2020年8月16日日曜日

「日本銀行の対政府取引」について : 日本銀行 Bank of Japan

牙 龍一:脱財政再建!消費税は廃止!通貨消滅やめろ! (@kiba_r)
⁦‪@maseguchi‬⁩ 理論上ではなく法律的な理由ですね

//…財政法により原則として禁止されている(財政法第5条2本文)が、政府の一時的な資金需要に対応するために発行される政府短期証券については、当該条項の適用を受けないと解されており、日本銀行法でも、日本銀行が政府短期証券の引受けを行うことができる旨

https://twitter.com/kiba_r/status/1294473735886352385?s=21


銀行券が日本銀行のバランスシートにおいて負債に計上されているのはなぜですか? : 日本銀行 Bank of Japan
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/outline/a23.htm/

質問銀行券が日本銀行のバランスシートにおいて負債に計上されているのはなぜですか?

日本銀行は銀行券の発行を1885年に開始しました。当初、日本銀行の発行する銀行券は、銀との交換が保証された兌換銀行券でした。その後、金本位制度の採用を経て、金との交換が保証されました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。
その後、金や銀の保有義務は撤廃されましたが、一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債として計上しています。
なお、海外の主な中央銀行においても、こうしたバランスシート上の取り扱いが一般的となっています。



「日本銀行の対政府取引」について : 日本銀行 Bank of Japan
https://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/exseifu01.htm/

「日本銀行の対政府取引」について

2004年5月12日
日本銀行企画室

1.はじめに

日本銀行は、「政府の銀行」として国庫金の出納事務を行うため、政府預金の受入・払出を行うほか、政府との間で様々な取引を行っている。
実施した対政府取引の内容については、これまでも、「マネタリーベースと日本銀行の取引」等において公表を行ってきたが、今般、日本銀行では、業務運営の透明性の一層の向上を図る観点から、これらの取引内容を取り纏めた「日本銀行の対政府取引」を作成し、毎月公表することとした。
本稿では、「日本銀行の対政府取引」の公表の開始に当って、日本銀行が実施している対政府取引の概要を簡単に整理するとともに、公表する「日本銀行の対政府取引」の内容を概説することとしたい。

2.日本銀行が行う対政府取引の位置付け

日本銀行は、我が国の中央銀行として、法令で定めるところにより国庫金を取扱うこととなっており、その取扱いに必要な業務として、政府預金(無利子の「当座預金」および利子が付される「国内指定預金」)の受入・払出を行っている1ほか、3.に掲げるような取引を実施している。
これらの取引は、会計法などの国庫金に関する法令や、日本銀行法に基づいて実施されている。
また、日本銀行では、政策委員会において、取引が満たすべき条件などを定めた「対政府取引に関する基本要領」を制定し、公表している(1999年3月26日政策委員会決定)。
  1. 日本銀行法では、第35条第1項において、「日本銀行は、我が国の中央銀行として、法令で定めるところにより、国庫金を取り扱わなければならない」と定められており、同条第2項「日本銀行は、前項の規定により国庫金を取り扱う場合には、第33条第1項に規定する業務のほか、その取扱いに必要な業務を行うことができる」とされている。
    なお、政府預金の残高については、旬次で公表を行っている「営業毎旬報告」を参照されたい。

3.日本銀行の行う対政府取引の概要

(1)政府余裕金の運用

(a)日本銀行が保有する長期国債の買戻条件付売却(2004/4月末残高:対国債整理基金104,293億円、対財政融資資金41,972億円)

日本銀行は、国債整理基金および財政融資資金の資金繰りにおいて余裕金が発生している場合に、国債整理基金および財政融資資金に対する長期国債の買戻条件付売却を実施し得る扱いとしている。

(b)日本銀行が保有する政府短期証券および割引短期国債の売却(2004/4月末残高:ゼロ)

日本銀行は、国債整理基金および財政融資資金に対し、日本銀行が保有する政府短期証券および割引短期国債の(アウトライトによる)売却を実施し得る扱いとしている。

(2)政府の一時的な資金需要への対応等

(a)政府短期証券の引受け(2004/4月末残高:36,147億円)

日本銀行による公債の引受けは、財政法により原則として禁止されている(財政法第5条2本文)が、政府の一時的な資金需要に対応するために発行される政府短期証券については、当該条項の適用を受けないと解されており、日本銀行法でも、日本銀行が政府短期証券の引受けを行うことができる旨の条項が設けられている(日本銀行法第34条第4号3)。
政府短期証券の発行に関しては、1998年度までは、日本銀行がその殆どを引き受ける扱いとなっていたが、1999年度以降、原則として市場における公募入札により発行する方式に改められた4
公募入札方式への移行後は、日本銀行が政府短期証券の引受けを行う場合は、政府からの要請に応じて例外的に行う臨時引受けと、日本銀行の業務運営上必要がある場合に自らが行う引受けに限られることとなった。
このうち、政府からの要請に応じて実施する臨時引受けは、(1)市場における公募入札において募集残額等が生じた場合、(2)為替介入の実施や国庫資金繰りの予想と実績との乖離の発生などにより、予期せざる資金需要が発生した場合に限定されている。また、臨時引受けを行った政府短期証券については、可及的速やかに償還を受ける扱いとなっている5。このように、臨時引受けについては、中央銀行による政府向け信用のあり方の観点も踏まえ、一時的な流動性の供給となるような明確な「歯止め」が設けられている。
日本銀行が自らの業務運営の必要性から実施する引受けは、現状においては、外国中央銀行等に対する買戻条件付売却の売却対象資産を確保する目的で実施している。
  1. 2 財政法第5条は「すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合においては、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。」と定めている。
  2. 3 日本銀行法第34条は、「日本銀行は、我が国の中央銀行として、前条第1項に規定する業務のほか、国との間で次に掲げる業務を行うことができる。(中略)第4号 財務省証券その他の融通証券の応募又は引受け」と定めている。
  3. 4 政府短期証券は、1998年度までは、予め金利を定めて市中公募を行い、応募額が発行額に満たない場合には日本銀行が残額を引き受ける「定率公募残額日銀引受方式」により発行されていた。この方式の下で、発行金利は市場実勢に比べて低いことが多かったため、日本銀行が発行額の殆どを引き受ける結果となっていた。大蔵省(当時)は、1998年12月22日に公表した「円の国際化の推進策について」において、政府短期証券の発行方式を原則として「公募入札方式」に改めることを公表し、1999年4月以降、1年程度を目途に、同方式に移行していくこととされた。
  4. 5 これらの臨時引受けに関する制限は、日本銀行の「対政府取引に関する基本要領」においても定められているほか、脚注4で述べた大蔵省(当時)公表の「円の国際化の推進策について」においても言及されている。

(b)償還期限が到来した国債等の借換えのための引受け6(2004/4月末残高:68,314億円)

前述のとおり、財政法においては、日本銀行が公債を引き受けることは原則として禁じられているが、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲で実施する引受けは、例外として許容されている(財政法第5条但書7)。
現在、この例外を定めた条項に基づいて国債の引受けを行っているのは、日本銀行が保有する国債のうち、償還期限が到来した国債等の借換えのための引受けのみである。
具体的には、日本銀行が保有する国債の償還および買入消却のための国債整理基金への売却に際し、その償還額ないしは売却額の限度内で、借換えのための引受けを行っている。この引受けについては、各年度の予算策定手続の中で国会の議決を経た上で行われており8、また、各年度毎の借換えのための引受額は、政策委員会で決定され、公表されている。
借換えのために引き受ける国債は、1998年度までは長期国債としていたが、1999年度以降は1年物割引短期国債を引き受けている。また、この割引短期国債の償還期限が到来した場合には、償還の都度、現金償還を受けるか再び割引短期国債を引き受けるかを日本銀行が判断することとしているが、2002年度以降は全額現金償還を受けている。
  1. 6 日本銀行法においても明文上定めが設けられている(第34条「日本銀行は、我が国の中央銀行として、前条第1項に規定する業務のほか、国との間で次に掲げる業務を行うことができる。(中略)第3号 財政法第5条ただし書の規定による国会の議決を経た金額の範囲内において行う国債の応募又は引受け」)。
  2. 7 前出脚注2参照。
  3. 8 具体的には、各年度の特別会計予算予算総則において、国債整理基金特別会計における日本銀行が引き受ける公債の限度額を、「同行の保有する公債の借換えのために必要な金額」と定めている。

(c)国債整理基金および財政融資資金が保有する政府短期証券の買入れ(2004/4月末残高:ゼロ)

日本銀行は、国債整理基金および財政融資資金の資金繰り上の必要に応じ、国債整理基金および財政融資資金が保有する政府短期証券の買入れを実施し得る扱いとしている。

4.「日本銀行の対政府取引」の概要

(1)ストック表とフロー表

「日本銀行の対政府取引」では、それぞれの対政府取引の月末の残高を示すストック表とともに、月中の取引額を示すフロー表を作成している。取引毎のストック表およびフロー表における記載項目はそれぞれ次のとおりである。

(a)政府短期証券の引受け

ストック表では、引受けにより取得した政府短期証券の各月末の残高を「政府短期証券引受残高」の項目に記載している。
フロー表では、各月中の政府短期証券の引受残高の増減額を「政府短期証券引受残高月中増減額」の項目に記載するとともに、その内訳として、残高の増加要因である政府短期証券の「引受額」と減少要因である引受けにより取得した政府短期証券の「償還額」(マイナス表示)を記載している。

(b)償還期限が到来した国債等の借換えのための引受け

ストック表では、借換引受けにより取得した割引短期国債の各月末の残高を「割引短期国債借換引受残高」の項目に記載している。
フロー表では、各月中の割引短期国債の借換引受残高の増減額を「割引短期国債借換引受残高月中増減額」の項目に記載するとともに、その内訳として、残高の増加要因である割引短期国債の「引受額」と減少要因である借換引受けにより取得した割引短期国債の「償還額」(マイナス表示)を記載している。

(c)国債整理基金および財政融資資金が保有する政府短期証券の買入れ

ストック表では、国債整理基金および財政融資資金から買い入れた政府短期証券の各月末の残高を、「対国債整理基金 政府短期証券買入残高」および「対財政融資資金 政府短期証券買入残高」の項目に記載している。
フロー表では、各月中の国債整理基金および財政融資資金からの政府短期証券の買入残高の増減額を、「対国債整理基金 政府短期証券買入残高月中増減額」および「対財政融資資金 政府短期証券買入残高月中増減額」の項目に記載するとともに、その内訳として、残高の増加要因である政府短期証券の「買入額」と減少要因である買い入れた政府短期証券の「償還額」(マイナス表示)を記載している。

(d)日本銀行が保有する政府短期証券および割引短期国債の売却

ストック表では、国債整理基金および財政融資資金に対して売却した政府短期証券および割引短期国債の各月末の残高を、「対国債整理基金 政府短期証券売却残高」、「対財政融資資金 政府短期証券売却残高」、「対国債整理基金 割引短期国債売却残高」および「対財政融資資金 割引短期国債売却残高」の項目に記載している。
フロー表では、各月中の国債整理基金および財政融資資金に対する政府短期証券および割引短期国債の売却残高の増減額を、「対国債整理基金 政府短期証券売却残高月中増減額」、「対財政融資資金 政府短期証券売却残高月中増減額」、「対国債整理基金 割引短期国債売却残高月中増減額」および「対財政融資資金 割引短期国債売却残高月中増減額」の項目に記載するとともに、その内訳として、残高の増加要因である政府短期証券および割引短期国債の「売却額」と減少要因である売却した政府短期証券および割引短期国債の「償還額」(マイナス表示)を記載している。

(e)日本銀行が保有する長期国債の買戻条件付売却

ストック表では、国債整理基金および財政融資資金に対して買戻条件付で売却した長期国債の各月末の残高を、「対国債整理基金 長期国債売現先残高」および「対財政融資資金 長期国債売現先残高」の項目に記載している。
フロー表では、各月中の国債整理基金および財政融資資金に対する長期国債の買戻条件付売却残高の増減額を、「対国債整理基金 長期国債売現先残高月中増減額」および「対財政融資資金 長期国債売現先残高月中増減額」の項目に記載するとともに、その内訳として、残高の増加要因である長期国債の「買戻条件付売却額」と減少要因である「買戻額」(マイナス表示)を記載している。

(2)「マネタリーベースと日本銀行の取引」との関係

「マネタリーベースと日本銀行の取引」に記載されている対政府取引に関する計数と、「日本銀行の対政府取引」に記載されている計数とは、次のような関係にある。
「日本銀行の対政府取引」の「政府短期証券引受」および「割引短期国債借換引受」は、「マネタリーベースと日本銀行の取引」の「短期国債 引受」の内訳計数となっている。さらに、「日本銀行の対政府取引」の「対国債整理基金 政府短期証券買入」、「対財政融資資金 政府短期証券買入」、「対国債整理基金 政府短期証券売却」、「対財政融資資金 政府短期証券売却」、「対国債整理基金 割引短期国債売却」および「対財政融資資金 割引短期国債売却」は、「マネタリーベースと日本銀行の取引」の「短期国債 対政府ネット売却」の内訳計数となっており、「日本銀行の対政府取引」の「対国債整理基金 長期国債売現先」および「対財政融資資金 長期国債売現先」は、「マネタリーベースと日本銀行の取引」の「対政府 長期国債売現先」の内訳計数となっている。
また、「マネタリーベースと日本銀行の取引」では、マネタリーベースの増加・減少に対応したプラス・マイナス表示を行っているため、一部「日本銀行の対政府取引」で対応する計数とは正負符号が逆に表示されている9
  1. 9 具体的に、「マネタリーベースと日本銀行の取引」と正負の符号が逆になっているのは、「対国債整理基金 政府短期証券売却」、「対財政融資資金 政府短期証券売却」、「対国債整理基金 割引短期国債売却」、「対財政融資資金 割引短期国債売却」、「対国債整理基金 長期国債売現先」および「対財政融資資金 長期国債売現先」。

2020年8月13日木曜日

フス戦争


フスはエンゲルス『ドイツ農民戦争』に名前だけ出てくる
全集7
以下は別訳
(表記フッス)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1226143
フス戦争 - Wikipedia

フス戦争チェコ語Husitské válkyポーランド語Wojny husyckieドイツ語Hussitenkriegeイタリア語Crociata Hussita)は、15世紀に中央ヨーロッパで起こった戦争。ヤン・フスの開いたキリスト教改革派のフス派プロテスタントの先駆)の信者(ボヘミアポーランドを中心とする)と、それを異端としたカトリック神聖ローマ帝国の間で戦われた。フス派戦争とも表記される[1]
フス戦争
Hussites massacre.jpg
1419〜1436
場所中央ヨーロッパ
結果最終的にはカトリックの勝利
衝突した勢力
フス派プロテスタントの先駆)
ターボル派
教皇領(カトリック)
神聖ローマ帝国
ハンガリー王国
ウトラキスト派チェコ語版ドイツ語版英語版

前史編集


フス戦争以前のフス派の戦い編集


グルンヴァルトの戦いで ポーランド王国とともに戦うヤン・ジシュカ
中央やや右下、胴鎧をつけ右肩に振りかぶった刀を敵ドイツ騎士団兵士にむけて今まさに振り下ろそうとしている
ヤン・マテイコ画『グルンヴァルトの戦い』
プロテスタント宗教改革
迫害の歴史
宗教改革の始まり
宗教改革者
各国の宗教改革
1410年に行われたポーランド王国リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団との戦い(グルンヴァルトの戦い)ではボヘミアから来たフス派義勇兵がヴワディスワフ2世率いるポーランド軍の援護についた。このときのチェコ人義勇兵にはヤン・ジシュカもいる。

戦闘の経過編集


戦争の始まり編集

1419年第一次プラハ窓外投擲事件を契機としてフス戦争が始まった。ハンドキャノンポーランド語版ドイツ語版英語版や火砲の伝来により、フス戦争はヨーロッパ史最初の火器を使った戦いといわれる。1420年代初頭にヤン・ジシュカの生み出した、・手銃・砲を装甲馬車Tabor)とともに活用する戦術によって、当時の騎士による突撃戦術を完膚なきまでに打ち破った。ヨーロッパ諸国を敵に回したフス派は貴族や庶民が団結し、当時の国王の私兵である軍隊ではなく、国民軍の原型のような軍隊を作り上げた。

フス派に対する十字軍編集

ローマ教皇と神聖ローマ皇帝ジギスムントは何度も「フス派に対する十字軍」(イタリア語crociata contro gli Hussiti)を組織したが、ことごとく打ち破られた(ウースチー・ナド・ラベムの戦いタチョフの戦いチェコ語版英語版)。この十字軍では、対陣中にフス派が聖歌を歌いだすとフス派軍の突撃を恐れた十字軍がたちまち壊走した、という逸話が伝えられている。1427年のタチョフの戦いから後、4年間は十字軍が組織されなかった。
1431年に行われた対フス派十字軍では(Domažlicの戦いチェコ語版ドイツ語版英語版)、ポーランド王国から6000人のフス派義勇兵がやってきてボヘミアのフス派を支援した。

ポーランド王国とドイツ騎士団の戦争編集


バルト海岸までやってきたボヘミア人たち(cs、1433年)
1431年-1435年に行われた「ポーランド王国ドイツ騎士団の戦争」(Polish–Teutonic War (1431–35))では、フス派を中心にボヘミアから7000人の義勇兵がやってきてポーランド王国に味方した。1433年の北部ポーランドでの戦いにおける勝利に際しては、ボヘミア兵とポーランド兵はともに喜び、ヴィスワ川河口近くで盛大な祝宴を催し、一同大いに気勢を挙げたという。19世紀プロイセン王国の歴史家ハインリヒ・フォン・トライチュケはこのときのことを「(フス派は)神の軍についての野蛮なチェコ人の歌を歌いながら(バルト)海に挨拶し、海水を瓶に入れ、バルト海が再びスラヴのものになった記念とした」と描写し、ドイツ民族に対抗した西スラヴ民族(ポーランド人チェコ人)のこの時代の連帯を認めたのである(cs:Husitské tažení k Baltu)。

戦争の収束編集

ヤン・ジシュカが病没して10年後の1434年、フス派は連戦連勝だったが、ボヘミアの人口は減り農村は荒廃し戦費の調達で農民は疲弊した。このためフス派の間では内部抗争が起こり、リパニの戦いで大プロコップと小プロコップが率いたターボル派(急進派)がウトラキストチェコ語版ドイツ語版英語版という穏健派によって壊滅させられ、皆殺しになった。さらに1439年、ポーランドでは既に王が代替わりしてヴワディスワフ3世となっていたが、フス派の略奪行為に手を焼いていたポーランド王国政府はついに本格的な一斉取り締まりに乗り出し、グロトニキ(Grotniki)の戦い英語版でポーランドにおけるフス派を壊滅させた。これによってフス戦争はすべて終わった。

影響編集


その後のウトラキスト派の運命編集

その後もウトラキストの系統が分派しプロテスタント諸派としてボヘミアで根強く政治的影響力を保ち続け、1458年にはラースロー5世ことハプスブルク家ラディスラフの死後、プロテスタント貴族イジー・ス・ポジェブラトをボヘミア王に擁立した。1459年エーガー条約ドイツ語版英語版によって、ボヘミア王国ザクセン公国の勢力範囲が確定された。
ハプスブルク家を中心とする勢力はハンガリーフニャディ・マーチャーシュ1469年にボヘミア王に擁立して互いに対立した。
1471年にイジーが死ぬと、プロテスタント貴族によってヤギェウォ家のポーランド王カジミェシュ4世の息子ヴワディスワフが迎えられ、ヴラジスラフ・ヤゲロンスキーとしてボヘミア王に即位した。ボヘミア王を主張し続けたマーチャーシュが1490年に死ぬと、ポーランドから来たボヘミア王ヴラジスラフはハンガリー王ウラースロー2世としても即位し、ボヘミアとハンガリーの王となった。以後ボヘミア王国ではプロテスタントが認知され、しばらくの間安定した。ラヨシュ2世の治世に、モハーチの戦い1526年)でオスマン帝国に大敗し、第一次ウィーン包囲サポヤイ・ヤーノシュがオスマン帝国についたことにより、オスマン帝国領ハンガリー1541年 - 1699年)が成立し、バルカン半島の領有が確定。
三十年戦争白山の戦い1620年)でスラヴ人かつプロテスタントであったチェコ貴族が全滅させられ、ドイツ人かつカトリックであった貴族が支配者としてチェコに入ってきた。以後チェコは完全にドイツ人の支配下に入る。一部のプロテスタント貴族やその追従者は、必死で逃げ延び宗教的に寛容で当時は特にプロテスタント運動が盛んだったポーランド王国に亡命した。ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ共同生活の兄弟団などもフス派を起源とする。
18世紀後半に入ってポーランド王国がポーランド分割によって滅亡すると、多くが新天地を求めてアメリカ合衆国など「新世界」へ移住していった。

フス戦争の戦い編集



フス派の戦車(Tabor

フス派の戦車、当時の再現

フス派兵士の盾(1429年)

ヤン・ジシュカ

関連作品編集



文献編集


  • "The Hussite Wars (1419–36)", Stephen Turnbull, Osprey Publishing (ISBN 1841766658)

関連項目編集



脚注編集


[脚注の使い方]
  1. ^ 世界大百科事典 第2版の解説”. コトバンク. 2018年1月19日閲覧。

外部リンク編集