https://youtu.be/T7sZGboHarY?si=MELQvSiFQyhZKHCL
《トークンの形や大きさはそれぞれ特定の日用品の種類や数量を表していた。模様が刻まれた円錐形のものはパン、卵形のものは油、長菱形のものはビール、といった具合である》
デニス・シュマント=ベッセラ Denise Schmandt-Besserat
メソポタミアのクレイトークン
現在わかっている最古の文字が発見されたウルクの発掘調査が行われたのは、19世紀後半から20世紀半ばにかけて進んだメソポタミアの考古学調査の黄金期にあたる。この時期に、アメリカ、ドイツ、イギリスの調査隊が無数にある居住地跡を発掘し、記念碑的彫像から、精巧な細工がほどこされた装身具まで、メソポタミア文明のすばらしい工芸品や彫刻が大量に出土した。ところが、こうした学術的価値の高い出土品に混じって、粘土製の小さなものがあちこちから何千個も見つかった。粘土製品は大きくてもおはじき程度のものがほとんどで、円錐形、円柱形、球形など、形も大きさもさまざまだったが、それ以外にこれといった特徴はなかった。そのため、この見栄えのしない粘土の塊は何十年もの間、考古学者にほとんど捨て置かれた。1970年代まで、それが何であるのかという点についてまとまった見解さえなく、「子どものおもちゃ」「お守り」「ゲームに使う駒」などと推測されていた★18。「何に使われたかわからないもの」と一言で片付けられてしまうこともしばしばだった。アメリカのある有名な考古学者は、発掘調査報告書にこう記している。「第11層、第12層から、どうしても座薬にしか見えない謎の……粘土製遺物が五個出土した★19」。
実は、この粘土製品はもっと日常的に使われていたものであり、もっと重大な意味を持つものだった。1969年、フランスの若手考古学者、デニス・シュマント=ベッセラが、この不思議な粘土のかけらを網羅した包括的な図録を作成することにした。すべて並べて分析すると、トルコ北東部から現在のパキスタンまで、西アジア一帯の発掘地に共通するある特有の形と大きさがあることが浮かび上がってきた。シュマント=ベッセラは、この長く見過ごされていたものは、古代のチェスの駒でも、原始的な座薬でもなく、「一対一対応での数の勘定」に使われたトークンであることに気づいた。これは、あるものの数を記録するのにそれと同じ数の別のものを保管しておく方法である。高い計算能力はいっさい必要なく、二つのものの数が同じであることがわかればそれでいい★20。これは数を勘定する技術としては、わかっているかぎりでは最も古いものである。動物の骨に刻み目を入れて日数や殺した動物の数を記録していたと考えられる石器時代の初期のものが発見されている★21。メソポタミアでは、クレイトークンという複雑な仕組みがあったので、古来からある方法がかつてないような高い水準にまで進化したと、シュマント=ベッセラは考えた。トークンの形や大きさはそれぞれ特定の日用品の種類や数量を表していた。模様が刻まれた円錐形のものはパン、卵形のものは油、長菱形のものはビール、といった具合である★22。トークンを使って数を勘定するこの精巧なシステムは、メソポタミアの農業経済で動物の頭数や穀物の数量を記録するのに使われた。クレイトークンは、基本的な考え方が変わることなく、何千年もの間使われた★23。都市文明が興り、神殿を中心とする経済が発展すると、記録をとる必要性が劇的に高まった。紀元前3100年頃、メソポタミアのウルクで大きなイノベーションが生まれた。トークンそのものを使うのではなく、湿った粘土板にトークンを型押しして数を記録するようになったのだ。それ以降、ヒツジの数は粘土箱に入った円錐形のトークンの数で表されるのではなく、粘土板にトークンを型押ししてつけた三角形の数で表されるようになる。このシステムが導入され、それぞれのトークンに対応する印が定着すると、トークンそのものが使われなくなった。葦のペンで湿った粘土板にトークンの形や大きさを正確に刻むという、とても簡単な方法が考え出されたのだ。三次元のものを使った古代のシステムは、二次元の記号を使った新しいシステムに置き換えられた。これは画期的な出来事だった。文字が誕生したのである。
★17.シュマント=ベッセラは,この仮説が最初に提示されたのはウィリアム・ウォーバートンの1738年のDivineLegationofMosesであることを突き止めている.SchmandtBesserat,1992,p.4ff.を参照.
★18.「ゲームに使う駒」という解釈は突飛なように聞こえるかもしれないが,そうではない.ボードゲームはメソポタミアの生活の重要な特徴であり,「ウルのゲーム」と呼ばれる有名なゲーム盤が大英博物館に展示されている.しかし,粘土製品がこれほど大量に発見されたということは,ゲームの熱中度がありえないほど高かったことになる.著名な考古学者のアーネスト・マッケイは,1931年のジェムデット・ナスル遺跡発掘調査における現地調査報告書で,「この粘土製品を使うゲームが非常に人気があったことは,発見数の多さが証明している」と結論づけたが,それは循環論だった.
★19.カールトン・S・クーンのイラン・ベルト洞窟現地調査報告書.SchmandtBesserat,1977で言及.
★20.数の概念のさらに詳しい歴史については,Dantzig,1930を参照.
★21.SchmandtBesserat,1979.
★22.SchmandtBesserat,1992.
★23.このシステムの発展にはいくつかの重要な段階があった.特に大きかったのが,紀元前5500年頃にそれまでは模様がほとんどなかったトークンに葦のペンで模様が刻まれるようになったことだ.これによりシステムの柔軟性が高まった.SchmandtBesserat,1992を参照.
フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』
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