映画翔んだカップルにはドストエフスキー地下室の手記からの引用がある。
(シナリオ1980年8月号掲載台本には該当のセリフはない。)
「なんだか 、あなたは … …まるで本を読んでるみたいで 」彼女はこうつぶやいた 。そして 、その声にはまたしても何やら嘲笑に似た調子が聞えた 。
この言いかたに 、ぼくは痛いところをつかれた思いだった 。こんな言葉が返ってこようとは予期してもいなかった 。
ぼくには 、彼女がことさら嘲笑的な口調のかげに身をかくそうとしたことがわからなかったのだ 。純情で羞恥心の強い人間が 、ずかずかと無遠慮に内心に踏みこんでこられたとき 、それでも誇りの気持から最後の瞬間まで屈しようとはせず 、自分の本心をさらけだすのを恐れている場合 、ふつう 、こういう奥の手を使うものだということがわからなかったのだ 。彼女があの嘲笑を口にしたとき 、何度もためらいながら 、そのあげくにようやく口にする決心をつけたらしい 、あのおずおずとした様子ひとつからだけでも 、ぼくは察してやるべきだったのに 。しかし 、ぼくは察してやらなかった 、そして 、はげしい憎悪がむらむらと頭をもたげてきた 。
《よし 、見ていろ 》とぼくは考えた 。
《よし 、見ていろ 》とぼくは考えた 。
。
794 衛星放送名無しさん[sage] 2020/07/07(火) 13:10:07.23 ID:lro4vPDMH0707
https://i.imgur.com/mLIrOvw.jpg
>何の映画に登場した場所だか、わかりますか?「翔んだカップル」で薬師丸ひろ子が自転車で駆け下りた?
映画のロケに使われたこの坂は、聖ドミニコ学園の裏手にあたります。
マジかよ病院坂じゃねーか
https://i.imgur.com/LIiC2A2.jpg
701 衛星放送名無しさん[] 2020/07/07(火) 13:58:43.53 ID:e5pdbEWt00707
>>276
翔んだカップル (1980年)
セーラー服と機関銃 (1981年)
ションベン・ライダー (1983年)
魚影の群れ (1983年)
ラブホテル (1985年)
台風クラブ (1985年)
雪の断章 情熱 (1985年)
光る女 (1987年)
東京上空いらっしゃいませ (1990年)
お引越し (1993年)
夏の庭 The Friends (1994年)
あ、春 (1998年)
風花 (2001年)
458 衛星放送名無しさん[] 2020/07/07(火) 15:07:20.05 ID:e5pdbEWt00707
翔んだカップル(1980)
第2回ヨコハマ映画祭
新人監督賞:相米慎二
脚本賞:丸山昇一(『野獣死すべし』と合わせての受賞)
主演女優賞:薬師丸ひろ子
第4回日本アカデミー賞
話題賞 作品部門:『翔んだカップル』
話題賞 俳優部門:薬師丸ひろ子
※話題賞=一般投票
プレミアムシネマ 5453
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livebs/1594100941/
学生の頃相米慎二にイベントの打ち上げの後の飲み会で話を聞いたとがある。
返信削除ドストエフスキー『地下室の手記』の引用は丸山のシナリオにあったか聞いた。
誤魔化していたから多分相米慎二が自分で書き加えたのだろう。
当時撮っていた自分の映画のタイトルをいうと、
伝説を映画にするなよな、と言われた。
松下竜一さんのスローライフ
返信削除http://www.sloth.gr.jp/library/nakamura/040707matsusita.htm
松下竜一さんのスローライフ
中村隆市です。故・松下竜一さんのことで、多くの皆さんからあたたかいメッセージをいただきまして、ありがとうございました。
ナマクラ会員・関本洋司さんのメッセージに相米慎二さんのことが書かれていました。
> 僕にも何人か忘れがたいひとがいます。
> 台風の季節に思い出すのは、『台風クラブ』という作品を撮った
> 相米慎二という映画監督で、僕は一度、東京学生映画祭の打ち上げで
> 話をしたことがあります。
> 「若い人達が映画を撮れればいい」と、自分のことを考えていない姿勢に
> 衝撃を受けました。
相米監督は、松下さんの映画を撮ろうとしてシナリオを書き上げ、渋る松下さんをようやく説得して、これから撮影に入ろうという段階で、監督自身がガンになり、53歳の若さで亡くなりました。
松下さんからの便りで映画化を知り、楽しみにしていたのでとても残念でした。
松下さんは、幼い時から身体が弱く、病気ばかりしていました。そのためでしょうか、いつも被害を受ける側の立場からものごとを考えるような人でした。環境の破壊や汚染に対しては、被害を最も受ける住民や未来世代の立場から反対していました。
松下さんが発行していた月刊「草の根通信-環境権確立に向けて」は、30年以上も発行され続けました。病気がちだった松下さんは、病院のベッドの上でも通信の編集をしていて、よく医者に叱られていました。九州では、環境運動や平和運動の大黒柱的な存在でした。
近年、松下さんが一番力を入れていたのが、脱原発と反戦運動でした。
毎年8月15日の「終戦記念日」に、憲法9条を守るための意見広告を新聞に掲載する運動は、ことしで22回目になります。
松下さんは、いのちと同時に、こころも大切にする人でした。
はじめて私が読んだ松下さんの本は、電力会社との裁判闘争をユーモアたっぷりに描いた「五分の虫、一寸の魂」という本でした。当時、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害病の実態を知り、暗く沈んでいた20才の私は、この本を読んで笑い転げました。そして、松下さんの優しいつよさに惹かれました。
数年前まで松下さんは、毎日2時間近く洋子夫人と散歩をしていました。川の河口で、パンの耳をちぎってカモメに与えたり、ゆっくりと季節の草花などを眺めるのが好きでした。
いつもビンボーだった松下さんが書いた「底抜けビンボー暮らし」という本が、数年前に珍しく売れて、十数年ぶりに税金を納めたことがあります。しかしそれは、1万円にも満たない額でした。
そんなビンボー暮らしを見て、人は洋子さんに「どうしてパートに出ないの」と聞くのですが、「お金より二人の散歩の方が大切」と答えます。
30年以上も前に松下さんは、海を埋め立てて巨大コンビナートをつくる計画に反対し、「環境権裁判」を起こしました。弁護士に頼らず、本人訴訟であたり前のことを訴えました。
「美しい自然を子どもたちや未来世代に残したい」と。
そして、「物質的な豊かさだけを追い求めるのはやめて、少しの間立ち止まろう、ちょっとだけつつましい生活をしよう」と自主停電を呼びかけ、「暗闇の思想」を提唱しました。
100万人のキャンドルナイトの「でんきを消して、スローな夜を」という考え方を30年も前から言っていたのが、松下さんでした。
きょうは七夕ですね。
この一年で、星になった松下竜一さんとカルロス・フランコさん。
環境と平和を願う仲間でもあり、師でもあった2人を想いながら今夜は、友人たちとピースローソクを灯したいと思います。
豆腐屋の四季
「魚影の群れ」のYahoo!検索(リアルタイム) - Twitter ...
search.yahoo.co.jp/realtime/search/魚影の群れ/
RT @79primaveras: 相米慎二最後の企画は、松下竜一「豆腐屋の四季」だったのか。『魚影の群れ』を凌駕するとてつもない傑作になっていたかも知れない。
自殺報道の影響に関して社会学者によって名付けられた
返信削除ウェルテル、パパゲーノ効果を日本流に言い換えるなら
相米慎二の作品名を借りて、
台風クラブ、ラブホテル効果ということにしたい
自殺報道の影響に関して社会学者によって名付けられた
返信削除ウェルテル効果、パパゲーノ効果を日本流に言い換えるなら
相米慎二の作品名を借りて、
それぞれ、台風クラブ効果、ラブホテル効果ということにしたい