結縄 英 knotted cord

結縄(けつじょう)は,縄の結びによって記憶や記録の手段にする,原始的な一種の記録法。文字をもたない社会にはしばしばこのような習慣があり,中国,日本,南北アメリカ,オーストラリア,さらにヨーロッパなどにそのなごりをとどめている。とくに古代ペルー(インカ帝国)のキープ quipu と沖縄の藁算(わらざん)は有名である。
ギリシアの歴史家→ ヘロドトスは『歴史』第 4 巻 98 節で,ペルシア王ダレイオスがギリシア人に結縄文字暦を託したことを記している。中国では,周易繋辞下伝,荘子外篇に登場する。倭人の風俗として『隋書倭国伝』(隋書巻 81 東夷伝倭国条)は,「無文字,唯刻木結繩」と記す。(文字無し,唯〻木を刻み繩を結ぶのみ)→ 布目 しかし,古代の中国やチベットの結縄は,現在のところその詳細は明らかになっていない。日本では,宮中で行われる新嘗祭の前日に行う鎮魂祭で,結縄は天皇の鎮魂のための呪術としても用いられた。→ 布目
このように結びを利用して記憶の助けとする方法は,現在でも,カトッリクのロザリオや仏教の数珠,あるいはハンカチの結び等にも見られる。
ヘロドトス
歴史中
4:98
[九八 こういうとダレイオスは一本の革紐に六十個の結び目を作り、イオニアの独裁者たちと会見していうには、
「イオニア人諸君、先に橋について申したわしの考えは取り消すことにする。そこでこの紐を手許において、これからわしのいうとおりにしてもらいたい。そなたらはわしがスキュタイ人攻撃に出発するのを見たならば、その時から始めて毎日結び目を一つずつほどいていってくれ。その期間にわしが戻ってこず、結び目の数だけの日が経過したならば、そなたらは船で帰国してくれてよい2。しかしこのように方針を変更したのであるから、それまでは橋の保全と警備に全力を尽し、船橋を守ってもらいたい。そうしてくれれば、わしとしては何より有難いのだ。」
ダレイオスはこのようにいうと、急いで先に進軍していった。
六八 2 ダレイオスの意図は、六十日たって帰らねば全滅したと思え、というのではなく、むしろ彼は始めから帰路はアゾフ海からコーカサスを経由するつもりであったろう、と推察する説が有力である。]
各地域の結縄
臺灣土蕃の書契的結繩
「臺灣の東部平原に占居するピュマ族に,一種の書契的結繩が行はれます。此の結繩は,主として男女間の情意を通ずるに用うるもので,其の成立に次の如き二つの特色があります。[第一]繩は,赤色及び黄又は青色の二種を以って成る事,[第二]繩に,堅き結び目と,緩き結び目とを造る事,乃ち此色別[第一]と,結別[第二]とを,彼此交錯連續して,或る意思を表示する符牒と爲すもので…。」
第一図は,「男子より女子に贈ったもの」で,その大意は,右側(赤色)「我の汝に對する愛情は確かなれども,汝の我に對する心緒は固からず」,左側(青色)「果たして斯くの如くなりせば,我等の間に約せし愛の契りを解けよ」となる。第ニ図は,「女子より男子に贈った答」で,その大意は,右側「我の汝に對する愛情は確かなれども,汝の我に對する心緒は固からず」と繰り返し意味を強め,左側「さてこそ汝は我の寄する愛情を顧みず,其の心緒を他人に傾くるなれ」となる。→ 伊能
テンボ族の求婚の手紙
アフリカ,ザイール共和国東部に住むバンツー系の焼畑農耕民のテンポ族による,メッセージ伝達用の結縄の例。この縄をなう細くてしなやかな材料は,ラフィアヤシの若葉から取れる繊維が用いられた。
求婚の手紙「ああ,娘よ。私はあなたが大変好きです。ああ,人の娘であるあなた,私はあなたが好きなのです。私はあなたの家に(求婚に)行こうと思っています。もし私が嫌いなら,ここを解いてください。(そして,この手紙を送り返してください。)」
[図 4]①「私の家」(女結び)② は「愛」(女結び)③私はあなたを強く愛している(男結び)④あなたの家に求婚に行くこと ⑤ 一日後に(ゆるい男結び)⑥ 女結びで,引っ張れば解けるようになっている。つまり,もし私が嫌いならここを解いてこの手紙を送り返してほしいということ。
此れに対する返事は 2 通りある。[図 5」はノーの場合であが,⑥ の女結びを解いて送り返す。イエスなら,⑥ の結びは解かずにその先に布の切れ端を結んで送り返す[図 6]。意味は,"私はあなたが好きです。私に服を買ってください"ということである。布の結び方は男結びである。→ 梶
マコンデ族のカレンダー
マコンデ族は,タンザニア南部からモザンビーク北部に住む,バントゥー語族の部族。木彫りの伝統を持つことで有名。マコンデ語のほか両国の公用語のスワヒリ語もしくはポルトガル語を話す。図は規則的な間隔で 11 個の結び目がついているが,この結びの作者が 11 日間の旅に出ることを表している。
キープ
ペルーの結縄は「キープ」(インカの公用語であったケチュア語では khipu,スペイン語では quipu)と呼ばれる。キープは,動詞としては「結ぶ」,名詞としては「結び目」を更にまた「計算」という意味にも用いられた。古代ペルー・インカの帝国の中央集権的政治制度の行政上,国民が毎年皇帝に献納する貢物の品とその数量が最も重要であった。金,銀,穀物,布,家畜等の献納品の種類と数量,人口数,兵士や武器の数などの計数記録がキープ本来の最も重要な用途であった。そのようなキープを専門に掌る「結縄司 Quipu Camayu」という官吏が任命されていた。
このキープは,主として,統計的な記述に用いられ,インカでは,今日でいうところの国勢調査に相当するものがすでに実施されていたという。また,ゼロ(零)の概念や 10 進法の位取りの概念もすでに存在していたことが知られている→ 壇辻。他方,このキープは,魔術的数字を含んでおり,その数字の組み合わせは死者の完全な平安を保障する天文学的数字に基づいていたとの説もある。図左:ペルー・インカ 1430~1532 年 遠山記念館蔵(埼玉県川島町)37.1 × 49.8 cm 右図:ペルー南高原・インカ 15世紀~1532年 ラルコ博物館蔵(リマ)高:58cm 幅:75cm → E.ドーブルホーファー
インカ帝国会計係
インカ皇帝トゥパック・フアルパの娘であった母とスペイン人を父に持つインカ・ガルシラソ・ラ・ヴァガは「インカの御記録」(Comentarios reales de los Incas, 1609 年 リスポン)というインカの歴史と風俗の記録を残した。ガルシラソは,キープの使用分野を,イ)会計,全ての計算,ロ)歴史記録,ハ)法律の記録,ニ)祭り,宗教行事と示している。→ ラプチェフ セルゲイ
ケチュア族の貴族ワマン・ポマの「新しい記録とよき統治(1615 年)は,スペインに支配された植民地の先住民による非常に長い嘆願書で,398 枚のフルページの挿絵が含まれている。→ 木村 → ロデリック・ケイヴ
台湾・アミ族の結縄
アミ族には,年齢階級制度があり,12~15 歳以上の独身男子は集会所に合宿し,教育を受け,鍛えられる。彼等の任務は,蕃社の伝統を知り,祭りの費用を負担し,出草・狩猟に出る。この蕃社の集会所の祭の費用,共同作業の分担・集計のために諸種の記録が必要であり,その記録は,すべて結縄によって記録計算された。集計目的毎に,横に細長い板に穴をあけ,その穴に麻縄を通し輪をつくり,そこに計算用結縄をつりさげた。 → 中野
イェブのアロコ
図は,ナイジェリアの南西端ペニン湾岸に位置するラゴスに居住するイェブ族の手紙「アロコ」である。これは「ある重病人が友人と親戚に送った手紙で,『病気の経過は思わしくない。病気はますます悪くなっていく。私たちのただひとつの頼りは神様にある』と読む」そうである。→ E. ドーブルホーファー
藁算
沖縄の結縄は「藁算」(「ワラザン」「ワラザイ」「バラザン」等,様々に読まれる)もしくは「算」と呼ばれる。やはり数量を記録するのにもっぱら利用されたが,島津藩の琉球政策の影響もあって,比較的最近に至るまで広く使われていた。
図は宮古島の藁算であるが,米 2,345 俵 1 斗 5 升を表している。大縄に 1 結びを加えたもの 2 本で 2,000 俵,中縄を 1 結びしたもの 3 本で 300 俵,子縄に 1 結びを加えたもの 4 本で 40 俵,単縄に 1 結びを加えたもの 5 本で 5 俵,子縄 1 本と単縄 5 本で 1 斗 5 升を表し,全体で米 2,345 俵 1 斗 5 升ということになる。
沖縄では 13 世紀以降すでに文字文化が存在していたので,結縄は文字使用を許されなかった庶民の記録・記憶の補助物として,独自の発達を遂げたものと思われる。
貢布割賦記標
「これは八重山群島において年々の貢布を課する為の命令書に代えて丁年女子達に下渡す記標として用いたものである。 丁年女子達は組合を設けておき,その一組合毎にこの記標を一個づつ,或いは一人毎に一個づつ与えたものという。その組合は例えば 3 人の丁年女子が 3 人居たとすると,年齢に応じて各自若干の反布(織布)を賦課するものとみなして誰は何布を何反,誰は何布を何尋と年齢に応じて賦課する時に,この 3 名が一組中の女子である時は,その貢額を一標本中に列記して組頭に下付し,組下の両名にも示し合い 3 名中が互いに自分の都合によって,一人は専ら機杼の仕事を一人は績糸の仕事を,一人は何々をするとか仕事の分担をきめて,織りあがった布を村役所に納めるのである。村史は前年下付した記標と引き合わせてまちがいなく納めた旨を伝えて完了したのである。」→ 解説 田中 → 図 田代
藁算の例
沖縄各地の藁算例。→ 栗田
首里の質屋の藁算
次の図に示すものは,首里の質屋で実際に使用していたもので,材料は藺草である。右部に 5 つ結んでいるのは,質入の月の 5 月を示している。その左に結んでいるのは金額を表している。最初に 1 結びしてからこれを二分して,一方を結び,しだいに細くなってゆく。この場合,第一の結びよりは,次の結びのほうが桁が低くなってゆく。この図では 123 貫を表している。この場合に 123 貫なのかまたは 12 貫 300 なのかは,実際に質物をみて判断するのである。図の下方には質入た衣類をその藺草で結んで質屋が保管しているようすを示している。→ 額田
ワンプン帯
北米先住民のワンプン帯(Wampum-belt)もまた,事物文字の一種である。ワンプン帯はビーズや穴を開けた貝殻に,樹皮や麻などの植物性繊維や鹿皮などの紐を通したものである。ワンプンとは,こうした貝殻を意味しているといわれる。
貝殻やビーズ玉の色の相違によって,様々な意味を表すことがてきた。たとえば,黒または紫は危険もしくは敵意,赤は戦争,白は幸福と平和の意味を表したとされている。こうしたワンプン帯は,種族の歴史,種族間の条約や協定に相当する取り決めや領土の境界,さらには個人の特徴をも記録するのに用いられた。
図は,1682 年にレニ・レナビー族(デラウェア族)から有名なペンシルヴァニアの建設者ウィリアム・ペンに贈られたものである。帯は白色である。真ん中に黒色で二人の人間が描かれている。左側の人間はヨーロッパ人(帽子がヨーロッパ人を示す)に握手を求めているインディアンである。この帯の歴史的役割は,いわばこれが 1682 年にペンとデラウェア族との間に結ばれた朋友の契りの印だったという点にある。→ E. ドーブルホーファー
しかしながら,これらの事物文字は記憶補助の段階にとどまっており,言葉の形式の単位,すなわち,音素の単位または意味の単位との関係が一定ではなく,恣意的であった。それゆえ,本来の意味での文字のレベルにまで発達しなかったものと考えられている。
関連リンク・文献
注
- 伊能生(1907)「臺灣土蕃の書契的結繩」『東京人類学会雑誌』第22巻,第254号
- 梶茂樹(1991)「テンポ族の結縄」Journal of Asian and African Studies. 41.
- 金谷治 訳注(1975)『荘子(外篇)』(岩波文庫)
「民結縄而用之」民は縄を結びてこれを用い。荘子外篇第十胠篋篇(きょきょう) - 木村 喜久弥(1958)「南米ペルー古代の結縄文字」『學鐙』55(5)
- 栗田文子(2005)『藁算 琉球王朝時代の数の記録法』(慶友社)
- 高田真治, 後藤基巳 訳(1969)『易経(下)』(岩波文庫)
「上古結縄而治 後世聖人易之以書契」上古は縄を結びて治。後世 聖人これを易うるに書契〈文字や割り符〉を以てす。 - 田代安定 著 ; 長谷部言人 校訂(1977)『沖縄結縄考』(至言社)
- 田中 紀子(1998)「沖縄の古代結縄文字考(5)」歴史民俗学研究会 編『歴史民俗学』通号12号
- 壇辻正剛(2001)「結縄」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- E.ドーブルホーファー 著 ; 矢島文夫, 佐藤牧夫 訳(1963)『失われた文字の解読』(山本書店)
- 中野 敏雄(1981)「台湾・アミ族の結縄」日本数学史学会 編『数学史研究』(通号 88)
- 額田巌(1993)「結縄」『日本史大事典 2』(平凡社)
- 布目順郎(1996)「結縄のこと」『月刊しにか』7 (12)
- ヘロドトス [著] ; 松平千秋 訳(1972)『歴史』(岩波文庫)巻4, 98節
ペルシアの王ダレイオスは強敵スキタイとの闘いに赴くさい,同盟を結んでいたギリシア軍を後方に残し,戦略上重要な橋の守りにつけた。出発の直前,ダレイオスはギリシアの兵士に 60 個の結び目がついた革紐を渡し,毎日一つずつ結び目を解くようにと命じた。もじもすべての結び目が解かれるまでに自分が戻らなかったら,船で故国へ帰るようにと告げたという。 - ラプチェフ セルゲイ(2013)「結縄記録法 : アメリカと太平洋 : 文明と文字の発達(3)」Miho Museum 編 『Miho Museum 研究紀要 : Bulletin of Miho Museum』 13
- ロデリック・ケイヴ, サラ・アヤド 著 ; 大山晶 訳 ; 樺山紘一 日本語版監修(2015)『世界を変えた100の本の歴史図鑑』(原書房)
- 和田清, 石原道博 共編訳(1951)『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫)
[最終更新 2019/01/20]
結縄
https://kotobank.jp/word/%E7%B5%90%E7%B8%84-59610
世界大百科事典 第2版の解説
縄およびその結びによってものを記録する一種の文字。中国古代に、文字のかわりに縄を結んで政令の
符号としたことを「結縄の政(まつりごと)」とよんだというが、文字のない文化において、この数の
表記法が用いられた例は、南北アメリカ、オーストラリア、日本などで知られている。
沖縄の結縄
沖縄では、藁算(わらさん)またはサンとよばれる結縄による数字の表記があり、おそらく旧藩時代以前
から用いられていたらしいが、農民に対する禁字政策が行われたため、島津藩支配下の沖縄の民衆の
間で広く用いられた。サンは藁、藺(い)、タコノキの気根などを材料としてつくられた。そのおもな
機能は数字の記録にあり、人口、貢納額、材木の大きさ、家畜の頭数などが示された。とくに人頭税が
課せられた旧藩時代から、それが廃止された1903年(明治36)ごろまで、納税の告知や徴税吏の記録
として広く使用されたが、民衆の側からすれば、役人による不正徴収を防止するため、サンによって
税額を記録し、蔵元の原簿と照合させる意味もあった。サンの方法は島によってまちまちだったが、
直列型と束ね型の2種類があり、また、1、10、100、1000などを表すのに縄や藁の先端を輪で結ぶ
などの方法は共通していた(図A)。
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サンは今日では廃れて用いられないが、那覇などの質屋で、質物をくくる紐(ひも)に結び目をつくり、
質入れ月や金高を記録する方法は第二次世界大戦前まで行われた。また八重山(やえやま)やその離島で
は、藁算の儀礼的使用が残っている。すなわち、御算(うたき)に奉納米とともに氏子の数を縄に結んで
供えるのである。
南アメリカの結縄
南アメリカの中央アンデス地方に栄えたインカ文化(15~16世紀初め)でも結縄は広く用いられた。
結縄はキープquipu, khipuとよばれ、先インカ期にも使用例があって、民衆間で穀類の収穫高や家畜の
頭数などを表すのに使われていたらしいが、インカ帝国という一大組織が成立するに及んでその使用が
複雑化し、キープカマヨックkhipu kamayoq, quipu camayocとよばれる専門家集団が形成されて、
国家機関で必要とする統計記録を管理するようになった。キープに用いられた縄は、綿または羊毛を撚
(よ)り合わせてつくった。通常、一端は結び、他の端は輪状にする。まず太い縄を用意し、より細い縄の
輪状の端を図Bの(1)のように結び付ける。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjA-rcotGDvWQMvUmP_C2NFp9YZAj03WANRm-5ahP1xExf9YQlLCYejpmGZq3UGdoGX0s2rDORZdUDezX4Pj2ItAHxYwiIc9jIcmnSt6f7pGOrr8xYod3E0jzJQT9JHo3JT87iWOmgAHGFq/s1468/C41E19E0-D3A7-4B1D-B3BB-4276EC3564E7.jpeg
インカ文化においては厳密な十進法が用いられ、細い縄の結び目
の数によって1から9までの数が表され(図Bの(2))、位取りによって10以上の数が表記された。通常は
太縄からもっとも遠い結び目が1位の数を表し、近づくにつれ10位、100位の数が表された。また、いく
つかの細縄に別の縄の端の輪をからげて枝をつくった(図Bの(3))。これは、からげた細縄全部が示す
数の合計を表す(図Bの(4))。これら上下の細縄には、必要に応じて補助縄をつけた。そこで全体とし
て、キープの数字表記システムは、図Bの(5)のようにテーブル化できる。このようにして、1本の太縄に
数本から数百本の細縄がつけられ、さらに細縄は着色されて、さまざまの種類の統計が記録された。着色
がどのような意味をもっていたのかは不明である。何人かのスペイン人記録者や学者がそれについて言及
し、たとえば黄色は金、白は銀、緑は戦士を表す、などといっているが、信憑(しんぴょう)性は薄い。
また、ある記録者によると、キープは数字表記だけでなく、歴史的な事件を記録するための補助手段とし
ても使われたという。キープカマヨックはスペイン植民地時代まで残存したが、やがて消滅した。しかし
高原地方の牧民、農民の間では、キープは20世紀まで使用され続けた。
[増田義郎]
『M. & R. AsherCode of the Quipe (1981, Ann Arbor & R.)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)