あまりに人間的なウイルスジャン ゠リュック ・ナンシ ー伊藤潤一郎訳
現代思想2020/05
Invité, Jean-Luc Nancy : Un trop humain virus (A Much Too Human Virus - ...
https://youtu.be/Msu0hAJXdhw
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ところで、ウイルスの生物学的な性質が知られている以上、ウイルスは神的なものの不在を証明している。いまや私たちは、いかに生命体が想像していた以上に複雑で把握しがたいものかさえわかっている。そして私たちは、政治権力――人民の権力、たとえば「欧州共同体」のようないわゆる「共同体」の権力、強権的な体制の権力――の行使もまた、思いもよらないほど捉えがたい複雑なものだということを知っている。それゆえ、生と政治の双方が私たちに挑戦してくる状況においては、「生政治」という語がどれほど取るに足りないものかがよくわかるだろう。私たちの科学的な知によって、私たちは私たち自身の[科学]技術権力に依存するしかない状態に陥りかねない。しかし、純粋かつ単純な専門技術など存在しないのだ。なぜなら、知それ自体が不確定性を抱え込んでいるからである(公にされている数々の研究を読めばすぐにわかることだ)。技術権力が一義的でない以上、客観的なデータと正当な期待の双方に沿うとされる政治権力はどれほど一義的ではありえないことか。
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ウイルスという虫眼鏡は、私たちの矛盾と限界の特徴を拡大して見せている。まさに現実原則が快感原則とぶつかっているのだ。そこには死がともなう。私たちが戦争や飢餓や荒廃とともに輸出していた死、いくつかのウイルスや癌(ウイルス同然に広がるのが癌だ)に限られると思っていた死が、すぐそこで私たちを待ちかまえている。そう!私たちは人間だ。私たちは言語をもった羽根のない二足動物なのであって、言うまでもなく超人でもトランスヒューマンでもない。それでは、私たちはあまりに人間的なのだろうか。あるいは、あまりに人間的であることなどけっしてできないということを理解しなければならないのではないか。そしてまさに、あまりに人間的であることなどけっしてできないというこのことこそが、私たちを無限に乗り越えるのだと理解しなければならないのではないか。
訳者附記本論考は、二〇二〇年三月一七日付でYouTube上の「感染の時代に哲学する(Philosopherentempsd'épidémie)」というシリーズの第三回として公開された、JeanLucNancy,«Untrophumainvirus»(
)の全訳である。翻訳にあたっては著者本人から提供されたテクストを底本とした。映像版とテクスト版のあいだにはいくつか
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