| ||||||||||||||||||||||||
https://twitter.com/ptcherneva/status/1344177712865284099?s=21
| ||||||||||||||||||||||||


2019 年 31 巻 2 号 p. 36-79
(EndNote、Reference Manager、ProCite、RefWorksとの互換性あり)
BIB TEX形式(BibDesk、LaTeXとの互換性あり)
テキストメタデータのダウンロード方法
| ||||||||||||||||||||||||


(1)ウィリアム・パタースンと同時代人であるウイリアム・ペティ William Petty 卿とグレゴリー・キング
Gregory King の有名な独創的な業績について注意を払わねばならない。これらのひとたちは「政治算術」という新科学を発展させつつあった。
イギリスの政治算術派の統計学者。イングランドのリッチフィールドに生まれ、ロンドンに出て製図、測量などの技術を学び、1677年に紋章官となり、のち徴税監督官ともなった。紋章学についての著作もあるが、彼を有名にしたのは『イングランドの状態についての自然的政治的観察と結論』Natural and Political Observations and Conclusions upon the State and Condition of England(1696)で、ここで彼は、イングランドとウェールズの人口、所得、地価、生産量などの推定を行ったが、この書物は今日の国民所得論の先駆をなすものといわれ、また当時の経済状態を知る貴重な資料ともなっている。ほかに『イングランドの海上貿易』Of the Naval Trade of England(1697)などの著書もある。なお、穀物の収穫高と穀物価格との変動の関係を定式化した「キングの法則」によっても知られている。
[浜林正夫]
By ALVIN H. HANSEN, 1941
原著1941年。これはMMTの先駆である。
ラーナーよりアメリカの歴史にねざした現実的な視野の広さがある。
特に近年ネットドラマやミュージカルで話題になったハミルトンの評価が圧倒的に優れている(邦訳166〜173頁)。
訳した都留重人もさすが三面等価の発見者と言われるだけある。
FISCAL POLICY AND BUSINESS CYCLES
By ALVIN H. HANSEN
Copyright, 1941, by
W. W. NORTON & COMPANY, Inc.
NEW YORK, U. S. A.
Published in Japan by arrangement with
Shigeto Tsuru.
財政政策と景氣循環
アルヴィン·エッチ·ハンセン
都留重人譯
日本評論新社
1950年
https://www.amazon.co.jp/dp/B000JB9AVK
https://www.amazon.co.jp/財政政策と景気循環-1950年-アルヴイン・エッチ・ハンセン/dp/B000JB9AVK
五 合衆国における公債論争
第九章 公債の増加と役割
第二篇 財政政策の新しい役割
米国経済における公債の役割にかんして、われわれは現在大きな変革期に直面している。過去三十年間のあいだにわれわれは、ほとんど公債がないに等しい十九世紀的伝統の立場から、比較的高額のしかもふえる一方の公債をもつ立場へ転向してきた。それには次の三つの理由があるのである。
(イ)地方政府による資本支出の落しい増加、それは道路、学校、下水理設備等のような恒久的施設のためのものである。(27)
(ロ)1914年の世界大戦
(ハ)大不況
右に加えて第四の理由として今や第二次大戦に関連しての国防支出が数えられねばならぬ。すなわち、戦争と、不況と、それから大規模な消費者用資本 (それは国全体の共同的手段によってのみ供給されうるようなものである)への需要がますますふえてきたこと〜〜これ等の現象が原因となり、過去四分の一世紀のあいだアメリカの公債はふえつづけて今や巨額のものとなったしまた現在も増勢をゆるめていないのである。
前後150年間にわたる連邦政府公債の歴史は五つの主なエピソードを中心として綴られてきた、(イ)連邦拡張、初期、(ロ)1812年の戦争、(ハ)南北戦争、(ニ)第一次世界大戦、(ホ)大不況、の五つである。
右のうち、中の三つは戦争に関連しての連邦債増加の時期である。そういう時期にみられる公債論争は、えてして基本的問題に触れないのが普通であって、議論の中心は主として戦費調達という実際的な問題~~すなわち、どの程度まで租税によって戦費を賄うことができ、また賄うことが妥当であるかという問題~~に限られがちである。
しかし、右のうち最初と最後の時期には、公債の役割に開する討議はもっと一般的な形でおこなわれ、より基本的な点へ突きこんでいった。そこでは《緊急の必要によって国家に是非なく課せられたところの支出は、如何に工面して支払われ得るか》という問題はそれほど重要親されなかった。少くとも問題はそれだけではなく、《或る所望の目的を達するために、公信用は政府の積極的な道具として利用さるべきであるか》という点も問題の一部を成していたのである。
最初の時期はアレキサンダー・ハミルトンの偉大なる指導下に蔽われていた観があった。 ハミルトンは新しい連邦政府の地位と権力を強化するために公信用を積極的に利用することを主張した。その常時でいえば膨大と思われる公債の増加も彼は恐れなかったのである。常時と現在との連邦政府の相対的な財政規模を考慮すれば、連邦債の総額はワシントン治下最後の時の方が現在より大きかったといえよう。
ハミルトンは新しい政府のために、特定の目的を達成せんと望んでいたが、そのためには連邦政府が巨額の公債を背負いこむことが必要であった。しかし、公債の増加を遠慮する彼ではなかった。むしろ彼は、相当額の公債は或る条件のもとにおいては経済にとって確かに一つの強味でもある、と論じ、政府目的のためばかりでなく、或る種の一般的継済目標を達成するためにも、度を越さない範囲で公信用を大幅?に利用することを主張した。
新連邦政府の公債を最小限度にとどめようと努力しそれすらも出来るだけ早く償却してしまうことを目標としていた反対者たちはただ晒然としたことであろう〜〜ハミルトンは、外国債を受けつぐこと(それは外国での信用を維持するために必要であると一般に認められていた) を提案したばかりでなく、「大陸」時代や「連合」時代の内国債や革命連動時代の各州の負債までも受けつぎ整理することを提案したのである。これ等はあわせて七九一二万五〇〇〇ドルに達した。未だ独り立ちのおぼつかない新政府にとって七九〇〇万ドルを越す負債をひきうけるということは、彼の反対者たちによって危険きわまる提案とみなされた。しかしハミルトンは、それこそが新しい連邦政府の基礎をかためる一ばん確かな方法であるとして、この方策を擁護したのである。
彼の公債論はそれだけではない。彼の「公信用に関する報告第一」(一七九○年月九日付)には、公債によって経済が益するところあり、と彼が考えた三つの点が挙げられている。第一の論点は、公債あるがために商人はその遊休資本を政府債券に投資することができ、そのために取入源が一つふえて、商売にあたってもより少ない利潤で仕事ができるようになる、しかも債券は商人が商取引のために必要とあれば即座 に信用源として利用できる、というのである。第二の論点は、公債あるがために農業や製造業が刺激をうけるというのであって、それは、これ等の産業自体に刺激が与えられるだけでなく、《外国貿易に活躍することによってこれ等の産業に好況と拡張の舞台とをもたらす商人》が前述のような便宜をうけるからでもある。第三の論点は、利子率が、流動査産供給の増加のために、低下するだろうということである。ハミルトンは、債券が或る種の目的のためには殆ど貨幣と同等である、と述べている。従って、多額の公債は利子率を下げるであろう、《なんとなれば、利率は常に貨幣の量とその流通の速さとにたいして比例開係にあるからである》という。ダンバー Dunbar はハミルトンの論法を言葉をかえて次のように述べている。
《 産業の復興は龍全な商業信用の助けをかりてはじめて成就することができ、このような信用の強達のためには公信用の確立と規則的な運用とが必要である、とハミルトンは考えていた。彼は、政府にたいする請求権のかたちで蓄積されている個人の資産が、市場の公認をうけた流通証券に換えられることによって動きだすならば、それは社会に便益をもたらすゆえんである、ということを知っていた。》(28)
ハミルトンが公債によって期待した純経済的な便益とは、このようなものであった。更に新政府の立場からいえば州や連合時代の負債を受けつぐことが中央政府を強化する一つの方法である、ということも彼は知っていた。
整理公債を不断に割賦償却することによって、資金は《解放され、経常費支出のためなり、新しい借款の基礎となり、臨機応変に将来の役に立てることができる》と彼は論じている。このように運用すれば公債は一種の回転資金のようなものだと考えられる。負債の割賦償却の原則は《公債を不滅なものにする秘訣である……継続的に約束された収入の継続的な解放は、ほとんど無尽蔵ともいい得るよう資金源を産みだすことになる》と彼は云う。更に彼によれば、公信用は《国民の全能力をして速やかに業に就かせよるよう促進する方法》でもある。それは《公共安寧の主柱の一つであるばかりでなく、有用な企業や国内の発展のための重要なエンジンの一つに数えられる》と。(29)
ハミルトンの反対者等は、彼がピットや英国の財政理論の模倣的な追随者でしかない、といって批難した。ジェファソンは一七九二年にワシントンに書き送っていうには、《ハミルトン大佐と小生との意見の相異点は、小生が負債を明日にも払おうというのにたいし、大佐は永久にこれを弁済することを欲せず、これをもって常に立法部を支配し腐敗堕落させるところの手段にしようとする点に存しております》(30)と。ハミルトンはまた、彼の反対者が彼に塗りつけたところの意見、すなわちあらゆる条件の下において《公債は公金なり》という意見をも否定している。彼は現実的、具体的であった。彼の論点は、当時政治的および経済的立場から新政府が直面しておった諸問題を考慮に入れるとき、《現在の負債を適当に借換整理することは負債を転じて国家的福因たらしめる所以である》というのであった。
議会における討論にはこの考え方にたいする反針が見うけられる。ジョージアからの一選出議員は、借換整理に伴う破綻のあわれむべき一例は英国にこれを見ることが出来る、と論じ、続けて次のように云っている。
《かの国における借換えや借金の蔓延ぶりは非常なもので、一七八六年にはその国債総額は二億三千万ポンドにまで達していた。どんな楽天家といえどもこのような負担から解放され得る時が来ようとは考え得ないだろう。将来なおも、かの国が財政的困難に狭われることがあつたら結果はどうであろう。他国において既に見られたと同様の帰結を免れることは出来ないにちがいない。国家的破産を招来するか、独立国家としての存在を抹殺されるか、のいずれかである。従って余はわが国における借換えの施策がわが共和国の福利にとって著しく危険であることを強調したい。そのために一時的には信用を高め、また新しい種類の通貨を殺することとなって流通手段をふやしもしようが、しかし同時にこれから先われわれの子孫には、彼等が堪えることもできなければまたそれから解放されることもかなわぬ一つの負担を負わせねばならぬこととなるのである。》
《子孫の負担》というような議論によってまどわされるようなハミルトンではなかった。彼は、経済学者が常に指摘してきたこと、すなわち、問題は現世代対後世の問題ではなく、同じ世代に属する二つのグループ、納税者のグループから債券所有者のグループへの移転の問題である、ということをはっきりと見抜いていた。ハミルトンは、一定の年賦金の額だけ、支持う者から債権者 (彼は受取るとそれを再び流通過程へ還すのであるが)へ、資金の移転がなされるにすぎない、と論じたのである。(32)
公債によった国家は経済的に或る積極的な便益を受けると論じたハミルトンにたいして、次のようなありふれた理屈倒れの議論がなされた〜〜もしそうだとすれば公債は多い程よいということになるのではないか、と。ハミルトンの答はすべてのこうした議論にたいして背察を得たもの、すなわちわれわれは決して経済生活における平衡(バランス)を失ってはならない、というのであった。或る事情の下においては鋼鉄の価格を一割下げることが望ましいことがあろう、しかしだからといって例えば九割も下げることが賢明な経済政策であるということにはならない。或る通貨の対外価値を二割方下げることが望ましいことがあろう、しかしだからといって八割の切下げが望ましいということにはならない。その他すべての経済政策についても同様である。ハミルトンの表現をかりれば、
《公債の徒らな蓄積にたいしては尤もな根拠から反対であるからといって、公債に何等の有用性をも認めようとしないお歴々がある、彼等は公債には悪いことばかりしかないと考え、こうした「悪」を緩和するような「善」を洞察することができない、また彼等は公債は、少くとも資本の増加と見なさるべきである、という立場にも加担できないでいる。それは、公債の増加は資本の増加を意味するということを認めれば、彼等が悪となすところのものが殖えれば彼等が社会の福因となすところのものが殖える、と云わねばならぬからである。
しかし、公の審議機関はすべての事柄に関してありのままに評価するということ、善がどれだけあるにしろどの程度まで悪によって相殺されているか、また悪が善によって償われているか、を察知することに関心をもっている。善悪いずれにしても両者がお互いに混じっていないことは稀である。
その一部分が資本の役割を果すからといって公債を徒らに蓄積することが望ましいということにはならぬ。自然体のばあいと同様に政治体のばあいでも過度ということはあり得る。かかる人為的な資本が不必要であるという事態がないわけではない。》(33)
彼自身の立場を弁護しながら、ハミルトンは云う、
《[私は、]合衆国の現在の負債を借換え整理することは負債を博じて国家的な福因とするものである、という点をはっきりと主張してきた。誰でも雨限を開いて合衆中を該行し、産業のすべての分野にみなぎる活須を観察しさえすれば、右の立場が十分の根撲を持つていることを確信するにちがいない。
しかしこのことは、一般的な命題として (それが正しいか否かは別として)公債が公の調をもたらすものである、と主張することとは全然別個のことがらである。特殊の一時的の事情は、他の時には害になるところのものを、或る時には有利なものとするかもしれないのである。》(34)
ハミルトンの立場はギャラティン Gallatin によって強く反対された。ギャラティンは一貫して公債の増加を阻み、絶えず既存の負担を減らすことにつとめたのである。それは彼が財務長官となるずっと前からのことであった。一七九五年から一八〇○年までのあいだ、彼はペンシルヴァニア州からの上院議員として、政府の財政政策とたたかった常時多くのものは戦争切迫を身近に感じ、政府はその負債を増加すべきか、それとも又その防備をないがしろにすべきか、という問題に直接の関心を持っていた。連邦主義者たちは充実した陸海軍を作るために公債増加の策をえらぶことを躊躇しなかった。ギャラティンは公債のかさばることを一種の脅威であると見なし、国家の安全と保障は、国防のためにはより少く減債のためにはより多く費消してこそ、一ばんよく確保されるものであると信じていた。彼にとって公債の償却は受協をゆるさぬドグマになってしまったのである。ジェファソンとマジソンは原則として彼を支持したが、大規模な政府支出を正常化するような事情があってそのために国債の増加が必要なばあいは、十分現実主義的に考えて本来の原則を和らげるのにやぶさかではなかつた。例えば、公債にかんするジェファソンの考えも彼が、トリボリとの戦いやルイジアナ領土の曝入のために必要とされた大がかりな支出に乗りだすことの妨げとはならなかった。ところがギャラティンは、終始一貫彼のドグマにどこまでも執着して、そのいずれにも反野したのである。一一八〇七年には戦のおそれのために支出は更に急増したが、次の二年にはいくらかの減少が見ちれた。しかし一八一二年の戦争は、負債を弁済しようとしたギャラティンの望みを粉砕してしまい、彼は財務長官の職を辞した。負債は一八一一年の四千五百万ドルから一八一四年の一億ドルへ増加したのである。
公信用の利用を弁護するためにハミルトンが提出した個々の経済的議論は、もちろん今日の論争には殆どそのどれ一つもうまく當てはまらない。われわれにとって興味があるのは、彼が用いた論法そのものではなく(但し、内国債は移転であって負擔[負担]を意味しないという彼の認識にかんしては例外である)、むしろ彼が、公債はそれ自体悪であるという一般的ドグマを斥けたという事実である。彼は問題の運び方においても現実主義的であった。彼の反対者等は戦争というせっぱつまった必要がなければどんなことがあっても公債は避けるべきであると云い、また経済の立場から云っても公信用の利用からは何等の便益も得られずその結果はすべて有害なものばかりであると云い、一旦招来されたからには出来るだけ早く最少限度に縮減すべきである等と主張したところの独断論者にほかならなかった。ハミルトンは公信用をもって政府政策の有数な道具と認めていたのである。彼が求めていた経済的目標はその大部分が現在われわれの求めるところのものではない、しかしその原則は未だなお安営性をもっている。公信用という手段の背後にわれわれは経済の実体をみつめ、公信用の利用によって生れることの期待されるその結果に関心を持つことが必要なのである。
註
(27)~(34)
註27 Temporary National Economic Committee Hearings, Part 9, Savings and Investment,
註28 ダンバー C. F. Dunbar, "Some Precedents Followed by Alexander Hamilton," Quarterly Journal of Economics, 1888, pp. 32-59.
註29 ハミルトン Hamilton, First Report on the Public Credit; Second Report on the Public Credit.(Alexander Hamilton, Papers on Public Credit, Commerce and Finance, Mckee's edition, pp. 46, 156-7, 170–2 )
註30 ジェファソン Jefferson, Works, Volume III, p. 464,
註31 ベントン Thomas Benton, Abridgement of the Debates of Congress, February 9, 1790.
註32 Papers on Public Credit, Commerce and Finance by Alexander Hamilton (Mckee edition, pp. 216-17)
註33 Report on Manufactures, December 5, 1791 (Mckee edition 既出)。ハミルトンはまた過度に巨額の公債が富の集中に及ぼす影響に注意し、かかる負債は《懶惰放芯の徒の浪費をほしいままにさせるに役立つばかりであって》、しかも利子支出のために必要な出費を重苦しいものにする、と云っている。この最後の点は、ハミルトンの棲んでいた時代、すなわち消費税が主な財源であった時代においては、特にそうだったであろう。
註34 Letter to Philadelphia Gazette, September 11, 1792.
Too little too late? Joining us tonight to discuss the economy amid the president’s 11th hour signing of the Covid relief bill: @StephanieKelton
— The Mehdi Hasan Show (@MehdiHasanShow) December 28, 2020
Streaming on https://t.co/yiT8UpZEGH starting at 7 PM ET pic.twitter.com/9hkazkJV8r