抑圧と闘い、社会を変えてゆく闘争につながるのです。

 (河村能宏、編集委員・大西若人)

 

 ◇社会や思想の枠組みが揺らぎ、明日を見通しにくい時代。常識的な価値観から抜け出し、前向きに逃げたり、立ち位置をずらしたりして、新しい創造や取り組みへ向かう。そんな文化の潮流を探ります。全5回の予定です。