2022年5月25日水曜日

ピラミッドとケインズ1936,10:6


10:6

六  非自発的失業が存在するときには、労働の不効用は必ず限界生産物の効用よりは小さい。もう、ずっと小さい、と言っていいかもしれない。長いあいだ失業している人にとっては、ある程度の労働は、負の効用どころか、むしろ正の効用さえもつかもしれない。もしそうなら、上の推論は、「浪費的な」公債支出は、差引勘定すると、結局、社会を富ませることを示している。古典派経済学の原理に立脚するわが政治家諸氏の教養が事態改善への障害になっている場合には、ピラミッドの建設、地震、そして戦争でさえもが、富の増進に一役買うかもしれないのである。
(1)「公債支出」という言葉は、国民からの借入れによってまかなわれた公共投資と、同様にしてまかなわれたその他すべての経常的公共支出の双方を含ませて用いるのが多くの場合便宜である。厳密に言うと、後者は負の貯蓄と見なされるべきものであるが、この種の公的活動は民間貯蓄を支配するような心理的動機の影響を受けない。ことほどさように、「公債支出」は、資本勘定の借入れにせよ、予算不足を埋め合わせるための借入れにせよ、公共当局の純借入れを表すための便利な表現なのである。ある形態の公債支出は投資を増加させるはたらきをし、またある形態のものは消費性向を増大させるはたらきをする。

 古代エジプトは貴金属の探索とピラミッド建設という二つの活動をもった点で二重に幸運であったし、伝説的なその富も疑いもなくこの事実に負っている。というのもその果実は、それが消費されることによって人間の用に供するというものではなかったために、潤沢のあまり価値を減じることがなかったからである。中世には大聖堂が建立され、ミサ曲が歌われた。二つのピラミッド、死者のための二つのミサ曲は、一つのピラミッド、一つのミサ曲に比べれば、善きこと二倍であるが、ロンドン─ヨーク間の二本の鉄道についてはそうはいかない。要するに、われわれは、あまりにも分別がありすぎ、あまりにも堅実な財政家になりきろうとしすぎる。子孫のために彼らの住む家を建てよう、そのためには彼らに余分の「財政」負担をしてもらわなくてはならない、そう決断すればいいものを、その前にあれこれ余計なことを考えてしまう。だから、われわれは、失業という苦境から簡単には脱け出すことができないのである。失業の苦しみは、いつ行使するとも知れぬ享楽への請求権を個人に蓄積させること、それこそが彼を「富ませる」最上の途だという格率を国家の行動に準用しようとするなら、不可避に生じる結果だと考えなければならない。

16:3

 完全雇用状態にあって、資本の限界効率に等しい利子率で社会が貯蓄を行い、その貯蓄量に見合った率で〔資本〕蓄積が進むと、それに応じて資本の限界効率はしだいに低下していく。このとき、理由は何にせよ、もし利子率が資本の限界効率と歩調をそろえて低下することができないとしたら、その場合には富を保有しようとする欲求を経済的収益を全く生まない資産に振り向けるだけでも、経済的厚生は増進するだろう。大富豪が、この世の住処として豪壮な邸宅を構え、死後の安息所としてピラミッドを建設するといったことに満足を見出したり、あるいはまた生前の罪滅ぼしのために大聖堂を造営したり修道院や海外布教団に寄進したりするならば、そのかぎりで、豊富な資本が豊富な生産物と齟齬を来す日が来るのを先延ばしできるかもしれない。貯蓄を用いて「地中に穴を掘ること」にお金を費やすなら、雇用を増加させるばかりか、有用な財・サーヴィスからなる実質国民分配分をも増加させるであろう。だが、ひとたび有効需要を左右する要因をわがものとした日には、分別ある社会が場当たり的でしばしば浪費的でさえあるこのような緩和策に甘んじて依存し続ける理由はない。


21:6

ただし、添字のないe(MdD/dDM)はこのピラミッドの頂点を表し、貨幣量の変化に対する名目物価の反応を示す測度である。  
 この最後の表現は貨幣量の変化に対する物価の変化率であり、それゆえ貨幣数量説の一般化された形式だと見なすことができる。私としてはこの種の操作にあまり価値をおくつもりはない。先に述べた警告を繰り返すなら、これらの操作にはいかなる変数を独立変数とするかについて日 常 言 語と同じくらい多くの仮定が言外に含まれている(*偏微分は終始無視されている)が、それにもかかわらずこのような操作が日常言語以上にわれわれの思考を前進させるものか、疑問である。物価と貨幣量との関係を形式的に表現しようとするとき、このような〔形式的〕操作を書き記すことから得られる最大の成果は、おそらく物価と貨幣量との複雑きわまりない関係をくっきり浮き立たせる…

MV=D


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