2020年8月2日日曜日

『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!|Web河出

全文公開第二弾! ユヴァル・ノア・ハラリ氏(『サピエンス全史』ほか)が予見する「新型コロナウイルス後の世界」とは? FINANCIAL TIMES紙記事、全文翻訳を公開。2/3


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『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!|Web河出
http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/

『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!




ユヴァル・ノア・ハラリ
単行本 - 人文書
ユヴァル・ノア・ハラリ
2020.03.24

著作累計が2,000万部を突破した世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、2020年3月15日付アメリカTIME誌に「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を(原題:In the Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership)」と題した記事を寄稿しました。
新型コロナウイルスと対峙する上での示唆に富んだハラリ氏のメッセージを、氏の著作全てを訳した柴田裕之氏が新たに訳しおろし、ハラリ氏並びにTIME誌の了解を得て、緊急全文公開します!
現代における「知の巨人」が考える、“今、人類に本当に必要なこと”、“真の意味での新型コロナウィルスに対する勝利”とは何か。是非ご一読下さい。
2020年3月15日「TIME」誌記事人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を
ユヴァル・ノア・ハラリ=著(歴史学者・哲学者。世界的ベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』、『21 Lessons』著者)
柴田裕之=訳
 多くの人が新型コロナウイルスの大流行をグローバル化のせいにし、この種の感染爆発が再び起こるのを防ぐためには、脱グローバル化するしかないと言う。壁を築き、移動を制限し、貿易を減らせ、と。だが、感染症を封じ込めるのに短期の隔離は不可欠だとはいえ、長期の孤立主義政策は経済の崩壊につながるだけで、真の感染症対策にはならない。むしろ、その正反対だ。感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ。
 感染症は、現在のグローバル化時代のはるか以前から、厖大ぼうだいな数の人命を奪ってきた。14世紀には、飛行機もクルーズ船もなかったというのに、黒死病(ペスト)は10年そこそこで東アジアから西ヨーロッパへと拡がり、ユーラシア大陸の人口の四半分を超える7500万~2億人が亡くなった。イングランドでは、10人に4人が命を落とし、フィレンツェの町は、10万の住民のうち5万人を失った。
 1520年3月、フランシスコ・デ・エギアという、たった1人の天然痘ウイルス保有者がメキシコに上陸した。当時の中央アメリカには電車もバスもなければ、ロバさえいなかった。それにもかかわらず、天然痘は大流行し、12月までに中央アメリカ全域が大打撃を受け、一部の推定によると、人口の3分の1が亡くなったとされている。
 1918年には、ひどい悪性のインフルエンザウイルスが数か月のうちに世界の隅々まで拡がり、5億もの人が感染した。これは当時の人口の4分の1を超える。インドでは人口の5%、タヒチ島では14%、サモア諸島では20%が亡くなったと推定されている。このパンデミック(世界的大流行)は、1年にも満たぬうちに何千万(ことによると1億)もの人の命を奪った。これは、4年に及ぶ第1次世界大戦の悲惨な戦いでの死者を上回る数だ。
 1918年以来の100年間に、人口の増加と交通の発達が相まって、人類は感染症に対してなおさら脆弱になった。中世のフィレンツェと比べると、東京やメキシコシティのような現代の大都市は、病原体にとってははるかに獲物が豊富だし、グローバルな交通ネットワークは今日、1918年当時よりもずっと高速化している。ウイルスは、24時間もかからないでパリから東京やメキシコシティまで行き着ける。したがって私たちは、致死性の疫病えきびょうが次から次へと発生する感染地獄に身を置くことを覚悟しておくべきだった。
 ところが実際には、感染症の発生率も影響も劇的に減少した。エイズやエボラ出血熱などの恐ろしい感染爆発はあったものの、21世紀に感染症で亡くなる人の割合は、石器時代以降のどの時期と比べても小さい。これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が隔離ではなく情報であるためだ。人類が感染症との戦いに勝ち続けてきたのは、病原体と医師との間の軍拡競争で、病原体がやみくもな変異に頼っているのに対して、医師は情報の科学的分析を拠り所としているからにほかならない。
 14世紀に黒死病が猛威を振るったときには、何が原因で、どんな手が打てるのか、人々は見当もつかなかった。近代以前、人類はたいてい病気を、怒れる神や悪意に満ちた魔物や汚い空気のせいにし、細菌やウイルスが存在するなどとは考えもしなかった。天使や妖精がいると信じていたものの、たった一滴の水に命の略奪者の恐ろしい大軍が潜んでいようとは、想像もできなかった。したがって、黒死病や天然痘が襲ってきたとき、為政者が思いつくことと言えば、大規模な祈禱きとうの催しを行ない、さまざまな神や聖人に救いを求めることぐらいのものだった。だが、効き目はなかった。それどころか、大勢の人が集まって祈りを捧げると、集団感染を招くことが多かった。
 20世紀には、世界中の科学者や医師や看護師が情報を共有し、力を合わせることで、病気の流行の背後にあるメカニズムと、大流行を阻止する手段の両方を首尾良く突き止めた。進化論は、新しい病気が発生したり、昔からある病気が毒性を増したりする理由や仕組みを明らかにした。遺伝学のおかげで、現代の科学者たちは病原体自体の「取扱説明書」を調べることができるようになった。中世の人々が、黒死病の原因をついに発見できなかったのに対して、科学者たちはわずか2週間で新型コロナウイルスを見つけ、ゲノムの配列解析を行ない、感染者を確認する、信頼性の高い検査を開発することができた。
 感染症の大流行の原因がいったん解明されると、感染症との戦いははるかに楽になった。予防接種や抗生物質、衛生状態の改善、医療インフラの充実などのおかげで、人類は目に見えない襲撃者よりも優位に立った。1967年には依然として、1500万人が天然痘にかかり、そのうち200万人が亡くなった。だが、その後の10年間に天然痘の予防接種が世界中で推進されてこの対抗策は大成功を収め、1979年には世界保健機関が、人類の勝利と天然痘の根絶を宣言した。そして2019年には、天然痘にかかったり、天然痘で命を落としたりした人は、1人としていなかった。
 この歴史は、現在の新型コロナウイルス感染症について、何を教えてくれるのだろうか?
 第一に、国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能であることを、歴史は示している。グローバル化時代のはるか以前の中世においてさえ、感染症は急速に広まったことを思い出してほしい。だから、たとえ国際的なつながりを1348年のイングランドの水準まで減らしたとしてもなお、不十分だろう。隔離によって本当に自分を守りたければ、中世にさかのぼってもうまくいかない。完全に石器時代まで戻る必要がある。だが、そんなことが可能だろうか?
 第二に、真の安全確保は、信頼のおける科学的情報の共有と、グローバルな団結によって達成されることを、歴史は語っている。感染症の大流行に見舞われた国は、経済の破滅的崩壊を恐れることなく、感染爆発についての情報を包み隠さず進んで開示するべきだ。一方、他の国々はその情報を信頼できてしかるべきだし、その国を排斥したりせず、自発的に救いの手を差し伸べなくてはいけない。現時点で、中国は新型コロナウイルスについて重要な教訓の数々を世界中の国々に伝授できるが、それには高度な国際的信頼と協力が求められる。
 国際協力は、効果的な検疫を行なうためにも必要だ。隔離と封鎖は、感染症の拡大に歯止めをかける上で欠かせない。だが、国家間の信頼が乏しく、各国が自力で対処せざるをえないと感じていたら、政府はそのような思い切った対策の実施をためらう。もし国内で新型コロナウイルスの感染者が100人見つかったら、ただちに都市や地方をまるごと封鎖するだろうか? それはおおむね、他国に何が期待できるか次第だ。自国の都市を封鎖すれば、経済の崩壊を招きかねない。そのときには他国が援助してくれるだろうと思っていれば、封鎖のような大胆な措置も取りやすくなる。だが、他国に見捨てられると考えていれば、おそらく躊躇し、手遅れになるだろう。
 こうした感染症について人々が認識するべき最も重要な点は、どこであれ1国・・における感染症の拡大が、全人類・・・を危険にさらすということだ。それは、ウイルスが変化するからだ。コロナのようなウイルスは、コウモリなどの動物に由来する。それが人間に感染すると、当初は、人間という宿主しゅくしゅにはうまく適応していない。だが、人間の体内で増殖しているうちに、ときおり変異を起こす。ほとんどの変異は無害だ。だが、たまに変異のせいで感染力が増したり、人間の免疫系への抵抗力が強まったりする。そして、このウイルスの変異株が人間の間で今度は急速に広まる。たった1人の人間でも、何兆ものウイルス粒子を体内に抱えている場合があり、それらが絶えず自己複製するので、感染者の1人ひとりが、人間にもっと適応する何兆回もの新たな機会をウイルスに与えることになる。個々のウイルス保有者は、何兆枚もの宝くじの券をウイルスに提供する発券機のようなもので、ウイルスは繁栄するためには当たりくじを1枚引くだけでいい。
 これはただの臆測ではない。リチャード・プレストンは著書『レッドゾーンの危機(Crisis in the Red Zone)』で2014年のエボラ出血熱の感染爆発における、まさにそうした一連の出来事を描き出している。この感染爆発のきっかけは、コウモリから人間へのエボラウイルスの感染だった。感染者は重症になったが、ウイルスは依然として人体よりもコウモリの体内での生息に適応していた。エボラウイルスが比較的稀な病気から猛威を振るう感染症に変化したのは、西アフリカのマコナ地区のどこかで、たった1人に感染したあるエボラウイルスの、たった1つの遺伝子の中で起こった、たった1度の変異のせいだった。この変異のおかげで、「マコナ株」と呼ばれるエボラウイルスのこの変異株は、人間の細胞のコレステロール輸送体に結びつくことができるようになった。こうして、この輸送体はコレステロールの代わりにエボラウイルスを細胞内に引き入れ始めた。この新しいマコナ株は、人間への感染性が4倍も高まった。
 みなさんがこの文章を読んでいる間にも、テヘランかミラノか武漢の誰かに感染した新型コロナウイルスの、たった1つの遺伝子の中で、それに似た変異が起こりつつあるかもしれない。もしそれが本当に起こっているとしたら、それはイラン人やイタリア人や中国人だけではなく、みなさんの命にとっても直接の脅威となる。新型コロナウイルスにそのような機会を与えないことは、全世界の人にとって共通の死活問題なのだ。そしてそれは、あらゆる国のあらゆる人を守る必要があることを意味する。
 1970年代に人類が天然痘を打ち負かすことができたのは、すべての国のすべての人が天然痘の予防接種を受けたからだ。たとえ1国でも国民に予防接種を受けさせることを怠っていたら、人類全体を危機に陥れていただろう。天然痘ウイルスがどこかに存在して変化を続けていたら、いつでもあらゆる場所に拡がりうるからだ。
 ウイルスとの戦いでは、人類は境界を厳重に警備する必要がある。だが、それは国どうしの境界ではない。そうではなくて、人間の世界とウイルスの領域との境界を守る必要があるのだ。地球という惑星には、無数のウイルスがひしめいており、遺伝子変異のせいで、新しいウイルスがひっきりなしに誕生している。このウイルスの領域と人間の世界を隔てている境界線は、ありとあらゆる人間の体内を通っている。もし危険なウイルスが地球上のどこであれ、この境界をどうにかして通り抜けたら、ヒトというしゅ全体が危険にさらされる。
 過去1世紀の間、人類はかつてないほどまでこの境界の守りを固めてきた。近代以降の医療制度は、この境界にそびえる壁の役割を果たすべく構築され、看護師や医師や科学者は、そこを巡回して侵入者を撃退する守備隊の務めを担っている。ところが、この境界のあちこちで、かなりの区間が情けないほど無防備のまま放置されてきた。世界には、基本的な医療サービスさえ受けられない人が何億人もいる。このため、私たち全員が危うい状況にある。健康と言えば国家の単位で考えるのが当たり前になっているが、イラン人や中国人により良い医療を提供すれば、イスラエル人やアメリカ人も感染症から守る役に立つ。この単純な事実は誰にとっても明白であってしかるべきなのだが、不幸なことに、世界でもとりわけ重要な地位を占めている人のうちにさえ、それに思いが至らない者がいる。
 今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。その結果、今や私たちは、協調的でグローバルな対応を奨励し、組織し、資金を出すグローバルな指導者が不在の状態で、今回の危機に直面している。
 2014年にエボラ出血熱が大流行したときには、アメリカはその種の指導者の役をこなした。2008年の金融危機のときにも、グローバルな経済破綻を防ぐために、率先して十分な数の国々を結束させ、同じような役目を果たした。だが近年、アメリカはグローバルなリーダーの役を退いてしまった。現在のアメリカの政権は、世界保健機関のような国際機関への支援を削減した。そして、アメリカはもう真の友は持たず、利害関係しか念頭にないことを全世界に非常に明確に示した。そして、新型コロナウイルス危機が勃発したときには傍観を決め込み、これまでのところ指導的役割を引き受けることを控えている。たとえ最終的にリーダーシップを担おうとしても、現在のアメリカの政権に対する信頼がはなはだしく損なわれてしまっているため、進んで追随する国はほとんどないだろう。「自分が第一ミー・ファースト」がモットーの指導者に、みなさんは従うだろうか?
 アメリカが残した空白は、まだ他の誰にも埋められていない。むしろ、正反対だ。今や外国人嫌悪と孤立主義と不信が、ほとんどの国際システムの特徴となっている。信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、将来、この種の大流行に繰り返し見舞われる可能性が高い。だが、あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい。
 顕著な例を1つ挙げよう。新型コロナウイルスの大流行は、EU(欧州連合)が近年失った各国民の支持を再び獲得するまたとない機会になりうる。EUのなかでも比較的恵まれている国々が、大きな被害が出ている国々に、資金や機器や医療従事者を迅速かつ惜しみなく送り込めば、どれだけ多くの演説をもってしても望めないほど効果的に、ヨーロッパの理想の価値を立証できるだろう。逆に、もし各国がそれぞれ自力で対処せざるをえなければ、今の大流行はヨーロッパ統合の終焉を告げる弔いの鐘を鳴らすことになりかねない。
 今回の危機の現段階では、決定的な戦いは人類そのものの中で起こる。もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それはこのウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウイルスは倍増する。対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけではなく、将来現れるあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう。
出典
TIME MAGAZINE
On March 15, Yuval published In the Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership (https://time.com/5803225/yuval-noah-harari-coronavirus-humanity-leadership/), in TIME magazine.


全文公開第二弾! ユヴァル・ノア・ハラリ氏(『サピエンス全史』ほか)が予見する「新型コロナウイルス後の世界」とは? FINANCIAL TIMES紙記事、全文翻訳を公開。




ユヴァル・ノア・ハラリ
単行本 - 人文書
ユヴァル・ノア・ハラリ
2020.04.07

世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、2020年3月20日付のイギリス経済有力紙FINANCIAL TIMESに「新型コロナウイルス後の世界―この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(原題:the world after coronavirus ― This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)」と題した記事を寄稿しました。
 当社では、3月24日に全文公開を開始したハラリ氏寄稿文「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」(アメリカTIME誌)に続く、“全文公開第二弾”として、ハラリ氏の著作全てを訳した柴田裕之氏の翻訳による記事全文を特別掲載いたします。 
現代における「知の巨人」が、“今、人類に迫られている選択”、“この危機を乗り切った後、私たちが身を置く世界”を持ち前の鋭さで論考する本稿。是非ご高読下さい。
2020年3月20日「フィナンシャル・タイムズ」紙新型コロナウイルス後の世界 ― この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(原題:the world after coronavirus ― This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)
記事全文
ユヴァル・ノア・ハラリ=著(歴史学者・哲学者。世界的ベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』、『21 Lessons』著者)

柴田裕之=訳
 人類は今、グローバルな危機に直面している。それはことによると、私たちの世代にとって最大の危機かもしれない。今後数週間に人々や政府が下す決定は、今後何年にもわたって世の中が進む方向を定めるだろう。医療制度だけでなく、経済や政治や文化の行方をも決めることになる。私たちは迅速かつ決然と振る舞わなければならない。だが、自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ。さまざまな選択肢を検討するときには、眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすことになるかについても、自問する必要がある。そう、この嵐もやがて去り、人類は苦境を乗り切り、ほとんどの人が生き永らえる――だが、私たちは今とは違う世界に身を置くことになるだろう。
 今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部になる。非常事態とはそういうものだ。非常事態は、歴史のプロセスを早送りする。平時には討議に何年もかかるような決定も、ほんの数時間で下される。未熟なテクノロジーや危険なテクノロジーまでもが実用化される。手をこまぬいているほうが危いからだ。いくつもの国がまるごと、大規模な社会実験のモルモットの役割を果たす。誰もが自宅で勤務し、遠隔でしかコミュニケーションを行なわなくなったら、何が起こるのか? 小学校から大学まで、一斉にオンラインに移行したら、どうなるのか? 平時なら、政府も企業も教育委員会も、そのような実験を行なうことにはけっして同意しないだろう。だが、今は平時ではないのだ。
 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。
「皮下」監視
 感染症の流行を食い止めるためには、各国の全国民が特定の指針に従わなくてはならない。これを達成する主な方法は2つある。1つは、政府が国民を監視し、規則に違反する者を罰するという方法だ。今日、人類の歴史上初めて、テクノロジーを使ってあらゆる人を常時監視することが可能になった。50年前なら、KGB(旧ソヴィエト連邦の国家保安委員会)は、2億4000万のソ連国民を24時間体制で追い続けることはできなかったし、収集した情報をすべて効果的に処理することなど望むべくもなかった。KGBは諜報員や分析官を頼みとしていたため、国民の一人ひとりに諜報員を割り当てて追跡することは、とうてい不可能だった。だが、今や各国政府は、生身のスパイの代わりに、至る所に設置されたセンサーと、高性能のアルゴリズムに頼ることができる。
 数か国の政府が、新型コロナウイルス感染症の流行との戦いで、新しい監視ツールをすでに活用している。それが最も顕著なのが中国だ。中国の当局は、国民のスマートフォンを厳重にモニタリングしたり、何億台もの顔認識カメラを使ったり、国民に体温や健康状態の確認と報告を義務づけたりすることで、新型コロナウイルス感染症の病原体保有者であると疑われる人を素早く突き止められるだけでなく、彼らの動きを継続的に把握して、接触した人を全員特定することもできる。国民は、感染者に接近すると、多種多様なモバイルアプリに警告してもらえる。
 この種のテクノロジーが利用可能な国は、東アジアに限られてはいない。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は最近、通常はテロリストとの戦い専用の監視技術を、新型コロナウイルス感染症患者追跡にも使用する権限を、同国の総保安庁に与えた。議会の当該小委員会がこの措置を許可することを拒むと、ネタニヤフは「緊急命令」を出してこの方針を押し通した。
 こうした措置には1つとして新しい点はないと主張する向きもあるだろう。近年は、政府も企業も、なおいっそう高度なテクノロジーを使って、人々の追跡・監視・操作を行なっているからだ。とはいえ、油断していると、今回の感染症の大流行は監視の歴史における重大な分岐点となるかもしれない。一般大衆監視ツールの使用をこれまで拒んできた国々でも、そのようなツールの使用が常態化しかねないからだけではなく、こちらのほうがなお重要だが、それが「体外」監視から「皮下」監視への劇的な移行を意味しているからだ。
 これまでは、あなたの指がスマートフォンの画面に触れ、あるリンクをクリックしたとき、政府はあなたの指が何をクリックしているかを正確に知りたがった。ところが、新型コロナウイルスの場合には、関心の対象が変わる。今や政府は、あなたの指の温度や、皮下の血圧を知りたがっているのだ。
非常事態のプディング令
 監視ということに関して、私たちがどのような立場にあるのかを解明する際には、さまざまな問題に直面する。自分たちがどのように監視されているのか、そして、今後の年月に何が登場するのかを、誰一人正確には知らないというのもその1つだ。監視技術は猛烈な速さで進歩しており、10年前にはサイエンスフィクションのように思えたものが、今日では早くも新鮮味を失っている。1つ思考実験をしてみよう。体温と心拍数を1日24時間休みなくモニタリングするリストバンド型センサーの着用を、ある政府が全国民に強要したとする。得られたデータは蓄積され、政府のアルゴリズムが解析する。そのアルゴリズムは、あなたが病気であることを、本人が気づきさえしないうちに知るだろうし、あなたがどこに行き、誰と会ったかも把握している。そのおかげで、感染の連鎖を劇的に縮め、完全に断ち切ることさえできるだろう。そのようなシステムがあれば、ほんの数日で感染症の拡大を止められることはほぼ間違いない。素晴らしい話ではないか?
 だが、そこには負の面もある。当然ながら、ぞっとするような新しい監視体制に正当性を与えてしまうからだ。たとえば、もし私がCNNではなくFox Newsをクリックしたことをあなたが知ったら、私の政治的な考え方や、ことによると性格についてさえもわかることがあるだろう。ところが、もしFox Newsのビデオクリップを見ているときの私の体温や血圧や心拍数の変動をモニタリングできたら、何が私を笑わせたり、泣かせたり、激怒させたりするのかまで知ることができる。
 ぜひとも思い出してもらいたいのだが、怒りや喜び、退屈、愛などは、発熱や咳とまったく同じで、生物学的な現象だ。だから、咳を識別するのと同じ技術を使って、笑いも識別できるだろう。企業や政府が揃って生体情報を収集し始めたら、私たちよりもはるかに的確に私たちを知ることができ、そのときには、私たちの感情を予測することだけではなく、その感情を操作し、製品であれ政治家であれ、何でも好きなものを売り込むことも可能になる。大規模な生体情報モニタリングが実施されれば、ケンブリッジ・アナリティカ社によるデータ・ハッキングの手口など、石器時代のもののように見えてくるだろう。全国民がリストバンド型の生体情報センサーの常時着用を義務づけられた2030年の北朝鮮を想像してほしい。もし誰かが、かの偉大なる国家指導者の演説を聞いているときに、センサーが怒りの明確な徴候を検知したら、その人は一巻の終わりだ。
 生体情報の監視を、非常事態の間に取る一時的措置だとして擁護することもむろんできる。感染症の流行が終息したら、解除すればいい、と。だが、一時的な措置には、非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある。常に何かしら新たな非常事態が近い将来に待ち受けているから、なおさらだ。たとえば、私の祖国であるイスラエルは、1948年の独立戦争の間に非常事態宣言を出し、それによって、新聞の検閲や土地の没収からプディング作りに対する特別の規制(これは冗談ではない)まで、じつにさまざまな一時的措置が正当化された。イスラエルは独立戦争に勝利してから久しいが、非常事態の終息宣言はついにせず、1948年の「一時的」措置の多くは、廃止されぬままになっている(幸いにも、非常事態のプディング令は2011年に撤廃された)。
 たとえ新型コロナウイルスの感染数がゼロになっても、データに飢えた政府のなかには、コロナウイルスの第二波が懸念されるとか、新種のエボラウイルスが中央アフリカで生まれつつあるとか、何かしら理由をつけて、生体情報の監視体制を継続する必要があると主張するものが出てきかねない。わかっていただけただろうか? 近年、私たちのプライバシーをめぐって激しい戦いが繰り広げられている。新型コロナウイルス危機は、この戦いの転機になるかもしれない。人はプライバシーと健康のどちらを選ぶかと言われたなら、たいてい健康を選ぶからだ。
「石鹸警察」
 だが、プライバシーと健康のどちらを選ぶかを問うことが、じつは問題の根源になっている。なぜなら、選択の設定を誤っているからだ。私たちは、プライバシーと健康の両方を享受できるし、また、享受できてしかるべきなのだ。全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。
 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。
 たとえば、石鹸で手を洗うことを考えてほしい。これは、人間社会の衛生上、屈指の進歩だ。この単純な行為のおかげで、毎年何百万もの命が救われている。石鹸で手を洗うことは、私たちにとっては当たり前だが、その重要性を科学者がようやく認識したのは、19世紀に入ってからだった。それ以前は、医師や看護師さえもが、手術を1つ終えた後、手を洗わずに次の手術に臨んでいた。今日、何十億もの人が日々手を洗うが、それは、手洗いの怠慢を取り締まる「石鹸警察」を恐れているからではなく、事実を理解しているからだ。私が石鹸で手を洗うのは、ウイルスや細菌について耳にしたことがあり、これらの微小な生物が病気を引き起こすことを理解しており、石鹸を使えば取り除けることを知っているからだ。
 だが、手洗いに匹敵する水準の徹底と協力を成し遂げるためには、信頼が必要となる。人々は科学を信頼し、公的機関を信頼し、マスメディアを信頼する必要がある。ここ数年にわたって、無責任な政治家たちが、科学と公的機関とマスメディアに対する信頼を故意に損なってきた。今や、まさにその無責任な政治家たちが、一般大衆はとうてい信頼できず、適切な行動を取ってもらえるとは思えないと主張し、安易に独裁主義への道を突き進む誘惑に駆られかねない。
 通常は、長い年月をかけて蝕まれた信頼は、一夜にして再建しえない。だが、今は平時ではない。危機に際しては、人の心はたちまち変化しうる。兄弟姉妹と長年、激しく言い争っていても、いざという時には、人知れずまだ残っていた信頼や親近感が蘇り、互いのもとに駆けつけて助け合うこともありうる。監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている。新しいテクノロジーも絶対に活用するべきだが、それは国民の権利を拡大するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出すために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任を持って決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。
 もし私が自分の健康状態を1日24時間追うことができたら、自分が他人の健康にとって危険になってしまったかどうかに加えて、どの習慣が自分の健康に貢献しているかもわかるだろう。そして、新型コロナウイルスの拡散についての信頼できる統計にアクセスしてそれを解析できたなら、政府が本当のことを言っているかどうかや、この感染症との戦いに適切な政策を採用しているかどうかも判断できるだろう。もし監視が話題に上っていたら、同じ監視技術がたいてい、政府が各個人をモニタリングするためだけではなく、各個人が政府をモニタリングするためにも使えることを思い出してほしい。
 このように、新型コロナウイルス感染症の大流行は、公民権の一大試金石なのだ。これからの日々に、私たちの一人ひとりが、根も葉もない陰謀論や利己的な政治家ではなく、科学的データや医療の専門家を信じるという選択をするべきだ。もし私たちが正しい選択をしそこなえば、自分たちの最も貴重な自由を放棄する羽目になりかねない――自らの健康を守るためには、そうするしかないとばかり思い込んで。
グローバルなプランが必要だ
 私たちが直面する第2の重要な選択は、ナショナリズムに基づく孤立と、グローバルな団結との間のものだ。感染症の大流行自体も、そこから生じる経済危機も、ともにグローバルな問題だ。そしてそれは、グローバルな協力によってしか、効果的に解決しえない。
 このウイルスを打ち負かすために、私たちは何をおいても、グローバルな形で情報を共有する必要がある。情報の共有こそ、ウイルスに対する人間の大きな強みだからだ。中国の新型コロナウイルスとアメリカの新型コロナウイルスは、人間に感染する方法について情報交換することができない。だが、新型コロナウイルスとその対処法に関する教訓を、中国はアメリカに数多く伝授できる。早朝にミラノでイタリアの医師が発見したことのおかげで、夕方までにテヘランで何人もの人の命が救われるかもしれない。イギリス政府は、複数の政策のどれを選ぶべきか迷っているときには、すでに1か月前に同じようなジレンマに直面していた韓国から助言を得られる。だが、こうした情報の共有が実現するためには、グローバルな協力と信頼の精神が必要とされる。
 各国は隠し立てせず、進んで情報を提供し、謙虚に助言を求めるべきであり、提供されたデータや見識を信頼できてしかるべきだ。また、医療用品・機器の生産と流通のための、グローバルな取り組みも欠かせない。とくに重要なのが検査キットと人工呼吸器だ。各国がすべて自国内で調達しようとし、手に入るかぎりのものをため込む代わりに、協調してグローバルな取り組みをすれば、生産が著しく加速され、命を救う用品や機器がより公平に分配できる。戦時中に国家が基幹産業を国有化するのとちょうど同じように、新型コロナウイルスに対する人類の戦争では、不可欠の生産ラインを「人道化」する必要があるだろう。新型コロナウイルスによる感染例が少ない豊かな国は、感染者が多発している貧しい国に、貴重な機器や物資を進んで送るべきだ。やがて自国が助けを必要とすることがあったなら、他の国々が救いの手を差し伸べてくれると信じて。
 医療のための人員を出し合う、同様のグローバルな取り組みも検討していいだろう。現時点であまり影響を受けていない国々は、世界でも最も深刻な打撃を受けている地域に医療従事者を派遣することができる。そうすれば、窮地に立たされた国々を助けると同時に、貴重な経験を得ることも可能だろう。もし、後に派遣国に感染症流行の中心が移ったなら、今度は逆方向に支援が流れてくることになる。
 グローバルな協力は、経済面でも絶対に必要だ。経済とサプライチェーンがこれほどグローバル化しているのだから、もし各国政府が他国をいっさい無視して好き勝手に振る舞えば、大混乱が起こって危機は深まるばかりだろう。私たちはグローバルな行動計画を必要としている。それも、ただちに。
 それに加えて、移動に関するグローバルな合意に達することも欠かせない。何か月にもわたって国際的な移動を停止すれば、途方もない苦難を招き、新型コロナウイルスに対する戦いを妨げることになる。各国は協力し、せめて絶対に必要な少数の人々、すなわち科学者や医師、ジャーナリスト、政治家、ビジネスパーソンには越境を許し続けなければいけない。移動者が自国による事前検査を受けるというグローバルな合意に至れば、これは達成可能だ。厳重な検査を受けた移動者しか飛行機の搭乗を許されないことがわかっていれば、入国側も受け容れやすくなる。
 あいにく、現時点ではどの国もこうしたことを1つも実行していない。国際コミュニティは集団麻痺に陥っている。大人の振る舞いを見せる国が見当たらないようだ。もう何週間も前に、世界の指導者たちが緊急会議を開いて、共同の行動計画をまとめていて当然のように思えるのだが。G7の首脳は、ようやく今週になってどうにかテレビ会議を開いたが、そのような計画にはまったくたどり着けなかった。
 2008年の金融危機や2014年のエボラ出血熱の大流行といった、これまでのグローバルな危機では、アメリカがグローバルなリーダーの役割を担った。だが、現在のアメリカの政権は、リーダーの仕事を放棄した。そして、人類の将来よりもアメリカの偉大さのほうをはるかに重視していることを、明確に示してきた。
 この政権は、最も親密な盟友たちさえも見捨てた。EU(欧州連合)からの入国を完全に禁止したときには、EUに事前通告さえしなかった。この思い切った措置について、EUと協議しなかったことは言うまでもない。そして、伝えられるところによれば、新しいCOVID-19ワクチンの専売権を買い取るために、あるドイツの製薬会社に10億ドルという金額を提示したとのことで、ドイツを呆れ返らせた。現政権が最終的には方針を転換し、グローバルな行動計画を打ち出したとしても、その指導者に従う人は皆無に近いだろう。なにしろその人物は、責任はけっして取らず、誤りは断じて認めず、いつもきまって手柄は独り占めし、失敗の責めはすべて他人に負わせるのだから。
 アメリカが残した空白を埋める国が出てこなければ、今回の感染症の大流行に歯止めをかけるのがなおさら難しくなるばかりか、その負の遺産が、今後長い年月にわたって国際関係を毒し続けるだろう。とはいうものの、危機はみな、好機でもある。グローバルな不和がもたらす深刻な危機に人類が気づく上で、現在の大流行が助けになることを、私たちは願わずにはいられない。
 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、グローバルな団結の道を選ぶのか? もし不和を選んだら、今回の危機が長引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くことになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロナウイルスに対する勝利となるだけではなく、21世紀に人類を襲いかねない、未来のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。
ユヴァル・ノア・ハラリ1976年イスラエル生まれの歴史学者、哲学者。2014年『サピエンス全史』の世界的ヒットにより一躍時代の寵児となる。2016年の『ホモ・デウス』では衝撃の未来予想図で世界を震撼させた。最新作『21 Lessons』では現代世界を鋭く読み解き、人類を力強く鼓舞する。
出典・初出
The World After Coronavirus, first published in English in The Financial Times(https://www.ft.com/content/19d90308-6858-11ea-a3c9-1fe6fedcca75)
© Yuval Noah Harari 2020
すでにこの寄稿記事は日本でも紹介され、「クーリエ・ジャポン」(3/28)、「日経電子版」(3/30)、「日本経済新聞」(3/31朝刊、抜粋)に別訳が掲載されています。

全文公開第三弾! ユヴァル・ノア・ハラリ氏(『サピエンス全史』ほか)が語る、 新型コロナウイルス感染拡大のなかで、 われわれは「死」に対しどう向かい合うべきか。 The Guardian紙記事、全文翻訳を公開。




ユヴァル・ノア・ハラリ
単行本 - 人文書
ユヴァル・ノア・ハラリ
2020.04.28

世界的歴史学者・哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は、2020年4月20日付のイギリス有力紙The Guardianに「新型コロナウイルスで、死に対する私たちの態度は変わるだろうか? いや、まったくその逆だ(原題:Will coronavirus change our attitudes to death? Quite the opposite)」と題した記事を寄稿しました。
当社では、ハラリ氏が記した新型コロナウイルスに関する寄稿文「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか」(アメリカTIME誌)「新型コロナウイルス後の世界――この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」(イギリスFINANCIAL TIMES紙)に続く、“全文公開第三弾”として、ハラリ氏の著作全てを訳した柴田裕之氏の翻訳による記事全文を特別掲載いたします。
新型コロナウイルスによってあらゆる世界観や価値観が変わろうとしている今、現代における「知の巨人」が“科学・医療の進化による、人間の生と死についての考え方”、“新型コロナウイルス流行後、政府が、そしてわれわれ一人ひとりが取り込むべきこと”を鋭く考察する本稿。是非ご高読下さい。
2020年4月20日「ガーディアン」紙
「新型コロナウイルスで、死に対する私たちの態度は変わるだろうか? 否、じつはその正反対だ」
(原題:Will coronavirus change our attitudes to death? Quite the opposite)
記事全文
ユヴァル・ノア・ハラリ=著(歴史学者・哲学者。世界的ベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』、『21 Lessons』著者)
柴田裕之=訳
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、死に対する、より伝統的な態度や、死を受け容れる態度へと私たちを立ち返らせるのか、それとも、寿命を延ばそうとする私たちの試みを後押しするのか?
 近代以降の世界を方向づけてきたのは、人間は死を出し抜き、打ち負かせるという信念だ。だがそれは、画期的な態度だった。人間は歴史の大半を通じて、おとなしく死を甘受してきた。近代後期まで、ほとんどの宗教とイデオロギーは、死を避けようのない運命としてばかりか、人生における意味の主要な源泉として捉えてきた。人間の存在にとって最も重要な出来事は、本人が息を引き取った後に起こった。人は死んでから初めて、生にまつわる本当の秘密を知るに至った。そしてようやく永遠の救済を得るか、あるいは果てしない断罪に苦しむことになった。死のない――したがって天国も地獄も生まれ変わりもない――世界では、キリスト教やイスラム教やヒンドゥー教のような宗教は、何の意味もなさなかっただろう。歴史の大半を通じて、最高の頭脳の持ち主たちは、死に意味を与えることにせっせと励み、死を打ち負かそうなどとはしなかった。
 ギルガメシュ叙事詩やオルフェウスとエウリュディケの神話、聖書、クルアーン、ヴェーダ、その他無数の聖典や物語は、苦悩する人間たちに辛抱強く説いた。私たちが死ぬのは、神、あるいは宇宙、はたまた母なる自然がそう定めたからであり、その運命を謙虚に潔く受け容れなくてはいけない、と。ことによると、いつの日か神は、キリストを再臨させるといった壮大で超自然的な意思表示の行為を通して、死を廃するかもしれない。だが、そのような大変革を画策することなど、生身の人間の分際ではとうてい望めないのは明らかだった。
 ところがそこに、科学革命が起こった。科学者にとって、死は神の定めではなく、たんなる技術的問題にすぎない。人間が死ぬのは神がそう言ったからではなく、何らかの技術的な不具合のせいなのだ。心臓が血液を押し出さなくなったり、癌(がん)が肝臓を冒したり、ウイルスが肺で増殖したりしたためだ。では、こうした技術的問題はみな、何が引き起こすのか? 他の技術的問題だ。心臓が血液を押し出さなくなるのは、心臓の筋肉に十分な酸素が到達しないから。肝臓に癌細胞が拡がるのは、偶然の遺伝子変異が起こったから。ウイルスが私の肺に入り込んだのは、バスで誰かがくしゃみをしたからだ。超自然的なところは何一つない。
 そして、どの技術的問題にも技術的解決策があると科学は信じている。死を克服するためにはキリストの再臨を待つ必要はない。科学者たちが研究室でそれをやってのけられる。伝統的には、死は黒い衣をまとった聖職者や神学者の得意分野だったが、今では白衣を着た研究者が彼らに取って代わった。心臓の鼓動が乱れたら、ペースメーカーで刺激を与えられるし、新しい心臓を移植することさえ可能だ。癌が暴れたら、放射線で殺すことができる。ウイルスが肺で急増したら、何か新しい薬で抑え込める。
 たしかに現時点では、技術的問題をすべて解決できるわけではない。だが、取り組みは続いている。最高の頭脳の持ち主たちは、もう、死に意味を与えようとして時間を費やすことはない。代わりに、彼らは寿命を延ばすための研究に余念がない。疾患や老化を招く微生物学的・生理学的・遺伝学的システムを詳しく調べ、新薬や革命的な治療法を開発している。
* * *
 人間は、寿命を延ばすこの取り組みで、目覚ましい成果をあげてきた。平均寿命は過去200年間に、全世界では40年未満から72年へ、一部の先進国では80年超へと跳ね上がった。とくに、子供たちは死神の魔手から首尾良く逃れた。20世紀までは、彼らの少なくとも3分の1が成人する前に亡くなっていた。赤痢(せきり)や麻疹(ましん)や天然痘(てんねんとう)といった疾患で、彼らは日常的に倒れていた。17世紀のイングランドでは、新生児1000人当たり約150人が最初の1年で亡くなり、15歳まで生き延びられるのはわずか700人ほどだった。今日、誕生後1年以内に亡くなるイギリスの赤ん坊は1000人当たりたった5人で、993人が15歳の誕生日を祝うことができる。世界全体では、小児死亡率は5%を下回るまでになっている。
 人間は命を守って寿命を延ばす試みで大成功を収めてきたので、私たちの世界観は根底から変わった。伝統的な宗教が死後の世界こそ意味の主な源泉であると考えていたのに対して、自由主義や社会主義やフェミニズムのように18世紀に生まれたイデオロギーは、死後の世界への関心をすべて失った。共産主義者は死んだらいったいどうなるのか? 資本主義者はどうなるのか? フェミニストはどうなるのか? カール・マルクスやアダム・スミスやシモーヌ・ド・ボーヴォワールの著作の中に答えを探しても無駄だ。
 ただし、相変わらず死に対して中心的役割を与えている現代のイデオロギーが一つだけある。ナショナリズムだ。ナショナリズムは情に訴えるときや切羽詰まってきたときには、国のために命を捧げる者は誰でも国民の集合的記憶の中で永遠に生き続けることを約束する。とはいえこの約束はあまりに曖昧なので、ナショナリストでさえその大半が、それをどう捉えればいいのかよくわからない。いったいどうやって記憶の中で「生きる」のか? もし死んでしまったら、人々が自分のことを覚えていてくれるかどうか、どうして知ることができるだろう? かつてウディ・アレンは、映画ファンの記憶の中で永遠に生き続けることを望んでいるかどうか訊かれた。するとアレンは、答えた。「私はむしろ、自分のアパートで生きていたい」と。伝統的な宗教でさえも、その多くが焦点を切り替えた。死んだら天国に行かれると約束する代わりに、現世で信者に対してやれることをはるかに重視するようになったのだ。
 今回のパンデミックで、死に対する人間の態度は変わるだろうか? おそらく、変わらない。まったくその逆だ。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のせいで、私たちは人命を守ろうと、なおさら努力するようになる可能性が高い。なぜなら、COVID-19に対して社会が見せる反応として最も目立つのは、諦めではなく、憤慨と期待が入り交じったものだからだ。
 中世ヨーロッパのような近代以前の社会で感染症が勃発したときには、人々はもちろん命の危険を感じ、愛する人の死に打ちのめされたが、主な反応は諦めだった。心理学者ならそれを「学習性無力感」と呼ぶかもしれない。人々は、これは神の思(おぼ)し召(め)しだ、あるいは、人類の罪に対する天罰だとでも自分に言い聞かせた。「神はすべて心得ていらっしゃる。私たち邪(よこしま)な人間にはこれが当然の報いなのだ。だから、いずれわかるだろうが、結局は万事最善の結果となる。心配することはない。善良な人々は天国で報われる。それに、薬を探し求めて時間を浪費してはならない。この病は、神が私たちを罰するために見舞われたものなのだ。この伝染を人間が自らの工夫で乗り越えられると考える者は、他の罪にさらに傲慢(ごうまん)の罪を重ねているにすぎない。神の計画を妨げようとは、身の程知らずもはなはだしい」。
 今日の受け止め方は正反対だ。列車事故や高層ビルの火災、さらにはハリケーンといった何かの大惨事で大勢の人が亡くなるたびに、私たちはそれを、天罰や避けようのない自然災害ではなく、防ぎえた人災と見る傾向がある。もし鉄道会社が安全対策用の予算を惜しまなければ、また、もし市当局がもっと適切な防火規制を導入していれば、そして、政府がもっと早く救いの手を差し伸べていれば、これらの人は命を落とさずに済んだかもしれないというわけだ。21世紀には、大量死が発生すれば、当然のこととして訴訟と取り調べが後に続くようになった。
 疫病(えきびょう)に対しても、私たちは同じ態度を取る。エイズ禍が起こった途端、同性愛者に対する神の罰だとする宗教家もいたが、幸いにも現代社会はそのような見方を狂気の過激思想として斬り捨てたし、昨今ではたいてい、エイズやエボラ出血熱などの近年の感染症の流行を、何らかの組織の失態と考える。そのような疫病を抑え込む知識と手段が人類にはあり、それでも感染症が手に負えなくなるようであれば、私たちはそれを、神の怒りではなく人間の無能のせいと見なす。COVID-19も例外ではない。現在の危機は終息には程遠いが、責任のなすり合いはすでに始まっている。さまざまな国の間で非難の応酬が見られる。政治家は、安全ピンを抜いた手榴弾(しゅりゅうだん)さながら、責任をライバルに放り投げている。
 憤慨と並んで、途方もなく大きな期待も見られる。現代のヒーローは、死者を埋葬して惨事の言い訳をする聖職者ではなく、命を救ってくれる医療従事者であり、スーパーヒーローは研究室の科学者だ。映画ファンなら知ってのとおり、スパイダーマンやワンダーウーマンが最後には悪者たちを打ち負かし、世界を救ってくれるのとちょうど同じように、数か月のうちに、いや、1年かかるかもしれないが、研究室の面々がCOVID-19の効果的な治療法ばかりかワクチンさえも生み出してくれると、私たちは信じて疑わない。彼らが成功した暁には、この忌々(いまいま)しい新型コロナウイルスに、この地球上で誰が最強の生き物かを思い知らせてやる! ホワイトハウスからウォール街、さらにははるか彼方のイタリアのバルコニーに至るまで、あらゆる場所で誰もが口にしている疑問は、「いつワクチンができ上がるのか?」だ。いつできるのかであって、できるかどうかではない。
* * *
 ワクチンが現に使えるようになり、このパンデミックが終息したときに、人類が引き出すことになる最大の教訓は何だろうか? それは、以下のようなものであることに、ほぼ間違いない。人命を守るためになおさら注力する必要がある。私たちはもっと多くの病院と医師と看護師を必要としている。もっと多くの人工呼吸器や防護服や検査キットの備蓄が欠かせない。未知の病原体を研究し、斬新な治療法を開発するために、もっと多くの資金を投入するべきだ。二度と不意を衝かれることがあってはならない、というわけだ。
 これは誤った教訓だ、今回の危機からは謙虚さを学ぶべきだ、と主張する人がいるかもしれない。人間の能力を過信して、自然の力を制圧できるなどと思い上がってはいけない、と。いつも否定的な見方をするこれらの人の多くは、今なお中世の考え方にしがみついており、謙遜を説きながら、自分たちは正しい答えのいっさいを知っていると、絶対の自信を持っている。偏狭な人間のなかには、抑えが利かなくなっている者もいる。たとえば、ドナルド・トランプの閣僚たちのために毎週聖書の勉強会を行なっている牧師は、新型コロナウイルス感染症も同性愛に対する神の罰であると主張した。だが今日では、伝統宗教の権化のような組織や国の大半でさえもが、聖典よりも科学に信頼を置く。カトリック教会は、信徒たちに教会に来ないように指示している。イスラエルは、国内のユダヤ教の会堂を閉鎖した。イラン・イスラム共和国は、国民にモスクを訪れないよう呼びかけている。ありとあらゆる種類の寺院や教派が、公の儀式を中止している。そして、これはすべて、科学者たちが予測を行ない、こうした聖なる場所の閉鎖を推奨したからにほかならない。
 当然ながら、人間の傲慢さについて警鐘を鳴らす人がすべて、中世のもののような信仰に戻ることを夢見ているわけではない。私たちは現実的な期待を抱くべきであり、人生におけるどんな災難からも医師の力で守ってもらえるなどと根拠のない思い込みをしてはならないことには、科学者たちでさえ同意するだろう。人類は、全体としては、かつてないほど強力になるだろうが、個々の人間は自らの脆弱(ぜいじゃく)さに向き合う必要があることに変わりはない。1、2世紀のうちに科学のおかげで人間の寿命が無期限に延びないともかぎらないが、それはまだ先のことだ。一握りの億万長者の赤ん坊は例外かもしれないが、今生きている人は全員、いずれ死ぬし、誰もが愛する人を失う。私たちは、自らが束の間の存在であることを認めざるをえない。
 人は何世紀にもわたって宗教にすがり、死後も永遠に存在し続けると信じて不安を和らげてきた。今では宗教の代わりに科学を頼り、医師がいつでも救ってくれる、自分のアパートで永遠に生き続けられると信じて不安を軽減しようとすることがある。だが、現在必要とされているのは、バランスの取れたアプローチだ。感染症に対処するにあたっては科学を信頼するべきだが、自分は一時的な存在であり、必ず死ぬという事実に取り組む責務も、依然として担わなくてはならない。
 実際、目下の危機のおかげで、人間の命や業績が儚(はかな)いものであるという自覚が深まる人が多いかもしれない。それでもなお、全体として見れば、現代文明がその逆方向に進むことはほぼ確実だ。脆弱さを思い知らされた現代文明は、いっそう守りを固めるという反応を示すだろう。今回の危機が過ぎ去ったとき、大学の哲学科の予算が目立って増えるとは思えない。だが、メディカルスクールや医療制度の予算はきっと大幅に増えるだろう。
 そして、それが神ならぬ人間に望みうる最善の展開なのかもしれない。いずれにしても、政府は哲学があまり得意ではない。哲学は政府の任務の埒外(らちがい)だ。だから政府はなんとしても、より良い医療制度を構築することに専念するべきだ。そして、生の意義についてもっと考えるのは、私たち一人ひとりの仕事となる。医師は私たちのために、人間の存在にまつわる哲学的な謎を解き明かすことはできない。だが彼らは、私たちがそれに取り組むための時間を、あと少しばかり稼ぐことはできる。その時間で何をするかは、私たち次第なのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ1976年イスラエル生まれの歴史学者、哲学者。2014年『サピエンス全史』の世界的ヒットにより一躍時代の寵児となる。2016年の『ホモ・デウス』では衝撃の未来予想図で世界を震撼させた。最新作『21 Lessons』では現代世界を鋭く読み解き、人類を力強く鼓舞する。
出典・初出
Will coronavirus change our attitudes to death? Quite the opposite, First published in English in The Guardian on 20 April 2020.(https://www.theguardian.com/books/2020/apr/20/yuval-noah-harari-will-coronavirus-change-our-attitudes-to-death-quite-the-opposite
 © Yuval Noah Harari 2020 

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