負債 Satapatha Brahmana
参考:
負債論 貨幣と暴力の5000年 デヴィッド・グレーバー 著
インド哲学
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07. (2) Second Brahmana
THE CHIEF OFFERINGS.
1.
Verily, whoever exists, he, in being born, is born as (owing) a debt to the gods, to the Rishis, to the fathers, and to men.
The Satapatha Brahmana (Book 1) (English Edition)
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06. (2) Second Brahmana
16.
Verily, even in being born, man, by his own self, is born as a debt (owing) to death. And in that he sacrifices, thereby he redeems himself from death, even as Suparnî then redeemed herself from the gods.
以下グレーバー
Chapter Three PRIMORDIAL DEBTS
In being born every being is born as debt owed to the gods, the saints, the Fathers and to men. If one makes a sacrifice, it is because of a debt owing to the gods from birth … If one recites a sacred text, it is because of a debt owing to the saints … If one wishes for offspring, it is because of a debt due to the fathers from birth … And if one gives hospitality, it is because it is a debt owing to men.
— Satapatha Brahmana 1.7.12, 1–6
A man, being born, is a debt; by his own self he is born to Death, and only when he sacrifices does he redeem himself from Death.34 Sacrifice (and these early
34. Satapatha Brahmana 3.6.2.16
38. I am fusing here two slightly different versions: one in Tattiriya Sarphita (6.3.10.5), which says that all Brahmans are born with a debt, but only lists gods, Fathers, and sages, leaving out the duty of hospitality, and the other in Satapatha Brahmana (1.7.2.1–6) that says all men are born as a debt, listing all four—but which seems really to be referring to males of twice-born castes. For a full discussion: see Malamoud 1983 and Olivelle 1993:46-55, also Malamoud 1998.
85
とは〈死》のもたらす重みを背負うことである。神に対するものであれ人に対するものであれ、どのような責務回一
避も、どのような約束破りも、〈死〉の影のもとで生きることである。最初期のテキストにおいてさえ、負債はし
ばしば広い意味での内なる苦悩を代理しているようにおもわれるが、ひとは神々ーーとりわけ供犠の炎を表現する」
アグニーーに、負債からの解放を乞うのである。注釈者たちの手ですべてより合わされてひとつのより包括的な哲」
学へと編纂されたのは、ブラーフマナがはじめてである。結論はこうだ。人間の存在自体がひとつの負債である。
生れ落ちた人間は負債である。彼自身死せるものとして生まれ、自己を供犠としてはじめてみずからを死から救
済するのである。*34
供犠(sacrifice)(そしてこれら初期の注釈者たち自身が「自己犠牲的聖職者(sacrificial priests)」だったが)
は、かくして「〈死》に支払われる貢物(tribute)」と呼ばれている。というか、これは言い回しの問題である。だ
れよりも聖職者たち自身がよく知っていたように、現実には供儀は〈死〉のみならず神々すべてにむけられていた
死は中間項(intermediary)にすぎないのである。ところがこのように事態を把握してみるや、ひとっの問題がた一
ちまち浮上した。人生をこんな決まり文句でもって言い表そうとするとき、だれしもぶつかる問題である。すな
わち、わたしたちの生そのものが貸付されたものだとして、いったいだれがあえてその負債を返済しようとするの
か?負債を背負って生きることは有罪であり不完全であることだ。とはいえ、それを完済するということはただ
消滅(死滅]を意味するのみなのではないか。かくして供犠の「貢物」をいわば利子の支払いとみなすことが可能
になった。一時的に動物の命を本当に負って[借りて]いるもの、すなわち、わたしたち自身の代理物にするわけ
ロ.
である
ー要するに、不可避的事態[死]のたんなる延期なのだ
85
第三章 原初的負債
65:
第三章原初的負債
生きとし生けるものはすべて神と聖者と父と人に負債を負って生まれる。ある者が生一
賛を捧げるのは、その誕生にあって神に負債を負っているからである。(…)ある者
が聖典を朗唱するのは、聖者 に負債を負っているからである。(…)ある者がおのれ
の子どもを望むのは、生まれ出たことについてその父に負債を負っているからである
(…)ある者が歓待を与えるとしたら、その者が人に負債を負っているからである。
ーシャタパタ·ブラーフマナ I.7.12, I-6
負債を清算するかの如く、悪夢の崇りを追い払ってしまえ
リグ・ヴェーダ- 8.47.17
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返信削除07. (2) 第二バラモン
主な供物
1.
存在する者は誰でも、生まれてくるときに、神々、リシ、父、そして人間に恩義を感じて生まれてくるのである。
サタパタ・ブラフマーナ(第1巻)(英語版
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2巻
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06. (2) 第二バラモン
16.
確かに、人間は生まれてくるときにも、自分自身によって、死への負債(借り)として生まれてくる。スパーニィが神々から自分を救済したように、自分が犠牲になることで、死から自分を救済するのである。
以下グレーバー
第三章 第一次債務(PRIMORDIAL DEBTS)
すべての存在は、生まれながらにして、神々、聖人、父、そして人間への負債として生まれてくる。生け贄を捧げるのは、生まれたときから神々に借りているからであり、聖典を朗読するのは、聖人に借りているからであり、子孫を願うのは、生まれたときから父に借りているからであり、おもてなしをするのは、人間に借りているからである。
- サタパタ・ブラフマーナ1.7.12, 1-6
人は、生まれてきたこと自体が負債であり、自分自身によって死のために生まれてきたのであり、犠牲を払って初めて死から自分を救済することができる34 犠牲(およびこれらの初期の
34. サタパタ・ブラフマーナ 3.6.2.16
38. 1つはTattiriya Sarphita (6.3.10.5)にあるもので、すべてのブラフマンは負債を背負って生まれてくるとしていますが、神々、父、賢者を挙げているだけで、接待の義務を省いています。もう1つはSatapatha Brahmana (1.7.2.1-6)にあるもので、すべての男性は負債を背負って生まれてくるとしており、4つすべてを挙げていますが、実際には2回生まれたカーストの男性のことを指しているようです。詳しくはMalamoud 1983, Olivelle 1993:46-55, Malamoud 1998を参照のこと。