Gandhi's Salt March

Gandhi using a Spinning Wheel in India - Gandhi video footage
Mahatma Gandhi believed Charkha was a divine weapon for change
https://youtu.be/IDfeHfK_br4
道徳性不在の信用取引: ガンジーの言葉の窓:Messages by Mahatma Gandhi
http://mkgandhi.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c108.html道徳性不在の信用取引
チャンパーランには、いわゆる農業銀行というものがあります。協同運動の成功例として期待しているのであれば、期待はずれに終わる努力をしているだけだと私は思っています。他方、同じ方向を目指した、ホッジ氏による静かな取り組みも行われています。ホッジ氏に接した人は、その努力を心に刻むことになります。・・・両者の取り組みを見守ることができた私は、当事者がどういう人かということが、一方を成功に導き、もう一方に失敗をもたらす重要な要素だと、ためらうことなく申し上げます。
私は、熱中しやすいタイプです。しかし、25年間いろいろな事を試み、経験してきましたので、熱中するにしても用心深く、区別をして選択できるようになりました。大義のために働く人は、自分で意識することはないにしても、良い点をさらに増し加え、足りない点は、まさにそのことのゆえにそれが利点となっていくような、そのような働きを必然的にしてしまうのです。・・・・ですから、私は、協同運動に熱中している人々に、かなわない望みを抱くことがないようにと忠告しておきたいのです。
ダニエル・ハミルトン卿にとっては、宗教になってしまいました。昨年の1月13日に、スコットランド教会付属大学の学生達に対して行った演説の中で、教訓として彼は200年前のスコットランドの貧困状態を例としてあげました。そして、偉大なるスコットランドが、いかにして貧困状態を脱して豊かになったかを説明しました。2つの勢力によってスコットランドは立ち直ったが、その2つとは、スコットランド教会とスコットランド銀行だったと彼は述べたのです。教会が人間を養成し、銀行は、世に出て行くために必要なお金を人に与えるべくお金を作り出したというのです。.... 教会は国民が神を畏れるように指導します。これが、知恵の始まりであるわけです。そして教区の学校で子どもたちは、人生の主要な目的は、神に栄光を帰すことであり、神との交流を永遠に楽しむことであると教わります。神と自分を信じるような教育が行われています。そしてそのようにして養成された信頼に足る人格に基づいて、スコットランド銀行の制度が確立されたというわけです。ダニエル卿は、そのように養われた人格に基づいてのみ、この素晴らしいスコットランド銀行の制度は立ち上がっていくことが可能になると語っていくのです。ここまでは、ダニエル卿の考えに異論は全くありません。「人格なくして、協力はありえない」というのが、至言だからです。
しかし、さらにもっと先へと続いていくのです。油がのってきて協同運動について長々と演説をしていきます。「皆さんが夢見るインドの将来像が何であったとしても、それは、インドをひとつにまとめて、世界の中でインドが正しい位置を占めるようにすることであり、英国政府がここにいて、その政府の手にある溶接のためのハンマーは、協同運動であることは忘れてはいけません」と続くのです。彼に言わせれば、目下インドが苦しんでいるあらゆる病気に対する万能薬が、協同運動なのだそうです。・・・熱血漢の大風呂敷と私は思っています。彼の大げさな結論の注目してください。
「信頼と信義でしかない信用取引が、世界の金権力となりつつあります。証書という弾丸に山をも動かす信仰が刻印されているのです。インドは勝利と平安を見出すでしょう」
ここに、思考の混乱が見て取れます。世界の金権力となりつつある信用取引には、道徳的な基盤はほとんどありません。そしてそれは、純粋に道徳的な特性である信頼や信義と同義語ではないのです。私が20年間経験したことからいいましても、南アフリカの銀行と取引をしていた何百人もの人から、よく次のような意見を耳にしたものです。その言葉は今でも私の心に深く刻まれています。「悪人ほど、銀行からたくさん貸してもらえる」というのです。銀行は借り主の道徳性になど頓着しません。貸付高や約束手形に見合う金額を期日までに支払ってくれさえすれば良いのです。狡猾な蛇がとぐろを巻いているように、この信用システムが我々の美しい地球を取り囲んでいます。もし我々が気に留めずにいるならば、きっと我々の息の根を止めてしまうことでしょう。このシステムによって破綻した家庭を数多く見てきました。そしてその信用に協同の名がついていても、いなくても違いはありません。この死のとぐろによって、ヨーロッパにはひどい状態がもたらされ、私たちは成す術もなくそれを見つめています。今日ほどそれがあてはまることはないように思われますが、法治下にあっても、戦争中であっても財布を長持ちさせたものが、最後には勝利を収めるのです。私が、信用システムについて現在一般的に考えられていることに焦点を当てましたのも、次の点を強調したかったからです。つまり、協同運動がインドのためになるかは、その運動がどの程度まで道徳的運動であるかにかかっています。そして、宗教的情熱に燃えている人が厳格に指導すべきです。ですから、協力の手を差し伸べるのは、道徳的に正しい行いをしたいと思いながら、非常に貧しいためあるいは高利貸しの餌食になってしまったためにそれができないでいる人々に対してだけにとどめるべきです。適正な利率で金を貸してくれる施設に不道徳な人間を正しい人間に変える力はありません。しかし、国家の英知をを代表する人たちや、慈善家たちは、良くなりたいと努力をしている人々を、どんどん支援したらよいと主張するのです。
物が豊かになれば、人の性質も良くなると信じてしまうことが、あまりにも多いのです。インドにとって良いことがとてもたくさんあるはずの運動が、低金利の融資をするだけの団体に成り下がってしまわないようにする必要があります。ですから、私はインド協同委員会の報告書にある忠告を読んで嬉しくなりました。それには、政府が人々の改善を期待できるのは、本物の協同運動だけ、つまり問題の道徳的側面を認識する協同運動だけであって、いかに立派に見えても協同運動の原則を無視して建てられた組織ではないのだという主張が堂々と掲げられていました。
この基準に照らせば、運動の成果を創設された協同組合の数で測るようなことはなくなります。協力者の道徳性で測るようになるでしょう。そうすれば責任者も団体の数を増やすよりも前に、今ある団体を道徳的にもっとしっかりさせることに重点をおくようになります。そして政府の後押しも条件つきとなるでしょう。つまり、登録団体の数ではなく、現在ある施設で道徳性がどの程度向上したかが基準となります。そこで、メンバーに貸し与えられたすべてのパイス(インド・パキスタンの旧通貨単位: =1/64ルピー)の行き先を辿ることになります。協同組合の適切な活動に責任を有する人は、前渡ししたお金が、お酒の勘定に化けたり、賭博場の管理人の懐に入ったりしていないか注意します。賭博をなくし、農家からお酒を追放することができるのであれば、金貸しの強欲さに目をつぶっても良いのですが・・・
高利貸しについて一言述べるのも的外れではないでしょう。協同運動というのは、新しい試みではありません。農民たちは、作物を食い荒らすサルや鳥を、協同で太鼓をたたいて追い払っています。脱穀場を共同利用しています。牛を守るために最良の土地を牛の放牧場として奉げるような、協同行為を彼らが行っているのを見たこともあります。さらに、とりわけ貪欲な高利貸しに対して共同戦線も張ってきました。高利貸しが農民たちをしっかり握っているから、協同運動も成功しないのではないかと疑問の声が上がっていました。そのような恐れを私は共有しません。もし高利貸しが悪の力を代表するものであるなら、最強の高利貸しといえども、本質的に道徳的な運動として始まった協同運動の前には、屈服するに違いないからです。高利貸しについてはチャンパーランでの限られた体験しかありませんが、それでも私は、高利貸しが「荒廃的影響力」を及ぼしているという一般的な考えを訂正することになりました。常に情け容赦ないわけではなく、最後の一切れまでむしりとるわけでもないことを発見しました。時には、いろいろなやり方でお客にサービスをすることもあるのです。ひどい困窮状態にあるときには、救いの手を差し伸べることさえあります。私が実際に見てきたことは限られていますから、そこから、どんな結論も導くことはできませんが、高利貸しから良い点を引き出して、悪いところを捨てていくように彼に迫っていく、真剣な取り組みを行えないだろうかと、謹んで問うてみたいのです。協同運動の団体に加わるように説得できないでしょうか。これまでの経緯から改心の見込みがないと言うのでしょうか?
この運動がインド固有のあらゆる産業を視野に入れていることに、私は気づいています。私が機織り職人の境遇を改善しようと行っているささやかなて取り組みを、政府が支援してくださっていることに、この場を借りて感謝申し上げたいと思います。試みてきたことから、この分野においてたくさんの仕事があることがわかってきました。インドの幸福を願う愛国者で、手織り職人が今にも消滅してしまおうとしているのを、平然と眺めていられる人はいないでしょう。マン博士が述べたように、これは農民に追加の収入をもたらしていた産業であり、飢饉に対する保険の役割を果たしていました。
協同運動の責任者で、この重要かつ優美な産業を生き返らせた人は必ず、インドの賞賛をえることになるでしょう。私のささやかな取り組みでは、最初に、従来の手織り機に単純な改良の余地はないか調査をし、次に、教育を受けた若者が政府関係やその他の仕事につきたいという思いを捨てるようにさせ、彼が受けた教育は独立した仕事に向かないような人間をつくる教育だったと気づかせ、弁護士や医師と同じく名誉ある素晴らしい仕事として機織りにつくように仕向けていきます。そしてさらに、機織りをやめた職人たちが、復帰できるように助けるのです。・・・この最後の取り組みについては、我々の今日のテーマと直接関係していますので、少し詳しく説明させていただいても良いでしょう。私は、ほんの半年前にこの取り組みを始めました。この天職をあきらめていた5つの家族が、この仕事に復帰しました。そして仕事はうまくいっています。彼らが必要とする糸は、アシュラムの責任で戸口まで届けます。織られた布も、アシュラムのほうで取りにうかがい、市価で現金で買い取ります。最初の糸代として前払いした額の金利分だけを、アシュラムは負担することになります。これまでのところ、損失は出していませんし、貸付を限度内に抑えることで、負担も最小ですんでいます。今後の業務はすべて断固として現金払いを貫きます。受け取った布はすぐに売ることができています。ですから、この業務における金利分の損失は、無視できるほどの額でしかありません。この最初から最後まで、道徳的であるという点に注目していただきたいのです。アシュラムは、友人が手を貸してくれるような援助に、存在の全てを依存しています。ですから、我々には、利息を請求する権限はないのです。機織りに対して利息が貸されることはありえません。ばらばらに崩壊してしまっていた家族が、まとまりを取り戻します。貸付の使い道は、あらかじめ決められています。
我々仲介者は、ボランティアですので、これらの家族の生活に関わっていく特権を得ています。そして、彼ら、および我々の状態がより良くなることを願っているのです。自分たちが向上しなくては、彼らの状態を良くすることもできません。今ここで最後に述べましたような関係は、まだできあがっていません。しかし、早い時期にこれらの家族の教育にも着手したいと願っています。そして彼らのあらゆることに関わっていけるようになって、初めて我々は満足するのです。これは決して、見果てぬ夢ではありません。神がそう望めば、いつの日か現実となります。この小さな実験を長々と述べてきましたのも、私が考える共同事業とは何かを皆さんに示して、それを真似てもらいたいと思ったからです。我々の理想が何かを、確認しましょう。実現することはなかなかできないかもしれません。しかし、それに向けて努力するのを、決してやめてはいけません。そうすれば、ラスキンには正当な理由があって恐れていた「悪党の協同」を、我々は怖がる必要がないのです。
インディアン・レビュー 1917年10月
私は、熱中しやすいタイプです。しかし、25年間いろいろな事を試み、経験してきましたので、熱中するにしても用心深く、区別をして選択できるようになりました。大義のために働く人は、自分で意識することはないにしても、良い点をさらに増し加え、足りない点は、まさにそのことのゆえにそれが利点となっていくような、そのような働きを必然的にしてしまうのです。・・・・ですから、私は、協同運動に熱中している人々に、かなわない望みを抱くことがないようにと忠告しておきたいのです。
ダニエル・ハミルトン卿にとっては、宗教になってしまいました。昨年の1月13日に、スコットランド教会付属大学の学生達に対して行った演説の中で、教訓として彼は200年前のスコットランドの貧困状態を例としてあげました。そして、偉大なるスコットランドが、いかにして貧困状態を脱して豊かになったかを説明しました。2つの勢力によってスコットランドは立ち直ったが、その2つとは、スコットランド教会とスコットランド銀行だったと彼は述べたのです。教会が人間を養成し、銀行は、世に出て行くために必要なお金を人に与えるべくお金を作り出したというのです。.... 教会は国民が神を畏れるように指導します。これが、知恵の始まりであるわけです。そして教区の学校で子どもたちは、人生の主要な目的は、神に栄光を帰すことであり、神との交流を永遠に楽しむことであると教わります。神と自分を信じるような教育が行われています。そしてそのようにして養成された信頼に足る人格に基づいて、スコットランド銀行の制度が確立されたというわけです。ダニエル卿は、そのように養われた人格に基づいてのみ、この素晴らしいスコットランド銀行の制度は立ち上がっていくことが可能になると語っていくのです。ここまでは、ダニエル卿の考えに異論は全くありません。「人格なくして、協力はありえない」というのが、至言だからです。
しかし、さらにもっと先へと続いていくのです。油がのってきて協同運動について長々と演説をしていきます。「皆さんが夢見るインドの将来像が何であったとしても、それは、インドをひとつにまとめて、世界の中でインドが正しい位置を占めるようにすることであり、英国政府がここにいて、その政府の手にある溶接のためのハンマーは、協同運動であることは忘れてはいけません」と続くのです。彼に言わせれば、目下インドが苦しんでいるあらゆる病気に対する万能薬が、協同運動なのだそうです。・・・熱血漢の大風呂敷と私は思っています。彼の大げさな結論の注目してください。
「信頼と信義でしかない信用取引が、世界の金権力となりつつあります。証書という弾丸に山をも動かす信仰が刻印されているのです。インドは勝利と平安を見出すでしょう」
ここに、思考の混乱が見て取れます。世界の金権力となりつつある信用取引には、道徳的な基盤はほとんどありません。そしてそれは、純粋に道徳的な特性である信頼や信義と同義語ではないのです。私が20年間経験したことからいいましても、南アフリカの銀行と取引をしていた何百人もの人から、よく次のような意見を耳にしたものです。その言葉は今でも私の心に深く刻まれています。「悪人ほど、銀行からたくさん貸してもらえる」というのです。銀行は借り主の道徳性になど頓着しません。貸付高や約束手形に見合う金額を期日までに支払ってくれさえすれば良いのです。狡猾な蛇がとぐろを巻いているように、この信用システムが我々の美しい地球を取り囲んでいます。もし我々が気に留めずにいるならば、きっと我々の息の根を止めてしまうことでしょう。このシステムによって破綻した家庭を数多く見てきました。そしてその信用に協同の名がついていても、いなくても違いはありません。この死のとぐろによって、ヨーロッパにはひどい状態がもたらされ、私たちは成す術もなくそれを見つめています。今日ほどそれがあてはまることはないように思われますが、法治下にあっても、戦争中であっても財布を長持ちさせたものが、最後には勝利を収めるのです。私が、信用システムについて現在一般的に考えられていることに焦点を当てましたのも、次の点を強調したかったからです。つまり、協同運動がインドのためになるかは、その運動がどの程度まで道徳的運動であるかにかかっています。そして、宗教的情熱に燃えている人が厳格に指導すべきです。ですから、協力の手を差し伸べるのは、道徳的に正しい行いをしたいと思いながら、非常に貧しいためあるいは高利貸しの餌食になってしまったためにそれができないでいる人々に対してだけにとどめるべきです。適正な利率で金を貸してくれる施設に不道徳な人間を正しい人間に変える力はありません。しかし、国家の英知をを代表する人たちや、慈善家たちは、良くなりたいと努力をしている人々を、どんどん支援したらよいと主張するのです。
物が豊かになれば、人の性質も良くなると信じてしまうことが、あまりにも多いのです。インドにとって良いことがとてもたくさんあるはずの運動が、低金利の融資をするだけの団体に成り下がってしまわないようにする必要があります。ですから、私はインド協同委員会の報告書にある忠告を読んで嬉しくなりました。それには、政府が人々の改善を期待できるのは、本物の協同運動だけ、つまり問題の道徳的側面を認識する協同運動だけであって、いかに立派に見えても協同運動の原則を無視して建てられた組織ではないのだという主張が堂々と掲げられていました。
この基準に照らせば、運動の成果を創設された協同組合の数で測るようなことはなくなります。協力者の道徳性で測るようになるでしょう。そうすれば責任者も団体の数を増やすよりも前に、今ある団体を道徳的にもっとしっかりさせることに重点をおくようになります。そして政府の後押しも条件つきとなるでしょう。つまり、登録団体の数ではなく、現在ある施設で道徳性がどの程度向上したかが基準となります。そこで、メンバーに貸し与えられたすべてのパイス(インド・パキスタンの旧通貨単位: =1/64ルピー)の行き先を辿ることになります。協同組合の適切な活動に責任を有する人は、前渡ししたお金が、お酒の勘定に化けたり、賭博場の管理人の懐に入ったりしていないか注意します。賭博をなくし、農家からお酒を追放することができるのであれば、金貸しの強欲さに目をつぶっても良いのですが・・・
高利貸しについて一言述べるのも的外れではないでしょう。協同運動というのは、新しい試みではありません。農民たちは、作物を食い荒らすサルや鳥を、協同で太鼓をたたいて追い払っています。脱穀場を共同利用しています。牛を守るために最良の土地を牛の放牧場として奉げるような、協同行為を彼らが行っているのを見たこともあります。さらに、とりわけ貪欲な高利貸しに対して共同戦線も張ってきました。高利貸しが農民たちをしっかり握っているから、協同運動も成功しないのではないかと疑問の声が上がっていました。そのような恐れを私は共有しません。もし高利貸しが悪の力を代表するものであるなら、最強の高利貸しといえども、本質的に道徳的な運動として始まった協同運動の前には、屈服するに違いないからです。高利貸しについてはチャンパーランでの限られた体験しかありませんが、それでも私は、高利貸しが「荒廃的影響力」を及ぼしているという一般的な考えを訂正することになりました。常に情け容赦ないわけではなく、最後の一切れまでむしりとるわけでもないことを発見しました。時には、いろいろなやり方でお客にサービスをすることもあるのです。ひどい困窮状態にあるときには、救いの手を差し伸べることさえあります。私が実際に見てきたことは限られていますから、そこから、どんな結論も導くことはできませんが、高利貸しから良い点を引き出して、悪いところを捨てていくように彼に迫っていく、真剣な取り組みを行えないだろうかと、謹んで問うてみたいのです。協同運動の団体に加わるように説得できないでしょうか。これまでの経緯から改心の見込みがないと言うのでしょうか?
この運動がインド固有のあらゆる産業を視野に入れていることに、私は気づいています。私が機織り職人の境遇を改善しようと行っているささやかなて取り組みを、政府が支援してくださっていることに、この場を借りて感謝申し上げたいと思います。試みてきたことから、この分野においてたくさんの仕事があることがわかってきました。インドの幸福を願う愛国者で、手織り職人が今にも消滅してしまおうとしているのを、平然と眺めていられる人はいないでしょう。マン博士が述べたように、これは農民に追加の収入をもたらしていた産業であり、飢饉に対する保険の役割を果たしていました。
協同運動の責任者で、この重要かつ優美な産業を生き返らせた人は必ず、インドの賞賛をえることになるでしょう。私のささやかな取り組みでは、最初に、従来の手織り機に単純な改良の余地はないか調査をし、次に、教育を受けた若者が政府関係やその他の仕事につきたいという思いを捨てるようにさせ、彼が受けた教育は独立した仕事に向かないような人間をつくる教育だったと気づかせ、弁護士や医師と同じく名誉ある素晴らしい仕事として機織りにつくように仕向けていきます。そしてさらに、機織りをやめた職人たちが、復帰できるように助けるのです。・・・この最後の取り組みについては、我々の今日のテーマと直接関係していますので、少し詳しく説明させていただいても良いでしょう。私は、ほんの半年前にこの取り組みを始めました。この天職をあきらめていた5つの家族が、この仕事に復帰しました。そして仕事はうまくいっています。彼らが必要とする糸は、アシュラムの責任で戸口まで届けます。織られた布も、アシュラムのほうで取りにうかがい、市価で現金で買い取ります。最初の糸代として前払いした額の金利分だけを、アシュラムは負担することになります。これまでのところ、損失は出していませんし、貸付を限度内に抑えることで、負担も最小ですんでいます。今後の業務はすべて断固として現金払いを貫きます。受け取った布はすぐに売ることができています。ですから、この業務における金利分の損失は、無視できるほどの額でしかありません。この最初から最後まで、道徳的であるという点に注目していただきたいのです。アシュラムは、友人が手を貸してくれるような援助に、存在の全てを依存しています。ですから、我々には、利息を請求する権限はないのです。機織りに対して利息が貸されることはありえません。ばらばらに崩壊してしまっていた家族が、まとまりを取り戻します。貸付の使い道は、あらかじめ決められています。
我々仲介者は、ボランティアですので、これらの家族の生活に関わっていく特権を得ています。そして、彼ら、および我々の状態がより良くなることを願っているのです。自分たちが向上しなくては、彼らの状態を良くすることもできません。今ここで最後に述べましたような関係は、まだできあがっていません。しかし、早い時期にこれらの家族の教育にも着手したいと願っています。そして彼らのあらゆることに関わっていけるようになって、初めて我々は満足するのです。これは決して、見果てぬ夢ではありません。神がそう望めば、いつの日か現実となります。この小さな実験を長々と述べてきましたのも、私が考える共同事業とは何かを皆さんに示して、それを真似てもらいたいと思ったからです。我々の理想が何かを、確認しましょう。実現することはなかなかできないかもしれません。しかし、それに向けて努力するのを、決してやめてはいけません。そうすれば、ラスキンには正当な理由があって恐れていた「悪党の協同」を、我々は怖がる必要がないのです。
インディアン・レビュー 1917年10月
There are so-called agricultural banks in Champaran. They were to me disappointing efforts, if they were meant to be demonstrations of the success of co-operation. On the other hand, there is quiet work in the same direction being done by Mr. Hodge, a missionary whose efforts are leaving their impression on those who come in contact with him. .... I who was able to watch the two efforts had no hesitation in inferring that the personal equation counted for success in the one and failure in the other instance.
I am an enthusiast myself, but twenty-five years of experimenting and experience have made me a cautious and discriminating enthusiast. Workers in a cause necessarily, though quite unconsciously, exaggerate its merits and often succeed in turning its very defects into advantages. .... I would venture, therefore, to warn enthusiasts in co-operation against entertaining false hopes.
With Sir Daniel Hamilton, it has become a religion. On the 13th January last, he addressed the students of the Scottish Churches College, and in order to point a moral he instanced Scotland's poverty of two hundred years ago and showed how that great country was raised from a condition of poverty to plenty. He said: There were two powers which raised her---the Scottish Church and the Scottish banks. The Church manufactured the men and the banks manufactured the money to give the men a start in life.... The Church disciplined the nation in the fear of God which is the beginning of wisdom and in the parish schools of the Church, the children learned that the chief end of man's life was to glorify God and to enjoy Him for ever. Men were trained to believe in God and in themselves, and on the trustworthy character so created, the Scottish banking system was built. Sir Daniel then shows that it was possible to build up the marvellous Scottish banking system only on the character so built. So far there can only be perfect agreement with Sir Daniel, for "Without character there is no co-operation" is a sound maxim.
But he would have us go much further. He thus waxes eloquent on co-operation: Whatever may be your day-dreams of India's future, never forget this that it is to weld India into one, and so enable her to take her rightful place in the world, that the British Government is here; and the welding hammer in the hand of the Government is the co-operative movement.
In his opinion, it is the panacea of all the evils that afflict India at the present moment. .... I venture to think, it is an enthusiast's exaggeration. Mark his peroration: Credit which is only Trust and Faith, is becoming more and more the money power of the world, and in the parchment bullet into which is impressed the faith which removes mountains, India will find victory and peace.
Here there is evident confusion of thought. The credit which is becoming the money power of the world has little moral basis and is not a synonym for Trust or Faith, which are purely moral qualities. After twenty years' experience of hundreds of men, who had dealings with banks in South Africa, the opinion I had so often heard expressed has become firmly rooted in me, that the greater the rascal, the greater the credit he enjoys with his banks. The banks do not pry into his moral character; they are satisfied that he meets his over-drafts and promissory notes punctually. The credit system has encircled this beautiful globe of ours like a serpent’s coil, and if we do not mind, it bids fair to crush us out of breath. I have witnessed the ruin of many a home through the system, and it has made no difference whether the credit was labelled co-operative or otherwise. The deadly coil has made possible the devastating spectacle in Europe, which we are helplessly looking on. It was perhaps never so true as it is to-day that as in law so in war the longest purse finally wins. I have ventured to give prominence to the current belief about credit system in order to emphasise the point that the co-operative movement will be a blessing to India only to the extent that it is a moral movement strictly directed by men fired with religious fervour. It follows, therefore, that co-operation should be confined to men wishing to be morally right, but failing to do so, because of grinding poverty or of the grip of the mahajan(Moneylender). Facility for obtaining loans at fair rates will not make immoral or unmoral men moral. But the wisdom of the State or philanthropists demands that they should help, on the onward path, men struggling to be good.
Too often do we believe that material prosperity means moral growth. It is necessary that a movement which is fraught with so much good to India should not degenerate into one for merely advancing cheap loans. I was therefore delighted to read the recommendation in the Report of the Committee on Co-operation in India, that they wish clearly to express their opinion that it is to true co-operation alone, that is, to a co-operation which recognises the moral aspect of the question that Government must look for the amelioration of the masses and not to a pseudo co-operative edifice, however imposing, which is built in ignorance of co-operative, principles.
With this standard before us, we will not measure the success of the movement by the number of co-operative societies formed, but by the moral condition of the co-operators. The Registrars will in that event ensure the moral growth of existing societies befor multiplying them. And the Government will make their promotion conditional, not upon the number of societies they have registered, but
the moral success of the existing institutions. This will mean tracing the course of every pice lent to the members. Those responsible for the proper conduct of co-operative societies will see to it that the money advanced does not find its way into the toddy-sellers’ till or into the pockets of the keepers of gambling dens. I would excuse the rapacity of the mahajan if it has succeeded in keeping the gambling die or toddy from the ryot’s home.
A word perhaps about the mahajan will not be out of place. Co-operation is not a new device. The ryots co-operate to drum out monkeys or birds that destroy their crops. They co-operate to use a common thrashing floor. I have found them co-operate to protect their cattle to the extent of their devoting their best land for the grazing of their cattle. And they have been found co-operating against a particularly rapacious mahajan. Doubt has been-expressed as to the success of co-operation because of the tightness of the mahajan's hold on the ryots. I do not share the fears. The mightiest mahajan must, if he represents an evil force, bend before co-operation, conceived as an essentially moral movement. But my limited experience of the mahajan of Champaran has made me revise the accepted opinion about his ‘blighting influence’. I have found him to be not always relentless, not always exacting of the last pie. He sometimes serves his clients in many ways or even comes to their rescue in the hour of their distress. My observation is so limited that I dare not draw any conclusions from it, but I respectfully enquire whether it is not possible to make a serious effort to draw out the good in the mahajan and help him or induce him to throw out the evil in him. May he not be induced to join the army of co-operation, or has experience proved that he is past praying for?
I note that the movement takes note of all indigenous industries. I beg publicly to express my gratitude to Government for helping me in my humble effort to improve the lot of the weaver. The experiment I am conducting shows that there is a vast field for work in this direction. No well-wisher of India, no patriot dare look upon the impending destruction of the handloom weaver with equanimity. As Dr. Mann has stated, this industry used to supply the peasant with an additional source of livelihood and an insurance against famine.
Every Registrar who will nurse back to life this important and graceful industry will earn the gratitude of India. My humble effort consists of, firstly, in making researches as to the possibilities of simple reforms in the orthodox handlooms, secondly, in weaning the educated youth from the craving for Government or other service and the feeling that education renders him unfit for independent occupation and inducing him to take to weaving as a calling as honourable as that of a barrister or a doctor, and, thirdly, by helping those who have abandoned their occupation to revert to it. .... The third may be allowed a few sentences as it has a direct bearing upon the subject before us. I was able to enter upon it only six months ago. Five families that had left off the calling have reverted to it and they are doing a prosperous business. The Ashram supplies them at their door with the yarn they need; it volunteers to take delivery of the cloth woven, paying them cash at the market rate. The Ashram merely loses interest on the loan advanced for the yarn. It has as yet suffered no loss and is able to restrict its loss to a minimum by limiting the loan to a particular figure. All future transactions are strictly cash. We are able to command a ready sale for the cloth received. The loss of interest, therefore, on the transaction is negligible. I would like the audience to note its purely moral character from start to finish. The Ashram depends for its existence on such help as friends render it. We, therefore, can have no warrant for charging interest. The weavers could not be saddled with it. Whole families that were breaking to pieces are put together again. The use of the loan is predetermined.
And we the middlemen being volunteers obtain the privilege of entering into the lives of these families 1 hope for their and our betterment. We cannot lift them without being lifted ourselves. This last relationship has not yet been developed, but we hope at an early date to take in hand the education too of these families and not rest satisfied till we have touched them at every point. This is not too ambitious a dream. God willing, it will be a reality some day. I have ventured to dilate upon the small experiment to illustrate what I mean by co-operation to present it to others for imitation. Let us be sure of our ideal. We shall ever fail to realise it, but we should never cease to strive for it. Then there need be no fear of “co-operation of scoundrels” that Ruskin so rightly dreaded.
From the original in Gandhiji's hand; S. N. 6412:
also The Indian Review, October 1917
I am an enthusiast myself, but twenty-five years of experimenting and experience have made me a cautious and discriminating enthusiast. Workers in a cause necessarily, though quite unconsciously, exaggerate its merits and often succeed in turning its very defects into advantages. .... I would venture, therefore, to warn enthusiasts in co-operation against entertaining false hopes.
With Sir Daniel Hamilton, it has become a religion. On the 13th January last, he addressed the students of the Scottish Churches College, and in order to point a moral he instanced Scotland's poverty of two hundred years ago and showed how that great country was raised from a condition of poverty to plenty. He said: There were two powers which raised her---the Scottish Church and the Scottish banks. The Church manufactured the men and the banks manufactured the money to give the men a start in life.... The Church disciplined the nation in the fear of God which is the beginning of wisdom and in the parish schools of the Church, the children learned that the chief end of man's life was to glorify God and to enjoy Him for ever. Men were trained to believe in God and in themselves, and on the trustworthy character so created, the Scottish banking system was built. Sir Daniel then shows that it was possible to build up the marvellous Scottish banking system only on the character so built. So far there can only be perfect agreement with Sir Daniel, for "Without character there is no co-operation" is a sound maxim.
But he would have us go much further. He thus waxes eloquent on co-operation: Whatever may be your day-dreams of India's future, never forget this that it is to weld India into one, and so enable her to take her rightful place in the world, that the British Government is here; and the welding hammer in the hand of the Government is the co-operative movement.
In his opinion, it is the panacea of all the evils that afflict India at the present moment. .... I venture to think, it is an enthusiast's exaggeration. Mark his peroration: Credit which is only Trust and Faith, is becoming more and more the money power of the world, and in the parchment bullet into which is impressed the faith which removes mountains, India will find victory and peace.
Here there is evident confusion of thought. The credit which is becoming the money power of the world has little moral basis and is not a synonym for Trust or Faith, which are purely moral qualities. After twenty years' experience of hundreds of men, who had dealings with banks in South Africa, the opinion I had so often heard expressed has become firmly rooted in me, that the greater the rascal, the greater the credit he enjoys with his banks. The banks do not pry into his moral character; they are satisfied that he meets his over-drafts and promissory notes punctually. The credit system has encircled this beautiful globe of ours like a serpent’s coil, and if we do not mind, it bids fair to crush us out of breath. I have witnessed the ruin of many a home through the system, and it has made no difference whether the credit was labelled co-operative or otherwise. The deadly coil has made possible the devastating spectacle in Europe, which we are helplessly looking on. It was perhaps never so true as it is to-day that as in law so in war the longest purse finally wins. I have ventured to give prominence to the current belief about credit system in order to emphasise the point that the co-operative movement will be a blessing to India only to the extent that it is a moral movement strictly directed by men fired with religious fervour. It follows, therefore, that co-operation should be confined to men wishing to be morally right, but failing to do so, because of grinding poverty or of the grip of the mahajan(Moneylender). Facility for obtaining loans at fair rates will not make immoral or unmoral men moral. But the wisdom of the State or philanthropists demands that they should help, on the onward path, men struggling to be good.
Too often do we believe that material prosperity means moral growth. It is necessary that a movement which is fraught with so much good to India should not degenerate into one for merely advancing cheap loans. I was therefore delighted to read the recommendation in the Report of the Committee on Co-operation in India, that they wish clearly to express their opinion that it is to true co-operation alone, that is, to a co-operation which recognises the moral aspect of the question that Government must look for the amelioration of the masses and not to a pseudo co-operative edifice, however imposing, which is built in ignorance of co-operative, principles.
With this standard before us, we will not measure the success of the movement by the number of co-operative societies formed, but by the moral condition of the co-operators. The Registrars will in that event ensure the moral growth of existing societies befor multiplying them. And the Government will make their promotion conditional, not upon the number of societies they have registered, but
the moral success of the existing institutions. This will mean tracing the course of every pice lent to the members. Those responsible for the proper conduct of co-operative societies will see to it that the money advanced does not find its way into the toddy-sellers’ till or into the pockets of the keepers of gambling dens. I would excuse the rapacity of the mahajan if it has succeeded in keeping the gambling die or toddy from the ryot’s home.
A word perhaps about the mahajan will not be out of place. Co-operation is not a new device. The ryots co-operate to drum out monkeys or birds that destroy their crops. They co-operate to use a common thrashing floor. I have found them co-operate to protect their cattle to the extent of their devoting their best land for the grazing of their cattle. And they have been found co-operating against a particularly rapacious mahajan. Doubt has been-expressed as to the success of co-operation because of the tightness of the mahajan's hold on the ryots. I do not share the fears. The mightiest mahajan must, if he represents an evil force, bend before co-operation, conceived as an essentially moral movement. But my limited experience of the mahajan of Champaran has made me revise the accepted opinion about his ‘blighting influence’. I have found him to be not always relentless, not always exacting of the last pie. He sometimes serves his clients in many ways or even comes to their rescue in the hour of their distress. My observation is so limited that I dare not draw any conclusions from it, but I respectfully enquire whether it is not possible to make a serious effort to draw out the good in the mahajan and help him or induce him to throw out the evil in him. May he not be induced to join the army of co-operation, or has experience proved that he is past praying for?
I note that the movement takes note of all indigenous industries. I beg publicly to express my gratitude to Government for helping me in my humble effort to improve the lot of the weaver. The experiment I am conducting shows that there is a vast field for work in this direction. No well-wisher of India, no patriot dare look upon the impending destruction of the handloom weaver with equanimity. As Dr. Mann has stated, this industry used to supply the peasant with an additional source of livelihood and an insurance against famine.
Every Registrar who will nurse back to life this important and graceful industry will earn the gratitude of India. My humble effort consists of, firstly, in making researches as to the possibilities of simple reforms in the orthodox handlooms, secondly, in weaning the educated youth from the craving for Government or other service and the feeling that education renders him unfit for independent occupation and inducing him to take to weaving as a calling as honourable as that of a barrister or a doctor, and, thirdly, by helping those who have abandoned their occupation to revert to it. .... The third may be allowed a few sentences as it has a direct bearing upon the subject before us. I was able to enter upon it only six months ago. Five families that had left off the calling have reverted to it and they are doing a prosperous business. The Ashram supplies them at their door with the yarn they need; it volunteers to take delivery of the cloth woven, paying them cash at the market rate. The Ashram merely loses interest on the loan advanced for the yarn. It has as yet suffered no loss and is able to restrict its loss to a minimum by limiting the loan to a particular figure. All future transactions are strictly cash. We are able to command a ready sale for the cloth received. The loss of interest, therefore, on the transaction is negligible. I would like the audience to note its purely moral character from start to finish. The Ashram depends for its existence on such help as friends render it. We, therefore, can have no warrant for charging interest. The weavers could not be saddled with it. Whole families that were breaking to pieces are put together again. The use of the loan is predetermined.
And we the middlemen being volunteers obtain the privilege of entering into the lives of these families 1 hope for their and our betterment. We cannot lift them without being lifted ourselves. This last relationship has not yet been developed, but we hope at an early date to take in hand the education too of these families and not rest satisfied till we have touched them at every point. This is not too ambitious a dream. God willing, it will be a reality some day. I have ventured to dilate upon the small experiment to illustrate what I mean by co-operation to present it to others for imitation. Let us be sure of our ideal. We shall ever fail to realise it, but we should never cease to strive for it. Then there need be no fear of “co-operation of scoundrels” that Ruskin so rightly dreaded.
From the original in Gandhiji's hand; S. N. 6412:
also The Indian Review, October 1917
スワラージ(独立・自治)とは: ガンジーの言葉の窓:Messages by Mahatma Gandhi
http://mkgandhi.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-062a.htmlスワラージ(独立・自治)とは
第1章 スワラージ(独立・自治)とは何か
P16 少数の人間が権限を獲得すれば、スワラージがやってくるのではありません。本
物のスワラージは、権限の濫用があったときに、それに抵抗する術を、すべての人が身
につけることで、達成できるのです。つまり、スワラージとは、権限を規制し、管理下
に置く力を実感できるように民衆を教育することで、獲得されるのです。
ヤング・インディア 25年1月29日
物のスワラージは、権限の濫用があったときに、それに抵抗する術を、すべての人が身
につけることで、達成できるのです。つまり、スワラージとは、権限を規制し、管理下
に置く力を実感できるように民衆を教育することで、獲得されるのです。
ヤング・インディア 25年1月29日
P17 スワラージは、大多数の人々が忠実な愛国者である場合にのみ、維持していくこ
とができます。国家のためになることが、すべてに優先します。個人の利益よりも国家
が優先します。スワラージとは、民衆による統治です。ですから、多数の人々が不道徳
で利己的であれば、彼らの政府は無政府状態に陥るしかありません。
ヤング・インディア 21年7月28日
P18 スワラージは、農民を含むすべての人にとってのスワラージです。とりわけ、体
の不自由な人、盲人、さらには空腹を抱えながら骨を折り仕事をしている民衆にとって
のスワラージであるべきです。
ヤング・インディア 30年5月1日
スワラージを獲得することによって、我々が礼儀正しくなり、我々の文明が清められ安
定したものとなるのでなければ、何の価値もありません。我々の文明の神髄は、公私を
問わず、生活のあらゆる領域において、道徳性を最優先にしていることです。
ヤング・インディア 30年1月23日
とができます。国家のためになることが、すべてに優先します。個人の利益よりも国家
が優先します。スワラージとは、民衆による統治です。ですから、多数の人々が不道徳
で利己的であれば、彼らの政府は無政府状態に陥るしかありません。
ヤング・インディア 21年7月28日
P18 スワラージは、農民を含むすべての人にとってのスワラージです。とりわけ、体
の不自由な人、盲人、さらには空腹を抱えながら骨を折り仕事をしている民衆にとって
のスワラージであるべきです。
ヤング・インディア 30年5月1日
スワラージを獲得することによって、我々が礼儀正しくなり、我々の文明が清められ安
定したものとなるのでなければ、何の価値もありません。我々の文明の神髄は、公私を
問わず、生活のあらゆる領域において、道徳性を最優先にしていることです。
ヤング・インディア 30年1月23日
機械論: ガンジーの言葉の窓:Messages by Mahatma Gandhi
http://mkgandhi.cocolog-nifty.com/blog/cat20622906/index.htmlガンジーの言葉の窓:Messages by Mahatma Gandhi
マハトマ・ガンジーの全集CDから、心に染みるメッセージを日本語に訳しました。 日英両言語で、ガンジーの言葉を提供しています。 彼の非暴力の思想の真意とは何か?読み取っていただけたら嬉しいです。
どういう場合に機械を使って、どういう場合には機械を使うことを避けねばならないかを判断できれば、そして、機械を使っているときでも理解しつつそれを行うならば、相当数の困難な問題が、解決するでしょう。例えば、怪我をした時には、傷口にヨーチン(劇薬)を塗ります。しかし、熱を出して寝ている時に、ヨーチンを飲んだりはしません。医者が劇薬を処方するのと同じくらい、我々は注意深く機械を使用しなければなりません。機械の動力によって、経済成長をおおいに進めることができます。しかし、少数の資本家が一般の人々の利害に関係なく機械の動力を活用してきました。そのために、今日の衰退した我々の状況があるのです。
本日、友人と話していまして、村の牛が引く荷車にゴムのタイヤをつけたらどうだろうかということが話題になりました。私は友人たちにこう語りました。「私には明白に思えるのだが、ゴムのタイヤによって村の人々の生活が楽になることはないでしょう」と。実はその逆で、必要なものが増えてしまい、他者に依存するようになってしまいます。そしてこれがまた、村人たちにとって、新たな搾取される手段となるのです。
マヌ・ガンジーとの対話 ニューデリー 1947年4月10日
[原文、グジャラート語] Biharni Komi Agman, p. 179
本日、友人と話していまして、村の牛が引く荷車にゴムのタイヤをつけたらどうだろうかということが話題になりました。私は友人たちにこう語りました。「私には明白に思えるのだが、ゴムのタイヤによって村の人々の生活が楽になることはないでしょう」と。実はその逆で、必要なものが増えてしまい、他者に依存するようになってしまいます。そしてこれがまた、村人たちにとって、新たな搾取される手段となるのです。
マヌ・ガンジーとの対話 ニューデリー 1947年4月10日
[原文、グジャラート語] Biharni Komi Agman, p. 179
If we are able to judge when to use a machine and when to avoid it and if while using it we do so with understanding, quite a few of our difficulties will be solved. For instance, if we are hurt tincture iodine (poisonous medicine) is applied to the affected part. But if we are down with fever we do not take tincture iodine orally. We should be as careful in using machines as a doctor is in prescribing poisonous medicines. Machine-power can make a valuable contribution towards economic progress. But a few capitalists have employed machine-power regardless of the interests of the common man and that is why our condition has deteriorated today.
While talking with some friends today we discussed the idea of fitting rubber tyres in bullock-carts in our villages. I told them that to me it was clear that rubber tyres will not make things easy for the villagers; on the contrary they will increase their requirements and make them dependent on others. And this will become another means of their exploitation.
TALK WITH MANU GANDHI BHANGI NIVAS, NEW DELHI,
April 10, 1947 [From Gujarati] Biharni Komi Agman, p. 179
While talking with some friends today we discussed the idea of fitting rubber tyres in bullock-carts in our villages. I told them that to me it was clear that rubber tyres will not make things easy for the villagers; on the contrary they will increase their requirements and make them dependent on others. And this will become another means of their exploitation.
TALK WITH MANU GANDHI BHANGI NIVAS, NEW DELHI,
April 10, 1947 [From Gujarati] Biharni Komi Agman, p. 179
チャルカ(糸車)・スワラージ(自治・独立)・アヒンサー(不殺生・非暴力): ガンジーの言葉の窓:Messages by Mahatma Gandhi
http://mkgandhi.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-b80e.htmlチャルカ(糸車)・スワラージ(自治・独立)・アヒンサー(不殺生・非暴力)★
私を変えたガンジーの思想 - ガンディーと糸紡ぎby片山佳代子
https://gandhi-spinning.jimdofree.com/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%80%9D%E6%83%B3/%E8%AC%9B%E6%BC%94%E5%8E%9F%E7%A8%BF%E3%81%AA%E3%81%A9/%E7%A7%81%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%81%9F%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3/私を変えたガンジーの思想
私を変えたガンジーの思想
片山佳代子
かたやまかよこ
一九六二年岡山県生まれ。神戸市外国語大学英米学科卒業。四年間の教員生活ののち結婚。九三~九四年、インドで暮らす。訳書に『ガンジー・自立の思想』(地湧社)など。
『ガンジー・自立の思想』は、大型機械による大量生産システムに代表される近代文明を批判し、人が手仕事を通して自然と共に生きることの大切さを訴えたガンジーの著作です。五〇年以上前に語られたものでありながら、その内容は現在の行き詰まった日本や世界の問題のありかをくっきりと映し出しています。このガンジーの思想に出会って人生観が一変したという訳者の片山佳代子さんによるメッセージをお届けします。
◎ インドでガンジー思想に出会う
一九九三年一月、夫の海外赴任に同行して、私は子供二人と共にインドでの生活を始めました。前年の十二月に北インドのアヨ―ディアでのモスクの破壊に端を発したヒンズー教徒とイスラム教徒との紛争が起こったばかりで、一応下火には向かっていたものの、まだまだ小競り合いが続いている時期でした。
インドの歴史について、乏しい知識しか持っていなかった私は、インド独立がインドとパキスタンが分離しての独立であった事すら知りませんでした。私が歴史の授業で習って記憶していることと言えば、マハトマ・ガンジーという偉大な指導者に従い、非暴力・不服従という平和的なやり方でイギリスからの独立を達成したということでした。それなのに、このような争いが起こるのはどうしたことだろうという素朴な疑問が沸いてきました。
そのような時に、たまたま書店で、「ガンジー著作集」を見かけました。チャップリンやキング牧師に影響を与えた人として、ガンジーには関心がありましたし、これを読めば独立当時の経緯が何かわかるかもしれないと思い、購入しました。
ところが、この本では手作業で綿から糸を紡ぐという糸紡ぎに関する記述にかなりのページが割かれていました。それ以外にも玄米を食べなさいとか、衛生面に気を配りなさいなど、これがインドを独立に導いた指導者の書いたものなのかと正直言って面食らってしまいました。しかし、そこに何かあるかもしれないと、じっくりと読み進んでいくことにしました。
当時のインドでは、大型機械によって大量生産されたイギリス製の綿布などが入ってきていたため、手工業がすたれ、多くの人々が失業し貧困に陥っていました。そのため、自分たちで棉を育て、糸に紡ぎ、機(はた)織りをして衣類を賄っていく事は重要な意味を持つ事でした。すべての人が食べるものや着るものに不自由しない生活が送れるようになることが、本当の独立であるとガンジーは説きます。近代化や工業化こそすべての悪の根源であると見抜いていたガンジーは、ですから、昔ながらの自給自足的農村社会を再建する事を目指したのです。ガンジーの思想には真実があると私は思うようになりました。
手作業は遅れたことと思えるかもしれませんが、機械化による大量生産に成功したと言われる私たちは本当に幸せでしょうか。今の日本では物があふれるほどあり、食べるものや着るものに不自由している人はほとんどいません。このように豊かな生活ができるのは、工業化に成功したおかげであり、ガンジーの考えた事はあの当時のインドでは正しかったかもしれないが、今の日本にはガンジー思想も糸を紡ぐ道具の手紡ぎ車も必要ではないとする意見が出てきてもおかしくありません。しかし、本当にそうでしょうか。
◎ 途上国に暮らして考えたこと
物がたくさんあればそれだけ幸せになれるという思いこみのもと、大量生産が推し進められてきましたが、大量生産は天然資源を大量に消費し汚染物質を撒き散らします。さらに、大量生産は大量廃棄を伴います。それによって地球温暖化、酸性雨、ダイオキシンなどの問題が生じており、地球環境は危機的状況にあると言われています。このような大量生産を続けていく事は不可能です。人々がそのような事に目覚めたからか、大量生産も行きつく所まで行ってしまったからか、物を作っても売れない消費不況と言われる時代になりました。この不況下、大競争時代だと叫ばれ、リストラの嵐が吹き荒れています。このような競争社会は、教育をもゆがめ、多くの人々の心を蝕んでいます。物が大量にあるにもかかわらず、人々は幸せではありません。
しかも、私たちの物質的豊かさは途上国の人々の犠牲の上に成り立っています。インドで生活する前はフィリピンでも生活した事がありますが、そこではネリーというお手伝いさんに本当にお世話になりました。私は彼女が作ってくれるシニガンスープというフィリピン料理が気に入っていました。これは、エビが入った生姜味のとてもさっぱりしたスープです。いつも買い物に行くたびに、シニガンスープをたくさん作って欲しくてエビをどっさりと買っていました。そんなある日、ネリーは「日本人が毎日味噌汁を飲むように、かつてはフィリピンの人々もシニガンスープを毎日飲んでいたが、今ではエビが高くて、とても庶民の手に入るものではなくなった」と教えてくれました。そして、エビが高くなった理由は日本へ向けて輸出されているからということでした。日本での値段に比べれば、フィリピンではエビはとても安い値段で売られていました。それでも私たちがネリーに払っていた給料から考えれば、手が出せるものではないことも明らかでした。そんなことに思いを馳せることもなく買い物をしていた自分がとても恥ずかしくなりました。
日本ではごく当たり前のように味噌汁を飲んでいますが、味噌の原料となる大豆の自給率はわずか三%にも満たないものです。それでも、味噌が手に入らなくて困っている人はいません。それは、日本人が昔から食べていた物も、以前は食べていなかった物も、お金の力にものをいわせて世界中からかき集めているからです。その結果、途上国では飢えが生じ、日本では農地が荒廃しています。途上国で暮らす生活の中で、このような仕組みの抱える大きな矛盾や、つけを払わされている弱い立場の人々のことがあまりにも良く見えてしまい、私は良心の呵責を感じずにこれまでの生活を続けていくことができなくなってしまいました。
延々と続くさとうきびのプランテーションを目にしたこともありますが、車を三〇分以上走らせても一向に変わらない景色、ただただ同じ作物が道路の両側に広がり、人の気配が感じられないその地域と都市周辺のスラム街にあふれる人々の光景との格差に目を見張ったものです。この広大な土地で人々が自分たちが食べるものを生産できれば、どんなに豊かな国になれるでしょうか。さとうきびに限らず、バナナでもパイナップルでもプランテーションというのはやはり異常な世界です。そして、そのような所でできるものを自分が食べているとしたら、やはり自分にも責任があると感じずにはいられませんでした。
インドでは水不足が深刻な問題でした。それでも、お金さえ払えば、タンクローリーでいくらでも水を運んできてもらうことができます。お金のない人々は、近くの井戸が涸れれば、遠くの井戸まで出向き水を運ばねばなりません。普段でも忙しい弱い立場の人々にますます重労働が課せられていきます。一方、インドのような日照りの続く国にいても、お金さえあれば、水不足の問題にも結構無関心で生活できてしまいます。
今、私は日本にいて何一つ不自由のない生活を当たり前のように送っていますが、飲料水に含まれる化学物質のことを考えるまでもなく、とてつもなく危うい状態の上に現代の生活が築かれている気がします。自分の上に火の粉が降りかかるようになってから気づいても遅いのではないか。今始めなければ…そんな危機感を強くしたのが途上国で経験したもろもろのことでした。
機械のおかげで、労働から解放されるのはすばらしいことだという幻想がありますが、人手が省かれる分だけ失業者が生じ、失業しないための競争も益々過酷なものとなっていくだけです。フィリピンでも、インドでも、お互いにパーティーに呼んだり呼ばれたりの世界だったためにお手伝いさんのお世話になりましたが、雇って欲しいとやって来る人が本当に大勢いて困ったものです。お手伝いさんを雇って自分がやりたくない事を人に押し付けていることに対する居心地の悪さも感じていましたが、友人の中には「私たちが雇ってあげなければ失業する人たちなのだから、雇ってあげるのは彼女たちに良いことをしているのだ」と言う人もいました。それだけ多くの人が仕事を求めていたのです。しかし、それでもこんなことが良いこととは思えませんでした。しかも、私たちが帰国すればそれで終わりという非常に不安定な立場の仕事です。そのような中で、糸紡ぎという安定した、立派な仕事を女性たちに提供しようとしたガンジーの取り組みに本当の解決法があるように思えました。
自国で採れないものは欲しがるな、生活に必要なものは自分たちの手で生み出しなさいというガンジー思想を読むと、これしか解決法はないと確信するまでになりました。そして、ガンジーがしなさいと言った生き方を皆がするようにならない限り未来はないと思うまでになりました。
◎ 生活の原点を大切にする意味
生活に必要なものを、自分たちの手足を使って生み出していくというのは、決して、庶民が貧しかった江戸時代に戻ることではありません。江戸時代に庶民が貧しかったのは、機械による大量生産が行われていなかったからではありません。重過ぎる年貢を取り立てられていたからです。インドでも状況は同じでした。ムガール帝国の時代にあっては、手紡ぎ車を廻す女性はわずかばかりの賃金を手にしただけで、その搾取された労働の産物である美しい衣装で着飾っていたのは宮殿の女たちでした。その事についてガンジーは次のように述べています。「何世紀もの間貧困、無力、不正義、強制された労働のシンボルであったチャルカ(手紡ぎ車)を今、真実の強い力、新しい社会秩序と経済の象徴にしていこうとする仕事が我々の肩にかかっています。我々は歴史を変えねばなりません」
二年間の滞在の後インドから帰国してからは、この素晴らしいガンジー思想を日本の人々に伝えたい一心で、前述の本の翻訳を始めました。私が特にガンジーの思想にひかれるのは、食べて着るという生活の原点を大切にしているからです。平和を脅かすのは、軍隊や武器だけではありません。自分たちが何を食べ、何を着るかが世界の人々が平和に暮らしていけるかどうかに密接に関わっているのです。この大切なことを私はガンジーに教えられました。私たちは、日々の生活を送る上で多くのことを選択しています。朝食にご飯を食べるかパンを食べるかは、本当に些細なことのように思えますが、それによって日本の自給率が大きく変わってくることもまた事実です。些細な日常生活の中に、実は平和で豊かな生活が送れるかどうかの鍵があるとガンジーは訴えたのでした。
ガンジーの場合は、イギリス製の綿布を身にまとうか、手で紡ぎ、織り上げた綿布を身にまとうかの選択でした。見栄えの良さから考えれば、イギリス製の綿布の方が良いものであったでしょうし、品質も良かったかもしれません。しかし、イギリス製の上等の布を選べば、インドの庶民が失業し飢えることになります。インドの綿をインドの道具(チャルカ)で紡ぎ、織り上げた布を選べば、それによって庶民は生活の糧を得ることができます。ですから、スワデシ(国産品愛用)はすべての人の義務であるとガンジーは説きます。お金さえ払えば何を買っても許されるわけではないことに、私は気付かされました。
ガンジーはただ単にイギリスからの独立を求めていたのではありませんでした。イギリス人を追い払っても、その座をインド人のエリートが占めたのでは何の意味もないからです。イギリス人がいなくなった暁には、近代的工業を取り入れて、都市化したインドを築こうと主張する人々に対して、ガンジーは農村にこそ価値があると訴えます。豊かな自然そのものが富です。自分たちの畑で作物と棉を育て、衣と食の必需品を自らの労働によって得て行く生き方の中にこそ、本当の自立、本当の豊かさがあるのだと、この事こそガンジーが本当に言いたかったことです。
さらに、多数が利益を得るために少数が犠牲になるのも仕方がないという考えをガンジーは非常に憎んでいました。ラスキンが著した『この最後の者にも』を読んで感銘を受けたガンジーは、最後の一人をも含めたすべての人の生活が向上することを目指したサルボーダヤ運動を展開します。
「競争ではなく、協力こそ人間本来の生き方である」というガンジーの言葉に今こそ耳を傾ける時ではないでしょうか。競争社会を前提に、どうすれば競争に勝ち残れるかを考える前に、どうすれば、競争社会から、人々が協力し合える社会に脱皮できるかを考えるべきではないでしょうか。まじめに働く人なら誰でも生活が保証される社会こそ平和な社会です。ガンジーは五〇年以上も前にチャルカ(手紡ぎ車)を掲げて私たちの行くべき道を示してくれています。
ガンジーといえば非暴力の人と言われていますが、ヒンディー語では、アヒンサー(不殺生)がこれに相当します。生きるものすべての命を同等に大切に扱うというアヒンサーの精神なくして平和はあり得ず、このアヒンサーこそ原爆にも勝る力であるとガンジーは訴えました。暴力をなくすには、暴力で対抗するのではなく、アヒンサーの精神を示すのが最も効果があるやり方です。
また、非協力・不服従の運動だけで独立を達成できるわけではないこともガンジーが強調したことです。ガンジーは建設的プログラムと呼びましたが、農業や手工業等、国家の土台を築く活動こそ大切であると説きました。
◎ 私は自分の義務を果たすだけ
翻訳作業中、原稿を読んで頂いた方から「経済的に糸紡ぎの意義はわかるような気もするけど、それでも人間は楽をしたいものよ。楽な生活を求めたらどうしていけないの」と指摘されました。そのことに思いをめぐらせていた時に「人の本分は労働を通して生活の糧を手に入れていくことである。すべての人が自分で服を着て、自分の手にスプーンを持って食事をするように糸を紡がねばならない」というガンジーの主張に接しました。忙しい中、台所に立つ時間が惜しいと思う日がないわけではありません。それでも自分で料理をすれば自分の好みの味付けができますし、やはり何物にも換えがたい自由と満足がそこにあると思うのです。
お金で時間を買うことができればと思っていた以前の私から考えれば、本当に大きな変わりようです。人は真実を知ることさえできれば、変わるものだと思います。だからこそ、このガンジー思想に出会った者の義務として伝えていかねばと決意しました。
インドはイギリスからの独立を達成することはできましたが、ガンジーが本当に求めていた庶民が豊かになる独立はまだ達成されていません。それどころか、インドとパキスタンは互いに核兵器を持つまでになってしまいました。独立前夜、暴力が吹き荒れる状況を目にしてガンジーは心を痛めますが、それでも希望を失ったわけではありませんでした。「百年、二百年後になるかもしれないが、きっと私の遺志を継ぐ人が現れるだろう、そしていつの日か人類は本当の平和を手にするに違いない」とガンジーは書いています。これを読んだ時、私はガンジーから大きな宿題を手渡されたように感じました。そして、翻訳・出版という雲をつかむような取り組みを行っていく中で、くじけそうになるときはいつもこの言葉を思い出していました。ガンジーの肉体は滅びましたが、その魂、精神は今も私たちと共にあると、私は信じています。
出版にこぎつけるまでにはいろいろな試行錯誤もありましたし、苦労の連続でしたが、それでも、今回共同作業を行ってきた田畑健氏を始め、ガンジーの遺志を継ぎ実際にワタを育て糸を紡いでいるグループ、ワタとチャルカの会の方々など、本当に多くの素敵な方に出会うことができました。最初はたった一人で始めたことにも、こんなにも多くの人が賛同し、助けてくれたことが大きな励みとなってここまで続けることができました。ガンジーの想いは決して、その死によってなくなってしまったわけではないのです。
私は今、ガンジーに習い畑を借りて棉を育てています。昨年取れた綿を自分の手で紡ぎ糸にする作業も行っています。衣の自給という大きな目標に向かって、一歩ずつ歩み始めたところですが、「そんなことあなた一人が頑張って何の意味があるの」とよく人から言われますが、一人でも正しいことはやらねばならないのです。寒い部屋を暖めようと思えば赤々と燃える火鉢を一つ置けば良く、火鉢がいくらたくさんあっても赤々と燃えていなければ何の役にも立ちません。「人は自分の義務をきちんと果たしていればそれで良いのだ。他人の義務までおせっかいに果たそうとするから、その結果、一番肝心な自分の義務が果たせなくなっておかしなことになってしまう」とガンジーも言っています。本当にそうだなと思います。
ガンジーが私たちにしなさいと言っていることは、今すぐにたった一人でも始められることばかりです。ガンジーは「世界へのメッセージは?」と訊ねられたときに「my life」であると答えました。
今、自分がガンジーの足元にも及ばない生活をしていて、他の人にああしなさい、こうしなさいという資格はありません。せめて私にできることといえば、少しでもガンジーに近づくように日々努力していくことだけです。そう考えると他の人のことが気にならなくなりました。ただ、これを読んで、ガンジーのような生き方をしてみたいと思っていただける方がいらっしゃれば、うれしい限りです。
(月刊湧、六月号より抜粋)
片山佳代子
かたやまかよこ
一九六二年岡山県生まれ。神戸市外国語大学英米学科卒業。四年間の教員生活ののち結婚。九三~九四年、インドで暮らす。訳書に『ガンジー・自立の思想』(地湧社)など。
『ガンジー・自立の思想』は、大型機械による大量生産システムに代表される近代文明を批判し、人が手仕事を通して自然と共に生きることの大切さを訴えたガンジーの著作です。五〇年以上前に語られたものでありながら、その内容は現在の行き詰まった日本や世界の問題のありかをくっきりと映し出しています。このガンジーの思想に出会って人生観が一変したという訳者の片山佳代子さんによるメッセージをお届けします。
◎ インドでガンジー思想に出会う
一九九三年一月、夫の海外赴任に同行して、私は子供二人と共にインドでの生活を始めました。前年の十二月に北インドのアヨ―ディアでのモスクの破壊に端を発したヒンズー教徒とイスラム教徒との紛争が起こったばかりで、一応下火には向かっていたものの、まだまだ小競り合いが続いている時期でした。
インドの歴史について、乏しい知識しか持っていなかった私は、インド独立がインドとパキスタンが分離しての独立であった事すら知りませんでした。私が歴史の授業で習って記憶していることと言えば、マハトマ・ガンジーという偉大な指導者に従い、非暴力・不服従という平和的なやり方でイギリスからの独立を達成したということでした。それなのに、このような争いが起こるのはどうしたことだろうという素朴な疑問が沸いてきました。
そのような時に、たまたま書店で、「ガンジー著作集」を見かけました。チャップリンやキング牧師に影響を与えた人として、ガンジーには関心がありましたし、これを読めば独立当時の経緯が何かわかるかもしれないと思い、購入しました。
ところが、この本では手作業で綿から糸を紡ぐという糸紡ぎに関する記述にかなりのページが割かれていました。それ以外にも玄米を食べなさいとか、衛生面に気を配りなさいなど、これがインドを独立に導いた指導者の書いたものなのかと正直言って面食らってしまいました。しかし、そこに何かあるかもしれないと、じっくりと読み進んでいくことにしました。
当時のインドでは、大型機械によって大量生産されたイギリス製の綿布などが入ってきていたため、手工業がすたれ、多くの人々が失業し貧困に陥っていました。そのため、自分たちで棉を育て、糸に紡ぎ、機(はた)織りをして衣類を賄っていく事は重要な意味を持つ事でした。すべての人が食べるものや着るものに不自由しない生活が送れるようになることが、本当の独立であるとガンジーは説きます。近代化や工業化こそすべての悪の根源であると見抜いていたガンジーは、ですから、昔ながらの自給自足的農村社会を再建する事を目指したのです。ガンジーの思想には真実があると私は思うようになりました。
手作業は遅れたことと思えるかもしれませんが、機械化による大量生産に成功したと言われる私たちは本当に幸せでしょうか。今の日本では物があふれるほどあり、食べるものや着るものに不自由している人はほとんどいません。このように豊かな生活ができるのは、工業化に成功したおかげであり、ガンジーの考えた事はあの当時のインドでは正しかったかもしれないが、今の日本にはガンジー思想も糸を紡ぐ道具の手紡ぎ車も必要ではないとする意見が出てきてもおかしくありません。しかし、本当にそうでしょうか。
◎ 途上国に暮らして考えたこと
物がたくさんあればそれだけ幸せになれるという思いこみのもと、大量生産が推し進められてきましたが、大量生産は天然資源を大量に消費し汚染物質を撒き散らします。さらに、大量生産は大量廃棄を伴います。それによって地球温暖化、酸性雨、ダイオキシンなどの問題が生じており、地球環境は危機的状況にあると言われています。このような大量生産を続けていく事は不可能です。人々がそのような事に目覚めたからか、大量生産も行きつく所まで行ってしまったからか、物を作っても売れない消費不況と言われる時代になりました。この不況下、大競争時代だと叫ばれ、リストラの嵐が吹き荒れています。このような競争社会は、教育をもゆがめ、多くの人々の心を蝕んでいます。物が大量にあるにもかかわらず、人々は幸せではありません。
しかも、私たちの物質的豊かさは途上国の人々の犠牲の上に成り立っています。インドで生活する前はフィリピンでも生活した事がありますが、そこではネリーというお手伝いさんに本当にお世話になりました。私は彼女が作ってくれるシニガンスープというフィリピン料理が気に入っていました。これは、エビが入った生姜味のとてもさっぱりしたスープです。いつも買い物に行くたびに、シニガンスープをたくさん作って欲しくてエビをどっさりと買っていました。そんなある日、ネリーは「日本人が毎日味噌汁を飲むように、かつてはフィリピンの人々もシニガンスープを毎日飲んでいたが、今ではエビが高くて、とても庶民の手に入るものではなくなった」と教えてくれました。そして、エビが高くなった理由は日本へ向けて輸出されているからということでした。日本での値段に比べれば、フィリピンではエビはとても安い値段で売られていました。それでも私たちがネリーに払っていた給料から考えれば、手が出せるものではないことも明らかでした。そんなことに思いを馳せることもなく買い物をしていた自分がとても恥ずかしくなりました。
日本ではごく当たり前のように味噌汁を飲んでいますが、味噌の原料となる大豆の自給率はわずか三%にも満たないものです。それでも、味噌が手に入らなくて困っている人はいません。それは、日本人が昔から食べていた物も、以前は食べていなかった物も、お金の力にものをいわせて世界中からかき集めているからです。その結果、途上国では飢えが生じ、日本では農地が荒廃しています。途上国で暮らす生活の中で、このような仕組みの抱える大きな矛盾や、つけを払わされている弱い立場の人々のことがあまりにも良く見えてしまい、私は良心の呵責を感じずにこれまでの生活を続けていくことができなくなってしまいました。
延々と続くさとうきびのプランテーションを目にしたこともありますが、車を三〇分以上走らせても一向に変わらない景色、ただただ同じ作物が道路の両側に広がり、人の気配が感じられないその地域と都市周辺のスラム街にあふれる人々の光景との格差に目を見張ったものです。この広大な土地で人々が自分たちが食べるものを生産できれば、どんなに豊かな国になれるでしょうか。さとうきびに限らず、バナナでもパイナップルでもプランテーションというのはやはり異常な世界です。そして、そのような所でできるものを自分が食べているとしたら、やはり自分にも責任があると感じずにはいられませんでした。
インドでは水不足が深刻な問題でした。それでも、お金さえ払えば、タンクローリーでいくらでも水を運んできてもらうことができます。お金のない人々は、近くの井戸が涸れれば、遠くの井戸まで出向き水を運ばねばなりません。普段でも忙しい弱い立場の人々にますます重労働が課せられていきます。一方、インドのような日照りの続く国にいても、お金さえあれば、水不足の問題にも結構無関心で生活できてしまいます。
今、私は日本にいて何一つ不自由のない生活を当たり前のように送っていますが、飲料水に含まれる化学物質のことを考えるまでもなく、とてつもなく危うい状態の上に現代の生活が築かれている気がします。自分の上に火の粉が降りかかるようになってから気づいても遅いのではないか。今始めなければ…そんな危機感を強くしたのが途上国で経験したもろもろのことでした。
機械のおかげで、労働から解放されるのはすばらしいことだという幻想がありますが、人手が省かれる分だけ失業者が生じ、失業しないための競争も益々過酷なものとなっていくだけです。フィリピンでも、インドでも、お互いにパーティーに呼んだり呼ばれたりの世界だったためにお手伝いさんのお世話になりましたが、雇って欲しいとやって来る人が本当に大勢いて困ったものです。お手伝いさんを雇って自分がやりたくない事を人に押し付けていることに対する居心地の悪さも感じていましたが、友人の中には「私たちが雇ってあげなければ失業する人たちなのだから、雇ってあげるのは彼女たちに良いことをしているのだ」と言う人もいました。それだけ多くの人が仕事を求めていたのです。しかし、それでもこんなことが良いこととは思えませんでした。しかも、私たちが帰国すればそれで終わりという非常に不安定な立場の仕事です。そのような中で、糸紡ぎという安定した、立派な仕事を女性たちに提供しようとしたガンジーの取り組みに本当の解決法があるように思えました。
自国で採れないものは欲しがるな、生活に必要なものは自分たちの手で生み出しなさいというガンジー思想を読むと、これしか解決法はないと確信するまでになりました。そして、ガンジーがしなさいと言った生き方を皆がするようにならない限り未来はないと思うまでになりました。
◎ 生活の原点を大切にする意味
生活に必要なものを、自分たちの手足を使って生み出していくというのは、決して、庶民が貧しかった江戸時代に戻ることではありません。江戸時代に庶民が貧しかったのは、機械による大量生産が行われていなかったからではありません。重過ぎる年貢を取り立てられていたからです。インドでも状況は同じでした。ムガール帝国の時代にあっては、手紡ぎ車を廻す女性はわずかばかりの賃金を手にしただけで、その搾取された労働の産物である美しい衣装で着飾っていたのは宮殿の女たちでした。その事についてガンジーは次のように述べています。「何世紀もの間貧困、無力、不正義、強制された労働のシンボルであったチャルカ(手紡ぎ車)を今、真実の強い力、新しい社会秩序と経済の象徴にしていこうとする仕事が我々の肩にかかっています。我々は歴史を変えねばなりません」
二年間の滞在の後インドから帰国してからは、この素晴らしいガンジー思想を日本の人々に伝えたい一心で、前述の本の翻訳を始めました。私が特にガンジーの思想にひかれるのは、食べて着るという生活の原点を大切にしているからです。平和を脅かすのは、軍隊や武器だけではありません。自分たちが何を食べ、何を着るかが世界の人々が平和に暮らしていけるかどうかに密接に関わっているのです。この大切なことを私はガンジーに教えられました。私たちは、日々の生活を送る上で多くのことを選択しています。朝食にご飯を食べるかパンを食べるかは、本当に些細なことのように思えますが、それによって日本の自給率が大きく変わってくることもまた事実です。些細な日常生活の中に、実は平和で豊かな生活が送れるかどうかの鍵があるとガンジーは訴えたのでした。
ガンジーの場合は、イギリス製の綿布を身にまとうか、手で紡ぎ、織り上げた綿布を身にまとうかの選択でした。見栄えの良さから考えれば、イギリス製の綿布の方が良いものであったでしょうし、品質も良かったかもしれません。しかし、イギリス製の上等の布を選べば、インドの庶民が失業し飢えることになります。インドの綿をインドの道具(チャルカ)で紡ぎ、織り上げた布を選べば、それによって庶民は生活の糧を得ることができます。ですから、スワデシ(国産品愛用)はすべての人の義務であるとガンジーは説きます。お金さえ払えば何を買っても許されるわけではないことに、私は気付かされました。
ガンジーはただ単にイギリスからの独立を求めていたのではありませんでした。イギリス人を追い払っても、その座をインド人のエリートが占めたのでは何の意味もないからです。イギリス人がいなくなった暁には、近代的工業を取り入れて、都市化したインドを築こうと主張する人々に対して、ガンジーは農村にこそ価値があると訴えます。豊かな自然そのものが富です。自分たちの畑で作物と棉を育て、衣と食の必需品を自らの労働によって得て行く生き方の中にこそ、本当の自立、本当の豊かさがあるのだと、この事こそガンジーが本当に言いたかったことです。
さらに、多数が利益を得るために少数が犠牲になるのも仕方がないという考えをガンジーは非常に憎んでいました。ラスキンが著した『この最後の者にも』を読んで感銘を受けたガンジーは、最後の一人をも含めたすべての人の生活が向上することを目指したサルボーダヤ運動を展開します。
「競争ではなく、協力こそ人間本来の生き方である」というガンジーの言葉に今こそ耳を傾ける時ではないでしょうか。競争社会を前提に、どうすれば競争に勝ち残れるかを考える前に、どうすれば、競争社会から、人々が協力し合える社会に脱皮できるかを考えるべきではないでしょうか。まじめに働く人なら誰でも生活が保証される社会こそ平和な社会です。ガンジーは五〇年以上も前にチャルカ(手紡ぎ車)を掲げて私たちの行くべき道を示してくれています。
ガンジーといえば非暴力の人と言われていますが、ヒンディー語では、アヒンサー(不殺生)がこれに相当します。生きるものすべての命を同等に大切に扱うというアヒンサーの精神なくして平和はあり得ず、このアヒンサーこそ原爆にも勝る力であるとガンジーは訴えました。暴力をなくすには、暴力で対抗するのではなく、アヒンサーの精神を示すのが最も効果があるやり方です。
また、非協力・不服従の運動だけで独立を達成できるわけではないこともガンジーが強調したことです。ガンジーは建設的プログラムと呼びましたが、農業や手工業等、国家の土台を築く活動こそ大切であると説きました。
◎ 私は自分の義務を果たすだけ
翻訳作業中、原稿を読んで頂いた方から「経済的に糸紡ぎの意義はわかるような気もするけど、それでも人間は楽をしたいものよ。楽な生活を求めたらどうしていけないの」と指摘されました。そのことに思いをめぐらせていた時に「人の本分は労働を通して生活の糧を手に入れていくことである。すべての人が自分で服を着て、自分の手にスプーンを持って食事をするように糸を紡がねばならない」というガンジーの主張に接しました。忙しい中、台所に立つ時間が惜しいと思う日がないわけではありません。それでも自分で料理をすれば自分の好みの味付けができますし、やはり何物にも換えがたい自由と満足がそこにあると思うのです。
お金で時間を買うことができればと思っていた以前の私から考えれば、本当に大きな変わりようです。人は真実を知ることさえできれば、変わるものだと思います。だからこそ、このガンジー思想に出会った者の義務として伝えていかねばと決意しました。
インドはイギリスからの独立を達成することはできましたが、ガンジーが本当に求めていた庶民が豊かになる独立はまだ達成されていません。それどころか、インドとパキスタンは互いに核兵器を持つまでになってしまいました。独立前夜、暴力が吹き荒れる状況を目にしてガンジーは心を痛めますが、それでも希望を失ったわけではありませんでした。「百年、二百年後になるかもしれないが、きっと私の遺志を継ぐ人が現れるだろう、そしていつの日か人類は本当の平和を手にするに違いない」とガンジーは書いています。これを読んだ時、私はガンジーから大きな宿題を手渡されたように感じました。そして、翻訳・出版という雲をつかむような取り組みを行っていく中で、くじけそうになるときはいつもこの言葉を思い出していました。ガンジーの肉体は滅びましたが、その魂、精神は今も私たちと共にあると、私は信じています。
出版にこぎつけるまでにはいろいろな試行錯誤もありましたし、苦労の連続でしたが、それでも、今回共同作業を行ってきた田畑健氏を始め、ガンジーの遺志を継ぎ実際にワタを育て糸を紡いでいるグループ、ワタとチャルカの会の方々など、本当に多くの素敵な方に出会うことができました。最初はたった一人で始めたことにも、こんなにも多くの人が賛同し、助けてくれたことが大きな励みとなってここまで続けることができました。ガンジーの想いは決して、その死によってなくなってしまったわけではないのです。
私は今、ガンジーに習い畑を借りて棉を育てています。昨年取れた綿を自分の手で紡ぎ糸にする作業も行っています。衣の自給という大きな目標に向かって、一歩ずつ歩み始めたところですが、「そんなことあなた一人が頑張って何の意味があるの」とよく人から言われますが、一人でも正しいことはやらねばならないのです。寒い部屋を暖めようと思えば赤々と燃える火鉢を一つ置けば良く、火鉢がいくらたくさんあっても赤々と燃えていなければ何の役にも立ちません。「人は自分の義務をきちんと果たしていればそれで良いのだ。他人の義務までおせっかいに果たそうとするから、その結果、一番肝心な自分の義務が果たせなくなっておかしなことになってしまう」とガンジーも言っています。本当にそうだなと思います。
ガンジーが私たちにしなさいと言っていることは、今すぐにたった一人でも始められることばかりです。ガンジーは「世界へのメッセージは?」と訊ねられたときに「my life」であると答えました。
今、自分がガンジーの足元にも及ばない生活をしていて、他の人にああしなさい、こうしなさいという資格はありません。せめて私にできることといえば、少しでもガンジーに近づくように日々努力していくことだけです。そう考えると他の人のことが気にならなくなりました。ただ、これを読んで、ガンジーのような生き方をしてみたいと思っていただける方がいらっしゃれば、うれしい限りです。
(月刊湧、六月号より抜粋)
★
市民的不服中の気運が高まっている今、繰り返しになったとしても、チャルカ(糸車)とスワラージ(自治・独立)とアヒンサー(不殺生・非暴力)の間に切っても切れない関係があることを一つの記事にまとめてはどうかという提案がありました。喜んでそうすることにしましょう。
糸車は大衆の希望であると私は思っています。人々はチャルカを失って、以前あったような自由を失いました。チャルカは村人の農業を補完してくれていましたし、尊厳を与えてくれる物でした。寡婦にとっては、友であり慰めでした。村人が手持ちぶさたにならないですんでいたのです。チャルカには、その前後に様々な仕事が付随していました。綿繰り、カード掛け、整経、糊付け、染色、機織りなどです。これによって、今度は村の大工や鍛冶屋が忙しく働いていました。チャルカによって、70万の村村が自立できていたのです。チャルカがなくなって、村の他の産業、たとえば油絞りなどもなくなっていきました。これらの産業に取って代わるものは何もありませんでした。そのため、村ではいろいろな仕事がなくなるとともに、創造的才能や、これらの産業のおかげで得ていた幾ばくかの収入もなくなってしまいました。
同じように村の手工業が廃れてしまった他の国の例を持ち出しても、参考にはなりません。他国の村はその損失を補えるだけの利益を得ていました。一方で、インドの村人はほとんど何も得ていないのです。西洋の工業国は他国を搾取していました。インドは、搾取されている国です。ですから、村人がその真価を発揮したいなら、最も自然なことは、チャルカとそれが意味するすべてを取り戻すことです。
チャルカを復活させるには、知性と愛国心を兼ね備えた献身的なインド人の一団が心を一つにして村の中でチャルカのメッセージを広め、意気消沈して輝きを失っている瞳に希望の光を灯すしかありません。つまり、大変な努力を傾けて協力し、正しい部類の成人教育を行うのです。チャルカが静かに、しかし確実に命を与える革命を引き起こすように、このことも静かであっても確かな革命をもたらします。
チャルカの取り組みを20年続けてきて、ここまで私が述べてきたことに間違いはないと、私は確信するに至りました。チャルカは、貧しいヒンズー教徒にも、貧しいイスラム教徒にもほぼ同じ恵みをもたらしました。ほぼ5千万ルピーものお金が、面倒な手続きもなく、これら何百万もの村の芸術家たちの手に渡りました。
チャルカによって様々な宗教に属する人々の立場でスワラージを勝ち取ることができると私はためらうことなく申し上げます。チャルカによって村が正しい位置を取り戻すことができ、上下の区別を廃止できます。
しかし、この国が非暴力を信じないならば、チャルカによってスワラージを達成することはできませんし、一歩も前に進みません。ドキドキするようなことではないので、自由を希求する愛国者たちは、チャルカを見下しがちです。歴史の本に載っているチャルカをつまらなく眺めるだけです。自由を熱愛する人々は、外国の支配者と戦って倒すことを熱望しています。悪いのは全部相手であって、自分たちの中にある悪を見ようとしません。流血を経て自由を獲得した国々について語ります。チャルカは暴力を否定しているので、全く軟弱に思えるのです。
1919年に、インドの自由を愛する人々は、スワラージへの唯一かつ確実な手段として、非暴力を、そして非暴力を象徴するものとしてチャルカを採用しました。1921年には、チャルカが国旗に堂々と描かれました。しかし、非暴力がインドの人々の心に深く根付くことはありませんでした。そして、チャルカも本領を発揮することはありませんでした。会議派の大半が非暴力を心から信じない限り、チャルカの真価が示されることはないでしょう。もし、彼らが心から非暴力を信じるなら、議論などせずとも、チャルカ以外に非暴力を象徴する物はあり得ないと、自ずと気づくことでしょう。そして、チャルカを広める以外に、非暴力を現していく手段はほかにないことにも気づくでしょう。非暴力が存在しないなら、非暴力不服従も存在しないのは当然のことです。私の主張は間違っているかもしれません。私があげた事例に誤りがあるかもしれません。しかし、私はこのように考えていますので、私がここで申し上げた条件が満たされていない以上、私は市民的不服従を宣言することができないのです。
Harijan, 13-4-1940
糸車は大衆の希望であると私は思っています。人々はチャルカを失って、以前あったような自由を失いました。チャルカは村人の農業を補完してくれていましたし、尊厳を与えてくれる物でした。寡婦にとっては、友であり慰めでした。村人が手持ちぶさたにならないですんでいたのです。チャルカには、その前後に様々な仕事が付随していました。綿繰り、カード掛け、整経、糊付け、染色、機織りなどです。これによって、今度は村の大工や鍛冶屋が忙しく働いていました。チャルカによって、70万の村村が自立できていたのです。チャルカがなくなって、村の他の産業、たとえば油絞りなどもなくなっていきました。これらの産業に取って代わるものは何もありませんでした。そのため、村ではいろいろな仕事がなくなるとともに、創造的才能や、これらの産業のおかげで得ていた幾ばくかの収入もなくなってしまいました。
同じように村の手工業が廃れてしまった他の国の例を持ち出しても、参考にはなりません。他国の村はその損失を補えるだけの利益を得ていました。一方で、インドの村人はほとんど何も得ていないのです。西洋の工業国は他国を搾取していました。インドは、搾取されている国です。ですから、村人がその真価を発揮したいなら、最も自然なことは、チャルカとそれが意味するすべてを取り戻すことです。
チャルカを復活させるには、知性と愛国心を兼ね備えた献身的なインド人の一団が心を一つにして村の中でチャルカのメッセージを広め、意気消沈して輝きを失っている瞳に希望の光を灯すしかありません。つまり、大変な努力を傾けて協力し、正しい部類の成人教育を行うのです。チャルカが静かに、しかし確実に命を与える革命を引き起こすように、このことも静かであっても確かな革命をもたらします。
チャルカの取り組みを20年続けてきて、ここまで私が述べてきたことに間違いはないと、私は確信するに至りました。チャルカは、貧しいヒンズー教徒にも、貧しいイスラム教徒にもほぼ同じ恵みをもたらしました。ほぼ5千万ルピーものお金が、面倒な手続きもなく、これら何百万もの村の芸術家たちの手に渡りました。
チャルカによって様々な宗教に属する人々の立場でスワラージを勝ち取ることができると私はためらうことなく申し上げます。チャルカによって村が正しい位置を取り戻すことができ、上下の区別を廃止できます。
しかし、この国が非暴力を信じないならば、チャルカによってスワラージを達成することはできませんし、一歩も前に進みません。ドキドキするようなことではないので、自由を希求する愛国者たちは、チャルカを見下しがちです。歴史の本に載っているチャルカをつまらなく眺めるだけです。自由を熱愛する人々は、外国の支配者と戦って倒すことを熱望しています。悪いのは全部相手であって、自分たちの中にある悪を見ようとしません。流血を経て自由を獲得した国々について語ります。チャルカは暴力を否定しているので、全く軟弱に思えるのです。
1919年に、インドの自由を愛する人々は、スワラージへの唯一かつ確実な手段として、非暴力を、そして非暴力を象徴するものとしてチャルカを採用しました。1921年には、チャルカが国旗に堂々と描かれました。しかし、非暴力がインドの人々の心に深く根付くことはありませんでした。そして、チャルカも本領を発揮することはありませんでした。会議派の大半が非暴力を心から信じない限り、チャルカの真価が示されることはないでしょう。もし、彼らが心から非暴力を信じるなら、議論などせずとも、チャルカ以外に非暴力を象徴する物はあり得ないと、自ずと気づくことでしょう。そして、チャルカを広める以外に、非暴力を現していく手段はほかにないことにも気づくでしょう。非暴力が存在しないなら、非暴力不服従も存在しないのは当然のことです。私の主張は間違っているかもしれません。私があげた事例に誤りがあるかもしれません。しかし、私はこのように考えていますので、私がここで申し上げた条件が満たされていない以上、私は市民的不服従を宣言することができないのです。
Harijan, 13-4-1940
CHARKHA-SWARAJ-AHIMSA
A correspondent says now that civil disobedience is in the air, I must once more, even at the risk of repeating myself, summarize in a single article my argument showing that there is a vital connection between the charkha, swaraj and ahimsa. I gladly make the attempt.
The spinning-wheel represents to me the hope of the masses. The masses lost their freedom, such as it was, with the loss of the charkha. The charkha supplemented the agriculture of the villagers and gave it dignity. It was the friend and solace of the widow. It kept the villagers from idleness. For the charkha included all the anterior and posterior industries-ginning, carding, warping, sizing, dyeing and weaving. These in their turn kept the village carpenter and the blacksmith busy. The charkha enabled the seven hundred thousand villages to become self-contained. With the exit of the charkha went the other village industries, such as the oil-press. Nothing took the place of these industries. Therefore the villages were drained of their varied occupations and their creative talent and what little wealth these brought them.
The analogy of the other countries in which too village handicrafts were destroyed will not serve us because, whereas the villagers there had some compensating advantages, India’s villagers had practically none. The industrialized countries of the West were exploiting other nations. India is herself an exploited country. Hence, if the villagers are to come into their own, the most natural thing that suggests itself is the revival of the charkha and all it means.
This revival cannot take place without an army of selfless Indians of intelligence and patriotism working with a single mind in the villages to spread the message of the charkha and bring a ray of hope and light into their lustreless eyes. This is a mighty effort at cooperation and adult education of the correct type. It brings about a silent and sure revolution like the silent but sure and life-giving revolution of the charkha.
Twenty years’ experience of charkha work has convinced me of the correctness of the argument here advanced by me. The charkha has served the poor Muslims and Hindus in almost an equal measure. Nearly five crores of rupees have been put into the pockets of these lakhs of village artisans without fuss and tomtomming.
Hence I say without hesitation that the charkha must lead us to swaraj in terms of the masses belonging to all faiths. The charkha restores the villages to their rightful place and abolishes distinctions between high and low.
But the charkha cannot bring swaraj, in fact it will not move, unless the nation has faith in non-violence. It is not exciting enough. Patriots yearning for freedom are apt to look down upon the charkha. They will look in vain to find it in history books. Lovers of liberty are fired with the zeal to fight and banish the foreign ruler. They impute all the vices to him and see none in themselves. They cite instances of countries having gained their freedom through seas of blood. The charkha devoid of violence seems an utterly tame affair.
In 1919 the lovers of the liberty of India were introduced to non-violence as the only and sure means to swaraj and to the charkha as a symbol of non-violence. The charkha found its proud place on the national flag in 1921. But non-violence had not gone deep into the heart of India, and so the charkha never came into its own. It will never come into its own unless the vast body of Congressmen develop a living faith in non-violence. When they do so they will, without needing any argument, discover for themselves that there is no other symbol of non-violence than the charkha, and that without its universalization there will be no visible expression of non-violence. It is common ground that without non-violence there can be no nonviolent disobedience. My argument may be false, my data may be faulty. But, holding the views I do, let me proclaim that without fulfilment of the conditions prescribed by me I simply cannot declare civil disobedience.
SEVAGRAM, April 9, 1940
Harijan, 13-4-1940
vol.78 pp.129-131
A correspondent says now that civil disobedience is in the air, I must once more, even at the risk of repeating myself, summarize in a single article my argument showing that there is a vital connection between the charkha, swaraj and ahimsa. I gladly make the attempt.
The spinning-wheel represents to me the hope of the masses. The masses lost their freedom, such as it was, with the loss of the charkha. The charkha supplemented the agriculture of the villagers and gave it dignity. It was the friend and solace of the widow. It kept the villagers from idleness. For the charkha included all the anterior and posterior industries-ginning, carding, warping, sizing, dyeing and weaving. These in their turn kept the village carpenter and the blacksmith busy. The charkha enabled the seven hundred thousand villages to become self-contained. With the exit of the charkha went the other village industries, such as the oil-press. Nothing took the place of these industries. Therefore the villages were drained of their varied occupations and their creative talent and what little wealth these brought them.
The analogy of the other countries in which too village handicrafts were destroyed will not serve us because, whereas the villagers there had some compensating advantages, India’s villagers had practically none. The industrialized countries of the West were exploiting other nations. India is herself an exploited country. Hence, if the villagers are to come into their own, the most natural thing that suggests itself is the revival of the charkha and all it means.
This revival cannot take place without an army of selfless Indians of intelligence and patriotism working with a single mind in the villages to spread the message of the charkha and bring a ray of hope and light into their lustreless eyes. This is a mighty effort at cooperation and adult education of the correct type. It brings about a silent and sure revolution like the silent but sure and life-giving revolution of the charkha.
Twenty years’ experience of charkha work has convinced me of the correctness of the argument here advanced by me. The charkha has served the poor Muslims and Hindus in almost an equal measure. Nearly five crores of rupees have been put into the pockets of these lakhs of village artisans without fuss and tomtomming.
Hence I say without hesitation that the charkha must lead us to swaraj in terms of the masses belonging to all faiths. The charkha restores the villages to their rightful place and abolishes distinctions between high and low.
But the charkha cannot bring swaraj, in fact it will not move, unless the nation has faith in non-violence. It is not exciting enough. Patriots yearning for freedom are apt to look down upon the charkha. They will look in vain to find it in history books. Lovers of liberty are fired with the zeal to fight and banish the foreign ruler. They impute all the vices to him and see none in themselves. They cite instances of countries having gained their freedom through seas of blood. The charkha devoid of violence seems an utterly tame affair.
In 1919 the lovers of the liberty of India were introduced to non-violence as the only and sure means to swaraj and to the charkha as a symbol of non-violence. The charkha found its proud place on the national flag in 1921. But non-violence had not gone deep into the heart of India, and so the charkha never came into its own. It will never come into its own unless the vast body of Congressmen develop a living faith in non-violence. When they do so they will, without needing any argument, discover for themselves that there is no other symbol of non-violence than the charkha, and that without its universalization there will be no visible expression of non-violence. It is common ground that without non-violence there can be no nonviolent disobedience. My argument may be false, my data may be faulty. But, holding the views I do, let me proclaim that without fulfilment of the conditions prescribed by me I simply cannot declare civil disobedience.
SEVAGRAM, April 9, 1940
Harijan, 13-4-1940
vol.78 pp.129-131
返信削除ガンジーの手紡ぎ車などは自立分散的生産システムで見習うべきものです。
《政治権力がなければできないこともあるのは認めましょう。しかし、政治権力にまったく頼らなくてもできることも、山のようにあります。》(『ガンジー自立の思想』)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0918ZFZD6/
http://katayama.life.coocan.jp/selfsufficiency.htm#reform 原文
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1540168340307873792?s=21
Answer
I have often heard this argument advanced as an excuse for failure to do many things. I admit that there are certain things which cannot be done without political power, but there are numerous other things which do not at all depend upon political power. ......
返信削除地域通貨花子1
@TiikituukaHana
@broseph_stalin 《It is my deliberate opinion that India is being ground down, not under the English heel, but under that of modern civilization. 》
Gandhi on Self-Sufficiency ガンジー・自立の思想
katayama.life.coocan.jp/selfsufficienc… pic.twitter.com/zQHcZy7GlK
http://katayama.life.coocan.jp/selfsufficiency.htm#what
2022/09/11 17:57
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1568886546081943555?s=21
返信削除Gandhi on Self-Sufficiency ガンジー・自立の思想
http://katayama.life.coocan.jp/selfsufficiency.htm#disease
《It is my deliberate opinion that India is being ground down, not under the English heel, but under that of modern civilization. 》
インドはイギリスのではなく近代文明の踵に踏みにじられているというのが、私が考え抜いた結論です。
●真の文明とは何か 聞き手 なぜイギリスがインドを支配しているのかやっとわかりました。では、インドの現状についてどう思われているかお聞かせください。 ガンジー 悲しい状況にあります。それを考えると涙があふれ、喉が熱く渇きます。インドはイギリスのではなく近代文明の踵に踏みにじられているというのが、私が考え抜いた結論です。インドはその巨大な怪物の重みに耐えかねて呻き声をあげています。それから逃れようと思えばまだ間に合いますが、日々それは難しいものとなってきています。 この文明の炎で焼き尽くされている被害者には際限がありません。しかも救いようのないことに、この文明がまったくよいものだと信じ込んで、人々はその焼けつく炎に飛び込んでいるのです。人々は宗教を軽んじるようになってしまいましたが、この世から利益を得ることも実際にはほとんどできないでいるのです。この文明は、私たちの機嫌をとりながら、実は私たちにかじり付いているネズミのようなものです。その影響が十分現れてくれば、宗教的迷信のほうが、近代文明の弊害に比べればまだ害がなかったということに私たちは気づくでしょう。
http://katayama.life.coocan.jp/selfsufficiency.htm#what
返信削除●近代文明という病
ガンジー 近代文明は名ばかりの文明です。この文明の下、ヨーロッパの国々は日々堕落し、破滅の淵にさしかかっています。
聞き手 どうして一般的にそのことが知られていないのでしょうか。
ガンジー 答えは非常に単純です。自分自身のことを悪く言う人にはめったにお目にかかれないからです。近代文明の弊害に冒されてしまっている人が、それを攻撃するようなことを書くはずがありません。そのような人たちの関心は、この文明を擁護する事例、主張を見つけることでしかありません。そして彼らはこの文明が本物であると信じ込んで、無意識のうちにそうやっているのです。眠って夢を見ている人は、夢の中のことを本当と信じており、目が覚めて初めてその人は、本当のことがわかるようになります。文明という毒を浴びながら苦労している人々は、夢の中にいる人のようなものです。私たちが普段読むものも近代文明を擁護する人々が書いたものです。確かにこの文明の信奉者の中にも、非常に優秀な人、さらにはとても善良な人もいますが、彼らの書いたものが私たちの判断を鈍らせています。そして、一人また一人と私たちは、その渦に飲み込まれていっているのです。
…
このような文明に対しては、人は忍耐あるのみです。この忍耐を続けるなら、近代文明は自然に消滅するはずです。マホメッドの教えでは、近代のこの文明は悪魔の文明であるとみなしています。ヒンドゥー教もこれを暗黒時代と呼んでいます。適切な言葉ではありませんが、この文明はイギリスを骨の髄までしゃぶり尽くしているのです。この文明から遠ざかるべきです。イギリスの議会ですら実際にはこの文明に隷属しているだけです。このことをじっくり考えてください。そうすれば、私の考えに同意していただけるのではないでしょうか。
しかし、イギリス人を非難する必要もありません。むしろイギリス人のほうこそ同情に値します。彼らは洞察力に富む国民ですので、この悪い行いから立ち直るはずだと私は信じています。彼らは積極的で勤勉な人々です。不道徳な考えを抱くように生まれついているわけではありませんし、根は悪い人ではないのです。ですから私はイギリス人を尊敬しています。この文明は不治の病ではありませんが、イギリス人が今その病気を患っていることは決して忘れるべきではありません。
Gandhi on Self-Sufficiency ガンジー・自立の思想
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返信削除What is True Civilization? 真の文明とは何か
(CHAPTER VIII of HIND SWARAJ: THE CONDITION OF INDIA)
READER: I now understand why the English hold India. I should like to know your views about the condition of our country.
EDITOR: It is a sad condition. In thinking of it my eyes water and my throat gets parched. .... It is my deliberate opinion that India is being ground down, not under the English heel, but under that of modern civilization. It is groaning under the monster’s terrible weight. There is yet time to escape it, but every day makes it more and more difficult.
......
there is no end to the victims destroyed in the fire of civilization. Its deadly effect is that people come under its scorching flames believing it to be all good. They become utterly irreligious and, in reality, derive little advantage from the world. Civilization is like a mouse gnawing while it is soothing us. When its full effect is realized, we shall see that religious superstition is harmless compared to that of modern civilization.
Chapter 1 Gandhi's Idea on Civilization ガンジーの文明論
返信削除Disease Called Modern Civilization 近代文明という病
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“HIND SWARAJ”
This civilization is such that one has only to be patient and it will be self-destroyed. According to the teaching of Mahomed this would be considered a Satanic Civilization. Hinduism calls it the Black Age. I cannot give you an adequate conception of it. It is eating into the vitals of the English nation. It must be shunned. Parliaments are really emblems of slavery. If you will sufficiently think over this, you will entertain the same opinion and cease to blame the English.
They rather deserve our sympathy. They are a shrewd nation and I therefore believe that they will cast off the evil. They are enterprising and industrious, and their mode of thought is not inherently immoral. Neither are they bad at heart. I therefore respect them. Civilization is not an incurable disease, but it should never be forgotten that the English people are at present afflicted by it.
返信削除このような文明に対しては、人は忍耐あるのみです。この忍耐を続けるなら、近代文明は自然に消滅するはずです。マホメッドの教えでは、近代のこの文明は悪魔の文明であるとみなしています。ヒンドゥー教もこれを暗黒時代と呼んでいます。適切な言葉ではありませんが、この文明はイギリスを骨の髄までしゃぶり尽くしているのです。この文明から遠ざかるべきです。イギリスの議会ですら実際にはこの文明に隷属しているだけです。このことをじっくり考えてください。そうすれば、私の考えに同意していただけるのではないでしょうか。
しかし、イギリス人を非難する必要もありません。むしろイギリス人のほうこそ同情に値します。彼らは洞察力に富む国民ですので、この悪い行いから立ち直るはずだと私は信じています。彼らは積極的で勤勉な人々です。不道徳な考えを抱くように生まれついているわけではありませんし、根は悪い人ではないのです。ですから私はイギリス人を尊敬しています。この文明は不治の病ではありませんが、イギリス人が今その病気を患っていることは決して忘れるべきではありません。
Gandhi on Self-Sufficiency ガンジー・自立の思想